回虫回想記
                                  奈良県医師会 下里直行 
 

 あらかじめお断りしておくが、本稿に眼を通される場合、極力、「お食事どき」をお避けになるようお願いしたい。
                      
                         ◇            ◇
 
 回虫は、人類にとって最も普遍的な寄生虫で、今も全世界では14億人、アジア・ラテンアメリカなどの途上国
には6億人以上の感染者がいるとされている。
 わが国では、生活環境の改善と衛生教育の普及により、ひと昔前に比べたら激減したといっても過言ではない。
 ところが、最近の自然食ブームや海外交流の増加にともない、輸入感染症として漸増傾向にあるとも言われ、
常に頭の隅にとどめておくことが肝要である。
 1991〜2000年の10年間で、奈良医大寄生虫学教室に、回虫に関する相談が15例あったという。この内、
実際に治療に当った5例について、その詳細を同教室の吉川ら(文献1)が報告している。
 ちなみに、この5例は全て男性で、その居住地(年齢・発症年度)は、橿原市(2歳・1992)、御杖村(49歳・
1992)、桜井氏(50歳・1995)、大和高田市(77歳・2000)、大和郡山市(50歳・2001)である。
 寄生虫症の大半は届出の義務がないので、感染者の実数を正確に把握することは、きわめて困難である。
 財団法人日本寄生虫予防会の資料によると、平成7年でのわが国の回虫卵保有率は、約1万7千人に一人
の割合であった。ちょっと乱暴な数字遊びになるが、奈良県の総人口は約百四十五万人(平成12年度)である
から、県下には概ね、85人の感染者がいる勘定になる。この85人という数字が多いか少ないか、読者はいかが
お考えになるだろう。ご意見を伺いたいところだ。
 
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 さて、1950年代を小学生で過した私たちの世代にとって、回虫はきわめて親しみ深い存在であった。お尻の
穴に異なものが触るので、つまんで引っぱると、独特の抵抗感があってヌルッと引き抜くことができた。
 この頃、GHQの通達により、学校では定期的に海人草(かいにんそう)を飲まされた。においもさることながら、
強烈にまずかった。冷めたものは、なお更だった。
 アルマイトの碗になみなみとつがれた海人草を、完全に飲めるものはそう多くはなかったが、私はこれを一気に
飲み込むことができた。今にして思えば、イッキ飲みで皆が注目してくれるのが嬉しかったに違いない。
 ちょうど、阪神ファンが道頓堀川にダイビングするのに似た心境だったのだろう。
 あるとき、『飲みっぷりが見たい・・・』とせがまれて、一挙に3人分を飲み干したことがあった。その日の夕方、
お漏らししながら家に帰りつくと、いきなり母は前の小川に私を連れてゆき、小言を云いながらお尻を洗ってくれた
記憶がある。
 海人草は、まもなく「サントニン」にとって替わった。
 景色が黄色く見えるといってみんなではしゃぎあったが、中に黄視現象の出ない者がいて、
 『先生、○○ちゃんはサントニンを飲んでませ〜ン!』
 と告げ口をし、喧嘩沙汰になったこともあった。

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 それから20年ぐらいたって、未だに忘れられない出来事を経験した。入局して3、4年目のことだから、1970年
頃の話である。
 ある日の深夜、子宮外妊娠の患者が遠方の山村から救急車で搬送されてきた。プレ・ショックで緊急手術が必要
であった。腰椎麻酔を済ませ、手洗いをしていると、奥からナースの悲鳴が聞こえた。
 脱糞と嘔吐、さらに『床に変なものがウジャ、ウジャいます!』との知らせである。急いで手洗いを済ませ、手術場
に足を踏み入れて息を呑んだ。乳白色の無数の虫体と、刺繍糸のような細い物体が混じりあって、ザワザワうごめ
いているのだ。
 幼少時の記憶から、動くものは回虫だとすぐわかったが、もうひとつのものが謎だった。床の掃除と同時進行の
手術も、すったもんだのあげく無事終了。
 一息ついたところで、例のものを聞きただしたところ、ちょっと間をおいて、ばつ悪げな表情で正体を明かしてくれ
た。それは、夕食に食べた「モズク」だったのである。


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 ところで、この手術にはオーベンの先生がおられたはずでだった。
 そこで、心当たりの先輩に問い合わせてみたところ、最近たまたま昼食をご一緒したMI先生が覚えておられた。
 『そういえば、そんな事があったなー』と眼を細め、昔を懐かしむように語ってくれた内容は、もっと具体的で詳細
であった。
 『嚥下性肺炎を危惧して、口から回虫とモズクを指で掻き出した。
 住まいは何処そこで、ポッチャリ小柄な小料理屋の女将だった。
 あのとき彼女は、かなりお酒を飲んでいた』・・・などである。
 私の記憶では、大柄で日焼けした農家の主婦だったのだが・・・。
 『さすが、オーベン。読みの深さと視点が違う!』
 感動すると同時に、あの時の吐物の匂いがかすかに甦ったのであった。

 
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 最近、消化器内視鏡で偶然発見される回虫症例が増えているという(文献2)。
 「モズク」の一件から、さらに20年後。懐かしの回虫に再び巡り会えた。
 1990年頃、消化器外科のK先生から内視鏡の手ほどきを受けていたときのことだ。
 幽門輪から十二指腸球部を視診していると、皺壁の陰に白い異物がチラチラ見え隠れする。『食物残渣かな?』
 と、さらに眼を凝らすと、その白い異物もこちらを覗っているかの様子である。
 『チョッ、チョット! 先生! なんかいるッ!』
 と声をかけた瞬間、それがこちらに向かって突進してきたのだ。
 『ワッ!』と顔をそむけ、危うくカメラを落としそうになった。
 慌ててK先生にバトンタッチをしたのだが、すでにいずこかに姿を消していた。後日、この回虫は「コンバントリン」
によって駆除された。
 この一件以来、回虫は光を怖れぬ攻撃的な生き物だとずっと思ってきた。
 最近、機会があって前述の吉川先生にこの話しをしたところ、光から「逃げる」習性があるという反対のご意見と、
それに関する文献を送ってくださった。大阪医大の勝健一教授は、「回虫は内視鏡からすばやく遠くに逃げる」と
記述している。さらに、ファイバーの熱からではなく、光からの回避行動であることも検証している(文献3)。
 『回虫はシャイで、けな気なやつなんや・・・』と得心し、いっそう愛おしく思えるのであった。
 それはさておき、私が遭遇した回虫は、確かにレンズに向かって突進してきたかに見えたのだ。ひょっとすると、
180度身を反転させ際、鞭のようにしなったシッポ側を見たのだろうか?
 ここでふと思った。
 回虫が光から逃げる際、「後ずさり」するのか、それとも「身を反転」させるのか・・・という疑問である。
 勝教授は、逃げ方についてまで言及していない。
 そこで、内視鏡で回虫に遭遇された経験をお持ちの先生方にお伺いしたい。
 回虫が内視鏡の光を見たとき、
 @ 後ずさりしながら逃げる。
 A 身を反転して逃げる。
 B 前二者とは異なる行動をとる(具体的に・・・)
 本誌P.44【醫心伝心】欄に是非ご意見をお寄せいただきたい。別号にて、その結果を報告させていただくつもりだ。
 
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 消化器内視鏡検査の増加によって、今後さまざまな寄生虫との出会いが増えるだろう。
 寄生虫の宿主内での生態を実況生中継できるとなれば、色々な発見があるだろうし、楽しい夢が膨らむというものだ。
 おりしも、長野市のベンチャー企業アールエフは、開発中の超小型内視鏡カプセル《ノリカ》が、臨床試験の最終段階
に入ったと報じた。
 風邪薬大のプラスチック製カプセルを飲むと、内蔵の超小型カメラが消化器内部を撮影、外部のモニター画面に映し出
す画期的な内視鏡システムである。
 ちなみに、ノリカは藤原紀香をイメージしたネーミングだという。ハイテクの裏に遊び心があり、パンフレットでは見映え
も良い。
 早く飲んでみたいものだ。

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 前述の勝教授は、内視鏡下で、胃粘膜に頭を穿入したアニサキスに「正露丸」の主成分クレオソートを浴びせかけ、
2〜3秒後に、もだえ苦しみながら抜け出てくる様子をビデオに収めている。
 東京医科歯科大の寄生虫学の藤田紘一郎教授にいたっては、自分の体内に「キヨミちゃん」という名のサナダ虫を
飼っている。寿命が2年足らずなので、今のガ三代目だそうだ。
 ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグの世界ではないが、遺伝子操作やバイオイテクノロジーで処理した
寄生虫を、ボランティア(・・・私がなってもよい)の体内に放虫、生々しい寄生・共生の実態を観察して楽しむという構想
はいかがであろう。ジュラシック・パークならぬ、「パラシック・パーク」の具現である。
 ところで、単性寄生のヒト回虫を思うとき、なぜか私は「君の名は」の氏家真知子の境遇を連想してしまう。
 モズクのショールを首に巻き、出会うことのない異性(春樹)を求めて宿主の体内を独りさまよう。哀れである。想像す
るだけで胸が熱くなる。
 イヌ・ネコ回虫の幼虫にいたっては、《拉致》同然で、さらに惨めだ。
 なんの因果で、居心地悪いヒトの体内(異郷の地)に居なければならないのか・・・。そして、探しても存在しない安息
の地(イヌ・ネコの小腸)を求め、ひたすらヒトの肺・肝臓・眼・脳を彷徨い続ける。この子らの焦りと絶望感はいかばか
りであろう・・・。悲惨すぎる。
 回虫に罪はない。むしろ、IgE抗体の産生に関わっているというではないか。
 もし私が今後、こうした不遇の寄生虫に遭遇したら、把持鉗子でつかみ取るとか、「正露丸」を浴びせかけるといった
残虐行為は決してしないだろう・・・などと夢想しつつ稿を終える。

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 最後に、本稿のために貴重なご助言とご校閲および文献をご送付くださいました、奈良県立医科大学寄生虫学教室
助教授:吉川正英先生に、厚く御礼申しあげます。

【文献】
 (1) 吉川正英,他(2001):1991年から2000年の間に遭遇した蛔虫症の5例.奈良医学雑誌,第52巻,第5号,
    196〜200(英文).
 (2) 吉川正英,他(2001):上部消化管内視鏡検査にて偶然発見された虫体を回収し得た回虫症の一例.
    Clinical Parasitology,12,95〜97.
 (3) 勝 健一(2001):消化器内視鏡検査と寄生虫,Clinical Parasitology,10,11〜16.

本稿は奈良県医師新報:2003.10(第621号)【平成15年10月1日発行】の『橿原まほろば』に掲載されました