第四章 八坂神社

所在地 京都市東山区祇園町北側625番地


路地裏京都の「第五章 平成20年 京都祇園祭」は、この八坂神社のお祭りです。
1ヶ月間続くお祭りの様々な神事・行事も、この八坂神社で行われるものも多くあります。
第四章では八坂神社の境内をご案内させていただきます。


本 殿

八坂神社は斉明天皇2年(656年)の創建と伝えられています。祭神としてスサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱神子神)が祀られています。
日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。

日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神様です。

本殿は「祇園造り」と言われる独特の形式で、もともと別棟であった二つの建造物、本殿と拝殿とを一つの屋根で覆ったもので、現在のものは承応3年(1654年)に再建されたものである。

本殿の下に池があり、陰陽道では大地のエネルギーが集結するところが龍穴と言い、この本殿の下の池が龍穴と言われている。神泉苑や東寺にまで通じていると言われています。

2002年(平成14年)に40年ぶりの修復が完了してます。


西楼門


東大路通りと四条通りの交差点にこの西楼門があります。
祇園祭の山鉾巡行の日の夕方、この石段下で「神輿渡御出発式」が
行われます。


南楼門

ここが正門であるが、西楼門が大通りに面しているためほとんどの参拝者が西楼門から入られます。


舞 殿

本殿は1999年3月から修復工事が行われていたが、2002年4月の遷座までここが仮本殿に当てられ祭神が祀られていた。
舞の奉納など様々な催しに使われる。
祇園祭の行事として、毎年7月10日に神輿洗式が行われ、三基ある神輿のうち中御座の神輿をかつぎだし、四条大橋上において神用水で神輿を清め、17日までこの舞殿で安置されます。
そして17日の山鉾巡行後、神輿渡御出発式では、石段下で三社神輿の差し上げが行われます。
その後、三基の神輿は地元を練り歩き、四条御旅所へ向かいます。
正面に飾られている沢山の提灯は、祇園のお茶屋や料亭から寄進されたものがほとんどで、八坂神社に対する地元の信仰が厚いという表れでもある。




◆ここからは神社境内にある摂末社を、西楼門から入って左回りにご案内します。


疫神社 太田社

北向蛭子社

7月31日には、祇園祭を締めくくる夏越祭が行われる。
この疫神社の夏越祭をもって1ヶ月に渡る祇園祭は終わりとなる。
御祭神「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」は天照大神が天岩戸隠れに際し、岩戸の前で神楽を舞った神である。 俗にエベッさんと称され、福の神、商売繁盛の神として崇敬されています。

大国主社 玉光稲荷社 大神宮社
八坂神社内の「三社詣」の一つでもあります。三社詣は、北向蛭子社・御本社・大国主社の3ヶ所をまわり、それぞれの社で朱印を押してもらい、家に持ち帰ると福が授かると言うものです。 御祭神は宇迦之御魂神です 御祭神は伊勢神宮の天照大御神(内宮)と豊受大神(外宮)をお祀りしています。

悪王子社 美御前社 日吉社
御祭神は素戔鳴尊の荒魂を祀っています。
悪とは強力の意であり、荒魂は現実に姿を現す霊験あらたかな神の意である。
東洞院四条下る元悪王子町から移動を重ね、明治10年(1877年)に当地に移されました
御祭神は、多岐理毘売命・多岐津比売命・市杵島比売命です。
鳥居脇にある「美容水」を2、3滴、顔などに塗ると美しくなると言われています。
京都の鬼門(北東)を守るため方位除けの神として崇敬されています。

刃物社 五社 祖霊社

御祭神は、天目一箇神です。
刃物発祥の地として料理人の信仰を集めています。

水神社・風神社・八幡社・天神社・竈神社 八坂神社の役員や関係物故者の御霊を御祭神として祀っています。

厳島社 十社
御祭神「市杵島比売命」は天照大神と素戔嗚尊の誓約の際に、スサノオの剣から生まれた宗像三女神の一柱である。 多賀社・熊野社・白山社・愛宕杜・金峰社・春日社・香取社・諏訪社・松尾社・阿蘇社

第五章 平成20年 京都祇園祭