細目

薔薇さわださんちのホームページ、旅の情報。南阿蘇村・広島県吾妻山の旅

さわださんちのホームページ

南阿蘇村・広島県吾妻山の旅
2016年 8月 7日 から 10日

 南阿蘇村

阿蘇の山 8月7日、明石海峡大橋を渡り、四国を横断して、愛媛県西宇和郡伊方町の三崎港から国道九四フェリーで大分県大分市の佐賀関港に渡りました。この間90分です。この海峡は、日本書紀・古事記の神武天皇紀(さわださんちのホームページ) 「甲寅、前667 十月丁巳朔辛酉(五日)」に出てくる「速吸之門(はやすひなと)」です(別画面になります)。
豊後大野市・竹田市を通って、途中には通行止めの道がいくつか有りましたが、南阿蘇村高森町の休暇村南阿蘇に無事たどり着きました。

 阿蘇神社参拝

阿蘇神社

阿蘇神社

8日。阿蘇五山への登山道は通行止めになっていましたので、車で阿蘇山を一周しました。
まず、南阿蘇鉄道の高森駅に行き、現在開通している高森~中松を往復しました。車両は1両で貸切状態でした。運転手の他に保安員の方が1名そばにいて、前方を確認して運行しておられました。地震の影響でしょうね。
高森駅に戻ってからは、時計回りに巡りましたが、地震後3か月経った今でも通行止めの道もあり、ブルーシートで覆われた家もあり、地震の大きさを改めて思い知らされました。

最後に阿蘇神社に参拝しました。地震の恐ろしさを痛感させる状況でした。

 広島県吾妻山

9日。休暇村の方と相談して、九州自動車道を使わずに、東九州自動車道を通って本州に渡ることにしました。そこで、再度阿蘇神社に参拝し、お水を頂いて、湯布院から東九州自動車道に入り、中国道の庄原から松江道に入り、高野インターを出て、広島県庄原市比和町森脇の休暇村吾妻山(あづまやま)ロッジに着きました。
この地は、古事記に書かれている伊邪那美神が埋葬された場所です。日本書紀・古事記の「火神を斬る」 を参照してください(別画面になります)。

故其所神避之伊邪那美神者 葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也

亡くなられた伊邪那美神は、出雲國と伯伎國(ははきのくに=鳥取県)の境にある比婆之山(ひばのやま=島根県安来市伯太町、広島県比婆郡、現庄原市)に埋葬申し上げた。

休暇村の東側に比婆山があります。

休暇村の北側に休暇村の名前の由来だと思われる吾妻山があります。
 吾妻とは、「日本武尊が、碓日坂(うすひのさか=群馬県安中市碓氷峠)から碓日嶺(うすひのみね)に登られ、弟橘媛(おとたちばなひめ)のことを思い出されて、東南(たつみのかた)を望まれ「吾嬬(あづま)はや(=我が妻よ)」と三度嘆かれた、との話から日本書紀・古事記の景行天皇紀 景行40年十月七日の記事をご覧ください)、関東のことを「あづま」と言うそうです。
ここでは、伊邪那岐命が伊邪那美神のことを思い出されて、呼ばれた地名(吾妻)かもしれませんね。

ここでは多くの小鳥の声が聞こえました。特に、姿は見えませんが、ブッポウソウ(仏法僧)の声がよく聞こえました。

10日。早朝、小鳥の声を聴きながら散策してから、家路に着きました。

今回の地震で被害を受けられた方々の復興を確信してをります

このようは拙速なお話でも、皆様の旅行の何かのお役に立てば幸いです。
ありがとうございました。

この南阿蘇村・広島県吾妻山の旅の写真集は、外部サイトの さわださんちのホームページの写真集 をご覧ください(別画面になります)。

国内旅行の目次に戻る