二章 現成公案   ーその一つ道得ー  

   本文を、以下のように十二段に分ける。

初段 「諸法の仏法なる時節・・・・おふるのみなり」          

二段 「自己をはこびて・・・・仏を証しもてゆく」

三段 「身心を挙して・・・・一方はくらし」

四段 「仏道をならふといふは・・・・長々出ならしむ」

五段 「人、はじめて・・・・本分人なり」

六段 「人、舟にのりて・・・道理あきらけし」

七段 「たき木、はいとなる・・・・いはぬなり」

八段 「人の、さとりをうる・・・・辨取すべし」

九段 「身心に、法いまだ・・・・しかある、としるべし」

十段 「魚、水を行くに・・・・かくのごとくあるなり」

十一段 「しかあるがごとく・・・・可必なり」

十二段 「麻谷山宝徹禅師・・・・参熟せり」  

  《現成公案》は、天福元年(道元三五歳)中秋のころ、俗弟子、鎮西の楊光秀に与えられ、建長壬子(道元五三歳)に拾勒されたと奥書に書かれている。だから『正法眼蔵』の他の巻といろいろな点で異なる。 

 まず、在家の弟子ただ一人に対して書かれたということ。他の巻は主に出家の門弟たちに説法(示衆)した稿本である。楊光秀について詳しいことは何もわからない。ただ太宰府(鎮西)にいる人に与えられたのだから、《現成公案》はこれ限り、という一回性をもつ。つまりもっとも肝要なことを手短かに書いたのではあるまいか。

 それと関連して第二に、他の巻は、祖師の言句や経などのテキストを、道元がどう読み解くかということを眼目としているが、この巻は語録や経典をほとんど使わず、ほぼ道元自身の和語で説かれており、道元の思惟がストレートに表れている。このように主に和語で説かれたものは、七十五巻本にも十二巻本にも含まれない《生死》《唯仏与仏》などであり、これらも重大なポイントが平易に短く書かれている。

 第三に、天福元年は、《摩訶般若波羅蜜》が初めて独自のスタイルで説示された年であるが、その後数年間は前章で述べたような事情で示衆がないため、稀少な初期著作である。第四に建長壬子は、道元が亡くなる前年であり、「拾勒」とは、「勒」が馬の轡を意味することから取り纏めることをいい、「拾」はここでは拾い戻す意味で、この年に手許に拾い戻した原本を、道元自らが一生の思索の精髄とするかのように、再び慎重に推敲したものと見られる。

(補論) ところで七十五巻本『正法眼蔵』は、江戸時代の面山によって懐弉の編集とされてきたが、真蹟《山水経》に「正法眼蔵第二十九」、真蹟《祖師西来意》に「第六十二」とあること、十二巻本の懷弉の奥書きに、道元の言葉として「前に撰する所の仮字正法眼蔵等、皆改め」(筆者読み下し)とあること、仏性巻の正嘉二年(一二五八)の再治本(懷弉書写 )巻頭に、「仏性」が消されて「正法眼蔵仏性第三」となっていることなどから、道元自身が編集したと考えられる。その場合、第一巻はどうだったのかということが問題として残るが、初巻を「現成公案」と決めて、原本を求めていたのではあるまいか。

 「現成公案」という言葉は、道元が愛用した根本語で、七十五巻本中に十七巻二十五回も使用される。「現成」は実に六十二巻に及び、頻度は一七八回である。七十五巻本『正法眼蔵』の前半の巻々は、多くが《現成公案》と深く関わる。

 一章では、後継者、懷弉の誕生までを辿ったが、この二章では楊光秀と共に、仏法の根本問題、さとりとは何か、現成公案とは何かを、虚心に聞き取っていきたい。なお、この簡潔な名文は思索であると共に「詩作」でもあり、どんな現代語にも置き換えにくい。それで、原文を最初に出し、その響きを深く味わうことにし、現代語への翻訳は必要に応じて注釈的に補うことにしたい。  

初段 発心へ

A 諸法の仏法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。

B 万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。

C 仏道もとより豊儉より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。

D しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。  

 冒頭は、〈諸法の仏法なる時節〉と断言的に響いている。「法」とは、サンスクリット原語のdharmaでは、(人間の行為を)保つものという原義から、なすべき勤め、徳、制度、存在、あり方、理り、教え、本性などを意味するが、ここで「諸法」というのは、〈すなわち〉に続く〈あり〉が、すべて人のあり方であることから、理り・教えというよりは、人を含む存在のあり方と思われる。法の個々に着目する場合に「諸法」といわれ、あらゆる法と全体を括る時、「一法」と対になるような仕方で「万法」と表現されているようだ。諸々のあり方といっても、いわゆる存在論ではないことは、続く叙述が人のあり方に限定されるのだから確かである。

 実に多くの解釈が、ここを森羅万象に関する存在論の問題、あるいは万象がどのように見られるかという認識論の問題としている。だが、〈仏法なる〉すなわち仏の法である時節なのだ。仏であるゴータマ・ブッダが問題としたことは、森羅万象の普遍的な理法ではなく、十二縁起も四聖諦も、すべては、人がどのように苦しみから解放されるかという、人のあり方であり、実存の問題である。すでにインドではウパニシャッドの不一不二の存在論があり、中国でも老荘思想の天地万物の帰一論があるが、そのような存在論は仏法とは無縁だ。

 では、諸法が仏のあり方である時節とは、どのようなことだろうか。その手がかりを『正法眼蔵』の他の巻に探ると、《全機》巻に似たような表現がある。

〈諸仏の大道その究盡するところ透脱なり、現成なり。その透脱といふは、あるいは生も生を透脱し、死も死を透脱するなり。・・・自己に無量 の法あるなかに、生あり死あるなり。〉

 諸仏の道が究められるというのは、透脱あるいは現成といいうる事態であり、それはあらゆる人間のあり方に通 ずるのであり、生も死も透脱するのだ、という。この巻は、続いて人が船に乗り行く譬えが語られ、さらに〈生は死をケイ礙せず、死は生をケイ礙せざるなり〉を含む一段があって、それは後に見る《現成公案》六、七段に対応している。すると、この〈諸仏の大道その究盡するところ〉は、Aの〈諸法の仏法なる時節〉と響き合う。つまりAは、仏道が究わめ尽されている仏の時節である。

 《全機》の冒頭で注目すべきことは、この究盡する主体が人ではなく、〈諸仏〉であることだ。したがってAの時節とは、人のいかなる悟境や見方でもない。  初段Aで〈あり〉が、〈迷悟あり、修行あり、生あり、死あり〉等といわれているのは、《全機》の〈生あり死あり〉に対応して、相対的な仏道の途上でのそれらではなく、〈生も生を透脱し〉た〈あり〉であり、その「透脱」のシノニムを《全機》では〈現成〉といっている。だから「現成」とは、簡単に現に成っていること、現実的な事象の立ち現れといったことではすまない。

 その「あり」のひとつが〈迷悟あり〉となって、「迷あり、悟あり」とならないのは、迷と悟は、次の段で詳説されるように、常に相対的な概念であり、迷という決まったあり方があるわけではない。例えば、前章一、二節で見たように、如浄からすれば至心に法を求める道元は、そのままで面 授しうる仏であり、その真摯な坐禅は、すでに身心脱落であるのに、道元からすれば未だ生死に決着がついていないから、迷なのである。また「修証」ではなく〈修行〉といわれるのは、この時節そのものが証だからである。

 ところで『正法眼蔵』の他の巻々は、大部分がこの諸法が仏法である時節の事柄を説示している。なぜなら祖師の語録も経典も、そういう証のところから説かれており、道元もその他者の証の言説をめぐって、自らの道取を展開するからである。そういう意味でも仏道の迷悟を明らかにする《現成公案》はユニークなのだ。 

(補論) だからこの節を、「諸仏」という主体を無視して、「有り目通 り」、「一切万法は仏法だ」、「現実こそ完全無欠の具体的な真実である」などとすると、いわゆる本覚思想、より厳密には「仏性顕在論」になり、現状を絶対的なものとして肯定することになる。そうであれば人間の側は、もはや悟りのために関与する必要がなくなり、ただその現実を法として認めるだけで、無修無悟ですんでしまい、悪しき現状肯定か、たかだか万物への敬虔に過ぎなくなってしまう。このような解釈が伝統的になされてきた一因には、『三大尊行状記』に由来する、若い道元が「本来本法性、天然自性心であるのに、なぜ諸仏は発心して菩提を求めたのか」と疑団を抱いたという挿話にもあろうが、これは後にできた創作で史実とは認められない。

 B節の〈万法ともにわれにあらざる時節〉は、このようにAを、諸法が仏としてのわれにある時節、とすると、すなおに結びつく。Bの〈・・なし..なし〉は、Aの〈・・あり、・・あり〉と、明白に反対の対になっている。けれども、多くの解釈が、これも万法無我をあらわしていて、空の思想をいっているから仏法上の時節であり、AとBは同じことを説いているとしている。

 そうではないことは、第一に、Cの「仏道もとより豊儉より跳出せる」は、文脈からしてA・Bを〈豊儉〉、つまり豊かさと少なさ、ありとなしとし、その両者からの跳出と受け取るのがすなおであることからも明らかである。少し注意して聞けば、Aでは〈諸仏あり、衆生あり〉といわれるのに、Cの仏道では〈生仏あり〉、すなわち衆生と仏がある、と相対的であり、Bでは〈生なく滅なし〉とあるのが、Cの仏道では〈生滅あり〉と、有無の別 はあるがやはり相対的になっている。

 つまりCの相対性に対して、AとBはともにどこか絶対的で、互いに相反する響きを持つ。次に、道元は仏法を表すのに、無・不など否定辞を使ういわゆる(遮詮)ではなく、肯定形(表詮)で示すことを圧倒的に好む。たとえば般 若心経で「無眼耳鼻舌身意」等、無が付けられている言説を、道元はすべて無を取り去って、〈十八枚の般 若あり、眼耳鼻舌身意・・・等なり〉《摩訶般若波羅蜜》という。  また般 若心経の「不生不滅」は空の表現であるが、B節の〈生なく滅なし〉は無であり、大きな違いがある。道元は、色即是空ではなく、〈色是色なり、空是空なり、百草なり、万象なり〉《摩訶般 若波羅蜜》と、空思想を限りなく有に近づける。だからこのB節を、仏法の空と取るのは難しい。

 したがってB節は、万法が〈ともにわれにあらざる〉と強調されて、Aの仏道究盡の対極に位 置づけられる、いまだ発心さえ起こさない時節といえる。道元がこういう発心以前のあり方を問題にしていたことは、たとえば〈仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参するなり〉《仏性》という言い方にも現れている。この時節の根本問題は、最初に言及される〈まどひなく〉ということだ。迷いが本当に自覚されれば、求法が始まる。発心の初めは、五段一節に〈人はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却せり〉といわれるように、万法とわれは非常に隔絶しており、仏法を求める以前はかかわりがないといえるのである。

 その〈万法ともにわれにあらざる〉は、六段の〈身心を乱想して万法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる、・・万法のわれにあらぬ 道理あきらけし〉と無関係に説かれているとは思えない。

 この六段の〈われ〉は、「仏のわれ」や「万法のわれ」「内在する仏性」などではなく、〈身心を乱想〉し、自分の心(自心)あるいは本性(自性)こそが常住(永遠不滅)だと思い誤る人間の吾我である。人はデカルトでなくても、考える「われ」を唯一確実な原点とみなして、そこから空間軸と時間軸を構築して世界を描き出すものである。けれども実際は、私たちの方が広大な宇宙の中に投げ出されているはかない微細な一点でしかないのだ。また、〈道理あきらけし〉といわれているからには、仏法上の見方などという特殊なものではなく、人間に当り前に頷かれることである。それについて《恁麼》巻にこの初段全体とパラレルになる次のような箇所がある。

 〈(A)この無上菩提のていたらくは、すなはち尽十方界も無上菩提の少許なり。さらに菩提の尽界よりもあまるべし。われらもかの尽十方界の中にあらゆる調度なり。(B)なにによりてか恁麼ありとしる、いはゆる身心、ともに尽界にあらわれて、われにあらざるゆへにしかありとしるなり。身すでにわたくしにあらず。いのちは光陰にうつされてしばらくもとどめがたし。紅顔いずくへかさりにし、たづねんとするに蹤跡なし。つらつら観ずるところに、往事のふたたびあふべからざるおほし。赤心もとどまらず、片々として往来す。まことありといふとも、吾我のほとりにとどこほるものにあらず。(C)恁麼なるに無端に発心するものあり。この心おこるより、向来もてあそぶところをなげすてて所未聞をきかんとねがひ、所未証を証せんともとむる〉

 無上菩提のありさまとは、真実限りがないものであって、人間がその中にいる十方世界 より余りある。なぜそれが分かるかといえば、私たちの肉体は一瞬もおなじものではないのに、いつも十方世界において、存在している。心もいつも変わり続けるのに、何か限りないものが、その無常な身心をそうあらしめている。だから、ふっとその無限なものへの心が目覚める。そこに従来とはまったく違った価値観を求めることが起こる、といわれている。

 最初の無上菩提のありさまを説く段は、初段A節と呼応する。Bに呼応するところは、〈身すでにわたくしにあらず〉以下で、ここでは身心を手がかりに、その無常が嘆かれている。その無常を自覚しないならば、仏道とは無関係となり、生死の問いを惹起する生滅無常への気付きもない。  したがって、Bは、Aという自己が仏であるあり方と鋭い対立をなす、法が〈われにあらざる〉発心以前の人のあり方である。仏道以前であるから「修行」には言及されず、もちろん迷悟・衆生・仏ということすら無い。そういう意味で「なし」である。と同時に、その道理が自覚された時、人を仏道に向かわせる発心の契機となる。

(補論) 《仏性》では「一切衆生無仏性だけが仏道では優れている」といわれ、続いて〈しるがよい、無仏性の道取聞取、これこそ作仏の直道である。だから、無仏性の正にその時が作仏である。無仏性をいまだ見聞せず、道取しないのは、いまだ作仏しないのである」という。発心・修行・菩提・涅槃を同時と捉える道元には、その仏道にまったく関係ない人は、無仏性と断ぜざるを得ない。だが、もし「無仏性」を聞いて無常の道理に身が震える時、ただちに仏道への発心となり、打坐の修行となり、それが他ならぬ 作仏なのである。 それゆえか、初期著作には、無常を感ずるべきことが、しばしば説かれる。  「世間の無常を思うべきである・・・朝に生れて、夕に死に、昨日見た人が、今日いない事は、間近に眼にし、耳にする。これは他人事として見聞する事であるが、我が身にひきあてて、その道理を思う事だ。」『随聞記』巻三 「ただ世間の生滅無常を観ずる心も、また菩提心と名づける。」『学道用心集』一  「もし我見がおこった時は靜坐観察しなさい。今、自分の身体の内外に有るものは、何を本とできようか。身体の各部は父母から貰ったが、赤白の二滴はすべて空である、だから私なのではない。心・意識・智の働きが壽命を繋いでいるが、その働きを可能にする出入の息は結局何か、だから私なのではない。」『学道用心集』一 「多くの昔の人は言った、光陰を虚しく過ごしてはならない。・・・閑かに坐禅をして、道理を考えて、最終的にこれしかない道を、思い定めるべきである。」『随聞記』巻六 「修行者は、静坐して道理によって、この身の始めと終りを知るべきである。身体の各部は父母の二滴で出来、最後の一息が止まってしまえば、山野に離散して終に泥土になる。」『随聞記』巻五  無常迅速は、だれにでも思うことができる道理であり、だから死なない前に真実な道を求めることこそ発心である。  もっとも、無常観は、生死の苦しみではあるが、そもそも、あらゆることに常住不変の実体などないというところに透脱すれば、〈草木叢林の無常なる、すなはち仏性なり、人物身心の無常なる、これ仏性なり〉《仏性》といわれるように、そのまま仏性である。それは絶対的に常住なものはなにもないという、人・法の無我と、諸行無常という仏教の基本・三法印の二つと一致する。とはいえ、この「われ」が片付かないからこそ人間は苦しむのである。もし、本当に、人無我になりきれば、問題そのものがなくなる。そういう高い次元で、「まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なし」を証と受け取ることも不可能ではなかろう。たしかに「まどひはなきものぞとも知るべし、さとりはなきことぞともしるべし。無上菩提の人にてあるをり、これをほとけといふ」《唯仏与仏》ともいわれている。ほんとうの「さとり」のところには、人が迷いとの対概念で考える、人間の悟りなどない。

 しかしながら、ほとんどの注釈のように、この初段の文脈で、Bを法無我だ、非吾我だ、絶対無だと解釈してしまっては、道元の意図に甚だ背くといえよう。そういう高さが可能になる場こそ〈豊儉より跳出〉する仏道、Cなのだ。だからこそ、次にA・Bからの跳出としての仏道が説かれる。A・Bの止揚としてのCというこの初段の動的構造が、生身の私たちのあり方の転として、〈恁麼(このよう=無常)なるに無端に発心するものあり〉と見事に描かれている。連続性や因果 関係を超えて、突如、Bの虚無の自覚が起こり、従来の生き方と不連続に、仏道への端緒が開かれる。

 Cの仏道は、私の生きかたとして、このわたしと万法のかかわりであり、仏のあり方という豊と、発心以前の倹とのどちらからも跳ね出る。だが、けっして「あり」と「なし」の相対世界から絶対的世界に超出するわけではない。つまり、ふつう考えられるようには、私が発心して無常のところから仏へ、悟りへと、超越するのではなく、むしろ仏からすれば、仏より躍り出ることである。そして、仏が法を聞き〈三世諸仏立地聴〉《行仏威儀》、仏が仏を行じ、仏が作仏する〈仏行仏、仏作仏〉《行仏威儀》ところに仏道はある。

 その跳出は〈頂寧より跳入し跳出す〉《三十七品菩提分法》といわれるように、自在ないきいきした働きではあるが、どこまでも跳ね出た処を超えてしまうことはない。換言すれば、生死無常の日常から跳ね出て仏道に入ったとしても、それはけっして不死を得るような非日常的な世界に超越することではなく、はかない生身の自分の人生が、そのまま仏の行へと転じられて、〈生死は仏のおんいのちなり〉《生死》となることであり、私たちが慣れで感覚し意識して構築している日常性から、私たちの欲望に色づけされないありのままの日常に帰還することである。その道行きとしての仏道には、したがって対立関係で捉えられる相対的な救われるべき衆生と救う仏〈生仏〉があり、迷いとそれが無くなった悟りがあり、透脱すべき生・滅がある。仏道は即修行であるから、ここには〈修行〉が、いわれていない。その仏道の具体的なあり方が二段以下に示される。

 さて、Dで、〈しかもかくのごとくなりといえども〉という〈かくのごとく〉とは、直接的にはCを指すのであろうが、Cの内実である〈豊儉より跳出〉がABを含むゆえに、その逆接はABにもかかってくる。つまりABC全体に対してDが置かれている。

 〈花は愛惜に散り、草は棄嫌におうる〉とは、何をいっているのだろう。凡夫の好悪に執着した見方でないことは、これに酷似した表現が『永平広録』に次のように出てくることから確かめられる。

「上堂して言う、皆々にはさとりが備わり、ひとりひとり完全である。それなのに、私はなぜ敢えて法堂に登り、面 倒な言葉でややこしい説示するのか。このわけを知りたいかどうか。ややあって言う、華は愛惜するから落ち、草は嫌うからなお生える(華は愛惜に依って落ち、草は棄嫌を逐て生ず)。」(五一))  

 ここにおける「華は・・・」は、あきらかに説法者たる道元の自問に対する答処である。世間の見方、凡夫の見ではない。「草深きこと一丈」の意味は、『景徳伝灯録』の次の問答にヒントを求めることができる。

休静禅師が洞山に問う、「修行者である私は、まだ理路(ものの道理)をあきらめ見ることもできず、情識(思弁的判断)を免れることもできません。」          

洞山「いったい理路というのは見ることができるのかね」

禅師「いえ、理路なんてありません。」

洞山「では、どこから思弁的判断を得てきたのか。」

禅師「それをこそ聞いているのです。」

洞山「そういうことなら直ちに草なんかまったく生えていないところ(万里無寸草)に行って立ちなさい。」

禅師「そもそもまったく草(情識)がないところでは、立つ(生きる)ことができるものでしょうか。」

洞山「よしよし、そういうふうに行きなさい。」)  

 草は「情識」を指すが、「情識」とは凡夫の情ではなく、思弁的観念的考えである。したがって「万里無寸草」すなわち思弁的な働きが消えてなくなった無の境地、仏の境界ということこそが、観念的な世界に過ぎず、そんなところで人は生きていくことができない、という応酬であろう。先の上堂の「法堂上の草」も、法堂は説法する場であり、まさに口で説く観念・思弁としてぴったりである。観念的・分別 的であることは否定すべきあり方だが、人間はそのような言葉や分別からまったく自由になどなれるものではない。

 この「華は・・・」の表現は、他に見い出されない道元独自のものであることからも、その意味は、この『広録』五一の用法に規定されざるを得ない。

 そこでDに戻ると、先のABCは確かに高度に抽象的思弁的な言葉であると認めざるをえない。さらには、これから敷衍されるこの巻全体も、高度の思弁である。その展開に先立って、道元はどうしてそのような思弁的言葉を労するのか、そのわけを吐露したかったのだろう。

 〈花は愛惜によって散り〉という〈花〉とは、草との対比でいえば、草という分別 ぬきの直裁的なさとりを指そう。そのさとりを道元は直接示したいのであるが(華を華としてとどめておきたいのだが)、そうしたいにもかかわらず、(のちに論ずるようにさとりは不覚不知だから)そうはできない。華はそのままを保ち得ない。伝えようとすれば、さとりは言葉の間から抜け落ちる。〈愛惜に散る〉とは、それをいったのであろう。

 一方、さとりは分別知では捉えられないが、言葉をもってなんとかして伝えなければならない。言葉ではないところを言おうとすれば、ますます言葉が必要になり、言葉に言葉を重ねざるをえない。言葉という草は嫌っても生えるほかない。

(補論) 《身心学道》は〈仏道は不道を擬するに不得なり〉で始まる。仏道はいわないでおこうと思っても、そうはできないというほどの意味である。なぜなら〈仏道を学せざれば、すなわち外道・闡提の道に堕す〉《身心学道》からだ。学さなければ、換言すれば言語表現を通 して聞き、言語表現を通して言わなければ、他の宗教と区別がつかなくなり、「一闡提(断善根)」すなわちどうしても救われない人になってしまう。そのような葛藤としての「言葉」こそ、禅宗の語録の伝統を形成する特殊な言語使用であり、不立文字といいながら、膨大な語録文献を産出した所以である。思弁の集成とも思われる『正法眼蔵』であるが、その初巻の初段に、道元はこのことを言っておきたかったのだろう。言葉とさとりの問題は、道元にとっても《葛藤》《画餅》《夢中説夢》《道得》などで説かれる重要なテーマであるが、それは別 に論じたい。

 さて、ABCとDを繋ぐ逆接接続詞〈しかもかくのごとくなりといえども〉は、先に見た〈華は・・〉とまったく同じく、説けないものをあえて説くという文脈で、『永平広録』にこう使われている。

「忽ち、仏法の二字を聞くも早是に我が耳目を汚す。諸人、未だ僧堂の門こんを跨えず、未だ法堂を踏まざるに、便ち三十棒を与え了りぬ 。かくのごとくなりと雖然も、山僧、今日またこれ力を竭して衆のためにす。」(四七)

 仏法という言葉さえも、汚れるのだから、説法を聞くためにまだ僧堂から出て法堂に到らないのに、事は済んだのである。そうではあるのだが、わしは今日もまた力を尽して皆に説くのだ、といわれている。そしてDは〈・・・おうるのみなり〉と結ばれるが、それは十二段の〈あふぎをつかうのみなり〉と響き合っている。十二段は言説としての道理に対する行為の〈のみなり〉であり、言葉と行のおのおのの〈のみなり〉が、交錯する。

 だが、このようなDの解釈は、『永平広録』や禅語録の知識をもって、はじめて聞こえることであり、《現成公案》の文字からでは、見えてこない。現代のふつうの語感からすれば、「情識」とは感情的な意識であろうし、だからまさに〈花は愛惜に散り、草は棄嫌におうる〉は、「世間の見方」、「凡夫の見」 と考えられてしまう。

 しかしながら、そのような解釈では、なぜ道元が最後にこういったのか、さっぱりわからない。もし、これを凡夫の見方とし、仏道は世間のいわゆる情識を超えた、特別 な境涯を得ることだと考えると、道元の理解とは正反対にならないだろうか。たしかに禅宗四祖道信の『証道歌』には、「至道無難、唯嫌揀択」(悟りの道は難しくない、ただ選り好みを嫌うだけだ)とあって、一般 に好悪の選り好みをやめることが悟りだとも解釈されてきた。だが、それさえも凡人とは違った境涯を狙うことになる。

 もう一つの解釈の可能性は、この〈花は愛惜に散り、草は棄嫌におうるのみなり〉を、当たり前のところと解釈し、たとえさとりを得ても、この世界への感じ方が変わるわけではなく、以前と同じ当たり前のあり方だというものである。なぜなら、坐禅したらどうなるのか、という問に、「なんにもならない」と応じてきたのが、達摩の無所求行に始まる禅の伝統であり、帰朝した道元はその得処を「空手にして郷に還る、所以に山僧、仏法なし・・・三年必ず一閏あり、鶏は五更に啼く(空手で故郷に帰ってきたから、わしに特別 な仏法というものはない。三年立つと閏年に逢い、鶏は夜明けに鳴く)」(『永平広録』四八)、と言い表しているからである。そのような当たり前であることの深さの確認とする方が、凡夫の見方などとするよりはいい。

 以上のように初段を理解すると、ABCDのかかわりは次のようになる。

Aは、仏が法を究尽した時節で、透脱・現成という自己と万法とのかかわりの様子。

Bは、発心以前の時節における、万法とわたしのかかわりがない様子。

Cは、仏道に発心したこのわたし(自己)が、万法とかかわる様々なありかた。

Dは、そのように言葉で説くことと、実際に行じ証することとの径庭。

 このようにとらえると、なにか諸仏の自己と、わたしの自己と、ふたつの別 なものがあるようにも見える。だが、《唯仏与仏》では、〈この仏と我とひとしとは、又いかに心うべし。・・・我らが身心は、まことに三世の諸仏とおなじくおこなひける道理あり〉といわれている。この仏と同じく行う道筋(C)こそ、二段以下で展開される仏道である。