技術は進歩しても…
ホーム 上へ 暑い「クールビズ」

 

「かぐや姫」というフォークソンググループの代表作のひとつに「赤ちょうちん」がある。そのなかで南こうせつはこう歌う。「あなたと別れた雨の夜 公衆電話の箱の中 ひざをかかえて泣きました 」。当時はケータイもメールもない時代だった。はなれた二人にとって、別れの言葉を交わすのも公衆電話に頼ることが多かったのである。私たち夫婦の場合も付き合っていた頃は離れていたため、公衆電話ボックスにはかなりお世話になったものである。幸か不幸か別れの言葉は交わさなかったが。

当時の公衆電話は100円玉か10円玉を投入するしかなく、テレフォンカードが世に出るのはまだまだ後のことである。タバコ屋さんの店先の公衆電話だと両替してくれたり、両替機があったりしたが、私がもっぱら利用していたのは公園の中にある公衆電話だったため、長電話になると困ることがあった。若い頃というのは不思議なもので、つまらないことを長々と話す。それが楽しいのである。それで当時会社に毎日来て頂く銀行の方に無理を言って、10円玉を3本(たしか1本50枚だったと思う)ぐらい持って来て頂いた。今から考えると公私混同もはなはだしいが、ずいぶん助けられた思い出である。

今の人はたいてい携帯電話機を持っている。電車内で向かいの座席を眺めると、携帯電話機をいじってない人がいないことはまずないといっていい。技術は進歩し、誰かに連絡しようと思えばすぐにできる時代である。人類の英知の素晴らしさには驚かされる。しかし同時に世界中であるいは日本国内で、いや私たちの身の回りで起こっている様々な出来事をみるにつけ、人間はどこまでいっても何も進歩しない存在であるという思いに少々悲観的になってしまう。

たとえは悪いかもしれないが、ホームレスの人たちがけっこう沢山のモノをテントの脇に置いているのをよく目にする。ひょっとすると技術の進歩に伴ってもたらされる様々のモノはそれと似たような存在ではないかと思うことがある。技術が進歩して、いろいろなモノが人間の生活に供されても、当の人間はちっとも進歩しない、そんな気がするのは私だけだろうか。

公衆電話はいずれ消えていくのかもしれない。公衆電話に限らず技術の進歩にともない、人々の目にとまらなくなり、忘れ去られるものは数多くある。しかし人間の進歩という視点を忘れてはならないと思う。

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