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     守・破・離 ( しゅ・は・り )




 わび茶を完成した千利休(1522-1591)の教えを、和歌の
形式にまとめた「利休道歌」 (りきゅうどうか) のひとつに、
「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」、
と言う歌があります。

 木造建築に携わる方なら、「規矩」(きく) という言葉が少し
気にかかるところですが、ここでは規範の意味として用いら
れており、「教えを守り続けながらも、いつしかそれを打破り
離れていく事も大切であるが、そこにある基本精神は忘れ
てはならない」 と述べたものです。

  特に師弟関係を重んじる芸道や武道の世界では、稽古や修行の段階を表現するものとして、
 「守・破・離」という言葉がよく使われていますが、それはこの歌の中にある三文字を引用したもの
 だと言われています。


  まず最初の「守」の段階は、その道を究めるにあたって、ひたすら師の教えに従い、流儀を守り
 つつ、繰り返し学ぶことで、基本を身に付ける段階だと言われています。 そこが建築デザインの
 世界なら、“自称 建築家”が、本質を理解できずとも、無我夢中で “スター建築家” の模倣を繰り
 返しながら、発想の土台を築く段階だと言えます。

  続く「破」の段階は、今まで学んだ概念を打ち破り、試行錯誤しながら独創性を見出す段階である
 と言われます。この頃になると “自称 建築家”は、どれもがきらびやかに見えていた“スター建築家”
 のデザインが、共感できるものとできないものに区別できる様になり、進むべき自らの方向性を掴み
 始めています。

  そして最後の「離」の段階では、様々な経験を積み重ねていく中で、いつしか従来の型から脱して、
 独自のセオリーを発見し、いよいよ師の下を離れる時期だと言われます。その頃 “自称 建築家”は、
 これまで削り磨き上げてきた自身のデザインが独自性を発揮し、自分のスタイルを確立しています。


  およそ「道」と名の付くものを生業(なりわい)とする者は、ここに至って初めてプロフェッショナル
 の領域に達すると言われます。 “自称 建築家” も、ようやく “自称” を取り除く事ができるのかも
 知れません。


  ところで、無心に厳しい修行を重ねる者は、「離」の段階を迎え、苦労の末に自ら掲げたゴール
 にたどり着いた時、先の目標を失い達成感と共に失望感にさいなまれる事がよくあると聞きます。

  それでも、何事も上には上があるもので、手にしたものを糧(かて)として、さらなる上を目指す
 のは尊い事です。「守・破・離」には限りがなく、それは繰り返すことでより大きなものに発展して
 いくとも言われます。


  「守・破・離」の最後にある「離」をよく見れば、左上に「メ」の文字が格納されています。それは、
 新しいステップへの「芽生え」なのかも知れません。それに、そこの上蓋には、ちゃんとツマミが
 付いていて、容易に開ける事もできそうです。

  ただし、そこから取り出した「メ」の文字を、次への「希望」の第一筆と捉えるか、あるいは
 「〆」(締め) と読むかは、いずれにしても本人しだいです...。



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