十段 現成公案する
一節 うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、
鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。
しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみずそらをはなれず。
只、用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。
かくのごとくして、頭々に辺際をつくさずといふ事なく、
処々に踏翻せずといふことなしといへども、
鳥もしそら をいづればたちまちに死す、
魚もし水をいづればたちまちに死す。
二節 以水為命しりぬ べし、以空為命しりぬべし。
以鳥為命あり、以魚為命あり。
以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。
このほかさらに進歩あるべし。
修証あり、その寿者命者あること、かくのごとし。
三節 しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかむと擬する鳥魚あらむは、
水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。
このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。
このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。
このみち、このところ、大にあらず小にあらず、
自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、
いま現ずるにあらざるがゆへに、かくのごとくあるなり。
前段では、人が船にのって海を行く譬えが語られ、〈宮殿〉に関して魚にも触れられた。その響きが、この段の水を行く魚と重なり、また一節の〈水のきわなく〉、〈そらのきわなし〉は、前段の〈山徳海徳、おほくきわまりなく〉と呼応する。
二節には〈修証〉とあり、三節には〈行李〉とあるから、この段は、限りない法を、人がいかに修証するか、それが日常生活とどう関わるかを説いている。
七段は、さとりの正当恁麼時であったが、ここでは、修証して生きていく、つまり只管打坐を何十年も続けるそのことと、日常生活、理解や言語表現の関わりを問題としている。悟迹の長々出の問題である。魚行は、魚が行くということと、海において生きるということを同時に表し、打坐と日常生活を考えるのに相応しい譬えである。
〈うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし〉は、〈水清んで底に徹って、魚の行くこと遅々。空闊くして涯りなければ、鳥の飛ぶこと杳々なり〉《坐禅箴》 に由来するが、それは、看話禅の禅者たちから默照邪禅と批判された宏智が、坐禅病への処方籖として自らの坐禅観を呈示した「坐禅箴」の一節である。
そして、それを道元は自らの「坐禅箴」で、〈水清うして地に徹す、魚行いて魚に似たり、空広うして天に透る、鳥飛んで鳥の如し〉《坐禅箴》と言い直している。その意図するところは後に触れるが、この魚行が坐禅を示しているものであることは、〈坐禅の功徳、かの魚行のごとし〉《坐禅箴》からも明らかである。
(補論) したがって、ここの解釈は、坐禅や修証と無関係になされるわけにはいかない。つまり存在論的所与としての悟りである(本覚思想・仏性顕在論)とか、時空的存在をあらしめる超時空的定めである(超越論)とか、日常的現実を指す(実践論)とか、法の空間的な認識(認識論)とかいう解釈は成り立ちようもない。
続いて、〈しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず〉といわれる。水、空とは前の譬えからも、法を指す。法は「人々の分上にゆたかにそなわり」『弁道話』、「群生のとこしなへにこのなかに使用する」『弁道話』ものである。それはたしかにいつも人を離れてはないが、なおいまだ人間の六根(感覚・知覚)に汚されない地としての世界であり、そのかぎり人間はそれに全く無知であって、人のあり方・生き方となんらかかわらない。
〈むかしより〉というのは、人は本来悟っている、ということではなく、本来、法である世界に人が生まれてくるのである。生きている限り、この法の世界から迷い出ることはできない。死もそうである。
(補論)〈出生合道出なり、入死合道入なり〉《行仏威儀》といわれる通 りである。生まれ出るのは道に合して出るのであり、死に入るときも道に合して入るのである。それにもかかわらず、五官と人間的な判断にひきずられて、人は死ぬ ほど迷い苦しむ。ここで道といわれているものが万法であり、それは悟っても迷ってもいない。迷悟というのは人間がかかわるときに発生する。
ついで〈只〉と力が込められ、〈用大のときは、使大なり。要小のときは使小なり〉と展開される。〈用大〉とは大きく用いる、〈使大〉とは大きく使うということだが、法を人が用い使うというのはどのようなことか。人が法を求めるのは迷ではなかったか。
たしかに人が法を得ようとしたり、知ろうとしたり、覚ろうとしても、それはできない。しかし、「群生のとこしなへにこのなかに使用する」『辨道話』といわれるように、使用することはできるのだ。いや、実際はこれを使用せずには、私たちは一息も生きてはおれない。その法は、たとえば四大であったり、生老病死であったりする。空気は無限大にあるが、ジェット機を飛ばすというような用大の時は、空気を沢山使うから使大であり、私が呼吸するときは、要小だから使う空気の量 も使小である。同じように生の時は生を使い、滅のときは滅を使っているのである。
その様が〈頭々に辺際を尽くさずということなく、処々として踏飜 せずといふことなし〉といわれる。〈頭頭に〉とは、具体的な一つ一つに、ということである。〈辺際を尽くす〉という表現は、どうして際のない法を使うのに辺際を尽くすなどということがあるのかと、訝られるだろうが、打坐のところには尽虚空・遍法界が現成している。
人間の勝手な判断や見込みがないところでは、ものがこのようにあるというこの今は、どれをとっても、そこに尽十方界が関わっているのだ。だが、道元は、それを「命の織物」というような、べた一面 の縁起としては捉えず、ただ一つのものに収斂させる。たとえば、《梅花》巻では〈梅花、小許の功徳を、朔風に和合して雪となせり。はかりしりぬ 、風をひき雪をなし、歳を序あらしめ、および渓林・万物をあらしむる、みな梅花力なり〉といわれる。道元にとっては今見る梅を開かせる力が、万物のありようを、そうあらしめるのだ。
〈処処として〉とは、その場その場、どこででもということで、〈踏飜 する〉とは、先の梅花力の描写の通り、あらゆるものにいきいきと働くことである。
もちろん、万法という地おいて、はじめてそれらの働きも、人の行も成り立つ。その面 が〈鳥もしそらをいづればたちまちに死す・・・〉と示されている。もっとも、この〈死す〉は仮定の比喩であって、死も、実際はこの万法において成り立つ。また〈死す〉には「いのち」が暗示され、次の節の助走ともなっている。
二節ではじめて言及されるのは「いのち」ということである。いのちがこの段の主題であることは、最後の〈寿者命者〉にも示されている。その〈命〉とは、何を表すのであろうか。もちろん生死における生、すなわち私達が生きている、ということも含まれようが、さらにすすんで「さとりをかる」、あるいは只管打坐のところから生きるということを表わすだろう。なぜなら、九段およびここでは、水を「行く」という働きが着目されているが、それはすでに述べたように、狭義には打坐を指すが、さらに、そこから立ち上がって日常的に働くということがあり、それが仏道の「いのち」である。
次は、この〈命〉と、「〜によって」という意味の〈以〉、「〜とする」という意味の〈為〉が、人や箇箇の物を表す〈鳥・魚〉、法を表す〈空・水〉とともにさまざまに互換されて、言語の遊戯かとさえ思われる叙述となっている。
だが実は、ここに道元の思惟の根本形式ともいうべきものが、極限の形に凝縮されてあるのだ。万法の中のそれぞれの個物は、人に働きかけて、影響を与え、また人はその創造力などを箇々の物に及ぼしながら、瞬時瞬時変化している。〈尽十方といふは、物を逐うて己となし、己を逐うて物となすの無休なり〉《一カ明珠》といわれる通 りである。あるいは《都機》の巻で、雲が走り、月が走ると譬えられたことである。けっして人からの働きばかり、あるいは法からの働きばかりということはない。
一方で、〈わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし〉《有時》といわれ、他方で〈渓声山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道するなり〉《渓声山色》ともいわれる。そのような自覚的な万法と自己、主と客の働き合いが、法の如く生きていくということだろう。だから、そのことを自覚するため、ここで道元自身が展開しているように〈主より功夫し、賓より功夫す〉《諸悪莫作》ることが必要なのだ。主賓(主客)をはっきりさせるには、漢語体は便利である。
〈水を以って命と為す〉〈空を以って命と為す〉とは、水空なる万法の働きによって、自己がさとりとなり、あらゆるものが、本来的な姿にあらしめられることをいう。万法とは、たとえば私たち人間の感覚・認識を離れた山河大地である。そのことを道元は〈山河大地・日月星辰、かへりてわれらを修行せしむるなり〉《諸悪莫作》という。
〈鳥を以って命と為す〉〈魚を以って命と為す〉とは、人の打坐によって(魚行=行仏)、他の人や万法のさとりをあらしめる。〈如今の修行なる四大五蘊のちから、上項の四大五蘊を修行ならしむるなり。山河大地にても修行せしむる〉《諸悪莫作》という側面 である。「如今」は私たちの今であり、「上項の四大五蘊」は昔の人々である。私たちの打坐においてはじめて古仏たちや山河大地が、まことの古仏たちや山河大地になるともいえる。
〈命を以って鳥と為す〉〈命を以って魚と為す〉とは、〈而今の山水は古仏の道現成なり〉《山水経》といわれるように、諸仏の修証があるからこそ、その修証によって、今の人や山水もなりたつ。〈諸仏諸祖の行持によりてわれらが行持見成し、われらが大道通 達するなり〉《行持上》という側面である。
(補論) 従って人が先に悟るのでも、万物が先に悟るのでもない。また、《山水経》や《渓声山色》などによって、道元にアニミズムを読み取る人もいるが、あらゆる物に精霊があるとするアニミズムとは何の関係もない。それはおそらく「仏性」の誤解である。
このような道元の言説は、勝手な法螺話のようにも聞こえる。しかしながら、道元が見聞していた山河大地は、人跡未到の大地というより、長い長い年月、人と自然の働き合いの中にそのようにあらしめられてきたものである。ところが真実の修行がほとんどなくなり、多くの人々が欲望につき動かされて生きるようになったこの百年、道元が見た山河大地はもはや跡をとどめない。私たちの身体でさえ、人工的素材や添加物を取り込み、便利で快適な生活で甘やかされて育つから、肉体、気力、そして精力さえ、虚弱に、不調和になってしまった。人間の修証がない世界の、崩壊にさらされるほかない惨じめさに、私たちは直面 している。
〈このほかさらに進歩あるべし〉は、前段の〈のこれる海徳つくすべからざるなり〉と呼応して、さらなる言語表現や理解が要請されている。
(補論)さらなる言語表現の実例は、〈法説仏なり、法行仏なり、法証仏なり、仏説仏なり、仏行仏なり、仏作仏なり。かくのごとくなる、ともに行仏の威儀なり〉《行仏威儀》に聞くことができる。仏が法を説く、という常識に対し、玄沙は、法が仏を説く、と説破する。それに対して、仏が仏を説く、仏が仏を行ずる、という側面 もあると道元はいう。法に対して固定性、一面性に陥らないため、あちらからこちらから、あらゆる角度から参究せよ、と道元は叱咤するのである。また〈しるべし、汝得吾あるべし、吾得汝あるべし、得吾汝あるべし、得汝吾あるべし〉《葛藤》という具合に主賓が転換されたりもする。
もっとも、このようなさらなる「進歩」も、ただ言葉の展開だけで、我々の日常の生き方(行李)とかかわらなければ、やはり何の意味もない言葉の遊戯に過ぎなくなる。
〈修証あり〉とは、先に述べた〈以水為命〉などが、打坐として切り離すことのできない修証の時節のありさまを言ったものだからである。
〈その寿者命者あること、かくのごとし〉の〈寿者命者〉とは、インド外道の十六我見の中の「寿者見、命者見」に由来するという説があるが、ここでは、前後の文脈からして、そのような概念の一つではないだろう。法の如くありのままにある命を生きる者、そのような意味で〈ほとけのおんいのち〉《生死》を生きるがゆえ、「生老病死を離」(『永平広録』二九)れた、寿者、いのち長き者である。
三節の〈水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかむと擬する鳥魚〉は、二節で水と魚、鳥と空の不離がさまざまに展開されたのに対して、それを別 々に見て、水空のはてをまず知ろうとする誤りを指す。つまり、あたかも出るのは不可能な水の外に出て、外から水を対象的に見ようとするように、仏法の究極や全体像を知的に把握してから、そこにむかって修行しようとすることだ。
二段一節前半、五段一節、六段で指摘された錯迷が、身心を挙げての迷であったのに対し、ここでは、それらと密接にかかわりながらも言語表現や理解に力点がおかれている。法を見究めるということは、たとえば『大乗起信論』や天台教学の論理的営みでもあるが、なによりも道元の念頭にあったのは、宏智も批判した、語録や経の文句を詮索する公案の商量 、またそれによって一挙に法の全てを見究め得ると想定されている見性禅ではなかったろうか。
さて、〈みちをうべからず〉〈ところをうべからず〉の〈みち・ところ〉は、次段と合わせて四度づつ繰り返されるが、何を指しているのだろうか。
注意したいのは〈水にもそらにもみちをうべからず〉とあるように、水・空(法)はあっても〈みち・ところ〉を得ないことがあるということだ。〈みち・ところ〉は存在論的所与ではないことが、〈さきよりあるにあらず〉という表現で釘を打たれる。そこで翻って魚行の譬えをたどれば、おのずと「修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし」『弁道話』といわれた修行の〈みち〉、証の〈ところ〉と解されてくる。だが〈みち〉はなお、手段・方法・途上を含意していて、その先に目的、到達点が予想されがちである。それが直ちに〈このところ〉と念をおされ、今ここの場であることが示される。
〈このところをうれば〉とは、この打坐を行ずればとも言い得る。つづく〈この行李、したがいて現成公案す〉の〈行李〉とは、六段で見た通 り、日々践み行われる日常生活である。行李にしたがって、ではなく、「行李が、従いて」、すなわち日常生活が打坐に従って、現成公案する、ということだ。 〈現成公案〉という語は、巻名でありながら、ここに初めて語りだされている。ほとんどの注釈が冒頭から「現成公案」という語句を解釈するが、その意味は、ここからのみ解釈されねばならない。
〈したがいて〉が入ることによって、坐禅から一息遅れて日常生活が〈現成公案す〉るとは、「ただ坐上の修のみにあらず。空を打ちてひびきをなすこと、撞の前後に妙声綿々たるものなり。このきはのみにかぎらんや」『弁道話』といわれた、打坐の余韻、余薫ともいうべき行住坐臥のさまである。続いて〈行李、したがいて現成公案なり〉と、坐禅修行者の日常生活が、「現成公案」と名詞化される。坐禅に引き回される日常生活がまずは「現成公案」なのである。
(補論)馬祖系の禅は、坐禅よりももっぱら日常生活の場面 に力を注いだが、それは、一般人の日常、著衣喫飯がそのままで「現成公案」であるわけではまったくない。坐禅修行生活の一挙手一投足のみが「現成公案」でありうるのだ。そのことを示す上堂がある。
「あなた方はすべからくこの見成公案を弁肯するべきである。いったい何が見成公案なのか。つまり空間的には十方の諸仏、時間的には古今の諸祖がそうだ。この今現成している。あなた方、見えるかな。この今、簾を掲げ、簾を放ち、牀に上り牀を下りている、これがそうだ。格好の見成公案だが、あなた方はどうしてず理解しないのか、参じないのか。」(『永平広録』六十)
ここは現成公案ではなく見成公案であるが、それについて次段で触れる。
仏道を生きるというのは、自分の人生をやめにして、打坐とそこからでてくる日常生活を送ることであるにすぎない。だから道元は日常生活のあらゆるあり方を、すなわちどうトイレの用を済ますかを《洗浄》で、どう顔を洗うかを《洗面 》で、どう食事の支度をするかを『典座教訓』で、どう食事をして、後始末をするかを『赴粥飯法』で、どう目上の人に接するかを《陀羅尼》・『大対己法』で、どう仲間と共同生活を送るかを《安居》『衆寮箴規』『知事清規』で、どう衣服を作り、どう着るかを《伝衣》《袈裟功徳》で、どのように坐禅堂で坐禅するかを《坐禅箴》《坐禅儀》『辨道法』で、どう寝るかを『辨道法』で詳細に説いており、その日々の履み行いが修行者の内実とされたのである。
「公案」は、例えば『碧巌録』の百則のように、道元の当時の宋では、すでに古則公案として、悟りをあらわす禅の指標となっていた。それはいわば古い昔の書き付け、干涸びた「悟り」である。そしてその公案の商量 は、日常生活とは異なる特別な修行と見なされ、その言語化である頌や著語、評唱がなされた。だが、そのような言句の勘考から「さとり」への通 路はない。
したがって、道元がこのように「現成公案する」と始めて使ったことには、古則公案を用いて、「悟り」(見性)を得る手段とする見性禅へのアンテ・テーゼとともに、日常生活こそを大事にした唐代の祖師達への深い共感があったのだろう。
道元の「現成公案」という言葉には、参禅とは、古則公案としての「悟り」を知解することや、自分の「悟り体験」の言語化ではなく、只管打坐そのことであり、そこから出てくる日常生活だ、というメッセージが込められている。
(補論)もっとも道元は古則公案の商量 をまったく否定したわけではなく、それどころか、公案集である真字『正法眼蔵』を編集し、かな『正法眼蔵』でも、上堂でも、それを縦横に用いて自らの見解を表現している。それゆえ、看話禅と道元の禅の違いは、坐禅に重点を置くか、公案の理解や言語化に重点を置くかの違いであり、道元の独自性は公案を一つの目的のためにパターン化しないで、さまざまな解釈の可能性を示し、さらに公案の言句を語録から経典にまで広げたことにあろう。
ここで「公案」とは、打坐のところにいま成じているさとりである。 さらに《現成公案》巻で「現成公案」と使われてから十年後、《坐禅箴》では、現に打坐の処になりたっているさとりを指すのに、「公案現成」と順序を逆に使われる。〈学道の定まれる参究には坐禅弁道するなり。その傍様の宗旨は、作仏を求めざる行仏あり。行仏さらに作仏にあらざるがゆえに、公案現成なり〉。
天福本『普勧坐禅儀』にはないが、流布本には「いわゆる坐禅は、習禅にはあらず、ただこれ安楽の法門なり、菩提を究尽するの修証なり。公案現成、羅籠いまだ到らず」といわれる。羅とは魚を捕らえるもの、篭とは鳥を捕らえるもので、只管打坐とは、いまだ声色など六塵に捉えられないところ、声色の外の威儀としての「さとり」すなわち公案が、現に成じていることである。
「現成」は、初めての示衆《摩訶般 若波羅蜜》以来、道元がもっとも好んだ用語であり、道現成、有時現成、山現成などと使われる。そして今日では、「現成」は、今、現に成っているという趣きの現代語にさえなっている。しかし、元来はけっして現象していることを表現する用語だったのではなく、見性禅の「公案商量 」の批判を含むとともに、宏智の黙照禅の「知照」をも、微妙なところで修正する只管打坐の事態を表わす用語として選ばれたのである。
すなわち「現成」は、道元の「坐禅箴」で、〈不思量 にして現じ、不回互にして成ず〉と敷衍されている。道元が手本にした宏智の「坐禅箴」では、そこは「事を触せずして知り、縁に対せずして照らす」とある。「知る」はそのあとに「かって分別 の思なし」と添えてあっても、なお知るという自己を運ぶ響きが残る。
「照らす」も、「縁に対せずして」と対象性の否定が明言されてはいても、まだ自分が照らすという主体性がつきまとう。その「知・照」を、道元は「現・成」と言い直したのである。
〈現〉について、道元ははっきり〈不思量 にして現ず〉と言い留めている。人間の思量や知見に未だ影響されない風光である。自己の働き以前の感覚意識の手放しが、〈その現、自ら親なり。かって染汚なし〉と、感覚・言葉の汚れに染まらないところとして示されている。
〈成〉は、〈その成、自ら証なり。かって正偏なし〉と、敷衍される。正偏とは、曹山の正偏五位 のことで、ともすれば悟りの段階と誤解されるから、臨済の四料簡などとともに、道元が忌み嫌ったことである。打坐における証は、さとりの段階的境地などではなく、平等に成じているさとりである。
宏智の「坐禅箴」は、「魚行いて遅々たり、・・・鳥飛んで杳々たり」で終わる。「遅々、杳々」は、機鋒峻烈な見性禅に対し、鈍な趣きのある默照を肯定的に形容するものだろう。それを道元は《坐禅箴》で、〈魚行いて魚に似たり、・・・鳥飛んで鳥の如し〉と変えた。それは坐禅のところから、人は法に叶って生きることができる。その如法が、〈似たり、如し〉である。「似たり」は、人が仏に似るのではない。〈鳥飛んで鳥の如し〉といわれるように、もともとそうである自分が、その本来の自分になるのである。
〈このみち、このところ〉は、いま修証せられている打坐のここであり、〈大にあらず小にあらず〉とは、一人の打坐に現成している世界は、一時でも尽有尽界であり、大小を超える。言語表出が大小さまざまであるのとは対称的である。〈自にあらず他にあらず〉とは、打坐の而今は自他が脱落しているからである。
〈さきよりあるにあらず〉は、禅宗でもっとも間違いやすい、仏性や本覚がもともと人間に具わっており、それに目覚めることが悟りだいう考えを批判している。〈いま現ずるにあらざる〉は、意外な感じがする。さとりは、修証するその都度新たに現ずるのではなかったのか。いや、違う。水を離れて魚はないように、私たちは実は法の中に生きているのであって、ただその中を行くことが欠けているのだ。月はいつも照らしているのだから、こちらの水さえ澄めばいいのであって、今、初めて光が現れるのではない。そういう意味で、いま現ずるのでない。
〈ゆへにかくのごとくあるなり〉とは、だから、このように魚行、すなわちいまここの打坐という修証があるのだと、示される。
以上、この段は打坐において成り立つ公案現成が、日常生活にも持続されることが、「現成公案する」と示されたのである。
ところで、〈以水為命〉、というが、本当に私たちの現在の状況はそうだろうか。実は法を以て生命とするどころではない。自明のはずの文字どおりの〈以水為命〉〈以空為命〉が、脅かされてきている。水・空は人間の飽くことない欲望追求の為に汚染され、その結果 、〈以水為命〉の魚たちは、いくつかの湖で全滅し、「大海死屍を宿さず」といわれる大海が、アザラシや魚・海鳥の屍を出している。〈以空為命〉の鳥たちは、メキシコではスモッグのため、空から墜ちてくることさえある。
道元にとって月・魚・鳥・山はたんなる譬えではなく、彼がそこで日々見聞きしている翠深い樹々であり、さえずる鳥であり、川であり、そこの魚であり、昇る月である。だから道元は上堂しない時、「代わって、仏殿・僧堂・渓水・松竹ありて、毎毎喃喃、諸人のために説き了りぬ 」(『永平広録』四九)と言い得た。
だが私たちが今、山水に見るのは、赤肌をさらす瀕死の姿であり、聞くのは、滅びいく生類の悲鳴である。これは自然現象ではない。私たちが日々に営んでいる便利で快適な日常生活以外に、地球を滅ぼしているものは、何もない。人間の迷妄とそれに基づく日常生活だけが地球と生態系の危機の原因である。
道元は打坐においてのみ、公案現成し、そこから日常の浄められた生き方が開かれるという。そうであれば、只管打坐することが、いま切実に要請されているのではなかろうか。