私とボクシング その1

私は根っからのボクシング好きである。
生身の人間が闘うスポーツとしては、プロレスやK-1といった異種格闘技があるが、そのいずれも人間を倒すためのルールが厳格でないため、スポーツとしての認知度が薄いきらいがある。
その点、ボクシングは厳しい体重規制のもとで、腕二本だけを相手を倒すきわめてシンプルなスポーツである。ここにはいかなるショー的な要素もなく、倒すか倒されるかという白黒のはっきりした、しかも命を賭けた闘いがある。

私がボクシングファンになったのは、亡くなった父親の影響が大きい。昭和30年代後半、日本が高度経済成長に突入しようかという時代に、日本では空前のボクシング熱があった。今でこそボクシング熱はすっかり冷め、世界タイトルマッチすらテレビで放送されないことがあるが、当時は毎週のようにプロボクシングの試合がテレビで放送されていた。経済成長に歩調を合わせるかのように猛烈に家業にいそしんだ父親は、晩酌を終えると週に一度のボクシングの試合を観るのが唯一の娯楽であった。それこそ世界タイトルマッチの試合となると、もう試合以外のことは耳目にないといった感じであった。

このような家庭環境で育った私がボクシングファンにならない訳がない。父親とはもともと会話が少なかったのだが、ボクシングの試合中では共通の話題としておそらく1年分の会話があったと思われる。
あれは小学生の頃かと記憶するが、父親に「将来ボクシングの選手になる」と言ったことがあった。一笑に付されてしまったが、確かにボクシングとは生半可な決意でできるものではない。振り返って、ボクシングの選手にならなくて良かったと、今更ながら思うのである。

後楽園ホールにガチンコ藤野登場さて、前置きが長くなったが、2年前の夏に東京へ出張した折りにボクシングの殿堂である後楽園ホールへ観戦に行った。

後楽園ホールへはもう20年以上も前に一度訪れたことがある。あの時はエレベータで三原正というウェルター級の世界チャンプと一緒になり、思わず手帳にサインを求めたことがあった。サインの後に握手をしてもらったが、それは大きな手をしていたが印象的だった。

後楽園ホールでは、4回戦から8回戦まで10試合ほど行われる。4回戦ボーイの試合は、まるでヤクザの喧嘩のように殴り合いの様相を呈しているが、それでもちゃんとプロテストに合格したボクサーなのである。

以前TBSの「ガチンコファイトクラブ」というプロボクサーを養成する番組があったが、その番組からプロボクサーになった藤野大作という選手の試合が、当日のメインイベントとして行われた。

左の写真がリング上に上がろうとする藤野大作を映している。藤野大作といえば、番組ではやんちゃな態度で、番組を進行する元世界チャンプの竹原慎二によく絡んでいたものだ。
当時はまだ4回戦ボーイだったが、テレビでの人気を反映して破格のメインイベントでの出場だったのである。

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