旅のアルバム その3

〜モアイ三昧編〜


新婚旅行で絶海の孤島、イースター島へ。
そのハイライトをお伝えします。





300年ほど前のあるとき
この島を支配していた長耳族に対して
奴隷階級の短耳族が反乱を起こす

内乱に勝利した短耳族は
長耳族達の権力の象徴だった
「モアイ」を次々に倒していく

さらに1964年に発生した
「チリ沖地震」に伴う津波によって
倒されたモアイたちはさらに
崩壊の度合いを深めていく

近年日本企業などの協力により
少しずつ少しずつ「修復」として
モアイの再建が始められつつある

イースター島についての参考サイト






15体のモアイが並ぶ「アフ・トンガリキ」




7体のモアイが並ぶ「アフ・アキビ」




帽子(実は髷)をかぶったモアイの並ぶ「アフ・アナケア」




制作途中のモアイが埋もれる「ラノ・ララク」




座ってるモアイもある




切り出される途中の全高21mの最大のモアイ




途中で埋まっててもデカイ!




目のあるモアイ
元々は全部に目があったとか




さあ、いよいよ「落書き」の登場です
















このコケたモアイが! 問題の! 落書きされたモアイ!




アナタには何と読めるか?




ちょっと加工してみました 読める?





「アフ」と言われる石で囲われた台座の上に
立っている(または立っていた)モアイ
そのアフからは多くの人骨が発掘され
現在では長耳族の村の墓である、とされている

現地の人たちはアフやモアイを大切に思い
観光客がその石囲いの中に立ち入ると
いくら遠くからでも大声を上げて注意を促している
(しばしばケンカになることもあるとか)

ガイドのM氏曰く
「みだりに乗って身体がしびれたり
熱が出る人もいるようですよ」
とのことであるが、
では現在の多くの島民達の先祖である
モアイを倒した「短耳族」たちは大丈夫だったのか?

と言うとM氏は
「短耳族たちも一度2千人から120人まで減っています」
「ペルーの奴隷船に連れて行かれて、
帰ってきた者も伝染病などを持ち込んで」
「一時は大きく分けて3ファミリーにまで減ってしまったそうです」

西洋化の波にさらされる、と言うことは
良くも悪くも、ある
しかしその大半の結果としては
元々の文化はほぼ全て失われてしまうのだ




さて注目のイースター島の食い物は?


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