八段 さとりをうる
一節 人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。
ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、
全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。
二節 さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。
人のさとりをけい礙せざること、滴露の天月をけい礙せざるがごとし。
三節 ふかきことはたかき分量なるべし。
時節の長短は、大水小水を檢点し、天月の広狭を辨取すべし。
〈人のさとりをうる〉と静かに説き出された事態は、すでに二、三、四段で聞き得たように、人が主語ではあっても、その「人」は悟りを獲得し、所有するような主体ではありえない。〈水に月のやどるが如し〉は、人と法がどこまでも隔絶しながら、しかも冥合しているありさまが、絶妙に言いとめられている。法である月がみづから光りを放つのであり、人である水は、ただそれを映して照らされてある。月を映すと喩えられていることが、さとりである。あるいは二段で見たように「さとりをかる」《大悟》とも言われる。とはいえ、月は常に照らしているにもかかわらず、その月が宿るか宿らないかは、ただ水のありかた如何にかかっている、ということが、この行間から窺われる。
つまり四段で見定められたような、打坐の工夫という自己の在り方において、はじめて〈さとりをうる〉という事態が成り立つ。その様は「坐禅功夫の意を詠ず」と題する道元の歌に次のように詠われている。 「しずかなる心の中に栖む月は 波もくだけて光とぞなる」
心が静かに澄まないでは、ただ坐禅のかたちだけ保っていても、さとりは得られず、仏とは言えない。心を静め、龍が蟠るように結跏趺坐してはじめてさとりであり、〈人間の皮肉骨髄を結跏して、三昧中王三昧に結跏するなり。・・・これ衆生成仏の正当恁麼時なり〉《三昧王三昧》といわれる。このようにして衆生は成仏するのである。
〈月ぬれず〉とは、二節の〈人のさとりをケイ礙せざること、滴露の天月をケイ礙ざるがごとし〉と対応している。一滴の露に月が映ったからといって、天上の月が濡れるわけでないのと同様に、人の功夫いかんによって〈さとりをうる〉のではあるが、だからといって人がさとりをさまたげたり、人の努力によって悟りが深まったり変化するものではないことを表している。
(補論) それでは、『辨道話』で賛歎された一人一時の坐禅で草木土地、牆壁瓦礫尽十方界、三途六道の群類が光明を放つとはどういうことか、との疑問もあろう。たしかに坐禅に対する信を得させるために書かれた『辨道話』は、覚知に知られるはずのない仏の荘厳のありさまを華厳的な重重無尽の照らし合いとして詩的に描いて、『正法眼蔵』の説示とは必ずしも一致しない。敢えて言うなら、「自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさず、一相をやぶらず、広大の仏事、甚深微妙の仏化をなす」『辨道話』という「一塵をうごかさず、一相をやぶらず」が〈月ぬ れず〉に対応するといおうか。だが、そんな無理をしなくても、逆に人が迷う時を考えればすぐ分かる。迷う人類は、さまざまに世界を破壊している。その人間の活動が鎮まることで、結果 的に世界の破壊は変わる。変わったところこそ、実は法自体のありのままである。
〈水やぶれず〉とは、二節で〈さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし〉といわれるように、月が映っても水に穴があいたり変化したりしないように、さとりが得られることによって、たとえば見性禅でいわれているような打破漆桶底とか噴地、霹靂と形容されるような人間性の底を突破し、超越して特別 な「仏」になるのではないことを示している。唐代の禅師たちは、特殊体験ではないことを「無事」とか「平常心」と示す。それにもかかわらず私たちは、悟りとは、なにかソツ啄同時のきっかけによって、からりと一切が明瞭になるような体験、あるいは感覚的に実存転換する体験のように思いがちだ。
しかし、月とそれを映す水のように、人と法は、直接には干渉し合わない。二段で〈自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず〉といわれたことが思い合わされる。具体的にいえば、人が身も世もないほど悩み苦しんでいても、坐禅すれば、なんともないままの存在に落ち着くことができる。だが、それは坐禅において、仏法が人に影響を与えたわけではなく、ただその人のありのままのところへ、着地しただけである。
(補論) このようなさとりにおける人と法の隔絶を《唯仏与仏》は端的にこういう。〈仏法は、人の知るべきにはあらず。この故に昔しより、凡夫として仏法を悟るなし、二乗として仏法をきはむるなし、独り、仏にさとらるる故に、唯仏与仏、乃能究尽と云ふ。〉 仏法を人が悟れず、知ることができないならば、いったい経典・論書・語録、ひいてはこの『正法眼蔵』などの言葉は何の用があるのか。そこに、三節が説かれねばならない必然があるが、具体的に不覚不知の事態を伝えうるような言語表現がいかにして可能なのかということは、次段で詳しく展開される。
〈ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる〉は、喩えとしては明瞭だ。月は海にもたった一つ全月が映るが、バケツの水、一滴の水、草の露にも、まったく同じ月が平等に映る。それと同様に、打坐が只管に行じられる時、どんな人にもまったく平等な法が証され、〈さとりをうる〉ことができる。無上等正覚というのは、無上の、誰にでも平等なさとりだ。このように譬えられたさとりに、浅深などあろうはずもない。このことは、原始仏典で果 (証)の境位の段階とされている四禅、阿羅漢、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗などを、道元はまったく等しく究竟位 としている(《阿羅漢》、《仏教》)ことからも明らかである。
三節は〈ふかきことはたかき分量なるべし〉で始まる。〈ふかきこと〉とは、水が入っている器の大きさによる深さであろう。〈たかき分量 なるべし〉とは、映っている月の高さである。これはコップとバケツくらいでは大差ないが、たとえば広い海や湖の水月は、大部分に偏き天空(弥天)が映っており、そこに月が銀波を長くたなびかせて映じている。その空と銀波が、いかにも月が高いことを知らしめる。
一方、露に宿る月は、露全体が月の光りとなり、月の高さを感じ取ることができない。先に水に月が映るということにおいては平等であったのに、これはいったい何が違うのか。「悟りの深さ」が違う、とはいえない。さとりはすでに見たように、個人が獲得するものではないし、不覚不知の事柄であるし、如来の悟りとして平等だからだ。もう少し先を見てみよう。 続いて〈時節の長短は、大水小水を檢点し、天月の広狭を辨取すべし〉とある。
〈大水小水の検点〉とは、二個以上のものを比べて調べるというニュアンスがあり、水とは、前に見たように打坐の人である。だが大水小水として打坐のひとりひとりを比べるとはどういうことだろうか。また〈天月の広狭を弁取す〉るとは、どういうことだろう。月である法は直接知ることができないから、〈天月〉を天の月と取ると、それを人が弁取することになり具合が悪い。弁じるというのは、思惟に基づく言語表現であろうからだ。さらに天の月はいつも一つであり、広狭を比べることはできない。すると天月とは水に映った天の月ということになる。それは何を指すのだろう。そのヒントは最初の〈時節の長短〉にある。
〈時節の長短〉とは、修行の年月の長さであろう。坐禅工夫し参師聞法するのは、一章で見たように、先ずは承当するためである。その承当に相当な時を要するのは、道元自身や懷弉を例にとっても明らかである。その年月がなければ打坐が身につかないからだ。そして承当はそれで終わりではなく、さらにその承当を言語化、つまり道得していかねばならない。それは、二十年、あるいは三十年の坐禅の功夫を要することである。長い修行の年月を示した道元の言葉は、次に挙げるように枚挙にいとまがない。
〈江西馬祖の坐禅することは二十年なり。〉《行持上》 〈洞山いはく、われ欲打成一片坐禅辨道、已二十年なり。〉《行持上》 〈知るべし、一頭の水こ牛は二十年在爲山の行持より牧得せり。〉《行持上》 〈南泉の道を学得する功夫、すなわち二十年なり。〉《行持上》 〈霊雲志勤師は三十年の弁道なり。〉《渓声山色》 〈長慶の慧稜和尚は・・・専一に功夫す。師の行持は三十年なり。〉《行持下》 〈(趙州真際大師は)弁道功夫すること三十年なり。〉《柏樹子》 〈(円智大安和尚の)仏祖の会下に功夫なる三十来年は喫飯なり。〉《家常》
(補論) 曹洞宗でよくいうように、修証一如だから坐禅すれば仏である、一時でも坐りさえすればよい、というのは、非常に危険を孕む言い方である。それで事畢れりという見解に対して、道元は〈近年おろかなる杜撰いはく、工夫坐禅は胸襟無事なることを得了れば、便ち是平穏地なり。この見解、なほ小乗の学者におよばず、人天乗より劣なり。いかでか学仏法の漢といはむ〉《坐禅箴》と激しい言葉で難じている。坐禅という修が、ただちに証であれば、打坐の功夫など、およそ不要になり、まさに胸襟無事ということになるのではないだろうか。
一生叢林で坐禅しても、打坐の功夫がなければだめなのだということを、道元は、〈あはれむべし、十方の叢林に経歴して一生を過ごすといへども、一坐の功夫あらざることを〉《坐禅箴》と慨嘆している。彼らには、出身の活路が欠けている。すなわち仏から出て日常世界の言語や生活を仏の働きとすることが欠けているのだ。承当や道得がなければ默照邪禅となって、老荘の坐忘や心斎あるいはカトリックの黙想と区別 がなくなる。
その年月をかけてなされるべきことが、承当した者のさらなる道得であることは、次の言葉から疑いない。 〈佛祖の佛祖を功夫して、佛祖の道得を辨肯するとき、この道得おのづから三年八年三十年四十年の功夫となりて、盡力道得するなり。〉《道得》
以上のような分析から水に映った天月とは、諸仏祖のさとりの言い表わしであるといえよう。具体的には釈迦や祖師の道得である経典、語録である。すると〈大水小水を檢点し、天月の広狭を辨取すべし〉というのは、経典・語録の言句を吟味し、その意味や是不是を論ずることである。なぜならそのようにして、はじめて自分の水月である道得の広狭深浅も自覚できるからである。実はそういうことが、元来は修行者同士の対話、禅問答であったのだ。
そのことは、道元自身が、宋で承当してから、帰朝して入滅するまで、何をなしたかを考えれば、自ずから分かる。すなわち道元の主たる仕事は只管打坐と同時に『正法眼蔵』示衆や上堂である。それはまさに諸仏祖の言句の点検、弁取であるから、臨済や徳山が言い足りないと批判されたり、趙州がほめられていたりもする。弁取は、必ずしも善し悪し、是非を言うためではない。〈人根に多般 あり・・・これらの数般、ひとつを利としふたつを鈍と認ぜざるなり。多般ともに多般 の功業を現成するなり〉《大悟》といわれるように、様々な角度からの参究が必要であり、その参究が道取となるのである。
しかしながら、疑問はなお残る。「さとり」という不覚不知のものを、どうして人は道得し、弁取できるのか。この間を繋ぐものこそ、打坐の工夫であり、それはとりもなおさず非思量 という思量である。なぜなら只管打坐は明々たる意識の開けであり、分別ではない幽邃な思惟の働きでもある。
坐禅と思惟の関係は、《坐禅箴》で次のように挙されている。 〈まことに不思量底たとひふるくとも、さらにこれ如何思量なり。兀兀地に思量なからんや。兀兀地の向上なにによりてか通 ぜざる。賎近の愚にあらずは、兀兀地を問著する力量あるべし、思量あるべし〉
まさに兀兀地である只管打坐を思量せよといわれている。換言すれば「さとり」を思量 せよ、ということである。覚知でない「さとり」と言語表現を関係させるものは、只管打坐にある思量 である。《坐禅箴》の冒頭には薬山の問答、〈箇の不思量底を思量せよ。僧曰く、不思量 底、如何が思量せん。師曰く、非思量〉がある。つまり只管打坐ではまったく考えや意識がないわけではないが、けっして何かを考え、意識するわけではない。いわば明晰な精神そのものの働きだ。
例えば只管打坐しているとき、何かを聞いているわけではない。だが、何も聞いていないのではない。聴覚が外界にただ開かれてある。もし、坐禅中に何を聞きましたか、といわれて答えられたら、それを聞いていたのであって、只管打坐していたのではない。逆に坐禅中なにも聞こえなかったら、居眠りかなにかをしていたのであり、只管打坐していたわけではない。〈目をかろくすることなかれ、目をおもくすることなかれ。耳をかろくすることなかれ、耳をおもくすることなかれ。耳目をして聡明ならしむべし〉《坐禅箴》とはこのことである。それが〈これ正思量 正思惟なり、破蒲団、これ正思惟なり〉《坐禅箴》といわれることである。
あるいは如浄の風鈴の頌で〈東西南北の風を問わず、一等他の為に般 若を談ず〉《摩訶般若波羅蜜》といわれるような、あらゆることに自在に反応しながら、自らは動かされず定まっているような意識のあり方であり、「東西の風に東西する」といわれるような周りに引きづられて右往左往して馳走するのとは、対照的なあり方だ。そこに慣れで見聞分別 していたのとは違った、世界の現れが生まれるのは当然であり、それは言語化することが可能なのだ。対象的な思量 ではない思量の要請こそ、道元の「さとり」の特筆すべき特徴である。それによって〈兀兀地の向上〉とか、仏向上事といわれる事態が開けるが、そのことは十段で展開される。
(補論) 以上のことを《唯仏与仏》巻はこう示す。 〈仏のいくよよにおこなひすぎにけるよとおもはれ、ちひさき仏、おほきなる仏、かずにもれぬ るかずながらしるなり。仏にあらざるをりは、いかにもしらざることなり。いかにしらざるぞと云ふ人もありぬ べし。仏のまなこにてそのあとをみるべきがゆゑに、仏にあらぬは、仏のまなこをそなへず、仏のものかぞふるかずなり。しらねばすべて仏のみちのあとをばたどりぬ べし。このあと、もしめにみえば仏にてあるやらんとあしのあとをもたくらぶべし。たくらぶるところに仏のあともしられ、仏のあとの長短も浅深もしられ、わがあとのあきらめらるることは、仏のあとをはかるよりうるなり。このあとをうるを、仏法とはいふなるべし。〉
「小さい仏、大きな仏」は〈大水小水〉であろうし、「仏の跡の長短・浅深」は〈天月の広狭〉である。「仏ではない折は、いかにも知らないことである」は承当のないところには、道得もないということと応ずる。「もし目に見えれば」とは〈わが参学眼力のおよぶところ〉であり、「足の跡をも比べるべきである」とは〈檢点し、辨取すべし〉に一致する。そのように仏祖の言句によって自らの道得がなることが、「仏の跡の長短も浅深も知られ、自分の跡が明らかになる事は、仏の跡を量 ることで得られるのだ」といわれる。「跡を得る」のが道得で、それが仏法といわれることに注目したい。ただ打坐するだけでは、いまだ仏法ではないのだ。
代々の仏が、行じており、その様に大仏、小仏があることを、自分はものの数ではなくても知る。知ることができるのは自分も仏だからであり、そうでなければその仏の跡をくらべることができない。量 り比べられる仏の跡とは、仏祖の言句である。
したがって、〈仏祖の光明に照臨せらるるといふは、この坐禅を功夫参究するなり〉《光明》という参究には、二重の意味が込められる。非思量 と、それと不離である仏祖の言句の思量である。仏祖の言句はさとりを説いたもので、それは「さとり」そのものではない。第一義諦・正法眼蔵涅槃妙心ではなく、言説諦(世諦)である。しかし、これも水に映された月として、間違いなく月ではある。第一義諦は世諦(言説諦)を離れてはないのだから、諦(satya=真理)として、一応の真理なのである。つまり言語表現されたものも、やはり仏法、悟りではあるが、これには人によって浅深、広狭のバラエティがある。
見性禅では、人が法を悟ると考えられ、したがって、得悟の境地をどう表現するかを問題とする。だから表現されたもの、人に属するものが悟りの内実であるかのように看做され、悟りの境地に浅深の段階を認め、それを上り詰めた悟りの完成がある。だが、道元においては、どんな言語表現も、大小浅深はあっても、けっして完全な悟りへ向かっての段階ではない。「さとり」は平等に現じるのであり、ただ道取会取に差があるにすぎない。
(補論) しかしながら、〈天月の広狭〉、すなわち祖師たちの道取に浅深があるとすれば、それは《葛藤》で示される次のような、さとりに浅深がないという教えと齟齬するのではないかとも考えられる。
〈いま参学すべし、初祖道の如得吾皮肉骨随は祖道なり、門人四員、ともに得処あり、聞著あり、その聞著ならびに得処ともに跳出身心の皮肉骨随なり、脱落身心の皮肉骨随なり。知見解会の一著子をもて祖師を見聞すべきにあらざるなり。能所、彼此の十現成にあらず。しかあるを、正伝なきともがらおもはく、四子おのおの所解に親疎あるによりて、祖道また皮肉骨随の浅深不同なり。皮肉は骨随よりも疎なりとおもひ、二祖の見解すぐれたるによりて得髄の印をえたりといふ。かくのごとくいふいひは、いまだかって仏祖の参学なく、祖道の正伝あらざるなり。しるべし、祖道の皮肉骨随は浅深にあらざるなり。たとひ見解に殊劣ありとも、祖道は得吾なるのみなり。〉
これは達摩の四人の弟子が、それぞれ見解を呈し、二祖恵可のみが黙って三拜して立ったので、彼だけが仏心印を伝えられた、と一般 に理解されている『景徳伝灯録』の話をめぐっている。この道元の主張は従来は、悟りに浅深はなく、四員みなが同じく悟りを得た、とだけ理解されてきた。だが、少し厳密に読んでみよう。〈聞著ならびに得処ともに跳出身心の皮肉骨随なり、脱落身心の皮肉骨随なり〉とは、四人が達摩の指示を聞いて得たところが、会得とか体験とかとは無縁な身心脱落であり、只管打坐において成り立っている「さとり」であることを示す。だから達摩の言葉〈祖道〉である「皮肉骨随」は、四員平等のその「さとり」を認めたものである。すでに何度も述べたように、この「さとり」に浅深はない。要するに道元は、ただ、祖道の「皮肉骨随」が浅深不同を表わすという一般 的見解に対して批判しているのみで、四員の見解に浅深があるという点は、〈見解に殊劣あり〉と確かに認めているのである。
四人の見解に浅深がないと道元の言葉を誤解するのは、さとりと道取を同じ「悟り」だと思うところからくる。さとりはひとつであり、平等だが、道取・見取には浅深・殊劣があるということだ。さとりは言詮不能の所であり、いっぽう見解は道取であり、言説に属する。とはいえ二祖は黙っていたので、言説ではないとも思われようが、沈黙も言わないという一種の言説である。もっとも後には、言葉で悟りの浅深をいう見性禅的人々に対して黙照禅的あり方を評価する場合もあり、こういわれている。〈しかあれば、三拜依位 而立の道得底、いかにしてか皮肉骨髄のやからの道得底とひとしからん。皮肉骨髄のやからの道得底、さらに三拜依位 而立の道得に接するにあらず、そなはれるにあらず。〉《道得》 ここで「皮肉骨髄の輩」といわれているのは、言葉の内容にとらわれて四員の悟りに浅深をつける人々であり、「三拜依位 而立」とは、この場合は、身心脱落のさとりというよりは、言語で表現することに対する言詮不能の提示であって、《葛藤》とはニュアンスが違う。
ここがあやまって悟りの浅深と誤解されないよう、この事態によりふさわしい譬えが次の九段、十段でさらに展開される。