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揚羽蝶さわださんちのホームページ、旅の情報。鹿児島・種子島(宇宙センター)の旅

さわださんちのホームページ

鹿児島・種子島(宇宙センター)の旅
2008年 7月19日 ~ 24日

 台風13号(シンラコウ)に向かって鹿児島へ

種子島の海 19日(土)、奈良から車で、鹿児島に向かいました。ちょうど、台風13号(シンラコウ(SINLAKU)、国=ミクロネシア、意=伝説の神)が目的地の種子島付近を通過して九州に接近していた時なので、台風に向かって進んでいく格好になりました。

難関の宝塚東トンネルを過ぎると、中国道は貸切の高速道路でした。心配していた台風の風や雨の状況もさほどのことはなく、順調に進めました。午後9時が近づいたので、関門海峡近くの休憩所に入り、夕食を摂りました。午前2時前に、最後の休憩所に入り、仮眠を取りました。

 種子島

ウミガメの卵

ウミガメの卵

20日(日)、鹿児島港の市営駐車場に車を預けて、まずは、朝食を摂りました。
トッピー(種子島に行く高速船)の乗場に行きました。種子島に行く高速船は2社から運行されているので、窓口と乗船場に注意してください。窓口は、同じ建物の1階で、しかも同じ部屋の左右にありました。未だ、6時前なので空いていると思ったのですが、乗り場はいっぱいで、キャンセル待ちの列が生じていました。ネットで乗船券を予約していたので、始発のトッピーで種子島に向かいました。

そこで、注意事項
・必ず乗らなければならない乗り物は、予約をしておくこと。
・海外の場合は、絶対に予約が必要です。

90分の船旅では、さわださんちのお父さんは寝ていました。種子島西之表港に着くと、島内バスが待ってくれていました。乗客は10人(ほとんどの方はレンタカーのようです)。
このバスは、実にのんびりしたバスで、幹線をそれて隅々の村を回って進みます。万札しか持ち合わせがないお客さんがおられました。運転手さんは「1万円を両替できる方はおられませんか」と、お尋ねです(残念ながら、大銭も小銭もありません)。誰も申し出るものがおられなかったので(乗客は5人でした)、運転手さん曰く「この次乗られた時、お支払いください」。料金表を見ると、1600円ほどでした。誘惑に駆られそうになりました。

約2時間後、やっと、ホテルに着きました。このホテルの裏の海岸に、毎年海亀が産卵にやってきます。今年は5月16・18・19日に産卵に来ています。海亀の卵は約60日間で孵ります。今日ぐらいに小亀が見られるはずです。
早速、ホテルの方に状況をお尋ねしました。「今年はまだですよ」とのこと。夜になって、窓越しに海岸を双眼鏡で観察。夜間照明は大変暗くなっています。これは、海亀への配慮です。よく見えないのと、昨日の徹夜の運転のため、寝てしまいました。

次の朝、ロビーには、写真のような海亀の卵と説明書がありました。産卵時間は午後11時だったそうです。
5月16日に産卵された卵が埋まっている場所に行くと、砂が何となく盛り上がっています。
もう直ぐ出てきそうです。ホテルの方の話では、孵化するのに約60日。当然孵化は砂の中ですから、砂から這い出してくるのに10日ほど掛かるそうです。
(注:今年最初に小亀が姿を現したのは、7月30日でした)

そこで、注意事項
・事前調査は、綿密に。
・自然のことは、自然に任せましょう。(小鳥の場合で、常に、経験済みなのですが)

 種子島宇宙センター

ローリー

ローリー

21日(月)9時に、種子島宇宙センターに入りました。宇宙センターは、ホテルの隣ですが、センターの敷地が広いので、ホテルの方に送ってもらいました。
館内を見学。夏休みに入っているのに、小学生の団体さんが大勢着ておられました。

今回の旅行の主な目的の1つであるセンター主催のセンター内見学会に参加しました。
このツアーは、事前に予約が要ります。また、人数が30人ですから、なるべく早く予約をしておきましょう。素晴らしいツアーですよ。正しくここでしか体験できないツアーです。
ツアーは、バスでセンター内を回ります(それだけ敷地が広いのです)。普段は見られない場所にも案内してくれます。そのため、施設を出入りするたびに人数の確認がありました。大変厳しいセキュリティです。

今回は、ローリーに巡り合えました。写真の緑色の長いトレーラーのようなものです。
ローリーとは、ロケットを格納庫から発射台に運ぶ運搬車です。ロケットを発射台に運ぶ時しか使いませんので、打ち上げの予定もない時に、ローリーを見ることができたのは幸運でした。普段は、格納庫の中に仕舞われています。
その格納庫ですが、日本で最大の1枚戸の建物です。見上げる大きさです。何故なら、最終的に組み立てて、発射できる状態のロケットをローリーに乗せて、引き出していけるだけの高さが必要な戸(建物)ですから。想像してみて下さい。

組み立てたものの打ち上げられなかったH型ロケット(現在はH2型ロケットです)の各部品(各段の胴体・エンジン・衛星を格納する部屋等)を見て、カウントダウンをする総合司令室等を見学しました。ツアー時間は2時間ほどでしたが、非常に短く感じました。

帰りも、ゆったりのバスで西之表港に行き、トッピーで鹿児島港に戻りました。
夜間水族館を見学して、ホテルに入り、さわださんち恒例の部屋での夕食。

 知覧・仙巌園・桜島

仙巌園 22日(火) 鹿児島から知覧に向かいました。知覧は、島津家一門の佐多島津家が治めていた処です。享保年間の島津久峯の時代に上級武士の住居と外敵からの防御を兼ねた武家屋敷が築かれました。
1941年には陸軍知覧飛行場が完成し、太平洋戦争末期の沖縄戦では、知覧飛行場は本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となりました。

歴史がそのまま残っています。武家屋敷を見学して、歩道の横の疎水で泳いでいる鯉(山口県津和野と同じです)に麩をあげて、少し離れた平和祈念館(こちらへもぜひお尋ねください)等を見学後、鹿児島に戻りました。

今年の大河ドラマ「篤姫」でおなじみの薩摩藩の別邸、仙巌園を見学しました。(暑かった)
尚古集成館を見学し、薩摩切子に魅せられました。
私が、ガラスの屈折による色の干渉を素晴らしいと感じるのですから、皆様はもっと素敵な印象を持たれると思います。まずは、見に行ってください。よくぞ考えたものです。

桜島 フェリーで、桜島に渡り(鹿児島湾に潜水艦が浮上していました)、ふるさと温泉に泊まりました。
この旅館の竜神露天風呂はいいですね。湯につかり、海を見ていると、予約していた夕食の時間に大遅刻してしまいました。

 桜島

埋まった鳥居 23日(水)桜島を見学。途中で、大量の野菜を購入しました。
桜島は現在も噴火中ですから、気をつけてください。さわださんちが訪れた5日後位に噴火して、立ち入りが制限されました。

桜島は、鹿児島県の錦江湾(鹿児島湾)にある東西約12km、南北約10km、周囲約55km、面積約77平方キロの活火山(島)です。上にも書きましたが、現在も活動(噴火)中です。昔は、錦江湾内にある島でしたが、1914年(大正3年)の噴火により大隅半島と陸続きとなりました。

繰り返しますが、桜島は活動中の火山です。気象台の注意情報をよく確認してから、山に入ってください。立入禁止区域には、絶対に入らないことです。

都井岬灯台 次に、都井岬に向かい、野性の馬と戯れました(あちらさんは、関心がなさそうでした)。野生の馬ですから、くれぐれも気をつけてください。
そもそもは、元禄10年(1697年)、串間市に設置された牧場がいつの間にか自然に任されたようです。そのため、現在では、自然繁殖している小型の馬です。そして、昭和28年(1958年)に純粋な日本在来馬として国の天然記念物に指定されました。

その後、都井岬灯台見学。蘇鉄の自然自生地を巡って、志布志港から、大阪南港にフェリーで戻りました。

このようは拙速なお話でも、皆様の旅行の何かのお役に立てば幸いです。
ありがとうございました。

この鹿児島・種子島(宇宙センター)の旅の写真集は、外部サイトの さわださんちのホームページの写真集 をご覧ください(別画面になります)。

今回の旅行でも、プラスチックのごみを見つけました。何気なく捨てたのでしょうが、プラスチックは大変厄介な代物です。もし、プラスチックが海に出て、それを魚や鳥が食べると、食べた魚や鳥の胃の中に残ります。プラスチックは、自然に無くなるということはありません。いついつまでも、食べた生き物の胃の中に残り続けます。
プラスチックが直接それを食べた生き物を死なせるということはありません。しかし、胃の中にプラスチックが溜まると、食事をしなくても、満腹感を覚えます。それで、食事を摂らなくなると思われます。すると、結果的に、プラスチックがそれを食べた生き物を死に至らしめることになります。
プラスチックを食べた魚を、今度は人が食べるわけです。
私の鳥の師匠が「人がおいしく頂けるものしか、残していってはいけない」とおっしゃっていました。一般的には「残していいのは足跡だけ。持って帰っていいのは思い出だけ」と言われています。すべてのごみは持ち帰りましょう。

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