佐伯屋
意味なし芳一

リ・スタートに先立っての一言というか言い訳
 普段、ホームページ『佐伯屋』をご愛顧いただき、大変ありがとうございます。本年度から時評『意味無し芳一』は、日記という体裁を取り、以前よりは短い文章でお送りしたいと思います。以前のスタイルが不評だったからとかそういう意味ではなく、自分自身の芸の幅を広めるための試みとして捉えてください。なお、旧『意味無し芳一』からいくつかのコンテンツを削除したのは、これまた不評だったからという意味ではなく、ただ単にサイト全体の容量を減らしたいがためです。

 しかしリニューアルとは言え、内容的には以前と同様、日記とも時評ともつかぬ何でもありのものとなるでしょう。いささか強引な締めくくりの持っていき方ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。



平成15年1月30日「数年後の我が身か。先物営業の好青年」

 雪も降りそうな寒さの夕方、バイト先である事務所のインターホンが鳴った。ところが、面倒くさがりが揃うこの会社の社員は誰も反応しようとしない。勿論、私も面倒くさがりの一員なのだが、下っ端の宿命から渋々受話器を取った。だが、来客の声が早口ではっきりと聞き取れない。私は、新たにバイト募集するという社内の噂を聞いていたから、求人誌の担当者だろうと早合点し、待たせてはいけないという思って急いでドアを開けた。そこに立っていたのは、いかにも社員1年目ですという雰囲気を漂わせた、眼鏡に黒い背広の好青年だった。

 礼儀正しい彼は、名刺を取り出して私に差し出し、自己紹介を始めた。私は、その名刺を見て目を見張った。先物取引の会社の営業マンだったからだ。なるほど、はっきりと聞き取られたら門前払いは間違いない。彼は、会社の代表がいるかどうか訊いてきた。私は「いない」と答えた。実際その答えに嘘はない。ただし、もし「いる」と言えば、ズカズカ事務所内に入ってきて先物投資の説明を始めたはずだ。すると「好青年」は私の名刺を求めてきた。勿論、一介のバイトの身だからそんなものは持っていない。「好青年」はそれを知ると肩を落としてトボトボ去っていった。

 私は就職活動中に先物取引会社の採用試験を受けたことがあり、業界のことは調べていた。おそらく彼は「名刺集めツアー」に来たのだろう(詳しくは『電話の向こうの知らない世界』の先物取引のところを参照)。その後「好青年」は理不尽な命令(?)をする上司にこっぴどく怒鳴られているはずだ。それは十分に想像できた。とはいえ、やはり名刺を渡したら最後という冷静な計算も働いた。羊から狼に化けた「好青年」からプッシュ電話(ある商品の相場が急騰しているように演技して、投資させようとする電話のこと)の雨霰が会社にかかってきたに違いない。

 しかし、そんな「好青年」は何年か先の自分の姿なのかもしれない。就職活動に失敗して内定がなく、当面は教員予備軍とフリーターを兼任するけれども、どこの都道府県でも公立校の教員採用は高倍率の狭き門だ。確実になれるという保証はない。しかし教員を諦めた時に、フリーターとしてのキャリアしか持たない自分を正社員として雇おうとする酔狂な会社は、この不況の昨今あるわけがない。いや、あるとしても社員の出入りの激しい、離職率の高い企業しかないだろう。「好青年」の後ろ姿を見ていると、数年後の自分を見た気がしたのである。



平成15年1月13日「ボラギノールのCMを観て、違和感を感じられる日々」

 年末年始、それを見た途端、違和感を感じ、そして黙り込んで深く考えこんでしまったテレビCMがあった。痔の薬の代表的ブランド『ボラギノール』のCMである。私の記憶が確かならば、明るい二人組の女子高生風の女の子が出てきて、道を歩いたり、ブランコに乗ったりしながら、薬の効用や商品の形態を紹介するというものだった。しかし、私は女子高生と痔の接点がどうしても思い付かなかったのである。

 私はこのCMの意図を考えて、二つ浮かんだ。一つは、『シンクロナイズド・ラブ』にのって多人数の婦女子が白い太股を見せながらエアロビダンスをしまくる、武富士のかの有名すぎるテレビCMのように、その企業の業務とは全く関係ないけれども(借金返済できなかったら踊って金つくれや、ゴルァ!というメッセージかもしれないが)、企業や商品のイメージ広告として「女子高生」を起用したということ。もう一つが、女子高生にターゲットを絞った販促広告ということである。 

 そして、このCMの意図がもし後者だとすると、痔は不規則な生活を送っていたり、肛門に物理的な刺激があった時になるものだから、女子高生の痔はアナルプレイのせいなのか!!と、それしか思い浮かばなかったのである。痔の女子高生など少なくとも私の同級生ではいなかった(告白するヤツ自体いないわな)し、エロマンガの世界でしか見たことのないアナルプレイが、まさか、そこまで日常的かつ低年齢化していると思うと、私は、性情報の氾濫ぶり、そして企業による性の商品化ここに極まれりと、世の中を嘆いたのであった。

 ところが、後にこれが大きな誤解であったこと知る。ボラギノールの製造元である天藤製薬のHPによれば、便秘による固い便の肛門への刺激によって痔になる可能性があると言う。なるほど、それなら女子高生でも考えられる。しかし、そうは言っても、現代の性情報の驚くべき浸透ぶりを考えれば、やがてアナルプレイが日常となり、不況ゆえ生き残るためなら何でもするプライベートカンパニーが身もフタも無くその状況を煽れば、違和感を感じられる日々はそう長くは続かないかもしれない。そんなことを、ボラギノールのCMを見て心配していたのである。



平成15年1月11日「とある作家のイノセント・ワールド」

 『Number』などのスポーツ雑誌に寄稿するなど、サッカーにも造詣の深い作家の馳星周氏が自身のHPで、君が代、日の丸への嫌悪感を表明されておられる(馳星周公式サイト
「Sieepiess city」)。その理由は、このサイト中の『昭和の劇』と題する文章によれば(「」内は引用部分)、「昭和天皇の戦争責任の問題であり、被差別部落の問題であり、在日朝鮮人の問題」など、「日本人という民族がひた隠しに隠してきた「闇」」を知っているから、俺はその日本という闇の国家の象徴たる「君が代」「日の丸」が嫌いなんだと言いたいようである。

 しかし、そうだとすると、馳先生はあまりに純粋まっすぐである。人間生きていれば、誰しも光と闇、言い換えれば善と悪の両面を引き受けなければならない。例えば、馳先生のご親友である中田英寿選手が、パルマというチームでレギュラーを取ることは、チームに好成績をもたらすという光の部分がある一方、中田選手に給料を払うために解雇される選手が出たり、パルマに負けたチームがセリエBに降格したりなど、闇の部分が必ずついてまわる。それによって中田選手は恨まれるかもしれない。とはいえ、その闇の発生を恐れていては人間何もできない。だから、人間は光と闇を背負って生きているのである。

 そのことは、人間の集まりである国家も同じではないのか。具体的な歴史事実に触れる知識もページ数も無いが、例えば日本の明治以降の歩みは、確かに様々な闇の部分があったかもしれない(事実の検証は現在進行形で盛んに行われている)。しかし、それは日本という国家が、西洋の植民地支配がまかり通っていた過酷な国際情勢の中で、生き残るという光を放ち続けたいがためだった。そして、その歴史が無ければ今の日本は無かったのである。サッカー日本代表も、国旗・国歌嫌いを表明できる自由も。

 人間個人において防げない光と闇の発生を、人間の集合の一つの形である国家にはどうして光しか許さないのか。「国家の悪事を見逃せと言うのか?」という単純な区分けの問題ではなく、光がある故に闇があるという宿命からは、いかなる人間、集団も逃れられないことを私は言いたいのだ。だから、国家が存立すれば、当然のように付いて回る闇に後ろめたさを感じて、引き受けることのできない馳先生の世界観は、あまりにもイノセント(純粋の他に、幼稚、無知の意味もある)なのである。



平成15年1月9日「卒論提出の係員は、えらく嗅覚の発達した閻魔大王のごとし」

 今日ついに大学の卒業論文を提出してきた。ところで、定期考査のレポート提出の時にもそう思うのだが、私はこの「提出」という作業が嫌だ。なぜかと言うと、必ず、その係員(大学の事務員)に書式の誤りを指摘されるからである。かつて、とある講義のレポート提出時、ワープロによる美しい仕上げで万全の準備ができたと思ったら、「縦書きじゃないと受け取れません」と係員に告げられたのだ。

 勿論、提出要項はチェックしてるけれども、どこか必ずエラーがあるのだ。以前からそういうことがあったから、今日の卒論提出も、万全の準備を自負しながらも、係員の前に出ると内心ビクビクしていた。すると事件は、やはり今回も起こった。それは、係員があるページの行数を数え始めた時。大学指定の書式は25行なのに、なぜか、ある2ページだけ24行しかなかったのだ。文脈上の必要性があってわざと1行空けていたとかではない。当然「これでは受け取れません」ということでやり直しを命じられた。それにしても、係員が偶然に行数確認のために数えていたページが24行だったのだ。それ以外のページだったなら、その間違いは看過されていたに違いないのである。提出の係員を務めると、他人のミス発見の嗅覚が鋭敏になるのだろうか。私にはその係員が、雑誌『わしズム』に連載中の『夫婦の絆』に登場する異常なまでの鋭い嗅覚を持つ刑事(通称「鼻栓デカ」)に思えたぐらいだ。

 私はすぐさまゼミの指導教官であるM先生の研究室へと走り、そこのパソコンとプリンタを借りて、14時から、これまた2時間かけて訂正にいそしんだ。ただし、今回はまだ提出締め切りまで後一日あっただけに余裕があった。だが、もし締め切り当日しかも残り時間なしという状況なら、私の心は石化し音を立てて崩れていったに違いない。大学生活4年間の積み重ねが1日にしてパーになるのである。だから、卒論提出の係員はある意味、閻魔大王である。そして、おそらく明日には、係員にいわば死刑宣告される学生がいるはずであり、今年もまた卒論提出会場は、修羅場と化すだろう。そして「閻魔大王」達は、うっかり八兵衛のような学生を見て、一体何を想うのだろうか。



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