佐伯屋
意味なし芳一




平成15年3月12日「エロサイトのヌードモデルへのアンビバレンス」

 前回は幼き日の甘酸っぱい思ひ出話をしてみたが、今回は最近のブラックコーヒーのごとく苦い複雑な愛と煩悩のストーリーをお送りしよう。実は、筆者はエロサイトを巡ってはオナペット(言葉が古い!)として使える画像を保存する夜を過ごしている。美人とかカワイコちゃん、脱いでるか否か、人気のあるなしは関係ない。とにかくスペルマを「月旅行」へと誘う画像を求め、日夜、探求のネットサーフィンを続けるのであった。

 この日もまたいつものように、惰性的にサイトを検索する夜を送っていた。すると、とある有料のハメ撮りのページに辿り着いた。茶髪のギャルっぽいフリーターとか、20代半ばのケバい目の「人妻」など、いかにも、キャバクラに勤務していそうなモデルのサムネイル画像がズラリと並んでいた。しかし、その中に一人だけ明らかに毛並みの違う子がいた。例えるなら、小橋めぐみ、あるいは広末涼子をストレートのロングヘアーにしたかのような爽やかな雰囲気を持ちながらも、バスト87とグラマラスなボディを持つ、二重の大きな瞳が印象的な子であった。

 プロフィールを見ると、20歳で英語ペラペラの帰国子女らしい。こうしたコメントはどうせライターが考えているのだろうと鵜呑みにしないが、知的な顔立ちをしているだけに、真実を語っていてもおかしくはないと性懲りもなく信じてしまった。モデル使い捨て(?)の、ハメ撮りサイトに出演している女の子にもかかわらず、好みのストライクゾーンのほぼど真ん中の甘い直球だったため、小生、好調の時のヤンキース松井のごとく迷わず、マウスというバットをサンプル画像のリンクに合わせようとした。

 ところが、私はヌードを拝めるにも拘わらず、一度躊躇してしまった。なぜなら、この子が裸を晒し、役得の(?)カメラマンにハメられるのは、何か釈然としない抵抗感があったからだ。確かに好きな女の子の裸は見たい。しかし、こんな低俗なハメ撮りサイトで、好きな女の子が他の男に汚されてしまうのは見たくない。こうした、同一の対象に対して相反する感情のことを心理学用語で、アンビバレンスと言うそうである。で、結局はサンプル画像を覗いたのかと尋ねられると、返答にはモゴモゴと歯切れ悪くなってしまう筆者であった。



平成15年2月9日「完璧超人へのノスタルジー」


 先日、松浦亜弥のニューアルバムを買った。私はこの子を見ているとどうも過去の感傷的な記憶が呼び覚まされる。その理由を考えていくと、松浦の顔立ちにそこはかとなく感じられる、ある種の知性にある。この場合の「知性」を端的に言い表すのは難しいけれども、ニュアンスとしてはこうだ。君も小、中、高校時代を振り返ってみよう。クラスに一人、性格が朗らかで誰からも慕われていて、「勉強なんてしてないよ〜」と言いつつも成績が良く、スポーツも何でもソツなくこなしてしまう、完全無欠の美少女がいなかっただろうか?

 私の記憶が確かならば、そうした「完璧超人」は保育園の頃にいた。仮名をRちゃんとしよう。性格的には「おてんば」と男子から恐れられるぐらい活発、クリスマス会等の劇などでは常にクラスの中心にいた人気者だった。更には年長組の5歳の当時、すでにひらがなが書けた(私は絵に名前を書いてもらっていた)し、割り算まで駆使していた才媛だった。

 一方、当時の私は中途入園で、クラスの活発なグループからは距離を置いていた大人しい子供さんだった。ところがある日の夕方(ここら辺は記憶が曖昧である)、私の大柄な体格に目をつけたのか、Rちゃんにおんぶをせがまれた。拒んだとか渋々といった記憶は無いから、クラスの人気者に声を掛けられて嬉しかったのだと思う。今から考えれば、彼女の周囲の大人の代役「おんぶマシーン」として利用されていただけなのだろう。それでも私は、夕方になる度にRちゃんを背に乗せる毎日に幸福感を抱いていた。これが私が記憶する限りの初恋である。

 しかし、このアバンチュールは卒園を境に途切れた。愛の告白など当時は思いも寄らなかったし、元々別の校区だったからだ。それに今思えば、Rちゃんは所謂「お受験」対策を施された、末は博士か大臣か、あるいは医者か官僚を目指すような子だったのだろう。私立の小学校に行ったという。さて実際、松浦亜弥が「完璧超人」かどうかは知る由もない。しかし松浦が漂わせる「完璧超人」の雰囲気は、過去のRちゃんへの恋慕というノスタルジーに私を引きずり込ませていくのである。



TOP