私の、バイクライフを、テーマにしたエッセー集
   色んな エピソードの数々。
  ぜひ、楽しんでみて下さい。                   

                           
   BOSTON ROAD 
            ロザリン日誌に戻る
  第1話 私のバイクライフの始まり
  第2話 初ツーリング
  第3話 誕生日とバイク 1〜3
  第4話 ハーレー乗り
  第5話 バイクとシネマ 

  第6話 ハーレーとの出会い 
  第7話 
  第8話 アウトローとオホーツク
 

 第一話
  
 わたしのバイクライフの始まり 

   
    わたしの愛車は、87年式のHerleyDavidson FLSTC

  新車で正式にラインナップされる前年のお試し限定モデルをモノのはずみで購入した。 
  この前、それももう半年程前になるが、9回目の車検に 《だから、もう18年の付き合いになるのか》 いつもの湯浅のバイク屋さんまで乗って行き、店に預けて電車で帰ってきた。 久々の、ライトカスタムをお願いしてきたので、少々の時間がかかっている様子らしいが、気にはしていない。

職人気質と長年付き合っていくには、独特な向き合い方が必要だ。・・・

思えば私もバイクとは長い付き合いになったものだ。 4輪も以前は、2シーターのスポーツカーを長年、乗り回し、足代わりや遠出。 
 近畿はもちろん、九州や東北。 思い立って北海道内を、1ヶ月ほど乗り廻してからは、1気に熱が引き、それからは自分にとり必要とは思わなくなりしばらくして、 手放してしまった。

再度マイカーとしては乗用車には乗ろうと思わない。ドライブを愉しみたい時は、レンタカー派にいつの間にかなっていた。

 
  しかしバイクは違う。何があっても手放す気にはなれない。
  たとえ毎月の空ガレージ代が何年も続こうが、この先、世の中の不景気に
  生きづまろうが、最後の最後までわたしは手放さないだろう。 


 いつの頃からか、気がつけば我が家には、HONDA CB125のバイクがあった。 
トラック乗りの親父が何処からか、手に入れてきて足代わりに使っていた。
中古だがスマートなブルーのタンクにフラッグシールが貼ってあり、
なかなかにそそられるものが子供心にあった。
 中学生の頃からお勉強の合間の気分転換にちょくちょく拝借させてもらっていた。


 時代はオイルショックを乗りきった日本が再びの高度成長に突入しだした頃である。

1970年代中頃。 一世を風靡したフォークソングブームも落ち着きだし、
音楽の世界も細分化が始まっていた。レコードでは矢沢のキャロル。
テレビでは宇崎のダウンタウンブギウギバンドが賑やかせていた。
我々世代は 《傷だらけの天使》 に誰もがはまっていた。

やがて高校生。
クラスメート達が試験を受けに行きみんな2輪免許を得るようになる。

そうか、 免許が要ったんだ。 
ならば自分もと、連中に聞けば殆んどがみんな自動車学校へ行き免許を得て来ている。 それなら自分もと親父に相談すると、

『学校へ行ってまで取るくらいなら、そんなもの取るな。わしが練習させてやる。』

衝突の多い親子だったがなぜか、その時、素直に納得し、親公認で乗り回した。
昼間の誰もいない中央市場の駐車場に、学校をサボり時間を忘れて練習に行ったものだ。


何回目かの飛び入りで晴れて免許を取り、友人達のバイクを拝借していた。
その頃は、 世間はバイクブームだったらしく各社が競ってニューモデルを
発表していた。 
 ヘルメットもまだ自由だったので、簡単に死亡事故が相次いでいたが、

同級生の持て余したダックスを安く譲り受け自分の好きなように改造し、
いいおもちゃにしていた。

ダウンタウンブギウギバンドをまね、整備工のつなぎを、みんなで買いに行き、
胸ポケットに漢字で互いの名前をマジックで書いたものだ。

 
悪友3人で無銭旅行、奈良にツーリングに行った事がある。
親には内緒にしていて、休みの日にこっそりと集合したが間が悪く
親父に見つかってしまった。・・

当初私は、悪友のスズキハスラーの後ろシートに乗っていく予定だった。
それぞれのバイクとメンバーを見ていた親父がおもむろに、

  
 「お前は、自分のダックスで行かんのか?」
 
 「いやぁ こいつの後ろで行くつもりだけど」  
 
 「自分のバイクがあるのになんでや。お前、男だったら、
 自分のバイクでいかんかい。」 

  
 「でも小さいし、奈良までは大分距離がありそうだし・・」 

 「アホ! たとえ小さかっても自分のバイクで行かんかい!
  人の後ろならもう行くな。」 

 「そう言うんだったらそうするわ。」 

 「いくら遅くなってもいいから気いつけて行けよ。向こうでジュースでも買え。」  

 そう言ってみんなに小遣いを持たせてくれた。

  
  なぜか2度目の納得があった。・・・
  
   しかし
70tでの奈良市、往復は、長く遠かった覚えがある。・・・  

 
遠出やチョイ乗り、意味も無く仲間達と市内を走りまわったりと、
色々愉しかった 。
 テレビで《スモーキングブギ》が流行っていたのもその頃だ。


あの頃は 男の子の誰もが野球を始める様に誰もがバイクに乗っていた気がする。

お馬鹿なエピソードは尽きないが1番印象に残っているのは、友人達と
放課後、海南市に足を伸ばしのはいいが一人、はぐれてしまった。
初めての街にノリで行ったものの何がなにやら訳がわからない。
どこをどう走ったのか。

そのうち、完全に 迷子になってしまい、おまけに段々と陽が落ちてきている。道を聞いても聞いた地名がわからない。泣きそうな思いで見知らぬ道をグルグルと走り続けた。

 気がつくと、2車線のだだっ広いやけに整備された舗装道路に出た。
 訳が分からないままその道をひた走った。
  この道をまっすぐ走り続ければなんとか帰れそうな気がして・・・
 アクセル全開で何かに憑かれたようにただただ無我夢中で飛ばし続けた。
 いつの間にか完全にヘッドライトを点ける時間になっている。

 しばらく走るとなぜか、自分の周りに1台も車が居ないのがどうにも
不思議だったが・・・果たしてこの道の行く先は?


よく見ると分離帯の向こうの反対車線の車の運転手がこっちに向かって
クラクションを鳴らし何か叫んでいる。無視して走っていると,
何やらみんながこっちに向 かって手を振ったりパッシングして合図している。
    
 胸騒ぎを覚えながらも無視し走り続けた・・・


待望の終点近くまで来てやっと気がついた。高速道路の反対車線を海南東出口か ら入り和歌山市まで知らずに走り続けて来たのだ。
料金所のゲートがずらっと並んでいる。よく車がこなかったものだ。 

   
 何でもいいからここまで来たらこっちのものだ。
ヘッドライトとエンジンを消し 、そっと料金所の親父に見つからぬようそっとゲートを潜る。
そろそろとバイクをつき何気なくその場から離れようと歩いていると背中で大声で何かを言われたのを きっかけにキックでスタートをかけダッシュでその場を逃げ切った。

今の愛車を買った時も印象深い。その時点で大型免許など持っていなく、
 バイク屋の親父に、免許合格した時に連絡するからその時に、
 届けるよう依頼した筈なのに、すぐに持って来やがった。 

 うれしかったが困りモンだ。
 狭いガレージの中でワックスがけとアイドリングだけで泣く泣く免許合格まで 何ヶ月も辛抱したものだ。
 ガス欠しガソリンを出前してもらった時は屈辱だった。


 晴れてやっと免許を所得すると糸が切れたようにまさに着の身着のまま、
地図も持たぬまま、あてもなく飛び出した。 
 
まだ操作の仕方もままならぬまま気がつくと大山の山中に居た。  

 その日は国民休暇村にとりあえず泊まるが次の日は、朝から土砂降りだった。雨具類などあるはずもなく、ずぶぬれのまま日本海沿いをひた走る。 

体が段々に熱っぽくなり 

 『これはやばいぞ』 と鳥取辺りのビジネスホテルをチェックインした。
  
結局、そこで2日間寝込んでしまった。薬を貰って熱も引き少しましになると、天気も 回復し宿を後にした。

 
 何日かぶりにバイクに戻るとこれ又、やばいと気がついた。
かれこれ3日間以上 も雨ざらしのまま外に放置されていたのだ。・・・

 祈る想いでスターターを回すと待っていたように1発でエンジンに火が点き、
 マフラーから調子のよい爆音が轟いた。

 その時に、こいつとは永い付き合いになるな、と予感したのを憶えている。

     近い将来,けじめのロングツーリングを夢見るボストンシェーカ-

   



   第2話

 初ツーリング  

  バイクでの楽しみ方も人それぞれあるだろう。まさに10人と色。

  皮つなぎに身を固め高速コーナーを攻めるもよし、
  山や河原をオフロードバイクで分け入るもよし。

  どちらもかじった事があるがやはりわたしはのんびりとツーりング派だろう。

  
  学生の頃のバカなガキのオモチャ時代は別にしてわたしがまともにバイクに
  向き合ったのは20歳(ハタチ)の頃からだったろうか。
  
   
  中古で買ったバカでかい水冷のホンダGL。
  最初の2年間はおとなしくノーマルの状態で乗り回していた。

  しかし初めての車検を過ぎると何もかも糸が切れたようになった。
  メカなどさっぱり解らないのにしたい放題に自分でカスタムし墓穴を掘っていた。

  好き勝手にスプレーでペイントしたが、思い通りにいかず、何回も塗りなおし、
  あげく難儀して元に戻したりフロントフォークをはずしたはいいが組むのに1人で
  夜中までオイルまみれになったりと馬鹿な思い出ばかりがある。 

 いつしかまともなツーリングに憧れていた。
 
   
  バイクツーリングというのも人それぞれの説があろうが、
  楽しかったらいいジャンという声 もあり確かにそれもそうだが
  こいつとは一線を引きたいと感じる事がある。

 以前、店に来てくれていた女の子で毎年、北海道へツーリングに行くそうだ。
   なんとなく 

   「どんなところが気に入ってるの?」
  と尋ねると  
  
   「やっぱり、いい温泉とおいしい食事かな。」  

   「でもいい風景とかそこでないとない何かがあってとか・・。」

   「もちろんそれもそうだけど、そんな物よりでも第一目的はやっぱり
   おいしいものをお腹いっぱい食べる事かな。」
 
  一気にその娘に対する関心がなくなってしまった。
  多分わたしの偏見になるのだがそれらは、あくまでツーリング目的の
  2次的な物であって、それらをツーリングのメイン目的にして欲しくない。
  もちろん旅の楽しみとしてそれらは当然だが、
    

  温泉だ、食事だとやたら眼の色を変えられると なぜかどこかの沸点に触れてしまう。   
  かと言って一時多かった
  

  「私は風を感じるのだの 一体になれただの 自分が鳥になれただの」   

  それらのみえみえな何かの本に載ってあったうそくさい能書きをそっくりそのまま
  語りだして、本人だけが悦に浸りだし、聞いているこっちがすっかりしらけてしまい、
        

   「もうええわ。」と何度、制した事か。
 
  先ほどの めしだの風呂だのと感覚的に私はそんな年寄り臭い旅なんかごめん
  こうむるし少なくとも一緒には走りたくはない。
    

  いつしか年を とり自分の体が思うように言うことを利かなくなり、自分1人では
  身動きがとれず 、他人様のお世話にすがるしかならざるを得なくなった時、
  どうせ手を煩わすのならと、開き直って 
  しかし 別な変な欲望だけは昔以上に健在のままで、持て余したご老体に
  なった頃に、照れ隠しも含め目的は やれ温泉だ そら食うもんだと
    
    ニクたらしくノタマイタイ。

      そんなこんなで私のバイクの最大の楽しみはツーリングだろう。

 20数年前のことだ。そんな、ある時ふと決心がつき 新宮往復、紀伊半島一周の
 一泊ツーリングを思い立つ。 何が どうとかの目的なんか何もない。
 ただただ、走るのが目的でバイク漬けの状態に自分の身をおきたい。

 ただ それだけの事が当時の私を駆り立てた。
   
       思えば生まれて初めて自分1人だけで決めた自分の事だった。                    

事前に電話で宿を予約するにもワクワクしたものだ。
  いっぱしの大人の男に近づけた気がしたものだ。

 前夜から荷物は出したり入れたり、穴が空くほど地図を見たり、
 あげくの果てにてるてる坊主まで作ったが、ベランダで親父に見つかり
 そそくさと隠した。

 とにかく高まる胸騒ぎでほとんど眠れなかった。・・・
   
 当日はあいにくの早くからどしゃ降りの雨。やはりてるてる坊主は必要だったかも。
 家の玄関でカッパを着て濡れながら、多過ぎる荷物をタンデムシートにくくり付け
 早くに出発した。 
 腕時計をチラッと見て、無言の旅立ちだった。

 ふりしきる雨の中、とりあえず橋本から五条に着きR168に折れ十津川方面へ。 
 どんどん山合いに入っていき、険しい山々が次々に迫ってきて心細い事この上ない。
 はげしい雨もいっこうにやむ気配もなくむしろ余計雨足ははげしくなるばかり。

 もくもくと狭い
  視界の中で走り続けた。・・・
   
 いくつかのトンネルを抜け最後の一際長いトンネルの手前に差し掛かると 
 少し手前のドライブインの駐車場で雨宿りしている数人のバイクグループがいた。 

    “がんばれよ” とみんながこっちにいつまでも手を
      振ってくれていたのが忘れられない。 


  想像以上に長かったトンネルをやっとの思いで抜け、下りの道を用心しながら
  しばらく走ると 道路の横に看板めいた物が現れた。   

 よく見るとベニア板の看板に        
  
        “この先 大雨の為、道路決壊につき通行止め”
          
             とマジックでへたくそな字で書きなぐってあった。                                                                             

 
 バイクから降り、雨に濡れながら呆然と看板を見続けていた。
 しかし、書いている内容が変わるはずもなく、頭の中でこれからの身の振り方を
 しばらく巡らせていた。
   

  「そうですか。では、それでは失礼しました〜。 」
  
 と、このままおめおめと引き返すのも癪だ。
 しばらく考えた末、やはりこのまま先に進む事にする。・・・


 そのまましばらく走ると 立ち往生した車がずらっと並んでいる。
 道の端からどんどんと脇から 前へ前へと進んでいった。


  車の先頭近くまでたどり着くと,カッパを着た工事のおじさんが立っていた。


      「この先は、バイクでも進めないんかな?」

 と尋ねるが、2時間ほど待たないと開通する見通しが立たないとの事だ。  
 しかしそんなのんびりしていては新宮にたどり着くのは何時になるかわからない。・・・
   
   これからどうしたもんか?  

バイクを横に考えているとそのおじさんが
  
「 バイクなら大丈夫かも知れんな。近所の人か、関係者用の迂回路があるんや。

その代わり  ええ道とちゃうでぇ。」    「ホンマ!それで行くわ、どこどこ?」 
  
「ここもう少し行ったらな、右へそれる脇道があるんや。
地道で狭いけどその道、一本道や。    
まっすぐ行ったら先で繋がるからな。気ぃつけていけよ。こけて川へ落ちるなよ。」


 おじさんにさんざん脅されながら行くと確かにその道はあった。
 聞かされなければ絶対に見落とす様な脇道。 
 その道で国道から下に降りて行くと、おじさんが言ったとおりの地道で、
 自転車で丁度良い程度の幅で民家の軒先を横切りしばらく行くと、いきなり濁流で、
 すごい勢いの川にぶちあたった。


 それに沿って小さなオフロードが続いている。  それに従って行けと。
  
 アップダウン、急カーブの連続。
 とんでもない道が延々と続く。   トライアル車で丁度良い位だ。
 すぐ横ですごい水流が流れている。 
 しかしすごすごと引き返すよりはずっといい。
 
 山々から降りてきたので視界がひらけたのがありがたかった。
 くくり付けた後ろの荷物を気にしながら、雨のオフロードを、黙々と走ったものだ。
 
  

 慣れると不思議と気分がいいもんだ。
 巨大なアメリカンバイクでの川原もなかなかにおつなものだった。  
 腰を浮かしロデオ気分でのんびりと進む。
 

  夕方になり、ようやく新宮に辿り着き雨も小降りになり、神社の木陰で
 重苦しいカッパを 後ろの荷物の上にくくりつけた。 

 ようやく目的地にたどり着けた満足感に浸り、缶コーヒーと煙草で一服を図る。
 生気が戻った頃、ボヘミアンな気分で市内観光に改めて出発した。
 
   
 初めての土地ではなかったが改めて1人でカメラを片手にまわるとおもしろい不思議な
 いいスポットがたくさん点在しているのを発見した。
 

   “浮島の森” や “佐藤春夫”の洋館。 
  いくつかの特徴のある神社・こじんまりとした
  商店街、そのどれもが新鮮で旅情気分満載だった。
  
 暗くなってから予約していた宿にようやく辿り着き入浴剤をたっぷり入れた
 バスタブで ガチガチになった身体を思いっきりほぐし、
 とりあえず到着の安堵とまる1日全身雨に打たれっ放しの打たせ湯の、
 如くのマッサージ効果でとで、ビール1本で深い眠りにおちいった。  
 
      食べたものなど覚えてもいない。
  
   翌朝、昨日の天気がウソの様な日本晴れになった。
 夢の様に写る太平洋沿いの風景を 目に焼きつけた。 
 こんなにもすばらしい風景だったのか。  
 それまでも仕事でトラックで何度も見た景色だったはずなのに、
 まったく別物に見えたものだ。
 
   まっ青な空に青い海、 広々とした海水浴場に和む大勢の観光客。
       のどかなやぐらがどこか懐かしい。 

 
  コーナーごとに複雑に表情を変える海岸線。 海辺の町独特な潮のかおり。
    バイクも、昨日とうって変わってのこの好天を喜んでいるように絶快調だ。


  心の中で陽気なフォークソングを歌っている自分と力強いエンジンの鼓動との
  一体感を全身に感じつつ、南紀の旅を満喫した。
 
   真っ青な海にひょっこりと建つ潮岬の白い灯台を訪れた時、なんともいえない
    さわやかな感動に包まれた自分が居た。 


      ”俺は1人で何でもでき何処にでも行けるんだ。 これが自由というものなんだ。”
 
   それまで生きてきて味わった事のない感動だった。

  誰もが自分に向かって手を振ってくれている気分のまま、白浜にたどり着く。・・・
  
 大阪からの強面750ccライダーと神戸からの知的な雰囲気のライダーと知り合う。
 それぞれの簡単な自己紹介の後、3人で白浜見物。 

  2人ともシャイだが実にいい感じの人達で即席の3人のチームワークができた。 

 3段壁や円月島 しかしいつまでもゆっくり出来るわけもなく、日が傾きかけた
 白良浜を後にした。
 
  
 車、車で停滞し暑苦しいR42。車と車の間をすりぬけ 途中から海岸線の
 せまい迂回路をひた走り、やっとの思いで夕方、海南まで辿り着いた。             

 とりあえず高速道路の手前のカフェに乗りつけた。 
 3人でコーヒーを飲みやっと一息つき、ふと我に返ると つい何時間か前に 
それぞれが知り合った同士なのにまるで旧知の友と共にした様な 
なごみの時間だった事に改めて気づく。

   もうすぐ、それぞれ、神戸、大阪へと帰ってしまうのか。
   
 高速入口での別れが名残り惜しくて涙がでそうになったものだ。
   クラクションと共に、 各々を待っている地元へと姿を消していった。・・・
  2人を見送った自分も充実し高揚した気分のまま我が家へと戻っていった。
 
 4半世紀以上過ぎた今も鮮明に思い出す。何とすばらしい2日間だったんだろう。
 ただの言葉や物では語り尽くされぬ程 バイクツーリングには無限の価値がある。 
 これから秋も深まってゆき本格的なシーズン到来だ。
 
  あの頃の私達の様な若者が色々な所で、動き始めるのだろうか。
  
 それぞれの道中の無事と深く心にしみいる旅愁とを思い、今はもう長い付き合いと
 なった我がバイクに そろそろワックスでもとふと思う今日この頃のボストンシェーカー。



    誕生日とバイク その1


 もうすぐ、私の誕生日を迎える。それも関係あるのかどうかは知らないが
 1年のうちで最も好きな季節だ。 
 少し肌寒く、軽くジャケットでも羽織ろうかと、
 それでいて真冬のように、着膨れして、まるでダルマのように
 モコモコになってしまう事もない。
 街中でもバイクでも色々と様になる季節だろう。

我々、バイク乗りにとって最もいい季節だ。 普通に心地のいい季節など
 年間通じても僅かしかない。

 革ジャンと下に軽いシャツでちょうどいい時期などホンの僅かだ。 

 あまり寒くなると、別段用事のないチョいのりも
   「まあいいっか。」と、暖かい所で治まってしまいがちだ。
  
 何か特別な目的でもない限り真冬のツーリングも遠慮がちになる。
 今の季節は、まだツーリング時の体の消耗も少なくて気持ちがいい。
 真夏のバイクなんて熱帯の地で、湯たんぽを、またぐらに挟んでウロウロ
 する様なモンだ。 

 帰ってからジーパンを脱ぐとき失点抜刀し、まるっきり裏返しになって
 まるで様にならない。ヘルメットの中で頭は蒸しシュウマイ状態になるし、
 大阪から帰って来ると、顔面に汗をかいた上に排気ガスや埃カスが
 コーティングし、ほとんど、ホームレスと変わらなくなってしまう。
 
  
真冬の遠出も今までに何度か経験したが、あれはほとんど苦行に近い。
いくら着込んでも、冷えが治まらず体が、冷凍コロッケになった気分になる。

  いきがって

 「真冬に乗るのが本当のバイク乗りなんだ。」

 なんてのたまう手合いもいるが、私にはそんなマゾッ気はない

  。 

 この年まで生きてきて自分の誕生日にどう過ごしたかと、思い出そうと
 してもなぜかほとんど記憶にない。その時々に何かセレモニーめいた事を
 してきたはずなのにが不思議な事に 殆記憶から抜け落ちている。
 
 そんな中で1度だけ忘れられない誕生日の思い出がある。
   それもバイク絡みの。

 あれも二十歳前後の頃。その日の誕生日が祭日にあたり、
 1人で朝っぱらから悶々と焦っていた。
 何も焦らなくてもいいのだが誕生日だというのにまったくなんの予定もない。 
  祝ってくれる友人、家族もいなく、まして恋人の一人もいない、
  ひどく孤独でみじめな状況だった。 
   
 昼前からごそごそと起き出し、ごろごろとテレビの番だけで時間だけが
 ただむなしく過ぎてゆき、何の出来事も起こらず、又起きそうにもなかった。

  まるでかつてのバレンタインデイの様な、忌まわしい思い出。
    何かを朝から期待するのだが、
  
   昔、見た青春ドラマのワンシーン。 
 
 学生服を着た男の子がいつもの通学路を通っての帰り道。 
 おとなしげな女の子が何かリボンをかけたプレゼントを胸の辺りに持ち
 男の子が通るのをずっと道端で待っている。 
 やっと来た男の子が通り過ぎようとすると 
  
   「これ、よかったら!」
 と、そのプレゼントを男の子に押し付けて、一目散に、走り去ってしまう。
   
 手渡された男の子は、どうなったのか?と理解する間もなく、走り去って
 しまう女の子の後姿を呆然と見送る。 しばらくして
    
   「そうか、今日はバレンタインデイだったんだ。」 
  
  そのときになって、初めて理解しかわいいリボンを解き、中のチョコレート
  を開ける。

    なぜかその男の子はずっと冷静なままだった。
 
  そんなシーンがいつになればこの自分に訪れるのか?
   
 とうとう卒業までずっとゆめに描いていたものの自分にはついぞそんな日が
 来る事がなかった。 しかし、教訓にはなった。
 
   「自分から何も起こさなかったら何も起こらない」  
  
  「有を起こしたければ自分がまず起こせ。」「何事も仕込みをしろ。」
  
  「わかっちゃいるんだがなぁ。」

 とまぬけ顔でブラウン管に映るどうでもいい番組と、反射して映っている、
 ふがいない自分の姿とを見比べていた
  
 一日の終わりまでなんのハプニング無く終わってしまった、ドン臭い1日
 それの二の舞になるのは、このままではさけれないだろうな。  
  何かの特別を期待していた自分がひどくおめでたく思えたものだ。
  
 その日も、今までとなんら変わらなく、ただ時間だけが淡々とむなしく
 経過していき、おバカでみじめな誕生日のすでに中盤を迎えていた。 
 
            
         
「もう辛抱できない。このままで終わらすかい!」


 1人でバイクを引っ張り出しエンジンをかけ何のあてもなく出発した。

    すでに、午後3時はまわっていた・・・

 
 「高野山にでも行ってみるか。少し飛ばせば、早い時間には帰ってこれる
 だろう。」 走りながら思いつき、甘い考えでそっち方面に向かった。


 岩出から、粉河、そして高野山頂へと向かう。なんて事無く、何度も、
 走りなれた高野山道路。
   
 夕方のまだ明るい時間には、高野龍神スカイラインの入り口に立っていた。
 
 下界に比べ冷え込んできたがこのままとんぼ返りで帰るのもなにか芸がない。 
     ベンチに座りしばし考えた。・・


  「まだ時間も早い事だしだいいち早く帰っても用事もない。
   この道を走ってみようか。」


 当時、そこから先まではまだ1度も走った事がなくて、土地勘もまったく
 ないが、もし遅くなるようだったらとっととUターンして引き返せばすむ事
 だと、軽い気持ちで、料金所を、くぐりアクセルを吹かしていた。


   風光明媚な山岳の景色と整備された道で機嫌よくしばらく走っていた。
  護摩山タワーとやらを過ぎた頃までは何の問題もなく快調だった。


   それにしても、どこまで走ってもキリがない。段々と霧がかかってくると
  一気に暗くなった。おまけに想像以上に冷え込んでくる。
  雪までがチラホラと、ちらついてきた。・・・


    
 その頃は、竜神村、だの清水町だのと、言われてもそれは何処の事?
   まだ、まったく未知の場所で位置関係が全然わからない。
   もちろん、地図など持ってくる発想すらその頃はまだなかった。
   すっかり陽も暮れ、慌ててヘッドライトを点灯さすが、

       
      
・・・・   一体この道は何処まで続いてるのか?   続く
      



   その2

せっかくだから行きつく所まで行ってみるとするか。何とかなるだろう。
 真っ暗な闇に心細いヘッドライトの灯りのみ。山又山にまっすぐな道が
 どこまでも続き、まるでデビットリンチの

 『ロストハイウェイ』
   のラストシーンの様だ。
  
天気のいい昼間に来ればさぞかし良い所なんだろうが。 時折、山間部で
意味不明な怪しい灯りが点滅しているのはなんだろうか?

それにしても、俺は一体何を求めているのか。わざわざこんな所に
好き好んであてなどないのに、何の具体的な意味もなく。

    家にいれば、暖かい部屋で楽に過ごせたろうに。  

振り返れば子供の時分からそうだった。
素直にまわりの意見に従っていれば、何もかも平和に丸く治まる事を
わざわざ自分から話をややこしくしてしまい結局、みんなのひんしゅくを
買い自分1人が鼻つまみをかってきた。
  
デパートの食堂でわざわざ嫌いなものを注文して一口も食べられずに母親
の機嫌を損ない、丸1日おあずけを食らった。
   
 高校の頃も、逆らわなければ何も問題が起こらないのに、反目になるよう
 自分から名乗り出て学校の帰り道に、不良たちに待ち伏せされるのも
 しょっちゅうだった。
  
鼻についたうそ臭い教師をうまく出し抜きわざと神経を逆なでし、
偽善を暴くと、拍子抜けするほどあっけなく開き直って素顔をさらし、
単なる粗野なチンピラまがいなただの男に豹変した。 
こっちがすっかり白けてしまった後で、職員室に呼び出され仕切りなおしの
いつものお約束な建前論の説教が始まった。・・・
  
黙って聴くだけ聞いてやった後、今度は理詰めで相手の非を攻め立ててやると、
   
 「 私らも人間だから・・コームインなんだから・・」
 
今度はみじめなお決まりの泣き落としにかかる・・・
  
すっかりしらけ時間の浪費を痛切に感じだしバカバカしくいい加減
付き合いきれなくなりなり、
  
「わかりました。もう、よくわかったよ。今回はひきひきでもう良いだろう、
 シェンシェイ。それらしくするから安心しろよ。
でもこれからは、俺から尊敬を受けようなんて、
 間違ってもそんな馬鹿げた   気はおこすなよ。」
  
ハッキリと言ってやったはいいが、それからは自分の学校での立場が
ますます悪くなるばかりだった。味方のいない学校生活もおつなものだった。
  
振り返れば、そのたびに誰にも喜ばれず、誰より自分が1番、傷つき
馬鹿な思いをこりもせずに重ねてきた。
  
何が自分をそうさせるのか?みんながそうなのか?
これからもそうなるのか?
  
 暗闇の中で、これまでの自分のとってきた行動の自問自答を何度、
 繰り返しても模範解答など出ることもなく、ただ文字通りの
 夜のスカイラインを爆走し続けた。
 
ふと考えてみれば、この道路に入ってから行きも帰りもまだ1台の車にも
出会っていない。おかしいではないか?

結局、どこまで走ったのか、まったく見当も付かなくなり道端にバイクを止め
たばこをふかしてしばらく様子をみることにする。

  しんしんと冷え込み、来た道も行く先もまるっきり暗黒の世界。
  足元をひょいとすくわれそうな錯覚をしそうだ。回りは何処を見渡しても、
  どこまでも繋がる山又山の墨絵の漆黒の世界。
 
  行き先をじっと見つめていると、本当に地獄に通じているような気きがする。
 
 

    Uターンをして引き返す事にした。


 癪だがどう考えてもそのほうがいいだろう。しばらく来た道を淡々と
 引き返ししばらく走っていた。元の高野山の町に戻り、山を下っていくのが
 どうも億劫に感じられるが仕方がないか。
  
 何かないかな・・・?、
  
 再び、いつもの馬鹿な誘惑にかられ、下にそれる脇道を発見した。
 近道を期待してそこに分け入った。 右も左もまったくわからないが、
 なんとかなる、元に戻るよりは良いだろう。ここを降りてゆけばどこか
 の町にたどり着き、交差点で何処までかの標識でもあるだろうし、
 いざとなれば民家にでも駆け込めばすむことだ。
 


 今から思えば花園村か清水町の山の中の林道に続く道だったんだろうが
 その頃は聞いた事も見た事もない初めての土地だった。 
 
 下っていくのは良いが段々と道幅が狭くなり、最後にはバイク1台がやっと
 の地道になり、片側岩肌、反対側は、絶壁のとんでもない道になった。

   猪か,鹿辺りが主人公になる山奥の林道が続く。

 愕いた事に、再び別の山の登りになり、それが又延々と登りが続く。
 どんどんと山上へとこっちの否応なく登らされる。 
 その道一本しかないのだ。

 頭の中で明るい標識のある交差点に辿り着く事を思い浮かべるが
 現実は延々と闇の世界だ。

  「一難去って、又一難かい!」

 まっこの山を越えると町明かりに出会えるだろう。
そんな切なる望みも何度となく打ち砕かれ民家の一軒もない
ただただ山又山の繰り返し。


  『これが本当の五里霧中か』


心の中のシャレも凍ってしまうほど一層冷えこんできた。
そう思う間もなく雪が吹雪のように突然、降ってきた。 
 
   『山の天気は突然変わるのは本当なんだ。』
 
朦朧とした意識の中で納得させられる。指先もつま先もすでに感覚がない。
   
体の芯から冷えこんでくる。 
 
   とにかく走ろう、走り抜けよう、となみだ目で走り続けた。

    数え切れないいくつもの山を越え少し平坦な道に出て、しばらく走ると


  
すると、行き手の真っ暗な草ぼうぼうの道端に、仄かな小さな灯りが見える。
             
 


      
    その3 

『 やった。よかった、よかった。助かった、先に、誰か居る!

 この際、地元の、木こりでも、百姓でも、警官でも、役人でもやくざでも
 亡霊でも、怪物でも、妖怪変化でもなんでもこの際いい。
 砂かけばばぁでも、子泣きじじぃでも、たとえ油スマシすましであろうとも!
       
    ひと気でも仏でも何でもいいからこの際すがり付きたい。』

やっと人の気配、久しぶりに見た人工的な灯かりに、すがる思いと安堵の
 思いが入り混じり、無我夢中でスピードをあげ近づいていった。すると、
 なぜかその光りはスウと逃げてゆく様に離れていく。

  『あれ?おい。なんでや、ちょっと待てよ。』
  
 スピードを上げ後ろから追いかけてその正体をよくよく、見てみると、
 原付に乗った少年だった。・・なぜか必死で逃げていく。

  『おい!待て、待てよ、待ってくれ!』
 
 ホーンを鳴らしながら、追いかけるとよけいに、速度を上げ目一杯
 無我夢中で時々後ろを振り返りながらやり過ごそうとする。

     

   『お願いだから、待ってくれ。・・・・』
   
 疲れ冷えきった体に鞭をうち、しばらく、訳も判らず逃げていく少年を
 追いかけ回し、頃合を見て、そいつの前へ回り込むと急ブレーキをかけ、
 勢いで倒れかける車体を立て直す。後ろで大きな音を立て滑りこけていた。
  舗装路じゃないから、心配する事もない。・・・
   
   

 話をするとなんてない地元の不良高校生だった。家で、できないし
 してはいけない袋に入れた薬物を持ち、目が虚ろで、よだれまで垂らし
 勢いよくこけた後の傷であちこちから血が滲んでいる。
 ショックとお薬のせいで、なにやら訳の分からない事を口走っている 
  
  お気楽な奴だ。今はこんな奴でも頼りにするしかないし手放す訳には
  いかない。   とりあえず横っ面を5,6発 思いっきり張り飛ばし
  てやり、肩と頭を掴んでもういいほど揺さぶってやった。
   訳もなく大声で謝りだしたかと思うと今度は泣き出した。
  
 煙草に火をつけてやると、冷静に戻ってきたようだ。
 帰り道を聞いた。簡単な説明を受けたが納得がいかない。

      要するに心細いのだ。               
   
 こいつにいい所まで水先案内人になってもらおう。
 その少年を先導させしばらく一緒に走る事にした。
 途中右や左へと曲がり、やはり、こいつを先導させて正解だった・・・。

  
   『ここからはもう一本道です。』 『助かった、ありがとう』

小遣い銭を持たせそこから分かれた。しかしまだ30分ほどまだしばらく
狭い道を走りつづけた。・・・


何度も何度も今までに登った様に、再び飽きもせず登りが延々と続いた。
すると今までになく、やたら視界が開け一際高い山の頂上に出た。
 
  又とんでもない所にでて、今度こそ本当の極楽かい!と愚痴る。

グルッと山頂をまわり込むと、うどん屋の提灯が仄かに見えた。
思わず中へ入ると、意外に広い店内で、おっさんが2人で世間話をしていた。

  「うわー。」  「な、なんや!おまえは?」

   「ここ、どこ?。」
まず、聞いていた。
  
  いきなり夜中に現れた正体不明な男に腰を抜かした様子だった。

「生石高原の頂上や。ああ
,ビックリした。兄ちゃん、どっから来たんや?」

   よっぽど切羽詰まった顔をしていたのか。・・・

熱いうどんと沸騰寸前までかんをした日本酒でやっと人心地がつけた。
 
   時計を見ると、もうすぐ日付が変わろうとしている。

 これが二十歳の誕生日のテーブルか。なんとか間に合ったようだ。


散々な1日だったが終わりよければすべてよしか。もうすぐ日付けが変わる。

店を出てると、意味ありげなススキ群がユラユラと揺れている闇の中から
遥か下方に見える下界の街の灯りを目指し下っていった。

4半世紀以上過ぎた今もあの誕生日は忘れられない。
      
           今だに彷徨いが続く ボストンシェーカー


 
   
ハーレー乗

  
私個人として
も、それなりに古い付き合いになってしまって、今では
乗り始めたきっかけや能書きなんか、もうどうでも良くなった。 
 
それに対するイメージとしては、自他共に認めるところでは、必要以上
にでかくて力強い。旧態然としているが、独立独歩で、男らしく、どこまで
も孤高を貫き、それこそシンボリックにもなっている白頭鷲。   
 
マイナス面も数え切れないが、それを上回る独自性のある魅力で今でも
ファンは尽きない。
 
1時は倒産の危機に見舞われたが、奇跡の復活を遂げたのもドラマチックだ。 
   確かに私が購入した当時は廻りのみんなから揃ってブーイングがきた。
 
  「なぜ最初からこんな高いポンコツを買うの?」


それが今やこんなにメジャーになるとは一体誰が予想しただろう。


考えてみれば不思議な乗り物で手直しひとつでがらりと乗り手も巻きこみ
表情を変えてしまう。正統派のスタイルに決めればまったくの紳士然とした
バイカーを気取れるし、アウトローに持ちこめば、即席のヘルスエンジェルス
もどきを装える。
    
昔、70年代の頃のヘルスエンジェルスを紹介した雑誌の記事を見たとき
は、こんなすごい集団が世の中にあるのかと本当に驚いたものだ。


キャロルの親衛隊だったクールスの当時のリーダーだった舘ヒロシが、
本場アメリカに逢いに行きあまりの格の違いに周りが愕然としたそうだ。
  
  イーグルとカラスでは勝負にもならない

ホビーの世界だし個人個人が好きにすればいい事なんだろうが、どうも
気になる、同じバイクの乗り手として。  
   
昔から居る制服パトロールおじさん隊は一体なんなんだろうか? 
冷静にどう考えても分からない。単純に程よくコスプレ趣味と、小成金
権威主義とが程よく一致した状態だろうか。
   
巨大なカウルの付いた
FLHに多くのメーターを並べたて、キャバレーの
看板の如くの回転灯が廻りだし互いの無線をとり合う。
一個連隊で普通に走れば何の危険も問題もない道中の移動をわざわざ
回りも自分達も大層にしてしまう。


それよりもシンプルな皮ジャンかすっきりしたジャンパーに、素朴な
ジーパンとスニーカーで軽く流し、たまに、たっぷりの容量のバックに
必要な荷物を収め涼やかなすっきりしたツーリングを楽しむのがすごく
格好いいと思うのだが。
   
キモい、ウザイと疎ましがられるのをあえてやってしまう
訳のわからない図々しさはなんなんだろうか?            


反対に暑苦しいのは嫌われるだけなのに,あえてそれをしてしまうのは
おじさん達の性なのか。
 
 腕章にネッカチーフ、大仰で威圧的な制服とロングブーツ。


そんなにしなくても何も大した事してるわけでもないんだから。

昔、パーキングエリアで、あんまり鼻につくのでそいつらのリーダーの
プラグコードを切ってやった事がある。


又、ハーレー乗りでもうひとつの新種が現れた。
髭面にタットウ、素肌に皮ベスト。それと小汚いジーパン。
こちらも一個団体で行動するパターンだ。
いかにも曰くありげで何もない。それぞれに個性がありそうだが
よく見るとみんな一緒だ。 それぞれ薄汚いのがだけが共通点、
どちらのタイプもみなさんご一緒お手手つないでがお約束。 
   
 せっかくの自由の象徴の念願の逸品を手に入れたはずなのになにも
、無個性な面白くもない空気にわざわざ同化しようとするのはなぜだろう。
 もっぱらの話題はやれ このパーツは高かっただの、どこの通信販売は
 安いだの高いだの、いつかのミーティングはもうひとつだったの、
 なりだけはいかついが話の内容は、そこはかとなく感じる、貧乏臭さと
 実際より大きく見せようすると見栄っ張りと姿かたちとは裏腹の人間的な
 セコさか。

 結局、井戸端会議のおばはん連中か、町内会の煙たい年寄り連中と、
 左程変り映えはしない。
   
もともと無個性だった連中が無理をしてアウトロウごっこしているだけ
の話だからどこかおめでたいのも無理もないが、暑苦しいだけは
嫌われるだけだからと何度言ってあげても聞く耳をもってくれない。

 
最近、自分の愛車も段々と痛みが出てきて本気で手を入れなければ成ら
なくなってきている。 ふと眺めているとかつてあれほど大きく持て余して
しまうほどに大きく感じていたのが、小さいとまではいかないが当たり前の
普通の大きさに感じるのがまか不思議だ。

今もまだ捨てきれずに夢に描いている本国アメリカ横断するとなると
せめてこれくらいの存在感は必要かなと思う。
   
色褪せひび割れてきた皮バックを補修し、ぼろぼろのフロアボードを
張り替え再びかつて装備していたバネ付きのバディシートに戻し、
それに併せハンドルを少し低く構えたクラシックスタイルに代えてと。

   
長持ちしたクラッチワイアーをそろそろ交換して、もちろんプラグも
一緒に。
そんな、こんなで
なぜかいつまでたってもかまいたくなる不思議な相棒だ。

    いかなる団体にも馴染みたくても馴染めないボストンシェーカー



バイクとシネマ

 バイクももちろんだが、シネマの方もロザリータシネマのイベントの関係で、
  ここ何年間の休日はビデオのシネマ漬けの日々がずっと続いている。
 なるべく偏らない様にと思うのだがつい関心のあるパッケージを選んでしまう。 

 案外なにも期待しなく地味で、さほど有名でもない監督や俳優の作品で
  印象深い作品に出会ったりするとすごく得した気分だ。

 今回はバイクが絡んだ印象深いシネマについて。

 最近のバイクが登場するシネマは、最初は注目するが過剰な演出、単純な
  ストーリー展開、幼稚な内容、CGだよりの場面展開でしらけてしまい
 結局ははずしてしまう事が多々ある。
  かつて見たバイクシネマで心に残っているのを辿ると、

    《あの胸にもう1度》

 私が最初に観たのは多分、中学生か高校生の頃だろうか。
  当時、妖しくサイケでエロチックな場面の連続に目が釘づけになってしまった。
 それと世の中にはこんなものすごいバイクがこの世の何処かに存在するのかと
  圧倒された。それが将来自分が所有するなんて当時は想像も出来なかった。
  
 主人公のブロンズの女性、ミックジャガーを唯一そでにしたという
  マリアンヌフェイスフル。
 彼女がフランスの田園風景の中を疾走シーンが信じられないほど美しく
  いつまでも頭から離れなかった。
  
 華奢な体を皮
の上下のレーススーツで包み、無骨で荒々しい巨大なバイクとの対比が
  印象的だ。それと脂の乗り切った当時のアランドンの魅力だろう。

 当時の悪魔的フェロモン満載のアランドロン扮するダニエルが弄んでいる
 主人公の女性レベッカに結婚プレゼントとして魔物のようなオートバイ、
 ハーレーを贈る。
 女性の父親がこれから夫となるレイモンに心配顔で尋ねる。
 
 「祝いにしてはあまりにも度が過ぎている。あんたは本当にこれでいいのかね?」
 「彼女が好いんなら僕はいいですよ。レベッカは喜んでいるし」
 「・・・」

 あれがそもそもの間違いだった・・・
 それに乗って欲望を抑えきれず国境を越え元恋人のダニエルのもとに逢いに行く。
 まさに悪魔に魅入られてしまった女。

 朝早くおめでたい亭主がまだベッドでまどろんでいる間に、全裸に
 皮のレーシングスーツだけを身に着け、倉庫からプレゼントされた
 巨大なバイクを引っ張り出す。
 朝靄の中、かつての恋人の元にキックでスタートさせ出発する所から
 物語りは始まる。 
 国境の向こうに平然と佇んでいるの悪魔のようなダニエルの強烈な引力に
 吸い寄せられまるで憑かれたかのように鉄の荒馬を走らせる・・・・ 

 いかにもフランス的、ラテン系の内に秘めた熱い情熱。イタリアやスペインの
 ような直接的でないが独得な深さがある。アメリカや日本では絶対に
 ありえない叙情的,詩的なシネマだった。
 後に、図書館で原作を借りて読み返してみたが、やはりフランス的な色濃く
 深い熱情のほとばしりがあった。

ともかくその時初めてハーレーという凄いものがこの世にあるのを知った。

あまりにも有名な《イージーライダー》はリアルタイムではピンとこなかった。
 その頃の自分の状況とは何もかもがかけ離れすぎ、ポスターを見てこんなのが
 海の向こうにはあるんだという程度だった。

  後年何度も観かえす事になるが・・・

《マッドマックス》 

 シリーズ3まであるが個人的にバイクシネマとしては2が好みだ。
  暴走集団の一員でホモの美少年の恋人を主人公に弓で殺され復讐に燃える、
 一際クレージーでアナーキーなモヒカンの男。その男の強烈な存在感にしびれ
  私もバイクに乗り始めたと言っても過言ではない。
 シリーズ3も別の意味で気に入っているがバイクシネマとはいえないだろう。

 《ストリートファイアー》 

 まさにお約束の活劇物だがウイリアムデフォー率いる暴走族とバイク群がやたら
  悪者らしく気に入った。昔からの悪友の雰囲気があまりにもデフォーに
 そっくりなので笑ってしまう。
  ライクーダーの音楽ものってるし今までに何度観たか数え切れない。 

 しかし、1度しか観ていないのだが1番印象深いのが、

 《青春の門》 

 確か私が高校の頃だったと思うが、田中健と大竹しのぶのデビュー作。
  小林旭が炭鉱の町の荒くれ男の元締めで男同士の友情から田中健の
 父親代わりになる。未亡人になってしまった母親は吉永小百合だ。
  その時に旭が乗っていたのが古いハーレーだった。
 その役柄にぴったりでまだ幼い田中健を後ろに乗せぼたやまを一気に駆け登る。 

  「おじさん。これ何ていうバイク?」 

「ハーレーダビットソンたい。こいつは化けモンたい。」

最近読んだ小林旭の手記にもそのときのエピソードーがあった。
  スタントなしで一か八かで撮影されたらしい。当時の熱気が伝わってくる。
 登りきらなければ2人してバイクごと転げ落ちるしかないのだから
  ここ一番むちゃを出来る大人はいつの時代にも格好がいい。

物語のラストは、確か田中健が東京の大学に進学。上京する際にそのバイクを
  旭から譲り受け博多から東京めざしハーレーで出発するラストだった。
 
  その頃の自分の状況とオーバーラップし何とも云えない深い感動したのを
 憶い出す。何度もドラマ化しているがその時のキャストが1番だ。 

幼なじみだった大竹しのぶ扮する薄幸の織江と久し振りに再会する。
  安っぽいキャバレーの女給になっていて店内に流れるお座敷小唄がなんとも
 物悲しかったのも印象深い。
 考えてみれば同世代だから特別な感情移入もあったんだろう。
 
 他にもいくつかあるがざっと思い出したところではその辺りか。やはり多感な
 時期に見たものは先の人生に影響力があるもんだなぁとつくづく思う。

   又折々にテーマを決めシネマ談義もいいだろう。

   パロディにならないのは難しいし、なってしまうと駄目なんだろう
  
   自分のスタイルをいつまでも追求したいボストンシェーカーでした。

  



  ハーレーとの出会い

  人だけではなく物ともさまざまな出会いがある。ただ通り過ぎるだけのもの
 だったり思いがけず深く一生の付き合いにまで発展したりする事もある。

 その出会いによりそれまでの自分の生き方までを自分の意思とは関係く方向変換を
  予ぎなくされる事もある。 後から振り返れば種あかしの様だ。
 
  “そうか、あの時のあの出逢いがあって、それが今につながっているのか”

 後日、種あかしのように納得されることが数多くある。物事や人とは赤い糸ではないが、
  神秘にさえ思う程につじつまが合う様にできているものだ。

  私のハーレーとの出逢いもそうであった。

 あれは20台半ばも過ぎセールスマンとして車で大阪を走り回っていた。張り切って
  飛び込んだ世界、どこまでできるか自分の力の可能性を試したい。
 そう思い何年間か過ぎていた。
  しかし止めどもなく繰り返される日々の数字・数字に追われる毎日。
  ノルマノルマで毎日が呪文のようにせき立てられる。収入は確かに良くなってはいたが
 その裏腹にどこかの神経が確実にすりへっていく月日だった・・・

  その日も後輩と阪神高速・守口線を走っていた。

   「バイクでも見にいこうか?」  「いいですよ」
 昔から憧れのハーレーを扱っている老舗のバイクショップにホンの軽い気持ちで向かった。

  「今のモデルはこんなになってるんだ。いいなぁ。」  「そうですね。」

 初めて入ったショールームをあれやこれやと2人でひやかす。 しかし自分のその時の
  境遇があまりにもバイクライフとはかけ離れていて、うつろにただ、
 きらびやかな当時の新車を眺めているだけだった。

 「もう気がすみましたか?時間もあまりないですよ。」 「うん。そろそろもう帰ろうか。」

  2人して車に戻りかけた時、様子を見ていた店の親父がそれとなく近づいてきた。

 「兄ちゃんもう帰るの? ええのあるけど見えへんか?」

 「もう帰るけど・・・・何?」

 「限定車でな。 特別仕様やねん。日本で5台やで。アメリカから今着いたとこやねん。」

 「日本で5台?! どこにあんの。」

 「こっちこっち」

 親父に促されるまま行くと店の裏手に巨大な木箱がデ〜ンと置いてある。
 
 「これや。」

 「おっちゃん、これや言われても、わかれへんやん。まだ木箱やがな。」

 「そらそうやな、今から開けるけど見たい?」

 「見る、見る、はよ見せてよ。」

 だんだんとその気になってきた。すっと見てはやく帰ろうと思っていたのに
  すっかりと親父のペースにはまっている。
 大きなバールで木箱の天井部分をたたき割り半分程こじ開けると

 「そら、のぞいてみ。」

 言われた通りに上からのぞくとまだバラバラの状態のバイクが箱の中でおさまっている。
  色だけは辛うじてわかるがどんな形か見当もつかない。 しかし本革のバックだけは
 インパクトがあった。

 「どうする?」

 「どうするってオッチャン、どんな形かわからへんがな」

 「うん。そらそうやな。実はな、ホンマ言うたらワシもわからへんねん。
  多分な、さっきのショールームにあった黒のやつあったやろ。あれの色違いで
 色々微妙にオプション付いてるはずやねん。形もじゃっかん違うと思うな。」 

 「ふーん。」 

 「どうする?」

 「どうするってどんな形かもはっきりとわからへんし今日は軽い気持ちで見にきただけや。
  急にそんなに言われても。」

 「奈良の人にも言われてんねん。」

 「そんな事言われてもこまるわ。ちょっと考えさせてや。そう2〜3日したら電話するから。」

 「そうかい。待ってるで。」


 それから、車に乗りこみ夜寝るまでの間その木箱のバラバラハーレーで頭の中が
  いっぱいいっぱいだった。
  
 あんな物全然買うつもりもなかった。ほんの軽い時間つぶしのつもりで寄っただけだ。
 それが持たされたカタログをずっとにぎりしめ布団の中で熱病のように悶々としている。
  今日の所はおとなしく寝て明日もう一度冷静な頭でゆっくりと考えよう。
 そう決断してもほとんど寝付けなかった。
  次の日の昼すぎには反射的に電話していた。


 「昨日のバイク、買います!」

 その時点ではまだ大型2輪免許は持っていなかった。
仕事にも影響がでるだろう。
  第1置く所も考えてない。 これから何もかもが大きく変わるだろう。
 
 もしかして自分はとんでもない決断をしたのではないか!今さら後にはひけない。

 なんとも言えない不安感と期待とで胸がはりさけそうになり
  まんじりともできない夜を過ごした。
   見当もつかぬ巨大なバイクの広いハンドルにしがみついている自身を想像する。
 
 予想通りそれからは何もかものライフスタイルが一変した。しばらくして退社した。
 普段何食わぬ顔をしてスーツを着て仕事をして休みの日に革ジャンにブーツで
  バイクをころがす生き方が自分では許せなかった。
 パロディ人生はこれを機会にもう2度とすまいと心に決めた。
 
 他人にまるで道具か奴隷の如くにあごで使われケツを蹴飛ばされながらも
  意味のない愛想笑いを探すような生き方。
 尊敬などおよそ考えられない手合いにはいつくばり残り香のようになってしまった
  小さなプライドの残像を必死で確かめるような惨め過ぎる生き方。
 
  それらがそれまでの何年間かの自分自身の姿だった。
 
 何もかももう止めだ。
 これからは他人にどう思われようとも自分が決断して自分で決める。
 たかがバイク1台手にいれただけの事だがその当時の自分としては一生消える
  事のないタットウを背中に掘り込んだほどの決意だった。
   今思えば青臭い話だが・・・
 
 先行きの見通しなどあるはずもない。何の役にも立たないものを背負ってしまった。
  ローンなど払える予定などあるはずもなく、現金で支払うと何年間であくせく貯めた金が
 一瞬にしてなくなった。 残高が白紙になった通帳を破り溝に捨てた・・
 
 妻と2人で何となくせせらぎ公園に行ってみた。遊歩道をぶらつき穏やかななせせらぎを
  ベンチで眺めているとそれまで忘れていた感情が甦ってきた。

 「これから、あなたの好きなように生きていいのよ。 あなたの人生だから。
  私はいつでもここにいるんだから。」
 
 どれだけ励みになったかわからない。しかし、これからの自分自身の人生の核心に
  なる必要で確かなものが今は手に入れてるんだという実感で自然と涙が溢れ出た。
 
 明日からどこまでも転がり落ちるのか、それとも太陽に向かって飛んでいくのか
  予想などまったくつくはずもない。
    しかしあの時から胸中に何かが巣食ったのは間違いなかった。

    それから、20年近く年月は流れた・・・・

 数えきれない旅を一緒にしてきたあの時のバイクが時折、店の前に持ち主と
  共に年月を重ね居心地よさそうに佇んでいる。

                         
どちらも現役のノスタルジックハーレーとボストンシェーカー

 

 


   

 その1
 
  一体、俺は何時間、真夜中の山道をバイクでさまよっているのだろうか?
  同じ場所を何度もぐるぐると廻っている錯覚さえしてくる。
 
  ここは、はたしてどの辺なのか?
  ガソリンはまだ大丈夫なのか?
  あとどれくらい走れば到着するのか?

 改めて考えるのも億劫な程、憔悴していた。おそらく、もしヘッドライトがなければ
  鼻をつままれてもわからないくらいの闇夜だ。
 
 もしエンストしたら? 
  そんな事など落ち着いて考える余裕などとうに消え失せた。 今までに、いくつ峠、
 いくつトンネルを越えて来た事だろうか。 
 山間部に分け入ったのも夕方近くだったから無理もない。
  が、まさかこんな切羽詰まった事態に陥るとは思ってもいなかった・・・
 
 途中、夜に活動を始めるさまざまな動物達に遭遇した。正体不明の両目が
 オレンジ色に 怪しく光る動物が片道一車線の国道を
 すばしっこく横切るのにもすでに慣れてしまった。
 まだ、ほの暗い早い時間では珍しくて

  「ほぉ〜。大自然満載だなぁ。」

 呑気に傍観者として単純に喜んで驚き、確かめたりもしていた。
 がいつの間にか漆黒に風景全体が包まれてしまうと、今度は逆に
 自分が闇の世界に 支配され呑みこまれてしまった気がする。
 
 そうなってしまうと眼に映る正体不明なものすべてを、只やり過ごすだけになった。 
 さっきも、今までに動物園ででも見た事が無い程の巨大なふくろうが
 ワッサワッサとばかでかい 翼をひるがえしてしばらく後ろからついてくる。
 やり過ごそうと無視して懸命に 走り続けていると頭のすぐ後ろまで
 迫ってきたかと思うと

   「 バサバサ!」 

 と触れそうになる位、ヘルメットを被っているすぐ頭上を飛び越して
 どこかの闇の中に消えていった。 思わず転びかけてしまった。
 羽ばたいた時の風と獣独特のにおいがリアルだった。
 顔のでかさは大袈裟ではなく 人間程の大きさはゆうにあった。
   近所の親父に似ているようで怖いながらもほくそえんでしまう。
  

 思えば自宅を出たのは4〜5日前になる。北を目指し風雨にさらされながら
 日本海をもくもくと北上してきた。琵琶湖を北上している時早速の土砂降りに
 洗礼を受け早速合羽を引っ張り出した。

 それからも日本海側の風景や街並に触れ慌ただしく北上する。
 ハードなだけの旅ではなく途中で知り合った何人かのバイカー達と
 意気投合した。
 昨日もバイク3台で 日本海沿いの険しく通行者の難所で有名な海岸線を
 越えて来た。 佐渡ヶ島に渡る フェリー乗場で2人と別れ、
 1人で新潟県の見知らぬ田舎町で宿をとった。

 別に急ぐ旅でもなく、のんびり新潟市内を見物した後、しばらくそのまま北上を続け
 まだ早い時間に余裕で内陸部に向かって国道を右に入る。 
 まったく地図も見ずに、なんとなく十和田湖方面に向かっていた。
 
文字通り行き当たりばったりとはこの事だ。
 止まりもせずに標識だけを見て気がつくと瞬時に曲がっていた。

   湖という響きに何となくひかれ導かれた様に。

 ずっと海岸線ばかり走ってきたので山間部は新鮮だった。
 空気もきれいに澄みわたり、のどかな山間部の緑色の風景に
 バイクと共になじんでいた。
  
 高速道路を一切使わず地道で北海道を目指し、そこから北日本の行ける所は
 すべて行ってやろう。 見れる物は見て廻ろう。
 できる経験はなんでもしてやろうと意気揚々と朝早くに
 自宅を出発したのが遠くに感じられる。
  
 早速、土砂降りに打たれたり、思いがけない断崖絶壁の難所越えを
 繰り返したりと、想像以上のハプニングに見まわれたりと、なんとかクリアーして
 きたものだ。
 しかし、こんな出発前に思ってもみなかった不安感に襲われたのは予想外だった。

 行けども行けども険しすぎる山々。登ってはおり、登ってはおりのキリの
 ない繰り返し。 訳の分からない聞いた事のない地名の連続。
 ほとんど町らしい所に一向に出られない。
 明るいうちにどこかの風情のある山里にでもたどり着けるだろうと、
 たがをくぐっていたが
  ふと我に返った頃には、どこにも人工的な灯かりなどまったく見当たらない。
 視界に入ってくるのは、真っ暗で険しい山又山だけだ。

 日もどっぷりと暮れて群青の空にはいつの間にかぽっかりと満月が青白い顔を
 見せていた。

  “それにしても一体ここは何処なんだ?”

 駐車スペースのため道が広くなった所にバイクを止め久しぶりに
 エンジンスイッチを切る。
 急激に闇の世界に引き込まれながらも、街灯のうす灯りの中、
 後ろにくくり付けていた 地図を引っ張り出し、今まで走って来た道を
 順々に指でなぞってみた。
  
  手袋をはめたまま抑えた指先に現れた文字は 

       “奥羽山脈” だった。               




 その2

 『奥羽山脈ってか?』 
 
 確か学校の社会の時間に東北地方の険しい山脈だと習ったというかすかな
 記憶だけがある。 思いがけなく思いがけない大きな物に遭遇した感じだ。
 
  そんな事を言ってたら月ノ輪熊なんかが・・・
 
  『だめだ、いらぬ事を考えたら!』
 
 ここまで来て今更引き返す事もできない。黒々と続く果てしない風景と
 あまりの静寂に恐怖をおぼえた。人工的なもの何一つない暗闇の空間に
 呑み込まれそうになり、いてもたってもいられずに、再び唯一のバイクに
 跨ると早々とエンジンをスタートさせた。
 スイッチをひねる時も

   『もし、ここでウンともスンともいわなかったら?』

 心細さが先走っているからつい悪い方悪い方へと考えてしまいがちになっている。

 広くて明るい国道の街中の交差点で標識をながめ  
  “十和田湖方面” 
 というのを頭の中で思い浮かべるが現実はどこまで続くのか想像もつかない
 果てのない真っ暗な山奥へと続く1本道。
 トンネルも長いのやら短いのやらすでに数えきれない程越えてきた。
  
  “こわい”という感情も段々とマヒしてきた。

 真っ暗な何もない田舎道をもくもくと走っていると再び峠に差しかかった。

 “もう勘弁してよ。やめて” と心で愚痴るがその道だけで他にない。
 《異常気象の際は規制道路》 の看板を泣きたい気持ちで登っていく。
 再びの登りの道を上へ上へと登って行くと蛾やらナニやら訳のわからない
 夜光虫が 無数にヘッドライトの灯りをめがけぶつかってくる。 
 危うくもう少しで眼をやられる所だった。真っ暗なのでサングラスは外している。
 ゴーグルやシールド等は、着ける発想はなかった。

 段々と山深くわけ入っていきかなり標高が高くなったのが廻りの空気や気配で
 感じられる。  道の両端の高い木々が 延び放題になっていて道路の上附近で
 つながり自然の木のトンネルの様になっている。そこを潜って行くと 目の前を
 又、ふくろうが慌ただしく羽ばたき、狐か狸だかがすばやく道を横切っていった。
 
 もうすっかりと慣れてしまい  『 又かよ・・・ 』とごちるだけだ。
 隙あらば追いかけて轢いてやろうかと自虐的になっている。
                                         
 あいかわらずどんどんと登りが続く。今まで走ってきたうちで一番の山のようだ。
 どっちみち登るしかない。

 必死の思いで走り続ける。 しかしガソリンだけはよく入れておいたものだ。
 こんな所でガス欠なんか、笑うに笑えない。考えてみれば対向車も後続車も
 もう何時間も遭遇していないし人影すらお目にかかっていない。
 今更こんな所でお目にかかっても勘弁願うが・・

 ようやく山の頂上付近に出たらしい。突然に廻りの視界がひらけた。
 すべての景色が眼下の世界になり、視界の周りの障害物がいつの間に
 か消え去っている。 空気もツンと澄み渡っていて、思いがけない
 なだらかな道に変った。 おそらく尾根を グルッと周遊する道だろうか。


 何となく天空の別世界に迷い込んだ錯覚をしながらもしばらく走る。
 
 すると、道沿いに久しぶりの看板らしき物が目に映った。なにやら文字が
 書いてありそれに従っての脇道にそれる矢印がある。

  すでに意識もうろうになってるから文字を読む気にも起こらない。

 『もうここまで来たら迷い込んでも本望か。 それこそ野となれ山となれ。
 何時間も化かされ続けてきたんだ。 行く所までいってやろうじゃねぇか!
   何かあるのならどこへでも行ってやる。
 野たれ死にでも野ぐそでも何でもしてやる。 好い所へ案内してもらおう。
 キツネでも狸でも化かしやがれ。 どうとでもするがいい。
 いざとなればお前達を腹いっぱい食ってやりゴロッと野宿でも決め込んでやる。
 何かあるんだから、矢印があるんだろう。もし、行って何もなかったら
 このくそ山に火でも放ってやるからな。』
 
 ほとんど自暴自棄になり、導かれる様に横道に入って行った・・・

 少し狭くなった道をしばらく走ると何やら小さな公園らしき広場に出くわした。
 目を凝らしてみると、下界を見おろせるベンチやら望遠鏡なりが配置されてある。
 昼間は何かの観光スポットのようだ。
  
  やたら広く取った駐車場があり、こわごわと乗り入れた。
 隅の大きな木の下にバイクを止め、何時間も走り続けて熱くなったエンジンを切る。
 見上げると久しぶりの群青の空にキラキラと静寂な星の世界が広がっていた。 
 ヘルメットを引き剥がし、大きく深呼吸をした。不思議に疲労感があまりない。
 しかし、がくがくする膝を屈伸でなだめながらベンチのある方向へノロノロと
 無意識に歩いて行った・・
 
 けだるいズタ袋の様に ドサッとベンチに疲れきった体を横たえた。
 腹がすいているのかいないのかの感覚もないが人心地が少し戻ってくる。
 しばらくぶりの煙草に火を点けようと、何気なく前方に視線を向けた時だった。
 
 それまでに思いもよらない、想像もつかなかった風景が目前にある。 

 
 下方に広がる、月灯りに照らされユラユラと動めいている十和田湖の全景。
 空気がきりっと澄み渡り思いのほかクッキリと見渡せる。
 白と黒だけのモノトーンの世界の中で、まるで湖全体が
 脈々と生きづいている巨大な生き物の如くに キラキラと光り輝く月灯りを、
 全身にばらまき、無防備にその巨大過ぎる姿を視界いっぱいに
 ひろげきっている。よく見ていると山椒魚の魔物が佇んでるようにも見える。 
  それにしてもあまりの迫力に息を呑んだ。
 
 何時間も走り続けここまで走って来た疲れも時間の経過も完全にとんでしまった。
 偶然遭遇した大自然の無言のスペクタクルに圧倒されいつの間にか
 全身が動かなくなっていた。


 よく眺めると遙か湖畔の左下の端附近に小さな星屑の様な灯りがチラチラと
 点在している。 あの辺りが今晩の宿になりそうだ。
 それにしても眺望が良すぎる。
 おそらく昼間は観光客が集まる展望台なんだろうか。
 
 来てよかった。本当に来て良かった。これに遭遇できただけでもここまで来た
 価値があった。
 おそらくこのまま帰っても後悔はしまい。
 偶然とはいえ無理をして走ってきた甲斐があった。
 いくら探してもこの光景にはもう2度と出逢えないだろう。 
 
 3本目の煙草をふかし時間の経過を忘れ物思いに耽る。

 
 こんな時間にこの場所で旅の男、暗闇に1人。 まったく酔狂なものだ。
 目も慣れると辺りがよく判り、何やら歓迎の意の空気を感じる。
 ぼちぼち宿さがしに下界に下りるとするか。 今夜はどうにかなるだろう。
  
  ヘッドライトにへばり付いて固まりの様になっている虫達を手元にあった葉っぱ
 で拭った。大自然の暗闇の中、奔放に漂っている夜の十和田湖に向かって
 『これからそっちに行くぞ!』とばかり、再びにエンジン音を響かせた。

            あの頃の感動の余韻と思い出をたどるボストンシェーカー


  


   アウトローとオホーツク

  

 テレビでオホーツク海を紹介した番組を見ていて思い出した。

 あれは俺がまだ今の歳の半分だった頃

 贅肉を徹底的に、そぎ落としチョップしたアメリカンバイクで北海道を放浪していた。

 スプレーで漆黒に塗りつぶしたガソリンタンクに


   {ゆっくり走ろう 北海道} のステッカーを貼り付けた


 最北の宗谷岬から稚内に辿り着き、昼食に立ち寄った古くさい食堂で、東京から来ていた

 らしい女の子グループが


  「この間、新宿でサァ・・ 原宿の何がしがサァ・・」

 後ろで大声で話し合っている。あまりうるさいのでどんな奴らかなと振り返ると
 どうって事のない
地元民以上に地味で、垢抜けなく田舎臭いのが3人で話している。

 成りは地味だが声だけは派手だ。

 せっかくの飯がまずくなったので途中だがその店を出て、エンジンに火を入れた。


 オホーツク海を左に見ながらひたすら国道を南下した

 3日前に振り落とした 奈良から来た奴を思い出した。

 4、5日ほど行動を共にしたが限界だった。出逢いも大切だが別離も必要だ。

 気の合わぬ奴と1緒だと足を取られ思うように動けない。
 気のいいやつだったが帰れる家の暖かさが鼻についた。羨ましくとも何ともないが、
 何かにつけかったるく、生ぬるいのが我慢できなかった。 

 相棒は男でも女でもいいが自分と同じ匂いのするアウトローでないとだめだ。 
 うまく世間と、おりるあえる手合いは、こっちまで首輪で繋がれそうな気がする。

 それとなく自分の旨を伝えると翌朝、すすきののビジネスホテルから姿をくらましていた。
 目覚めると自分の荷物だけになって、ホテル代の半分を灰皿の下に置いていた。


   あいつもそれなりに男だったんだな。

 それにしても真夏だというのにやたら寒い。この大地の右上をひたすら南下する。
 立ち寄ったガソリンスタンドでもストーブをたいていた。 上下共に皮で下に
 セーターを着込んでいるがこの季節に内地では考えられない。

 ふと見ると初めてのオホーツク海。  日本海とも住んでいる太平洋とも明らかに違う。

 粘りのある鉛色の海面がこの先にある異国の過酷さを物語っていた。 
 もし何か事を起こしても、ここまでくれば追手も来ないだろうか?

 意味のない犯罪に手を染めるほど愚かではないが、風向きひとつでそれも判らない。

  さいはてのオホーツク海を彷徨っているのを実感した。

 しばらくすると雨が降ってきて、仕方ないので雨宿りをし息苦しいかっぱを着た。

 降り続ける雨と同様にどこまでも続くオホーツク海沿いの国道。

 鋭い海風やガードレールに何十匹と群がっている海鳥の群れがそれらしい。

 真昼間というのにライトを点けっぱなしでひた走り続けた。

 夕方になり日が段々と翳ってくると今夜の宿が気になってきた。天気さえよければ、
 野宿でも何でもいいが雨とこの寒さでは何とかしなければ

 今と違い携帯もコンビニもない。 やっと見つけた公衆電話で電話帳を繰った。

 目的地付近の宿に片っ端から電話をかけたがいきなりなのでどこも断られる。
 願をかけ最後のコインでつながった民宿が


 「今晩ですね、ご用意できます。お待ちしております。」

 天からの救いの声に感じたものだ。

 宿が決まると気持ちも落ち着く。しばらく、走るとやたらでっかい湖が現れた。

 どうやらサロマ湖らしい。

 海近くの湖もおもしろい。たいてい湖は山中にひっそりとあるものだが独特な風情がある。

 シャープでシルバーの輝きを放ち鉛のオホーツクと一線を引く


 その輝きに元気付けられると目的地を示す看板が見え、それにそって湖側に
 国道を左にそれた。防風林を抜けるとサロマ湖畔にでた。
 簡素な小船が
いくつも置いてあり、その向こうに粗末な船宿が並んでいる。

 その辺が今夜の宿だろう。近くまで行くと一番端っこに

  《民宿 オホーツク》

 確かに電話したのはここだ。この辺では一番こじんまりしている。

 何でもいい、今夜泊まれさえすれば。
 前の駐車場にバイクを止め重い荷物を降ろし雨は遮るが動きの止める合羽を脱ぐ。

 使い込んだ引き戸の玄関を開けた。


  「こんにちは、お邪魔します。」  「いらっしゃいませ、タカハッサンですか?」

  「そうです。よろしく御願いします。」 「どうぞ、こちらに入ってください。」

 

 「雨の中、大変でしたね。お疲れさんでした。こちらへどうぞ。」


 シンプルな白い前掛けをした生活感の感じられる中年の女性が迎えてくれた。
 ここの女主人だろう。そんな中にどことなくきりっとした清潔な感じが漂っている。

 中に入るといきなり、右手にカウンターがあって厨房がある。

 ようするに普通の居酒屋さんのようで、客の椅子の後ろ側、向かって左に襖がある。
 そこをおかみさんが開けると畳をひいた部屋になっていた。

  「こちらです。靴を脱いでどうぞ。」


 いきなり、店の中で雑魚寝状態か。こんなのは初めてで驚いたが郷に入れば郷に従えか。
 雨をしみ込ませずっしりと重くなったウエスタンブーツを剥ぎ取り、畳の上に上がりこんだ。
 畳の上に荷物を収めると煙草をふかししばし寛ぐ。

 「お風呂はこの奥になっています、沸いていますので、いつでもどうぞ。」
 「はい、ありがとう。」

 奥へと引っ込んでいくおかみさんを見送ると、持ってきたジャージに着替え、
 さっそく風呂場へと向かった。

 奥には狭い普通の家庭的な風呂場につながり、脱衣場などなくて、
 狭苦しい、洗濯機と籠の隙間で服を脱ぐ。 その家人の洗濯物まであった。

 長い旅をしているとふと一般人の生活感を垣間見ると複雑な気分にさせられてしまう。
 自分はその家の平和な家族の一員ではないただの通りすがりの旅人の立場を
 再確認させられ、なぜか、なんともいえない寂しさを感じる時がある。

 決して豪華ではないが清潔に行き届いた風呂場だった。

   

 ゆっくりと冷え切った体を暖めて、長いめの入浴を終えると、先程の店内は釣り客の
 男達で賑わっていた。

  「タカハッサン、お食事の用意ができています。よかったらどうぞ。」


 厨房の中からまだ幼さの残る坊主頭の大柄な男の子が声をかける。

 「じゃあ、お願しようかな。」   「はい、今準備します。」


 タオルを首に巻きカウンターの椅子に座った。 横では釣り客達が盛り上がっている。

 「じゃあどうぞ、刺身から。」

 それを皮切りにどんどんと魚を中心にした新鮮で豪華な料理が矢継ぎ早に差し出される。

 「えらい豪勢だね。こんなのいいの?」
 
 「ええ、ウチは他に何にもない民宿ですから。タカハッサン、ビールでもいかがです。
 店のおごりさせてください。」

 
 「ありがとう、いいのかな。君はここの板前さん?」

 
 「はは、違いますよ。ここの息子です、さっきのが母親で家業をやってるんですよ。

 僕こう見えても高校生なんですよ。」

 
 「そうか!えらい。何だかおかしいと思ったよ。じゃ遠慮なく頂くとするか。」


 言われてみれば身体は大きいがまだまだ幼い。前掛けの下のズボンなんか
 なつかしい学生ズボンか。遊びたい盛りだというのに家の手伝いとは感心な奴だ。

 いかにも根が真面目なのが見て取れる。
 普通の奴なら食べきれない料理がどんどんと出てくる。


 「タカハッサン、大阪なんですか?」


 「いや、和歌山って大阪の下側なんだよ。紀伊半島ってあるだろう、そこよ。」


 「関西ってやくざが多いんでっしょ。言葉からして僕たちおっかないんですよ。」


 「そんな事はない、何処にでもいるんじゃないの。北海道にだっているだろうし。
 他所に比べて確かに数は多いかも知れんけども。」


 「今度、修学旅行で関西に行くんですけど。何か心がまえは?アドバイスなどを
 ひとつお願します。もし、そんな人に出会ったらどうしたらいいでしょうか、
 死んだふりをするとか?」


 「・・・あのねぇ 熊じゃないんだから。普通でいいよ、人間なんだから。
 いきなり出会ったやねぇ、死んだ振りされたほうも困るだろうって。」


 「タカハッサン、何かあったらよろしくお願いしますよ。僕の事。」


 「まっかしとけい!」


 そんなこんなで酔っ払い、お母さんまで交えて夜遅くまで宴は続いた。

 結局、隣に布団を敷いてその好奇心旺盛な息子と寝る羽目になった。


  一夜明け、食事の前に朝のサロマ湖畔を息子と散歩に出かけた。

 澄み切った朝の雨上がり空気の中で湖の畔は実に気持ちがいい。


 「せっかくだから写真でも撮ろうかな。」  「お願します。」


 レンズを向けるといやっというほど直立不動に立つ息子。

こんな真っ当な親子に幸あれ!


 店に戻ると予想していたが朝からこんなにという食事だ。
 味噌汁に魚が一匹丸ごと入っている。

 「すっかり世話になったね。」 「何だか、ぼく、名残惜しいです、タカハッサン。」


 「これおこづかい、今度の修学旅行の足しに。」
 「こんな、だめですよ!」


 「いいから、お母さんには内緒にしろよ。そのうちいやでも渡す方になるんだから。」

 「ありがとう、お元気で 又こっち来たら絶対に寄って下さいよ。」


 「がんばれよ、じゃあ行くよ。元気でな。」


 雨で泥が落ちた漆黒のチョッパーバイクにエンジンをかけシルバーの湖をあとにした。 


  精一杯に背筋を伸ばしたあの時の民宿の息子の写真は今も手元にある