センチピードグラスの物知り辞典

■センチピードグラスがアメリカにいった悲しいお話

  1918年ごろ、米国農務省は経済的に有用かもしれない植物を捜して、中国へマイヤー博士(プラント調査者)を送り出しました。悲惨にも、マイヤー博士は中国の強盗によって殺されました。しかし彼のスーツケースだけは、中国で採種した種子を詰めてアメリカに着きました。
 種子は、サヴァナ(ジョージア)の近くのUSDAの実験のステーションへ送られました。
 サンプルは、フロリダとジョージアの様々なステーションへその後送られました。
 以上はアメリカでセンチピードグラス種子を扱う企業のホームページから。
 http//heritageturffarms.com/history.html

●センチピードグラスが日本で初めて栽培されたのは

 センチピードグラスはアメリカで広く利用されていて、我が国へは、1975年1月に新潟大学の廣田秀憲教授が知人よりフロリダ産種子1キロの提供を受け、試作を始められたのが最初のようです。1994年に廣田教授の指導により建設省北陸地方建設局で、ノシバに変わる草種選定試験の一つに取り上げられ、街路樹が枯死するほどの猛暑と日照りの夏を唯一乗り越えてランナーを延ばす頑健さが確認されました。こうした耐干性以外に耐蔭性、耐雪性、冠水抵抗性、耐病虫性に加えて、何よりも、密なシバ面を形成し、好光性がほとんどの雑草種子を発芽させないグランドカバープランツとしての優れた特性が確認されました。その後建設省の公共土木工事ののり面には種されたものの、緩慢な初期生育期間の競合雑草管理不十分などで失敗するケースが多く、更なる広がりが無かったようです。
  さて、廣田教授は、2003.10.31に京都で開催された芝草学会に参加され、志賀町木戸のセンチピードグラス畦畔をご覧になりました。ちょうど私が頼まれてご説明しましたが、当日は名簿ももらっていませんでしたので教授が見学者の中にいらっしゃるとは存じませんでした。ところが、後日お手紙をいただき、先生が研究された論文や北陸建設局ととりまとめられた小刷子「センチピードグラスによる地被植生工法H9.3」を頂戴しました。お手紙の追伸には、HPセンチピードグラス王国をご覧になった感想として「貴台のホームページをすべてあけて勉強しました。何か人間としてのぬくもりを感じました。30年近く前に始めた小さな実験、今こうして滋賀の都に花を咲かせおりは、うれしい限りであります。小生すでに71才、明日昇天しても不満はありません。よき後継者を得ました。」と大変な讃辞をいただきました。
 また、教授のお手紙の中に、その芝草学会シンポジウムで、琵琶湖カントリークラブの方がやはり1975年に、種子を入手し研究を始められた報告をされたことも記述されていていました。1975年に我が国で研究が始まったようです。

◆農業現場で使われたのは

 センチピードグラスのカバープランツとしての有望性を確認した先行試験は、1998.3(試験期間:1993〜1996)「石垣島におけるパイナップル圃場の土壌保全を目的とした芝草類の畦間被覆作物としての利用技術」農水省草地試験場小林他、1997(試験期間:1995〜1997)「中山間傾斜地水田畦畔に適するペレニアルライグラスとセンチピードグラスの導入技術」長野県南信農試小林の二つがあります。しかし、いずれも有望性が報告されたものの、試験に留まり、普及に至りませんでした。

★なぜ滋賀県で一気に広まったのか

 滋賀県でも畦畔管理の省力化を望む農業者の声を受けて、他府県同様に1993にアークトセカ、アジュガ、マツバギクなど花の咲く草種で、専門技術員試験を始めました。結果を待ちきれない現場でも平行して試験的に植栽されました。
 しかし、定植後の雑草の再侵入、アークトセカでは土壌病害による全滅、株疲れによる退化などから定着普及に至りませんでした。
 それでも、依然として農業者の畦畔管理省力化への願いは大きいことから、1997
.5に専門技術員(西山)と現場普及員(野村、森野)が、苗の購入コスト、定植労力なども普及を妨げる要素であるとして、芝や牧草など種で播ける10草種(バミューダグラス、バッファローグラス、カーペットグラス、ノシバ、センチピードグラス、ケンタッキーブルーグラス、ジューングラス、トールフェスク、ペレニアルライグラス、シロクローバー)を供試した試験を始めました。
 当初は白クローバーが良く繁茂し有望と目されましたが、2年目、3年目に夏枯れして回復しませんでした。他の草種はそもそも発芽しなかったり、発芽後雑草に負ける中、1999
.秋には、唯一センチピードグラスのみが繁茂し雑草を抑制していることが確認されました。
 2000.春に担当した専門技術員から、試験成果がすぐに現場に提供され、ノウハウも移植されました。画像は、さっそく管内ほ場整備地区の農業者と共にその試験地を見学している様子です。それにしても、実用段階では誰もは種したことがないものを、4/25に見学して、4/29には役員会でほ場整備直後の畦畔1万平方メートルには種する意志決定をしたことがスゴイ。それほど畦畔管理を何とかしたかったのでしょう。

ほうー!なるほどなー

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