【Railway Holiday】 街から10分の安らぎトリップ | |
=大都会に寄り添う静かな空間、大阪臨港線浪速貨物駅を探索、の巻〜その1= | 2000/12/25 |
天王寺から大阪環状線の内回り電車に乗って、海側を眺めていると、大正駅を過ぎてしばらくの地点で、線路がスルスルと港の方へ向かって分岐しているのに気付いた方はおられるだろうか? 実はこのレールの行き着く先が、鉄道による貨物輸送華やかりし頃隆盛を極めた大阪臨港線浪速駅なのである。
昭和50年代前半までは、大阪港沿岸には数多くの貨物線が環状線・桜島線から枝分かれする形で縦横に走ってたが、運輸業界の急速なモータリゼーション化と雪ダルマ式に膨れ上がる国鉄赤字のため、鉄道貨物を取り巻く環境は急速に悪化し、これらの地区の貨物駅やレールも次々と廃止される憂き目となってしまった。
結局、現在は環状線分岐点の境川信号場から浪速駅までの大阪臨港線の一部のみが残存することとなったが、それとて往時の面影はない。かつては長大な貨物車両が頻繁に往復した複線のレールも、今は単線になり、定期貨物列車も一日たったの一本……
そこで、ある晩秋の日、私は鉄道に造詣の深い知人と共に、弁天町駅から市バスで僅か10分の場所にある浪速駅空間を探索することとした。
←【1】環状線側から眺めた浪速駅構内
向う側(西側)に見えるのは阪神高速湾岸線の港大橋。線路左側にある大きなクレーンは大阪造船所のもの。
市バスを降りた我々の目の前に現れたのは、殺風景な工場街の中に荒涼と存在する廃線跡のような光景であった。レールの上に咲き乱れる(?)雑草の程度からも現場の雰囲気は推測して頂けるであろう。【2】荒涼さに似合わぬ派手な車両→
写真【1】に写っている黄色い車両のアップ。『ナントカ化成』と書いてあるが、そのナントカは不明(なにぶん30万画素のデジカメなもんで……(^_^;) 後ろの大きな建物は先程のクレーンと同じ大阪造船所。探索後に地図を再確認したところ、駅の終端は『辰巳商会福崎ケミカルターミナル』という施設になっており、その関係の車両であることは間違いないようだ。
←【3】唯一生命の息吹を感じたディーゼル機関車
駅入口付近にあった昔懐かしいタイプのディーゼル機関車。写真で見ると案外綺麗だが、実際の印象はかなりクタびれていた。
【4】海側から環状線側を眺める→
写真【1】とは逆に環状線側、つまり東側から西側を眺めた風景。『ナントカ化成』の黄色い車両の隣には長編成の貨物台車が留まっているが、もう5年くらいその場所を動いたことがないような佇まいであった。
この頃には、都会の喧騒からほんの目と鼻の先で、このようなローカル色溢れる光景に包まれていた私と知人は、既に軽躁状態に陥っていた。
←【5】駅構内ど真ん中から港大橋を眺むる
軽躁モードにギアチェンジした私たちは、次第に大胆になり、どんどん構内中心部へ進入した。
このアングルは構内のほぼ真ん中から海側の風景を捉えたもの。大都会に不釣合いな駅の広大さがよく分かる。【6】突然動き出したディーゼル機関車→
そうこうと私たち二人が勝手に感動していると、突如ディーゼル機関車がノソノソと動き出した。構内にある貨車を押したり引いたりして、彼らの留置場所を変え始めたのだ。アングルで分かるように、かなりの近接撮影であるが、機関車のおっちゃんはまるで知らん顔。ヘルメットには『辰巳商会』とあり、JRとは関係ないらしい。ということは、この車両も辰巳商会所有なのか?
広い構内を何回もポイントを切り替えながらジグザグに往復する様は、いくら見ていても飽きない。是非とも一見をオススメしたい。←【7】崩れ落ちそうな車庫内の様子
草ボウボウの線路のひとつを追いかけていくと、こんな風景に辿り付いた。全盛期にはここで保守作業も頻繁に行われていたことだろう。(後日、『浪速鉄道産業株式会社』というよー分からん会社の所有であることが判明)
そうそう、一応構内のあちらこちらには『関係者以外立ち入り禁止』という古びた看板が見受けられたが、このように殆ど傍若無人に設備に近付いても注意する人は誰もいない。まさにターミナル(終端)の様相だが、逆に考えれば、ここから始まったレールが大阪駅や東京駅(もうひとつのターミナル)に繋がっているとも言える訳である。