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     不足の美



 京都西本願寺に、飛雲閣 (ひうんかく) という名の
建物があります。三層の楼閣建築で、金閣・銀閣と
並んで、京都三名閣のひとつとされており、国宝の
建築物です。

 そんな飛雲閣の大きな特徴は、金閣や銀閣とは
 明らかに異なる、非対称でアンバランスな外観です。


  唐破風(からはふう)と、千鳥破風(ちどりはふう)で構成された多様な屋根、外壁には
 火頭窓(かとうまど)や、軍配形の窓が配されており、2層には三十六歌仙が描かれた
 美しい建具も見られ、にぎやかで何とも複雑怪奇な様相です。

  そんなユニークで奇抜なデザインに、まとまりが無く稚拙な印象を感じてしまいそうですが、
 実際に建物を目の前にすると、全体が絶妙なバランスで保たれている事に、次第に気付か
 されます。あまりに自由奔放で、不完全にも思えるはずが、危ういながらも、各部が軽妙に
 関係し合っているのか、躍動的な中にも不思議に落ち着きさえ感じます。


  西洋の美が均整や完璧、華麗さを求めるのに対して、私たち日本人の持つ美意識の
 背景には、不均整や不完全、簡素ものに余情を感じる部分があり、それらは、古くから
 「わび」や「さび」、「数寄」、「幽玄」 などの言葉に表現されて来ました。


  庭園を例にあげれば、西洋においては秩序ある幾何学的なデザインを用い、シンメトリー
 (左右対称)で人工的な美しさを求めるのに対し、日本では自然との調和を基本にしながら、
 そこに思想や情景をテーマに庭園をかたちづくります。

  重心を意識しながら、不等辺三角形に要素を配置するその手法は、華道や生け花の
 アシンメトリー (非対称)の造形と共通するものがあります。

  そこでは、あえて均整を破る事により、それぞれの要素がお互いの個性を強調しあったり、
 欠点を補う効果が生まれます。また、変化のある造形が、奥行きのある空間の創造をもたら
 します。

  また、造形の世界に限らず、音楽や古典芸能においても、「余韻」や「間」は、その美しさを、
 より引立たせる大切な要素とされています。


  わび茶の祖と言われる村田珠光は、「月も雲間のなきは嫌いにて候」 ( こうこうと輝く満月より
 雲間に見え隠れする月の方が美しい ) と述べています。足りない事をあえて不十分とは考えず、
 そこに想像力豊かなイメージを膨らませる事で、何かしら新たに見えてくるものがあり、それが
 「不足の美」であると説いています。

  そんな、いかにも繊細で高度な美への感覚は日本人特有のものと言われます。
 「不足の美」の中に、私たちが持つ 「和の文化」の豊かさと奥深さを大いに感じます。



  ところで、飛雲閣は豊臣秀吉の聚楽第から移築したものではないかと言われています。

  もしかして、それが秀吉の無理難題や過剰な注文に応え、要求された多様なデザインを、巧み
 にコーディネートして創られた建物であるならば、設計者は「不足の美」と合い通ずるテクニックを
 使いこなし、当然ながら完全な美さえも創造できる、優れた建築家であったと想像できます。

  実力不足で、足元にも及ばない者が、そこに安易に手を出すと、苦心のデザインがバランス
 を崩し、取り返しの付かない状態に陥る可能性があり、そうなれば、まさしく不測の事態です。
 

  「備えあれば憂い無し」、我々凡人には、「不測の備」 がお似合いかも知れません。



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