三節 誤解され続けた「身心脱落」
私たちのよく知っている道元の身心脱落体験の話は、実はおよそあらゆる道元の伝記に書かれている。なぜなら懷弉以外のだれもが、それを誤解しているからである。
すでに懷弉の後継者である永平寺三世・哲通義介の『御遺言記録』にさえ、「亡き師の大悟の因縁、身心脱落話によって、いささか得力す」と書かれている。これも身心脱落が大悟体験であるというニュアンスを持つだろう。もっとも、義介は坐禅ではなく、「今日の仏威儀は挙手動足の外に、別 に法性甚深の理あるべからざること」『御遺言記録』という別な結論をみちびいているが。
永平寺四世(大乗寺二世)・瑩山紹瑾の『伝光録』は、その「身心脱落体験」の状況をまことしやかに次のように叙述するに至っている。
「或時、後夜の坐禅に浄和尚が入堂なさった。大衆の睡りを諌めて云うには、参禅は身心脱落である、焼香・礼拝・念仏・修懺・看経はいらない、ひたすら坐禅だ。時に、師の道元は、聞いて忽然として大悟した、これが今の因縁である。」
作者不詳だが古い成立の永平寺三代の伝記である『三大尊行状記』は、こう記す。
「天童は午前四時頃の坐禅の折、入堂して堂内を巡る。禅僧が坐睡するのを責めていうには、『参禅は身心脱落である、ひたすら眠ってどうするのだ』。師は、聞いてはっとして(豁然)大悟した。明け方に師の居室に上がり焼香し礼拝した。天童が問うていう、『焼香するとは、何ごとか』。師が言う、『身心脱落して参りました』。天童が言う、『身心脱落・脱落身心』。師が言う、『これは一時の手並み(暫時の伎倆)です、和尚さま、乱りに私めを印可しないで下さい』。天童が言う、『わしは乱りにお前を印可などしない』。師が言う、『いったい、不乱というのは何の事ですか』。天童が言う、『脱落身心』。その時に福州の広平という侍者がそばに立っていていう、『これは小さいことではない。外国の人がこのようにして大事を得るとは』。師は、『御機嫌よろしく』、と挨拶して去った」
ここでは、道元が自分で身心脱落してきたと如浄に言った、という話に変えられており、道元は豁然と大悟体験を得たことにされた。この伝説の元になったと思われる話が、実は《大悟》草案本にある。
〈亡き師は、つね日頃、皆に示していうには、参禅とは心身脱落である。これは待悟を基準とするのではない。この道得は、上堂の時は、法堂の上で示す、あらゆるところの雲水が、集まって聞く。小参の時は、寝室の中で話す。諸方から来た修行者が、みな聞いたものである。夜間は僧堂の中で拳と共に雷鳴のように言う。睡っている者も聞き、睡らない者も聞く。夜中も言い、昼間も言う。そうではあるが、理解するものはまれであり、質問する者も少ない。「参禅者」というのは、仏である祖師の言うことである。参禅という言葉は、〔脱字〕者であるから、このようにいうのである。心身脱落は脱落心身である。脱落が脱落して来たのであるから身心脱落である。これは大小広狭といった限度のあることではない。したがって待悟を基準とするのではないのである。待悟でないというのは、大悟を目的として道を学んではならない。・・・そうであれば、つまり大悟はたとえ大道を悟り尽くしても、まだこれは暫時の伎倆である。〉
(註) 法堂とは、説法をする建物。そこで正式な説法をすることが上堂。小参は随時に行われる修行者への教え、注意、訓戒などで、晩に行われることが多い。雲水は禅宗の一処不定の修行僧。僧堂は雲水が坐禅し、寝るところ。
よく読めば、ここでも参禅が身心脱落だといわれているのであって、それ以外に悟りを待ってはいけないということが眼目であり、たとえ大悟と思われることがあっても、それは一時的なものに過ぎないということだ。
これを知るものが少ないといわれた通り、果たせるかな、《大悟》草案本を見る機会のあった誰かが、これを『伝光録』などに引きづられて誤解して、『三大尊行状記』の記述をなしたに違いない。この記述は永平寺十四世建撕(一三九四〜一四二八)の『建撕記』にほとんど同様に引き継がれ、曹洞宗の中で揺るぎない正統性を獲得する。
ひとたびこれがあたかも史実であるかのように見なされると、今度はその「史実」を証明する資料が捏造される。
『天童如浄禅師続語録』(一五一七年の序)は、すでに江戸時代に曹洞宗きっての学僧である面 山によって贋撰とされているが、そこにはこう書かれる。
「師は、その時に入堂した。修行僧が坐睡するを戒めていう、『そもそも参禅は身心脱落である、ひたすら眠ってどうするのだ』。私は、此の言葉を聞て、はっとして大悟した。師の居室に上がり焼香し礼拝した。師が言う、『礼拝とは、何ごとか』。私が言う、『身心脱落して参りました』。師が言う、『身心脱落・脱落身心』。私が言う、『これは暫時の伎倆です、和尚さま、乱りに印可しないで下さい』。師が言う、『わしは乱りにお前を印可などしない』。私が言う、『いったい、不乱というのは何の事ですか』。師が言う、『脱落脱落』。そこで私は問うのをやめた。」
道元に大悟があるといえば、弟子は必ずそのような悟りを期すことになる。だからこの誤解は致命的な過失である。道元が強調しているのは、《大悟》草案本でさえ、そのような「大悟」はない、ということなのだ。〈大悟を目的とすれば、その目的である悟とぴったりそぐわないだけではない、大悟はどれほど目的ということでおかしくなることか〉《大悟》草案本といわれる通 りである。しかもこの箇所は定稿《大悟》ではまったく削除されている。なお《大悟》巻で説かれる「さとり」については、次章で取り上げたい。
「さとり」について、どうしてこのようなとんでもない誤解が生まれたのだろう。道元は早くから、〈修行のほかに証りを待つという考えをもっていはいけない〉『弁道話』といい、「いまだ大悟を待たない」『辨道法』と言明し、「坐禅はそのまま仏の行である、坐禅はすなわち一切何もしないことである。これこそが自己の正体である、此の外に別 に仏法として求めるべきものはないのである」(『随聞記』三)といっているのに。
しかしながら、これらのおびただしい宗門の伝記に裏打ちされた身心脱落体験説は、現在でも根深く何度もくり返される。それはおそらく道元の「悟り体験」を、自分も追体験したいからだろう。
人はどうしてなおも悟り体験を望むのだろうか。それはこういうことではなかろうか。心身を疲労困憊に追い詰める無理な坐禅をした場合、異常な意識状態(魔境)をたやすく誘因する。浄土宗にさえ三昧発得と称して幻視幻聴がいわれるほど、人間の意識はもろく、何かの拍子で異常現象を起こす。いや、そういう異常な体験を期待するから、難行苦行してそういう「悟り」を現じるのである。臨死を含め一般 に「神秘的体験」は、強烈な印象を実存の根底に残して、人生観すら替え得るから、人はそれを求めるのだろう。だが道元はそれを戒めて「仏道を学ぶ人は、まだそれが適切なのか阻害するのかを弁えず、むやみに目に見える験しを好む。間違わない者は、いったい誰だろうか」(『学道用心集』九)、「霊験を得るために仏法を修行してはならない」(同五)といっている。
ところが厄介なことに、道元自身の初期の著作の中には、悟りを開くことを促す表現が多くあり、そこに日本曹洞宗の中でも悟り体験を主張する江戸時代の天桂伝尊や現代の原田祖岳一門のような人々が出て来る。
この問題は、道元の言語表現の変遷という視点からのみではなく、相手に応じた説き方という観点からも考えるべきだろう。