その2.ホケノ山古墳
平成12年3月27日、大和古墳群調査委員会(樋口隆康・奈良県立
橿原考古学研究所所長)は、奈良県桜井市のホケノ山古墳が3世紀中頃
に築かれた日本最古の古墳になる、と発表した。
これまで古墳は3世紀後半にはじめて出現したとされてきたが、ホケ
ノ山古墳は数十年さかのぼり、中国の史書「魏志倭人伝」に邪馬台国が
頻繁に登場する時期の構築になることから、邪馬台国畿内説の傍証とみ
る学者もいる。
ホケノ山古墳の西300メートルの所に、女王「卑弥呼」の墓説もあ
る全長約280メートルの巨大な箸墓(はしはか)古墳があることから、
畿内説を唱える学者は、卑弥呼の父の墓とか邪馬台国の長老クラスの墓
などとも考え、また、ホケノ山の名は「王家の山」がなまったとも考え
ている。
ホケノ山古墳が最古の古墳と判定される根拠は、
1)弥生墳丘墓よりはるかに大きい。
2)初期古墳の最大の特徴である前方後円形であること。しかも後円
部の直径が60メートルに対し、後方部の長さと幅が20メートルしか
なく、初期古墳の中でもさらに古い形をしている。
3)古墳全体が石で覆われている。
4)後円部の埋葬施設の中から3世紀中頃の「庄内式」土器が見つか
っている。
5)木槨(もっかく=木製の棺)の中から、中国製銅鏡「画文帯神獣
鏡(がもんたいしんじゅうきょう)」が出土した。
画文帯神獣鏡は獣が走る模様などを巡らせた、縁の平らな鏡のことで、
縁がとがっている「三角縁神獣鏡」より古い形式とされており、中国・
後漢時代(25〜220年)の末期に作られ、三世紀前半に日本へ伝わ
ったらしい。
魏志倭人伝は、「239年、卑弥呼は魏に朝貢して銅鏡百枚などを贈
られた」と伝えている。
従来から、魏から贈られた百枚の鏡は「三角縁神獣鏡」とされていた。
しかし、この種の鏡は肝心の中国本土では一枚も見つかっておらず、日
本で作られたとする見方も多い。そこで、近畿で多く見つかっている画
文帯神獣鏡こそが「卑弥呼の鏡」と有力視されるのである
今回のホケノ山古墳の発掘から、邪馬台国畿内説が有力になったとす
る意見に対し、九州説を唱える学者は、「画文帯神獣鏡は魏で作られた
鏡でなく、呉の国と関係がある。九州には魏で作られた鏡が広く発見さ
れており、九州説は揺るがない」と一歩も譲らない姿勢を示している。
以下の写真は平成12年3月28日に撮影。
No. | 写 真 | 解 説 |
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ホケノ山古墳は全長約80メートルの前方後円墳。 石で覆われている部分が「前方」部に当たる。 古墳全体がこのような石で覆われていたものと推察される。 一部は蜜柑畑のような畑になってしまっている。 写真5図の現在地と記された方向から撮影した。 平成12年3月28日撮影 |
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東側からみた前方後円墳の円部。 頂上部に発掘のシートが見える。 後方は箸墓古墳。 |
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円部を北側から眺めた図。 後方の山は「三輪山」。 |
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古墳の 頂上部分。 シートで覆われている部分に、木槨が位置する。 後方は箸墓古墳。 |
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前方を南東に、後円を北西の位置に配されている。 今回の発掘は円の中心部で行われた。 |