週末恒例・大人の五体投地


2002年8月24日(日) 「愛のあるセックス

 表のほうで「恋」と「愛」の違いについて触れてみた。その違いが最も顕著に現れるのが何と言ってもセックスである。

 自己愛的なセックスをする者はどこまで行っても己の快感しか考えられない。相手を「オトナのおもちゃ」としか見ていない。自分一人でするほうが、よっぽど安上がりで気も遣わないだろうにと思うのだが。

 「恋」のレベルのセックスは相手が感じるのを見て、自分も感じる。いわばそれは当然であるが、結局はそこから抜け出せない。最大の目的が自分の快感であるからである。

 「愛」の心を持ったセックスはそこからさらに一歩進む。相手を悦ばせることこそが、最終的に己の悦びになる。愛から生じる奉仕の精神をもってして、アンナコトやコンナコト、いっぱいいっぱいしてあげたりしてもらったり。

 さて、ココで問題となるのが、女性にしばしば見られるという「イッた振り」である。それは上記の「奉仕の精神」の現れであるが、果たしてそこには、真実の愛があるのか?

 もし男性の稚拙さのせいでイケなかったのであれば、何もイク振りをする必要はない。それは愛とは言えない「恋のレベル」だからである。相手が悦ぶ。それを見て自分も悦ぶ。一見「愛」のように見えないことはないが、そこには与えられる悦びはない。与え、与えてこそ双方向の愛が成り立つのであり、確かにけなげではあるが、見方を変えれば男性は真実を知ることはなく、もしかしたらヨソで恥をかくことになるかも知れない。その場合、あなたは愛しい人を騙したことになってしまうのではないか? やはりこの場合の「正しい道」とは、(多少言葉を選ぶ必要はあるが)真実を伝え、二人でテクニックの上達を目指す、という方向にこそ隠されているのである。確かに遠回りだし、メンドクサイこと甚だしいのだが、愛していればできるはずだ。
 相手がイクのを見極めてほぼ同時にイク。どこまで行ってもコレが理想の作法であり、「愛のあるセックス」の完成形であることはやはり否めない。

 しかし、イケなくとも良いのである。愛を確かめ合うのであれば、何もイクことだけが目的ではないはずだ。

 大切なのは、例えばそこへ至るまでの手の温もり、コトが終わったあとの柔らかなハグ。そういうところからも思いやり、慈しみ、いたわりと言ったものを感じることはできるし、表現することは充分可能である。いや、むしろそういったところからこそ、ほのかではあるが確実に愛を感じ取ることができるはずだ。

日記才人の投票ボタンです

戻る     次へ    前へ

週末専用BBSはこちら