前書き

慣行栽培と平行して無農薬での茶栽培もしています。
ただし、一般的な栽培方法にいろんな疑問を持ち、自分の理論からお茶を作っている、机上の理論的な栽培をしている一農業者です。
無農薬栽培は、理論のひとつの答えになる1歩手前?と思ってますので、取り混ぜて掲載しています。

まだまだ内容については追求しなければいけない点、訂正しなければいけない点が多くあると思いますが、そこの所は読み終えてから意見として送っていただければ幸いと存じます。

皆さんの、ご意見・(質問など)お待ちしています。

 

以下の書き込みは10年以上も経ちましたので現在の茶畑を少し載せておきます。

今も無耕起栽培で頑張っています。

2010年5月一番茶刈り取り前の茶畑

2010年の画像


データ Photo 畑の状況 (2000.9.24 撮影、天候 晴れ)

画像修正していません、見た目よりやや黄色く表示されるようです。(写真をクリックで拡大表示します)

定植後、施肥においても攪拌されていない100%無耕起の茶畑と拡大写真(樹齢約15年)


定植後、3年目から無耕起栽培に切り替えた茶畑(樹齢約17年)

    


茶栽培の取り組みと実践

1.肥料成分の吸収効果についての個人的見解

  ・肥料成分の吸収効率を上げれば、施肥量を変えなくても品質向上,増収が図れるかもし

   れない。そのためには、根の環境を生育に適した状態にする必要がある。

  ・現行の管理では耕転や深耕は常識で、再生した新根の吸収能力は高い。しかし根を切る

   事で吸収できる範囲が少なくなり、全体の吸収量が低下するのも事実である。

  ・自然界の植物は安定した土壌環境の中で生育している。多量施肥は、高濃度な土壌環境

   や短期間に激しい濃度変化をもたらし、茶樹にストレスを与えるのではないか。

   自然な状態では枯葉などは地面に堆積し、分解した成分は再度吸収され循環している。

  ・できる限り吸収効率を高めるためには、根を切らずに伸ばせるだけ伸ばし、吸収根が土

   壌全体に広がる状態が吸収量を多くするために必要だ。

  ・これらの事から無耕起栽培に取り組んだ。

2.無耕起栽培による生育の変化

  ・成木園について、堆積物の層が厚くなり吸収根の生育範囲が畝の真ん中まで広がった。

   吸収効率も高まっているように思う。

  ・15年ほど経過した茶園もあるが、無耕起による枯死は見られない。かえって、全体的に樹勢

   が良くなった。

  ・荒茶品質についても、成分分析に大きな差は見られなかった(表1)

 

  表1 荒茶の成分分析比較               

           実験圃場             山間地平均    

  年度     全窒素   テアニン  カフェイン     全窒素   テアニン  カフェイン
 平成3年  4.80  1.51  2.19  

  4.66

 1.43

 2.18

 平成4年  5.43  1.81  2.39  

  5.15

 1.77

 2.27

 平成5年

 4.46

 1.35

 2.10

    5.01  1.65  2.35
 平成6年

 4.49

 1,59

 2.16

    4.87  1.82  2.38
 平成7年

 5.10

 1.98

 2.50

 

  5.23

 2.11  2.69
 平成11年

 4.46

 3.22

 4.58

 

  4.34

 2.90

 4.57

単位は%


表2 県荒茶品評会における順位            

 年度      H3   H4   H5   H6   H7   H11  

実験圃場(順位) 123    5   16   48   10    41 

出品数 (点)  172   180   159   142   145   163  

 


3.無耕起栽培開始にあたって考慮した施肥設計

  ・根を傷める可能性の高い高度肥料は除外した

  ・堆積物(刈落とした枝葉)や肥料を分解する微生物・バクテリアに悪影響を及ぼさないもの。

  ・持続的吸収の点から、長時間にわたりゆっくり溶け出すもの。

  ・以上の事から、魚肥主体の施肥設計を組み立てた(表3)

表3 年間施肥設計

施肥時期

肥料の種類

施肥量

(kg/10a)

成分割合

(N-P-K・%)

施肥成分量

(N-P-K・kg/10a)

3月上旬

有機配合

100

5−1−1

5.0‐ 1.0‐ 1.0

3月中旬

魚精紛

180

7−4−2

12.6‐ 7.2‐ 3.6

4月上旬

有機配合

100

5−1−1

5.0‐ 1.0‐ 1.0

8月中旬

魚精紛

140

7−4−2

9.8‐ 5.6‐ 2.8

10月上旬

魚精紛

140

7−4−2

9.8‐ 5.6‐ 2.8

合計

 

660

  42.2‐20.4‐11.2

    *有機配合は100%有機 *魚精紛(商標名)は魚の内臓を米ぬかで粒状化したもの

 


無農薬栽培についての自己的見解と、その実情、経緯

概略

家の茶畑の経営面積は約3haあり、内0.8haを無農薬で栽培しています。当初家業に従事した頃最も遅場で利益率が低く又茶樹の勢いもあまりない畑が現在の無農薬畑であり、転換したのが10年以上前になります。どんなことでもそうですが仕事というのは際限の無いもので大変労力を要する事から、できる限り省力化を進める事、品質を上げられる事等、栽培の効率を上げるための方法を考えていました。現在の無農薬にしている畑が既存の栽培からの転換で資材費が減る事によってほかの畑にもっと資材を入れられる事になり、慣行栽培の畑で高品質な茶が生産でき収益も上がる可能性がある事と、無農薬の畑については、自分の考えているお茶についての実践ができる畑として気ままでしています。

本当のお茶の味について

今、現在の茶の味が今このときの茶の味であること、人の観点から言えば今おいしいと感じるお茶は今の人にとっておいしい物であるわけですが、自然の中から茶というものを考えると自然に育っているものが本当のお茶の味であり、人が判断している偏ったもので無いという事です。

嗜好品であるお茶というものに自然な本来の生育をさせることより、人がおいしく飲むための栽培がいいと思われるのが当然ですが、現在の栽培の方法にしても、昔からそうやって来たから今も引き継がれて少しは変わったとはいえ同じ事をしているだけの事かも知れませんし、従来の世話をしている畑では本当のお茶に近いときが在ったとしても、自然界の中から見れば本当のお茶の味だと思えないわけです。

そのことから、現在の人がおいしいと思っている、又は思わせてしまっている現在の栽培方法でできあがった味が茶の木の持っている本来の味でないと考えています。茶の木も自然の一部であり植物だという事、人間が世話をしなくて育っているのが本来の姿だと思います。だから一般的に言う世話をするのではなく、本来の姿、本来の味に近づく為にその植物に合った環境を作っていく事がそのものにとっての世話をする事だと思います。

なぜ自然の方向を優先するのか、人の立場から判断をしないのかと思われるでしょうが、私の個人的な考え方かも知れませんが、人を大事に考えるのであれば自然を優先したほうが、実際の意味合いから人のために有効だと私は思っています。

作物を生産するために、窒素、燐酸、カリを与えていますがその他に必要な微量要素が欠乏する事でいろいろな障害が出る事があります、人も同じようにバランスのとれた栄養が必要です。たとえば、昔の野菜と現時点の野菜と比べてみれば理解してもらえると思いますが、ほうれん草を例に挙げれば現在のほうれん草の鉄分が昔のほうれん草からみてどんどん少なくなってきた事、その他の野菜も同様に人が摂取する目的のミネラル分の減少が見られます。 ということは同じ成分量を摂取するためにはより多くの食料を取り入れる必要があるわけです。 もしも 10分の1,20分の1の成分量になっていたとすれば1個食べればいい物が10個、20個と食べなければならなくなってしまうと言う事ですから、それぞれの本当の姿や中身が伴うものを食べる事が必要だという事です。

何年か前ですがテレビで、ある人がこんな事を言っていました。動物というものは自分の体の中で補えないものを食べる事によって補っている。だから自分が食べたいと思うものは自分に足りないものである。 そのまま考えると人もまた動物ですから本能的に足りないものを補うために無意識のうちに足りないものを多く含んでいる物を摂取する頻度が高くなると考えられます。その事を現在の農産物に当てはめると、食べたいと思って食べても、本当は食べていない(補おうとしても実際は補えていない)というおそろしい事態に近づいているという事です。そう言った事から本来の姿や、味に近づく事が自分達のためになる作物だと思っています。

もちろん、多くの人に受け入れてもらえなければ何の役にも立ちませんし、そんな事をしていると自分の生活もできなくなりますが、無農薬栽培という事が近年の自然志向や環境問題等で商品的にもある程度優遇されているおかげで、道楽というか自分の信じるところの理論がある程度許される状態になり、いつまで続くかわかりませんが自然に近づく為の茶の栽培をこれからも実践できるという事です。経営面でも省力化とコストダウンにつながると思って始めた事であり、まだまだいろんな面での可能性を持っていると感じています。

本来の茶の生育に近づける為の疑問

*なぜ畑は掘り返したり肥料をかき混ぜるのか?

畑のふちに自生している茶の木は葉っぱが大きく枝もみずみずしく、かえって世話をしている茶の木よりも健康に思える時があります。もともと茶の木は人が世話をして生き長らえて来たものでなく植物全部、動物もそうであるように現在のこの環境に適応して今に至ったわけであるから自然の外的要因のついて自分で処理できる能力をもっているはずであり、また環境の変化(自然の状態において)にもある程度適応できるのでないか。

そう考えると茶の木にとって人が手をかけて世話をしている作業の中には無駄が無いと言えないのではないか。土をかき回す事で畑の土は表土からかき回した部分については柔らかくなっているもののその下の部分についてはそのままであり境界面の上下で極度に養分、有機物、そして土、水、気の構成が違う事で根が偏った伸び方をしているはずであり茶の木が利用できる土の量が限定される事と、個人的な意見かもしれませんが、かき回した直後は当然柔らかくなっていますが雨などによって徐々に硬くなっていきます(有機物の無い場合)。また、少々の有機物が入っている状態でも柔らかい状態を維持する事は困難だ(粘土と砂を同量程度の割合で混ぜたぐらいでは排水性が良くなる事は無い)ということであり無機化している土に有機物を相当な量を入れなければ排水性が上がらないという事です。排水性が上がらない事で雨が降ったときに土の表面近くで水分が停滞しているだけの時間が長くなり流亡も多くなります、逆に排水性が上がれば雨が降った後に土の表面からどんどんと水分を吸収する事でその後に空気を吸い込んでいく状態が生まれ土、水、気のバランスのとれた畑の土の状態ができるという事になります。

元々の生育条件から言えば自然な状態と言うのは100%有機物が土の状態を作っている環境があり、その下に自然な状態であれば床にあたる部分がある訳です、床の部分の役割として支持根が茶の木を支える為と常時水分を補給できる(いつも水分を吸収できる)所がなければいけないのでないかと思います。

かき回す事について物理的に考えると土の団粒構造が壊されてちょうど田んぼでしろかきするようにかき混ぜればかき混ぜるほど土の粒子が小さくなり泥の状態に近づくのでないか。一般的にかき回す事で団粒構造が構成されると大多数の方は言われると思います(言わないのが私だけかもしれませんが)、土は掘らないと硬くなるから有機物を鋤きこむ事で土が柔らかくなり排水性もよくなって作物にとって良い土と言われます。しかしながら、お茶についてのみ、しかもその他の農作物についてあまり知りませんが、茶畑の性格上株と株の間を掘ったりかき混ぜる事は一本の溝ができる事であり、逆に見ると一本の異なった性格の土を畝間ごとに置いている事になります。分けて考えてみると溝を作る事で当然一本の水路の状態が出来上がるわけです。

又そこに一本の粗い粒子から細かい粒子が均等に混じった土の棒がある訳ですが降雨によって細かい粒子だけが下へと抜け出て水路のようになった溝の底面に付着する事になり更に水路のような状態になるわけです、もちろん更に深く掘ればいいかもしれませんが掘るたびに掘った底の面に水を通しにくくなった層ができる事になり結果として茶の根が届かないより更に深く掘る事ができない限り水の通しにくくなった膜として残り根の生育に影響があると思っているわけです、その事によって酸素が地下深くまで入りにくく、当然根が充分に生育できない環境になると思います。

団粒構造についても掘ったりかき回したりしてできたものが微生物によってできたものと違い一雨降れば壊れてしまうほどの脆いものだと思っています。

又、別の見方で、植物の根が岩を割って根を伸ばしている事があります。道路の端っこにアスファルトをつきとおして出てくる雑草も良く見かける事です。それならこんなに強い根の力がある植物にどうしてわざわざ土を柔らかくする必要があるのか、早く大きくするために土をかき回しているという事でしょうが、植物にとって一部分についての事ですがかき回して柔らかくなるそして雨が降るたびに土の状態が変わっていくそして又かき回すという短期間の変化に植物が適応しにくいはずです。逆に畑をかき回さずに土が固くなったとすれば茶の木が枯れるでしょうか、物理的にも同じ状態を保っている事が茶の木にとって対応していく事ができ、そしてその条件に合った成長をしていくと考えます。そしてその場所での人間の考えるよりももっと良い成長をしていけるのだと思っています。

*なぜ肥料を入れるのか?

3要素N,P,Kほか微量要素をいれない山の自然木はどうして大きくなるのか?

もともと養分があるといえばそれまでですが、周りの養分は吸収されても途絶えないのか、又それよりも根を伸ばして吸収しているのか、といってもそのような大きさ分の養分がその土の中に有るはずが無く、自らの葉を落とし微生物が分解したものを又利用してこそ大きくなれるのでないか、そして光合成によって、糖類や、でんぷんなどをつくり大きくなれる事は誰でも知っていますが、農業をしている人でも窒素を吸収して葉っぱができると聞いてそのままストレートに窒素=葉っぱと考え、肥料を入れれば入れるほど多くの葉ができると信じてしまう事に、ある危険性を感じます。窒素=葉っぱそのままでなく窒素を吸収して葉緑素を作りその葉緑素が光合成の基となり更に光合成によって作られたものが成長に必要な養分であるので、光合成を行う事に窒素をたくさん入れても限界が出てきます。

ただし栄養の乏しい土壌でいきなりたくさんの大きな葉がつくことは無いのでどうして養分の補給をしていくのかという事、その為に一般的な考え方なら肥料を入れるわけですが、上根をいためずにできる限り長く土に取り込まれていく肥料を使うのか、又はそうでないものを使った同様の効果をあげられる方法が、栽培するために必要だと思います。

茶の木は特別な農産物だから別だと思うかもしれませんが、根が充分に伸びずに養分を吸収しているものとそうでないものとでは養分の吸収効率や、肥料を入れたとき等のストレスが大きく違ってくるはずです。

*自分の考えの基としている事

私は、人間以外の生物はみんな無駄な事をしないと思っています。

植物についてもたとえば樹木の場合、自らの葉をなぜ落としてしまうのか、落とさずにいれば新しい葉を作るためのエネルギーが要らないのに、そしてなおかつ光合成を続けていけるのにと思います。けれども自分の周りに積もらせる事で邪魔になる周りの植物の成長を押さえ時間と共に回りを腐葉土に変えてより成長を遂げるわけですから、最も有利に成長できる自分にあった環境を自らが作っていると言えます。

そして死を予感するときには子孫を残し、死んだ後も子孫の栄養に自分の体が役に立っていく事、もしも役に立たなくても自然の中に取り込まれて又別の命の基となるわけです。決して無駄な場所に葉をつける事も無く根を酸素の無いところまで伸ばさず、生きる事や子孫を残す事等に必要な事しか絶対にしない。そうして自然の循環ができていると思います。逆に循環しない事が多いほど自然から遠い存在であり、できる限りの循環を取り入れる事や自然について自分なりの理解を深める事が自然な生育に近づける事に大切なんだろうと思っています。

 

無農薬栽培へ転換する段階で出てきた問題

従来の栽培から農薬の散布をなくす事で出てくる問題として害虫の被害を心配していました。その為に、はじめの段階で畑をかき回す事を止めました。茶の木が思ったとおりに根を伸ばす事で養分吸収が今より無駄なく行えると思ったからです。その事で樹体の防御力が高まり少しでも害虫の被害が少なくなると予想しました。また、虫がつきにくくする為に肥料を少なくしていきました、農薬の散布もいきなりやめずに年間の撒布回数を減らしていきました。4年で無撒布になりその年の肥料はほんの少しの量一回だけ秋にまきました、収量を維持しながらの転換が私にとって予想したより難しい事で枝が細かくなり収量も少なくなりました。結論として今までの栽培方法で使っていた肥料と農薬が、土の持っている性能と樹体の能力を低下させていて回復するのも遅れていたのだと思います。今までかき回していたので物理的にも堆積物が少なく、茶の木がかき回している環境に対応していたのだろうと思いました。

害虫の被害について当時は茶の木が硬くなった程度の状態でしたのから大発生でないにしろそれに近いぐらいの結果でした。農薬撒布をまったくしなくなって3年後には、発生しても大発生に至らなくなりまったく被害が判らないようなりました。今から考えると3年間で畑の中に安定した動物や菌類の生態系ができたのだと思います。

病気に関して、当初の間あっちこっちに炭素病や輪班病などが多く発生していました。株の状と言うと葉態はの位置が農薬のかかるところの表面から内部に何センチという間だけにしかついていなかっと、その間たこにおいてはかなりの密集した付き方をしていた事から通気性が悪く異常にその部分だけ水分たれる状態が保になっていたのが原因だと考えらました。対策として中刈りなどを行なって、はじめから葉けなおす事を付にしました。そうすることで葉っぱが一部分に密集するのを避ける事ができると考えましの事と同時た。そに株の間の間隔も通気性をあげるために重要だと思い、できるだけ広げてみたいと思ってたが草の世いまし話との兼ね合いもありましたので最初は状態の良い1015センチほどの裾刈りにとどめていました。現在ところで20センチ程度の畝間にしています。

畑まわりの除草について

転換時期に最後まで使っていたのが除草剤です。畑の周りに生える草を以前から除草剤で処理していた事や草の無い事を当たり前と思っていたので草が1本も生えていない状態でした。今から考えると簡単な事で何も無い土の所だから余計に細かい草が生えてきて手入れする事を当たり前に思っていたから草を絶やそうとしていましたが、土手いっぱいに草を生やしその草をはたけのまわりにおいていけば毎年どんどん敷き草を敷いた状態になり草を引くところといえば草を置いた内側の少しだけという事でした。畑の中はどうかといえば刈り馴らしたり34年に一回は株を下げているので堆積物が多くなった分、草もあまり生えない様です。一部まだそんな状態になっていないところについては、まだ手間をかけて草を引いています。中刈りなどしたところについては、株を中心に「ベニバナボロギク」がおもに生えてきますが一番茶を刈った後にすぐ中刈りする事で草より早く茶が葉をつけてくるので株から出てきた草を引く事だけで処理しています。


疑問に思った生育の違い

  条  件         自  然             畑      
養分 上からの堆積物 全部が同じ濃度の土
肥料の種類 有機物(主に葉っぱ) 主に市販の肥料
耕起 無し 有り
薬剤散布 無し 有り
振動 少々 大きい
土の状態 腐葉土の堆積 全部同一な土
根の状態(白根) 透明な感じ 土に汚れて細くて短い

何千年かかり変化適応している植物に人工的な栽培をするよりも自然に近い栽培がそのものの持っている特徴を引き出す事が出来るので無いか? その事が人間が食する物として優良な作物だと思いませんか

肥料に関して

砂漠に養分が皆無といえないが普通の環境より相当に低い量なのに、その中でサボテンが成長できて中には相当に大きくなる物があるという事は、茶の木にしても少ない肥料でも育つ事は育つはずであり、現在の栽培でたくさんの肥料を茶の木にやっているが肥料を100%近く吸収させるにはほど遠い状態で無いかと思える。

根が肥料を吸収するところは肥料(主に窒素ですが)濃度のどのあたりまでか、それが判れば全体に根を張らせることができるのではないか。しかし伸ばすためには根を切らない事と物理的に酸素があり水があり又その水が動いている事(酸欠状態にならないので地下深くまで根が伸ばせる)も重要だろうと思っています。

施肥の量によっては、濃度が高ければ根は痛む事になり、居心地の良い場所へ根をよけてしまう事が考えられ実際の吸収が効率の低いものになってしまう恐れがあると思います。逆に濃度が低ければもっともっと吸収しようと根を伸ばしてくる事で肥料効率としては良くなると思います。

自分の畑(新植)で堆肥を入れて成園になるまでの時間がかかり後々まで生育が悪く、思っているほど収量が上がらない所があり、堆肥を置いていた近くの株も同様に大きくなりませんでした。保水性が高くなりすぎる事と堆肥自体が窒素を吸収するためと未醗酵部分の醗酵によるメタンの発生による障害が大きいと思っています。堆肥の多量投与でECが低くなりすぎると発根や発芽が抑えられる事もあります。

堆肥について、入れる事が悪いと言うことで無く完全な100%の醗酵をしたものがあれば良いが100%で無い限り窒素を吸収するということであり又メタンが発生する事もあります。そして一般的な堆肥では粘性物質を含む事から保水力が大きくなりすぎる事で水の流動に問題があると思います。

菜種粕について、畑に以前は油粕を主に入れていましたが春の揃枝をする度に古葉の落葉が目立ち収量も上がりませんでしたが、10年ほど前から油分を多く含む魚肥に変えてから落葉が極端に少なくなり、又、葉の肉厚も厚くなり表面に照りも少し出てきた感じがあり、少しは隣近所の畑に近づいたかなと思っています。

普通の油粕(圧搾でないもの)について思うことは、ヘキサンで脱脂されているという事は微量ながら気化したままのヘキサンが含まれている事になり肥料として使うのであれば表面に散布するのはいいとしてもすぐにかき回して土中に入れてしまう事である程度根に到達して白根を痛める可能性があり、薬品によって脱脂されている事から油分が昔のものよりずっと少なく、又多口質であるはずだから化成肥料並みの速効性があると私は思っているので自分の栽培には合わないと感じ使わなくなりました。

木質化した根よりも白根が肥料をよく吸収する事からも肥料を効かせるには白根を多くする事が大切であり、有機質肥料であっても化成肥料のような速効性があれば自分の考え方では合わない事になります。自然の根の状態から思うと透明感と張りのある根が土の中に多くあればいいのであって、その条件を壊さずに肥料を入れる事が栄養の吸収も多くなり収量や品質が上がる方法だと思っています。又木質化した根は水分を取り入れる事と養分の貯蔵の役割を持っているので木質化している根も多いほうが良いはずで、木質化している根が充分にないと、いくら養分を吸収しても貯めておくところが小さいが為の別の成長を始める原因になると考えられる事から、もしも畑を掘らなければその条件を満たす事になります。当然耕起しない事で刈落とした枝や葉っぱはそのまま堆積物となり堆積する事で下からどんどん腐葉土の状態になるわけですから根は自分の思っただけ成長し根も多くの土をつかみ、腐葉土の堆積物によって肥料を撒いても穏やかに茶の根が白いみずみずしい状態のまま栄養を効率良く吸収できるのではないか、そして茶の品質も収量も上がるだろうと考えています。

無耕起栽培、現在の状態

果たしてできるのかと思っていた無耕起での栽培ですが理屈の上ではできると感じていたものの、施肥した後に又施肥を重ねていくわけですからどんな状態になるか予想がつきませんでした。株の間に春と秋に刈り馴らした葉や枝を落とす事で草が生えにくく同時に土もすこしは柔らかくなり少々の草も簡単に引けるので労力が大幅に削減できる様になった。刈り落としてきた枝や葉が腐葉土になりその下にある土も最近になって柔らかくなった気がします。そしてその上に肥料を撒いているのですが堆積物の中に入り込んでしまい、やっているのかわからない状態になっています。そして土に肥料が効いているのではなく腐葉土の分解に肥料が効いている様に思います。

お茶の場合しか判りませんが(茶の専業ですから)通常の農薬を散布している畑については、大きな問題も無くそこそこの品質を維持しているようです。収量についても畑の状態についても定植後一度も耕起しなかったところが一番良くなっていると感じます。



   
PageTop  Home