本編4

 「助けてくれたのは感謝するけど―――

 由佳は鼻の付け根をポリポリ掻いた。

 「なんで私の部屋までついてくるの?」

 ここは由佳の部屋。
 どうやらこの死神はとことんついてくるらしい。

 「しかし…凄い量だな、この本の数は……」

 オレイアスは部屋の中を散策していた。

 「うわ、クロ−ゼットの中まで本が……」

 驚きを通り越して、もはや呆れているオレイアス。

 「い、いいでしょ!
  それにタンスとかクローゼットとか勝手に開けないでよ!
  見られたくない物とか入ってんだからさ、これでもレディーなんだからね!」

 「そんなに大声張り上げると、下にいるアンタの母親に怪しまれるぜ?」

 「あっ」

 由佳はあわてて自分の口を押さえた。
 明後日死ぬというのに、その前々日に火遊びしていたなんて誤解されたら、末代までの恥である。
 終わり良ければ全て良し。
 最後ぐらいは清廉潔白、女教皇みたいな在り方でないと。

   女教皇(THE HIGH PRIESTESS)
     正位置;聡明な女性 神聖 清い身 プラトニックラブ 入学式 潔白
     逆位置;ヒステリック コンプレックス プライド 愛情の渇望 孤立

 「精神現象学…? アンタこんな本ばっかり読んでるのか?
  どれどれ…。
―――歴史とは絶対精神の弁証法的展開である……完全に血迷ってるな」

 「あーーーーッ!! ヘーゲル様を馬鹿にしたわねッ!
  キミなんかにね、ヘーゲル様の偉大さが理解できるワケないのよ!
  ちょっと、これでも読んで、理性と現実の関係を悟りなさーーーい!」

 そう言うと、由佳はクローゼットの中に山積みされている本から
 『論理学』とか『エンチクロペディー』とか『歴史哲学講義』とか『法の精神』とかを取り出した。
 
―――というより、引き抜いた。

 「はい、読んで! ペロっと読んで! もう目が覚めるよ!」

 「本の山が崩れる」

 「ふえ?」

 由佳がクローゼットの方に振り返ると、
 そこには7、8巡したときのジェンガぐらいにアンバランスな本の山がぐらぐらしていた。

 「わーーーーッ!」

 あわてて支えようとした由佳だが、
 本の山はオレイアスの予言に導かれるように、無情にも崩れ去った。
 ドダダダダッ!

 「由佳〜、何かあったのー?」

 下から由佳ママの声。階段を上がってくる。

 「やばッ! ほらキミ! ボサっとしてないで、さっさと隠れる!」

 「無駄だ、見つかる。運命がそう言ってる」

 「クローゼットの中に隠れたら、見つからないって!」

 「クローゼットは崩れた本が邪魔で、扉がしまらない。
  そして、本の山をどかずには時間が足りない。
  どうやっても見つかる運命なんだ。
  あきらめろ」

 「あきらめ…られるかーーッ! 必殺!」

 由佳は運命に逆らって、最終奥義を発動した。

 ガチャ。
 扉が開かれた。

 「由佳、大丈夫?」

 心配そうな顔つきで、由佳ママが入ってくる。

 「だ、だいじょーぶだよ。ちょっと本が崩れちゃっただけ……」

 「そうだったの。てっきり泥棒でも入ってきたのかなってママ心配したのよー。…あら?」

  由佳ママは何かを見つけた。

 「そのぐったりした物はどうしたの?」

 「こ、これは、たれぱんだの類似品の『ぐったりボブくん』だよ」

 由佳ママはしばらく『ぐったりボブくん』を見つめていたが、

 「類似品には気を付けるのよ」

 と言い残して、下に降りていった。

 由佳は額の汗を拭い、安堵のため息を吐いた。

 「見つかったけど、バレなかったから、作戦成功ね」

 もちろん、『ぐったりボブくん』の正体が、
 由佳の必殺を延髄に叩き込まれたオレイアスであることは言うまでもない……。

◆◆◆

 その直後、二人の仲は険悪になった。
 必殺拳を叩き込まれたオレイアスが怒るのは当然だ。しかし
―――

 「人間など塵芥(ちりあくた)に等しい。下僕こそ相応しいのだ」

 この発言は不味かった。もちろん、オレイアスははずみで言ってしまったのであって、本意ではなかった。
 しかし、由佳はうつむき加減で、何も言わなくなった。
 細かく肩を震わせていた。

 「どうせ嘘泣きだろう」

 オレイアスは心にも無い言葉を吐き捨ててしまった。
 由佳はうつむいたままだった。

 「…キミから見ればね…、人間は弱く愚かかもしれないよ…。
  でもね、愚かであっても愚行を重ねまいと、必死に頑張ってるんだよ…?」

 震える肩に同調してか、由佳の声もまた震えていた。

 「それなのに…それなのに…塵芥だなんて……」

 由佳は顔を上げた。

 「…キミなんて、大っ嫌いだ!」

 それは涙でくしゃくしゃの顔だった。

◆◆◆

 「あんな女、もう知るか!」

 真夜中、雨のミッドガルドをオレイアスは飛び回る。
 魔力を解放し、思いっきり暴れてやりたかった。
 他の不死者達がそうするように、人間をこの手で殺して、無理矢理ニヴルヘイムへ送呈してやりたかった。

 オレイアスは街の一角に降り立った。
 真夜中というのに、群を成す屑共。不良というレッテルを貼られた連中。滅してやりたい。
 突然現れた男に、彼らは絡んできた。

 「何だ、テメー。見てんじゃねーよ!」

 もう何事もオレイアスを縛ることはできなかった。

 「我が名はオレイアス。
  その名を知らぬ者は、己を痴れた者と知るべし!」

 オレイアスは完全に死神としての本性を表していた。
 耳は尖り、体中に紋様が浮かび上がり、背中には漆黒の翼が生えていた。

 「開け冥界の霊棺。すぐにこの者達を送呈してやろう」

 街に叫び声が轟いた。

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