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指導者プロフィール
昭和35年 (1960)出身地:大阪 指導者:井手一仁
プロフィール
出身地:大阪 副指導者 井手美佳
プロフィール
学生時代 通学で往復20kmを自転車で通った道のりは、私の原動力になっています。
父が整備点検してくれていたので毎日、安全に走れました。
卒業後、父の仕事を手伝いながら今度は私が人に喜んでもらえるように
自転車安全整備士の試験を受けるに至りました。
初めて受けた試験で合格し、今思えば周りは男性ばかり女性はほんのわずかでしたが
動じる事もなかったです。是非サイクルジャパンで自転車技術講習を受けてチャレンジしてみませんか?
指導者 井手 一仁
自転車安全整備士之証 第 62.012.041 号
財団法人日本車両検査協会認定 自転車技士証
登録番号 12-27-0045
大学時代、ファミリーサイクルの将来の夢を語る。
私大雑誌に掲載。自身familyCycleを現実化し、
Cycle Japan に至る
大阪から東京560㎞を19時間45分で走破の日本記録を持つ。
さらに、前人未踏、大阪から東京から大阪 1127㎞(往復) の
スピード記録47時間で走破の日本記録を持つ。
又、日本列島縦断、鹿児島の佐田岬 (日本最南端)から
北海道の宗谷岬 (日本北端)2683㎞を
5日と7時間36分で走破(日本記録)
島野工業の後援で日本新記録達成。
島野工業社長からトロフィーを贈呈快挙を祝福を受ける。
東亜サイクル通信 自転車雑誌サイクルスポーツ昭和56年7月号
下記、日本テレビ「ズームイン朝!」他、
日本テレビ「イレブンPM」、
日本テレビ「LOOK・LOOKこんにちは」
朝日放送ラジオ番組
「おはようパーソナリティー道上 洋三です。」
他・・・のテレビ番組やラジオ番組に出演する。
アメリカ大陸横断においては、
島野工業( ロサンジェルス支店 ) の後援により、
アメリカ大陸横断・ロサンジェルス
(西海岸ロングビーチ)から、
ニューヨーク(東海岸ロングビーチ)
5500㎞(一日平均260㎞)を
21日で単独走破(日本人としては、前人未踏の記録)
ロサンジェルスに滞在中、テレビ番組、
ロサンジェルス、UTB 1001
ナイト イン ハリウッドに出演。
アリゾナ州国道60号線を東へ
日本アドベンチャーサイクルリストクラブ代表者、
JACC日本国際自転車交流協会
事務局長関西スポーツセンター池本元光 指導員
(世界47ヶ国とキリマンジャロ登頂、出版)のもと、
NHK ・ 日本TV ・ 朝日TV 放送に出演。
アフリカ・サハラ砂漠・2700㎞ 帆カケ自転車横断。
朝日新聞(夕刊) 1983年(昭和) 10月6日
東日本一周において日本一周中のサイクルリストと青森で出会う。
お互いの健闘をたたえる。右 本人
私は、11歳の春、自転車にテント寝袋を積んで、
四国一周 (七日間)一人旅の時、道中、
愛媛県で転倒し、パンク修理ならできますが車輪が
ひん曲がり、自転車が乗れなくなり、
近くに自転車屋さんもなく家に帰るにも帰れなく、
困り果てて半日かけて、自転車屋さんに持って行く
と言う、にがい体験があります。
今でもその時の事を思い出します。(笑
和歌山100キロ帰りサイクリング
四国一周一人旅
四国一周にて
当時11歳、モルト岬灯台を背景に皆様は、
この後自転車で遠くに出ることを嫌になっていませんか?
僕は、自分の手で、自転車を直そうと、決心した。
遠くに行きたい、その願いを自分の手で
叶えることができます。
僕は、さらに、高校1年生の夏、単独で、
西日本一周をしました。
西日本一周広島県錦帯橋 西日本一周、天野橋立
4000m速度競争、私の組んだホイールです(白いヘルメット本人)
高校卒業終えて、単独で、東日本一周をした時
、
青森 ねぶた祭り(左) 静岡 富士山山頂(真中) 静岡 富士山山頂(右)
東日本一周一万㎞において、
ニ千メートル級の峠を五つほど超え、
東京から新潟に向かう渋峠下りに、
スポークが折れ、苦い経験をしました。
長野県から新潟に入る途中、スポークが折れ、
車輪がひん曲がり、新潟市内の自転車屋さんで、
スポークを買って自分で車輪を組み立てた。
その光景を見て、自転車屋さんのおじさんが、言った。
「やるねぇ~!」(笑
5千㎞以上、走破する時は、
スポークの張り替えが不可欠です。
大学時代には、日本縦断と言う、貴重な体験をしました。
アメリカ ニューヨーク 自由の女神
大陸横断5000㎞も、私の組んだホイールです。
卒業後、アメリカ大陸横断アフリカ・サハラ砂漠縦断と
私の人生は、自転車の旅の連続でした。
将来の夢を描いたのは・・・・
※小学校の頃、地元葛城山や和歌山城など、
自転車で友達と走る。
水間鉄道と競争し、水間観音駅から貝塚駅まで私の方が、
早く着くこともあり、ユニークな事もしながら
中学1年の時、単独で六日間、
四国一周(840㎞)を旅する。
これをきっかけに、
中学から高校にかけて47都道府県を走破する。
高校時代、自転車競技のインターハイで2年連続出場。
又、大学時代、沖縄ロードレースで優勝。
昭和56年(1981年)5月14日讀賣新聞掲載
この頃より将来の夢を描く
現在においては、地元の小学校より、
私のユニークな体験話を「子供たちに
聞かせてほしい」の声に、ボランティア活動にも
応援できて私自身喜んでいます
一人でも多くの人に自分の夢をスローガンにして、
人に役立つことができれば幸いです。
ざまざまの人々とふれあい、時には、おにぎりをもらい、
時には泊めてもらったりした中学時代、
高校時代、つねに、自転車と共に走り続けて来た。
激励又激励 の感動・・・
そうした経験を通じて恩返しの気持ちで、
すべてのノウハを生かし、
それをあなたの仕事に生かしたい。
自転車独立開業指導・プロの要請をしています。
耐久ラン記録挑戦 応援!
WELCOME TO OSAKA FROM TOKYO
東京⇔大阪 キャノンボール研究
ばる様 写真 (右側)
ばる
@
barubaru24
ばるさん、ツイッターありがとうございます(^O^)/
東京⇔大阪 キャノンボール研究 ばる様 記事より掲載
今回は井手さんのお宅でお話を伺いました。1時間の予定でしたが、
話は盛り上がり、気づけば2時間が経過。
当時のビデオや写真を交えてお話を聞くことが出来たのは、
大変貴重な経験でした。
やはりご本人から、その時の想いを直接聞くというのは特別なものですね。
ちょっと驚いたのは、1982年の映像なのに、やたら鮮明であること。
テレビで見る昔の番組よりも綺麗なのではないか?おかげで、
挑戦の息遣いが直に伝わってくるようでした。
後になって気づいたのですが、
井手さんが大阪→東京→大阪に挑んだのは、1982年の体育の日。
私が東京→大阪→東京に挑んだのも、2012年の体育の日。
ちょうど30年後の同じ日だったわけです。気候的にもちょうど良いし、
「体育の日に1000km以上距離を走るのも良いだろう」ということから日程を
決めたのですが、耐久サイクリストの思考回路は
似通ってくるのかもしれません。
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そして、この井手さんのチャレンジの後、
「東京大阪TT」は一旦下火となります。
恐らく、記録が行くところまで行ってしまって、
誰も挑む気にならなかったのでしょう。
90年台前半に戸田真人という、
これまた凄い耐久サイクリストが出現しましたが、
井手さんの記録を破るには至っていません。
「東京大阪TT」が再び日の目を見るのは、
24年後の2006年。「キャノンボール」の名前が与えられ、
再びサイクリストはこのコースを思い出すことになったのでした。
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