佐伯屋
意味なし芳一
アイドルとは何か。佐伯屋流「アイドル論」後編

 浜崎あゆみは歌手かそれともアイドルか、芸能人マップというものがあれば、その位置付けは大変難しい。一般的に浜崎はアイドルで彼女のCDセールスのライバル宇多田ヒカルは歌手と言われるが、基準としては非常に曖昧である。だから私があえて基準を提示すると、男性スキャンダルで人気を下げるのがアイドルであり、そうでないのが歌手を含む非アイドルである。更に詳しく言えば、ファンはアイドルに対して恋愛を買い、非アイドルに対しては技術を買うのである。歌手なら歌、女優なら演技といったように。
 2001年、浜崎あゆみにとっては試練の年だった。理由は周知の通り、TOKIOの長瀬智也との熱愛が発覚し、ワイドショーや週刊誌で取り沙汰されたからだ。熱愛発覚(熱愛宣言)はアイドルにとっては非処女宣言同然である。故に普通のアイドルなら熱愛報道が出ればファンは遠ざかるものだが、浜崎の場合、幸運にもそうはならなかった。確かに「あゆファン」は女性の方が多いというのは考えなければならない。しかし、いくら女性ファンといえども、その心理はどう転ぶかはわからない。女性ファン誰もが「あゆがTOKIOの長瀬クンと熱愛発覚?ワー、すごい」と感心してくれるとは限らないし、嫉妬に狂う可能性だってあった。だが、そういうリスクがあっても結果的に乗り越えられたのは、浜崎の歌手としての技量がユーザーに認められていたからだろう。常に比較されるのが宇多田であり倉木麻衣というのは辛いところではあるが。アイドル人気だけでCDセールス2年連続ナンバー1というのはいくら何でも無理だ。浜崎あゆみも今や歌手なのである。

寄る年波こそが同業者よりもライバル
 浜崎あゆみも10代の頃、グラビアアイドルをやっていた時代があり、それから現在に至っているわけだが、アイドルにとって脱アイドルは、芸能界に長く住みたいのなら避けては通れない道である。広末涼子も芸能界でのステータスを保つために今から脱アイドルそして完全女優化を狙っている。リュック・ベッソンプロデュースのフランス映画『WASABI』はその試金石となる大事な作品なのである。スキャンダル続きで後がないだけに、高い興行収入もしくは評価を得なければならないのだ。
 ちなみに短くていいなら、芸能人でも業界人でもスポーツ選手でもいいから金持ちの結婚相手を見つけて玉の輿に乗ってさっさと引退するという手がある。各局女子アナがよくやる手だ。ファンにとっては、さぞや無念だろうだが、私としては、それを非難するつもりは毛頭ない。それはそれで戦略的な生き方である。アイドル人気などいつまでももつ訳がない。
 だから寄る年波こそがアイドルにとって同業者よりもライバルかもしれない。普通、グラビアアイドルとしてデビューでき重宝されるのは16歳から20歳ぐらいまで。20歳までに酒井若菜、乙葉、真鍋かをり、小池栄子ぐらい人気が出ていれば22歳ぐらいまでグラビアアイドルとして水着で肌をさらして、まだ銭が取れるかもしれない。井川遥のように23歳で大ブレイクするのは極めて異例である。故にアイドル後の進路として、歌手や女優、バラエティアイドルなどの道を考えなくてはならない。

Vシネマしか仕事がないのはアイドルとして負け組
 しかし歌手というのは一番難しい。今のユーザーは音楽的にレベルが高いものしか買わない。今でも深田恭子や釈由美子といった現役アイドルがCDを出すことはあるが全て無惨な結果に終わっている。1980年代ぐらいまでのようにピンからキリまで一緒くたにレコード出して『トップテン』や『ベストテン』に名を連ねていた時代とは違うのだ。よって女優、バラエティアイドルという選択をすることになる。もっとも、多くの場合どちらか専業というわけでなく両方やることになるのだが。
 バラエティはともかく女優専業はステータスは高そうであるが、松嶋菜々子のようにフジテレビ月曜9時いわゆる「月9」のメインを張れるクラスでなければ、後は本当に儲からない。実は2時間ドラマ1本のギャラと1時間バラエティ1本のギャラはほぼ同じだというのだ。しかも2時間ドラマが全収録に1週間拘束されるのに対し、バラエティ番組は1日で大抵2、3週間分収録するものであり、バラエティに出た方が効率よく儲けられる。だから近年、中尾彬とか江守徹のような俳優の世界で実績のある人が『さんま御殿』や『ダウンタウンDX』に出ているのだ。もし女優専業でいくなら「2時間ドラマの女王」片平なぎさのように数をこなさなければ到底儲からない。
 いや、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、TBS、NHKといったキー局製作の2時間ドラマに呼んでもらえるのなら幸福と思わなければならないのかもしれない。多くの元アイドルが進んでいる道はVシネマだ。Vシネマというメディアを蔑視する気はないし、住めば都とは言うが、現実問題、脱アイドルの進路としてVシネしか採る道がないというのは、自分がアイドルとしてメジャーではなかったことの証と思わなければならない。はっきり言うとアイドルとして負け組である。
 それも普通にアイドル時代と同じ感覚で出ているだけではやっぱり持たない。そこでアイドル出身のVシネ女優にはある決断を迫られる。

ヌードのすすめ
 ヌード。熱愛宣言(=非処女宣言)、結婚と同じくらいアイドルの財産であり、自身の話題を世間に提供できる最終兵器である。名前がある程度売れていればファンでなくとも見たいものである。あの飯島直子でさえVシネ女優時代にはヌードを披露していたのだ。ヘアを出すか出さないかはあまり関係はない。ヘア丸出しよりも局部を手で隠していた方が卑猥だと思う。ま、それは個人の好みによるか。ちなみに「○○が脱いだ!」という週刊誌の見出しには騙されてはいけない。私は恥ずかしながら騙されて立ち読みで息を飲んでページをめくったが、肝心の乳首が写っておらずに失望したということがあった。マスコミ業界のやり方では「ヌード」と見出しが載らない限り、乳首画像はないのである。
 しかし脱ぐのは必ずしもアイドルとして盛りの過ぎたVシネ女優とは限らない。かつての宮沢りえといい数年前の管野美穂といい人気絶頂でキャリアのピークにいるアイドルがヌードになることもある。しかし、これはどうなのだろう。ヘア解禁より先に発売された宮沢りえの写真集『サンタフェ』は出色の傑作(ちょっと見ただけですよ)とは思うが、必然性が全く感じられない。高級品をわざわざ安売りするような行為でしかない。しかも、後で売れなくなった時に人気挽回の可能性を持ったヌードという最終兵器にすがることもできない。ヌード以降はAVに出ようが、性器にピアスをつけようが、大した効果は期待できない。やはりアイドルのヌードがどうして貴重かと言えば、普段、脱がないからだ。

プロの芸人をなめてはいけない。
 一方、バラエティ番組も簡単ではない事情がある。『さんま御殿』なり『ダウンタウンDX』などタレントが多く集まっているところでいかに自分のキャラクターを演出するか、それが難しい。ここで問題にしたいのは世間一般が有り難がっている天然ボケというキャラクターについてである。
 天然キャラもその場限りでの受けはいいかもしれないが到底長持ちはしない。「からくりTV」の中村玉緒を見よ。彼女の天然を発掘したのもまた明石家さんまであるが、その天然ぶりが天下に知れ渡り各局が使うようになると、無意識のうちに中村玉緒自身はバラエティ番組環境に訓練されて、イノセント(純粋の他、無知という意味も含まれる)ゆえの天然ボケだったのが、タイミングとか場の空気といったお約束を知ったことによってただのボケとなってしまったのだ。それでも、スタッフも視聴者は初期の天然ボケを期待するから天然ボケというキャラを演じる他ない。かつて「からくりTV」にはちょうど7時半くらいに中村玉緒の人気コーナーがあって初期は本当に面白かったのだが、最近では安住アナの酔っぱらいクイズに取って変わられてしまった。天然ボケで居続けるのがいかに難しいかを物語る事実である。

ネタ天然ボケは嫌らしい
 中村玉緒の場合はまだ最初は真性の天然ボケだったかもしれないが、最近のバラエティに出演するアイドルには天然ボケ人気に囚われて、天然ボケを演じようとする向きが見受けられる。私は酒井若菜ファンで写真集も持っているのだが、彼女が出ていた昨年の『さんま御殿』はいただけなかった。内容は忘れたが荒唐無稽な話をして感受性が飛んでいることを一生懸命見せようとするのだが、「バラエティ番組は天然ならOKでしょ?」と言いたげで私はあざとさを感じたのだ。若菜本人が言うにはネタ天然ボケの先駆けとも言うべき釈由美子と親しいそうだから、そう仕込まれたのかもしれない。しかしプロの芸人をなめてはいけない。彼らはネタの扱いに関しては一流なのだから無理して天然ボケしているくらいすぐ見抜かれる。案の定、明石家さんまの「お前、ネタやろ」と言いたげな冷ややかな視線ばかりが印象に残った。
 バラエティ番組で何も天然である必要はない。場の空気を察知してタイミングを合わせて自らの体験を、爺臭い言い方であるが、語彙(ボキャブラリー)豊かに表現する。普通に「話が上手い」人になるのである。それだけでバラエティ番組は十分だと思うのだ。ネタ天然ボケは所詮、自分の話し下手を覆い隠す見苦しい手段でしかない。芸能界に長く居続けたいなら長いスパンで考えて語彙力のアップを図るべきだ。『恋のから騒ぎ』の名物ギャルの一人、宝満円を見よ。あの独特の語り口ばかりに目がいくが語彙は豊かだ。それを私はうちの母親に指摘されてやっと気付いた。
 マネージャー諸氏よ、担当のアイドルをバラエティタレントとして脱皮させたいなら本を読ませてやってくれないか。エマニュエル・カントの『純粋理性批判』を読めなどとは誰も期待していないから、せめて西原理恵子のようなマンガでいいから与えてくれ。

ワイドショータレントの道
 そうだ忘れていた。脱アイドルの進路はもう一つある。それはワイドショータレントの道だ。神田うのや梅宮アンナが採ってきた方法である。恋愛話や痴話喧嘩を小出しにして世間の話題を引っ張り続けて注目を浴びる。普通、ワイドショーを飾るのは木村拓哉とか松嶋菜々子といった芸能界のスーパースタークラスであるが、連日のワイドショー登場によりTBSの『ブロードキャスター』の山瀬まみのワイドショーランキングでは常に上位にランクされた。美男美女、芸達者さんが掃いて捨てるほどいる芸能界で、若くもなければ芸もない彼女達がなぜ注目されるのか実に不思議な現象である。
 数年前デヴィ夫人がかの山口百恵の歌のプロデューサーだった酒井政利氏に向かって「芸能界のパラサイト(寄生虫)」と宣ったが、実は神田うのや梅宮アンナこそパラサイトと呼ばれるにふさわしいのではないか。梅宮アンナなら父親でもある名俳優・梅宮辰夫がいなければ羽賀研二との取り柄のない者同士の恋愛話など盛り上がるはずがなかった。神田うのも当時ヤクルト(来季はドジャース)の石井一久や歌手の美川憲一のように他の有名人と絡むことによって話題を提供してきた。寄生虫とは、他の生物(宿主)の体表または体内で、一時的または持続的にその生命現象を営む生物のことを言うが、有名人という宿主に絡む(寄生する)ことによって銭を得てきた彼女達こそ全くその通りではないか。別にパラサイトが悪いと言っているのではない。むしろワイドショータレントという道を開拓し後進に道を開いたという点で貴重なのである。

出し惜しみするアイドル 
 最後のトピックは出し惜しみするアイドルである。この場を借りてどうしても紹介したい。NHK教育テレビ『イタリア語会話』のアシスタント、三井智映子だ。2001−2002年のNHK外国語会話ものではフランス語の井川遥に注目が集まっているが、三井智映子も外国語ファンの間ではそれに次ぐ人気者なのである。だが『イタリア語会話』を見ない世間一般の方にとっては誰のことか全くわからないだろう。それも今の井川遙の10分の1もメディアに露出していないからだ。
 三井智映子のプロフィールを簡単に紹介しておく。1982年北海道生まれ、身長:164p B:88 W:57 H:86 。インターネット配信のビデオ『750ライダー』に出演。現在、早稲田大学に在学中。画像は残り少ない『イタリア語会話』をチェックするか、「三井智映子」でインターネットを検索してくれ。
 正直、勿体ないのである。B:88であれだけ可愛らしい顔立ちをしていればマンガ雑誌のグラビアの一つでも飾っていておかしくはないと思うのだが、4月に『イタリア語会話』にデビューして以来、その関連の書籍ぐらいでしか彼女の画像をお目にかかることはないのである。ネットで見付けた情報によれば、彼女の所属事務所ビッグアップル(有名なところでは高橋由美子やプロミスのCMで「姫」を演じている三田あいりがいる。)が所属アイドルの水着グラビア展開には消極的であるらしい。しかし同じ事務所所属で同年齢の仲根かすみは『週刊プレイボーイ』『ヤングジャンプ』などで表紙や巻頭グラビアを飾り、写真集も出すなど積極的に活動しているが、本当のところはどうなのだろう。本人にその気がないのか。だとすれば非常に残念な限りである。

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第7回・平成14年2月8日