第6回・平成14年2月6日
自らの不道徳さを自覚するためのアイドル論・後編である。お下品街道まっしぐら。今回も普段の格調(?)はない。うちのサイトの読者には知り合いの女性もいるのだが、女性の方、不快な気分になるようであれば、読み飛ばしていただいて本当にホントに結構である。
ファンにとってアイドルは擬似だが恋愛対象であり、自慰行為のオカズである。それ故、難しい問題を抱えている。オナペットとしてのアイドルならアイドルの私生活はどうでもいいのだ。ただ雑誌のグラビアやテレビなどで水着を着て肌をさらしていてくれればいい。アイドルの3000円ぐらいのハードカバーの写真集やイメージビデオは露出の少ないエロ本でありAVなのである。
しかし、そこまでドライに割り切っているファンは本当に少ない。よく『フライデー』や『フラッシュ』といった写真週刊誌にアイドルの男性スキャンダルがよく掲載される。やれ深田恭子が少年隊の東山紀之の家に通っていたとか、広末涼子が俳優・金子賢と2ショットで歩いていたというような。そうした男性スキャンダルが出ると、やはりファンの数は減ってしまう。それは多くのファンがアイドルをオナペットとしてだけでなく恋愛対象として見ているからだ。

清純派アイドルという言葉がある。一般的には肌が白くて清楚な雰囲気を持っているアイドルに与えられる褒め言葉である。深田恭子も広末涼子もその称号が与えられている(た、の間違いか?)。しかし、あくまで清純派であって清純ではないのだ。ここが言葉のあやで、軍隊を自衛隊と言うのと同じく、「清純派」には日本人が大好きな言葉による意味の誤魔化し、現実逃避が入っているのである。この日本で生きて行くには言葉の表面上の意味だけを真に受けてはいけない。
もっと突っ込んだ見方をすると、肌が白くて清楚な雰囲気を持っているのは男の手が入って汚されていないからであり、清純の本質的意味はすなわち処女のことである。しかし現実に清純なアイドルがいるかと言えばまずいない。ファンも人間であれば彼女たちも同じ人間であり、同様に性欲を持っている。また、多くのアイドルは普段、食欲を制限させられているのだから、他のところで欲求不満を解消するしかない。そして彼女たちの性欲処理の衝動を、一般人より持っているカネと美貌が後押しするのだ。普通に考えれば彼女たちアイドルはイケてる女なのだ。周囲にいる茶髪金髪のバカ男からインテリお大尽まで放っておくはずがないのだ。彼女達は基本的に恋愛文化の勝者である。
清純なアイドルなど類い希な存在である。いるのは、あくまで清純そうに見える清純派アイドルである。これが「清純派アイドル」という言葉に込められた真実である。こう考えれば、アイドルを「清純派」と評する評者達は実は確信犯なのかもしれない。「君、清純じゃないんでしょ?」という疑念を常に突き付けているのだから。

もっともファンにしてみれば、自分の好きなアイドルは処女でなければないのである。故に男性スキャンダルが気になるのである。しかしファンのアイドルへの心配の仕方とは反比例するかのように、当のアイドルの方は案外気にしていないものだ。最近の『フライデー』や『東京スポーツ』に掲載された広末涼子の一連の「奇行」ぶりなどは無防備そのものである。奥菜恵の『ブブカ』に載ったニャンニャン写真(ラブホテルでの休憩中に撮った2ショット写真のこと。この場合、押尾学といっしょに写っていたものを指す)もそうだ。また、全盛期をわずかに過ぎた若いアイドルが『週刊文春』の影の名物コーナー「淑女の雑誌から」に出てくる素人女子高生やOLのような自らの性体験の告白を雑誌に載せるのも流行っている。コレハイカガナモノカ。
ほとんどのアイドルが清純でなく所詮「清純派」というのはやむを得ない事実だ。それは遠く昔に諦めている。しかし、それでも君達はアイドルなのだ。ファンに恋愛という夢を与える商売である。君達アイドルにしてみれば握手会に群がるようなファンは本音では気持ち悪いだけかもしれないが、そういう恋愛文化の敗者とも言うべき「気持ち悪い」ファンに支えられて、アイドルとしての存在を許されて銭をもらっているのだ。自分の価値を決めるのは自分でなくて周囲のユーザーなのだ。
だから、私が言いたいのは、写真週刊誌に撮られないように警戒しろということ。それから撮られて雑誌に載ってしまっても否定せよということだ。そして自身の性体験の告白も杉田かおるくらい妙齢になってからしなさい。あれくらいの歳で言われればファンもギャグとして笑って振り返られる。

2001年7月、グラビアクイーン井川遥が『月刊現代』に自身が年齢を詐称していたことをカミングアウトした。私はこの雑誌を読んでいないからその動機は知らない。裏事情も全く知らない。しかし1歳上程度のサバ読みとグラビアアイドルとして全盛期ということもあってさしたるダメージもなく、現在では広末涼子や深田恭子らと同様、ファンだけでなく世間一般がその顔と名前を認知しているというレベルまで達しつつある。
30歳の苦労人の歌手が事務所に所属するときに「30歳だと?だったら25歳でデビューしろ」と言われ25歳としてデビューすることになり、今度はレコード会社に行くと「25歳だと?20歳でデビューだ、20歳で」と言われ結局、公称20歳と10歳もサバ読みしてデビューしたという笑い話とも言うべき伝説が芸能界にはあるが、芸能界で年齢サバ読みは当然のことのようだ。そして、その後ろめたさも手伝ってか、年齢サバ読みを暴露されるのは本人にとっても事務所にとっても普通は大きなダメージとなる。
少し前、望月さやという99−2000年に『ミニスカポリス』に出演していたアイドルがいて、出演当時20歳とテロップが出ていた。ところが事務所移籍の際のゴタゴタにより望月さやが1976年生まれだということが明らかになってしまった。これをばらした移籍元にしてみれば「当時24歳の奴がミニスカポリスなんかやってていいのかよ」とでも言いたげである。しかし私は「待てよ」と思うのだ。年齢サバ読みして若く見えるのなら、むしろ誇っていいのではないか。20歳で年寄り臭く見えるより遙かに良いと思う。
・・・が、この文を最後まで書いて考え直した。私の考えが甘かった。今の美容整形とメイクアップの技術があれば30歳を20歳に見せるのも可能ではないのか。アイドルというもの瞼の整形ぐらいはほとんどがやっているらしい。しかし美容整形と言えば、豊胸はどうだろう。グラビアアイドルに関してはその噂は絶えない。ブラウン管を通して見てもデブに感じないような細い体型に、巨乳というのは魅力的であると同時に、不自然さを感じてしまうのも確かである。とはいえ証拠もないのに、大きくて形状が綺麗すぎるから豊胸に違いないというのはいかがなものか。グラビアアイドルの胸はただ水着が寄せて上げる形状のものだから綺麗に見えるだけではないのだろうか。

非処女、年齢サバ読み、整形・・・。アイドルファンも苦労が耐えないな。仕方あるまい、ならば、こう考えるしかなかろう。
アイドル業もプロレスなのだ。プロレスというのは周知の通りガチンコ勝負ではない。互いに技を出し合った上で勝負をつける。ノアの三沢社長のようなプロレス界の横綱でも相手の技を一度受けて耐えなければならない。それがプロレスのお約束である。馳議員のジャイアントスイングも、新崎人生のロープ渡りも、故ジャイアント馬場の16文キックも、K−1やPRIDEのようなリアルファイトでは絶対に出るはずのない技だ。わざとかけられに行っているのだ。でもレスラーはそうとは絶対に言わない。プロレスファンはそれを知っていながらも盛り上がる。アイドルファンもそれと同じでいいのではないか。アイドルは非処女、年齢サバ読み、整形を隠さなければならない。ファンはアイドルの嘘に直感的に気付いてしまったとしてもそれらを全て包み込んだ上で盛り上がる。
騙されることを楽しもう、それもまたいいものだ。そうやって他人と騒ぎ合えるサークルがあることの方がむしろ貴重なのだ。そのサークルに加わることで自己の存在が確認できる。評価してもらえる。それでいいのだ。インターネットは盛り上がっているじゃないか。


