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40歳の御札(おふだ) 意識する訳ではないが、40歳の頃はひとつの節目を迎える。技術系の人間にとっては学校を終え、 この頃になれば、それまでの仕事内容により、技量の差はあるものの、何らかの専門分野ができる。 私の場合はそれが化学のバッチ制御かも知れないし、あるいは本人がそう思い込んでいるだけかも 知れない。勿論それは職業上の分類に過ぎないが、さて自分の交友関係を見渡せば、公私混同とも 思える電気関係が多い。 心よき友人の悪口を言うつもりは、さらさらないが、余りにも自分とよく似た価値観の人々で、時々は うんざりもするのも、やはり40歳の節目だろうか。 企業には異業種交流がある。40歳を機会に、個人の積極的な異業種交流を願い、今まで不得意な 分野に私的活動の場を求めてみた。私の不得意はスポーツと語学。 まずスポーツは、友人を師と仰ぎ、テニスコートに1年余りは通ってはみたが、あれ程、体力のいる スポーツとは思わず、遂に自分の優雅な姿を想像することもないままに挫折した。 致し方なく、次は自分で見つけたスイミング。特にスクールには入らず、自分で600m程泳いでは帰る。 90kgの余剰浮力あり余るこの身ではあるが潜水泳法を覚え、孤独と言うよりは、むしろリラックスできる 週1回を楽しみに、もう数年経った。 もうひとつの語学、恐る恐る英会話に通ってみた。学生時代からの劣等生固有の恐怖は消えないま でも3年、勿論大成するとは到底思えないが、最近では少しレベルの高いクラスに入れるに至った。 私如きにも英語に興味を持たせる、完璧の教育法を身に付けた先生と、格調高い「英語」を話すOlder から「自然英語」を話すYoungerまでのクラスメイトの一人となって、私にとっては異業種の民、異文化の人、 異邦人たちと1週間に2時間会話する。大げさに言えば、それはまさしく、かくしゃくと生きる将来への 希望であり、若者とのGeneration gapを埋めることのできる空間でもある。 その後の、時々はうんざりする友人たちも健在ではあるが、40歳の思い過ごしは、バッチ制御専門の 私の看板板の裏に「スイミング」と「英会話」の御札を貼ったらしく、余暇の風に時々見え隠れすることと なった。 |
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