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     木割り (きわり)


 日本国内にはおよそ7万5千のお寺と、8万を超える
神社があるそうです。誰もが自分の身近がそうである
様に、どこでも必ず目にする機会があるはずです。

 同様に、今や街のあちこちで見かけるコンビニでも
その店舗数は約4万と、その数は遠く及ばす、いかに
お寺や神社が多いのかが理解できます。

 ところで、その数の多さ故に、規模も千差万別で
 多種多様であるはずのお寺や神社の建物ですが、それらがどんな形であるかは、誰でも
 意外と容易に想像できると思います。


  それに、実際に現実の建物を目にした場合でも、やはり自分のイメージ通りである事が多く、
 不思議とそれらのデザインには何かしら全てに統一されたものを感じます。


  実は、社寺建築には建物の各部材の寸法や、その組合せを比例によって定める「木割り」
 と呼ばれるシステムが存在し、多くがそのルールによって造られているため、建物の大小に
 かかわらず外観のバランスが一定に保たれているのです。

  つまり、解りやすく例えると「木割り」を知れば、たとえ宮大工でなくても、どんな大寺院でも
 その正確なミニチュアが、サイズに関係なく製作可能となる訳です。


  そんな「木割り」の概念は、中国やヨーロッパの古典建築書の中にも見られ、西洋建築では
 「モデュール」と呼ばれており、日本では和船の設計技術にも存在しているそうです。

  元来、日本建築における「木割り」は工匠の経験的手法から発達したもので、法隆寺金堂の
 構造材に一定の規格が見られるほど古い歴史を持ち合わせており、室町時代後期には建築
 各部材の比例が詳細に定められたそうです。

  そして江戸時代になると、優れた大工家系がそれぞれの流派のプライドをかけて技を競い合い、
 技術を結集した一家の秘伝書として 「木割書」 がまとめられました。中でも、四天王寺流を代表
 する平内(へいのうち)家の 「匠明(しょうめい)」 や、甲良(こうら)家の 「建仁寺派家伝書(けんにんじはかでんしょ)」 などがよく知られています。

  五巻からなる「匠明(しょうめい)」は最も有名で、紀州出身の大工で、江戸幕府の作事方大棟梁(さくじかただいとうりょう) (現在の
 建設官僚) となった平内政信(へいのうちまさのぶ) (1583-1645) が体系化したもので、その最古の写本は東京大学
 の建築学科に所蔵されているそうです。


  「木割り」は部材の規格化により無駄を無くし、美しいプロポーションでそれらを組合せるもので、
 用と美を兼ね備えた建築技術であり、その知恵の結晶である「木割書」は優れた設計基準である
 と言えます。

  しかし一方で、それが単に技術の合格レベルを示した教科書として扱われる様になり始め、
 しだいにマニュアル化が進み、様々な手法を駆使して美しさを追求した中世の建築に比べて、
 近世においては技法の簡略化が進み、建築造形に対する創意工夫を失う結果を招いたとも
 言われています。

  現代にもよく似た例があり、一般にその基準を満足すれば万全と考えがちな建築基準法も、
 実はその第一条には、「この法律は最低の基準を定めている」 と書かれています。


  こうしてみると、功罪共に持ち合わせ、何とも取り扱いが微妙な「木割り」ですが、ともあれ
 木造建築に携わる者としては、昔も今も、いいものを創造するためには、その仕事に対して
 どれだけの情熱を傾けられるかが勝負の分かれ目であるはずです。

  むしろ大切なのは、こちらの 「気割(きわ)り」 の方かも知れません...。



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