七段 生死の転
一節 たき木はいとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。
しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。
しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。
灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。
二節 かのたき木、はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、
人のしぬるのち、さらに生とならず。
しかあるを、生の死になるといはざるは仏法のさだまれるならひなり。このゆへに不生といふ。
死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅といふ。
三節 生も一時のくらゐなり。死も一時のくらゐなり。
たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏になるといはぬ なり。
この段は、初段Aで〈生あり、死あり〉といわれたことの敷衍であり、また初段Bの〈生なく、滅なし〉、Cの〈生滅あり〉と関わってくる仏道の根本問題、生死の問いである。この問いに対して、道元は《生死》という一巻を残している。 ここはその巻で補って考えたい。
さて、薪が灰になる譬えであるが、それは人の生死を端的に喩えていよう。昔、火葬は一般 的ではなかったにしろ、仏教に伴って入ってきたインド式葬法として、中国でも日本でも、道元は火葬を目撃したに違いない。白赤の二滴により四大和合して成った身が、火に焼かれて灰になる、人生とはそれだけのことか。あるいはまた、死んで生まれ変わり、再びこのような生を繰り返すのか。いずれにせよ、それでは苦しみ多い人生は虚しい。そういう荼毘を目の前にしての省察が、生死の譬に薪と灰を用いることになったのだろう。
一節では、まず、薪は灰となって、ふたたび薪となることはないという事実を挙げる。なぜ、このようなだれも反論の余地のない事実を、ことさら最初に挙げたのか。それは仏教の通 理と根強く思われている輪廻転生を説破するためにほかなるまい。仏教の常識は、輪廻転生を前提したうえで、修行に努めて悟りを得、その生死の繰り返しからの超越・脱却をはかることとする。 あるいは、同じ前提から、このたびの生を厭い、浄土への往生を願う思想も生まれる。だが、これも、ここで滅してかしこに生ずるという別 種の〈生滅あり〉で、よい所に往生したいという人間の欲求の充足であり、どちらも〈自己を運ぶ〉ありかたで、大迷なのだ。
私たちも生死の問いを、たいていは「どこから来て、どこへ行くのか」と問う。それは、六段で指摘されたとおり、無意識的に、生まれて老い、死んでも変わらない「私」というものと、その「私」が経過していく直線的な時間を前提した上での問いである。
とはいえ、生死を貫く「私」がなかったら、生死とはいったい何であろうか。 道元は続いて、〈灰はのち、薪はさきと見取すべからず〉と、薪が先にあり、それが燃えた後に灰になるという当たり前の常識を否定している。続いて〈しるべし〉と断言的に始められるのは、二節の〈仏法のさだまれるならひなり〉、〈法輪のさだまれる仏転なり〉と響き合う。
その仏の説く法とは、まず〈薪は薪の法位に住して〉である。
ここで薪が〈法位に住する〉という〈法位〉とは、〈而今の山水は古仏の道現成なり。ともに法位 に住して究尽の功徳を成ぜり〉《山水経》といわれるように、仏道の成就として絶対的なものであり、けっして他のものとの仮の因縁和合ではないことを示す。また薪は、ある物(本体)が薪から灰になっていく仮の姿(現象)ではない。その時その時に、それだけで完結する物物なのだ。だが、薪という不変なもの(実体)があるということでもない。もし、不変であれば、灰の時に、薪はどこへいったのか。
(補論)ところで、なぜ山や薪に道現成という言葉を使うかといえば、そのような薪や山水は、私達が見たり、用いたり、知っている薪や山水ではないからだ。あらゆる人間の見方が脱落したところにおのずから現じている事態である。これは山や薪は、すでに成仏しているというアニミズム的見方とは無縁である。見る人間を離れて「山」はない。そこにあるものは、蟻にしてみれば、巨大な土の堆積であるし、蟻は山の全貌など永久に知ることができないから、山を平地と区別 することは不可能で、そういう意味で蟻に山はない、といえる。人間にだけ「山」という人間の選択的視覚と分別 に合致する何かがあるので、人間にだけその脱落、すなわち道現成としての「やま」が存在する。換言すれば人にだけ迷いがあるから、人にだけさとりもあるのだ。
さて、薪は〈法位に住してさきありのちあり、前後ありといへども前後際断せり〉といわれている。「前後際、断ぜり」では、前際・後際という時の断絶だけをいうことになるが、そうではなく、「前後、際断せり」である。それは道元の時把握が、《有時》で〈時すでにこれ有なり、有はみな時なり〉と示されるように、時だけで存在するのではなく、むしろあらゆる物やあり方によって満たされている「而今(この今)」だからである。
時と無関係でそれだけで存在するようなもの(=存在物)や、ものと無関係でそれだけで存在するような「時」はない。これは、存在とはあるものの、時間の直線上を変化していく持続だという四次元的な考え方の否定である。
道元の視座からは、時は〈正当恁麼時のみなるがゆえに、有時みな尽時なり、有草・有象ともに時なり。時時の時に尽有・尽界あるなり〉《有時》といわれるように、常にこの今であり、この今には尽十方界が伴い、この今に過去.現在・未来を含む。
(補論)これは、有るのは今ぎり、という刹那主義とは違う。むしろこの私において尽有尽界と共に無数の「今ぎり」があるのだ。一方刹那主義の有は、自分の存在だけである。刹那主義とは、頑迷に自我のみに立脚しており、岸が移ると誤るように、まさに今の自分だけを根拠にして、世界と時間が瞬時に飛び去ると錯覚することである。だから刹那主義者の現実とは、刹那に己を無にし得るという根源的虚無、〈万法ともにわれにあらざる〉という意識と結びついており、そこには時の消費だけがあり、尽界尽有という時の充溢はない。そして自らの死という未来の影に刹那が侵食されている。だから刹那主義は楽観的な見方ではなく、自らにとっても絶望的な見方なのである。
この今である時は、〈尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり〉《有時》と道元はいう。この「つらなりながら時時」ということを別 の言葉で置き換えたのが、〈前後ありといへども前後際断せり〉である。つらなりながらの時時といっても、住法位 といっても、一つの有時の、時の側面と有の側面の言い表わしである。
〈前後あり〉といえば、連続していると思われるが、「前後、際断せり」と付け加えられることによって、非連続であることがわかる。つまり映画のフィルムの一コマ一コマのようなもので、それが回っている時、連続しているように映るが、実は断絶しているのだ。フィルムと異なるのは、一コマが限定された領域ではなく、無限大で尽有尽界という点である。しかし、だからといって、フィルムのように長く連なった「有時」が、どこかにあるわけではない。〈古今の時、かさなれるにあらず、ならびつもれるにあらざれども〉《有時》といわれる通 りである。
ただ「有時」ととらえるその場は、只管打坐における仏の「われ」なのだ。この言説の根底に〈われを排列して、われこれをみるなり。自己の時なる道理、それかくのごとし〉《有時》といわれる、われのあり方がある。これは刹那主義の、感覚的対象に自己を振り回されるあり方とは反対に、われの自覚において全感覚を統御するあり方なのだ。「この今」もこの「われ」があってはじめて有る。〈昔日曾此去(昔日は曾て此こより去る)にして而今従此来(而今は此より来たる)なり〉《一カ明珠》。
もちろん、道元は、薪についての持論を展開しているのではない。これは二節の〈ごとく〉で生死につなげられているように、どこまでも私たちの生死の問題である。すなわち私たちが人生を生きていくとき、なにか生前も死後も通 じて変わらない「私」があると思うことの否定であり、過去から未来にずっと続くと想定されている直線的時間の否定である。
ここで続いて〈灰は灰の法位にありて、のちありさきあり〉といわれることが重要だ。薪の方が大事なわけではない。薪も灰も同じく住法位 である。生も死も同じく住法位である。この薪灰の譬えに導かれて、いよいよ二節、生死の問題に入る。
最初の〈かのたき木、はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬ るのち、さらに生とならず〉は、すでに論じたように輪廻転生、あるいは往生思想の否定である。これは私たちには当然のことではあるが、当時は革命的な思想であったろう。
続く〈しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり〉は、薪のところで見た有時の把握からは、すなおに頷かれる。このことを懇切に言い直したものが、次の《生死》巻の言葉である。
〈生より死にうつると心うるは、これあやまり也、生はひとときのくらゐにて、又さき あり、のちあり。故に、仏法の中には、生すなはち不生といふ。〉
この最後の〈生すなはち不生〉は、ここ七段二節の〈このゆへに不生といふ〉と全く同じである。しかしながら生は死にならないから不生であるとは、いかにも強弁である。続く〈死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅といふ〉も、論理としては、もはや牽強附会というほかない。常識ではそれとは反対に、死が生になるならば、転生であれ、復活であれ、生天であれ、往生であれ、それを不滅であるという。ところが道元は、死が生にならないから不滅だという。それは、およそ論理としては通 じない。だからこそ、ことさらに仏法の定め、法輪の仏転といわねばならない必要がある。
(補論) 注意するべきことは、道元は不生不滅ということを無自性・空からは決して説いていないということである。無自性・空には、その裏に因縁仮和合の論理がある。例えば、私が今生きているのは、たまたま諸元素がこのように肉体に形作られ、空気の出入りとそれによるエネルギーで一瞬一瞬、生を保持している(風火未散)のであり、刻々変化しているのだと。死とは、ただそれが保たれず、散開するだけで本質は何も変わらないと。これを現代的にいえば、質量 恒存の法則であり、生きても死んでも、エネルギーであれ元素であれ、究極的には何も生じないし、何も滅さないということになる。
また原始仏典の縁起説は、無明によって行があり、乃至、生があって老死があるという順観(苦の原因)と無明を止滅することによって行の止滅があり、乃至生の止滅があり、老死の止滅があるという逆観(苦の滅)として説かれたものである。だからその縁起に基づく生死の滅は、如浄の指示した五欲五蓋や無明を除くという身心脱落の説明とは結びつく。しかし、道元はそのような説き方を採らなかった。
道元が生は不生、死は不滅といっている内実を、別な表現でいえば〈生は全機現なり、死は全機現なり〉《全機》であろう。〈生は全機現〉とは、〈一時一法としても、生にともならざることなし。一時一心としても生にともならざることなし〉《全機》と示されるように、あるのはこの今の生ぎりであり、そこにすべてが随伴しているということなのだ。このように生滅の生という相対的な生ではないという意味で、〈生は全機現〉と〈不生〉は同義語なのだ。
こういえば、ディオゲネス風に生の時はまだ死んでいない、死の時はもう生きていない、だから死を思い煩う必要はないということか、と誤解されそうだが、ディオゲネスは生きることだけを重視して、その生だけを論理的に考えているのに対し、道元は生死を切り離せない一つの問題と受け止めている。生死の無常が切実にあるから、一定の継続した長さとしての生など考えないのである。今日の私たちは、八十歳の寿命を予想して人生設計をするのを当たり前と思うが、そのような気楽な人生観を持つのは、ごく最近のことである。明日死ぬ かもしれない、という危機の時を生きる人々は、つい、このはかない生の外に永遠の生を憧憬してしまう。
だが、道元は、浄土思想であれ、坐禅によってであれ、この現にある生死を超える、という解脱観、救済観を次のように徹底的に批判する。 〈もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱のみちをうしなへり。〉《生死》
道元は刹那消滅の無常を、そのままに、前後際断する全機現へと転ずるのだ。 だが具体的な生死において、どうすれば生死が全機現となるのか。道元は〈ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきものなし。このとき、はじめて生死をはなるる分あり〉《生死》と説きはする。
とはいえ、これも「涅槃として願うものはない」ということが、ほんとうに頷かれるのは、懐奘の例からしても非常に難しい。一歩誤れば、生死など考える必要がないとか、涅槃など初めから無いという初段Bに退落してしまう。他方、この言葉に固執すれば、どうにかしてこの生死を嫌わないようにしよう、涅槃を願わないようにしよう、と努めることになる。そこのところを道元は〈趣向なく、取捨なからんと、しひていとなみ、趣向にあらざらん処、つくろひするにはあらずなり〉《唯仏与仏》と注意している。
だから、これは、聞いて頷く事柄であるよりは、実際に坐禅に打ち込む生活があるときのみ、おのずからそのままの安らぎとして落ち着けることなのだ。そういうさまが〈ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、ほとけのいへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる〉《生死》といわれる。
《現成公案》に戻って、この段の三節では、〈生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり〉といわれる。〈住法位 〉といわれてきたことが、ややもすれば、固定的絶対的響きを帯びるのを、事態に即してやわらげている趣があり、「ひととき」は「而今」とは違った、時間的経過を含む響きがある。このような説相の変化に応じて、比喩も〈たとへば、冬と春のごとし〉と変わる。
冬・春等は、一年の言い換えに「春秋」と使うように、時の代用ともされたが、時そのものではない。いや時とは、自然観察(月の満ち欠けなど)や計測の結果 をもとに、暦や時計などに人間が表し出した観念上のことであって、時という「何か」があるわけではない。その計測の相対性は、いまやジェット機で飛ぶ際の時差の問題で身近に知られる。
そうではあるが、春は時の中を経過していく「何か」でも、もちろんないし、何かが因縁和合して春になるのではない。また何かが時の経過に従って、冬・春・夏と変化するわけではない。〈春に許多般 の樣子あり、これを経歴といふ。外物なきに経歴すると参学すべし〉《有時》と言われる通 りである。外物とはその「何か」である。
冬・春を貫く何かがない、といっても、だからといって冬が春に転換するわけではない。だから〈冬の春となるとおもはず、春の夏になるといはぬ なり〉ということになる。冬というものが春というものへと変化するのではなく、梅の花が咲いたとき、無端に春である。そのとき天も水も大気も地も草も万物が春であり、春でないものはない。
冬と春はそういうわけだが、それは生のひとときと死のひとときと、どう関連するのだろうか。《春秋》では〈この寒暑、渾寒渾暑、ともに寒暑づからなり。寒暑づからなるがゆへに到来時は寒暑づからの頂寧より到来するなり〉といわれている。この言い方を借りれば、死は死づからの頂寧より到来するのだ。いわば無端に死なのである。我という実体があって、それが今は生であり、やがて死に変化するのではない。〈死の生に相対するなし。生の死に相待するなし〉《身心学道》である。無端に春であるように、無端に死であることは、しかしながら、なかなか私たちの生死の答とはなりにくい。無端に死であることにも、また虚無主義の落とし穴がまっている。
だが、これ以上、生死を論ずることは止めよう。〈生死ともに凡夫のしるところにあらず〉《身心学道》、〈生死を生死なりと信受すべからず、不会すべからず、不知すべからず〉《行仏威儀》が厳然としてあるのは、何人の今も、生のみだからだ。
その生が、生死の答えをはじめ、あらゆることを求めてやまないこの自分の生であることが問題なのだ。その自分が、只管打坐において転じられたところに、はじめて、もはや、生死の答えを求める用のない仏の「われ」が現成し、生死にまかすことができる。この吾我をやめない限り、我がどんなに修行しても、求め続けても、自分の始末はつかない。このどうしようもない自分をやめる道が打坐である。
しかし打坐は、たんなる自己を忘れることではなく、何のために生きているのか分からないまま空しく過ごすはかない無常の時を、仏法のためという明確な見定めの下に、打坐自体の充実した今と、その悟迹の長出である欲望追求の止んだ平静な日常へと転ずるのである。
ところで現代先進国では生死の問いそのものが見えない、無常とは感じられない状況であることを、先に指摘した。見える世界、意識に上ってくる世界は、生ばかりである。そこでは突然の死さえ、金銭に換算されて保険によって埋め合わせがつくものとなっている。先進国の世界は、人間が楽しく生きるための舞台として仕立てられてしまった。だからといって死がなくなったわけではない。それどころか死を感じさせない明るく輝いている文明の裏面 で、死がひそかに黒々と蓄積されている。ほんのわずかのきっかけで、これが反転しうることを、現代人はすでに気付かされてはいる。明るいようで未来に明確な希望の見えない若者にとって、刹那主義は、ほとんど唯一の絶望からの逃れ道のようにも見える。だが、だからこそ、今ぎり、ここぎりを、充溢した仏法のために生きることに翻転しうるのではあるまいか。