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信心」(山川智應先生の機関誌信心第一巻第一号)     

日蓮聖人の理想せられたる『人』と『人生』
             (山川智應先生の機関誌信心第一巻第三号)




信心」(山川智應先生の機関誌信心第一巻第一号)


 この「信心」といふ題は、『信の人』『信の人生』といふ意味であり、また『人を信じ』『人生を信ず』とのいみがあります。私はこれをもって、日蓮聖人の宗教の帰結であると信じているものであります。それでは、なぜ「信心」が、日蓮聖人の宗教の帰結であるか、といふことはおひおひに申上げたいと存じているのでありますが、今、端的に申しますと、日蓮聖人の宗教は、たしかに佛教でありますから、佛を信ずる宗教ではあります。しかしながら、その佛は、此の人生に出て来なかったところの、阿弥陀佛とか、大日如来とかいふ、単なる彼の國の佛を信ずる宗教ではなくて、人生に親しく、人間として生れ来られたる釈迦牟尼佛を本佛の化現として信じ、その佛が此の人生に対して與へられたる預言を信じ、その預言のごとく、同じく人生に出で来れた本佛の所化なる上行菩薩の應化としての、日本人の日蓮聖人を信じ、釈尊の法華経と、日蓮聖人の思想行動を基準にして、此の人生に常寂光の世界を来らしめ得ることを信ずる宗教であります。『人』なる釈迦牟尼佛、『人』なる日蓮聖人、『人生』の一つの集団現象としての日本国、それにおいて、本佛・本化・本国土といふ、霊的のものの実現と、その普遍性とを信ずる宗教である點で、吾等は、日蓮聖人の宗教を、『人を信じ』『人生を信じる』しゅうきょうといって、毫もさしつかへないものであるとおもふのであります。そしてかくの如き『信の人』(信を持てる人)『信の人生』(信を持てる人生)は、かならずまた、さういふ人間を存せしめ、さういふ人生を存在せしめ得ることを信ずるものであります。

 一般的動物として『人』及び『人生』とは「四大属性論」の『生存欲・生殖欲・自由欲』に基づいた『人』及び『人生』であり、もし『人』が、『人生』が、どこまでも一般動物的生物的本能にのみ根拠しているものであるならば、吾等は『人』を信じ、『人生』を信ずることは出来ないのであります。だが『人』は、『人生』は、生物的本能の外に、人間的本能を有って居ます。吾等は「生命の四大属性」の中で、これを生命の絶対性・同化欲したのでありますが、この本能を自覚し、この本能を根本の力として動くようにならねば、『人』と『人生』は、それ自らをいまだ実現せしめていないもの、発展せしめていないものであります。人類の文化史は、その方向に進まねばならないのです。

 「法華経」の常不軽品は、あらゆる人間が、ことごとく佛性を有するものであるとて、不軽菩薩はこれを礼拝したといふことがかかれてあります。これ明かに『人』が、必ず佛になる可能性のあることを信ずる宗教たるをしめされたものであります。そこでその可能性実現の過程が、『人生』を形づくるのであります。その『人生』はその可能性を信ずる『信』によって、向上せられ、浄化せられるのであります。日蓮聖人の一生の行動が、法華経の色読であったといふことは、『人』が本来佛性を有するものであり、その『人生』的活動は、とりもなほさず、本有の菩薩性を活現せしめることであり、その菩薩性は『人生』を常寂光土化せねば止まぬものであるといふ象徴としての、上行菩薩の使命を、『人生』の上に実現せられたものであります。
 日蓮聖人は『人』が佛となり、『人生』が常寂光土となり得る。また本来さうなのであることを信ずる『信の人』であられ、『信の人生」を生きられた方であられました。『人を信じ』『人生を信じ』『信の人』『信の人生』は日蓮聖人の宗教の帰結であるといふことは、決して吾等の私言ではないと信ずるのであります。 


日蓮聖人の理想せられたる『人』と『人生』
                          (山川智應先生の機関誌信心第一巻第三号)

 日蓮聖人の宗教の帰着は、三大秘法といはれるところのもの。一に『本門の本尊』、即ち吾等人類の信仰の対象としての、尊崇渇仰すべき依處は何ものぞといふこと。二に、『本門の題目』、その尊崇し渇仰すべき帰依處たる御本尊に対して、合一し同化し體現するところの方法、即ち本尊に対する修行法は、いかなる方法なのであるかといふこと。三に、『本門の戒壇』、その本尊に対しての題目の修行によって、合一したる處の状態、安心覚悟の内容はいかなることに帰着するのであるかといふこと。この三つを明にしたものが聖人の宗教の精髄であり、帰着であります。
 これを一般佛教の修行の、通洞の方法としての、戒・定・慧の三学にしますれば、『本門の本尊』は、信仰を一境に止めるのでありますから『定』にあたり、『本門の題目』は、この定によりて、その本門の本尊たる本佛の智慧を、おのづから我が身我が心に受け得るところの方法でありますから『慧』にあたり、『本門の戒壇』は、此の定と此の慧を正とし、此の定慧の相応せる境地たる、一身・一家・一国・一世界を、そのまま解脱とし、成佛とし、此の外を希ふことを以て、煩悩とし、非として悪とすることでありますから『戒』にあたるのであります。そこで此の三大秘法を、『本門の三学』とも仰せられたのであります。(またこれを佛教に対して、世界の他の一大文明宗教たる基督教に比較しますれば、神と精霊と教会=この教会を基督の體として考へている點は、本門の戒壇が本化の菩薩の應化たる日蓮聖人によりて法門的に建立せられ、また将来の本化菩薩の應現たる賢王によりて事実的に建立成就せられるとされているのに、聊か似通ふところがある=の三に似ているが、教会そのものの内容は、国家の基督教化でなくて、基督教教会といふ一個の宗教団体が、国家の如き権力、否、こっかをもふくじゅうせしめる権力社会となったことでありまうが、本門の戒壇は全然それと異り、まさしく国家の宗教化、眞の法と國との冥合致一なのであって、彼の囘々教の『コーランか剣か』が、信教か服従かを武力を以て解決しやうとしたやうなものでもないのであります。)また総括してこれをいひますれば『本門の本尊』は、日蓮聖人の中心教義であり、『本門の戒壇』は、その目標教義なのであり、『本門の題目』は、その表幟教義なのであって、換言すれば中心教義としての『本門本尊』は、聖人の宗教の一切の出発点であると同時に、超越的の帰着点であり理想境であり、『本門の戒壇』は、社会的現実的の理想目的であり、『本門題目』は、精神的実践的の理想実現方法であります。

 「三大秘法抄」の戒壇釈である
  『戒壇とは、王法佛法に冥し、佛法王法に合して、王臣一同に三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の往昔を、末法濁悪の  未来に移さん時、勅宣并びに御教書を申下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて、戒壇を建立すべき者歟。時を待つべき耳。 事の戒法と申すは是也。三国並びに一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も、來下して踏みたまふべき戒  壇也。』
の文こそ、日蓮聖人が、理想とせられたる『人』及び『人生』の帰着なり目的なりを示されたものと見るべきでありませう。聖人の宗教の特殊性は、実に此の『本門の戒壇』の現実社会的の理想においてこそ、もっとも著しくあらはれていると見られるのであります。
 元来、この聖訓の御文は、五段におのづからわかれて居るのであって、此の五段の説明によって、はじめて本門戒壇が、いかに用意の周到にして、いかに遠大なる規模を有するかといふことが、明かなのであります。すなわち、
 戒壇トハ、
  王法、佛法ニ冥シ、佛法、王法ニ合シテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第一段、原理的冥合)
  王臣一同ニ三秘密ノ法ヲ持チテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第二段、信仰的冥合)
  有徳王覚徳比丘ノ其ノ往昔ヲ、末法濁悪ノ未来ニ移サン時・・・・・・・・・・・・・・・(第三段、立誓的冥合)
  勅宣并ビニ御教書ヲ申シ下シテ、霊山浄土ニ似タラン最勝ノ地ヲ尋ネテ、
   戒壇ヲ建立スベキ者歟。時ヲ待ツベキ耳。事ノ戒法ト申スハ是也・・・・・・・・・(第四段、願業的冥合)
  三国並ビニ一閻浮提ノ人ノ、懺悔滅罪ノ戒法ノミナラズ、大梵天王帝釈等
   モ來下シテ踏ミタマフベキ戒壇也。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(第五段、世界的現益)
 此の五段の如き大思想を、かかる僅々の文字の中に、おのづから包含せしめるといふことは、日蓮聖人その人でなければ、とても出来ないことで、かやうな自然的の文字の中に、幾多の段節を有する妙義多含の文字こそ聖人の遺文の特色であり格律なのであります。
 封建時代にあっては、常に政教は一致で常に為政者の信ずる宗教を、その国の宗教としたものが多く、それゆえに為政者の信ずる宗教が、寛容なる宗教であればよろしいが、それが寛容でない宗教である時は、国内の異教信仰者は、大抵はみな追放禁断せられるか、殺されることになりました。法華宗の如きでも、彼の上総の七里法華の如きは、領主酒井小三郎が、日泰上人と同船して難風に遭ひ、上人の祈りによってその難を脱れ、遂に上人の化に帰して、領地の民を悉く期限付で改宗せしめたのでありました。これも「涅槃経」はしばらく措き、北條氏時代の二百五十戒を持てる、極楽寺良観上人の如き生佛といはれる人でも、日蓮は提婆・瞿伽梨の如き邪見悪人であるからとて、殺罪に行はれんことを申し請ふたといはれるほどであります。然るに、此の「三大秘法抄」の戒壇釈においては、『王法、佛法ニ冥シ、佛法、王法ニ合シテ』といふやうな、国家と宗教との思想の根本問題に触れて、その『冥合』の原理を先づいはれているもので、この文からは、決して国王が信じたから、その権勢威力によって、なんでもかでも民衆をして之を信じしめるといふ、単なる封建的圧制的の意味は、了解することは甚だむづかしいのであります。
 しかのみならず、聖人の一生の御化導から拝しても、やはり封建的の意味は考へられませぬ。何となれば、聖人の三諫(三回の国家諫暁)は、諸宗との公場対決を要求せられたのであります。公場対決とあるかぎりは、経文に依る理義の対論であって、感情的崇敬を促がすものではありませぬ。そして聖人がその対決で論ぜられるべき内容は、ただに経文釈義の優劣勝敗だけではなかったので、道理・文證の外に、現證の詰難が這入っているのでありました。これは彼の「三沢抄」の中に『公場対決の時は、真言天台の人々も出るであらうが、あらかじめ日蓮が懐抱する法門を、公けにしてしまへば、必ずその答弁の方法がないことを知って、とても彼等高僧は、よう対論し得ないであらうから、佐渡に流されるまではいはなかったのであった』といはれたるその内容は、「祈祷抄」等にはじめて示されたる、寿永の時、承久の時の、真言・天台の名匠を挙げての祈祷が叶はずして、安徳天皇は西海に沈ませられ、後鳥羽等の三院は、遠島に御遷幸あらせられたといふことであって、此の現證を見れば『佛法ハ體ノ如シ世間ハ影ノ如シ、體曲レバ影斜メナリ』であるから、畢竟佛法の道理の曲れるにより、曲れる佛法によって指導せられている世間の有様が、かくの如くに曲るのであるぞとの断定を下されやうとせられたのであります。この理がすなはち『王法』と『佛法』との影響は、原理的に存在することをいはれたものであります。それゆえに、聖人は幕府にむかって公場対決を促がされたのでありました。即ち公場対決の要求は、王佛冥合の原理的宣明を佛法側から要求せられたものです。
 それから此の『王法』とは、単なる帝室のことではありませぬ。どうかすると、帝室と佛法とが接近せられることをば、王佛冥合と考えへることがあるやうですが、それはきはめて浅薄なる解釈であって、帝室が王法へ御接近は、王佛冥合への一つの大なる力ではありますが、それが王佛冥合そのものではないのであります。
 この『王法』といはれているのは『佛法』に対していはれています。それは「本尊抄」で『法華ヲ識ル者ハ、世法ヲ得ベキ歟』といはれている『世法』や、上の「難易事」に『佛法ハ體ノ如シ。世間ハ影ノ如シ』とある『世間』と同じです。あらゆる世間の法は、結局は国家の統制下にあるのが、人生社会の実状でありますから、之を統制面から観て『王法』といはれたのであります。乃ち『王法』の中には『世法』『世間』が悉く包含せられているのであります。
 それでは『王法』の内容には、いかなるものがあるかといふと、それは法華経の「法師功徳品」に、法華経の行者の功徳を明して、『諸所説法、皆與実相、不相違背』(諸ノ説ク所ノ法モ、皆実相ト違背セズ)で、一切の学問思想は、やがて悉く法華経(佛法)の道理と違背しなくなる。『若説俗間経書、治世語言、資生業等、皆順正法』(若シハ俗間ノ経書、治世ノ語言、資生ノ業等ヲ説カンモ、皆正法ニ順ゼン)で、『俗間経書』は一往は倫理道徳ですが、再往いへば社会の整正向上を説く一切の文化を含め得るが故に、文化と、『治世語言』の政道と『資生業』の産業とが、みな佛法の道理に順応するやうになるといふことで、姉崎博士のいはゆる、「文化」と「政治」と「産業」との革正の原理が、佛法に存在することをいはれたものになるのであります。
 この見地からいふと、『王法、佛法ニ冥シ』とは、時代の必然の発展として、世間の文化が、おのづから法華経の正理に、冥に接近し来ることであり、そして『佛法、王法ニ合シテ』とは、上の「法師功徳品」の如く、法華経の行者の意識において、世間の「文化」と「政治」と「産業」とのすべてを、みなこれ正法であり実相であるやうに正しく解することであります。かやうに王法の方面からも、冥に法華経の真理に接近し来り、佛法もまたただにこれ出世間の法ではなくて、世間を蘇活する法であり、世間は即佛法であり、佛法は即世法であるといふところから、世間文化の一切を法華経によって開顕する。佛の見られたる世界はかくの如くあるべきであり、あらねばならぬといふことを明かにする。そこにはじめて世間と佛法、王法と佛法が、原理的の冥合を為し来るのであります。
 この原理的の冥合が出来て、その上に、『王臣一同ニ三秘密ノ法ヲ持チテ』といふ、信仰的冥合が来るのであり、その信仰的冥合が立願的冥合となって、はじめて立壇的の冥合となり、世界平和の眞の願業的の大戒壇を建立せしめるに至るのであります。
 吾等の見るところをもってしますれば、今日はまさに、原理的冥合の第一期に這入って来ているものであります。社会主義といふものは、個人主義(個人万能としての)、国家主義(権力万能としての)に対しての非現実的の色濃き流れでありますが、それが無階級をいふ點は、法華経の二乗作佛、悪人女人の成佛、乃至諸乗一佛乗の思想に通ずるものであり、また相互扶助、社会的共同をいふ點は、十界互具の理と通ずるものであって、それは迹門の圓理に似たるものであるに係らず、その個人、国家を破壊して、平等の社会を空想したり、また絶対的に人の支配を絶滅せる無政府の社会を夢想するなどは、ともに差別と平等との相即一如といふことに注意せざるところの、隔歴の別教思想に類似するものであって、やがては今一歩向上してはじめて迹門の圓理に来るべきものでもありますが、それと同時に、一切において事実を重んずることは、一面に本門の事観事行に近づき来つているものであります。
 またかの社会主義の人々が、宗教を排するといふこと、阿片といふことも、この人及び人生を離れた、天国又は極楽を目標として、此の世において苦しむものは、やがて天国極楽において、よき果報を得るがゆえに、今世の苦悩はこれを忍べといふことをば、支配社会の弁護であるとするやうなことは、此の人生をもって、佛国土建設の場所なりとする、この日蓮聖人の理想の如きものに対しては、非難の用を為さないのでありまして、これもまたおのづから、時代が聖人の宗教の、『王法、佛法ニ冥シ』に近づき来りつつあることを示すものといへるのであります。
 現代の『法治国家』は、君権専制の封建国家に対して、個人の自由と生命財産の確保を基調とせる、法の維持を本體としたものでありますが、これに対して、ヨハン・フオン・ミユルレルの如く、『文化・道徳・及び福祉の促進は、こっかにとって、法の維持よりも軽微なるものでなく、むしろこれらの目的は、法維持の目的を通じて、初めて一般的自由としての法の規定が把握せられ得るのである。』(国家政策)と論ずるものが出来、更に進んでルドルフ・グナイストの「法治国家」の如く、『人類の国家的結合は、社会的目的をよりよく達成するための、緊急救助に過ぎないものではない。恰も社会が、人間の経済的素質に基いて存在していると同じやうに、国家は独立に、人間の道徳的本質にもとづいて作り出されたものである。経済的福祉は、この目的に対する手段に外ならない。何となれば、今日の驚くべき財の生産、その富、その文化の輝きは、人間及び人類の道徳的義務観念を高めることが出来なければ、何らの価値をも持たないからである』と論ずるものあるに至り、終にボサンケットの如く、『国家の目的は、国家構成員の上に下される命令としての道徳・目的である。しかし、その具体的作用は、この目的達成の為の障碍を排除するといふ見地によって制約せられる。すなわち、この目的の実現の障碍を打破するに必要な力を提供することである。』といふものあるに至っては、遂に『道徳国家』若くは『文化国家』となり来ったのであります。
 此の「道徳国家」の思想以外、最近に『法治国家』に対して、『経済国家』が唱へられて来ました。個人の財産と個人の自由を極度に保護する制度から脱して、私有財産に或る制限を與へ、家庭生活にすらも或る干渉を必要とするところの、社会的施設と経済的保証を與ふるがごとき、統制ある制度を必要とする時機に達しました。オッペン・ハイマアが『法治国家の代りに、経済国家が登場するに至った』(プレンターノ記念論文集)といひましたそれは、マルクス主義的の立言あるとはいへ、国家が経済生活の統制として考へられねばならぬ風潮の到来を示すものでありまして、独逸共和国やユーゴースラブの如きは、既に所有権に対して、社会道徳的制限を加へ、消費に対してもその義務目的を課しているが如き事実を生じているのであります。
 そこで、現代の進歩せる国家思想、乃至将来の現実国家即ち『王法』は、国民の経済的生活を保証するに、文化的方法を以てし、之を將いるに道徳的法治的統制を以てするところの、『経済国家』『文化国家』『道徳国家』を一如したるところの『法治国家』でなければならないので、彼の法律は道徳と異るといふやうな、根本に矛盾を持つところの偏曲なる『法治国家』思想は、此の地上から消えてなくならねばならない運命にあるのであります。
 そしてかくの如き国家思想は、「法師功徳品」の『俗間ノ経書、治世ノ語言、資生ノ業等、皆正法ニ順ゼン』の経文を実現し、『文化』と『政法』と『経済』とを、正法に順応して一如せしめたる社会国家といふ、理想的人生を冥契し来るではありませんか。
 そして『俗間経書』の『文化』は、今日において科学を中心とするもので、今日の自然科学中心から進んで、精神科学否人生科学に転向し、自然・精神の両科学を渾融せる、眞の総合的人生科学に立脚する『文化』が予想せられるべきものであり、『治世語言』の『政法』は、実践的道徳法としてのそれが、予想せられなければなりませぬ。今日の社会秩序の思想は、宗教と、道徳と、法律との三元思想であります。といふのは元来、法律が盲目的に、平等と自由といふ、矛盾を持つ両側の思想を根本として出発しているからであって、平等と自由の底には、善差別即ち道徳的諧調秩序が予想せられねば、平等も自由も成立たないといふことを忘れたものだからで、今後改められるべき法律は、その無標準なる平等と自由とを、宗教が理想とするところの『平等』と、道徳が理想とするところの『自由』に改め、即ち、善き諧調秩序を有てるところの平等と自由とに改められて、はじめて宗教と道徳と法律とが、一元的のものとなって、眞に世を治めることが出来るのであります。道徳と、法律と、宗教とが、社会秩序について、三つの標準を有つているといふが如きことで、どうして人生の諧調が成就するでありましょう。この総合的人生科学化の『文化』と、総合的人生道徳化の『政法』と、それによって保証せられ、現実的生活を豊富化し諧調化せしめらるる『産業』とが成立して、はじめて人及び人生は、単なる観念的ならぬ現実的の眞と善と美とを享受することを得るに至るべき筈であります。かかる傾向に世間文化が転向し来ることが、『王法佛法ニ冥ス』るに至る転向であって、現に上述の如く国家思想においても、単ある『法治国家』『文化国家』『経済国家』への転向を示し来り、科学思想は、自然科学から精神科学へ、精神科学は人間学への転向を示し来り、宗教は直接の社会へ、道徳は日常の実践へ、政治と法律は道徳と宗教へと、みな接近し来りつつあるのは、現実の潮勢ではありませんか。かくの如き現代の動向に対して、法華経の思想に根拠しての、『王法冥佛法』の運動の起り来りつつあると共に、他面には法華経の思想そのものを、現実人生に即接せしむるところの、『佛法合王法』の運動も来らなければならない時期に迫り来りつつあるのが、吾等の今日であると確信しているのであります。

 如来寿量品の佛身観(山川智應先生著)

          一

 「如来寿量品」といふ品題は、有名なる経では「金光明経」にも同じ題があり、新釈の「華厳経」にも寿量品といふのがあるが、今は「妙法蓮華経」の如来寿量品に就いて、その佛身観の肝要なところだけをお話する。その「妙法蓮華経」の如来寿量品は、一体どういふことを説かれたものかといふと、釈迦牟尼佛の御寿命を量られたのである。ただ釈迦牟尼佛の御寿命だけを説かれたものかと申すと、天台大師は、これを解釈して、
 如来トハ、十方三世ノ諸佛、二佛三佛、本佛迹佛ノ通號ナリ。寿量トハ、詮量ナリ。十方三世ノ諸佛、二佛三佛本佛迹佛ノ功徳ヲ詮量スルナリ
とあり、通じていふと、如来といふは、十方三世の佛、眞身と應身の二佛、法身と報身と應身の三佛、あるいは本地の佛、垂迹の佛といふやうに差別があるが、ことごとく如来といふ名で含められるから、それらの一切の佛の功徳を量り詮はす品だが、別していふと
 今ハ正シク、本地三佛ノ功徳ヲ詮量ス。故ニ如来寿量品ト言フ。
とあって、正しく釈迦牟尼佛の本地の三身の功徳を量り詮はされる」のであるといはれている。それはお経にも、釈尊の本地の身をお顕はしになると共に『諸佛如来ハ、法皆是ノ如シ』とあり、諸佛みな本地があると説かれてあるから、天台大師も、また十方三世の諸佛に亘ると、通じての釈を設けられたものであらう。
 さらにまた日蓮聖人になると
 此ノ品ノ肝要ハ、釈尊ノ無作ノ三身ヲ明シテ、弟子ノ三身ヲ増進セシメント欲ス。
と釈せあれ、単に釈尊や、十方三世の功徳を量り詮はされたのみでなく、釈尊の弟子の三身の功徳をも増進せしめようとせられたものであると説かれた。これもまた分別功徳品のお経文に、此の寿量品のお説を承はった菩薩達が、大功徳を得られたること、また此の教を展へ転いて、一念に信解を生じたるもの、又はこれを聞いてそしらず、随喜の心を生じたるものの各大功徳あることを説かれてあるから、これもまた御経の意を顕はされたものであらう。
 さうなると、此の品は、凡夫とは遙かに異った佛陀のことだけを説かれたのでなしに、近く吾等が身のうへのことをも説かれたものとなって来る。
 佛教は元来、釈迦牟尼佛の開かれたる教で、その目的もまた一切の人衆を佛に導くことであるから、釈尊の寿命、その御功徳および総じての佛の寿命功徳といふことが、その中心とならねばならぬ筈である。そして一切経の中で、此の法華経の如来寿量品においてのみ、はじめて釈迦牟尼佛の眞の寿命功徳および十方三世の諸佛の功徳、乃至吾等凡夫の弟子の功徳をも明されたものであるから、日蓮聖人は、この寿量品をもって、一切経の魂なりとして、
 一切経ノ中ニ寿量品マシマサズバ、天ニ日月ニ、國ニ大王ニ、山河ニ珠ノ、人ニ魂ノナカランガ如シ
とも仰せられてある。

          二
 つぎに御経にはただ『如来寿量品』とのみあるのに、天台大師は、『本地三佛ノ功徳ヲ詮量ス』といはれ、日蓮聖人も『釈尊ノ無作ノ三身ヲ明シテ、弟子ノ三身ヲ増進セシメント欲ス』といはれてある。
 かやうに一つの如来に三つの身があるといふことは、天台大師にはじまったことでなく、印度の天親菩薩も「法華経」において、法華経には『十無上』といって、十の勝れたことが説かれているとせられた中に、此の寿量品のことをば、『成大菩提無上』と名け、無上の佛の身を説き顕はされたものとせられたが、それにも『應化菩提・報佛菩提・法佛菩提』といふ三つの方面が、一つの佛身の中にあることを説かれてあって、やはり應身・報身・法身の三身とおなじものである。
 それでは『如来』といふ一つの語に、どうしてさういふ三身の意味が含まれているかといふについて、天台大師は天親菩薩よりも前の龍樹菩薩が、「大智度論」の『如来』の解釈において
 法相ノ如クニ解シ、法相ノ如クニ説ク、故ニ如来ト名ク。
といはれたのを引かれて居る。『如法相』と申は、、このうちゅうの如く、真理の如くといふ意で、佛が実相・真理の『如』を我が身とせられていることが法身如来である。『如法相解』といふことは、佛が実相・真理の如を覚り究められた智慧の身を報身如来といふのである。また佛が『如法相説』と、実相・真理の如を説いて、衆生を導かれる身を應身如来ともうすのである、と解釈せられた。
 すなわち法身とは、真理そのものをば我が身とせられたる如理法性の身であり、報身とは、その真理を覚り真理の如に行ったによって得られたる智慧功徳の身であり、應身とは、その智慧功徳の身から衆生を見ると、同じくこの宇宙の中に、同じく法性の身を亨けていながら、それを覚らない為に迷ひ悩んでいることを哀しみ憐んで、彼等衆生に相応したる身を現はし、相応したる言語によって、法性の理を説いて、彼等の心の底に潜んでいる智慧功徳を顕はさしめようとせられる慈悲応用の身である。即ち宇宙に存在する固有の真理と、その真理を自ら照らす智慧と、自ら照らすと共に他を照らし導く慈悲、との三つの方面であるが、基督教の神の如く万物を造り之を主宰する神ではない。

          三

 それではこの法華経の寿量品に、果してさういふ三身の義があるのかといふについて、天台大師がまた下の如き経文を出して、その義理を配せられた。
 如来・・・・法身・・・・・経云、非如非異不如三界見三界
       報身・・・・・経云、如来如実知見三界之相
       應身・・・・・経云、或示己身己事或示他身他事
此の配せられた経文の中の『如ニ非ズ異ニ非ズ』等といふのは、宇宙の実相は、平等でもなく差別でもない、執着によって偏った智慧や、僻んだ感情から見るところの、三界の衆生の見るやうなものではない。その『非如非異』の実相を我が身としてられるのは如来の法身であり、つぎの『如来ハ実ノ如クニ三界ノ相ヲ知見ス』とは、佛の智慧の報身であり、『或ハ己身己事』、即ち佛の身や佛の事業を示し、『或ハ他身他事』とて、九界(菩薩、縁覚、声聞、天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の身や事業を示されるとあるのは、さうして九界の衆生に対て、彼等に相応して導かれる應身をいはれたのであるといふのである。即ち寿量品の例に、真理の身と智慧の身と慈悲の身との三つの身が具はっていることを、この三つの経文が明かしているといはれたのである。即ち寿量品の佛に、真理の身と智慧の身と慈悲の身との三つの身が具はって居ることを、この三つの経文が明しているといはれたのである。
 かくの如く、『如来』といふ二字には、三身を具へているのであるが、それでは『寿量』といふのは何かといふと、佛法では、寿命といふものは功徳のあらはれだとする。孔子は七十で逝かれたが、いまなほ人の心の中に生きて居られる。願回は壮年で陋巷で死んだとあるが、なほ道を求める人の中で生きて居る。寿命とは功徳であるといふのは、それらでも頷かれるであらう。ゆえに寿命を量るといふことは、功徳を量り詮はすといふこととせられる。
 それではこの寿量品では、釈迦牟尼佛の三身の功徳を、どういふ風に量り詮はされてあるのかと申すと、十九出家し、三十で佛の覚を得て、説法五十年、八十歳で入滅せられたといふ釈迦如来の功徳を詮量せられるのでなく、久遠五百塵點劫といふ大昔に、すでに成佛していられるといふ本地の三身が、それからこのかた、常住に常寂光の本国土といふ霊界にましまして、未来にも滅したまふことはないといふのを『三身常住』と申し、その三身の中の應身が、過去・現在・未来の三世に亘りいかにもして一切衆生に佛の身を成就することを得しめたいものだと、『作ス所ノ佛事、未ダ曾テ暫クモ廃セズ』、『毎ニ自ラ是ノ念ヲ作ス、何ヲ以テカ衆生ヲシテ、無上道ニ入リ、速カニ佛身ヲ成就スルコトヲ得シメン』と、衆生の因縁に應じ、時に應じ處に應じて、或は佛の身を示し、佛の所作を示し、或は菩薩、声聞、縁覚、或はもろもろの神、或は聖人、賢人、乃至は畜生・餓鬼・地獄などの身を現じ、或はその法を説いて、三世に衆生を利益して、息まれる時がないのを『三世益物』と申す。この『三身常住・三世益物』を、本地三身の功徳とするのである。即ち如来の寿量とは、畢竟して
   詮量本地三佛功徳・・・・・・・・三身常住・三世益物
といふことになるとされている。

          四

 そこで法華経寿量品においては、釈迦牟尼佛は決して、今の人間の世界歴史上に印度迦毘羅衛の釈氏の宮に生れ、十九出家し三十成道して佛になられたものではない。実は五百塵點劫の大昔に成佛されたのが、眞の釈迦牟尼佛の本體なのであると説かれた。
 それではその五百塵點劫といふのは、どういふことかと申すと、五百千萬億那由佗阿僧祇の三千大千世界を粉末にして微塵とし、東方五百千萬億那由佗阿僧祇の三千大千世界を過ぎて一つの微塵を下しつつ、彼の微塵の無くなるまで行ったとすると、この塵と塵の間に介まっている國の数は、どれほどあるぞと、佛が試みに弥勒菩薩に問はれた時、弥勒菩薩は補処の菩薩で、つぎに当に佛になるべき菩薩であるが、自分の智慧では、その数はわかりませんと答へたといふのである。
 元来一つの大千世界には、百億の日月があるとされているから、即ち百億の太陽系があつことになる。その一つの大千世界の微塵すらも数へ得べきことでない。その大千世界に較べれば海の一滴の如くである地球すらも、これを微塵にしたらば、どれだけの数になるか、数の名も無いところまで行くであらう。况して五百千萬億那由佗阿僧祇の大千世界を微塵にした数といふのでは、いかに弥勒菩薩でも、計算出来ぬというたのもむりもあるまい。
 ところで五百塵點劫とは、それだけではまだすまない。その五百千萬億那由佗阿僧祇の大千世界を微塵にした、その微塵の数だけの、五百千萬億那由佗阿僧祇の大千世界を、また悉く抹して微塵として、その一つの微塵を一劫といふ長い時とする。ではその一劫はといふと、百億の太陽系を有する世界が、成劫といって世界成立の時、一大星雲群から宇宙を生成するような時と、住劫といって世界維持の時と壊劫といって世界減滅の時と、空劫といって世界空寂の時との、四時を経る間をさして一大劫と名けるのだから、五百塵點劫といふのは、到底思慮の及ばない昔で、その時から我は既に佛になっていたといふのが、この如来寿量品の説相なのであって、さういふ無窮の昔に、眞理身たる法身と、智慧身たる報身と、慈悲身たる應身との三身を具していられた。それ以来、成・住・壊・空と、常に繰り返し繰り返ししている凡夫の世界とは別なる、『三災ヲ離レ四劫ヲ出デタル常住ノ浄土』に常に在しますぞ(三身常住)。そして三災四劫に変遷せられつつある世界の衆生を、三世にわたって常に救ひつつあるぞ(三世益物)、と説かれたのである。

          五

 この五百塵點劫の計算と、涌出品の本化涌出についての六萬恒沙の計算に就いて故高山樗牛心兄の如きは、舌を捲いてその無限の構想力に感嘆し、世界の文学に類を絶つところだといはれたが、今假にこの思想の深邃さをば、一例を挙げて類推して見ると、一尺立方の中には、直径一厘立方の微塵が十億容れられている。そこでこの十億の微塵をば、東方一尺立方を経過するごとに、一つづつ置いて行って、この十億の微塵がなくなるまで行くと、その中に十億の一尺立方が含められることになる。この十億の一尺立方を、更に一厘直径の微塵の粉末にすると、それは百京〇〇〇〇〇〇〇〇十億といふ微塵の数になる。この一塵を一劫とすると、百京と十億回の宇宙の成・住・壊・空の回転があったわけになる。何と驚く数ではないか、一尺立方塵點劫すらこれだ。若しまたその一塵を小さくして僅かに一時間としても百京〇〇〇〇〇〇〇〇十億時間といふことになる。それを年数に直すと、一年は三百六十五日であり、八千七百六十時間だから、約百十四兆二千九百二十七億四千四百四十萬年餘となる。一尺立方塵點時間すらこれであるから、もしも高さ一萬二千三百七十尺といふ富士山の塵點時間を数へたらどんなことにならうか。富士山は大きいといふものの、小島国といふ日本の上から見ても、小さな黒子にも足りない位のものだ。日本全体の微塵数は、地球全体は、と考へ、これ等に比べると五百塵點劫といふことが、到底普通の人間の想像にも思慮にも及ぶところでないのが想はれるのである。かやうな思想を、単に空想だとしても、かかる空想を為し得る頭脳の包容力を想像するがよろしい。かりに虚喝を吹くものとみても、かやうな広大無辺の虚喝を吹き得る頭脳の深さを考へるがよろしいのである。しかし今日の自然科学の原子電子説などから考へると、かういふ思想も、決して空想ではないことがわかるのである。
 かくの如く人間としての釈尊の成佛を、これ垂迹の佛身なりとし、人間世界の歴史や想像や思慮を超出したる五百塵點劫以前の成佛を、本地の佛身であるぞとせられた説相をば、『發迹顕本』、即ち『垂迹ノ三身ヲ發イテ本地ノ三身ヲ顕ス』と申すのであって、かかる本地の佛身を顕はされたことは、他のすべての経々にはなきところであるから、天台大師も、
 發迹顕本ノ三如来ハ、永ク諸経ニ異ル
といはれた。
 そこで、この發迹顕本といふことについて、天台大師と日蓮聖人との間に、少しく解釈の相違がある。相違といっても、それは見当の違ったことではなく、同じ點をば、日蓮聖人は、『一重立入って』、深められ高められのであった。

            六

 そこで『發迹顕本』垂迹の三身を發いて本地の顕はすにつき、天台大師と日蓮聖人と、」どういふ風に違ふかと申すと、即ち下の如くに異ふのである。
   垂迹の三身を發す・・・・・・天台大師の所釈=文上・・・・・・・道場所得の三身を發す
                   日蓮上人の所釈=文底・・・・・・・十方三世の諸佛の三身を發す
   本地の三身を顕す・・・・・・天台大師の所釈=文上・・・・・・・久遠所得の三身を顕す=塵點久遠
                   日蓮聖人の所釈=文底・・・・・・・本有無作の三身を顕す=無始久遠
 この垂迹といふのは、足跡を垂れる、影迹を垂れるといふことで、本體が別にあって、その足跡なり影なりを示されたものといふことで、天台大師は譬を挙げて、本地は天上の一月の如く、垂迹は萬水に影を映すやうなものであるといはれて居る。
 そこで天台大師が、この寿量品で拂ひ發かれたる垂迹の佛とは、いかなる佛ぞといふと、それは釈迦牟尼佛が、伽耶城を去ること遠からざるところの、菩提樹下の道場で、大覚を得られて、始めて法身・報身・応身の三身を得られたといふのは、それは方便垂迹である。本地の三身は五百塵點劫の昔において成就せられこの娑婆世界の実相たる常寂光土を本国土としていられるのであるが、迷へる衆生は近しといへども見ることは出来ないのである。この久遠以来、縁に応じて三世十方に十界の身を現はし、世々萬々に衆生を救はれている。それはみな本地の応身から、或は法身の佛、報身の佛、応身の佛等と機に応じて佛身を示し、又九界の身を示されたのである。若し『一心ニ佛ヲ見タテマツラント欲シテ、自ラ身命ヲ惜マズ』といふ眞信仰のものがあらば、其の本地の身を、彼れの信念の中に顕はすであらうと、三身常住・三世益物の御身を説き顕はされたのが、此の品の顕本であるとせられた。そして天台大師の解釈では、一切経の中に、此の釈尊の五百塵點劫の成佛以前の佛を説かれていないに係はらずなほ釈尊以外に他の佛のあることを仮定せられて、釈尊も十方に分身の佛を持たるると共に、他の佛もまた分身の佛を佛を持っていられる。釈尊よりもなほ久しく前に成佛した佛は、釈尊が東方五百千萬億那由佗阿僧祇の世界を塵とするに越えて、四方の五百千萬億那由佗阿僧祇の國を塵とする譬へをもってすれば宜しい。またそれよりも久しい以前の佛、十方のそれを塵とするを以て譬へれば宜しい、また六百塵點、七百塵點も譬へ得ると「法華玄義」にいはれて居る。即ち五百塵點劫はいかに久しくても、有限の始ある佛であり、十方三世の佛と並び立つところの佛である、とせられたのである。

          七

 ところが、日蓮聖人になると、寿量品のこの譬をもって、無始の昔を譬へたるもの、または五百塵點の有始は、無始に連続するものである、と解せられたのであった。したがって大日如来、阿弥陀如来、薬師如来乃至一切経にありとしあらゆる佛も、畢竟しては、此の寿量品に開迹顕本せられたっる、久遠本佛の応身から出されたる垂迹の三身であるとせられるのである。すなわち寿量品の發迹は、決して釈尊の發迹ではなくて、十方三世の諸佛の迹を拂ひ發かれたものであるとせられる。「開目抄」に
 「今久遠実成アラハレヌレバ、東方薬師如来ノ日光月光、西方阿弥陀如来ノ観音勢至、乃至十方世界ノ諸 佛ノ御弟子、大日金剛頂等ノ両部ノ大日如来ノ御弟子ノ諸大菩薩、猶教主釈尊ノ御弟子ナリ。諸佛釈迦如 来ノ分身タル上ハ、諸佛ノ所化申スニヲヨバズ」
十方世界の一切衆生も、悉く教主釈尊の愛子ぞとせられ、、また「法華取要抄」に
 「諸佛如来ハ或ハ十劫百劫千劫已来ノ過去ノ佛ナリ。教主釈尊ハ既ニ五百塵點劫ヨリ已来妙覚果満ノ佛  ナリ。大日如来、阿弥陀如来、薬師如来等ノ、盡十方ノ諸佛ハ、我等ガ本師教主釈尊ノ所従等ナリ。天月 萬浮是ナリ
ともいはれている。即ち釈尊の一切経に説かれたる十方三世の諸佛は、ことごとく寿量品の久遠実成の本佛の垂迹である。天の一月が影を萬水に浮ぶるものであるとせられた。さらにまた顕はされた本地の三身についても、五百塵點の久遠に始めて得られたる三身ではない、それを通して本有無作の無始の三身を顕はされたものとせられた。すんあわち「観心本尊抄」に
 我等ノ己心ノ釈尊ハ、五百塵點乃至所顕ノ三身ニシテ、無始ノ古佛ナリ。
また、「三大秘法抄」に
 「寿量品ニ建立スル所ノ本尊ハ、五百塵點劫ノ当初」ヨリ已来、此ノ土有縁深厚本有無作三身、教主釈尊」 ナリ。
といはれているのがそれだ『五百塵點劫の当初より以来この土有縁深厚』といふのは、寿量品の経文の上のお語であって、此のお語だけでも、それより以前に成佛した佛が説かれてないから、教相上、一切経の諸佛は、みなこの佛の垂迹、この佛の応身の所変だといへることにはなるが、さらに尅実すると、この寿量品の佛こそ、無始の佛界の代表として説かれたものである。『本有無作三身』といふ一念三千の佛を説き顕はされたものであるとせられたのである。

          八

 それでは一念三千の佛とはどういふ佛かといへば、一念三千は十界互具、即ち九界に佛界を具し、佛界に九界を具すことからはじまる。「法華経」以前の経々では二乗は佛とはならないといふので、九界の中の二乗に佛界を具しないといふことになっている。それが法華経方便品に来って、二乗作佛が定まって、九界に佛界を具することが確実となった。そして佛界に九界を具することは、佛が九界の身を現ぜられるのでも明かなのであるから、ここに十界に各十界を具して、一念三千が成立したようであるが、まだ肝心の佛界そのものが確実でないことになっている。といふのは、佛は九界から覚って佛に成るといふのであるから、畢竟しては、九界は無始だが、佛界は無始ではない。