佐伯屋
スペクタクルより勝利が好き
第4回:平成14年7月19日

イタリア代表エッセイ連続3回シリーズ

敗戦を抱きしめて

チームとして評価すべき点は無い、今回のイタリア
 日韓ワールドカップ・ベスト16で、日本がコーナーキックからトルコのウミト・ダバラのヘッド一発によって沈められた、その日の夜、イタリアもまた韓国、安貞垣のヘッドによって息の根を止められた。
 私は日本人として日本を応援し、サッカーファンとしてイタリアを応援していたが、ショックの大きさという点では後者の敗北の方が遙かに上である。日本は1勝も出来なかった前回大会から、グループリーグで2勝1分と格段の進歩であり、初のベスト16進出だ。
決勝トーナメント進出を最低目標にしていた日本にとって、決勝トーナメント以降は言うなれば「おまけ」みたいなものだ。更に上に行けたら、それはそれで結構というだけである。たとえ負けたとしても、日本サッカー躍進の年として後世には記憶されるだろう。しかし、イタリアにしてみれば、開幕前には優勝候補最有力とも言われながら、グループリーグで大苦戦し、決勝トーナメントでは、国際大会の実績では遙かに落ちる韓国に競り負けてしまったのだから、チームとして評価すべき点は無いと言っても過言ではない。

イタリアに足りなくて、韓国には足りていたもの
 確かに審判の問題はある。開始早々のPKのことを言っているのではない。アレッサンドロ・デル・ピエロへの肘打ち、パオロ・マルディーニの頭へのキック、ジャンルカ・ザンブロッタへの凶悪なスライディング(ザンブロッタはその後交代)などなど明らかかつ危険なファールを見逃され、それらには当然カードの提示もなく、反対にフランチェスコ・トッティがペナルティエリアで相手DFと交錯して倒れたのをシミュレーション(自作自演)と主審は判定し、イエロー2枚目でレッドカード(退場)。ダミアーノ・トンマージのVゴールもオフサイドで取り消しなど微妙な場面での判定は韓国有利に働いた。買収疑惑については今のところ相手にしないが、あのエクアドル人の主審の判定基準がどこにあるのか全く訳がわからなかったのは事実である。
 しかし、それでもイタリアには勝つチャンスはあった。クリスティアン・ビエリが何度かあった決定機のうち一つでも決めていれば90分以内で勝っていたはずだし、結果論だがジョバンニ・トラパットーニ監督のデル・ピエロを引っ込めた消極的な采配にも問題があった。対照的に韓国のフース・ヒディンク監督は1−0のビハインドを覆すために、黄善洪、李天秀、車ドゥリなどアタッカー3枚に交代枠全てを使い、また韓国選手の無尽蔵のスタミナも脅威だった。そして、それを引き出していた韓国サポーターのムードも凄かった。これぞアウェー、まさしくサッカーは戦争であるということを、まざまざと見せつけられた気分だった。つまり、イタリアに足りなくて、韓国には足りていたものがあったから、韓国は勝利したということだ。

プライド崩壊
 この敗戦以降、イタリアでは誤審についてサッカー界から政界に至るまで数々の非難声明が挙がっているが、この敗北が、イタリアのサッカー大国としてのプライドをズタズタにされるものだったこととも決して無関係ではないだろう。
 というのも、ここ数年、クラブチームでのイタリア勢は90年代前半のようにチャンピオンズカップ、カップウィナーズ・カップ、UEFAカップのヨーロッパ3大カップを独占していた時の力はなく、レアル・マドリーやマンチェスター・ユナイテッドといったヨーロッパの名門超一流クラスは勿論、スペインのデポルティボ・ラコルーニャやバレンシア、ドイツのバイヤー・レファークーゼンといった新興チームにも、ユベントスやACミラン、インテル・ミラノといったセリエAが誇る名門クラブが競り負けるようになってしまったからだ。
 スポーツ報道の世界ではイタリアの威信低下が叫ばれていたが、それでも私は、イタリア・サッカー自体が決して弱くなっているとは思わなかった。極端な結果主義に象徴される世界で最も過酷なセリエAでプレーするイタリア勢にとって、チャンピオンズリーグ誕生による試合数の増加がコンディション調整を難しくしているから、不利になっているだけで、フル代表はまだまだ力を失っていないと、そう考えていた。その証拠に2000年ヨーロッパ選手権ではイタリアは準優勝し、日韓W杯のヨーロッパ予選も、他のグループではドイツがプレーオフに廻り、オランダの予選落ちなどを尻目に、圧倒的な強さで抜け出した。だから、やはりクラブチームとフル代表は違う、W杯では必ず優勝して強豪であることを証明するだろうと私は思っていた。イタリア人も同様だろう。しかし日韓W杯、ベスト16は韓国戦での敗北。イタリアサッカー最後の拠り所が崩壊した瞬間でもあった。

(次回に続く)

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