『本化妙宗はあなたの宗旨です』    (田中智学著「宗綱提要」より解説)

   本化妙宗宗綱の解説
                              
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1.如来出世の本懐 2.本佛釈尊金口の宣示 3.末法救護の憲教 
4.本化聖祖色読の唱導 5.法界唯一乗の妙羲 6.思想道徳の統一 
7.常寂光明の真世界 8.閻浮統一の名教

 【1】 如来出世の本懐

 元来、佛が世に出現せられた趣意はといえば、一切衆生を、御自分と同じような楽みを得させたいというのにある。佛と同じ楽みを得させるに就ては、同じ考えを持たねばならぬ。ここに於て一切衆生に佛知見というて、佛の有している智慧を与えねばならぬ。そこでこの佛の知見というものが、注入的に他から強いて注ぎ込むものか、又は開発的に自ら有っていながら埋没しているのを啓いてやるのかというに一切衆生おのおの本来に具えているのであるが、衆生見というて、煩悩情欲の心が盛んであるためにそれが隠没しているのであるから、佛の化導としては、それを開発するのにある。それが即ち開顕である。元よりあるものを出すのだから、出来ないことではけっしてない。ただ開発の方法如何にある。ただ理論的に是れのあれのと理屈で詰めたばかりで開けるものではない。元が理屈以外の情で籠じられたのだから、その情を融解しなければならぬ。即ち佛の智慧と慈悲との二つで誘うのである。智慧は真理を標榜して錯らぬ羅針の如く、慈悲は活動を与ふる蒸気機関のようなものであって、この二大佛光に照らされて、凡情がそのまま佛知見化するのである。一念三千の智光、三世益物の恩光、相加わり相発して、一切衆生に一種強大なる電化作用を与えるので春風は花の咲くが如くに、開佛知見するのである。佛の誓願というのはこれより外にない。
 「諸佛の本誓願は我が所行の佛道をば普く衆生をして亦同じく此の道を得せしめんと欲す。」(法華経方便品)
 「我れ本、誓願を立て一切衆生をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき、我が昔の所願の如き今者已に満足しぬ、一切衆生を化して皆佛道に入らしむ。」(法華経方便品)
一切衆生をして我が如く等しくして異なること無からしむるが、世に佛ある所以の一大要件であるとして
 「諸佛世尊は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現し給ふ、舎利弗いかなるをか諸佛世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現し給ふと名くる、諸佛世尊は 衆生をして佛知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に世に出現し給ふ、衆生に佛知見を示さんと欲するが故に世に出現し給ふ、衆生に佛知見を悟らしめんと欲するが故に世に出現し給ふ、衆生をして佛知見の道に入らしめんと欲するが故に世に出現し給ふ、舎利弗是れを諸佛は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現し給ふと為づく。」(法華経方便品)
この念願の為に、久遠劫來一刻片時も間断なく、どうかして一切衆生を導きたいと、三世益物の化導が息まないのである。
 「毎に自ら是念を作す、何を以てか衆生をして無上道に入り、速かに佛身を成就することを得せしめんと。」(法華経如来寿量品)
この念願の為に、法華経を説くので、佛知見即ち法華経である。故に法華経を説くために、佛は出現したものだという結論になる。釈尊の母后摩耶夫人が、釈尊を懐妊したのを、『摩耶夫人は、法華経を妊みたり』といったのは此道理である。

 【2】 本佛釈尊金口の宣示
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 人を佛にするが、佛の本懐である以上は、佛にすべき法を是非説かなくてはならぬ。人を佛にする法とは、佛の種たる根本智と根本慈との正体を明かした教行、即ち法華経である。然るにこの法華経を、如来出世の本懐と定めることは、如来みずからの宣告によったので、決して後世の論師や人師の推量臆断で究めたのではない。教主みずから自己の宗旨を発表して、三世を貫いての化導が只この法華経に在ると宣告せられ、殊にこの至法を胎して滅後末代の一切衆生を救はうという大慈悲の訓誡あるに至っては、何人も異念異議なく一斉に法華経を奉じて、佛教の真意義に接しなければならぬ筈である。然るに佛教諸宗の学者教家は、おのおの自らの見識を本として、すこしも佛の宣示を重んじないのは、明らかに逆路伽耶陀である。佛は法華経より外に佛教はないぞと説かれた。
 「十方佛土の中には唯一乗の法のみあり、二も無く亦三も無し佛の方便の説を除く。」(法華経方便品)
 然るに何故諸宗の人は法華経以外の経を奉ずるのであろう。「天に二日なく国に二王なし」の道理で、佛教の中心がいくつもあるということは断じて無い。但し法華経以外の経でも、多少の利益はあるからというなら、それはその用に応じた部面だけに用ふべきで、これを以て宗と定めるということはない。「宗」とは宗主ということで、最尊無二として奉ずるの謂ひである。若し他経と法華経とは、名目が変るだけで、その内容が一つものだというなら、佛は「三説の校量」ということをなされる筈がない。三説校量とは佛みずから御自分のこれまでに説かれた経を、法華経と対校て同じでない、大なる差等があると決判せられたのである。即ち
 「我が所説の経典、無量千萬億にして已に説き今説き当に説かん、而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり、薬王此経は是れ諸佛の秘要の蔵なり。」 (法華経法師品)
 これで法華経以外の経は、法華経と同一内容でないということは確かめられている。他の諸大乗経に幾分の法華経的真理を含有しているにしても、それは誘引の料に加味したもので、むしろその経の主成分ではないから、組織的には全然権経である。よし多少の得益があっても、それはその経の利益ではなくて、功は法華経に帰すべきものであるから、所詮は無得道の抜け殻であると定められて、若しや佛説たるの故を以て人が遠慮すると悪いから、釈尊みずから、その無得道なることを断りて、
 「諸の衆生の性欲同じからざるを知る、性欲同じからざれば種々に法を説きき、種々に法を説くこ と方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず、是の故に 衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。」(法華経開経たる無量義経説法品)
と決判したのは、これから説こうという法華経の一大事たることを確実にするため、これまでの四十余年
の経教を未顕真実なり無得道なりと宣告なされたのである。
 いかなれば佛教を奉じながら佛の制裁に背いて、法華経を度外したのであろう。「四十余年未顕真実」の一語は、実に佛教研究の先決問題ではないか。なぜかというと明白なる榜示を知らぬふりで通ったものであろう。

「乃至、餘経の一偈をも受けず。」(法華経譬喩品)
の大断さへ、少しも神経に感じないものと見える。これが感じないほどの痺れかたでは、そのいう所の理義も到底満足なものとは謂はれないではあるまいか。
 佛教の事を決するには、先ず佛説を本としなければならぬ。この大綱領が一つ弛んだら、際限なく勝手な理屈が出てきて、どうにも始末が着かなくなるから、佛あらかじめ之を憂慮して、先ず第一に『人の語に依るな、経文に依れ』と規定し、更に同じ経文でも『了義経に依れ、不了義経に依るな』と、丁寧懇篤に涅槃経の中に誡められてある。いかなる人でも、凡そ佛教を読んほどのものが、法華経を了義経でないというものはあるまい。して見れば法華経の金文こそ、他の経典を成敗する所の目安であって、この誡令に背いたものは、非佛教的見識に堕したものである。それがイヤだから、佛みずから経典の取捨を定めて、滅後末代のものの惑いのないように、「法華経より外に真の佛教はないぞ」と宣告なされたのである。
 勿論、滅後の弘教に就ては、法華経以外の経でも、ある場合に於て利益あることを説かれてはある。又実際に応用して、立派に益を為した時代があったに相違ない。けれども、それは正法像法の二時代であって、末法当今の時代に応ずべきものではない。またその益というのも、補益であって正益ではない。いかなる場合でも、餘の経典で成佛得道の主益はないものと、佛既に明確に掟てられてある。よしそれが効能ありとしても、時代が既に過ぎ去った暁は、救済問題としての教法では、何の用にも立たないものと謂はねばならぬのである。ここに於てか時代に乗けての研究が必要となって来る。佛もすでに教法は時代の救済として胎すのだと仰せられて、教法正益を時代で定められてある。

 【3】 末法救護の憲教                           ページのトップ

 それでは此法華経は、別していつの世の為めとか、又は誰れの為とかいう局限はない。いかなる時でも、いかなる人でも、つまり皆この法華経によらなければ、完全に救われることは出来ないのであるが、正味純粋に応用すべき時と、何ものかを間てて用いふるか、又は何か混ぜて用ふるか、その小部分を用ふるかの異ひがある。凡そあらゆる聖人賢人が、いつの世いかなる處にて、真理正道の幾分たりとも説て人を導いたその正しい言行は、すべて皆この法華経の真理を含有しているのである。况してかりそめにも佛菩薩の説いた教法というものは、この法華経の道理が含まれて無い筈はない。阿弥陀如来を念ずるには、法華経をも捨てよと、法然親鸞等は人に教えたのであるが、その肝心の阿弥陀如来の宗旨はというと、『常に樂て是の妙法蓮華経を説く』と経に説てあるから、やはり法華経を主義とせられたものとなっている。又釈尊一代五十年の説法中、法華経を説く前に、全く一人の成佛得道したものはないかというと、そうでもない。華厳経でも、方等経時代でも、般若経時代でも、幾分かは有った。有るは有ったが、それは皆法華経の力であるとしてある。法華経已前にどうして法華経を説いたかというと、「不待時の法華」というて大体に於ては、説く時節が来ないうちは、法華経を説かないのであるが、時に一部分の人があって、全体の大勢より抽んでて入実すべき機類の発生した場合には、その機類だけに窃かに法華経を説いて得道させたのである。それから又法華已前の諸大乗には、その中に幾分かづつ法華経の真理を含ませてある。それは直接法華経を用にたてる趣意でではないが、調整のため、ならすため、他の方便の教法と調合して説いたのである。ところが機根成熟のものは、早く此機械水雷に触れて得道することがある。それを「毒發不定」という。毒薬を食物の中に混入して置くと、どこかで其毒が発するという譬で、これは法華経を毒に譬へ、その毒で無明の煩悩を殺すのを成佛得道したということであって、釈尊一代の説法は、小乗経を除くの外、すべての経教に法華経を含有していないのはない。それゆえ縁の熟したものは、いつ何時どこで、法華経の機械水雷に触れるか解らない。苟くも真理に悟入して得脱したというのは、時と處のいかんに拘らず、皆この法華経の利益である。然れども正しき法華経の時節として、混雑物なく純一に法華経を説いて、正式の済度をするのは、在世では一代五十年の最後の八ヶ年、滅後では正像末の三時の中には、第三末法の時と、この二度に決まっている。そのうちでも在世よりも末法の方が、別けて法華経の正時節であって、畢竟在世の法華経も表面に在世の人の為であるが、裏面の実意は、滅後(殊に末法)の為であるとしてある。現に法華経の肝心たる寿量品の法門は、特に後世の為にというので、弥勒菩薩より請願して開説せられたのである。
 「願くば佛未来の為めに演説して開解せしめ給へ、若此経に於て疑を生じて信ぜざること有らんものは即ち当に悪道に堕つべし。」(法華経従地涌出品
また寿量品の中に、佛みずから末代の為めに此実義を説く趣を述べさせられて
 「是の好き良薬を今留めて此に在く、汝取て服すべし差じと憂ふること勿れ。」(法華経如来寿量品)
と云い、また本化上行菩薩を末法の導師として、この大法を付属せられることを
 「使を遣して還て告ぐ」(法華経如来寿量品)
とも説かれてある。特に此の法華経が末法の為であることを明示して
 「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無し。」(法華経薬王菩薩本事品)
とある。後五百歳とは、五個の五百歳(釈尊滅後第一の五百年間が解脱堅固の時代、第二の五百年間が禅定堅固の時代、この一千年間は「正法」の世、第三の五百年間が讀誦多聞堅固の時代、第四の五百年間が多造塔寺堅固の時代、この一千年は「像法」の世、第五の五百年間が闘諍堅固の時代、此五百年は「末法」の初め此後九千五百年間を「末法」という)の最後の五百歳、即ち末法の初期にして、日蓮聖人の降誕が末法に入って一百七十一年に当り、建宗が入末第二百二年、龍口の法難が第二百二十年、身延退隠が第二百二十三年、御入滅が第二百三十一年、斯く末法の初期法華経主義建設時代の正中に於て、経文の予證通りに法華経の大精神を発揮なされての化導があったのは、全く天の成せる大聖人が、法性流化必然の救済作用として、時代唯一の救護法としての正教を開宣なされたのである。故にこの本化妙宗は、末法時代に於ける唯一絶対の憲教である。憲教とは凡そこの時代に生を得たものは、何人でも必ず奉ぜねばならぬ、先天の約束のある教法ということである。釈尊の厳命、佛法の帰着、法界の枢機、天人ともに同帰する所の至法、国家も取って以て正式国教となさねばならぬ、世界人類も最後の帰着をここに致さねばならぬのである。

 【4】 本化聖祖色読の唱導                       ページのトップ

 釈尊は法華経の開設者である。天台大師は法華経の解釈者である。伝教大師は法華経の整理者である。この次に来たるべきは法華経の実行者でなくてはならぬ。即ち法華経の具体的発現を要するの順序となったのが、末法の檜舞台である。
 解釈説明はマー十分である。この上に理義を増し箇条を殖すのは、思慮の足りないもののすることであって、真の経世家の為すべきことでない。口で解釈するよりは身で解釈して、活ける真理の標本を与えなければならぬ、それが法華経の色読というのである。「色読」とは身に読むということである。日蓮聖人の化導は法華経を身に読んだので、聖人一生の行動は即ち法華経の活きてはたらいたのである。これが聖人の純法華経家たる所以で、常にみずから「法華経の行者」ということを繰り返された所以である。正法伝来の順序関係よりいうから、釈尊・・・天台・・・伝教・・・日蓮と三国四師の相承を列ねるようなものの、実際を言えば、釈尊・・・日蓮の次第となって、天台、伝教の二師は、仲介者なり旁證者なりである。なぜなれば天台も伝教も、心に法華経を読んで未だ身に読まないからである。身口意の三業に法華経を読んだものは、法界唯だ釈尊と日蓮聖人とのみである。故に内證相承として、久遠実成釈迦牟尼佛・・・・・塔中別付本化上首上行菩薩・・・・・・末法應讖日蓮大聖人の系譜を正意とするのである。本化妙宗としての眞面目を顕すのは「内證相承」で、謂はば是れは本領である。ただそれが杜撰孟浪の断定でない厳正なる発展の歴程があって、此に至ったものであるということを示すのが「外用相承」である。「内證相承」は自を顕わすの意、「外用相承」は他を判ずるの意、両意相まって法門発展の私ならざることを證するのである。
 即ち純法華経の相承である。(天台も伝教も時機を將護するために、法華経の外に他経を兼用したから、これを「以偏助圓」の化導と称して純法華経でないものとするのである)事件の相続でなくて、血統の一段であるから、他血を混ずることは出来ない。本佛は法界の全部を法華経化した行者で、本化は一たび法華経の全部を人格化した行者である。法華経を人格化したのは、やがて人間を法華経化するためである。釈尊と本化とは表裏を相成して、斉しく純法華経的である。天台伝教はこの間に立って、理義的に疎通を計ったのである。
 そこで法華経の色読とは、どんな事かというと、一口にいえば真理を血と骨で顕わすことである。法華経の一念三千という法門は、森羅三千の法界は我が一念の顕われた姿であって、法界の全体が即自身であるということだから、これを理論で示すのは、心の體を説き、事物の性質を究めて、理義の上からその一體なることを論証して行かねばならぬ。いくら一つだと言っても、眼前の事実は我と世界とは別に在るのであるから、それの別體でないことを験らめるには、その無形の方面に論拠を据えて、物体質碍を超絶した純霊界の上で融即していることを明かすのである。それに付いては、種々雑多なる疑問旁障を開いて、論じ詰め詮じ究めて、これより外に持って行きどころが無いというまでの道理を経てでなければ、真理の全面影を顕わすことは出来ない。かくして法華経を開示するのを「理観」の法門というのである。「理の一念三千」ともいう。然るに人の理性というものは、真理それ自身でありながら、第二性の迷妄心が全盛を極めているのだから、抽象的に真理を会得するということは、百のものが九十九までの疑問(真理を疑う心)を打破らない内は、半分で通用するというわけに行かない。恰も千円紙幣を半分にきって、之を五百円に通用させよというわけに行かないようなものである。
 法華経の真理を理性の方面から発揮しようということは、余程上根なものが、極めてのんきな世に居てやるのでなければ、今の世の中の様な、繁雑混乱の中ではトテモ満足な結果は見られない。若し学問として思考推求するのなら、却って今の方が花が咲くであろうが、理観で修行を立てるというのはむずかしいのである。然るに之を理性力に訴えず、直ちに実地に行って、具体的に真理の全面影を発揮するという弘教法は、本化の教として、末法時機相応の修行なるのみならず、佛教本来の持前も全くここに在るのである。言うのは第二羲で、行うのは第一義である。天地日月は一言も物はいはないが、常に間断なく道を行っている。所謂『天何をか言うや四時行はれ百物生ず』と孔子は言われたのも此意味である。日蓮聖人の法華経弘通は、法華妙理の全部を身で行ひ顕わしたので、これを「事観」とも、「事の一念三千」ともいうのである。
 法華経は人生の実際問題であるとして、卑いと見ていた人間界、穢土と見ていた此娑婆世界が、直ちに本佛の浄土であるということは日蓮聖人が一生六十年の行実に於て顕われたのである。正法弘通の為に、限りなく迫害を受け、『この日本国六十餘州島二つの中に日蓮が五尺の身の置き所なし』とまでの大艱難を、真理正法の為に受けたということは、偶然の出来事でなくて、始めより真理の光顕であったのである。即ち真理と反真理者との衝突であったのである。四箇の大難は、三度の死諫から来たのであるから、国家を諫めるということが、即ち真理の発動であったので、此場合に於ける国家人生は、直ちに真理の依地である。天下を治める人事を整えるということは、即ち真理の回復である。十萬億土の佛法でない、娑婆世界の佛法である。佛の佛法でなくて人間の佛法である。人間の為にとて説き残された佛法である。山中の佛法でなく、聚落城邑の佛法である。理論空想の佛法でなくて、処世実際の佛法である。文字の佛法でなくて生身の佛法である。『末法に法華経を弘めると怨嫉が多い』と経文に説いてある。果して日蓮聖人には怨嫉が多かった。『正直に法華経を弘めると三類の強敵に迫害される』と経文に説いてある。果して日蓮聖人は迫害に遭った。『罵詈』せられると説いてある。果して罵詈された。『打擲刀傷される』と説いてある。果して打たれた斬られた。『處を逐われる』と説いてある。果して遠島された。それも『数々』と説いてある。果して伊豆に流され佐渡に流され、其外處を追わるること二十餘度であった。法華経は末法後五百歳に弘まると説いてある。果して日蓮聖人の出現は後五百歳であった。『天竺より東北にあたる小国に純法華経の種子が発生する』と記せられてある。果して日蓮聖人の出現した日本は東北の小国であった。法華経が真理の全編であるなら、その記述伝説は、すべて真理発展の予言である。聖人は生誕の首めより入滅の後りに至るまで、一生涯の一言一行すべて法華経の活きて現われたのである。身を死ろし天下を救はうという事業、即ち慈悲であると共に、又大いなる智慧である。物好きや名誉の為に働いたのではない。それが即ち法華経の法門である。法界は同一體であるという事実を、最高道義で顕わしたのである。即ち一念三千を口で述べないで、身で述べたのである。

 
余に三度の高名あり。一には去る文応元年(太歳庚申)七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿屋の入道に向て云く、禅宗と念佛宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此事を御用なきならば此一門より事起りて他国にせめられさせ給ふべし。二には去る文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向て云く、日蓮は日本国の棟梁也。予を失ふは日本国の柱を倒す也。只今に自界叛逆難とて同志討し、他国侵逼難とて此国の人々打殺さるるのみならず、多く生捕にせられべし。建長寺寿福寺極楽寺大佛長楽寺等の一切の念佛者禅僧等が寺塔をばやきはらひて、彼等が頸をゆいの浜にてきらずば、日本国必ずほろぶべしと申し了んぬ。第三には去年四月八日に左衛門尉に語て云く、王地に生れたれば身をば随へられ奉るやうなりとも心をば随へられたてまつるべからず。念佛の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑なし。殊に真言宗が此国土の大なるわざはひにては候なり。大蒙古を調伏せん事、真言師には仰付けらるべからず。若大事を真言師調伏するならば、彌々いそいで此国亡ぶべしと申せしかば、頼綱問ふて云く、いつ頃よせ候べき、予云く、経文にはいつとはみえ候はねども天の御気色いかり少なからず急にみえて候、よも今年は過し候はじと申したりき。此三の大事は日蓮が申したるには非ず。只偏に釈迦如来の御魂我身に入かわらせ給ひけるにや、我身ながら悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。(撰時抄)

天下を諫めたという事が、直ちに一念三千の成佛だという安心であるから、それが為めにいかなる迫害をうけても、動かず怖れず恨まず憤らず、逍遥として大安楽地に遊ぶの念ひを為しているのである。時ありて面てに憤りの容を示すのは、咸教えの為である。聖人の安心は『法難の来るを以て安楽行と心得べし』というに在る。故に弘長元年五月伊豆へ流罪された時には、お陰で間断なき唱題の行者となったと歓ばれて、是れ国主の恩なりとして『四恩抄』を艸せられた。

 
去年の五月十二日より今年正月十六日に至まで二百四十餘日の程は、晝夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。其故は法華経の故にかかる身となりて候へば、行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ。人間に生を受けて是程の悦は何事か候べき。凡夫の習我とはげみて菩提心を發して後生を願ふといへども、自ら思出し十二時の間に一時二時こそははげみ候へ。是は思ひ出さぬにも御経をよみ読まざるにも法華経を行ずるにて候か。無量劫の間四生を輪廻し候ひけるには、或は謀叛をおこし強盗夜打等の罪にてこそ、国主より禁をも蒙り流罪死罪にも行はれ候らめ。是は法華経を弘むるかと思ふ心の強盛なりしに依て、悪業の衆生に讒言せられてかかる身になりて候へば、定て後生の勤にはなりなんと覚え候。是ほどの心ならぬ晝夜十二時の法華経の持経者は、末代には有がたくこそ候らめ。又止事なくめでたき事侍り、無量劫の間六道に曲り候けるには、多くの国主に生れ値ひ奉て、或は寵愛の大臣関白等ともなり候けん。若爾者国を給はり財宝官録の恩を蒙りけるか、法華経流布の国主に値ひ奉り、其国にて法華経の御名を聞て修行し、是を行じて讒言を蒙り、流罪に行はれまいらせて候国主には未だ値ひまいらせ候はぬ歟。法華経に云く、「是法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得べからず。何に況や見ることを得て受持し讀誦せんをやと」云々。されば此讒言の人国主こそ我身には恩深き人にはおはしまし候らめ。(四恩抄)

是れ即ち事に臨んで「色読」の要義を開宣したのである。又文永八年九月龍口に於て死罪に行はれる時、四條金吾頼基が、途中で聖人の馬に追ひ縋りて男泣きに泣いた時に、

 いかに不覚の殿原かな、これほどの喜びを笑へかし(種々御振舞抄)

と喝破されたのは、気を以て勝つの意でなくて、根底深く正しい大安心から出たのである。即ち真理の声である。 而してこの「法華経の色読」ということは、聖人一己の安心として、独りその光栄を占めるの意でなく、すべての人に皆「色読」を勧められたのである。

 日蓮は明日佐渡国へまかるなり。今夜のさむきに付ても、牢のうちのありさま思いやられていたはしくこそ候へ、あはれ殿は法華経一部、色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六親一切衆生をもたすけ給べき御身なり。法華経を餘人のよみ候は口ばかり言ばかりは読めども心に読まず、心によめども身によまず、色心二法ともに遊ばされたるこそ貴く候へ、「天諸童子以為給使、刀杖不加毒不能害」と説れて候へば、別の事はあるべからず。籠をば出させ給はば疾くきたり給へ、見たてまつり見えたてまつらん恐々謹言(土籠御書)

色心二法とは、身にも心にもということである。末法の法華経の修行は、観念観法坐禅工夫など手緩いことではならぬ。単刀直入実地的に真理の大活動でなくてはならぬ。末法は繁紛の世である。人は繁紛の為に退転するのである。真理は極めて簡短明了なるものである。簡短の中に天地のすべての力を収めているのである。学問や理屈はつまりその眷属である。されば吾等の法華経修行ということに就てもこの「色読」を以て、真理と人生とを一貫すべく安心して行かねばならぬ。

 【5】 法界唯一乗の妙義                         ページのトップ

 本佛釈尊の宣言によりて、『十方佛土の中には唯一乗の法にみありて二もなく亦三もなし』と決定した上は、佛教の主義がいくつも有るの、釈尊の本懐がいくつも有るのということは無い筈である。随て世の人々の安心帰着する所も一つでなければならぬ。
 法界は本と同一體で、脈絡機関が融通統一している一つの大なる有機體である。たとへば、一人の身體が、局所でいへば、これは頭脳これは足、眼だの耳だの手だの指だのと、種々に別れているが、之を統持している所の精神は二つないようなもので、大小の異なりこそあれ、意味合いは同じことで、我れの彼れのと隔っているのは、つまり局所の区別であって、法界という一つの大なる身體としては、必ず一の大精神の下に統一されているのである。この法界一體の精神が、自己の本分の精神であって、別々だと考えている心は、途中から涌いて来た仮性的精神である。この仮性的の私心を去って、法界一如の公心に還るのが、一念三千の法門である。この公心を失っている今の自己は,やはり仮性的の自己であって、永久不滅の性質を帯びたものでない、真の自己は常住不滅の寿命を有して、法界を身體とし、法界を心とし、法界を相としている所の本佛である。これが自己の実體である。その実體へ還元するため、させる為に教法が必要となるのであるから、教法そのものが帰着所を二三にするという理屈はない。必ず法界の実相真性本體を確指して、二なく三なき唯一乗を標榜してをらねばならぬ。若し爾うでないと、人の精神がまちまちになって修りがつかない。二つも三つも目的が示されてあると、遂にその比較の為に、一方には疑惑となり、一方には諍ひとなって、安心を得べき教法が却て人心を悪化し愚化するようになって了うから、真に社会を救はうというには、先ずこの法界唯一乗の主意に背った誤りの教法理義は、悉くこれを打破って了はねばならぬ。
 法界一體の大安心が、社会人心の根底とならない間は、決して真の智慧も道徳も発生しない。法界が一つものだという真境に到達せずして、神だの愛だの慈悲だの忠孝だのと、いくら理屈づめに責めても、その宗教道徳は、仮性の理が仮性の心に植えられたのであるから、譬へば栽枝の花を灰の中へ挿したようなもので、花それ自身も永久の質を有っていないところへ、灰が水分を含まないから、ホンの瞬間のながめに過ぎないのである。
 一人に精神が二つも三つもあったならば、そは容易ならぬ精神病であろう。一體の法界に道がいくつも有る道理のないのに、種々さまざまの宗教や理屈が、算をみだし吾等の前を遮り左右を塞げているということは、人間にとって此上もなき禍であるといはねばならぬ。釈尊があんなに心配をなされて、『道は必ず一つであるぞ、我が本懐はその一つの無上道に在るぞ、我が滅後に佛道を行ずるものは、ゆめ此教誡を忘るなよ』と、重々に念をいれての御遺誡があったにも拘らず、二道三道八宗九宗、思ひ思ひに門戸を構へて、いづれが真の佛法やら、殆ど帰着に迷う光景となって了ったのである。法界唯一乗の大猷を発揮するには、必ず先ずこの区々の見計を払ひ除かねばならぬ。ここに於て大慈折伏の義軍を興す必要を生じたのである。
 この邪見は、佛在世から発生していた。法華経の会座にもあった。所謂「五千起去」「人天被移」の類である。佛の滅後に於ては、小乗と大乗との諍論より始まって、後には大乗の中に、空宗有宗の諍ひが印度で発生した。支那では南三北七を始め、華厳、天台、三論、法相、浄土、真言等の諸大門流、おのおの蘭菊の美を競って、諍論の規模もなかなかに大きく、通常の人にはクチバシの容れようもないほどに難しくもつれ出して来た。日本は佛教の仕上げ場だけあって、印度支那の大昔から諍論が、残りなく渡って、肝心の本国では跡形が亡くなって了った時分に、各方面の諍論が、あちらにも、こちらにもと萌え出して、なかなかの壮観盛況である。たとえば真言では善無畏、不空、金剛智、よりもすぐれた弘法大師が出る、浄土では曇鸞、道綽、善導、よりもすぐれた法然上人が出る。天台では四明、浄覚、志盤よりも卓絶した安然、慧心、覚運、證真が出た。三国の宗見学見は残りなく日本に伝来発達して、揉みに揉んだ結果、議論の花が喧嘩に咲いて、坊さんが武器を執るまでに及んだ。南都では興福寺東大寺等、いずれも少なきは十萬石、多きは三十萬石の大名ほどの兵力があった。叡山、三井寺、高野、根来、熊野、清水、其他諸国の大山巨刹には、いずれも僧兵があって、其威勢は王侯を圧するほどで、戦争までも強かった。支那でも天竺でも、これまでには発達しなかったのである。坊さんの癖に戦争をするのは全く堕落であると、一口には言ひ貶せない。その最初は佛法護持に熱心のあまりと、法羲論諍の強盛であった結果、干戈を執ってまでも、自派の主張を貫かうというより来ったのである。(仕舞いには手間取りに雇れて戦争を商売とするようになったけれども、)その結果を見て、その原因に遡れば、この佛教内の論諍というものが、我見を本とした妄想邪思惟から生じたものであるということが解る。この弊に堪えずして、空想空論の範囲を脱し、実際的傾向に出で、端的の化導を開かうという考から崛起したのが、念佛宗と禅宗の勃興で、何でも従来の固執して居た葛藤紛乱の外に出で、超絶した新しい標準から、一般の民心を収攬せねばならぬというので、念佛では弥陀の本領の外、何ものも要らないと立て禅では教外別伝だから、経文の議論などは夢中の戯言であると喝破して、佛教の場合に一の新局面を開いた、天台真言等の舊宗は臥こかしにされて、山の中へ置いてきぼりを喰わせ、通俗の人情を支配して、念佛は婦人的家庭的平民的の安心となり、禅宗は武人的飄逸的経済的の安心となり、この二潮流が世間を捲いて、ここに新しい変形の佛教主義が出来た。念佛主義はこの土を穢として、西方極楽浄土へ往生するという主義だから、此教からは一種の厭世主義が生れ出て、捨鉢趣味の安心で、兎も角も乱世の人情を麻酔させた。禅宗は「教外別伝」で、佛説を無視し、「見性成佛」で自分が佛だという主義を鼓吹したので、此教からは、君臣の秩序を破壊し、人生の節度を無視した北条氏のような個人主義が発生した。矢叫び血煙りの惨景こそないが、流毒深く人心に入って佛教の綱紀は世道の壊乱と共に支離滅裂に帰した。天台真言前に興り、念佛禅宗後に昌えた吾日本の佛教歴史は、国こそ小さいが実に紛議葛藤の委曲を盡したものである。乱れの極は巧みの極である。発生すべきほどの議論見計は既にすでに遺憾なく発生し畢ったのである。これからは遡って三国二千年の紛諍から、現在の葛藤、乃至幾千歳の後までも、モーこれで決着という、大々的判決を下して、この支離滅裂して適従する所を失った佛教諸宗の始末を着けねばならぬ。功は功で録し、罪は罪で責めねばならぬ。純法華経の化導時代に到達するまでは、勿論法華経以外の餘の深法の中に於て示教利喜するというは、應機の化導として、その功を認むべきものである。若し過去に功があったからというて、猶純法華経時代たる末法に迄留存して、法華経化益の範囲を侵すというに至って罪となるのである。况して法華経を度外しての宗見を主張するに於て、その罪悪は一層重大のものとなるのである。
 已に出でたる三国二千餘年の紛諍、現に行れつつある。將た後に起らんとする迷見邪計、色こそ変れ形こそ違へ、法界唯一乗の大真理を度外するという點に於て一致した、反逆的系統に属したものである。既に在るは之を撲滅すべく、後に生ぜんとするは之を予防すべく、ペスト菌を駆除するが如くに、之を掃絶して了はねばならぬ。そうでなければ人の真理に合すべき健全なる思想観念を腐らせて了うの虞れがある。のみならず、この亦二亦三主義を許さぬという主義でもって、法界唯一乗の大義は標榜せられるのである。即ち大義名分の表示として、旗色を鮮明にしなければならぬ。
 畢竟亦二亦三の見計が、宗見となって現はれる背後には、必ず之を助長すべき学見が伴っている。これをも破らねばならぬ。即ち「附佛法成の外道」「学佛法成の外道」というて、佛教を学びながら図らずも外道の見に堕したのである。即ち妄想邪謂の致す所で、種々なる理論道徳の装飾を施して人目を幻惑するから、人は之を真理正道と誤って、不測な禍害を醸し成すのである。『
世間の罪悪によって悪道に堕つるよりも、佛教の誤りによって悪道に堕つる方が多い』と誡められたのは乃點である。
 『
念佛無間、禅天魔、真言亡国、律国賊、諸宗無得道堕地獄の根元、法華経独り成佛の法なり』と叫び、嘉祥、慈恩、澄観、善無畏、金剛智、不空、達磨、慈覚、智證、弘法、法然等を謗法邪人と訶し、良観、道隆等の鎌倉七大寺の高僧碩徳を国賊と責め、武断猛烈にして、天子をも凌ぎたる北条氏を逆賊反叛のものと痛撃し、時頼重時を地獄の罪人と弾じ、時宗を愚物と公言し、身に寸鉄を帯びずして、天下の威武にも屈せず、挙国の怨嫉にも怯まず、迫害いよいよ来れば、志いよいよ堅く、法難ますます重なれば、慈念ますます盛んに、四箇の大難、無数の小難に身を湯钁に投じ、處を逐はれること二十餘度、身に生疵の絶ゆる間がないというほどの大苦境に立って『建長寺寿福寺極楽寺大佛長楽寺等の一切の念佛者禅僧等が寺塔をばやきはらひて、彼等が頸をゆいの浜にてきらずば、日本国必ずほろぶべし』とまで、大慈念の勃発するところ、一切の邪見妄計を焼盡せねば已まざるの意気を以て、諸宗人法の誤りを正されたのは、一時に逗した臨機の激語でなくして、萬代不滅なる真理の威力を示したものである。撥乱反正の大義を確立した大格言の叫びである。この大破邪によって、大顕正は来るのである。法界唯一乗の妙義を光揚するということは、法界人生のあらゆる何物にも換え難い一大事であるから、人情も身命も犠牲にして、全く新たなる法界を築き出さんばかりの大革命を、従來の佛教乃至学問等の思想界に加えたのである。

 【6】 思想道徳の統一                            ページのトップ

 法界唯一乗の真相に帰着すれば、人間の目的が一途に決着する筈である。そうなれば世間に諍論の法が亡びて了うから、世は真の大平和に帰するのである。研鑽の為に要する秩序ある競争切磋は、天文地理の運行循環のそれの如くであって、毫も世の害とならないで、正当なる人文の進歩発達となるのであるが、根底に於て法界円融の大理想が欠けていて、見我妄計の謬想が、人情の迷執と打混じて發育した観念が、人類の思想道徳を支配して居るうちは、進めば動けば、悉く争論衝突の基となって、もっともらしい理屈は、目を衝くほど諸々方々に在るが、最終帰着の大目的が把住せられないから、銘々割拠の姿で安心する。それに一つの執着が伴うから、他の主義に接すると衝突する。理を求めながら不明になる。世を思ひながら世が乱れる。ヤレ個人主義、ソレ国家主義、西に行け、東に行け、天に上れ、煙になれ、愛だ、忠孝だ、いずれも善良の意思での主張だが、総勘定で差引すると、いつも諍ひだけが残って、究竟の大目的に安住することが出来ないのが現世間の光景である。畢竟区々の思想が縦横葛藤を極め、道徳の標準が一定して無いからである。これが根となって、人間に不滅の生命がなく、世に究竟の平和がないのである。之を統一して、区々の諍見を断って了はうというには、円満絶大の真理の下に統一しなければならぬ。即ち法界唯一乗の妙羲に依て整理するのでなければ、到底最後の平和は求められない。猶四海一統の実権ある天子にあらざれば、割拠の群雄を統一することは出来ない道理である。

 
【7】 常寂光明の真世界                               ページのトップ 

 此世が楽しい處であると執着した凡夫の見は、正しく謬ている。それは謬れる楽しみを認めての執着であるから、世界をも誤り解したのである。花は戯れ月に浮かれて、無意義の生を貪り楽しむ浅はかな観想を打破って、真実の快楽を得せしめようというのが、佛の本懐であるから、その前提として、ひとたび此世界を「苦の娑婆」と説いた。それは人の妄想を淘汰する為であって世界を破毀したのではない。然るに若しこの牽制的の側面誡諭を悪解して、何でも此土は穢土である、厭うべきものである、永久の安楽は金輪際此土にない。人生は恃むべからざるものだと僻執して、十萬億土だの天上界だのと、空漠たる目的を妄想して、真の安住地を現実の世界人生以外に求めるのは、全く佛の方便設化を悪解して、佛陀化導の実意を無視した、自暴自棄の悪思想である。無意義に此世を好しと執したのも、悪解的に此世を悪いものと考えたのも、すべて間違いである。此世は真の寂光浄土で、人生は此上もない安楽光明の境界であるということを教へたのが、法華経の真理、本化妙宗の安心である。
 悪いとするも好いとするも、それは観念次第である。只その観念が根拠を自己の迷想の上に据えているか、本佛唱導の正理の上に置いてあるかの違ひで、全く明闇を異にして来るのである。善良なる求道者は、みずから真理を研究せずして、本佛の所説に随順して、自己の理性を満足するのである。換言すれば「佛は直ちに真理」であるから、佛の所説指導に順ふのは、最も完全なる真理の奉行である。それでこの世の中を直ちに常寂光土とするのは、この世界を本佛の土とすることが先決条件である。若し衆生の土とすれば、いつでも穢土である。苦の娑婆である。それが吾々の上でも常寂光土となるのは凡夫が即本佛であるということが先決条件である。同じ衆生見でも、衆生みずからの衆生見は、あくまで何の考えもないのであるから、佛が衆生に成変って、衆生的にこの世を観察して「苦の娑婆」となるのである。それが一旦本佛の境界に還元すれば、蕩然として本佛の自受法楽に同帰して了う、それが常寂光の浄土を感得したのである。経に

 
今此三界は皆是吾が有なり、其中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此處は諸の患難多し、唯我れ一人のみ能く救護をなす(法華経譬喩品)

「而も今此處」とは、衆生見の方でいう三界で、佛の方でいへば、「多くの安楽あり」といはねばならぬのである。但佛は佛の持前として、この衆生の患難に対しては、いつでも「唯我一人能為救護」の慈悲を施すのである。これは釈尊が吾等の為に「主」「師」「親」の三徳を備へられた大恩教主であるという経文である(我有は主の徳、悉是吾子は親の徳、能為救護は師の徳)。救護の慈悲は佛の作用で、衆生に患ひがあるから発生するのであって、不思議にも衆生患難は、佛の作用を発揮せしむるので、それがあるから、佛の佛たる所以が解るのである。恰も病人があるから名医の手腕は解るのである。若しも世に病人がなくなったら、医師の職務がなくなるから、むしろ「病人さま」であるべき筈だが、仁術としての本領から行けば、医師が要らなくなるようにするのが、名医の名医たる所以で、東洞医師の歌にも『くすしてふ名さへ恥かし今はただ人に病のなき世ともがな』とあるが、佛は衆生の患難を除くのが持前で、つまりは際だった慈悲だの智慧だの法門だの教法だのというものがなくなって、法界は唯だ一つの大安楽地大光明界で、善とも悪とも名のつくような境界を超越した、真の大無為界に自受法楽するのが佛の本懐である。故に経に

 
如来は如実に三界を知見す、生死の若は退若は出あること無く、亦在世及び滅度の者なし、実に非ず虚に非ず、如に非ず異に非ず、三界の三界を見るが如くならず、斯の如きの事、如来明かに見て錯謬あること無し(法華経寿量品)

とあって、真の絶対円満境であるが、只「教」として人に対して、真妄を比べて見せなければならぬ必要からして、対比して見せて、向上心を促すのである。衆生みずからは、自己の罪悪者たることさへ知らないで、大威張で日夜に罪悪を造りつつある。随って自己の受けつつある、若くは受けんとする苦しみさへも知らない。所謂殆ど慢性のアルコール中毒みたような具合である。ここに於て真の大安楽地を自覚せしむるには、先ず順序として、凡見の土が大苦境なることを暁らしめ、それと対照して、水際の立つように本佛の浄土を認識せしめて、その最上安楽地を与えたいと云うのが、佛化導の意匠である。故にその趣を経に

 
衆生劫盡きて大火に焼るると見る時も、我此土は安穏にして天人常に充満せり、園林諸の堂閣種々の寶を以て荘厳し、寶樹花果多くして衆生の遊楽する所なり。諸天天鼓を撃って常に諸の伎楽を作し、曼陀羅華を雨して佛及び大衆に散ず。我浄土は毀れざるに、而も衆は焼け盡きて憂怖諸の苦悩是の如く悉く充満せりと見る。是の諸の罪の衆生は悪業の因縁を以て、阿僧祇劫を過ぐれども三寶の名を聞かず、諸の有る功徳を修し、柔和質直なるものは則ち皆我身ここに在て法を説くと見る(法華経寿量品)

諸の罪の衆生でも、一たび柔和質直の心を發して、本佛に随順すれば、いつでも見佛聞法して、本佛の境界に一如安住することが出来る。すでに本佛化すれば、この土やがて常寂光明の真世界となる。而してこの本佛に同如するのは、理屈でも議論でもない、柔和質直の心、即ち信である。即ち

 
衆生既に信伏し質直にして意柔軟に、一心に佛を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜まず、時に我れ及び衆僧倶に霊鷲山に出づ、(法華経寿量品)

「質直」とは真理を奉じて動揺しないこと、「柔軟」とは本佛の正智に随順して逆らわぬことである。「一心」とは雑乱を離れること、「佛を見る」とは本佛と一如することである。「自ら身命を惜まず」とは自己を没すること、即ち自己の情想執着を捨離することであって、これが本佛と一つになる第一番の準備である。「倶に霊鷲山に出づ」とは、本佛顕本の霊地を挙げて、本地寂光を顕わしたのである。「常寂光」ということは、壊れない焼けない滅しない浄土のことで、「常」とは常住不滅、「寂」とは諸の諍論紛雑を離れて静かなること、「光」とは徳が溢れて明かなこと、即ち徳でいへば「法身」「般若」「解脱」の三徳である。猶すべての功徳光栄の円満に具足せられた大安楽大光明の世界ということである。

 常・・・(法身の徳)・・・(法身如来)・・・(中諦の理)・・・仁

 寂・・・(解脱の徳)・・・(応身如来)・・・(仮諦の理)・・・勇

 光・・・(般若の徳)・・・(報身如来)・・・(空諦の理)・・・智 

 
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 この法華経の真理正道は、西方極楽世界だの、天国だのというような架空的の世界に在るべき教ではなく、特にこの閻浮提の憲教と指定されてある。閻浮提とは、今この吾人が生息している全世界ということで、無限の法界より言へば、ホンの一小部分であるが、教法として施設するのは、所被の衆生が相手だから、その縁を逐って教を垂れ行くのである。法華経の内容なる真理は、勿論法界に滂薄した絶対真理であるが、その真理より開出した教法そのものは、特に閻浮提の人を正意とすとある。実際問題としては、先ず吾々は吾々の住んでいる此世の中の処置をつけてかかりさへすれば可いので、他の世界はどういう教があって、どういう修行安心があるかは、必ずしも詮索する必要がない。月世界や星の世界では、銘々それぞれの教があることであろう。その神髄は法華経の道理を外れていない筈だから、いつの世にか交通することが出来て意思言語の互に交換せらるる時ともなったら、終に同一の運命に帰着して、真理の友として交際することも出来るであろうが、今のところでは、そんな事に気を揉んで他の疝気を頭痛に病むには及ばない。それどころでない肝心の自己の始末を付けねばならぬのである。して見れば吾々は無限の真理を一先ず有限に縮めて、実地応用という方面に力を入れねばならぬ。ここに於てか、法界とか宇宙とかいう目安を、歴史数量の範囲内にちじめて、既に吾々が住んでいるこの地球上の世界を目的に立て、さてこの同一世界に生息する人類は、文野の異なりこそあれ等しく同一人類として、共通した人道の上に立っているのであるが、その思想や宗教や習慣や歴史等の異なりから、この芥子つぶ(無限の法界よりいへば)の如き地上に、いくらもいくらも国があって、やれ人種の軋轢だの、政治経済の衝突だのと、夢の如き利害の小衝突(法界大の真理よりいへば)の為に、人と人との間だの争い、国と国との争い、闘諍ガイサイ絶ゆる時なく、道徳も宗教も政治も学問も、無残や皆この衝突渦中の具となって、人間最後の仕事はといへば、人を殺すこと国を奪うことより外はない。文明というのも、詮じ詰れば人を殺すのが上手になったことをいふに過ぎないのである。かかる児戯に類した醜態を、既に目の前に控へていて、これを救う心も道もないとあっては、世にこれほど心細いことはあるまい。幸いに佛の大慈悲で、外ともいはず此閻浮提に適応した、真理の調剤たる法華経を、閻浮統一の名教として、末法の今日にとて説き胎されて、且つその佛意の通りに伝へられた本化の大教は、特に名指して此世界人類を救うべく、実際的に建立弘伝せられたのである。これを経に説いて、

 
此経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病あらんに是経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん(法華経薬王菩薩本事品)

「閻浮提の人」の良薬とあるから、取敢へず特効薬として用いねばならぬ。又

 
閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん(法華経普賢菩薩勧發品)

「閻浮提の内」とあるから、外の世界には一寸も関係がないのであろう。たとひ有っても、それは閻浮提人たる吾々の詮議すべき所でない。吾々はこの現世界という最も親しき同胞の境界を整理すれば可いのである。要は閻浮提の地続きに住まって、同一の天日を戴いているものだけは、何事を置いても、天の同じきが如く、地の一つなるが如く、人も一つでなければならぬ。これが一つでないから、いろいろの葛藤苦情が起り、戦争殺伐が絶えないのである。人間の価値は、身體よりも精神に在るのだから、精神を一つにすれば、それで世界の人間は貫かれて一人となるのである。人間が一つになれば、始めて天地と一貫して、ここに四海一家の実が挙がるのである。その起点は一人ずつから始めて、その結果は世界同盟に終るのである。その間だに立って之を遂行するに、国家という力が要るのである。

 一閻浮提の人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし(報恩抄)

「一天四海皆帰妙法」の大目的を以て、閻浮を統一せずんば已まぬと云うが、本化妙宗の教旨である。
 本化妙宗の主義は、その淵源遠く釈迦如来より出で、その教澤は末法濁悪の世を潤し、特に大日本民族の頭上に天降って、世界統一の率先者たるべく、法爾として先天の約束が備っているので、本化の大教は、この日本国に建設せられた。それは日本の為めとばかりではない。世界人類の為めに、この日本に建設せられたのである。即ち日本が世界統一の使命を法華経から嘱托されたのである。
 区々の宗見学見を統一して、人の帰向處を一定するに就いて、いろいろの惑を決し、さまざまの滞り排はねばならぬ。標準を究めねばならぬ。旗章を鮮明にせねばならぬ。所謂「名教」として、人の心の目安を建てるの必要がある。真理奉行の契符を定めるのである。名を正し、體を定め、宗を決し、用を辨へ教を明かにする所の方法として、整々厳粛なる判釈を経て、的確明了に宗旨を祖述したのである。それは宗教の五綱と、宗旨の三秘とである。その至大公明なる宗教宗旨を名教して、閻浮統一の願業を貫かんといふのは、日月を掲げて六合を照さうというのと同じであるから、当然出来るのである。ただ雲さへ払ひ除ければ可いのである。雲とはその真理を信じない罪障をいふので、若し惑があって信じないとか、理屈があって伏せないとかいふものには、そのあらゆる疑網惑障を掴裂粉砕すべき金剛杵として、十二分の研鑽と回顧との余地を与へるため、開宣せられた三秘五綱の大教である。