はじめにお読みください :空飛ぶ玉子焼きの伝説 :

空飛ぶ玉子焼きの伝説

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(作者注:卵をたっぷり使った生地にタコの切り身をいれて、ふわふわに焼き上げた丸い食べ物を、地元民は愛をこめて「玉子焼き」と呼びます。)

Light Side

2007/01/12 Fri.
 三学期が始まったとたんにノロウイルスの集団感染で学級閉鎖になった。でも僕は発症していない。家でおとなしくしていろと言われても三、四日もすれば心中のムシがさわぎだす。
 期間の最終日、抜けるような青空の誘惑にとうとう我慢ができなくなった。
 人混みに接触しなければ問題ないんだろ。同級生をさそって城跡公園でバードウォッチングをしようと決めた。
 公園内の地形はけっこう起伏があって、あちこちに林や植え込みが散らばっている。
 現地に到着した僕と友達は天守閣を模した展望台にのぼった。最上階で二手に分かれ、観察に良さそうなポイントをチェックしよう、という計画だった。
 平日の午前中とあって展望台には僕らの他に客はいなかった。何の気兼ねもなしにベストポジションを占拠して双眼鏡をのぞき続けることができた。
 常緑樹の深い緑色の茂みをじっくりとながめていたとき、ふいに視界がさえぎられた。
 あれっと思って双眼鏡を下げてみると、僕の目の前に女の子が立ちはだかっていた。
 後ろから近づいてきた気配などなかったのに、などと疑問に思う暇もあればこそ。
 女の子はいきなり人差し指をびしっと僕の胸元につきつけた。
「悔い改めなさい!」
「ええっ」
「あなた、その双眼鏡でのぞき見してたんでしょ!この女性の敵め!」
「ちょっと待ってくれよ!」
 僕は現在地から見渡せる景色にさっと手をふってみせた。
「この場所からどこをどうやってのぞくっていうんだい?」
 眼下にひろがるのは半分葉を落とした雑木林と常緑樹の植え込みとテニスコートと駐車場。お堀の南は国道で、JRの駅前商店街が模型のように小さく見えている。
 本気でのぞき見をしたいなら林の中に潜んでテニスコート横の女子更衣室を見あげたほうがきっとうまく……げふげふ。
 女の子はきょとんとした顔になった。セミロングのやわらかな髪に指をからませてくしゃくしゃとかきまぜ、今度は照れ隠しのような笑顔を見せた。
「ええっとぉ、わたし、この街にはさっき着いたばかりなんですよね。道がわからなくなって、ちょっと教えてもらおうってつもりだったんだけど……なんでこうなっちゃったのかな?」
 こっちが教えて欲しいよ。
 ちょっと腹が立ったが、悪びれた様子もなくぺろっと舌なんかだされると、それ以上追求するほうが大人げないと思えてきた。僕って優柔不断かな、やっぱり。
 あらためて女の子の姿をまじまじと観察した。
 近隣では見慣れないセーラー服。年頃は僕と大差ないか。
 ぱっちりした目がくりくりと表情をかえる。鼻は低めだが、口を遠慮なく大きく開いて笑うので、全体としては悪くないバランスだ。美人というより、めっちゃかわいいタイプ。
 女の子はくるっと向きをかえて手すりから身をのりだした。ぴょこぴょこ跳ねながら何かを捜すように眼下を見下ろした。
 まるくふくらんだプリーツスカートが僕の目の前でひらひらと踊った。
 それなりにメリハリのあるプロポーションなのに、少年みたいに元気よくのびのびと動く手足のおかげであんまり女っぽくはみえない。
 悪く言えば、まだおぼこくて未成熟。でも、さっぱりと軽やかで愛らしくて、そう、「キュート」という表現がぴったりはまるかもしれない。
 いつのまにか見とれていたことにはっと気がつき、あわてて脳内にわきかけた劣情を打ち消した。
 まさか、僕を本物の痴漢にしたてあげる魂胆じゃないだろうけど、刺激的なことこのうえない。
「あっ、ちょっとそれ貸して!」
 いきなり首にかけた双眼鏡をひったくられた。
 ストラップがぐいとひっぱられて僕の気管と頸動脈を急激に圧迫した。
「ぐえっ」
 一瞬目の前が真っ暗になった。
 頭を沈めてなんとか罠から首をはずし、その場にへたりこんでぜいぜいと息を吸い込んだ。
 人を殺しかけておきながら、女の子は知らん顔で双眼鏡をのぞいている。
「先生みーっけ!あーっ、あーっ!ずっるーい、自分だけおいしそうなもの食べてる!」
 わめきながら手すりをまたいでまっすぐ前に突進した。
 冗談じゃない、ここは展望台の最上階だぞ!
 あわててつかまえようとした僕の耳に突然羽ばたきが聞こえたと思ったら、腕のなかからふっと女の子の気配が消えた。
 自分のほうが転げ落ちそうになって危うく手すりにしがみついた。
 喉から飛び出しそうになった心臓をなんとか抑えつけてこわごわ下を見た。
 公園をのんびりと行き交う観光客たちがちらほら見えるばかりで、何もかわったことは起きていなかった。
 視線を上げると、大きな翼をひろげた何者かが空に浮かんでいた。鳥に似てどこか違う何かは、駅前にそびえ立つ鯛のモニュメントをかすめて悠々と飛び去っていった。
 両目をごしごしこすってあたりを見渡し、友達が背後に立っているのに気がついた。
 いつからそこにいたんだろう。大きな目をさらに大きく見開き、ぽかんと口をあけて空の向こうを見つめている。
「なあ。今飛んでったの、お前も見てた?あれは……鳥か?それとも……」
 女の子か、なんて聞けなかった。
 友達は首をかしげて唇に小指をあてた。それから一歩前に出て、僕の頭にすいと手を伸ばした。
 髪のあいだからつまみあげたのは白銀色に輝く一枚の羽根。
 太陽に透かしてみると、白い光の粒がきらきらとこぼれて友達の細い指までほんのりと明るく染めた。
 友達は僕の手のひらにそっと羽根を置いて目をほそめ、幸福そうに微笑んだ。
「……エンジェル」

Dark Side

 近頃の修学旅行は社会学習型や自然体験型が流行りなんだそうだ。
 だからってこの寒空に防災センターだの震災資料館だのを巡ったうえ、わざわざ島に渡って断層を見に行くなんてプランをたてたのはどこの馬鹿だ。俺様が教職員会議をさぼっている間に勝手なこと決めやがって。
 生徒どもは勉強などそっちのけで夜景だファッションだスイーツだとお気楽にはしゃいでやがる。
 断っておくが、俺様が海峡フェリーを待つ間、ガキどもを放し飼いにして玉子焼きをぱくついているのは、サボりでもご機嫌取りでもない。
 教師という副業のかたわら、本業の「お客さん」を油断なくさがしているのだ。人を恨み世間を呪い、悪魔に魂を売り渡してもいいなどとほざく輩をな。
 そうら、来た。蜘蛛の巣のように張り巡らした俺様独自の感覚網に、強力な陰性感情がひっかかった。今は意識の底に抑え込んでいるつもりのようだが、俺様には隠しようがないぜ。
 右手に割り箸、左手に玉子焼きの出汁椀を持ったまま、立ち上がってきょろきょろと発信源を捜した。箸から垂れたしずくが隣の客にかかって迷惑そうな顔をされたが、大事の前の小事だ。いちいちかまってられっか。
 みつけた。強い感情の持ち主は、店の前を通り過ぎた作業服姿の若い男だ。背は高く引き締まった体格だが、年の頃はうちの生徒どもとどっこいの小僧っ子だ。
 あとを追おうとして、玉子焼きが木皿にまだ半分以上残っているのに気がついた。今は腕が二本しかないのでしかたない。自分でついてこさせるか。
 小僧はかどをまがって人気のない裏通りに入り来んだ。好都合だ。周囲に結界を張り、気配を消して背後から近づいた。
「よう、あんちゃん。不景気なツラぁしてんな」
 ぽんと肩をたたいてやった。小僧は反射的に振り返って身構え……目を点にして固まった。視線の先には、ふわふわと宙をただよう玉子焼きの皿。
「おい、声をかけたのは俺様だ。玉子焼きじゃない!こっち向け!」
 こっちを向いた小僧の顔にはありありと警戒の色がうかんでいた。
「なんや、おっさん。大道芸人か、玉子焼きの宣伝販売か?」
「違ーう!」
 思わず脱力しそうになったが全力でふんばった。
「あんちゃん、人生に不満ためてんだろ。俺様がぱーっと解決してやろうか」
 小僧はいっちょ前に肩をすくめた。
「宗教関係の勧誘ならお断りやで」
 そっぽを向いて歩き去ろうとしたが、ここで引き下がる俺様じゃあないぞ。
 甘い誘いにほいほい乗って魂の安売りをするようなバカは孫受けの下級悪魔の客だ。多少抵抗するくらいの骨がなけりゃあ、堕落させる楽しみも 知れたもんだ。
 黙って先に行かせるとみせかけて、やおら椀を投げつけた。小僧がさっと身をそらす間に一気にその懐につめよった。瞬時に繰り出された拳を余裕で受け流し、腕を逆手にねじって組み伏せてやった。
 俺様ににやりと笑いかけられて、小僧の顔色が変わった。なかなかの腕前と言ってやりたいが、所詮は人間。俺様の相手じゃない。
「くさいで、おっさん。偉そうに言うわりに、自分の加齢臭もよう消せへんのか」
「ざけんなゴラァ!」
 なんちゅう口の減らん小僧だ!ブチ切れた勢いで、相手の心をつかんで無理矢理こじあけてやった。
 小僧の身体がびくんとのけぞった。ちょっとしたダメージだが、悪い子にはお仕置きも必要さね。
「てめえ……」
「くくく……もうちっとお利口にしてな。ほんとは痛い目になんかあわしたかねえ。悪くない取引なんだからちゃんと話を聞けよ。しかしお前の心の内、なかなか居心地がいいなあ。けっこう踏んだり蹴ったりの楽しい人生じゃねえか、よお」
 歯をくいしばった小僧の耳元で甘くささやいてやった。
「力が欲しいか。俺様みたいに強くしてやってもいいんだぜ」
 小僧は俺様の腕を振りほどき、走り出そうとしてがくんと地面に膝をついた。
逃げられやしねえよ。俺様はもうお前の弱いとこをしっかりつかんじまったからな。
「それとも金か?不自由してんだろ?まったく、世の中は不公平だよな。親が金持ちだってだけでのほほんと生きてる奴を見たら、はったおしてやりたくなるだろ?」
 こいつは上玉だ。柔らかいうまそうな魂をいただいたあとは、鍛えられた身体のほうもきっちり利用させてもらうぜ。
「女が欲しいか。あんたとは格が違うのよ、なんてお高くとまった雌犬を押し倒してひいひいいわせてやらねえか?」
 へええ、ガキかと思ったらちゃんと知ってんじゃねえか。おっと、そっから先は青少年健全育成条例違反……いやいや、今は教師の仕事じゃなかったな。しかし、最近は日干しだな。ほれほれ。いい夢みせてやろう。やせがまんしなくていいんだぜ。ぱーっとやっちまおうや。くっくっくっ……。
 最後の一押しだ。俺様は勝利を確信して魂の契約書を実体化させようと片手を差し上げ……
 突如落下してきた女子高生の足に顔面蹴りをくらってすっ転んだ。
「ぐはっ」
「せーんせいっ、私にも玉子焼きちょーだい!」
「うげっ、どこからわいて出た、お前……って、空からか。ええい、今取り込み中だ」
「すごい、先生、他の学校の生徒まで指導してるんですかあ。教師の鏡!えらい!」
 しまった。気を散らされた拍子に小僧とのチャネルを切られてしまった!
 小僧は悪夢から覚めたように呆然と視線をさまよわせていたが、女子高生の首にさがった物体を見てはっと我に返り、立ち上がった。
「あんた、その双眼鏡……」
「えっ……きゃあ、ちょっと借りたつもりだったのに持ってきちゃった。どうしよう」
 ぶんぶん振りまわされた双眼鏡が俺様のあごにがつんと命中した。
「ぐふっ」
「ああ。それの持ち主なら知っとう。預かって返しといたろか」
「ほんと?ありがとうございまーす」
 なんということだ。双眼鏡を受け取った小僧の顔があっという間におだやかになっちまった。なぜだあ、さっきまでの怨念は、憤懣はどこへ行っちまったんだあ!
「ほな、話はしまいや。おっさん」
「ちょっと待て、こっちの用件は終わってねえ……」
「先生、もうすぐフェリーの時間ですよぉ」
「今んとこ、用はない。余所あたってや」
「逃げるな、くそったれ!さんざんプレゼンさせといて、冷やかしですむと思ってんのかよぉ!てめ……」
「あ、これおいしい!」
「こら、俺様の玉子焼き喰うな!」
「だって、冷めちゃったらおいしくないでしょ」
「俺様が喰うんだ!返せ、返せったら!」
 俺様の悲痛な叫びを聞いて腕を振ってこたえてくれたのは、魚市場に並んだデビルフィッシュ(タコ)たちだけだった。

                                <おしまい>


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