ロザリンコラム集vol,2 
    ロザリン日誌に戻ります 




  今までのロザリン日誌にて、投稿された
  コラム集のパート2です。

  文庫本感覚でお楽しみください。

 
  港町ブルース、 カフェブーム  
  
    惜別・高橋昭男、
 
  インキーズ、 ある酒場にて、

    
         ピカレスク夜桜


         
  
港町ブルースl

llllll昔、森進一のヒット曲で一世を風靡しスナックで友達と掛け合いで歌ったものだが
このコラムにはまったく関係がない。
   港町には、昔からなんともいえない思い入れがある。
昔、柳ジョージがまだメジャーになる直前に出した《
YOKOHAMA》を聴き耽っていた頃、
又偶然にその頃、和歌山県民文化会館小ホールでミニコンサートがあり確かレコード店で、
500円でチケットを買った憶えがある。
 まだまだ素朴だった柳ジョージとレイニーウッドのソウルフルなライブにすっ
かり魅せられた記憶がある。

私は今も昔も音楽には明るいほうではないが、その時何に惹かれたかと言えば、
彼ら全体に漂う当時の港横浜の風情だろうか。

アルバムのB面1曲目に《港亭》という曲があり、別れた女への未練を港のBARで男1人、
酒を飲みながら浸っている男の曲だが、その独特な世界。 そのアルバム全体にしみ込んでいる
当時の港町の男の哀愁が、私の中で今も巣食っている様だ。

今までに何度となく色々な港町を訪れた。近くの神戸はもちろん、大きな街からこじんまりとした町まで・・・
。海外ではナポリとベニスか。

港町へは表玄関である海から潮風に吹かれながら入るのが正しい入り方だとベニスで知った。
車や鉄道の駅から入るのは現代では当たり前だが、本当は只の勝手口であって永い港町の歴史の中では
やはり船上から段々と街の様子が現れ汽笛と共に入港するのがいかにもドラマチックである。             

異国の文化、物資、人、などの様々な物がまず此処に訪れ又、そこから色んな場所へと散ってゆく。
それらが全国の色々な所に行き渡るその前にリアルにその空気と共に港街全体を覆う。
いかにも私好みだ。

長い航路に発つ前の束の間の貴重な陸の時間を過ごす町。逆に長かった旅路の後の宴の地。 
少し荒っぽい男と派手で訳あり女が似合う街。 よそ者と地元民が共存、融合し独特な文化を生み出している街。
 どれをとっても私の感性に引っかかってしまう。

不思議な事に、港町には大小はあっても極似している。
街全体を見渡せられる小高い山があり、夜景のいいスポットになっていたりする。外人墓地や異人街がある。

地元民と異国人達とで賑わう市場が有りその少し離れた所に他の町には見られない独特な空気の漂うエキゾチックな歓楽街がある。 

 その混沌とした風情にまぎれ、小さなBARを営むのが私の仄かなゆめなのだが・・・。

       エトランゼ好かれるボストンシェーカー




VOL 4    カフェブーム                                     llllllllここ何年かのカフェブームもようやく落ち着いた様子だ。
以前からこの仕事をしている人間にとってその時は

 「やっと来たか、あわよくば自分もすこしは便乗できるかも」

 とかすかな期待を抱いたのも正直な話だ 
マスコミ群が囃し立て、地元にもそれらしい店が予想に現れた。 
 ますます期待感が増す。これでお客の数も増えカフェに対する意識も高まり、店側と客側の双方がいい方向を向きはじめ、より良き成熟した大人のカフェ文化が根付いていくかもしれないと。  

しかし、まったく関係がなかった。関係がなかったどころか、方向が逆で何もかものクオリティが
落ちる一方だった。
 気が付けばブームは自分の臍の辺りをす〜っと通り過ぎていくだけの感じで
よくよく観察してみると無理もないことだ。

 やれカフェ御飯だの、やれこの椅子は何処製の何某だの、やれこのカフェのコンセプトがどうだの、
どうでも良い下らない能書きばかりがどんどんと先走り肝心な事は本筋から遠くはずれていく。 
無個性を恥ずかしくも無く何処かでみた様な同じモノばかりで目新しい物などどこにも見当たらない。 
一体何がおかしいのだろうか?
  
  元々 ,カフェ やバーなどは雰囲気やムードを楽しむシンプルな大人の空間であろう。それがコンビニ並のカフェ弁当の価格競争や安っぽい品のない薄っぺらな内装、とりあえずな素人丸出しの無機質な接客サービス。 講釈が多い割に肝心な所はなにも判っていない。
 
結局、店側の言い訳ばかりが先走り、気が付けば底の浅い、ただの子供部屋にまで成り下がっている。 元々大した専門的な勉強もせず目先の目新しい小手先だけのディテールや、雑誌や都会の流行を
おめでたくも鵜呑みにし、まともな飲食業で何年かの下積みの経験などあるわけもなく、
これ位の商売なら自分もちょろいもんだと既存の店舗を完全になめきり
、職業人としての自覚などみじんもなく、
就職難だからと言って何も知らない世間知らずの親の金をうまく引き出させ、
楽天的に何もかも世の中を甘く見て始めたところが関の山だろう。
 
本来のメインであるコーヒーなどのドリンク類は苦も無く平気で手を抜き、
その時の思いつきだけでただただ子供だましなメニューの数を増やし自分達のレベルだけで
何もかも物事を済まそうとし、それ以外のめんどくさそうな客層には平気で無視を
決め込んでしまう厚顔がある。


一方で腹が減ったからカフェ、自分だけのわがままを通したいからあのカフェ、
値段が安いからこっちのカフェ。友達だからここのカフェ。

パブリックな緊張感などおよそ必要がない大衆食堂か、自分達だけの部屋のように振舞いたいが
ためのカフェ。       

結局、店側と客側の互いの程度の低いエゴやナルシズムの押し付け合いにまでなり
本筋からはかけ離れていくばかりだ。 
ただの素人さん同士のママごとだけでは済まされない迷惑さがある。
何かに影響を受けるのはよく分かるし必要で、現に私も様々なものに刺激されてきた。
しかしまるっきり他所のそのままのパクリや良いところを水で薄めて我が物顔にしていいとこどりするのはどう考えても納得いかない。自分独自のオリジナルを生み出そうという前向きな心はないのか。
  いつから二番煎じが恥ずかしくなくなってしまったのか。 商道徳などお構いなくて、
工夫もせずそのまま人真似や上手く逃げ道を確保したうえで誰かの右へならえの便乗するだけの
さもしい発想しかないのなら最初から商いなど止めてもらいたい。
 真摯にその仕事をし続けている業界の人達にも 第一お客にも失礼だ。
 
店主としてのプライドはどこへいったのか。 何もかもみそもくそも一緒にされたらたまらない。
珈琲を飲んだらトーストもただでついてくるものと思い込んでいる馬鹿もいた。 

 視察の名目で他店のメニューを涼しい顔で平気でパクリに廻る盗人経営者もいた。

        なぜこんなことにいつもなってしまうのか。

 大体日本人は外国の文化の上面だけをなぞり内面にまで深く掘り下げようともせず、
自分の都合でレベルの低い見栄や金儲け主義で簡単に物事を解釈し 肝心な核になる事は
自分達の勝手な言い訳ですべて片付けられてしまう。 これでは本物の文化、芸術なんか
根付きそうもないだろう。もっとそれぞれ、本来の大人の文化 佇まい、居心地のよさを追求勉強し、
自信をもって確信を得てから打ち出していくべきだろう。 

 とにかく瞬間芸的な、今さえよければ、自分達さえよければという意識が先走りすぎて
結局はどちらも不完全燃焼に終ってしまい後味の悪さだけが残るのだろう。

 正直、カフェブームが終鴛を迎えたことは「ホッ」とした。それでも、まだテレビで
「東京でなんとかカフェができました。」
とかやっている。やはりまだ懲りもせず、いつものパターンの内装とお手軽な打ち出しで
毎度おなじみの客層と店主で、やたら口の立つ胡散臭い店主と物見高い暇そうな女性客中心で、
周囲の目を気にしながらもナルシズムと手応えの無さを悟られまいとする落ち着きのない顔達で
溢れている。 まだおめでたくも外にまで並んでいた。
  
思えば何がどう違うのだろう。私の知っている、例えばイタリアのバールと比較して。

まず店側もそんなに流行りすたりに左右されない。
店主の考え抜いた店のあらゆるものに一貫したものがあるからコロコロ変わらない。
吟味を重ね厳選されたものだけで統一しているから変え様もないのだろう。
 また、そこに集う客側も老若男女が満遍なく混ざり合い居心地のいい一体感と緊張感を醸し出し
包容力のある、暖かな大人の雰囲気が生まれている。 
歴史のある旧いバールでもまったく色褪せることなく現代にマッチし普通に、
それなりに今も絵になり息づいている。
 
   翻り、日本のカフェを思うと、やたら若者ターゲットだ。
若者、とくに若い女性の受け狙いだけにすべてが終始する。 
だから底が浅くブームが去ると荒涼と寒々とする。 好きやすの飽きやすで内面が未熟な層ばかりに
媚びるばかりだから賞味期限が短いのも無理もない。確かに女性客狙いは見のがせないのは解るが
こちらが余り追い過ぎると見透かされたあげく背中を向けさっさと逃げてゆくのは恋愛も同じだろう。
 何時か冷め切った相手にとっくの昔に手の平を返されているのに気付きもせず生懲りもなく同じ事をし続けている、尻尾振り続ける勘違い犬ほど惨めなものはないだろう。
 
しかしそれをしなくては成り立たない日本のカフェ文化とは一体何なんだろうか? もしかすれば想像以上に根が深い問題かもしれない。 このブームの終りと共にそういうことも終りにしたいものだ。

    
すっかりブームに乗り損ねた   ボストンシェーカ-




惜別  高橋昭男 


 あんなに愛し、そしてあんなに憎んでいたこの世で唯一の親父がこの世から去った。
思えばめまぐるしく過ぎ去った闘病の数ヶ月。みんなでやれる事はすべてやった。
 率直に労ってやれない気持ちと何とかできる事はすべてしてやろうという思いとがが入り混じった密な日々だった。

“今さら何が”という思いも残り限られた日々の間で氷解され、最後は、只、感謝と名残り惜しさだけが残る別れになった。

思い起こせば当り前の事だが数え切れない関わりがあった。
お互いの感情がもつれ合い心の底から憎み、それでも憎み足りなく眠れない夜が続いた日々もあった。

又、反面、廻りの人達に対する深い想いをうまく伝えられずどうしようもないもどかしさを
私だけにもらす時などは自分が想像している何倍も深く思慮深い思いやりのある人間なんだなと改めて
驚かされた事もたびたびあったものだ。 
 神と悪魔の両面を持つ極端な人間だった。
今、自分がいい年になり、おぼろげながらも当人の生き様を想像すれば、今まで考えていた以上に

 “よくやった。よく貫いた” 
という熱い想いで揺さぶられ心底からの拍手を送りたい。
“それが親の言う事・する事か”
と信じられない時も幾度があったが今、思えばそれも理解できる。それが、本人だったのだろう。
それが本人そのものだったのだろう。うそも言い訳もない。
まだ、今はすべてが理解できなくともいつかできる日が来る気がしてならない。
 

はるか遠い思い出をさかのぼればあれは自分がまだ幼稚園から小学生だった頃。
あの当時は自分の家族だけではなく世間全体が夢と希望に溢れていた時代。
まだできて間もない新築の団地内が若い活気でみなぎっていた。
それぞれのベランダからはたくさんの洗濯ものがはためき母親連中の井戸端会議があちらこちらで花が咲く。
小さな子供達が走りまわり夕方になると父親連中が仕事から戻ってくる。
夕食の仕度ができたと、母親達の声があちらこちらで聞こえていた。

夏の花火、幻燈、歌合戦、子供会の人形劇、それぞれの小さな草野球、ラジオ体操、肝だめし、
大人達も子供らも色合いまぶしく弾みあっていたものだ。周辺の小さな商店、出来て間もないマーケット、
近所の学校や新しい施設なども若い活気にあふれかえっていた。
その頃、勢いのある父も母も健康的な光の中で輝いていた・・・・・。

 そしていつか時は過ぎ、私が中学生頃になると翳りが出始めた。
若かった親達も手狭な団地住まいに見切りをつけ始め夢のマイホームへと巣立って行く。
後に残された家族達は気のせいかくすんで見えた。色々な行事がなんとなく省かれていき気がつけば、
子供達のはしゃぐ声も大人達のざわめきも段々となくなっていった。
我家も自分達兄弟が成長し現実が理解できる年頃になると世間一般と自分達との
ギャップをうすうすと感じ始め 言っても仕方のない事、どうなるものでもならない事は黙っておこうと、
それぞれが押し黙りだし、目先の自分の用事だけをこなす様になっていった。
 
そんな事もいつまでも続くはずもなく狭い部屋に大人4人快適にすごせるはずもなく
、精神的にも肉体的にもずっと無理を強いられてきた母親が他界してしまう。
親父も親父で今更、どうする事もできなくて、もっと早くに気づいてやれなかった自分自信を責め、
人一倍働く事、夜明けはるか以前から夜までの労働によって自分のいたらなさの埋め合わせをしようとする。
狭いくせに空虚に人1人分広くなった部屋にはますます男3人の生活は無理が生じ空中分解が起こる。 
又それも無理からぬ事。誰が悪く誰が正しいかの問題ではなく自然の流れだったのか。
親子でも無理なものは無理なのか。
 
時が経ち、今1人の老人が死んでいった。人間としての歴史を歩み、
喜怒哀楽を積み重さねた、1人の男が亡くなった。

一瞬のまばたきにも永遠の月日とも思える時を経て、あの頃とはすっかりと変わり果てた姿で
何ヶ月かの病院での闘病生活から元のあの住処へと帰ってゆく。 約45年間、寝起きをし、
数しれぬドラマがあった長年の住み慣れた自分の場所へと戻ってゆく。
  
これでいい、これでよかったんだと。物語の帳尻はすべて合ったんだと。永かったすべてのドラマは終わったんだと。

これからはこの男の事をよく知る人達の名残り惜しむ声に見送られながら来世へと旅立つ。
 来るもの拒まず去る者追わずを徹したの孤高の主人公が長年の不動の場所から未知の場所へと旅立ってゆく。
予想もしなかった突然すぎる別れに、名残り惜しみ、うつむき、涙する大勢の人達を尻目に新しい旅路へと向かってゆく。

“昭やん。一体どこへ行くの?” と問いかける言葉に多分答えるだろう。
“どこへ行くとは、知れたコト〜”
 生前のいつも通りの不適な笑みを浮かべ口笛を吹きながら淡々と・・・・・・。

当分続くであろう寂しさにさいなまれ亡き父への想いがつのるボストンシェーカー。



 インキーズ


 温暖な黒潮がもたらす自然の恵み。豊富な森林資源やのどかな温泉群。
自然環境は申し分がない。車で1時間もかからないうちにいい風景に出会える。 
山間部の風情溢れるひなびた温泉街。南国独特の光溢れる開放感と共にたどり着く海辺の観光地。
果物や野菜などの農産物。梅干や醤油などの伝統に裏打ちされた名品。歴史的な史跡
風光明媚なロケーション。なにをとってもどれを見ても全国トップクラスかもしれない。
世界遺産にまでも登録されるほどだ。
 
  なのになぜ?なぜここに住んでいる人達がこんなにも陰気で排他的なのか?
おおらかで温暖な穏やかな恵まれた気候風土とはまったく裏腹な手合いがやたら多い。
 
  われらはこの手合いをインキーズと名づけ恐れ警戒している。 
もちろん地元民みんながみんなそうだとは言わない。
しかしそれにしてもそんなふうなインキーズの数がやたら多い。 
ここで腰を落ちつけ20年以上になるが未だに新鮮な驚きが度々ある。

 私の周りだけでもなさそうだ。
 
例えれば、学生時代、クラスで数人目立たぬグループがいて特に勉強が出来るわけでもなく
スポーツが得意でもなくかといって不良達とは縁遠く何をしているのか考えているのか
さっぱりつかめない無表情集団。突っ込むとたいした取り柄も趣味もなく
只なんとなく類友のごとくいつもその同じ連中だけで群れて寄り添うように集っている。
昼休みに何処へ行ったのかと思うと虫眼鏡を持ち、もそもそとそいつらで草陰で
昆虫採集でもしていそうな、それでいて、大人しく心優しいのかといい方にと
邪推していると思いがけずしっぺ返しを喰わせてくれる侮れないグループ。

   かつての面白い活気ある連中は何処へ行ってしまったのか。 
早々にここに見切りをつけ、さっさと都会へと出て行き2度と帰ってこないのか。
それとも地元にも自分自身にもなんとなく折り合いをつけ去勢された犬のように大人しく
砂糖水の如くここに溶けこんでまったのか。 歯応えのある複雑怪奇で摩訶不思議な
ほとばしる本物の個性豊かなワイルドでパワーに満ちた・今・を活きている人間は

 何処へ行ってしまったのか?

サバンナもキリンや鹿などの草食動物だけでは、スリルも刺激もなければ面白くも何ともない。
ライオンや豹などの猛獣、肉食獣がいて初めて様になるだろうが。

1事で言うと退屈でおもしろくないのだ。何度打っても響かないのだ。
思えば、商売柄1人で何とかみんなを盛り上げようと何度トライしても無理があった。
 
いつも介護護老人をなだめすかす様な儚さだけが残った。
耳を傾けると他愛もない幼稚で単純な低レベルな事で喜びあっている。
期待して聞いていた耳が萎びれてきた思いが何度もした。 なぜかおとなしいくせに不誠実だ。
簡単に約束事を反古に出来る。
何回も念を押した事でも 知らんかった、忘れてた、無理やった、
と顔色変えず答えられる不思議で鈍感な押しの強さがある。
  
日本何処でも大差は無いかも知れないが少なくともお隣の大阪で今まで
そんな手合いに遭遇した経験がない。ここ独自なものか? 
 何か面白い事をひとつやってみるかと計画し話が具体的になってくる頃になると決まって

 「そんな金がない。そんな間がない。」と簡単に突っぱねてくれる。 

  最初からやる気がなかっただけかいと何度思った事か。

 都会では10人十色と言うがここは10人三色程度か。それもそのうちの1色はインキーズだ。
面倒ごとやリスクから常に距離を置きたがり、仲間を出し抜く時にはえらく動きが速い。
メリハリのきいた起伏に富ぶ変化のある日々を極力忌み嫌い、新しいトライなど到底発想にもなく
毎日同じ事の繰り返しだけの日常生活をこよなく愛し安心感とこの上のない充実感を感じている。
そのくせ口では裏腹の態度やぐちが口癖になっていていつもの合言葉は 

『やっぱりあかんかった。どうせ無理やし。めんどくさくしんどい』 でさっぱり話が前に進まない。

 インキーズ達の特徴は普段は無表情を極め込んで当り障り無く振る舞い廻りをすっかり安心させておき
、したたかに自分達とは異質な人達を極端に遠ざけておき、いつの間にかつかの間だけの
つきあいの旅人の様なよそ者扱いに持っていき自分達とは完全に1センを引いておき異質な人達との
心からの打ち解けを断じて拒否する
。そのくせ、やたらと仲間内だけのチームワーク、ネットワークだけは死守する。

 こちらからどんなに声賭けをし、何をもってしても石臼のように動じなく聞く耳さえ持たないのに、
目先の楽でリスクがなく生ぬるいどう考えても刺激とは程遠いどうでもいい様な
いつも同じ顔ぶれの暇人の寄り集まりにはほいほいと腰軽るく出て行く変貌を遂げ驚かされる。
そのあげく後の言い草は 

 「いっこもおもしろなかった。」

 結局、後味に残るのは、そいつらの排他的な了見の狭さと、最初からのあきらめ、やる気のなさか。
 もっとフランクに、色々な個性ある人達と豊富な話題で盛り上げようとそんな場を設定し今まで
何度も試みたが、結局、自分達だけが分り合えるえらく狭いローカルな話にもちこまれ最後は
そいつらだけで固まって御ひらきとなり  

『今まで、一体なんだったんだ?』 と時間の浪費だけを実感させられる。 
 
  立食パーティーでメイン会場に知らぬ間に誰もいなくなり

『一体、みんなどこへ?』

と外に出てみると廊下のベンチやフロアにおおうぜいのグループが固まり座り込んでいるのを
見た時、ぞっとした記憶がある。
 
 ここでの方言で丁寧語、尊敬語がないと指摘され親しさの表現と都合よく言い訳しているが本当は
、相手の立場や人格を認めたうえで尊び敬う心までが欠けているのかと、一言でいえば 

『なめてるのか』と思う時がしばしばある

以前そんな手合いに食ってかかってやった事があって、本人はまったくそんな気がなかった
みたいだが自覚がぜんぜんないのも空恐ろしい気がした
.。
  
1日2日でこうなった訳でもなくかなり根が深そうだ。
今まで色んな方法を試み折り合おうとしたがすべて
徒労に終わってきた気がする。
日本の中で遥か遠い所の人達や外国の人達の事をすべて理解できなくとも仕方なく又、納得もいくが
この狭いエリアの中でまして自分の生まれ育った故郷でまったく分かり合えないのが不思議すぎる。 

とにかくここにはインキーズの数が多すぎる。
いやでもここにいる限りはこれからも関わっていかなければならない。
 もしかしたら私の方がおかしいのか? 
本当はインキーズの方がまともでわたし1人だけが大分おかしいのか? 
そうすればなにもかものツジツマが合うのか?

     いいや やはり納得がいかない。

              インキーズの天敵 ボストンシェーカ



ある酒場にて

ある酒場にて 

あぁうまいねぇ。やっぱり好きな肴と好みの酒で、気の置けない所で、ゆっくりと過ごすこの時間。

 週1回のささやかな贅沢なひと時。毎日はちょっと無理だけど、
1週間の仕事の疲れがだんだんにほぐれてゆく。昔は親父臭くていやだったけど、
慣れてしまえばこんなパラダイスは他にはないねぇ。
今はもう自分に分不相オな、割烹や馬鹿騒ぎのスナックはもういいねぇ。

 こう見えてもね。以前は色々行きましたよ。タウン誌の新しいのがでたらすぐ買いましてね。
 若い娘に、ただもてたくてね。

「あら、色々なお店ご存じなんですね。」なんて言われたくて。馬鹿でしょ。笑ってください
. 

まめに色々顔出しました。 こんなのもくせのもんですかねぇ。

何時頃からかなぁ。 まずパブでしょ。それから、カフェバー、少し経ってえーとなんとかダイニングか、
フゥージョン何がし、それから、なんとか・・え! なに。そんなのはどこも1緒? 
まるっきり同じじゃなくても名前だけが違うだけで内容はほとんど変らない?・・・

やっぱりなんだかおかしいと思ったんだよな。まるでキツネに騙されたみたいに
同じところをぐるぐる回っているみたいで。  いつの間にかばかばかしくなってやめました。


 最近はお店の人も大変だろうね。時代や客のせいにしても仕方がないにしても、
 やりにくいだろうね。まっどっちにも責任があるんだろうけどさ。

この間、あるバーのマスターが話してくれたんだけど、以前、いつもある女の子3人組で
 来てくれていた時期があってね。週1度は必ず集まってくれる。
 マスターもその子達を大事にしていたらしい。
 
 「これからも、マスターがんばってずっと続けてね。私達おばあちゃんになっても来るからね。」

  ポーカーフェイスのマスターは顔には出さないが本当にうれしかったそうだよ。
 こんな時代になっても支えてくれるこんな人達が自分には居てくれるんだって思ってね。
この人達を励みにがんばろうと。期待に応えていこうと自分に言い聞かせて。
 でも何かおかしい所があるナとは思っていたそうだ。
 
  ある夜、いつも通り3人で飲んでいる時、訳のわからない酔っ払い親父が入ってきた。
 おとなしくしていたら別に何も言わないんだがやたらと絡みにいく。 
 その3人も余りにも迷惑顔だしうるさいやらで場違いにも程があろうてなもんで。
 マスター溜まりかねてそいつを叩き出した。

 「これでゆっくりと静かに飲めるね。」
 
 ところがね。返ってきた言葉が

「あのおじさんかわいそう。これからどこへいくんだろう。」

だって。その子達の事を思ってした事なのに。釈然としない思いは残ったらしい。 
 
ある日を境にぷっつり来なくなった。なぜか示し合わせたように誰も来ない。
 どうしたんだろう? 何か気に障ったことでもあったのか?引越しでもしたのか?結婚でもしたのか? 
それか、何か事故でも? 3人一緒もおかしいけども。
色々考えたんだけど、どうも思い当たらない。

仕方なくあきらめていた。もうぜんぜん来ないんだもの。どうしょうもないしそれしかない。
 何年間か経ちその時の1人の女の子と偶然、街で出会ったの。もう黙っていようと思っていたけど、
たまりかねて聞いたらしい。

「1体どうしたの?何かあったの。気に触ったことでもあったの?」

 聞いてみたらさ。なんて答えたと思う?  

「別になんにもないし、どうもしないけど、何となく。」だってさ。こんな怖い返事ないよな。商売人として。

 只、単にその子らのマイブームが去っただけの話だろうけどさ。
マスターの企業努力もくそもないって事さ。 そんな気まぐればかり相手してるんだもの。
毎日。とても真似できないよ。俺には。この間もさ。魚がメインの居酒屋さんだけど、そこに
いつも来てる親父がいてね。いつ見ても漬けもんで飲んでんの。

 「俺はこれで良いんだ」なんて。別の所でも見たよ。トマトで飲んでんだよ。
.魚がだめだとか言って。
お前がよくてもこっちがよくないっての。そんなのが毎日何時間も座りにくるそうだよ。

かわいそうにどちらの店も辞めちまったよ。馬鹿馬鹿しくて。腕が良かったのに。報われないね。この街は。

そりゃ、たいした企業もなく、公務員1番の街で、それでなくとも店の数が多すぎるんだから
、こっちができればあっちがつぶれで、きりのない椅子取りゲームの繰り返しでさ。 
客もほとんどが同じ連中がただ移動しているだけの話で、どこ行ってもほぼ同じ顔ぶれだもの。
ウロウロする奴はだいたいが1緒だ。よそから来ないんだもの。人が。 
たまに来ても地元民でだけで固め同じレベル同士がグダグダとローカルな話してるだけだから、
他所モンが顔出してもおもしろくもなんともない。店の人間も楽なんだろうね。
お互いローカル同士のほうが。  もう2度と来ないつぅの!そんな店。

店側も問題だよなぁ。いい店もあるよ。なかには。今はもうほとんど辞めちまったけど報われなくて。
 昔はね、「うどんや、そばなんか出してる鮨屋なんかろくなモンじゃない。」先輩に言われてね。
どうも納得がいかない。その日の気分でキツネも握りも食べれたら一石二鳥だろ。と思ってたの。
でもよくよく考えてみたらさ、1人の人間が、そんなにあれもこれも器用にできっこない。
1つのものを極めようと思えば、労力も技も時間もかかる。それを、安易にどっちもとよくばった挙句、
何もかもが中途半端になるんだい!・・・・ところがな。今じゃ何がなんだかわからない。
やれ、ジャズの流れる店内で、焼き鳥をかじりながら、カシスソウダを飲み、何々風す豚の後には、
なんとかトロピカルシャーベット、パスタにはこの焼酎だの、大とろの後に旗の立ったヨーグルトが
廻ってきたりで、もう訳がわからない。この間も、もう堪らなくなって店主に聞いてみたの。 

「お前の店は1体ナニヤなんだい?」 そしたらさ 

「何者にもとらわれないのがうちの個性でありポリシーなんです。」てさ。 

今の店主は言い訳も、開き直りも、ドウにいったもんだね。あきれるの通り越して感心しちゃたよ。
 ところがこういった店がどこもここも同じでさ。
個性を売ってるって言いながらどこを探しても見つからないのよ。個性なんて。
 そんな店ってどこも同じだもの。 結局、客が来たら何でもいいって事みたい。

店にとっていいのお客のひとつが、無邪気な素人さんだろうね。
たとえばマジックなんかで素直に騙されて楽しんでくれる様な人達。
へんに詮索したり邪推する手合いってのはどっちみちその店には長続きしないね。 
お前はミシュランの調査員か? 聞きたくなる奴。 よくいるね。
訳じり顔で。素直に楽しんだら良いのにね。その店を。 
パトロンってのは耳障りが悪いんだけどもいい意味での支えになってくれるリッチな客層は
レベルの高いいい店を持続するには必要だろうね。 経済的にはもちろん精神的な支えになるから、
場違いな奴に媚びる必要がない。だから店の持っているいいレベルをキープできる。
今はなかなかいないけどね、本当にそんな甲斐性のある力を持っている客が。 
ほとんど小粒ばかりの陣地の取り合いだもの。

京都なんかいいよね。お互いが支えあってる。文化も経済も地元同士で支え合っているもの。
ここはだめだ。口ばっかりで出すべき人が出さないんだもの。
がんばっているいい人達を育てていってやろうという発想がまったくないんだろうな、きっと。

現実に戻ると巷には訳の判らん奴が多いね。フリーター、パラサイト、ニート、マルチ、
だの耳障りよくすり変えてるだけで、早い話がいい年をして無職で 
すねかじりの寄生虫。ただの怠け者か、口ばっかり達者などっちつかずの素人芸 それだけじゃねえか。
平和な街だからか知らないけどやたら目に付くね。そんな奴。そんな奴でも普通に食べていけるんだから、
いい街かもしれないなぁ。

昔は居ましたね。わしの目の黒いうちは好きにはささねぇ。と言う頑固オヤジが。

確かに言うだけあって、傍目から見ても迫力も説得力もあった。いつ頃から見かけなくなったナ、そんな親父。

もう一つついでだから言っとくけど、何だろうね、道であっても挨拶しない人達。
若い年寄りに限らず、いい年して、会釈しようとしたらソッポむかれちゃう。何か誤解でもと
 いくら考えても思い至らない。結局そいつのただの気まぐれなんだろうけど、
こっちから挨拶しないと絶対しないね。そんな奴。自分からしたら負けとでも思うのかね。
 どうも気持ち悪くて仕方がない。 朝、歯を磨くのと同じでなんだかひどくいやな気分になる。
人としての習慣なんだから。 昔からの親しい地元民や親しい知り合い同士でなら通じ合う無礼を
こっちにまで押し付けられたらかなわねぇやな。

一昔もふた昔も前の賑わっていたころが懐かしいね。あの頃は本当に良かった。
何が良かったって店も客もみんながお互いを支えあっていたのが実感できたもの。
今はどっちも変わってしまったな。自分さえよけりゃがあからさまだね。
 最近この辺でうろうろしている連中は何なんだろうね。 
何も質のいいレベルの高い店をと望んでいる風でもなく、ひいきにしている店を
支えてやろうなんて義理人情なんて気はさらさらなくて、只その時だけの、物珍しさや
知り合い同士のもたれあいと慰めあいで安心できる場所を探しているだけの様だ
行った先の同じような店で同じ顔ぶれを見て、こいつも同じレベルの狢でと安心したいだけみたい。
ときめきや緊張感とは程遠く何のドラマが起こるはずもなく、盛り上がる事もなくただ時間だけが
無意味に過ぎるばかり・・・。

かつての夜の世界ってもっとカッコ良く夢があって刺激的だった筈なのに。

  じゃ一体何者なの?今ウロウロしてる奴等は。 
  ま・多少なりともお金をおとすのだから客には違わないんだけど。・・・

言わば、優しさも義理人情もなにもないただのけちで無責任な小さな評論化集団なんだよ。

   とある場所で小耳にはさんだボストンシェーカー



勢い

勢い

 すべての物事にはバイオリズムがあって、調子のいい時と悪い時の繰り返し。

気分の良い時もあれば悪い時もある。そんな繰り返し。

 調子の良過ぎる時には悪乗りするな。反対に悪い時は、じっと我慢して好機を待て。

 色々な書物や先人達が教えてくれる。

もう長い付き合いになる神戸在住の友人が、来和した時、港町神戸のハイカラな空気を運んで来てくれる。
 最近ぐっと出不精になった私は、新鮮な都会の情報を、愉しく聞かせてもらっている。
 この間の話で、向こうの若者の間では 

 
「君って地味やな。おまけにノリが悪いな。」

そう言われる事は今神戸では、最大の侮蔑、屈辱らしい。それを言われた本人は相当落ち込むそうだ。
 そうでもなさそうな人でも、そういった類の事を言われるとかなりへこむらしい。

タイムリーな事に、NHKの番組で「10代しゃべり場」、テーマは、「個性がないとだめなの?」
 丁度それを観たところだった。 若い時は悩むほどの事でもないのに当人は相当気にする時期がある。
 昔からありすぎるテーマ、友人の話も含め少し考えてしまった。

ノリのいいのとそうでないのがいて、混ざり合って上手くいく場合があり、
 それを指摘するのはナンセンスなどと今更当たり前の事を言うつもりはさらさらない。
 その友人がそんな話をしている時、たまたま地元の女の子達も居合わせ、聞いてみると、
 この地、和歌山では余りそんな反応はなく、ここではそれを事を言われてもたいした感情の起伏にも
 ならないそうだ。 過剰反応しすぎるのもどうかと思うがしなさ過ぎるのもなにかおかしい気がした。
 結論からはっきり言ってここでは地味でノリが悪いのが当たり前だからわざわざ改めて
 述べるほどの事ではないようだ。
 
 極論を言えば退屈で面白みのない奴が我が物顔でいるのがわたしは気に入らない。

 

思えばここはおとなしすぎる人達がやたら多く常日頃から体温の低さをいやでも
 感じさせられる土地柄だ。それこそ 「地味でノリが悪い。」 大多数がそれだ。
 こちらから第三者、パブリックな人を喜ばし、楽しませてあげようという同じ関西人でも
 大阪人的なサービス精神などまるで無く、なんでもして貰うだけの受身の姿勢をいつまでも崩そうとしない。   
 無個性、無感動、無関心にも程があろう。退屈で面白くない奴と思われる事に逆に、
 もっと反応しろよと言いたい。そんな奴に限ってその場を盛り上げようと
 がんばっている人達に冷たいシニカルな視線を投げかけ廻りをしらけさせ、
 せっかくの大きなノリを阻止にかかる。そのあげく何を言いだすかと耳を傾けると

「ようやるわ。わたしは関係ないし。明日、仕事やし。もうはよ帰ろ。」            

格好だけは雑誌の情報、流通で都会とさほど変わらないにしても内容がまったく伴っていなく
 そのギャップに驚かされることしきりだ。 流行に乗りすぎる服装とは裏腹に面白みも
 個性の欠けらも感じられないしらけきった無表情な顔や会話に触れるたび
 こめかみが反応するのは私だけなのか。

反対に「派手でノリが良い。」のがもっともっと増えて欲しい気がする。

大多数に安心しきって独り目立つ事を恐れみんなの馴れ合いに終始し、まるで、
 肉食獣を恐れる草食動物達が目立たぬようみんなで肩を寄せ合い青草を
 むしゃむしゃ食べている様子を思わせる。そのくせ自分達内の小競り合いは、絶えず続いてい
 て陰気くさい事この上ない。弱虫どものいじめは歯切れも後味も悪すぎる 
 やはり、肉食獣のいないサバンナや、イルカやマンボウだらけでサメやシャチのいない海原も
 魅力もスリルも締まりもない。暴虐ぶじんなただ声がでかいだけのが我が物顔に振舞うのも
 見苦しいが地味でノリの悪いのばかりでジメジメ群れているのも気に入らない。
 
 それが私の個性なんですと開き直られても困るが、波風もドラマもなにもおこりそうにもない
 面白くもないただのっぺりとした大人しいだけの手合いより、キラキラと妖しい光線を
 振りまき多少の毒をも含んでいる華やかで派手でノリのいい勢いのあ
る方が愉しく面白いのに決まっている。                         

只のお馬鹿なだけの程度の低い悪乗りは大人が背中を蹴飛ばし制すればいいんで、
  若い人達の勢いのある大胆不敵な個性ある自己主張や内から湧き上がる盛り上がりは
  大いに見守っていきたい。

勢いの方向性を見失った ボストンシェーカー


  
ピカレスク夜桜


  仕事柄、花見というのものにトンと縁がない。
 今までに何度も誘われてきたが大勢での馬鹿騒ぎにはどうも気が進まない。
 桜をただ見るだけなら、普段、普通に歩いていてもお目にかかれる。
 
  お花見とは海水浴に通じる特別なものだ。
 ただ泳ぐだけならプールで済ませられるし、水で火照った身体を冷やすには
 家で行水をすれば間に合う事だ。 わざわざ暑いさ中、足を運び
 ごった返す人ごみの中に出かけて行って、むっとする潮風を求めに
 こぞって出かけるのは色々と理由がある。

  第一海水浴場で、林間学校でもあるまいし目一杯泳ぐ奴なんか今時いないし
 脱衣になんだと手間取る。塩水をちゃんと洗い流さないと気持ち悪くて
 仕方がない。 カンカン照りの炎天下など眼と身体に悪い。
 
  それでもそこに行かなければない魅力があるのはこの私にも分かる。
 やぐらで食べるかき氷やカレーライス はためくパラソルに貸しタイヤ
 サングラス越しに眺める水着姿 そこはかと聞こえてくるトロピカルな音楽

  確かにそこに出かけないと味わえない楽しみはたくさんにある。

  そこで花見だ。
 
  何となく癪だから店が終ってから真夜中に1人で出かけてみた。
 日付けが変り、すでに何時間も経過している時間。

  店から歩いて15分ほどの所にお城があり、昔からこの辺では
 有名な桜の名所になっている。小さな太鼓橋で周りを取り囲むお堀を渡り
 ひと気のない城内に入り込んだ。

  夜桜のシーズン真っ盛りでの事、敷地全体をやけに明るく提灯で
 ライトアップされ異様なほど桜色に染まっている。

  もう、すでに誰も人っ子一人いない城内を奥の天守閣に向かい花びらが
 散らばっている石畳を黙々と先へ先へと進んで行く。

 メイン時間での花見客の狂乱がつぶさに想像できる散乱するごみの山。
 まだ立ち込めている焼肉やバーベキューの混じりごった返した匂い。

  さぞかしのドンちゃん騒ぎの名残りを味わいながらもう誰もいなく
 シンッと静まった順路を奥へ奥へと進んでいった。

  それにしても鮮やかな夜桜だ。ライトアップされ信じられないほど
 妖艶を通り越して、見渡すかぎりの色彩の洪水に圧倒される・・

 しばらく歩き、見晴らしの良い所にあったベンチに何となく腰を下ろしてみた。

  どこの城内にもある ・・広場か・・庭園らしい。
  さぞかし賑やかだったろう。その辺りがメインらしい。

  いい具合に遊歩道沿いにまさに大小咲き乱れている風情につい見とれて
 ぼんやりとしばらくそこで佇んでいた。
 
  近くて遠い風景を眺めていると微かに何かが聞こえてきた気がする。

  何の音とは言えない低く全体に響いてくるような・・・
  しかも段々とそれがはっきりとしてくる、浮き上がってくるような

  虚ろな気分でしばらく身を任せていると遠くの方でこじんまりと
  なごやかに宴会をしているグループが見える。
  
   こんな真夜中の時間にまでやってるのがいるのか?

  不思議な気持ちで眺めているとなにやら様子がおかしい。
 
  今時のコンロやカラオケなど一切なくてシンプルな宴。しかしみんな
 楽しそうに和んでいる。しかもみんな、なぜか着物を着ていて地味だが
 同じように統一された風俗だ。 今時珍しい手拍子を打っている。
  何だか様子がおかしいが不思議に違和感は感じない。

  すると先程まで微かに聞こえていたざわめきが知らぬ間に段々と
 大きな音量となって聞こえ出した。遠くにだけ見えていた宴が気がつくと
 いつの間にかその辺り全体が花見の宴の真っ盛りになっていた。

  桜の木の下の至る所に大きな団体やら、こじんまりした花見客達で
 溢れかえっている。しかもそれぞれの風俗、服装が明らかに現代ではなくて
 はるか昔のが理解できる。

  中世の頃の日本の夜桜。
 
 正月になるとテレビなどで聞こえてくる古来からの笛や太鼓の音色。  
 それに人々の歓声や罵声  
 

 「いよ〜おおぉお」  「たかさぁごおやぁああ」 「いよっ!・・や」
 
 「さくらじゃ・さくらじゃ・・」 「そお〜れ それそれ」

  あちらの方では能の舞台までも演じられ大勢の人々が酒も入り夜桜に
 酔いしれている。桜に負けない華やかさだ。 
  はんにゃやおかめなどのお面をかぶった子供達が辺りを走り回り、それを
 たしなめる親達。 勢いづいて、はるか高い石垣によじ登り、降りられ
 なくなった酔っ払った若者とはやしたてるその仲間達。
  あでやかな着物が酒の酔いとともに着乱れて踊り狂っている若い娘達。

 「さくらじゃ・さくらじゃあ ・・年一回の桜じゃあ 無礼講じゃ何もかも」
  大声で手拍子をとって叫ぶ年寄り達。

   誰も彼もが異様なほどの乱自棄騒ぎの真っ最中!
 
  みんな、ここにたった1人いる現代の自分の存在には気が付かない様子だ。
  現世の人間達が寝静まったのを見計らっての、祖先達の幽玄な夜桜の宴・・

  妖しく立ち込める終わりのない宴の空気を後に桜が咲き乱れる城内を
  そっと現代であろうわたしはひとり、あとにした。