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西山浄土宗 延命山西蔵寺

TEL. 075-681-8908

   〒601-8338
    京都府京都市南区吉祥院西ノ内町29

PRIVATE ROOM住職の部屋特にコンセプトもありませんが、
お寺や住職の身の回りでの出来事をつづっているページです。
直接お寺とは関係ない内容が多く含まれていますので、見ていただく場合は、
寛大なお心でお願いいたします。

題にもありますように、あくまで「PRIVATE ROOM」です。

最新の1枚

                   

日記

2018年2月15日(木)
はなくそ

今日2月15日は釈迦涅槃日です。
当山にも涅槃図がありますので、先の日曜日から一週間本堂に祀っております。

釈迦涅槃会にはアラレ餅が振る舞われる風習があり、当山も例外なく振る舞わせていただきました。

アラレ餅は、釈迦の『はなくそ』といわれたりします。花供祖(祖に供える花)や花供僧(僧が供える花)から転じての供物・振る舞い物なのですが、食べ物なだけにスマートじゃないなぁ。と思って苦笑い。

当山では年始に供えて頂いた鏡餅の一部を賽の目に切って、揚アラレを作っております。
塩味だけですが、これが素朴でヤミツキになる。お檀家さんにも懐かしいと好評です。

師匠の受け売りで作っているものですが、喜んでいただけると、ほほが緩みます。

はなくそと聞いて頬を緩め、喜んでいただいて頬を緩め……。
釈迦涅槃の当時はこの世の終わりとも取れる哀しみだったのかもしれませんが、2500年の時を超え、異国の地で人々の笑みの因となる。
釈迦の御遺徳の大きさの成せる技でしょうか。

今日は敬意も込めて、
『南無釈迦牟尼佛』

2018年1月27日(土)
初老

私ごとですが、初老を迎えました。
 
『初老』とは四拾の異称を申しますが、
初老を辞書で引きますと、中年を過ぎ老年に入りかけた頃、老化を自覚しだす頃……とあります。
 
正直そこまでの実感がないのが本音です。これも元気に過ごさせていただいている証拠でしょうか。ありがたいありがたい。
 
しかし、本来の『老』とは別の意味があるようです。
それを知るヒントとして、僧侶の位には『老和尚』というものがあります。
我が宗の位は、大僧正を筆頭に、権大僧正・中僧正……と全16位に分かれています。
その内、一位と二位が『大和尚』、三〜六位が『老和尚』、七〜十四位が『和尚』、十五位『西堂』、十六位『沙弥』と異称がついております。
つまり、この場合の『老』は年齢ではなく熟練度ということになります。
 
よって初老とは、人生の酸いも甘いもある程度熟知し、人として成熟し始めた頃と言えるのではないでしょうか。
もちろん人の成熟に終わりなどないのでしょうが、多くを学びより成熟を目指して、『老』の言葉を公言しても恥ずかしくない人生を歩みたいものです。

2018年1月24日(水)
沈黙

長らくの沈黙を破り、日記を再開しようと思います。
休んでいた理由は……ズバリ、サボっていただけ。
サボりがサボりをよんで、サボりが付いてきたような。
気が付けば半年が過ぎ、年も越してしまってました。

さて、明日は我が宗の宗祖法然上人の御命日です。
本日1月24日は御逮夜(前日の)法要が勤められ、浄土系の5つの宗派の青年会主催による、念仏行脚が行われます。
毎年とても寒く、太秦から総本山光明寺までの約15KMの道のりは遠く遠く感じるものです。
本年も例外なく寒そうですが、法然上人の御遺骸を移されたお弟子さまたちの思いを感じつつ、その教えを受け継いでくださったことに改めて感謝をして、参加して参りたいと思います。

年頭祈願としては遅めですが、私を含めこの部屋をご覧になっている皆さまが、
生きている事を、教えに出会えたことを、幸せであると感じ喜べる一年でありますように願っております。
喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る。そんな一年にしたいものです。

『白根山』噴火も気になりますが、それは次回。
まずもって、被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

末文になりましたが、本年はこまめに更新できる一年にしたいと存じます。
本年もよろしくおねがいいたします。

2017年6月3日(土)
衣替え

6月1日は衣替え。
我々の衣帯も、夏物に移行いたしました。

夏物を着て、まず感じたのが「軽い!」……でした。
合せの衣が一重になり、当然と言えば当然なのですが。

これに併せてと言う訳では無いのですが、冬の間に鈍った自身の身体も少しシャープに!
なんて思って久しぶりに運動をしてみますと、身体のアチコチが悲鳴を上げて痛いこと……。
何かにつけて鈍ら癖を拭えない拙僧の性根を、より自身が感じられる形で見せられているような気がいたします。

身や着物は軽くなれども、心が軽く浮つく事のないように肝に銘じて、先ずは大事な身体をいたわるとしよう。

2017年4月30日(日)
荒天 好天

春爛漫 境内には花が咲き、眺める庭も心地好いかぎりです。

昨日は、快晴→曇天→荒天→快晴と目まぐるしく変わる空模様に、驚いておりました。
普段の移動は単車が中心の拙僧は昨日も同様に単車で移動。
雨合羽と雑巾・タオルは常備しているのですが、昨日あまりの快晴に雨合羽を持たずに出てしまいました。
……が、あれよあれよと言う間に、空が暗くなり。とうとう雷まで。
檀信徒さまのお月参りに寄せていただいている最中には、まさかの土砂降り。
あまりの変わり様にビックリしつつ、檀信徒さまに甘えて雨宿りをさせていただいておりますと、にわかに外は明るく。
外に出てみると、打って変わっての好天。
不思議な天気。と思いつつ、帰山して最初に飛び込んできた風景は、庭に散乱したバケツとゴミ。
裏の墓地のゴミ箱とバケツが、表の庭まで転がってきておりました。
まさに台風顔負けの惨状。
改めて、自然の力を認識しつつ、今年の荒天がこの程度で済むことを念じ、ゴミ箱とバケツを片付けさせていただきました。

春の色々な顔を見せていただいた一日でした。

2017年3月29日(水)
自転車

先日、小僧と15km程離れた拙僧の実家まで自転車旅をしてきました。
旅とうたったものの、実際は春休みの間の数日、小僧を両親に押し付けるのに、連れて行っただけなのですが、ただ連れて行くだけと言うのも詰まらんなぁ……との安易な思いから。

拙僧にとっては、それ程大したことでもないのだが、自身の自転車でそれ程遠出をしたことの無い小僧にとっては一大イベントの様子でした。
2時間程の移動を、あれほど楽しみ、一生懸命になれる。
見習わなければと思わされました。

後半の登り坂の連続にも、何とか耐え走りきってくれて、やれやれと思ったところで拙僧にはすぐさま帰路が待っていました。
自身の体力の衰えを痛感しつつ、帰路の向かい風の強さに、フッと。
行きは追い風だったんだなぁ。
少しでも小僧が楽しめるように、見えない力が後押しをしてくれていたのかもと、感慨に思いつつ……
向かい風に怨みを覚える、愚者の一日でした。

2017年2月28日(火)
観光都市

一昨日、檀家さんのお宅へお参りに寄せていただき、バイクに乗る為帰り支度をしていますと、外国の男性に声を掛けられた。
聞いてみると、泊まる予定のホテルの場所が見つからないとのこと。
彼の手にはホテルの情報が書かれたスマホ。地図を見てみると歩いて1分くらいの所を指している。
拙僧は自信満々に「let's go!」

地図に指し示された場所に行ってみると、一軒家とアパート。どう見てもホテルには見えない。
その時初めて、スマホを持っている彼が拙僧に声を掛けた意味を理解した。

彼の持っていたスマホは、当然日本語表記でない為、拙僧には理解できず。
一部日本語表記されていた、ホテル名や住所を頼りに、自身の持っているタブレットで検索。
わずか100mほど離れたところに存在していた。改めて「let's go!!」

近年の外国人観光客の増加は目まぐるしい。それに伴って、小さくて目立たないホテルがあちらこちらに点在している事を再認識させていただいた。

話を聞いていると、彼はチリからサッカーをしに来たと言っていた。
趣味なのか、仕事なのかはまでは聞かなかったが、一人で言葉の通じない所に出掛ける勇気と行動力、改めて関心をさせていただいた。

それを感じたから拙僧が動くとは限らないのだが、日本有数の観光都市に暮らす者として、語学力の必要性を痛感した。

『英語かぁ〜』・・・・・・少々落胆した拙僧に、
別れ際、ホテル前で握手をした後の彼の「サンキュー、サンキュー」の言葉は、救いの言葉に聞こえた。
「good luck in Japan」…「ByeBye」……現時点、拙僧の限界であった。

心より、彼にとって満足のいく、幸福な日本滞在である事を祈ります。

2017年1月28日(土)
再開

遅ればせながら、本年も宜しくお願いいたします。

今年も早一ヶ月が過ぎ去ろうとしています。
何もしなくても、一日一日が過ぎ去っているのが、この部屋の更新を見ればよくわかります。

昨日、拙僧も誕生日を迎え30代としては最後の一年間となりました。
とはいえ、性格が変わる訳でもなく、生き方が変わる訳でもない。
ただただ、今日一日が平穏であれと思いながら、
ある事に、出会う事に、人であれ、物であれ、環境であれ、状況であれ、
感謝し、楽しんで暮らしたいと、改めて思い直しました。

寒さの和らいだ日には更新していく!と、心に刻んで、この部屋も再開です。

2016年11月28日(月)
西山證空上人御祥当

去る11月26日(土)の正午より、総本山光明寺の御影堂にて『西山證空上人御祥当法要』を青年会で勤めてまいりました。
4年前より、本山行事の『西山忌』は10月に行うようになりましたが、出来る事なら11月26日の本命日に勤めたいといった願いに賛同いただいて始まった行事です。

もちろんあまり認知はされていないのですが、「継続は力なり」の言葉もありますので、今後10年20年と続けていく間に認知されていくものと信じ。
また、決して我々宗内の者がこの日を忘れることの無いように。

後先になりましたが、西山證空上人(せいざん しょうくう しょうにん)は西山浄土宗の名の由来となった上人で、法然上人に永く師事したお方です。
臨終以後の極楽往生もさることながら、生きながらの極楽往生を説かれたお方です。
もちろん師匠にあたる法然上人も生きながらの往生をお説きにはなられていたのですが、證空上人はより多く示されているように感じます。

「光台に 見しは見しかは 見ざりしを 聞きてぞ 見つる 白河の関」
いつかは見てみたいと願っていた白河の関の雄大な景色を、通っていながら気付く事も無く通り過ぎてしまった時に詠まれた歌です。
このお歌を題材にして、光明寺を観光の方々にも聞いていただきました。

世の中には、素晴らしいと知っていても、見ることなく簡単に通り過ぎてしまう事柄が沢山あるように思います。
例えば、人の優しさ。自分に沢山投げ掛けていただいている皆さまの慈悲の心を逃さず気付かなければと改めて思います。
余す事無く気付くこと。もしかしたらこれが一番の修行ではないかと感じる今日この頃です。

紅葉狩りの最中にも関わらず、足を止めてお付き合いいただいた、沢山の聴衆の皆さまの厚顔が、この一週間の何よりの慈悲と受け止め、更に精進を!と思いつつ、……しばし休息。

2016年11月18日(金)
永観堂

昨日、我が西山浄土宗と同門である、永観堂禅林寺(浄土宗西山禅林寺派の総本山)へお邪魔して参りました。
紅葉期にあわせて、先方の青年会の方々が法話会をされるということで、コチラの青年会にも一緒にどうですか?と誘いがありました。

一人およそ10分の持ち時間をいただき、紅葉狩りにお越しになった観光客の皆さま相手の現代版辻説法と申しますか……。
特に法話の聴聞を主とした方々ではありませんので、興味がなければ席を立って行かれます。素通りが当たり前。
心折れそうになる時もありますが、温かく見守りながら耳をお貸しいただく多くの方の姿に、とても感謝を覚える行事でもあります。

当たり前のことを、当たり前に。綺麗言を綺麗なままでお伝えする事をモットーに話して参りました。
どなたかの心に響くものであったなら良いなと、思う次第です。

2016年10月25日(火)
再開

お久しぶりです。
もう更新されないのかと、疑問を持たれていた方々、大変申し訳ありません。
拙僧の邪魔臭いクセが出てしまいました。
この間、何もなかった訳では無いのですが……。むしろ色々あったのですが、それが余計に拙僧からページ更新を遠ざけていた訳で。
と、言い訳はこの辺で、とりあえず再開です。

先日、10月22日に時代祭に参加して参りました。京都の祭りでありながら、今まで特に御縁も無く道筋すら知らなかった次第。
今年は居住の学区が担当に当ったので、拙僧にも声を掛けていただきました。
まず、見物人の多さと海外の方の多さに、知ってるつもりでしたが想像以上でした。
明治の頃より始まった御祭だそうですが、100年を超え大きな大きなモノになったのだと感心致しました。
西蔵寺も同じように多くの人に愛されるモノであったなら良いなと改めて思いました。

そして翌日10月23日、二男の三歳参りに愛宕山の愛宕神社に行って参りました。
京都では、その子が三つになるまでに愛宕神社に参拝すると、生涯火難を逃れると言い伝えがあります。
出来ることは例外なくと思うのも親心でしょうか。
長男で経験はしていましたので覚悟はしておりましたが、五年の歳月も相まって、なかなか厳しい参拝でした。
我が子のみならず、火難の無い社会であればと苦しみ顔で願ってまいりました。

安全に暮らす為にも、先ずは我れを律して・・・。
この部屋を滞りなく続けるよう心掛けるようにいたします。

改めまして、宜しくお願い申しあげます。

2016年7月31日(日)
化生

昨年、友人からもらったカブトムシの2世が誕生しました。
ここでも拙僧のズボラな性格が顔を出す。蛹になったあたりまでは確認していたのだが……
気が付けば成虫になっていました。醍醐味とも言える羽化を見ずして。
それどころか、何匹成虫になったのかも確認出来ていない始末。
暇をみて掘りかえしてみたいと思います。

そんなことを思っていたら、ふと感じたこと。
カブトムシはいつを誕生というのだろう???
卵→幼虫→蛹→成虫……カブトムシ!と子供に喜ばれるのは成虫。
しかし、誕生はやはり産み落とされた卵の段階か、はたまた幼虫になった時か、それとも成虫に変わった時か。
あえて調べず謎のまま置いておこうかな、と思いつつ。。。

昆虫は幼虫と成虫では、生き物として全く別なものになるらしい。
これを化生というのだそうで、即ち新たな生命の始まりとも言える。
仏教にも使う言葉化生。我々が極楽に生まれ往く時の事を「蓮華化生」という。
ん?…卵が懐妊、幼虫が人生、蛹が人生の終わり(死)で、成虫が極楽往生。

そう考えると、拙僧は今まさに土の中のわずかな世界をモゾモゾと動き出した頃か。
カブトムシは幼虫の時の大きさが、そのまま成虫の大きさにつながるのだそうだ。
幼虫の段階での行動が器を決める。良いカブトムシに化生するべく、蛹となるその時まで、食べて動いて大きくなるカブトムシ。
我々の極楽での器も人生の行動が関係するのかもしれない。良い蛹(死期)と、良いカブトムシ(化生)を目指して、精進精進。

2016年7月7日(木)
七夕

昨日の朝、今年初めての蝉の声を聴きました。
夜が明ければうるさいぐらいの元気な音が境内の庭のアチコチで聴こえる訳ですが……。
変わらず夏の風物詩に巡り合う有り難さと、やはりうるさいと感じる不快さを同時に感じる瞬間です。

奇しくも、本日は七夕。
一年で見てみれば、蝉の音を耳にするのも僅かな時間。
人生においても、一年に一度だけなんてことは往々にして良くあることです。

一期一会を大切に!
そんな心をいつまで忘れず持ち続けられますように。
星に願いを掛けてみるといたします。

2016年6月16日(木)
気付き

気が付けば、前回の更新から一月半も経ってしまった。
放置したのは拙僧なんですが・・・。本当に面目ない。

気を取り直して、

気が付けば、敷地内で細々ながらの家庭菜園の夏野菜には実が付き始め、
気が付けば、菖蒲の花が咲き誇り、
気が付けば、半夏生が白く化粧をし、
気が付けば、梅雨に入っており、
気が付けば、蒸し暑くなっておりました。

人間生きておりますと、いつの間に!!!
なんて思う事は沢山ありますが、気付かずにやり過ごすことも沢山あるんだろうな。

巷の話題は、都知事の話でもちきり。
我に置き換えた時、権力立場を得ることで傲慢になっている事はないだろうかと、ハッと思わされます。
拙僧も後輩たちに対して、偉そうにモノを言ってないだろうか?…後輩たちは当たり前のように「はい」と返事をくれているけれども、果たして本心だろうか?
上下関係が生まれた時ほど、力を与えられた時ほど、気を付けなければと改めて気付かさせていただきました。

「実る程 頭を垂れる 稲穂かな」
まだまだ『実り』は程遠いとはいえ、忘れないようにしなければと感じる次第です。

気付かせていただいた事に感謝をいたして、日々精進。

2016年4月29日(金)
忙しい

バタバタバタバタ、実に長い4月だったように思います。
あまりゆったり出来る時間が無く、気が付けば月末。
行事を含め、熊本・大分の震災など事件も多かったせいか、忙しかった割に長く感じる一ヶ月でした。

まずもって、震災の被災地域の方々には心よりお見舞い申し上げます。
出来ることと言えば、義援金募集の托鉢と自らの募金くらいですが、わずかでも力になれればと願っております。

私事では、師僧の本山納骨と小僧の小学校入学が大きな出来事でした。

師僧の遺骨の一部を総本山光明寺へと納骨させていただきました。
御法主猊下に導師を勤めて頂き、剰え師匠を思い涙してくださいました。
正直嬉しくて有り難くて、拙僧も感極まりました。
そうまで思っていただける師僧への尊敬、惜しげもなくその想いを表してくださる御法主猊下のお心への感謝、
いずれも益々、深く深く心に残させていただく一日でした。ありがとうございます。

そして、小僧の小学校入学。
いよいよ、長い長い勉学の日々が始まるのかと思うと、親のエゴで邪魔をすることなく見守り続けなければと、考え新たにさせられる日でありました。

他にも、色々あった4月。
とにかく気持ち新たに、新年度スタートです。

2016年3月28日(月)
母の言った矛盾

先日、とあるお寺の掲示板に「母の言った矛盾」の言葉を見ました。

『よそは、よそ。うちは、うち。』
『お前もたまには、隣の○○君見習いなさい』

どちらもよく聞く言葉のように思います。
かみしめると、クスッと笑ってしまう、二言です。
方や他と比べるなと言い、方や他と比べろと言う。
子供の事に限らず、自分自身や、自分の境遇、周りの人を問わず、都合の良いように比べたり比べなかったり。

つくづく勝手なものだと思いますが、比べて当然なんですよね。
比べる事が出来る対象があるのだから。
でも比べすぎて、自分を見失わないように心掛ける事が重要だと気付かされる、矛盾でした。

2016年3月25日(金)
卒園

先週末、小僧が卒園を迎えました。
親からするとあっという間の三年間だったように感じますが、振り返ると沢山の事があったように思います。

小僧が元気に成長することを楽しみながら、拙僧も親として成長をさせていただいているんだろうなぁと思います。
いつまでも元気にいようと思わせてくれる存在です。
その為にも、一日一日を大事に過ごそうと思い直す小僧の卒園でした。

三年間ご苦労様。卒園おめでとう。…ありがとう。

この言葉が言えるのも、お世話になった先生方のお陰です。
先生方に心より感謝です。ありがとうございました。

2016年3月12日(土)
托鉢

去年に引き続き、今年も「東日本大震災」の義援の為、青年会による托鉢に参加してまいりました。
多くの方に足を止めていただき、ご協力いただけたことに感謝と喜びを覚えました。

今回一番心に響いたのは、高校生の2人組みが我々の姿を見て、「私たちがしなければいけないことじゃないのかな?」
って話していたこと。・・・大人よりも時間に余裕のある学生が募金活動をすべきではないだろうかと思ってくれたと推察いたしました。
その子たちは、わざわざ両替をして戻ってきて募金もしてくれました。
年は拙僧の半分にも満たない子たちの、素直に日本を思う気持ちに心が熱くなりました。

拙僧が高校生の時に、阪神淡路大震災が起こりました。
その時に、今日出会った子たちのように素直に困ってる方を助けたいと思えていたかは甚だ疑問が残ります。

自分の経験と照らし合わせ、恥ずかしい気持ちになったと共に、
こんなに優しい子たちが育ってくれている事に嬉しくなる托鉢でした。

募金してくださった方はもちろん、被災者に関心を持たれている方々の思いが復興の後押しになる事を願ってやみません。

2016年2月24日(水)
ルービックキューブ

先日、ガチャガチャでルービックキューブを見つけた小僧が興味を持った為、購入。
ガチャガチャなので、当然ながら掌にすっぽり納まるサイズ。通常のものと比べると少々動きはぎこちないものの十分遊べる仕上がり。
難点としては、レア感を出す為のキラキラしたラメ模様が拙僧の目にはチカチカするのと、似た色目が判別し難いところか。

拙僧もウン十年ぶりに手にしたのだが、なかなか上手くいかず、小僧そっちのけで夜中の1時まで格闘。結局白旗降参。
インターネットの力を借りて、元通りにはしたものの、未だにどうやったら合わさっていくのかが理解できていない。
1面を揃えた後に、次の面を揃えていく為には一度揃えた部分を崩しながら調節をしていく訳だが、これがなかなか勇気がいるもので、元に戻せる手を頭に覚え込ませながら回していると途中で訳がわからなくなり、後戻り出来ないくらいバラバラになってしまう。
改めて難しさを実感したのと、自分の無能さを実感したのだが、良い頭の体操にはなりました。
結論から言うと、どうやら公式のようなものを覚えてしまえばある程度出来るようなのだが、それを解読した方々には感服いたします。
まぁ作った人間はそれをわかってやっているんでしょうけれど。

世の中には色々な公式、順序立てがあり、物事を進めていく為にはこの方法がスムーズであると過去の失敗経験から具わるものがある訳だが、その公式を残してくださった方々に今更ながらに、有り難いと感じる出来事でした。
しかし難題であった。・・・ルービックキューブ。ブームは去った玩具でありながら無くならない意味を垣間見た気がいたします。

2016年2月3日(水)

早速のサボり癖が……、今年も変わらずな拙僧のようですが、皆さまどうぞご容赦の上、ご覧ください。

節分を迎え少し春気分です。
とはいえ、目まぐるしく変わる気候にあわせ、何とか体調を崩さずにと心掛けるのが精一杯な気もいたします。

今日は健康と安寧を願って、世間に倣い、
恵方巻きにイワシに豆まきと、一応に風物詩たるを感じてみました。
これで全てが丸く収まれば問題が無い訳ですが……。
願いを願いで終わらせない為に、用心と精進を肝に銘ずといたします。

暖冬はあながち嘘でもなく、雑草たちの芽吹きが早いように感じます。
昨日より雑草たちと、拙僧のせめぎあいが冬の休戦明けて始まりました。
今年も負けずに参りたいと思います。

2016年1月6日(水)
迎春

2016年のスタート。
例年と変わりなく正月を迎えた訳ですが、昨年同様にここにきて体調が芳しくない。
年末からの疲れ・・・。正月の気抜け・・・。
いずれにしても年始早々気を付けなければと思わされるスタートです。

この一年が拙僧にとっても、皆さまにとっても、良い年でありますことを願って、
本年も宜しくお願い申しあげます。

2015年12月6日(日)
変化

ここにきて、ようやく紅葉も本番がやってきました。
今年は総本山光明寺の紅葉参道も色付くことなく枯れてしまうのだろうかと心配しておりましたが、
12月に入ってからの冷え込みにより、遅ればせながら見事な色付きを見せてくれました。

平年見頃の11月下旬にお越しになった方からすれば、非常に期待外れなものだったかもしれませんが、
そんな周りの雑音に左右されることなく、自分のペースで色付いていくモミジたち。
つい周辺の声を気にして行動をしてしまっている拙僧を戒めてくれているかのように感じます。

淡々と、けれどしっかりと自分の人生を歩む姿に感銘を受けます。
とはいえ、いざとなったら流されるんだろうなぁ。

周りの期待に応える為の人生。
周りを気にせず思うがままの人生。
どちらが幸せの道なのでしょうか。

自然に任せつつ、努力を重ねて、人々を感動させる変化を遂げる。
紅葉を超える人生を歩みたいものです。






 
2015年11月26日(木)
迷い

先週末、師匠の満中陰(四十九日)を迎えました。
極楽への往生を遂げられ、今頃は神通力を以って各地を飛び回っている事だと思います。
何となくそのお姿が想像出来るのも、生前の活動的な姿を見させていただいていたからかと、感じております。

さて、ぼちぼちに紅葉が進み、見頃はいつかいつかと待っているのですが……。
今年はどうも様子がおかしい。11月に入り寒くなるかと思ったら、異例なほどに暖かくなり。例年同時期に比べると見頃とは程遠い紅葉のように思います。
どうやら、モミジも色付いて良いのか悪いのか迷っている様子。当山の唯一のモミジも半分紅くて半分緑。それ程大きな木ではないので、だいたい一斉に色付く事が多いのですが。
多くの歳月を生きてきたモミジでさえ環境の変化に迷う事があるのだなぁ〜。と感じた次第。
さながら我々人間が、周りの情報に感情を左右されて、身体も右往左往してるかのように……。

人生に迷いはつきもの。とはいえ、あまり迷いたくはないものです。

迷った時の指針になる心を、育みたいとするのが仏の教えなのか、
迷いがあって当然と受け入れて開き直るのが仏の教えなのか、

……と、迷っている今日この頃です。

2015年10月23日(金)
感謝

師匠が遷化してから半月が経過し、拙僧の生活は以前と変わらないモノとなってまいりました。
亡くなってから今日に至るまでに、通夜葬儀も含めて沢山の方々にご弔問に来ていただき、弟子として、孫として嬉しい限りです。
兄に住職を譲ってから既に15年もの歳月が流れており、法要の現場で、また私的な場面でも皆さまとお会いする機会は殆ど無くなっていたのですが、それでも大勢の方に見送っていただける。
誇りに思うと同時に、皆さまに感謝の念が絶えません。

生前、師匠はある方からこのような質問を受けておりました。
「先生は遊びに行かれる事は無いのですか?」と。
確かに孫の拙僧が知る範囲で、師匠がどこかに遊びに行ったという話は、ほとんど見聞したことがありませんでした。
そういう意味で、拙僧にも非常に興味のある質問でした。

師匠の答えは、「私は毎日遊んでいるよ。」というものでした。さすがに拙僧も意味が解らずキョトン顔をしていると、こう続けたのです。
「毎日檀家さん宅に寄せていただいて、好きなお経を唱えて好きな話をしてくる。説教や講演の席に呼んでいただいた時も、目一杯に好きなことを話して来れる。これ以上の遊びが他にあるか?」

解ったような、解らんような……
ただ、言われてみればいつも楽しそうに法務に身をおいていた気がします。
望んだ人生かどうかは別にして、与えられた環境や事象をそのまま楽しめる。これ以上の人生は無い気がいたします。
師匠は『発想の転換』という言葉をよく口にしていました。
物事の捉え方、考え方を、常に仏(感謝のフィルター)を通してみること。これが大事であると。
人生には、望む出来事。望まない出来事の混在が当然。だからこそ感謝のフィルターを忘れてはいけないのだと。

『毎日遊んでいるよ』
と、自信を持って言えるように。何事にも感謝をし、素直に生きれますように。
その考え方を残してくれた師匠に感謝。

そして、なにより、師匠にそう言わしめる程の楽しかった時間を、師匠に与え続けてくださった檀信徒さまを始めとする、縁のあった方々に心より感謝申し上げます。

2015年10月7日(水)
愛別離苦

お釈迦さまの説かれた法の中に四苦八苦というものがあります。
思い通りにはいかずに、苦労をする事を四苦八苦するなどと申しますが、まさしく思い通りにはいかない世であるとの思いを伝える為に、お釈迦さまは苦しみと表現なさいました。

そのうちのひとつ愛別離苦。
愛するものと別れなければいけない苦しみ。生き別れ、死に別れ、怨み別れ……。
いずれにしても辛く悲しい事ですが、命あるものとして生まれてきた以上は、どれだけ努力をしても死に別れだけは決して切る事の出来ない愛別離苦です。

一昨日、10月5日未明に拙僧の師匠である祖父が遷化(他界)いたしました。
男性の平均寿命が80才くらいと言われる中での行年92才。
十分なような……そうでないような……。

今の拙僧が僧侶としてあるのは、間違いなく師匠のおかげです。
この上なく大事に大事に、と育てていただいたような気がいたします。

常に心配を掛けてきた拙僧ですが、師匠の極楽への旅路を邪魔しないよう、今まで通りに、つとめて家族親族仲良く、人として僧侶として、恥じない生き方を心掛けたいと思い直す次第です。

この場を借りまして、「おじいちゃん、ありがとう。また会いましょう。」 合掌

2015年10月3日(土)
再開

夏以来放置状態が続いておりましたが、気候も良くなってきたこともあり、再開したいと思います。別に意図して更新をしなかった訳ではないのですが……

幾度となく、書き込もうと思いながら更新をしてこなかったことをまずもってお詫び申し上げます。
拙僧の悪いところ・・・サボり癖がでてしまいました。面目無い。

しかし、気を取り直して。更新再開です。

9月は大きな災害があり、毎年起こる自然災害に見るのも辛いと感じておりましたが、先日のニュースで天皇皇后両陛下が被災地を訪れられている映像を拝見いたしました。
その時に美智子皇后が被災者におっしゃられた言葉が拙僧の心を衝きましたので紹介させていただきます。
それは「無事でいてくれて、ありがとう」というものでした。
一見何事も無い一言ですが、非常に慈愛に満ちた言葉のように感じました。

「無事でよかったですね」といった言葉を掛けてしまいそうな場面での「ありがとう」
まるで国民一人一人がご自身の身体の一部かのような思いを持ち、普段より心底国民の側に心を寄せていただいていると感じる言葉でした。
我が子にですら、ありがとうという声を掛けれるだろうかと自身に問いかけても、なかなかの難しさを感じます。

慈悲心を説く仏教者として、非常に勉強になった一幕でした。
『他人の益は妬みの種、他人の不幸は蜜の味』たる昨今、
他人の不幸を共に悲しみ、他人の益を自身の益として喜び感謝をする。是非見習いたいものです。

2015年8月28日(金)
盆行事

昨日の大日会を以て、今年もお盆の行事が万事無障礙に済みました。
お盆の行事を勤めて
おりますと、沢山の願いや思いに包まれている事に気付かされます。
予告通り(?)棚経ですが、これはこの時期に先祖先亡の精霊(ショウレイ)が現世に戻ってこられる時だと言われております。…でどこに???
拙僧の勉強不足かもしれませんが、経典には霊が帰るとも帰らないとも書いていないような気がいたします。また棚経は日本の行事です。
という事は、日本の人々の物事の考え方が生んだ文化行事ではないかと……。
そう考えた時に拙僧の頭に浮かんだことが、この時期日本には蓮の花が咲くということです。経典には我々は極楽に生まれる時には蓮華(蓮台)に生まれると表現されております。
その話を聞かれた昔の方々は、実際に現世で咲く蓮華を見て、ウチのご先祖さん帰ってこられたと思われたのではないでしょうか。帰って来られたのであれば、家に場所を作らないとと、一時的に祖霊の為に作られたのが精霊棚。その棚の前で経をあげるので棚経。……何となく一連の流れとして拙僧が一番腑に落ちる考え方です。
今よりももっと自然と共に生きていた方々より続く行事に触れることで、先に亡くなった祖父母を始めとする先祖の方々に今の拙僧を見ていただきたい気が少しいたしました。……怒られるだけかもしれませんが。チョットでも褒めていただけたらと願ってやみません。
地蔵盆の写真をアップしたので、地蔵盆の話もと思いましたが、既に長いのでまたいずれ。

2015年8月10日(月)
季節は秋に変わりましたが、まだまだ暑い。夏の盛りを思います。まさしく残暑。
8月に入りお盆のお墓参り(墓経)、本日からは檀信徒さまの各お仏壇をお参りさせていただく棚経を開始いたしました。
今年の墓経では、小僧が拙僧の横に付いて勤行をしてくれました。得度をさせた訳では無いのですが、拙僧の母が過去に衣の仕立てを生業にしていたこともあって、孫の為にと小僧の衣と着物を仕立ててくれたのです。まぁ拙僧が頼んだというのもあるのですが。
未来に小僧が僧侶をするかどうかは未定の話ですが、足を踏み入れた時にはきっと役に立つであろうと信じて。……拙僧も兄と共に、幼少の頃より師匠である祖父の横に付いて座らさせていただいていた事が、今の礎となっているので。
未定の話はさておき、師走と言われる12月より和尚さんが走り回る棚経。京都の町なら何度会釈をするのだろうという程に色んな和尚さんに出くわします。もちろん会話がある訳では無いのですが、労いの心と共に、お互いにすべての檀信徒さまの棚経が無事終えさせていただけますようにと願って頭を下げております。
棚経とは?……まで書いてみようかと思いましたが、長くなりそうなので、この部屋始まって以来初めての次回持越しです。……盆明け元気だったら書こうと思います。

まずは明日ガンバロウ。
2015年7月21日(火)
海の日

昨日は海の日。調べてみると、平成8年より施行された祝日であるが、拙僧は既に年数は忘れていた次第。比較的早い段階でハーッピーマンデー法が施行されたこともあり、当初7月20日だったことも正直忘れていた次第。人の記憶とはつくづく曖昧だと思い知らされる。
来年からは8月11日が『山の日』という祝日に変わる。もともと寺院と祝日は無縁のものかとも思うのだが、より無縁の祝日が出来ることになる。お寺は山の山頂・中腹・麓に建てられることが多く、マチの寺院でも「山号」というものがある。当西蔵寺も例外なく、『延命山』という山号がある訳だが、8月11日は盆参りの真っ最中である。
皮肉なもんだと捉えるか、新たな御縁が生まれるかも捉えるかは、拙僧次第と思わされる新たな局面である。

と、脱線しすぎたが昨日は海の日。海の恩恵に感謝をするというのが主軸の日であるらしい。とはいえ、お寺の前庭でビニールプールに水をはり、小僧と戯れておりました。立派に日焼けもし、十分海気分。
海だけでなく、太陽、大地、空気、風、あらゆるものに感謝をしつつ、上手に付き合っていきたいものであると思った一日でした。

あ〜、背中がヒリヒリする。……何事も程々がよいと痛感。

2015年7月16日(木)
対策

台風11号が強い勢力のまま接近。
明日未明には上陸の予報に対策をせねばと思う反面、出来ることは少なく。やった事と言えば、墓参用のバケツその他一式を飛ばないように仕舞い込んだくらい。
いざと言えばなにをして良いのかもわからず、無事に通り過ぎてくれることを願っていつも通りの日常。幸い大きな天災を経験したことのない拙僧には、どのような情報を戴いても、イマイチ他人事ととらえてしまっている。……きっと今までに災いに遭われた方も、「まさか自分が」の思いをもって居られたのでは?と推察する。
明日は我が身と用心する事を肝に銘じつつ、無事を願い続けようと思う。
嵐が先行してしまったが、安保法が衆院可決。賛成の方も、反対の方も、根本の願いは争い無い世界を!!で纏まっている事を切に願う。
天災と人災の大きな違いは、恨みの深さでしょうか。悲しみの大きさは同じだけれども、癒える痛みと癒えない痛み程の差があるように思えて……。

政教分離。あまりこの部屋に政は持ち込みたくはないのですが、何となく気になったので今回だけ。

台風一過が明るい空でありますように。

2015年7月10日(金)
梅雨明け

今日の空は高い。この表現がシックリくるような天気でした。
拙僧が何を以てそう感じるのか、未だに表現も出来ないのですが、そんな空をこの時期に見ると「梅雨明けだ」と感じてしまいます。本来の梅雨明けとは少し概念が違うのかもしれませんが、勝手に梅雨明け宣言をさせていただきます。
後ろに迫る台風は別として、たぶん梅雨の雨はもう降らないでしょう。根拠もなければ、責任を取る訳でもないので、拙僧の戯言を見た方は嘘であっても恨まないように願います。
天気を見ながら、あ〜でもない、こ〜でもない。勝手に予想をしては笑ってみる。決して思い通りにはならないけれども、何やら楽しい。
人生も決して思い通りにはならないものかもしれないけれど、何やら楽しいと言える日々を送り続けたいものです。

2015年7月1日(水)
下半期

今年も、はや半分が過ぎ下半期へと突入いたしました。
上半期には楽しい事も、辛い事も、嬉しい事も、悲しい事も、たくさんあったのだとは思いますが、ひとつひとつと言われると案外と覚えてないものであったりいたします。それはきっと今という時間を精一杯生きられている証拠であると信じて。

たくさんの出来事の中でも、上半期一番の出来事は拙僧宅に二人目の小僧が生まれたことでしょうか。現時点記憶に留まるようなコミュニケーションは取れませんが、今後積み増しできるであろうと思い、変わらず今を精一杯に生きたいと願います。

7月になり、お盆の準備も開始いたしました。
ここからは通常の法務や行事に加え、7月後半には小僧の夏休み突入を控えて時間との勝負(?)です。気分は明日にテストを控えた学生のよう。
はやる気持ちを抑えつつ、ひとつひとつをこなしながら、今という時間を精一杯生きるぞ!!と心に留めて、『下半期スタート』です。

2015年6月15日(月)
素朴に… 素直に…

独身の頃には、当然のように行っていた家事も家内が居てくれますと、ついつい任せっきりに…。年を負う毎に何もしなくなっていく自分には、出来ないならまだしも、出来る事すらしないとは、人としてどうかと振り返ってしまう昨今です。
法務の無い日には、偶に勝手に立たせていただく事もあるのですが、近年はとにかく単純に、焼く煮る炒めるに終始しているように思います。
理由はただ一つ。その方が小僧が食べてくれるから。
凝った料理が良いとか悪いとかではなく、ただただ口にしてくれる人が喜んでくれること。料理の根本を見た気がします。
モノの命を頂戴して口にするからこそ、いただく者がより感謝出来るように、美味しいと感じるように調理をする。変わり種も良いけれど、素材の味に少しの塩味や少しの甘味。
年を重ねるにつれ、素朴なものに満足せず、飾って飾って飾りつくしてる気がいたしますが、飾らぬモノにも満足をする心を忘れないように過ごしたいものです。

素朴な小僧等には、常々モノの本質たるを教えていただいているように思います。

以前にも書かせていただきましたが「世間の方々、皆師匠!!」と、師匠からは教えられました。
その通り。……我が子と言えども例外なし。先輩に限らず、後輩・子供であっても沢山の事を拙僧に教えてくれています。
良き師匠達に囲まれている事に、改めて素直に感謝。

2015年5月27日(水)
布薩

昨日、総本山光明寺にて布薩会(ふさつえ)が勤まりました。
布薩とは受けた戒を思い出すと共に、自己がその本質から逸れた行動・生活を送っていないかを反省・懺悔する儀式です。別名「授戒ざらえ」と申して、一年に一度おさらいをする日です。古来は月2回、月6回などの日にちを設けて自己反省の日として布薩をしていたようですが、今は年一度に儀式化されています。
しかし、己の行いを省みる事は平素より続けるべきだとつくづく思います。
自分の安易な行動が、多くの方々に迷惑を掛けたり、不安に貶めたり。…人生を左右する出来事を自ら招き入れたりしてしまう事も。拙僧も過日そのような出来事がありました。幸いにして回避出来た訳ですが、偶々が重なってくれたお陰と、許してくれる方々がいてくれたからだと改めて思います。
悪い事が起こった時に反省をするのは意外と簡単なものですが、運良くそれを回避出来た時、単に「運が良かった。助かった。」で済ますことなく、自己の行動を見つめ直す事を忘れないでいようと思います。そうは言いつつ心の一部では「助かった」と思っている訳ですが。……反省。
『君子危うきには近寄らず』ではないですが、自らの行動で災禍を招き入れる事の無いように謹みたいものです。

日々布薩。日々精進。

2015年5月25日(月)
目覚まし
日常、拙僧の起床時間は5時55分としております。6時の開門の時間に合わせている事に加えて、同じ数字が並ぶ何となくの語呂の良さで、この時間に決めております。
しかし5月に入ってからは、6時前と言うと既に眩しいくらいに明るい。知ってか知らずか、拙僧の横で眠る小僧が5時半には起き上がり、夢の最後を楽しむ拙僧を強制的に現世へといざなってくれます。時計を見るとあと25分ある。……と思いながら渋々起き、少し早いが門を開けに行く生活が約2週間程続き。
昨日の朝、小僧が土日をかけて祖父母宅(拙僧の実家)へ遊びに行った為、久しぶりに5時55分の目覚ましを寝て聞く事になりそうだと思っていたら……。人間の身体は不思議です。体は疲れていたはずなのに、結局起きて時計を見れば5時半。一人で苦笑い。
既に習慣づいていたようです。
しかし、強制的に起こされた訳でもなく、目覚ましの機械音で起きた訳でもないので、時間は早いのですが、どことなく心地良い。小さな幸せを感じつつ、それを体感するきっかけをくれた小僧に少し感謝。

今日からは、また小僧の目覚まし生活です。
2015年5月6日(水)
恒例

昨日は『こどもの日』ということで、初節句の次男坊を囲み、拙僧・小僧と3人で五月人形前にて写真を撮りました。(写真のUPはありませんが)
だからどうだということはないのですが、困難にも元気に立ち向かう子達であってくれることを祈るばかりです。・・・拙僧は逃げるタイプの性格ですから、それを見て育っている小僧達にそれを課すのは非常に酷なことなのかもしれませんが。

話は変わって、同じく昨日、「ネパール大地震・被災者義援托鉢行」に青年僧の一員として参加させていただきました。たった一時間程度でしたが、沢山の方々の善意に触れさせていただき、感激いたしました。托鉢行をするといつも思うのですが、義援と言って立たせてもらいながら、人々の優しさに触れさせていただくことで拙僧の心を皆さまに育てていただいてるような気になります。
それと同時に今もなお現地で困っておられる方々が、一日でも早く安穏を迎えられることを願ってやみません。

恒例行事、流れ作業のように行っている時もある訳ですが、年々変わらずに続けていられる、『恒例』を恒例として行っていけることに、改めて感謝を覚えます。

2015年4月20日(月)
師匠

先日、僧侶の師である祖父と同じ法要に出させていただく機会を頂戴いたしました。
齢90。かれこれ法務に出なくなって10年くらいにはなると思います。ただ1〜2年に一度といった非常に稀な場面ではありますが、請われて法務に立つことがあります。
孫としては、身体の事が心配にはなるのですが、「引き受けた以上は…」と凛として法務を熟す姿には改めて尊敬の念を覚えます。
沢山の事を教えていただくと同時に、僧侶として、一人の人間として、学ぶべき姿を沢山見せていただいております。
以後、何度同じ法要に出させていただく機会があるのかはわかりませんが、その一挙手一投足を自身に刻めればと思います。

師匠から言われた言葉に、「世の人は皆師と思え」と言うものがあります。
世の中は、色んな形を以て私に数多の事を教えてくれる。世の人は、その言動を以て私に生きる道を示してくれる。それをしっかり観察すること、そして考え身に付けることが報恩であると。

物事を素直に見るのは非常に難しく、往々にして自分勝手な色眼鏡で見てしまうものですが、時に触れ色眼鏡を外してみようと思う次第です。
そして、いつか拙僧の姿がどなたかの学びの対象になれることを願って、精進精進。

2015年4月4日(土)
四月四日

本日、四月の四日は拙僧にとっては大変思いのある日です。
今から16年前の、1999年4月4日に当山に晋山をさせていただきました。
桜の木が満開で、檀信徒さまを始めとする沢山の方々に迎えていただき、祝福をしていただいた事を覚えております。
当日は言われるままに動くだけで精一杯だったように記憶をしていますが、あの日から今日まで、皆さまの期待に応えられるような成長を遂げているのか……。甚だ自信が無いのですが、それでも皆さまに助けていただきながら過ごさせていただいていることに感謝を覚える次第です。
関わる皆さまと共に、安堵の日々が過ごせることを願いつつ、心新たに17年目を過ごしたいと思います。
17年。人生で言えばまだ高校生です。色々な事がわかりつつも、未成熟で。まだまだ周りの方々に沢山迷惑を掛ける事になるかもしれませんが、決して奢ることなく精進したいと改めて思いました。

2015年4月2日(木)
開花

晩秋に植え付けたチューリップの花が咲きました。あ〜、蕾が膨らんできたなぁって思ってからわずか2日。あっという間に咲いた気がしますが、いつまでかわいい花を咲かしてくれる事やら……。特に手を掛けたと言う訳でもないのですが、やっぱり咲いてくれると嬉しいもので。いつかは散るとわかりつつ、いつまでも咲いていて欲しいと思ってしまうものですね。
この時季は雑草も同じように活発に成長をしてまいりますが、方や望まれ、方や疎まれ。あまりにも自己中心的なモノの捉え方だと、どこかで思いながら結局都合の良いように、好きになったり嫌いになったり。
優しい気持ちにさせてくれると共に、色々と思いを巡らせていただける草花に感謝です。
今後も数知れず、好きだ嫌いだと物事を判断して生きていくのでしょうが、綺麗なチューリップに負けない、綺麗な心を開花させてみたいものです。

ゴメンナサイ。と内に宿しながら、やはり雑草たちとは闘う事にします。

2015年3月27日(金)
春盛り
お彼岸も終わり、お寺としては賑やかな時が通り過ぎた感じです。
これに伴い拙僧は日常に入っていく訳ですが、彼岸の間に小僧は春休みを迎え・・・、甲子園では高校野球が始まり、って思ってたら2校も出ている京都勢が既に姿を消していたり。僅かな間にも世の中は移ろい往くことを実感している訳ですが、本日からはプロ野球も開幕ということで、そちらに目を奪われる時間も少し増えるかもしれません。

結岸(お彼岸最終日)より、総本山光明寺にて法脈相承(加行)が始まりました。これから僧侶としての人生を歩む者たちの登竜門ですが、この時期になりますと「初心に帰る」を意識させられます。
我々の人生には幾つもの最初があり、その度に初心を抱くのだと思います。
何を感じて始めたのか、どのような縁で導かれたのか……大事にしたいものです。

きっと最初が一番力がみなぎる時なんでしょうね。まさしく春。
この季節、法脈相承に挑む方々を見、庭の草花が芽吹いてくるのを見て、みなぎる力に触れさせていただくことで、また己が元気になった気がいたします。
継続の力を戴きつつ、春盛りの日々を過ごせるよう、気持ち新たに活きたいと思います。
2015年3月14日(土)
ミーハー

特に鉄道ファンという訳でもないのですが、たまたま法務が無かった日でしたので、小僧と一緒に北陸新幹線を見に金沢まで行って参りました。
開通初日という事もあり、駅構内・駅ホームは沢山の人でした。……まぁ拙僧もその沢山の内の一人だった訳ですが。
とにかく入場券の臨時売り場が開設されていた程でした。
たかが新幹線、されど新幹線。と言ったところでしょうか。
京都・大阪と繋がってこない限りは、恐らく乗車する事は無いのでしょうが、機会があれば乗車もしてみたいものです。

疲れもしましたが、改めて活気は良いモノだと思いました。
我先に!!といったもので無く、譲り合いながら明るいニュースを皆で楽しむ。大きな人だかりでありながら心地よい空間でした。近年良く取り上げられる、日本人の良い所を垣間見た気がいたします。

いつかこのような活気が西蔵寺にもと、心の片隅に思わずにはいられない明るい一日でした。活気を心の活力に、精進精進。

2015年3月12日(木)
托鉢行

東日本大震災から丸四年目の昨日、青年会の仲間たちと共に義援托鉢行に立たせていただきました。
立ち止まっていただく皆さまが居られる事で、まだまだ関心の高さを感じると共に、改めて起こった被害の甚大さを思わされる一日です。現地の方々にすれば決して十分な金額ではありませんが、一助となってくれる事を願ってやみません。
直接被害を被っていない拙僧には、365日の内の1日になってしまってきている事が本当のところではあるのですが、それでも「やらないよりはやった方が良い」と信じて機会ある毎に、同じ日本に暮らす者として心を寄せていきたいと思いました。

僅かな時間と言えども、我欲を離れて立たせていただける事、たくさんの善意に出会わせていただいた事に感謝を覚えます。

皆さまの善意が、被災された方々の追い風になりますように。

2015年3月5日(木)
芽吹き
秋の終わりに植え付けた、チューリップが芽吹いてきました。
近年に比べると寒かったように感じる冬でしたが、植物たちはその寒風をじっと耐え抜き春本番がすぐ近くに来ている事を我先にと感じ始めてるように思います。
人間は時として暦に頼り季節を感じたりもしますが、人工的な数字よりも、自然な風や空気に触れ、陽射しを浴びることで、季節の移ろいを実感するのが身体には良いのかもしれないなぁ……なんてことを思ってる次第です。
春が近付くにつれ、なんともなしに身体が動くようになってきたように感じます。芽吹きの時期は人間の身体も活動期に入るのでしょうか。この機を逃さず身体を動かしていきたいものだと思います。
間もなく、彼岸。
彼岸は仏道を本(モト)としての生活(実践行)をする期間ともいわれます。動き易い時期だからこそ、己の生活を見つめ直し、身体にも心にも負担の少ない生活スタイルを構築し直したいものです。


チューリップの芽吹くのと合わせ、雑草も勢いよく芽吹きだしました。これから夏過ぎまでは彼らとの元気比べ、根気比べです。彼らが勢いが増す前に芽を摘むべく、身体を動かそうと思います。
2015年2月25日(水)
角塔婆

寺院に於いて盛大な法要、もしくは節目の法要の時には角塔婆が建てられます。
これは法要が勤まる事を御本尊に報告すると共に、檀信徒を始めとする縁者の方々に周知する為に建てられると言われています。また角塔婆には、無障礙にその行事が終えられるようにとの願いはもちろんの事、その他にも諸願が込められています。

当、西蔵寺に於いても、本堂庫裏落慶の折に角塔婆を建てさせていただきましたが、縁あって昨日撤去をさせていただきました。
いつ撤去しようかと思いながら、3年もの月日が流れておりましたので、何となく寂しいような気もいたしましたが、無くなってしまうと、さもそれが当然のように感じられたりして……。人間の感覚とは不思議なものです。
しかし本堂庫裏落慶の角塔婆に書き記した『願以 建立堂宇常然無衰無変』の思いだけは、たとえ角塔婆が無くなったこれから以後も忘れずに、持ち続け継承していきたいと思わさせていただく日になりました。

2015年2月17日(火)

一昨日、2月15日に涅槃会を勤めました。

毎年来ていただく方あり、今年初めてお見えになる方ありですが、そのお姿に感謝と歓びを覚えます。

いつか先輩に教えていただいた言葉の中に、「『寺』という字は『土』が『寸』(一寸:チョット)で成り立っている」というものがあります。皆さまの履物の裏についた一寸の土が、集まってくることによって寺になるのだそうです。だからより沢山の人達に集まっていただく事が重要であると。文字遊び、言葉遊びの言い回しかもしれませんが、拙僧には妙に腑に落ちる言葉でした。
いつも、人は来てくださるだろうかと恐怖を抱きながら、お越しいただいた方々に助けられています。
つくづく人に支えられ、育てられているのだと感じます。本当に本当にありがたい事です。

いつまでも、西蔵寺が『寺』であったなら幸せだと、改めて思う一日でした。

2015年1月26日(月)
法然上人追慕

法然上人追慕念仏行脚に参加してきました。
1月25日の宗祖法然上人の御命日に先立ち、毎年1月24日に行われます。
この行事は法然門下である、西山浄土宗(総本山光明寺)・浄土宗
西山禅林寺派(総本山永観堂禅林寺)・浄土宗西山深草派(総本山誓願寺)・浄土宗(総本山知恩院)・時宗(総本山清浄光寺・遊行寺)の5つの宗派の青年会が中心となって行われている行事です。宗派の垣根を越えて同じ目的で集える行事なので非常に有意義に感じております。
京都の太秦にある西光寺というお寺から、総本山光明寺までの約15kmを念仏を申しながら行脚をするというものです。由来となったのは「嘉禄の法難」と言われるもので・・・、長くなるのでまたいつか書き込む機会があれば。

拙僧が生まれた年に始まった行事という事もあり、自分の中では一大イベントになっております。無事に行事が遂行できたことと、参加者と共に法然上人の御遺徳に触れさせていただけたことに感謝をして、これからも精進していきたいと改めて思わせていただきました。
いろんな思いを持った者同士が、手を取り合って仲良く暮らしていける世が、今をもって尚素晴らしいと感じる次第です。

2015年1月5日(月)
新年

あけましておめでとうございます。

新年も早5日が経ちましたが早速に色々とあったもんで、
元日には、いつもお年賀に寄せていただく2軒のお宅の内、1軒は雪の為延期。
2日は「修正会(しゅしょうえ)」の為に朝から雪かき。
3日は連日の雪に、童心に戻って小僧とカマクラ作り。
4日には、とうとう年末からの疲れの蓄積か、前日の雪遊びが災いしたか、発熱。
5日、仏参法務開始。

知り合いに借りていたDVDを正月の間に見ようかと思っていたのですが、気付けば1枚も見ず。
DVD6枚で延べ1000時間強。……何時に見終わる事やら。

ご覧いただいている方々、皆さまの1年間のご多幸とご健勝をお祈りすると共に、
懲りずにこのページを覗きにきていただけることを願いまして。
本年も宜しくお願い申しあげます。

2014年12月26日(金)
年末

気が付けば、年末。
結局、11月は一度も日記を更新する事もなく・・・面目ない限りです。
日記とは、日々を記すから日記。拙僧のは既に月記にもなっていない模様。
しかし、記していないからと何もしていなかった訳では無く、むしろ11月はバタバタと動き回っていた訳で。……よくある言い訳です。
11月下旬より12月上旬にかけては、風邪をこじらせて肺炎寸前まで。滅多とお医者様には掛からないのですが、咳が止まらず法務に支障をきたしだしたのでやむを得ず。
「風邪を侮るな」と叱られてしまいました。「風邪は万病の元」…確かに。

で、元気になって12月中旬以降を過ごしていたのですが、それなりに忙しく。
やはり更新を怠っておりました。
気が付けば年末。掃除の合間になんとなく休憩をしながら久々の更新です。

一昨日の話。日本とラオスの外交樹立60周年が来年3月に来たるにあたり、それを記念して、日本僧侶とラオス僧侶による「声明音楽祭」がアルティーホールで開催されました。不肖ながら拙僧も参加させていただき、良い経験をさせていただきました。
もちろん言葉はわかりませんが、仏を敬う精神は共通したものであったとかんじました。直接の会話は拙僧の語学力では叶わず身振り手振りがほとんどでしたが、最後は仲良く記念撮影もさせていただけました。
形は違えども、お互いがお釈迦さま”の教えを受け継ぐ同朋としてこれからも良い関係であれたらと願う次第です。

では、年末掃除再開といたします。

2014年10月28日(火)
てすり

先日、本堂の玄関に腰掛と手摺り付の上り段を設置いたしました。
実際の使い勝手は今のところまだわからないですが、参詣の方々の反応を見ていきたいと思います。
同じ作るなら、腰掛も付いていた方がと欲張ったのが吉と出るか凶と出るか。
二兎を追うもの一兎を得ず……にならなければ良いのですが。
参詣者のお役に立ってくれる道具でありますように。

2014年10月27日(月)
食欲の秋

暑い日、寒い日を繰り返しながら一日一日と冬へ歩を進める秋。何をするにも良い季節とは言うものの、良い季節なだけに行事ごとも多く己の用事は一向に前に進んで行かないままに、時が過ぎゆく儚い季節のような気もします。
そんな中で、着々と己の冬支度だけは完成に向けて歩を進めております。実りの秋、新米を口に運べる喜びを感じつつ、とどまる事を知らない食欲の秋。
諸先輩方に欲望は、癖(習慣)だよ。……なんてことを教えていただいた事もありますが、
確かにそんな気もいたします。
冬が近付くにつれて、朝寝がしたいと布団にしがみつくのも、美味しい物に貪りつくのも、『気温が低くなってきたから』といった環境”を最大限に活かした言い訳を、盾にしながら己の欲望を満たしている気がします。
天地の恵みを言い訳にせず、良い癖(習慣)を身に着け、欲望に溺れ無いように心したいものです。
……しかし、ご飯が美味しい。

2014年10月14日(火)
台風一過

先週に引き続き今週も台風が日本列島を襲いました。今回は京阪神を直撃という予報でしたので、久しぶりに本堂玄関の雨戸を閉めました。改築以後3回目の使用という事もあり、まったく色褪せをしていない白木そのもの。少々違和感すら感じました。
しかし、備えあれば憂いなし。お陰で心配する事もなくスヤスヤ眠ることが出来ました。
己だけが良ければとは申しませんが、まずは自己の安全、家族の安全。町内地域が無事であった事、何よりだと思いました。

先日、12日に吉祥院天満宮の吉祥天女社(天女堂)にて大般若転読の行事の折、地域の安全無事を願わせていただきました。仏や天が、直々に我々を助けてくださる訳では無いのかもしれませんが、何事も無かった事を良い御縁と受け取って、感謝をしたいものです。有り難い、有り難い。

2014年10月9日(木)
再確認

昨日、先輩僧侶の方による「仏教入門講座」というのに参加させていただきました。
お釈迦さまの説かれた教えを「浄土教」という概念にとらわれることなく、再確認も含めて勉強させていただきました。
なぜ我々は命を持って生まれてきたのか。永遠のテーマな気がしますが、お釈迦さまのお示しになったひとつの形を真実として受け止める事で有意義な生き方(この世の過ごし方)を見出すことが、仏教に関わらせていただいた者の努めであると信じて暮らす事を改めて心に刻めた気がいたします。
本質とは……。答えは近いようで遠く、遠いようで近い。まさしく仏さまのような存在。本質に出会う事(気付く事)を、物質的に仏に出会う(往生)と言う言葉で表現されたのかもしれませんね。
全ては書き記せませんが、勉強になることが沢山ありました。つくづく仏教とは、そして信仰とは、得るものではなく深まるものだと思わされました。

私の考えが、一歩でも気付きに近付き、深まっていると信じて。
南無阿弥陀仏。

2014年9月30日(火)
表裏一体

朝顔も種が散りだしたので、幾つか採取した後、撤去。・・・まだドッサリと置いたままにしている状態ですが。 夏の間、グリーンカーテンとして本堂に挿し込むギラギラとした日差しを遮ってくれました。感謝感謝。・・・来年どうするかは、現在検討中。撤去が意外と大変で、且つ処分量も半端でない。一長一短です。

お彼岸も終わり、西蔵寺としては年内行事がもうありません。少し寂しいですが、ホッとしたのも事実。人の心は裏腹です。
とはいえ、一般行事は沢山ある秋です。体のケアには注意しつつ精力的に動きたいものです。

善悪も、長所短所も、表裏一体。
悪い方に目を瞑るでもなく、きちんと向き合いながら、善い行動を心掛けようと言い聞かせて日々過ごしたいものです。
まずは、お世話になった朝顔の処分。ガンバロウ。

2014年9月12日(金)
さぼり癖

ようやく涼しく、過ごし易くなってきました。
おおよそ、1ヶ月この部屋の更新もせずに過ごしてしまいました。言い訳はPCを置いている部屋が暑いから・・・。ただそれだけです。
きっと涼しい日も、お伝えしたい事がある日もあっただろうに。改めて、自分の弱さといい加減さを痛感しております。
良くも悪くも、ひとたび習慣をつけると人は流されて行くものだと感じました。
ひとつでも良い習慣が付けれますように、継続できますようにと願うばかりです。

日々精進。

2014年8月10日(日)
台風

台風12号が最接近です。
さすがに、お墓参りという訳にもいかないのでしょう。どなたもお見えになる様子はありません。・・・・・・町を人が歩いてる姿すら見受けられません。
現時点烈しい暴風雨という事はありませんが、台風の雨だと思わせる雰囲気はあります。なにより雲の動きが速い。南東から北西へ向かってあっという間に流れていきます。改めて自然の力の大きさを実感させられてます。
何事もなく台風が通り過ぎる事と、お盆の最中が動き易い天気であってくれることを願うばかりです。

2014年8月1日(金)
夏・夏・夏

行事、お盆の準備・・・・・・
暑さに負けて、HPの更新を怠ってしまいました。

元来、怠け者の性格なんでしょう。
追い込まれなければやらない、追い込まれてもやらない・・・
「明日出来ることは、明日にしよう」なんて悠長な事をよく言ってしまいます。
決して明日が約束された人生ではないのですが。

過去や未来に囚われず、現在を生きねばと時折思うのですが、
ついつい過去の経験を引出し、未来に勝手な予測を立てて現在を生きてしまっています。

とはいえとにかく、お盆の準備は概ね整いました。
あとは体調管理を忘れず、暑い夏を乗り切り、過ごし易い秋を元気に迎えられるように頑張ろうと思います。未来志向!!・・・未来願望かもしれませんが。

2014年7月9日(水)
台風

今年も台風の季節がやってまいりました。
大型の台風8号・・・。年々、このクラスの台風がやってきますね。
自然の力の強さと、己の無力さを感じる事象です。
とりあえず対策を・・・・・・。墓参用のバケツ・ゴミ箱などを片付けました。
あとは、無事に台風が通り過ぎるのを待つといたします。

6月の雨が少なかったので、雨は歓迎なのですが限度の範疇であることを祈ります。
恵みと災厄は表裏一体であると実感いたします。我々の長所と短所がそうであるように。・・・肝に銘じておこう。

2014年7月3日(木)
半夏生

昨日は半夏生でしたね。
・・・とはいえ、半夏生がどのような日であるのか、拙僧はイマイチ解っておりませんが。
一説には、この日までに田植えを終えないと不作になるだとか・・・。
場所や種類にも寄るんでしょうが、確かにこれ以後に田植えというとさすがに遅いイメージはありますよね。
関西では、半夏生にはタコを食すとか・・・。生まれてこの方、ずっと関西に住しておりましたが、知りませんでした。
まぁ暑い夏を迎えるのに英気を養いましょうといった意味合いがあるのかとは思いますが、確かに近頃の夏の暑さは度を超してるといいますか、体調維持の為に頼れるものなら何にでも頼りたい暑さだとは感じております。

話はかなり思わぬ方向へ進んでしまいましたが、当山にも半夏生の花が咲きました。
花よりも葉が目立つところが、半夏生の良さなのでしょうか。・・・拙僧が当山に来た頃は半夏生の名も知らず、「病気に罹ってる」なんて思っていたものです。いや、恥ずかしい話しですが。今では葉表が真っ白に染まっていくのを楽しみに待ってる次第です。
夏が進むのを知らせてくれているのに従って、身も心も暑さに備え夏支度をするといたします。

2014年6月27日(金)
朝顔

今朝、朝顔の花が咲きました。
存在を誇張するわけでもなく、唯々自然に、また規則的な間隔で花をつける朝顔。
蔓を伸ばすのは、我先にな感じでしたが、ココではお互いの領域を侵さずなのでしょうか???
競い合いの中にも、譲り合いがみれて、なんだか嬉しい気分です。
人間もそうありたいものです。

2014年6月22日(日)
グリーンカーテン

本堂南側にグリーンカーテンをしてみようと植えた朝顔が元気です。
初めは、ちゃんとコチラの意図通りに登ってくれるだろうか、と心配をしておりましたが、問題なく、隣同士が競い合うように登って行ってくれています。
ただ、あまりに勢いよく伸びていくもので、
このまま雨樋まで辿り着いたら次はどこへ延びるのだろう?と少し心配をしております。……なにせ雨樋が脚立で登れるギリギリの高さなもんで。

人間勝手なもんで、上手くいっても、上手くいかなくても、
不安や不満が起るのだと実感しております。
思い通りにならない世の中だと知りつつ、思い通りにしてやろうと企むのは、愚者の真骨頂かもしれませんね。

2014年6月17日(火)
研修会

昨日からの一泊研修に行ってきました。
研修といえど、行き慣れた本山でのこと。

しかし、同じ志を持った仲間とする研修は、拙僧のヤル気を常に高い位置で保たせてくれる大切な場所です。
また、普段は一人で行う法務の日々に良いアクセントをいただけてます。

次の研修会まで、日々研鑚!!!

2014年6月11日(水)
異色

次々に花を咲かせてくれる花菖蒲。
まだ蕾の状態ですが、よくある紫ではなく、白い花が咲きそうです。
今年10輪目くらいで初めての白色。咲くのは2〜3日後かなぁと思いますが、今から楽しみです。

別に異色のものが良いとは言わないのですが、興味をそそられますね。
たぶん、人も同じなんでしょうね。
多数に属する生き方は安心するけど、独立不羈な生き方に魅了され目指したくなる時もあったりして。
おそらく拙僧は前者ですが、他の人からはどちらに見えているのかな。

どちらにせよ信念をもって、日々行動できればと願う今日です。

異色の花菖蒲を見て、目立つ喜びと、苦しみが同居してるように感じました。

2014年6月5日(木)
法然門下

法然門下青年会の親睦会に行ってきました。
法然門下(西山三派、時宗、浄土宗)の青年会は毎年、法然上人の御命日御逮夜(1月24日)に、共に念仏行脚を行っている同行の方たちです。

普段はなかなか、宗門を超えて関わる事が少ないのが現状ですが、遊びも含めつつ色々な話が出来て良かったです。良い刺激になりました。

2014年6月1日(日)
キャンプ
小僧を初キャンプに連れ出しました。
きっかけは、小僧が歯磨きをしながら庭に立った時のこと。
自慢げに青空の下で歯を磨く小僧に、
「そんなに、外で歯磨きしたいならキャンプ行こか?」・・・と言った事。

もともと拙僧は単車で一人旅をしていた経験もあって、特に道具を買い足す必要もなく。
小僧の予定と拙僧の予定の合うチャンスだけを狙ってた次第。

いきなり道端野宿は酷だろうという事で、設備の整ったキャンプ場へ。
初めてのキャンプで、嫌な印象を与えてはいけないと、至れり尽くせり・・・
の予定でしたが、結構忘れ物も有ったりして。
しかし青天の下、現地でご飯を作って、テントを張って、寝袋で寝る。
これだけで、十分満足だったようです。拙僧としても小僧とキャンプが出来て大満足です。
唯一、今回買い足したベットサイズのエアマット。小僧は気持ちよく寝てましたが・・・。
正直、拙僧は堅い地面の方が寝易かったりして。スヤスヤ眠る小僧の横で熟睡出来ず、ひとり寝方を試行錯誤しておりました。結果、日の差し出した朝4時頃に寝袋ごとエアマットから脱出。以降6時まで爆睡。新しい物に馴染まない己の体が、嬉しくないような、嬉しいような。
不思議な感覚を味わってきました。

当初の予定の、青空での歯磨きも無事済まし、小僧の初キャンプは上々の出来。
いずれ、拙僧のセッティングしたキャンプではなく、小僧と共に計画したキャンプに出掛けられる事を思い描いて・・・。良い関係を築いていこうと心に誓うキャンプでした。

日記(バックナンバー)

 2014年4月〜5月(現在調整中) 

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