テレビの中のちょっとにやけた、どちらかと言えば嫌いな部類に属する男性司会者が、「冷蔵庫を開けて『あれっ、何を出そうとしていたんだっけ』と思ったことのある人は手をあげて」 思わず画面に向かって「はーい」と返事をしながら手を上げている私。
私のショックや戸惑いなど全くおかまいなしに喋りつづけている。「みなさーん、それは心配ないんですよ。誰にも度忘れということはある。ただ、そのあと冷蔵庫のドアを閉め、しばらーくしてからようやく思い出して同じことを二回繰り返したら、それはアルツハイマーの兆しありと疑ったほうがいいよー」 大きな声でがなりたてている。
「うん。うん」と首をたてにふって頷いている。「でも……二度繰り返したかどうか忘れるようになってしまったら……」さっき冷蔵庫を開けたか、いやいやまだ開けてない。一度目だったか、これは二度目なのか。そんなことすぐに忘れてしまう。少なくともこの頃の私にとっては、あり得る行状なのだ。しかし、覚えていられるんだったら何の苦労もないのではないか。
昨年亡くなった姑も八十歳を越えた頃からおかしくなりはじめた。水道の蛇口を閉め忘れたり、冷蔵庫の扉がいつも少しだけあいていたり、家の鍵を鍵穴に差し込んだまま出かけてしまったり……と。人は歳を重ねるにつれて少しずつ、以前にできたことができなくなっていく。本当にそのとおりだった。そういう現実に直面するたびにおろおろせず、バタバタと慌てることなく素直に静かに現実を受け入れていかざるをえない。
先日のお昼時、お腹がすいたが一人のときは何も作る気がしない私は、手抜きでトースターにパンを一枚ほおりこみ焼きはじめた。焼き上がりを待つほんの三、四分手持ち無沙汰になったので何気なく冷蔵庫の扉を開けたら、子供のおやつにと買っておいた肉まんが目に飛び込んだ。
「そうだ、肉まんをたべようっと!」
一オクターブ高い声で小さく叫ぶ私に、トースターの笑っているようなチーンという音が……。
「すっかり忘れていたトーストのことなんて」
ブツブツと自分自身に文句を言っている。ほんの一分前の行動の記憶が全くなくなっている。恐ろしいことだ。