週末恒例・大人の五体投地
2002年10月13日(日) 「やはり野に置けレンゲソウ」 |
男というモノは露出度の多い女性に心惹かれる。特に公共の場所でふと巡り会えるそこはかとないセクシーさが大好きだ。 ちょっとはだけた胸元。 ちらっと見えるブラジャーのひも。 見えそで見えないミニスカートの奥地。 薄手のブラウスに透けるボディライン。 …もう、大好き! チラリズム、とでも表現するのだろうが、決して故意ではなく、弾みでのぞかせてくれるセクシーさはほんとにうれしい。感覚的には「あ。10円落ちてた。ラッキーッ!」に近いモノがある。しかし逆にあからさまに裸同然の格好だと、見たいのだが見れなくなってしまうのである。いわゆる目のやり場に困る、というやつである。 想像して欲しい。 貴兄の乗った同じ電車に、眼帯みたいなちっちゃいビキニのブラジル産サンバガールが登場したらどうだ? たしかに羽根飾りが邪魔でしょうがないが、それはあえて無視していただく。 見れるか? その眼帯ビキニを凝視できるか? そのサンバガールが貴兄の座った席の前で、吊革にぶら下がりながら、サンバのステップを踏むのだ。もう、おっぱいぼよんぼよんである。お尻なんかTバックでもう、すばらしい洋尻を惜しげもなくさらけ出してくれてるゾ。 どうだ? 見れるか? じっくりじっくりみたいだろう? でも、恐らく見ることはできないはずだ。 確かに人目の存在もあるが、それ以前に「そういったモノ」がふさわしくない場所でのあからさまなまでの「そういったモノ」というモノは、なぜか必要以上なまでに恥ずかしさを呼び起こすのだ。ハダカネーチャンはやはりベッドや風呂場にこそふさわしいのだ。 だからこそ、意外なところでのふとしたセクシーさに、男は異常なまでに感動を覚えるのかもしれない。 |