細目

揚羽蝶さわださんちのホームページ、旅の情報。長崎県平戸市・福岡県太宰府の旅

さわださんちのホームページ

長崎県平戸市・福岡県太宰府の旅
2010年 7月23日 から 25日

教会の建物を訪ねる旅

 長崎県佐世保から平戸市

海と島々今回は、日程の都合でいつもと違って、新幹線とレンタカーとを使った旅行になりました。

23日、新大阪から新幹線「のぞみ」で博多まで行きました。「のぞみ」に初めて乗りました。車を運転して行くよりは大変楽です。しかし、速すぎてゆっくり景色を眺めることはできませんでした。時間的には3時間弱ですが、何もすることがありません。

博多(福岡とは云わないのですね)でレンタカーを借りて(少しおかしな表現ですが御容赦)、佐世保に向かいました。高速道路無料化社会実験の西九州自動車道路を通って(無料化の所為か混んでいました)、佐世保みなとで降りて、展海峰展望台に着きました。

素晴しい景色です(上の写真)。水平線近くは雲が掛かっていましたが、雲が無い晴天ならば対馬まで透き通って見えるそうです。この景色を見ていると、予定を変更して、距離も長くなり時間も掛かりますが、海岸線を通って平戸に行くことにしました。さわださんちのお父さんの悪い癖です。予定は常に未定です。途中に、船越展望所がありました。気をつけないと通り越してしまいます。夕日が大変きれいな所だそうです。

教会

田平天主堂

道の駅田平に寄って休憩し(本来ならばここで、地元の野菜等を仕入れるのですが、レンタカーのため道具を積んでいないので諦めました)、田平天主堂に向かいました。

田平天主堂は辺鄙な処(ごめんなさいね、道を知らないとうまく辿り着かない場所でした)にありました。しかし、立派な建築物でした。知らないのは私だけのようで、マイクロバスで見学に来ておられる団体さんもいました。立派なステンドグラスで飾られた教会でした。

大きなお世話
田平天主堂の横に高等学校がありました。下校の生徒さんが大勢バスを待っておられました。バスの便数が極めて少ないようです。学生の本分は勉学です。下校時のバスの便数をぐ~と増やして(最低15分に1便)、学生に勉学の時間を与えてあげてください。それが日本の将来を明るくします。

実は、学生さんのおかげで田平天主堂に着くことができました。

平戸大橋(現在は通行料は要りません)を渡り、平戸島に入りました。旅館に立ち寄り、来ていることを知らせて、すぐに生月(いきつき)島に向かいました。山田教会に入りました。ここも判りにくい処にありました。山田教会には、蝶の羽で作られたすばらしい織物がありました。この織物を見るだけでもここに来る価値は十分にあります。

時間的余裕が無かったので、塩俵の断崖(柱状節理、これの大規模なものはパースからの海岸線にあったような気がします)を見学して、大バエ灯台(夕日が大変素晴しいそうです)を諦めて宿に戻りました。豪華な夕食を頂いて、休みました。

提案 -- この宿だけの話ではありません。日本の宿のほとんどに当てはまる話だと思います。
大変豪華な夕食が出てきます。これは、日本の宿は一泊を基本にしているからだと思います。一期一会でしょうか。二泊三泊する者にとっては、もったいない夕食になります。これから益々増えるであろう高齢者にとっては食べきれない量の夕食です。懐も痛みます。

海外の経験で、現地の旅行者によく訊かれるのが、
How many weeks do you have holidays?  10 days only. (私)
休暇のとり方が違うからでしょうが、これからはある程度長い休暇が取れる時代になると思われますし、外国の方も今以上に多く来られるでしょう。このままの豪華な夕食つきのお値段では、外国人にも日本の高齢者にも受け入れられない宿になるのではないでしょうかね。

2~3泊して、じっくりと見学していただき、懐も痛まない料金設定(夕食設定)をお願いします

 宝亀教会・紐差教会・六地蔵様・木ヶ津教会・中野教会・平戸教会

教会 24日、早朝に宿を出て、川内峠に行きました。ここも、すばらしい景色です。空青くして海増々藍く、山緑にして雲増々白し、です。千里が浜を通って、宝亀(ほうき)教会(左の写真)に着きました。宝亀教会は縁側(テラス)がある教会で、教会に縁側があるのは大変めずらしいそうです。

次に立ち寄ったのが、紐差(ひもさし)教会(下左の写真)。大きくて、立派な教会でした。ここで、ソテツの花?を初めて見ました。
更に、南下して、大佐志(おおさし)教会に行きましたが、戸が閉まっていて、中に入ることはできませんでした。のどかな田園風景の中に立つ教会でした。
海岸線の道路を通って、大川原の六地蔵様を見ました(下中の写真です)。祠があったので、てっきりその祠にお祀りされていると思ったのですが、全く違っていました。よ~く説明文を読むと、そばに立つ燈篭に彫られている六体のお地蔵様のことでした。燈篭に彫られているお地蔵様は始めてみました。

木ヶ津(きがつ)教会に寄りました。ここも通り過ぎてしまいそうな場所にありました。考えると、当たり前の話です。これらの教会は観光のためにあるのではなく、地域の方々の信仰の為にあるのですから。
教会内部には、長崎原爆の悲劇を訴えた永井隆博士が描いた「十字架の道行」の14枚の絵が飾られていました。尋ねたずね行く価値は十二分にあります。

中野教会におじゃましました。中野教会は、ここの地域の10戸30人の方々でお建てになった教会だそうです。見せていただいた教会の中でここだけが折りたたみのパイプ椅子が並べてありました。貧者の一灯。上手く表せませんが、この言葉が浮かびました。

余計なお世話 -- 貧者の一灯
教会  昔、お釈迦様が説法をされていた頃のお話です。お釈迦様が説法をされるときには灯明(明かり)を灯さないと、説法ができないと云われていました。

 あるとき、お釈迦様が説法をされると云うので、王様は灯明用の油をなみなみと入れた大きな器を幾つも準備して説法の場所に運び込みました。人々も油を入れた器を会場に並べました。説法をする場所は油の入った器でいっぱいになりました。

 ある貧しいおばあさんもお釈迦様の説法を聞こうとして、遠いところからはるばるやってきて、油屋さんに油を求めました。しかし、持っていたお金が僅かしかなかったので、油屋さんは「こんな端金では、一滴の油も売れないよ。今日は忙しいから帰っておくれ」と言って、油を売ってくれません。
 おばあさんは、お釈迦様のためにどうしても油が欲しかったので、とっさに自分の髪の毛を切って、「これで、ほんのわずかでもいいから、油を売ってください」とお願いしました。驚いた油屋さんは、そこまでお釈迦様のためを思っておられるのならと云うので、「わずかで悪いけどなぁ」と言って、おばあさんの器に油を入れて呉れました。
 おばあさんは、油屋さんにお礼を述べて、油の入った器をお釈迦様が説法される場所に飾りました。その器は、どうみてもみすぼらしいものでした。

 ところで、お釈迦様の説法を邪魔しようとする者がいて、説法が始まると風を起こし灯明を消してしまえば、お釈迦様といえども説法ができなくなるだろうと、考えていました。

 お釈迦様の説法が始まると、邪魔しようとする者は呪文を唱えて、風を起こしました。強い風が吹きまくり、会場は真っ暗になってしまいました。皆は驚きざわめいています。
 しかし、お釈迦様は静かに説法を続けておられます。よ~くみると、一つだけ未だ消えていない灯明がありました。至極小さな光を放っています。

 「あんな小さな灯明か。造作もないことよ」と思って、邪魔する者はまた呪文を唱えて風を起こしました。しかし、その小さなちいさな灯明は消えません。何度風を起こしても、至極小さな灯明は、小さなちいさな光を放ち続けていました。

 皆も落ち着いてきて、お釈迦様の説法をまた聞き始めました。髪の毛を売ってまでして、その小さなちいさな灯明を飾ったおばあさんは、じ~と静かにお釈迦様の説法を聞いていました。

次に、平戸港に行き、「晴れたり曇ったり」で昼食を摂りました。ここの海鮮丼は美味しかった。
和蘭商館跡・和蘭埠頭・和蘭塀を見て、順繰りに、平戸教会(ザビエル教会、下右の写真)に寄りました。平戸教会は立派な教会建築物でした。

予定時間より大分遅くなったので、急いで博多まで戻り、レンタカーを返して、宿に入りました。

 大宰府天満宮

飛梅

飛梅

25日 朝7時には宿を出て、モーニングサービス付きの朝食を摂って、大宰府天満宮にお願いに行きました。今日は天神さんの日で大勢の方が参拝に来ておられました。お祭りも今日のようです。
茅の輪をくぐって、お札を頂きました。
一枚岩の手水鉢には驚きました。
飛梅は想像していたより立派な樹でした。
時間が無かったので、九州博物館には寄らずに博多に戻りました。

櫛田神社に参拝して、初めて山笠を見ました。大きいですね。
新幹線の時間が迫ってきたので、ゆっくりできずに、博多駅に戻り、帰途に着きました。

 今回の旅行で想ったこと
・夏の暑いときに外を歩く場合は、十分に水分を補給しましょう。
 オーストラリアのダーウィンの方に教えていただいた教訓があります。
「水を飲んでトイレに行くか、飲まずに病院に行くか、どちらがいいですか」

・追加で、水分補給に加えて、体を冷やす工夫も一緒にしましょう。

今回の長崎県平戸市・福岡県太宰府の旅の写真集は、外部サイトの さわださんちのホームページの写真集 をご覧ください(別画面になります)。

国内旅行の目次に戻る