2000年1月17日は阪神大震災から丸5年、震災当時の記録や復興の検証などの記事が紙面を埋めています。
ここ三田は被災地ではありませんが、5年前のあの日のことやその後仕事で復興対策などに関わってきた記録をつらつら書いてみたいと思います。
当時から老化現象の始まりか、毎朝5時半頃には起きていることが多いのですが、あの日のその時刻にはまだ布団の中でうつらうつらしていました。
と、その時、寝ている床を下からゴンゴンと強烈に叩く衝撃で完全に目が覚めました。階下の家族には天井を叩かれるほどうちは騒音や振動で迷惑をかけていないのに、と半ば冗談のように思う間もなく、その衝撃はますます大きくなって、建物全体が上下に動き始めました。動くというより飛び跳ねているといった方が正確かも知れません。
その後今度は大きな横揺れが始まり、「あっ、こりゃ倒れるわ。建物が倒れたらうちの部屋はちょうど向かいの池の中やなぁ」となぜかのんきに考える時間さえありました。
1分近く揺れていたでしょうか?やっと振動がおさまり、ふすまを開けてリビングを見ると壁にくっついているはずのテレビとピアノが明後日の方を向いています。
キッチンへ目をやると、食器棚の扉が開いていて中の食器がほとんど床に落ちて砕けています。炊飯器も床に落ちて中のご飯が散らばっています。
自分の部屋に行ってみると、和箪笥が机の方に倒れてパソコンや趣味の無線機も宙吊り状態。倒れた和箪笥が本棚にも乗りかかっていて、ガラスが割れています。
カミさんと上の子が起きてきて、部屋の惨状を見て茫然自失。テレビを点けるとどうやら大きな地震が起こったというニュースが流れていますが、詳細はまだわかりません。
とにかく部屋を片付けようと、割れた食器とまともなものを分別しながら食器棚に直しました。しかしなぜ震災直後の部屋の様子を写しておかなかったのかと、今更ながら後悔しています。
7時のニュースで刻々と詳しい情報が流れてきて、大変な状況になっていることが分かってきました。
マンションの水道もエレベータも止まってしまって(ガスはしばらくして使えるようになりました)、ポリタンクや薬缶、鍋を持って1階の散水栓の所まで歩いて降りて水を確保。
降りるのはいいけど、11階まで持って上がるのが大変でした。
6階の壁には大きな×印の亀裂が入っています。高層の建物はその中階ほど亀裂が大きいそうです。
どうやらJRも阪急も止まっているようで、今日は休暇かなぁと一瞬思いましたが、こんな時に動くのが我々の職務じゃないのかと、これは決して偽りではなくそう思い、一応部屋の片付けだけ終えて、バイクに跨り職場へ向かいました。
三田から山越えで宝塚へ入ったのですが、途中は震災の被害はほとんど見えなかったのが、宝塚へ入ると倒壊した家屋の連続。
市役所では既に防災対策本部ができて、グランドフロアに机を並べて本部設置の準備中でした。庁舎の壁にもあちこち大きな亀裂があり、エレベータも止まっています。とにかく市内の現状を見てくるようにと、2名1組で市内へ。
続く…
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