cinema essay "Endless VIDEO Nights"


 その1 エグゼクティヴ デジジョン(`96米 監督:スチュアート・ベアード 主演:カート・ラッセル,スティーブン・セガール)

ケイヒル的災難

 エグゼクティヴ デジジョンは神経ガスDZ-5を持ちこんだテロリスト集団にハイジャックされた旅客機を奪還すべくアメリカ陸軍特殊部隊が大活躍!という軍事アクションストーリーなんである。空中から飛行中の旅客機に潜入するなど、奇抜なアイディアと意外な人が意外な顛末に・・でかなりワクワク感の高い作品だ。

 ところでわたしはこの映画の中である役者から目が離せなくなってしまった。
彼の名はケイヒル(オリバー・プラット)軍事技術者である。ルックス的にもかなりオタク系のおじさんだぁ。ペンタゴンでの航空機奪還作戦会議上で、航空機奪還方法のシステムを説明する彼の表情はすでに恍惚の域だ。だって、自慢のプロジェクトを机上で説明しているだけだもの。彼は技術屋さん、軍人ではない。その彼が、自分の意思にかかわらず、奪還作戦に戦闘機にのり参加するハメになったのだ。当初は輸送機の中から指示をだすだけだったのだが、災難が災難をよび、なんと彼は航空機内潜入、神経ガス爆弾の処理をしなくてはならないというところまでおいこまれるのである。潜入部隊内の爆弾処理のエキスパートが重傷を負ったためなんであるが、さらに主役である陸軍情報部グラント博士(カート・ラッセル)の大暴言

「彼はコンピューターを作れるエンジニアだ。彼なら爆弾処理もできるはず」

が、ケイヒルを逃れようのない困難の迷宮に追い込むわけ。 確かに、潜入部隊のメンバーの中では彼が唯一のエンジニア畑だけど・・なんだか強引だぞ、グラント博士。って彼はその後もっと、力技な行動にでるんだけどね。きっとグラントってそういう性格なんだろう。ってことにしておこう。主役はいつだってエゴイストなのだ。

 あれよあれよとどんどん困難な方へ流されるも必死に奮闘し、爆弾処理を続ける。で、必死になれば出来てしまうのがこの手のタイプの人間の悲劇。そして更なる困難が彼を襲う。ケイヒルとは災難の人。ああ、日常にもこんなことって多くない?・・。
これ以後わたしは自分がいつのまにか、困難に巻き込まれるのを感じるとき、「ああ、今わたし、ケイヒルになってないかい?」と思う様にさえなってしまった。

 その後、なにげなくみた「娼婦ベロニカ」という作品にもケイヒルは出演していた。彼の役どころは、ベロニカに恋するも、上手く伝えられない貴族の男の役。詩の創作の勝負でベロニカに負けそうになってしまいと決闘まがいのケンカなんかしたりするなかなか熱い男。おまけにベロニカは彼の親友に恋しているが、その男はもっと身分の高い女と結婚してしまうわけで、ケイヒルには、うまくたちまわれば、ベロニカを手にいれる術はあったはず。(と、おもうよ、わたしは)
 挙句の果てには、おもいっきり俗な彼がなぜだか、聖職者になってしまい、娼婦であるベロニカを魔女裁判にかけてしまうのだ。しかし、その裁判も仲間から(彼以外の仲間は皆ベロニカの"客"だったわけで)裏切られ、ベロニカを魔女にすることさえ失敗しているのである。呆然自失の中「俺はまだベロニカを愛しているんだ」と気づく。ああ、ここでもケイヒルだ。思わぬ災難その結果、望んだほうとは全く逆へ流されているのだ。これぞケイヒルの醍醐味。

   思わぬ連続災難=ケイヒル という図式をわたしに授けてくれたのが、このエグゼクティヴ・デジジョンだ。
おまけに、この映画の出演者を他の映画でみかけても、ついつい、「エグゼ・・」内の名前でよんでしまうつまり、先の「ベロニカ」のケイヒルのような、後遺症のオマケつき。
 ちなみに、ヒロイン役のジーン(ハリー・ベリー)はフリントストーンシリーズに、潜入部隊のリーダー、ラット(ジョン・レグイザモ)はロミオ+ジュリエットのティボルトで出演している。そしてわたしは無意識に「エグゼ・・」本位な映画鑑賞をしているのだった。

 例えばロミオ+ジュリエット(ちなみにこの「+」は十字架をあらわしているそうで)で、ティボルトが刺し殺されるシーンでは、
「あーん、ラット、剣でさされて、さぞ痛かろう・・」などと、思い入れてしまうわけ。

  ちなみにラット(=ジョンレグイザモ)は、日本の忍者みたいでとてもカッコイイ。柳生一族の陰謀の十兵衛の手下の「フチカリ」みたい。

 というわけでわたしにとっていろいろに愉しめた映画ーエクゼクティヴ・デジジョンなので、もう公開されて随分経つがこの「Endless VIDEO Nights」の最初にもってきてみたのである。
 ちなみにカートラッセルと共に「エグゼ・・」の主役であるスティーブン・セガールも主演する映画のなかでは一番かっこよく且つおいしい役どころでは?とおもうのである。なんといっても、沈黙シリーズの十字架から解放されているものね。

余談ですが、どなたかセガールの近況を御存知ならば、教えてください。

(`00.10.18)

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 その2バグズライフ(98米 監督:ジョン・ラセター)

あらゆる方向にイメージが広がって

 バッタの搾取に喘ぐアリ達が助っ人(虫)を求め、バッタの支配から離脱しようとする、ディズニーCGアニメ映画。

 今の子供たちってこんな完成度の高いCGアニメに幼い頃からであってしまうんだねえ。などと感心してしまう。
なんせ、脚本の緻密さとか、伏線の張り方がまさに、お見事としかいいようがない。。モノを書いたり作ったりする者にとっては、ただただ感心するばかり。劇中にでてくる小物も遊び心満点の企画ものばかり(例えば、光り茸のランプとか、葉っぱと露の望遠鏡とかね)。CGではもっとも表現が困難とされている水ー雨のシーンもとても綺麗。でも綺麗だけれど、虫たちにとっては恐るべきモノということがきっちりえがかれているのだ。  ま、強いて言えば、「カマキリと女郎蜘蛛がいれば、怖いものナシじゃないんかい?」ってことをおもわなくもないが、ま、わざと作っておいたツッコミ所ということにしておこう。

この作品は、黒澤監督の「七人の侍」がモデルになっているっていうことは有名な話で、わたしもこれをきっかけに「七人の侍」「生きる」をみてしまった。
「七人の侍」はやっぱりおもしろい。でてくるキャラがみんな「こゆい」。かっこいい、白黒だけどおもしろい。略奪にくる野武士のことを「のぶせり」と呼んだりしているところが妙リアリティーがあったりして、ま、あたりまえか。

 バグズライフもでてくる助っ人(虫)のキャラクターも「こゆい」。こういうのはアニメならではかもしれない。現実にはこれだけ色合いの違う役者をそろえるのは困難なのだろうな。
 加えて、この映画には「使える」セリフが数多くでてくる。

「アリは、バッタのシモベじゃない。」
(アリに自分の名前をバッタに特定の人の名前をいれてあそんでみましょう。(笑)結構、ストレス解消!)

「アリはバッタなんかいらない。バッタが、アリを必要としているんだ」

「この石をタネだとおもうんだよ。」

などなど、日常生活で、使って遊べる言葉が満載だ。
そして悪役であるホッパーがいい。筋のとおった非の打ち所のない悪役(でも、バッタのリーダーとしての重責か、肩腰がだいぶ、お疲れのようで、右目がいつも濁ってるし、顔も眉間に縦皺が。ま、そこがまた渋いんだけどねえ)

「食い物の為じゃない。アリに誰がボスか解らせるために、いくんだ。」

など、「ホッパー社長」の硬派悪徳なセリフ満載〜。かっこいい。ちなみにオリジナルでは、ホッパーの吹き替えは、「アメリカンビューティー」のケビン・スペーシーだそうで。
 ホッパーのキャラは同じシリーズのトイストーリーの「マッドサイエンティスト風ちょっと悪っぽい少年」シドを彷彿させる。
このシドくんも、きっと将来大物になるだろう。(そして歯の矯正がおわったらさぞや男前くんだろうね)

ともかくバグズライフは、色彩的にも音楽的にもとっても綺麗な映画でたのしさテンコモリ。
最後のシーンの礼砲も、とてもきれいだし、痛快娯楽とはこのことだなあ。あー、すっとした。

 <おまけ>
 最後のシーンで、老女王が、「おまえも、おいで」と若い自分の愛人風のアリをつれたつ姿に、なんだか「帝政ロシアの女帝」のようなゴージャスを垣間見た気がした。
人間(アリだけど)臭くて、とてもいいなあ。もちろん、その後に続く、NG集もね。

(`00.10.19)

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 その3 ジャングルジョージ('97米 主演:ブレンダン・フレーザー)

ハンサムキュートなギャグ満載

 アフリカのジャングルで飛行機事故がおこり、一人の赤ちゃんが、置き去りに。赤ちゃんはゴリラに育てられ、ジャングルの王者として、育ち、ジャングル探検にきたアメリカの富豪の玲嬢に出合い・・・アメリカのアニメの実写版(だから、なにがおころうとも絶対に誰も死んだりしないお約束アリ=お気楽)

 まったく、愉快なおバカともいえるギャグ映画。おまけにすばらしいのが、主人公のジョージを演じるブレンダン・フレーザー(以下ブレン)がとってもハンサムキュートであるということだ。(小さいけど写真)

それも、「いいの?こんな演技させちゃって?」と見てる側が心配しちゃうくらいなのである。
アニメの実写版となると、大抵は「オマヌケ」的匂いが強くて、見ていてイヤになってしまうのだが、この作品は、「トコトン」やってるので、頭空っぽにして愉しめる作品だとおもう。
 まずは、オープニングのアニメーション、それに続く、♪ズンタポンコ♪ズンタポンコ♪なテーマ曲。これがけっこう耳に付いて離れない〜。癖になるぅ

 それでいて、ジョージがアメリカで文明生活をおくるシーンは、「都会でもカッコイイ」ジョージ(アルマーニのスーツだったっけ?)が存分に見れるし、馬と戯れるシーンは、特に最高。映画中でもこのシーンのジョージには女性キャラのほとんどが熱い視線をおくっているんだ。さらにジャングルへ帰るジョージ、ナイキのシューズが眩しいよお。(woochもうすでに冷静でなかったりする)
この映画、それも、この馬のシーンでブレンのファンになった人もおおいに違いない。・・と思ったりする。
 ちなみに彼はこの映画の為にかなりウエイトを絞って撮影に望んだそうだ。確かに、後の作品「タイムトラベラー」などはジョージに比べると、別人?と思ったりしないこともない。

 ブレンが大ブレークした映画は99年の「ハムナプトラ」(レイダースを多分に意識した、古代エジプトの呪いに関するアクションアドベンチャーモノ)だ。
そこで登場する彼も、2枚目の傭兵崩れのヒーローながら、なんとなく、どこかに「ギャグ」の香りが漂うんである。やっぱりジョージのインパクト強過ぎるんだろうか?しかしギャグのできる「男前」はとっても貴重なんだけどなあ。

一番最近みた「Gods or Monsters」で頭を役作りでフランケンシュタイン風に加工した(らしい)ときは、その姿に、「トホホ」とおもっちゃいましたが、(オマケにエンディングでは、フランケンシュタインのモノマネも御披露。)もうすぐかっこいいブレンに逢えるのだ。11月11日公開の「悪いことしましョ」だ。
好きな女の子に振り向いてもらうために悪魔に自分の心をうっちゃう「ファウスト」のようなお話だそうだ。

 この作品の監督はハロルド・ライミス。ゴーストバスターズの主役の一人。イゴンという細面の男前の学者役で出演していたので御存知の方も多いはず。
 当時、私はハロルドのことは大チェックしていたので、「悪いことしましョ」は、かなり「公開たのしみー」という感じなのだった。

 しかし、「ブレン、ベルトの上に腹乗っかってる〜」という恐い情報が試写会をみたファンの間で流れているらしい。
わたしとしては「役作り」の為と信じたい(涙)トラボルタの体重100キロ突破情報もやるせないものがあったしな〜。

(今回は男前にはじまり男前(の体重話)におわる・・の巻)
(`00.10.30)

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 その4 フルモンティー(`97 米 監督 ピーター・カッタネオ 主演 ロバート・カーライル)

みてしまったものは、しょうがない

 炭坑をリストラされた男達(それもおじさん)が、大金をかせぐべく、仕事にありつくべく、何かをはじめようと案を練った。
行きついたところ、それは「男のストリップショー」である。  この作品は、以前にみたものなんであるが、先日BSで放送していたのを、またもやツイツイみてしまった。
「おもいだしちゃったじゃないか〜〜〜」ってな具合である。
制作はアメリカだけれど、スタッフから全てイギリス掛り。世界のトップブランド「カタブツ」精神の国がこんな風に映画したてちゃうんだな〜。と妙に感心させられる。
この手の映画は、好き嫌いが分かれるところとおもうが、なんとなく、乾いた笑いからはじまり、最後は「爆笑」させてもらえるので、食わずキライにならずに見てもいいんじゃないかな〜とおもった。

例えば、「男をやっていくことに疲れた」男性諸氏。「男だからってだけで、男に威張られてヤな思いをした」女性の皆さん、
「へ〜、(他の)男もこんなささいなことで、なやんでるんだね〜」
などと、膝の力が抜けて脱力感が心地よくなることウケアイ。(ははは←空笑い)

例えば、ストリップチームの中のデイブは、かなり肥満なんだけど、
「なにやっても、ダメなんだ〜。食べなくても太るんだ〜」
って女の子のように、泣いたりするわけ。そして、夜中にこっそり、納屋で、チョコバーを食べ、その後大きく頷き、大きなお腹にぐるぐると、ラップを巻きつけたりする。一見、「みたくない、グロい」シーンだけど、なんだかトホホで、目がはなせなくなる。

ちなみに、淀川長治さんもこの作品を「男のみせどころで、爆笑のイギリス映画」と絶賛(?)されてましたしね。
淀川さんといえば、シュワルッェネッガーの御贔屓として有名。
彼がシュワより、贔屓にしてたのは、何を隠そう、セガールだったんである。(「セガールがわたしの長男、シュワちゃんは次男」とのたまっている番組をみたことあるし)
淀川さんの恍惚的にセガールを誉めるのを見たくて、よくみてた「日曜洋画劇場」(ま、いいけど)

話を、フルモンティーに戻して、「男(おじさん)のストリップ」っていう、一見ばかばかしー、それも禁じ手的な題材を扱っていても、根底に、リストラがあったり、離婚、親権の問題があったり、その辺が、「乾いた、笑いの国」イギリスなんだな〜。恐い恐い。
「こゆい」おっちゃんばっかりでてくるこの話の一服の清涼剤ともいえるのは、主人公の息子であるネイス(ウイリアム・ネイブ)。彼はかわいい。もー、彼がいなかったら、絵的には救われなかったかも・・。

最後のシーン、満員のクラブで「(おじさん達の)ストリップショー」が行われる。
嬌声をあげる女性客をみて、
「ああ、肉食の狩猟民族って、ぜーったい、血がちがうよな〜」と、大和撫子の末裔のwoochはおもうのであった。
全く、「♪その帽子だけはとらないで〜♪」なのである(♪you can leave your head on・・・だったか?)

 ちなみに、「フルモンティー」とは、「すっぱだか」ということ。
さすが、「モンティーパイソン」の国。
あー、やっぱ、みてしまったものはしょうがない・・・・(乾き笑い)

(00.11.11)

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 その5 WHITE OUT(`00日 若松節夫監督 主演:織田裕二 )

役者の線の太さ

  真保裕一の原作「WHITE OUT」の映画化。(真保さんって梅田のどこだったかの本屋のサイン会でみたことがあるけど、おだやかな感じの人だった。)
巨大ダムを武装グループが占拠。ダム職員を人質にとり、50億を要求。
極寒のダムは白い要塞と化していた。要求が拒否されれば、ダムは破壊され、下流20万世帯が一瞬でその激流に呑まれる事となるのだ。
 たった一人でテロリスト達に立ち向かう事になったダム運転員の大活躍ダイハードなストーリー。

 多くの人がそうおもったであろうように、わたしも95年発売の原作を読んだ時、

「ああ、これって、映画化されるかも?、それも、ハリウッド、そして主役はブルースウイルス(苦笑)」

とおもった。

事実、原作発売以降かなりのオファーがあったらしいが「冬のダム」というスケールの大きさに数々の企画が頓挫したという。
撮影現場のほとんどは黒部ダム周辺、ここは本当に美しい場所なんである。以前に一度いってみてその自然の大きさになにやら心打たれたりしたのである。
もちろん真冬に訪れたわけではないから、美しい面しかみえてはこない。しかしそこには冬のおそろしさが常にあるのだ。怖さと表裏一体の美しい大自然と巨大な建造物がそこに調和している。そんな場所なのである。
映画の中でも目の前に映し出される真白な世界は美しいだけでなく冷徹に人間を拒む。まさにそれは白い雪の要塞

雪原に倒れこむ織田裕二をみて「人間が凍って行く様ってこんな感じだろうな〜」としみじみ。

確かに観ていて、寒さーというか、凍てつき感がひしひしつたわってくるのである。私は、まだ暑さまっさかりの頃に観にいったんだけど、缶コーヒーを手にもっていたら、だんだんそのコーヒーの冷たさが指先から全身にぴりぴりと伝わってくるような、気がした。そして、(バカだから?)コーヒーを膝にこぼしてしまったときは、冷たくって冷たくって、そこからもう凍死するんじゃないか??とおもってしまった。いやはや寒かった。

  「MI:2」とのバッティングを避ける為なのか、夏休みまっさかり・・をはずした公開だったけど、もっと早くから公開してくれれば、よい暑気払いになったかも?(と、大阪人なら皆そう思うだろう)冬にみたら、もっとスゴイかも??
タイタニックだって劇場で見たのは夏前で、LDでみたのは冬だったのだけど、観る側の環境で、体感的なものが全く違ってくる。
しかし、同じ寒さを描いていても「八甲田」のそれとは随分ちがう。哀しさとかはない。平成と明治のちがいなんだろか・・などと妙な事まで思いが巡る・・・って違うか。

「湾岸署の青島刑事」が今回はダム運転員として戦うんだけれど、

「日本人はやっぱり、銃火器を持っても似合わないな〜」というのが実感。

「踊る大捜査線」だって、銃撃戦がないのをウリにしてなかったっけ?
ま、ということは、日本は銃社会でない証なので、それはありがたいことなのだが。

劇中10名のテロリスト集団が登場する。部隊長の宇津木(佐藤浩市)と技術屋の笠原(吹越満)以外は同じ衣装のせいかほとんど見分けがつかない。
そこで、感じたのが「役者の線の細さ」特に若手俳優は「痩い」=「かっこいい」という図式があるせいか、皆さん繊細な体つき。
「痩くない」=「かっこわるい」=「性格俳優」もしくは「お笑いキャラ」というふうになってしまうのだろうか。
テロリスト(に知り合いがいないので正確なところはよくわからないが)ってあんな華奢でいいんだろうか??
「痩せてない」=「武骨な体躯」ともいえる俳優ってすくないかも・・とおもった。
 織田裕二にしても、ワイルド感はあるものの、黒部の山奥のダムで「山をこよなく愛するダム運転員」にしては
「都会的おしゃれ感」が溢れすぎてるようにおもえるし。
じゃ、だれが?といわれても・・芸能界に疎いわたしとしては困るわけで
・・・「千葉真一」でもないし(苦笑)・・・まさか「藤岡ひろし」(更苦笑)  

佐藤浩市はその意味で「重いキャラ」を堂々こなしていていいなー。とおもった。
(最近ではかわいいボケキャラCMしかお目にかかってなかったからねえ)

 ということで、武骨な俳優ってだれだ??などと思っていたら、
「引退したスポーツ選手なんてどーだろ?」という考えにいきあたった。
んで、寄寓にも長嶋一茂が演技している場面に出くわしてしまった。
ドラマの中の彼は時代劇俳優の役で、演技はよくわからないが武骨さにおいては周囲の俳優より抜きん出ていた。

「一茂くんよー、君はアクションスターになってはどうかい??」と心で呟くわたし。

そういえば、ちょっと前のドラマでは長嶋一茂は「脳外科医」の役だったが、これはちょっと・・(わたしが患者ならいやだぁ) という感じだったし。
それだったら、いっそスタローンのように無意味に「二の腕出し放題」で勝負してもいいんじゃない?
よし!アクションスターへの道へレッツGO!

 そういえば、「振り返れば奴がいる」で織田裕二も外科医役やってたし、その時の同僚って、「WHITE OUT」の中の亡き親友の石黒賢ではなかったか??ってこのドラマとWHITE OUTの監督が同じだそうだし。・・なんだか外科医のキーワードから妙にまとまってしまって今回はこれにてオシマイ。

(00.11.22)

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 番外編 You are my idol

アイドルを捜せ!!

 今回は作品そのもののお話ではなく、私の好きな映画俳優サマ達のご紹介。正月頭ほんわか企画ってことで、御容赦!
俳優の名前をクリックしたら、顔写真がみれる・・・そうだったらいいのにな。そんな贅沢なページにはできません(残念)
せめて似顔絵でも・・そんな才能もありゃーしませんて。(更残念)


 物心ついて、初めて映画館でみた映画が(子供向け、漫画映画除き)「STAR WARS 帝国の逆襲」
それから、ハリソン・フォード(カーボンフリーズされてましたねえ。)に夢中。(以下順不同)

「ゴースト・バスターズ」で、ハロルド・ライミスに夢中。今や監督業に専念で、あまりお目にかかれないな。
「スリーパーズ」で、遅まきながら、ロバート・デ・ニーロに夢中。若き神父姿がとっても素敵。
「アンタッチャブル」では、アンディー・ガルシアに夢中。ラテン系好きはこのころから始まる?
「絶体絶命」では、アンディー・ガルシアと競演したマイケル・キートンに夢中。IQ 150の犯罪者を好演!(涙)わたしの悪役好きもこのあたりから本格的になったかな?

「ステイン・アライブ」で好きになりかけたのに、熱が冷めちゃって、その後「パルプ・フィクション」「フェノミナン」でもういちど好きになっちゃったのはジョン・トラボルタ(通称ボルタ)。
その後順調に「発育」続けている彼には、夢中というよりは、その「生育具合」から目がはなせなくなっている。

「レオン」では、殺すことしか才能がない殺し屋を演じたジャン・レノに夢中
その後のミッションインポッシブルでも、狂気的な役柄がとてもすき。
「Men in Black」では、ウィル・スミスに夢中
「バード・オン・ケージ」では御存知メル・ギブソンに夢中。もちろんリックス刑事役もね。
宇宙迷子な話の「ロスト・イン・スペース」では少佐役だったマット・ルブランクに夢中。彼って
「グリーン・マイル」デビット・モース(トム・ハンクスの一番親しい同僚役)に似てない?もちろん彼にも夢中。

「スネーク・アイズ」では、ニコラス・ケイジよりもゲイリー・シニーズに夢中。だってゲイリーって悪役ばっかりなんだもん。ちなみにニコラス・ケイジは「白雪姫」の7人の小人の泣き虫さんに似てない??

「沈黙の戦艦」ではおなじみスティーブン・セガールに夢中。彼の命運はエグゼクティブ・デジジョンで尽きたか?この映画ではジョン・レグイザモ(←ラテン系)に夢中
ラテン系といえば、「恋におちたシェイクスピア」「エリザベス」ジョゼフ・ファインに夢中。
恋に落ちたシェイクスピアでは、ベン・アフレックもよかったな〜。
あと、濃ゆいシリーズでは、「エビータ」アントニオ・バンデラス顔大きいけど、(だから?)すごい存在感。

戦う人編では「ソルジャー」カート・ラッセル。彼はあまり考えない役のほうがいいよね(バックドラフトとかね)
「ユニバーサル・ソルジャー」ジャン・クロード・ヴァンダムそして「STAR WARS エピソード1」の熟練ジェダイ(ジェダイは時代からとったらしいし)クワイ・ガン・ジンの(クワイってきっと正月のくわいにちがいないぞ!)リーアム・ニーソンにも夢中。

というわけで、つらつら贔屓の俳優サマを並べて見て、「あんた、ほんまに、おっさんがすきやな〜」と相方midiにいわれたことを改めておもいだすのでした。
そうだ、おっさん系俳優がすきなんだ。(しみじみ)。御贔屓女優編もいつかやろう・・(ゴールディー・ホーンとかね)とおもいつつこのへんで


追記:リバー・ジェイド・フェニックスについては、やっぱり、「スタンド・バイ・ミー」が秀逸。
あと、「モスキート・コースト」「インディー・ジョーンズ最後の聖戦」くらいが「美しいリバー」がみれる作品で、「スニーカーズ」ではもうなんだか顔の線が崩れそうだったし、「マイ・プライベート・アイダホ」もなにやら暗示的でみていて痛々しかったことを思い出す。あらためて合掌

(01.01.03)

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 その6 Mi:2(米`00 ジョン・ウー監督 主演 トム・クルーズ)

わかっちゃいるけど、息もとまりソなほど、ドキドキ

休日に(なぜだか)優雅にロッククライミングを楽しむ凄腕スパイ”イーサン・ハント”の元にミッションが。

「体内に入ると72時間後には、全細胞を破壊するウイルス”キマイラ”がテロリストの手に落ちた。奪還せよ」
(エボラ熱以来、こういう設定多くなった感じ?)

 ミッションを映し出すゴーグルをトムクルーズがはずせば、お約束どうり、ゴーグルは自動的に消滅・・・。
不可能を可能にする男イーサン・ハントの痛快娯楽アクション映画を楽しむには観る側は、「オリジナルや前作(ブライアン・デパルマ作)と比較しない。というのがお約束というものだ。

といいつつ、前作よりも髪が長くなって色っぽくなった今回のイーサンは、非情なスパイというキャラに加え、愛する者の為に戦う男も演じている。
もう1ついうと、前回の息を呑むような「宙吊り侵入」は今回も見事に取り入れられ、今後は「宙吊り侵入のトム・クルーズ」「トム・クルーズといえば、宙吊り侵入」という風な芸風が確立されるのでは?と密かに期待している私である。(猿之助様風?)

よく、「監督が女優に惚れなければ、イイ映画はとれない」などといわれるけれど、Mi:2に関しては、「監督、トム・クルーズに惚れてるか?」と思うくらい、「かっこいいイーサン」が描かれていた。そのわりに、色っぽい女性が登場しないのも、ジョン・ウー作品の特色??

元々、アクションに効果的にスローモーションを組みこむジョン・ウー監督であるが、まわし蹴りを多用する肉弾戦、二丁拳銃ブッパナシ、爆破炸裂カーアクション、男はやっぱりバイクだねとおもわせるシーン(爆破炎の中からバイクで登場するイーサンの姿にはわかっちゃいるけど、ドキドキしてしまう)などは、スローで画面が動いているあいだ、こちらの息も止まってしまうほど、画面に釘づけになってしまう。それになぜかスローモーションシーンでは、鳩が乱舞するのが多いな〜ジョン・ウーって。

香港には小鳥パブ(各テーブルに鳥篭にはいった小鳥が置いてある)みたいな場所があるらしく、彼の映画の1シーンに使われていたこともあるので、この監督って小鳥好きなんだろうか??アクションと小鳥・・不思議な関係?

<閑話休題>

今回のイーサンの敵であるテロリストは、昔の彼の同僚ショーンという設定。つまりは、イーサンの手の内を全て知られているということ。ショーンはイーサンと同じくらい凄腕のスパイだったわけで、「己の一番の敵は、己の内側を知るもの」という裏の裏の裏のカイアイ的に話は進む。(観ている方には、先は常に見えるほどわかりやすいストーリー展開なんだけどね)

イーサンとショーンの戦いをみると、己の分身とも言える者同士の戦い
ーウルトラマンティガとウルトラマンダーク・トルネード・ブラスト、またはアッシュ・リンクスと李月龍、有末静と雨宮凛などが類似例ーほど哀しく熾烈なものはないな・・と感じる。
しかし、この作品をそんなウエットな悲哀から解放して、見事なほど痛快な娯楽に仕上げている影には、「人の顔ーお面貼付け」と「声変わり喉シール」というドラえもん的アイテムの存在は無視できない(笑)。
「こんなん、あるわけないやん!」などと大人げないことを言わずに、「凄い凄い!」といって楽しむのが上質の娯楽大人というものだ。(笑)

 「トム・クルーズのプロモーションフイルムなんでしょ?」という意見もあるけど、結末も何もかもわかった上でも、ドキドキできるアクション映画ってやっぱり貴重なんじゃないかなあ??
てなわけで、やっぱりアクション映画大好き。ついでに、作品中に出てきたブルガリの500万ポンドのネックレスも。

(`01.6.1)


 その7 シュレック(米`01 アンドリュー・アダムソン監督)

シンパシー

「古典メルヘンの世界、もしくはディズニーのパロディー」という言葉がこの映画を語るときによくく使われていた気がする。
しかしわたしには、それは的をえた表現とはどうにも思えない。
確かに、白雪姫、シンデレラ、三匹のこぶた、ピノキオ、ロビンフット、眠れぬ森の美女、赤ずきん等のキャラクター、それぞれの物語では主役をはっているキャラクターが、ちょい役として登場するわけだから、「パロディー」という見方も成立するのかもしれないが、それは「トップガン」に対する「ホットショット」みたいなものならともかく、シュレックという作品はパロディーとみるには強すぎるオリジナリティーが内在されていると思う。ま、パロディーって煽った方が、「んなら、見に行こうか・・」的行動を呼び起こしやすいという営業方針なのかもしれないけど。

物語はいきなり、シュレック(全身緑色の大きな化け物ーと劇中では表現されている)の日常生活が表現されていて気持ち悪く、面白い。歯磨き、洗顔、トイレ・・・CGアニメーションとしては、凄すぎる感じ。ビールの表現とか、コップに入ったミルク(後半部分でジンジャークッキーが牛乳責めにあうシーンは牛乳嫌いの私としては、失神モノだったし)等、リアリティー満載!

デュロック国の支配者フォークアード卿に住む場所を追われたおとぎ話のキャラクターがシュレックの住処に溜まり、困り果てたシュレックは、いきがかり上、美しいフィオナ姫を炎のドラゴンから救い出し、卿の元に連れてくる約束をさせられる。
ドラゴンの城で救出劇を演じるシュレックはその外見に反して意外にも知的である。
この作品全編に通していえることは、「見た目と本質との違いを人は意外にも見落としている」という事ではないかな?
恐ろしいドラゴンは実は恋する乙女風だし、フィオナ姫は武道の達人だし、ドンキーも色男だし・・
一番、見た目とキャラが一致しているのはフォークアード卿かもしれない(笑)

おとぎ話、童話が、完全無菌地帯ー美しいもの、賢いもの、強いものが正義であるような場所においやられてしまったこのごろ、なにかしら見る側としては、自分の世界との隔絶感を感じずにはいられない。
その違和感が、面白みになる場合もあれば、ハナシラム時もある。
シュレックは単なるパロディーではなく、「物事には見た目の奥にいろんな価値観、考え方、在り方があるんだよ」というメッセージが込められているようにおもえる。
「ブタになったお姫さま」という短編寓話を書いたわたしとしては、そういう意味で、シュレックと自分の書いたものに、非常にシンパシーなんである。(少々あつかましいかもだけど)

美女と野獣、アラジンの製作者、ジェフェリー・カッツエンバーグ制作だけあって、最後まで大人もドキドキできる作品であることは確か。最後のシーンの楽しさはわたしがいつもおもう「ああ、アメリカって大人が真剣に楽しいことをやっちゃう国なんだな〜」というのを絵に描いたよう。
そこには、「子供だまし」的なものは微塵も感じられない。
カエルやへびを風船にして、プードルを作っちゃうセンスって、凄いと思うよ。

(`02.1.21)


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