飯道山(海抜664メートル)は古来より山嶽崇拝の対象として神聖視されてきた霊山であるが古記によれば元明天皇の和銅4年(711年)の創始とされ、平安期に熊野信仰の中心・熊野本宮より御分霊を奉迎して社殿が創建されたと伝えられる。
平安朝初期の延喜式神名帳(全国3132座記載)に甲賀郡8座の1座として記されている延喜式内の古社である。 |
平安時代初期より次第に盛んになって来た神仏混淆思想(本地垂迹説)の影響を受け、僧安皎が金勝山より来てこの山に庵を結んでより神仏習合の山として次第に隆盛となり、年と共に修験道との関係が濃厚となった。役行者の開基との伝承もあり、平安朝末より後は修験道の一大聖地として信仰を集め、修験者の道場として発展した。
明治の神仏分離政策により寺院関係の施設は全て廃棄され現在に至っている。 |
大永3年(1523年)の『飯道山惣絵図』には本社の飯道権現の他、山王、杖、弁天
白髭の各末社があり、寺院としての施設も本地堂を始め、経堂、鐘楼、護摩堂などが全山に広く分布していたことが記されていて、最盛時には36の坊舎があったという。
(市指定飯道山遺跡) |  |
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光仁天皇宝亀2年(771年)には朝廷から神封一戸を給わる。 元慶8年(884年)神階が従五位上から従四位下に昇叙される。
久安2年(1146年)近衛天皇より飯道権現の勅額を下賜され、甲賀郡の総社となる。天正9年(1581年)織田信長伊賀より伊勢に転戦する途次、社領200石を寄進する。
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本殿は慶安2年(1649年)に再建され、現在の建物は昭和50年より2ヵ年に亘り解体修理が行なわれ、桃山時代から江戸時代に流行した権現造りで、漆や金箔、丹塗などを使用した極彩色の華麗なる建造当時そのままの姿が再現された建物である。 (国指定重要文化財)
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