足の指の間が痒くなる心意気

2003年1月17日(金)「哀悼からつかんだモノ」

 あの阪神淡路大震災から8年経つ。

 震災直後にボランティアで(公務員みたいなモノなので半ば仕事ではあったが)被災地に入る。崩れかけた神戸港に大阪港から船で。この目で見た被災地の風景は今でも忘れられない。映像でそれと知られた阪神高速道路の倒壊現場も見た。転けずに残った方の道路には、まだバスがぶら下がってた。あちこちで倒れた家、ビル、公園に張られたテント。背よりも高いリュックを背負って急ぎ足で歩く人たち。鎖につながれたままの犬が、鳴いていた。

 たくさんの人が死んだ。でも、まだそれよりももっとたくさんの人たちが生きていた。

 その人たちを救うべく、その人たちを勇気づけるべく、全国から様々な物が、人が、雨あられと被災地に集まる。

 毛布や衣類、日用品、飲料水、食料品、おもちゃ、テント、医薬品、そしてカネ。

 ヤクザ、右翼、過激派、宗教団体、政治家、青二才、山師、プロの(?)ボランティア、そして野次馬。

 ボランティアの中には被災者と同化して、配られる弁当をただ受け取るだけの「ボランティア難民」まで発生する始末。現場はまさに混乱の極み。それでも誰もが何とかしたい、と思っていた。何かしなければ、と思っていた。

 右翼の街宣車が甘酒を配る横で、ヘルメットにタオルで覆面する過激派がおにぎりを握る。ヤクザが豚汁を炊き出しするその隣で、自衛隊がカレーを作る。ヤンキーのニイちゃん達も音のやたらでかい自慢の原チャリで、避難所から物資の集積所へ、そしてまた避難所へと駆けずり回る。

 市民も公権力も、ツマハジキモノも。多少のトラブルやモメ事はあったがみんな力を発揮しようとしていた。決してその力は交わることはなかったが、それはそれで涙が出るほど頼もしく嬉しく見える光景だった。

 あれから8年経った。

 一度はせっかくプラスに傾いてた力のベクトルは、またマイナスの方向へ流れて落ちている。でも、あの時のバラバラなようでそうでないような、奇妙な一体感は我々の心に大きな財産を築いた。もし何かあれば、またもう一度、あの気持ちを味わうことはきっと出来るはずだ。無論、何もない平和な日々が少しでも続いた方がよいに決まってはいるが。

 日本もまだまだ捨てたもんじゃない。そう思ったあの日のこと、きっと我々は忘れない。

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