足の指の間が痒くなる心意気
2003年2月9日(日)「結婚の先にあるもの」〜日曜日の恋愛論 |
今、非常に不安だ。 結婚が、ではない。結婚の先にあるモノが、だ。 そう、出産と子育て。 人間はハムスターのようにただ産めばいい、というモノではない。ちゃんと手をかけて育て、愛情豊かな感性を子どもに植え付けて行かねばならない。どうせなら人様から好かれる人間にして、世間に送り出してやってこそ、人による人の子育て。 愛情をたっぷりかけて子を育てる。そのためには夫婦仲が良いことも大きな前提だ。夫婦の間の愛があってこそ、子ども達にそれが伝わっていくモノだろう。人を愛することが如何に素晴らしいことか。それを知ってこそ人としての人生の価値がある。妻を愛し、夫を愛し、そして初めて子どもを愛することが出来るのだろう。 愛情をたっぷりかけて、その結果万が一どうしようもない子どもに育ってしまっても、だ。それでリセットできるはずもないのだ。そうなってしまったとしても、子どもを愛し続けなければイケナイ。親としての責任は、そういうところにあるのだと思う。もちろんその愛は「溺愛」であってはならない。厳しくも温かな、人の血の通った愛し方でなければならないだろう。あきらめず、信じて愛し続ける。 果たして自分に、自分たちにそんな大きな仕事を成し遂げることが出来るのか。その責任の大きさに。その壮大さに。その道のりの遠さに。はからずも不安になってしまうのだ。 恋をして、セックスをして、結婚まできた。恋が本当の愛に変わるのはここからなのだと、しみじみと、そして少し力み気味に思う。恋が愛に変わった手応えを感じたそのときこそ、二人は本当に家族になれる。そんな気がする。 |