本化聖典「三大秘法鈔」 (山川智應先生新釈虔述)

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         (一)

(本文)

 夫れ法華経第七神力品に云く、要を以て之を言はば、如来の一切の所有之法、如来一切の自在の神力、如来一切の秘要之蔵、如来一切の甚深之事、皆此経に於て宣示顕説す等云々。釈に曰く、経中の要説、要四事に在り等云々。

 問ふ、所説の要言之法とは何物ぞや。

 答て云く、夫れ釈尊成道の初めより四味三教乃至法華経の廣開三顕一の席を立て略開近顕遠を説かせ給ひし涌出品まで秘せさせ給し所の実成當初證得し給し寿量品の本尊と戒壇と題目の五字也。教主釈尊此秘法をば三世に隠れ無く、普賢文殊等にも譲り給はず、況や其以下をや。此秘法を説き給し儀式は、四味三教並びに法華経の迹門十四品に異なりき。所居の土は寂光本有の国土也。教主は本有無作の三身也。所化以て同體也。

 かかる砌りなれば、久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を、寂光大地の底よりはるばると召し出して付属し給ぬ。道暹律師云く法は之れ久成の法なるに由るが故に、久成の人に付す等云々。


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(解釈)

 夫れ法華経第七の神力品に云はれたのに、要領をとつて之を云ふならば、如来の懐抱したまふ一切の教義、如来の持ち給ふ自在なる一切の神通力、如来の秘要し給へる一切の法蔵、如来の実験師給へる甚深なる一切の事業は皆此法華経に於て宣べ示しし説き顕せりとある。天台大師の釈せられたのには、経の中には要領をとつて説かれてある。その要領は四の事項があると云はれている。

 問ふ。 この経と釈との中に説かれている要領をとつて示されたと云ふ法は、いかなる法なのでございませうか。

 答ふ。 夫れ、釈尊が三十にして無上正眞道を成就せられた始めから、華厳阿含方等般若の四味に蔵教通教別教の三教を説かせられた。乃至法華経の序品方便品より、安楽行品に到る迹門十四品に、廣く三乗の方便の門を開いて、一乗の真実相を顕はし給へる法座を立ちて、略して近成(釈尊が近く此世に於て三十の歳に佛の道を成就したまへりとの事)を破開して、遠成(釈尊は久遠五百塵點劫の昔に佛道を成就したる佛なりとの事)を顕示し給へる涌出品まで秘められてあった久遠実成佛の、その昔に修行し證り得給まひし處の、寿量品の本尊と戒壇と題目との五字である。教主釈迦牟尼佛はこの秘法をば三世に隠るる處なく普賢文殊等の諸の大菩薩にゆづり給まはず、ましてその以下のものに譲られるわけはない。

 この三大秘法をお説き遊ばされた儀式は、四味三教並に法華経迹門十四品とも違っていた。

 在しませし国土は、寂光本有の国土である。

 説き給ひし佛は、本有無作久遠三身常住の御佛である。化を受けし人々は皆この佛と同じく本有の弟子達である。かやうなみぎりであったから、本佛の賞揚し給へる本眷属の上行等の四菩薩を、寂光大地の底から遙々と召し出されて、御付属をせられた。道暹律師は法は之れ久遠実成佛の時の法であるから、又久遠実成佛の時からの弟子なる本化の菩薩に付属せられるのであると云はれた。

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         (二)


(解説)

 三大秘法抄は、弘安四年四月八日、三大檀越の一人、太田左衛門尉殿へ授けられた御書であります。古来本書の御真跡は富士の本門寺に伝へられたと云ふことだが、現在ではいづれへか失はれて了ひました。従ってこれまでの学者達で、この書を用いる人と、用いない人とがあります。有名な人では久遠成院日親上人の如きは、自ら書写せられて本書の意義を宣伝せられました。されば京都の本法寺には聖人自筆の写本さへあります。然し本門法華宗の開祖慶林坊日隆上人の如きは本書を擬作とせられて居ります。けれども自分共は本書の如き法義は、到底何人も偽作し得ないものだと信じます。

 本抄はかの弘安の元寇を迎へんとする時、その前年諫暁八幡抄に於て、日本の佛法まさに西を照すべしと預言せられたるについで、その西漸すべき大法の内容を提示せられたものでありまして、又本抄についで大日本衛護の本尊をお認めになって居ります。即ち八幡抄と本抄と衛護本尊とは、三つ相応じて戒壇国土なる我が日本を開顕せられた本国土妙法門の重要なる本典であります。詳しきことは日蓮聖人伝十講の第九講を参照して戴きたいのであります。


         (三)

 そこで只今解釈しました御本文は、本抄の序分に属するもので、先づ第一は経文と釈義とを以て三大秘法の根拠する處を示されたものであります。

 神力品は日蓮主義の学問の上では、別して上行菩薩に末法流通の大法をふぞくせられましたから、別付属の法門と申すのであります。そして今お引きになりました御文は、結要付属といって、一切の佛法を四の要義に結帰して上行菩薩に授けられたのであります。その四の要義とは、如来一切所有の法、如来一切自在の神力、如来一切秘要の蔵、如来一切甚深の事と云ふのであります。

 天台大師の解釈によりますれば、如来は一切諸法に通達して居られる。法あれば即ち名ありと云はれて、法はそのものの固有の性質が他のものと紛れなく存在している意味で、支那の字形で云へば、水偏に去を書く、即ち水は低に去ってゆく、其義から法の字を作ったので、一切事物には斯の如く固有の性質即法がありとすれば、その法を明めた佛の精神には、一切の法は一々に確然たる観念として把住せられている筈である。既に把住せられていれば、その異なった一々の観念に、名称がつかなければならない。そこで所有の法とは名を詮すと云ふのです。

 如来一切自在の神力とは佛の智慧と慈悲から出る、一切の物、及び心を自在に運用するところの力を云ふ。そこで天台では、これを妙の用と名付ける。

 如来一切秘要の蔵とは、真如の法理、一切諸法の中に深く蘊在して、佛の智慧によってその理が覚知せられ、佛の慈悲によって、一切の功徳がその中から発生する。そこで蔵と名付け、佛以外には見出せないから、秘要と名付けた。天台では、これを妙の體と釈する。

 如来一切甚深の事とは、佛がその真理を発見した智慧と功徳とは、即ち観念的活動と倫理的活動とを具へたもので、その活動を事と云ひ、その観念と倫理とが、徹底的に深遠であるから、甚深と云ふ。活動には、必ず動機と結果とがあるから、事必ず因果ありと釈せられてある。その因果は、如来の因果即ち佛因佛果であるから、宗教の実行面たる修行得果を意味する故に、天台は妙の宗と云はれてある。

 以上の四の要義は、妙の名、妙の用、妙の體、妙の宗を指すので、この四の要義を解いた経典が、妙法蓮華経であるから、これを妙の教と云ぬ。換言すれば、妙の教の中に、名、用、體、宗の四要義が具わっていると云ふ意味であります。

 そこで神力品のこの四句の要法は、釈迦牟尼佛が、滅後末法の一切衆生を救済すべき佛の使者として、上行菩薩を嘱累して、末法の導師と定められた時の付属の御言葉で、本佛の一切の財産を此の四句に結んで授けられたのであります。所が四句とありながら、天台大師は更に之を解釈して『経中の要説、要四事に在り。其の枢柄を撮って之を授与す。』と云はれてあります。其枢柄とは枢要なる柄握の義であって、最も肝要なつかまへ處である。佛の財産の一切が、名用體宗の四要義に既に結ばれてある。それを枢柄と云ったのだろうか。其四の中に、又更に枢柄があるのだらうか、甚だ明でない。甚だ幽遠な文字である。果してそれは何れであらうか。四要義が即ち枢柄だとすれば、御経文の通なので、別に天台の釈を待たないやうでもある。其では四の中に更に又枢柄があるとすれば、此文章では何が枢柄だかさっぱりわからぬ。佛教の幽玄なところは此処である。云ひ切らないで心を得たものには自らわかるやうにしてある。

 経論釋の文義は、新聞雑誌を読む考へで読んでは、金輪際わからないと私共の恩師が云はれるのは此処であります。此釈義の文だけでは何が枢柄だかわからぬ。天台大師、章安大師、智威尊者、慧威尊者、玄朗尊者迄は誰も明に其解釈はせられなかった。天台第六祖妙楽大師湛然尊者に至って始めて枢柄の解釈をせられた。『本迹各宗、用あり、二門の體即ち殊ならず、名此の(體、宗、用の)三に冠りて、而て三を総ぶ。一部の要豈此に過ぎんや、其枢柄を採って而て流通を成ず』と云はれた。之によれば名用體宗の四要義があるが、宗と用とは本迹二門その意義が相違する。然し體は同じ法性真如の理體で、本迹二門に依って異ならない。只其理を横に十界に亘って廣く見るか、縦に佛界に於て深く見るかの相違である。この體と用と宗との三を総べ繰りて冠らされたものが即ちその法の名前である。それだから四の要義を一層詮じつめれば名玄義の一に帰す。その名玄義が枢柄なのである。その枢柄をとって上行菩薩に授けて末法の流通に当てられたものであると云ふのが妙楽大師の解釈であります。

 此點から云へば末法に上行菩薩が出て、妙法蓮華経の五字の法を以て一切衆生を導くであらうとは、此妙楽の時から天台宗では決っている筈であります。けれども此妙楽の釈の中にも、末法と云ふ文字はありません。そこで意を得ない人には、それが末法の流通だと云ふ事も、題目の五字だと云ふ事も明にはわからなかったのであります。妙楽から道邃、行満の二弟子に伝へ、道邃行満から日本の伝教に伝はり、それから慈覚、慧亮、常済、惟尚、理仙、良源、源信、覚超、勝範、長豪、忠尋、皇覚、範源、俊範の十四代の中には不明であって、第十五の圓頓坊蓮長即日蓮聖人に至って四句要法の枢柄は題目の五字であり、上行菩薩は末法に此五字を以て流通せらると解せられたのである。それ故聖人は三沢抄に、『天台、妙楽、伝教、義眞等の大人師は知って而も御心の中に秘せさせ給ひし、口より外には出し給はず』と云はれたのであります。

 以上経文と釈義を解釈した處によれば、日蓮聖人の御眼より見れば、末法に上行菩薩の題目の流通は、明々赫々日月の如き確実なものであります。それ故先づ三大秘法を解釈するに当って、此の経と釈とを御出しになったのであります。

            (四)

 次にその神力品の付属の依って来る處、その四句の要法の依て来てる處、いかんとの問題を解釈すべく、次の問答が起されるのであります。

 先ず問の方に、要を以て説き示したと云ふ法、即ち神力品で上行菩薩に授けられた法其物は如何なる法でありますかと答を求められてあります。そこでその答に、夫れ釈迦牟尼佛が十九歳にして出家し、三十にして佛陀の悟を得られてから、華厳、阿含、方等、般若の四の時期、及びその四時に説き表はされた蔵教、通教、別教の三教の中に説かれていないのみでなく、法華経の中に来つても、始めの序品より、安楽行品第十四に至る迹門十四品の中には又説かれていない大法で、僅に従地涌出品に鋒鋩を示し、寿量品に於て始めて説き表はされた本因、本果、本国土の三妙を主としたる妙法で、之れ釈尊が五百塵點劫の久遠の昔、修行し、證得し給ひし本尊と戒壇と題目との五字なのであると示されてあります。此本尊、戒壇、題目の三と、本因、本果、本国土の三と、名、體、宗、用、の四句の要法との関係を図示すれば、下の如くであります。

  寿量品本尊・・・・・・・・・・本果妙・・・・・・・・・・神力品秘妙之蔵(妙體)
  寿量品戒壇・・・・・・・・・・本国土妙・・・・・・・・神力品自在神力(妙用)
  寿量品題目・・・・・・・・・・本因妙・・・・・・・・・・神力品甚深之事(妙宗)

本尊も、戒壇も、題目も悉く妙法蓮華経(妙名)の名に依て顕し示される。此の三大秘法が本佛の久遠の修行の法とし並びに得果の法として、又末代の一切衆生を救済すべき法として、霊山浄土に上行付属の法としての三意義を具している。即ち久遠の法、霊山付属の法、末法流通の法なのであります。久遠として法界常住の真理なる點に於て、超越的宗教の本拠となり、法華経の現文に示された霊山付属の法としては、実現の宗教の本拠となり、末法流通の法なる點に於て、内在的宗教の本拠となるのであります。而して末法の流通より云へば先づ甚深の事たり、妙の宗たり、本因妙たる題目より流通し始められ、次には秘妙の蔵たり、妙の體たり、本果妙たる本尊を顕はされ、終りに自在神力たり、妙の用たり、本国土妙たる戒壇が顕はされるので、日蓮聖人の一代の行化で云へば、佐渡以前は題目の化導、佐渡は本尊の顕発、身延は戒壇の準備である等、法門の約束整然として紊れざるものであります。

 偖てかかる寿量品の三大秘法は、教主釈尊何れの経にも説き示されない程であるから、その外に秘せられた處はない。即ち三世に隠れなく普賢文殊等の諸菩薩へは譲られてない。ましてそれ以下には譲られやう筈もない。その秘法を説き顕し、付属せられた時の儀式は、法華以前の経々及び迹門十四品には違っていた。三度土田を変じて八方三千三百萬億那由佗の国を変じて清浄ならしめ、更に十方世界を通じて一佛土としたる寂光本有の国土を説法の處とし(本国土妙)、教主釈尊は、久遠実成、本有三身の姿を示され(本果妙)、久遠本地の弟子たる上行等の菩薩を寂光土の底より召し出して付属せられた。此時法華経を聴きいし一切の四衆は皆本化の末葉となった(本因妙)、道暹律師は涌出品を釈して、法は既に久遠の法なるが故に、久遠の弟子に付属せられたのであると云ったのは、此寿量品の久遠の三大秘法を解釈したもので、道暹は即ち妙楽大師の直弟であります。

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            (五)

(本文)

 問て曰く、其の所属の法門佛の滅後に於ては何れの時に弘通し給ふ可きや。

 答へて云く経の第七薬王品に云く、後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て、断絶せしむことなけん等云々。謹んで経文を拝見し奉るに、佛の滅後正像二千年過ぎて、第五の五百歳刀杖堅固白法隠没の時等云々。

 問ふ、夫れ諸佛の慈悲は天月の如し、機縁の水澄めば利正の影をあまねく萬機の水にうつし給ふべきところに、正像末の三時の中に末法に限ると説き給ふは、正像末の三時の中に末法に限ると説き給ふは、教主釈尊の慈悲に於て、偏頗あるに似たり如何。

 答ふ、諸佛の和光利物の月影は、九法界の暗を照すと雖も、謗法一闡提の濁水には影をうつさず。正法一千年の機の前には、唯小乗権大乗相叶える叶へり。像法一千年には法華経の迹門機感相應ぜり。末法の始めの五百年には、法華経の本門の前後の十三品をおいて、唯寿量品の一品を弘通すべき時なり。機相應ぜり。今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳の機尚ほたへず、況や始めの五百年をや。如何に況や正法の機は迹門尚ほ日浅し、まして本門をや。末法に入っては爾前迹門は全く出離生死の法にあらず。但専ら本門寿量の一品に限って出離生死の要法なり。是を以て思ふに諸佛の化導に於て偏頗なし等云々。

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(解釈)

 問ふそれではその神力品で付属せられた處の四句の要法、寿量品の本尊と戒壇と題目の五字と云ふその法門は、釈迦佛の滅後に於ては、どういふ時代にお擴めになるのでございませうか。

 答ふ、法華経の第七巻薬王菩薩品第二十三にいはれてあるのによると、如来の滅後の後の五百歳の中に広宣流布して、閻浮提に於て断絶せしむることなけん、等云々とある。謹んで此の経文を拝見し奉ると滅後の後の五百歳とあるから、大集経に釈尊の滅後を五箇の五百歳に分たれてある。その最後の五百歳と思はれるから、この後の五百歳の中に広宣流布とあるのは、佛の滅後正法の一千年、像法の一千年、合せて二千年を過ぎた第五の五百歳、大集経に闘諍堅固と云て人々の心は凡て個我の競争に固まり、白法隠没と云て清浄善業の法は世の中の実際には自然に隠れ失はれてゆく、そういふ時代を指されたものであらふ。その時代以後はその法世に広まりて絶ゆることなく、必ず最後に諸の刀杖を鎮め、諸の善業を興隆せしむべきである。

 問ふ、夫れ諸佛の慈悲は天の月の如く一切衆生の機縁の水澄んだならば、衆生利益の圓かなる影を普く萬の機縁の水にお写しなさる筈であらう。それに佛の滅後正像末三時の中で末法に限ってその最大の秘法が行れると説かれてあるのは、さすがの教主釈尊の御慈悲にも御偏頗があられるやうに思はれる。如何のものでありませう。

 答ふ、諸佛の光を和らげて衆生を利益したまふ慈悲の月影は普く下地獄より上菩薩界に至る九法界の心の暗を照し給ふけれども、唯一の根本法なしと云ふ謗法の徒、常住三宝を信じ能はぬ一闡提信不具足のものの濁れる心の水にはその影をお写しになれない。宛もその様に佛の滅後の衆生にも女子の機根の相違がある。正法一千年の機の前には唯小乗経と権大乗経とが彼等の心にかなって弘通せられた。像法一千年には法華経の迹門の法門がその時の衆生の心機感激に相応している。末法の始めの五百年には法華経二十八品の中、本門の十四品、その本門の中でも始めの涌出品の一品、分別功徳品以後の十二品合して十三品を指しをいて唯如来寿量品の一品に秘められた法門を弘通すべき時である。衆生の機根とこの妙法とは病と薬の相応するが如くに相応ずる。今この本門寿量の一品は像法の後の五百歳の機類でも彼等は根本法なしと云ふ謗法の病を持ていないのだから此の寿量品の薬は強すぎて耐へない。まして像法の始めの五百年は尚ほさら耐へるわけがない。ましてそれ以前の正法時代の機類となれば法華経の迹門すら尚彼等の煩悩の病の日は浅くして入用はないのである。まして本門の法門は云ふまでもない。

 末法の時代に入ては法華経以前の諸経と法華経の迹門とは、衆生の謗法の病を除き去る力がない薬だから、全く生死を出で離れる法ではない。唯専ら本門寿量品一品の法門の薬に限って一切衆生が生死を出で離れる肝要の法の薬である。かくの如く思ひめぐらせば諸佛の化導はその機根の水の大小浅深に随て各々相応の月の影をお浮べになるのであるから、その御與へになる法こそは違っても衆生の煩悩を除き生死を離れしめやうと思召す御慈悲に於ては、全く少しの偏頗も在しまさぬものである。

           (六)

(解釈)

 本講の御文は、この前の講に於て経釈を引いて三大秘法の法門の根拠するところを示されたのに次でその上行菩薩に佛が付属せられた四句の要法、三秘の法門は如何なる時代に弘通せらるべきかと疑ふて、そは末法後五百歳の時より広まるべきものぞろ云ふことを示されたものであります。御文は反復して佛の慈悲の平等と、時代に随て弘通の法が異る所以を解れています。今はその御文の意義を少しく解釈しやうと思
ひます。

 第一の問の次に薬王品をあげて後五百歳中広宣流布の証拠にひかれてをります。その薬王品は上行付属を明された神力品とはどう関係するのであらうか、又薬王品そのものは、その終にも『この菩薩本事品を聞いて』等と書かれて一品の独立したやうな経典である。それに後五百歳広宣流布とあればその薬王品が後五百歳に行はれる意味になりはしないか。神力品に末法の為に上行菩薩に要法を付属せられたならば、なぜあからさまに末法流布をかの品に書かれて置かないのか。それが正しく書いてあれば誰も誤るものもないがそれが書いてないから、上行菩薩の末法弘通もよくわからず反て薬王菩薩の利益が後五百歳に行はれるやうにも見える。唯薬王菩薩品だけでなしに普賢菩薩勧發品にも後五百歳広宣流布とあって普賢菩薩の末法利益等といふことも考へられる。

 これは一体どうしたものであらうか。日蓮聖人の御見地よりすれば文殊普賢薬王観音等の諸菩薩は正法像法の利益であって末法の利益がない唯上行菩薩のみ末法を救はれるとあるのに、経文はその反対に神力品に末法の文がなく薬王品勧發品に反てその文がある。今ここでも神力品の付属の法門の弘通せられる時代を、薬王品を引いて證せられてあります。

 そこでなぜさう錯綜した矛盾したやうな解き方がせられてあるかと云ふと、それが唯の学問伝受の方法と佛法に於ける付属相承の方法との相違する所以であります。若しも神力品に末法の弘通を文上にあらはされ、薬王品勧發品に像法弘通のみが書かれてあったとすれば、何人でも上行菩薩の末法弘通を知り得られるのである。少しく変態心理の者があれば、わしが上行菩薩だなどと云て何事を為でさし言だすかわからない。そのやうなこともあれば、これ経文を冒Mしその尊厳を傷つけるものであります。かの我はメシヤ佛陀なりと称し或は我は救世長者なりと称て、或はアムパラバ大聖世尊と称するやうな人達も明治の世に出たのであるから、まして古の宗教の全盛の時代には何者が出るかわからない。彼等の自ら称する事柄が経文に預言せられてあったとすればそれはいかばかり滑稽な事であらうか。滑稽に暫く惜き、それはどんな人々を惑すかも知れない。それ故に経文はわざと幽遠にその義理を文字と組織との中に伏せて文上には露骨に書かれないのであります。現に前講の時に示した如く、経文に精通した如説修行の天台大師は、四句の要法を解釈して『枢柄』の二字を拈出し乍ら、何ものが枢柄なるかと明かさなかった。それを妙楽大師は枢柄とは名である、佛は上行菩薩に名を枢柄として、真理の體・宗・用とを授けたと書きながら、末法といふ事は一言も云はれない。これ等は皆浅露に解釈して心を得ざるものをして軽躁なる行動をなさざらしめんが為に秘せられたもので、唯よくその義にかなひその意に徹する人を得て自らその人に伝へられるのである。それを佛法では内証相承と云ふのであります。

 かくの如き理由が一面にあり又他の理由としては法華経は佛の滅後、三時理物の経と云て、正法にも像法にも末法にも通じて利益するやうに残されたのでありますから、ある部分は正法の為に書き、ある部分は像法の為に書き、ある部分は末法の為に書かれてあると云ったやうな事があって、いよいよ文句だけを見たのでは矛盾衝突するような處が多くあるのであります。

 今の不審を通ずれば神力品には末法と云ふ事は御文にありませんが、上行等の菩薩が何故に釈尊に召出されたかと云ふと、勧持品第十三の恐怖悪世中の弘通の為である。その恐怖悪世中を分別功徳品では悪世末法時と説き、不軽品では像法の末増上慢の比丘大勢力ありと説かれて、いづれも末法なる事を示されている。そこで大聖人は神力品の能滅衆生闇の字を謗法の大重病だと解せられて末法の機根を示したものとせられてある。この本門付属の深き心から見る時は薬王品並に勧發品にある後五百歳の言葉も、勧持品分別功徳品不軽品等の言葉と同じく皆上行菩薩弘通の時を指したものと解釈するのであります。かくの如く解釈せねば経文の血脈が通じない生きて踊り上って来ない。御経文は、その義と意とを解しないで、唯文の上のみを見たのでは誠に要領を得がたいものであります。けれども一度その義と意の底から拝見すれば、悠然として脈絡貫通し、生きて踊り上りその中から火花が出るやうな活発發地なものであります。天台大師も妙楽大師も伝教大師もこの活発發地の生きた佛の法身から、直に付属を受け来って薬王菩薩上行菩薩の自覚の上に偉大荘厳なる一生を礎きなされたのであります。

          (七)

 諸佛の慈悲は天月の如し、機縁の水すめば利生のかげを普く萬機の水にうつし給ふべき筈であるのに末法にのみ三大秘法の流布すべしといふは、教主釈尊の慈悲偏頗あるに似たり。といふのは第二の問である。これに対して大聖人は、佛の滅後の弘通は自らその時々の機根に応じて、小乗、権大乗、法華経の迹門、法華経の本門といふ風に進展することを以て答へられてあります。

 佛の御在世に既に一度小乗から権大乗、実大乗、迹門、本門と説かれたに係はらず、それが、滅後になると又再び小乗から広められねばならぬといふのは甚だ不思議な様に感ぜられねばなりません。それはなぜでありましょう。

 それについて教義のままに説きますれば佛の御在世に小乗から法華経までの教をうけた衆生は、先づ小乗に於いて阿羅漢様の悟りを開いた人達許りなのであります。それ故に諸々の大乗経には経の初めに『如是我聞一時佛住何某所、與大比丘衆、千二百五十人乃至一萬二千人倶。皆是阿羅漢』とあります。即ち大乗経が説かれたのは一般の印度人に対してではなくして、斯の如く阿羅漢果を得たる悟りの人々及びそれ以上の菩薩の心を起したる特殊の人々に対してであります。それ故に佛の滅後の一般の印度人の思想の進歩は、大乗経ではなくして小乗経に相応していたのであります。

 その小乗経にも経律論の三蔵があって各々発展の義門があり、有門、空門、非有非空門、亦有亦空門にわかれ、これを歴史事実とすれば上座部、大衆部より、乃至二十部の発展分裂を見せたのは約五百年即ち正法時代の上五百年であったのです。佛滅六百年代になっては、既に前代の小乗二十部の中、大乗に発達すべき幾多の法門を含んでいたのでありますからいよいよ大乗が流布される様になりました。それではその五百年の間大乗経典は何処に如何して伝へられて居たかといふと、それは大乗家の伝説によれば大乗の教徒たろ菩薩衆は雪山において転々して居たのであると申すのであります。六百年代から一千年代に至るまで印度は大乗経全盛の時代でありました。そして大乗経にも有門、空門、非有非空門、亦有亦空門等の発達があり、その中有門にたってこの四門を説くのは無着、天親、両菩薩の教系であって、空門に立ってこの四門を用いるのは龍樹、提婆良菩薩の教系であります。

 一千年代に至って佛教は支那に入り、約五百年を経るうちに小乗経、大乗経、乃至律蔵、論蔵の翻訳が終り、多くの宗々が起りました。その五百年の最後即ち像法の始めの五百年の終りに天台大師が出られて法華経の迹門によって一切の小乗経、所有大乗経を悉く総合し、天台法華宗の建設をせられたのであります。それ以後支那には玄奘三蔵の法相宗、法蔵大師の華厳宗、善導和尚の浄土宗、恵能禅師の禅宗、善無畏不空の真言宗等が皆この天台大師の影響を蒙らないものは一つもない、即ち迹門法華経の教理がこの時代の権威であったのであります。かくて上正像二千年すぎて末法の初めの五百年には法華経の寿量品の三大秘法の教義が一切衆生を救ふ様になるのであって、この正法、像法、末法の三つの時を通じて、教主大覚世尊の御智慧と御慈悲は一貫して、偏頗なく印度支那日本及び世界の一切衆生の頭の上を照ら給ふのであります。

          (八)

 問ふ。法華経は三時利物のお経といふことがこの前の講にありましたがあれは如何なることでありますか。
 答ふ。三時とは正法像法末法で、法華経はこの正法の中の、後の五百年のすべての大乗経が広まる時代に弘まるべき経でありますからその時にも衆生を利益すべき意味が具って居ねばなりません。云ひかへれば一般の大乗経典の一つとして伝へられる意味であります。第二には像法の時代を利益すべきお経として他の大乗経より最も勝れた義理をその文義の中に表はして居ねばなりません。第三には特に末法のために残される部分が書かれて居ねばならないのであります。か様に法華経は居大闇大乗経典として弘められ、総合大乗経典として弘められ、特殊大乗経典として弘められる。この三通りの意味があるのでありますから、それを三時普潤の経と申すのであります。これをば古来の宗学者は正法時代は『文の法華経』即ち法華経の皮が広まり、像法時代は『義の法華経』即ち法華経の肉が広まり、末法は『意の法華経』即ち法華経の骨髄が広まるものだといふのであります。

 法華経の中にこの法華経を読んで説の如くに修行すれば安楽世界の阿弥陀佛の所に生れるとか、兜率天の弥勒菩薩の所に生れるとか、刀利天に生れるとか、十方の佛の前に生れるとか云ふ風なことがいろいろ書かれてあります。是等は皆正法の後の五百年に印度に行はれた一般大乗思想の共通の教へなのであります。法華経もまたその大乗の一つとしてそれ等のことが書かれてあるのであります。又法華経には三乗を方便とし、一乗を真実として、小乗をば虚妄方便の教であると繰り返し繰り返し説かれてあります。又小乗では無餘涅槃に入れば身心共に寂滅に帰すると思って居るのに法華経では佛は五百塵點劫の昔より常住にして滅しないととかれてあります。これ共に小乗の経と佛とを破する大乗運動の主張の一つでありました。これ正法における法華経の利益であります。併しながら諸の大乗経と共に小乗を破するのが法華経の特色ではなかったのです。

 その当時の龍樹菩薩は法華経を以て般若経に勝れた経とし、阿羅漢の成佛は法華経の秘密大乗の外他の経の及ばざる所であるとし、天親菩薩は法華経には無上の佛種を含める一乗あり、寿量品の久遠の成佛は眞の無上佛道を成就せる佛なりと説かれてあります。かくの如き両菩薩の見方は像法時代の大乗中の実大乗としての法華経を暗示したものであります。次ぎに像法利益の法華経としては、大乗経中の大王経典、総合的佛教としての特色でありまして、法華経の方便品の開顕の教義、法師品における已、今、當、最第一の説、薬王品における十喩の尊勝等は皆その所據であって天台大師の一念三千の法門は二乗作佛より出発して無上の佛種無上の佛を詮し出したものであります。斯くの如きは像法時代の利益であります。

 更に上行菩薩の出現から神力品の付属に至るまでの御文は専ら末法の利益を示したもので、その中に三大秘法、上行所伝、折伏逆化等の法門が含められてあるのであります。これ法華経の文の末法における利益であります。か様に三時普潤の経なることを弁へないで、徒らに御文に臨む時は矛盾する所が多い様に思ふのであります。若し正法時代の眼を以てこの経を見れば一般大乗と代りなく、像法時代の眼を以てこの経を見れば一切大乗の総括所であり、末法の眼を以てこの経を見れば本門大法弘通の預言書であります。三時利物の経といふ事は以上で少しはお解りになったでせう。

         (九)

 問ふ。本鈔の御本文の中に『法華経の本門の前後十三品をおいて、唯寿量品の一品を弘通すべき時なり』とあります。これによれば末法は法華経の本門といっても唯寿量品の一品だけの利益の様に思はれます。如何のことでせう。

 答ふ。それは今この経では三大秘法の所據を本門の寿量品なりと立てられて、寿量品の三大秘法をば末法の一切衆生の生死を出離すべき大法としてお弘めになるのでありますから、その所據としての寿量品を取り分け寿量の一品と示されたのであります。寿量品の御経文そのもののことではないのであります。でなければ他の御書の中に『餘経も法華経も詮なし唯南無妙法蓮華経なるべし』だの、『法華経の文字はあれども衆生の病の薬とはならず』と末法時代を指し示されたのとは矛盾することになるのであります。即ちこの鈔に寿量の一品とあるのは三秘の所依として特に仰せらるるものと見て初めてよく通ずることが出来るのであります。

          (十)

(本文)

 問ふ。佛の滅後正像末法の三時に於いて、本化迹化の各々の付属分明也。寿量の一品に限って、末法濁悪の衆生のためなりと云へる経文、未だ分明ならず、慥に経の現文を聞んと思ふ如何。

 答ふ、汝強ちに之を問ふ、聞いて後に堅く信を取るべきなり。所謂、寿量品に云く、是の好き良薬を、今留めて此に在く。汝取って服すべし。差じと憂ふること勿れ等云々。

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(解釈)

 問ふ。佛の御入滅の後正法像法末法の三時代に渡りて、正法は小乗権大乗の聖者、像法は法華経迹門の聖者、末法は法華経本門の聖者に対して、佛は或は小乗、或は権大乗、或は法華経の迹門、或は法華経の本門を、各々人と法と相応すべく其の弘通を付属せられたことは分明であります。但し寿量品の一品に限りて、末法濁悪の衆生の為であると言はれました御経文未だ明かでありませぬ。慥かに御経の現文を承れば、愈々信心を増すことであらうと存じます。如何でございませう。

 答ふ。御身強ちに是れを問はるる。さらば聞かれた後は堅く信仰を持たるべきである。偖て其の證文とは所謂寿量品に『是の好き良薬を今留めて此に在く。汝取って服すべし。病差えじと憂ふること勿れ』とある御文こそ其の證文である。

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         (十一)

(解説)

 今の御文までの内に、神力品の四句の要法は、寿量品の経文の底に秘し沈められたる本尊と戒壇と題目との三つの法門を上行菩薩に授けられたものなること、其の授けられたる法は、末法の為なること、言ひ換へれば末法には、法華経の本門寿量品に限りて、生死を出離すべき最要の法なることが示されてある。そこで今の文では、其の寿量の一品に限りて末法の為ぞと示された経文は、何れにあるかと問はるるのであります。其れは上の御文には四句の要法の経文をあげられてありますが、其の四句の要法の実體は、寿量品の秘法であると釈せられながら、其の御文が示されてないから此に是れを詮し出されるのであります。此の如く経の拠り處を糾し出すことは、源と『経によって宗を定め』『経によって解を開く』ところの佛教の定まれる掟であって、其の根拠が正しくなければ、其の宗は誤れる宗、其の解は邪の解であります。

 そこで斯のごとき宗旨の所依とする経文は、宗祖の長く深き體験から発揮せられたもので、随ってなかなか軽々しうは示されないのであります。此の御書は聖人入滅前一年の佛誕会に、後の弟子等の為めに残されて宗旨の本要を盡されたものでありますから、その秘蔵を開いて、寿量品の三大秘法の依文の一つを挙げられたものであります。

          (十二)

 仍で、此の『是の好き良薬を、今留めて此に在く、差じと憂ふること勿れ』といふ御文は、寿量品の長行(即ち経の散文)の中の譬説とて、たとへを以て説かれた御文の一部で、久遠の本佛を良医にたとへ、一切衆生をその子にたとへ、本佛の父の不在中に、子等無明の毒薬を飲みて、その為めに病みみ悩める時、本佛の父は帰り来たりて、子等が苦しみ悩めるを見て、色も香も味も美はしく皆悉く完備せる薬草を求め、擣き篩ひ和合ぜて、子等に與へたるに、その子の中に、佛より受けし本心を失はなかったものは、その薬を飲みて、病悉く癒え、本に良医即ち本佛の子として、佛の身を受けつぐに至りましたが、その本心を失ひたるものは、その薬をよろこばずして之を飲まない。のみならずその薬を美からぬ薬だとおもふ。本佛の良医は、之を憐れみ、方便もてこの薬を飲ましめやうとて、子等に諭して、『汝等はよく聞かねばならぬぞ。俺は老い衰へて死ぬ時が近づいた。ついては此の好き良薬を俺のかはりに今留めて此に在いて置くぞ。汝等は之を取って飲めば、きっと病は癒るから心配には及ばぬぞ』と遺言して、また他の国へ身を隠し、使をつかはして、子等に告げしめるには、父君は既にお逝れになった。最早この世にはおいでになりません。早くその色も香も味も美はしき薬を飲みて、病を癒したまへと教へられ、はじめて父なきわびしさを感じ、遺言によって其の薬を飲みて、病の全癒を得るといふ。その中の句であります。『是の好き良薬』とあるのが、寿量品の名體宗用教を具足した妙法蓮華経の本法であると、「観心本尊抄」に示されてあります。この名體宗用教といふことが、取りも直さず寿量品の譬への色香美味是好良薬といふことなのであります。

 それは「御義口伝」の寿量品の下の大聖の御教へによりますと、色は本門の戒、香は本門の定、味は本門の慧であると仰せられてありますから、即ち戒壇、本尊、題目の三であります。また之を神力品の四句の要法に較べますれば、如来一切所有之法は名玄義で妙法蓮華経の五字、如来一切自在神力は用玄義で本門の戒壇、如来一切秘要之蔵は體玄義で本門の本尊、如来一切甚深之事は宗玄義で本門の題目、皆於此経宣示顕説は教玄義で五字の教法であります。

          (十三)

 そこで大聖人がお引きになりました此の『是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差』の経文は、失心者即ち本心を失へる子に対する教へなのであります。その本心を失へるとは、どういう事かといひますと、釈迦佛の在世に此の色香美味の好良薬たる法華経を受けず飲まなかったものでも、彼時に此の法華経に縁を触れて居るならば、設へ成佛するまでに修行せずとも、それが種となって、正法、または像法に、小乗、権大乗、又は法華経の迹門を縁として、佛種を熟せしめて、得脱するのであります。然るに彼の時に法華経の縁をふれなかったものは、本佛から久遠にたまった佛種を失ったものなのであります。この佛種を失ったものが即ち正像にも救われなかった末法の衆生なのであります。その末法の衆生に対して、此の妙法五字の要法たる是好良薬がまことの救護の法となるので、これを下種の大法とも佛種の教とも申すのであります。

 此のお挙げになった御経文は、『是好良薬』とは妙法五字、今留めてとは、末法に留めたまふ事、『此に在く』とある此とは一閻浮提、『取って服すべし』とは、取るとは信を取るの意、服すべしとは修行の意、『差ゆる』とは即身成佛の義でありまして、此のことを『使を遣はして還り告げしむ』とあるは、本化上行菩薩に付属して、末法の大導師として、出でしめたまふことを指されたと示されてあります。

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          (十四)

(本文)


 問うて云く、寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加ふべからず、然りと雖も三大秘法其體如何。

 答て云く予が己心の大事之に如かず、汝志無二なれば少し之を言はん。寿量品に建立する所の本尊は五百塵點の当初以来此の土有縁深厚、本有無作三身教主釈尊なり。寿量品に云く如来秘密神通之力等云々。疏の九に云く、一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密と為す、又昔より説かざる所を名づけて秘と為し、唯佛のみ知るを名づけて密と為す、佛三世において等しく三身あり、諸教の中に於て之を秘して伝へず等云々。

(解釈)

 問うて云ふ。寿量品が、専ら末法濁悪の世界に限るといふ経文の意味お説の如く明かなる上は、その以上に凡夫の私達の問難の義勢を加ふべきでは御座いませぬ。然しながら、三大秘法といはれましたその各々の法門の體相は如何で御座いまするか、お教へを頂きたい。

 答へて云ふ。わが己心に秘めおいた大事の法門はこれの外はない。お身の志は唯尊き法を求めたいといふ外に何ものもない純粋の信仰であるから少し計りその大事の法門を話さうと思ふ。抑々寿量品の淵底の法門によって建立する所の御本尊は、五百塵點劫のその初め釈尊真実成道のその時からこのかた、この娑婆世界に世々番々に出没して、常に衆生成佛の化導を少しもお休みにならない、恩徳大縁、深厚なる本有無作の三身におはします教主釈尊であられる。そのことをば寿量品の経文には、如来秘密神通之力等といはれてある。天台大師「法華文句」の九に解釈せられて、一身が即三身であることを名づけて秘といひ、三身が即一身であることを名づけて密といふ。また法華経以前殊に寿量品以前には曾つて説き現はさなかったのを名づけて秘といひ、お説きにならなくっても、しかも唯佛さまお一人は御自身でおわかりになっている。所詮、真実の佛さまは過去、現在、未来の三世にわたりて、等しく三身を備へて居られる。その事をばこの寿量品以外の権迹の諸経においては、これを秘してお伝へにならなかったと釈してをられる。

          (十五)

(解説)

 ここに講じまする御文以下が、正しく三大秘法の法體をお示しになった正宗中の正宗と申すべき御文でありまう。この御文以前において、神力品で上行菩薩に御付属せられましたる寿量品の三大秘法の法門は、専ら末法濁悪世の一切衆生をお救ひになるべき是好良薬であるといふことが、経文の義理に明かに現はれて居ることがわかりましたから、そこでこの問答では、三大秘法といふ法門の実體と行相等をお現はしになるのであります。

 問の中に、経門顕然なる上はと仰せられてありますが、この御文の上だけでは是好良薬以下の十六字許りであって、普通の考へでは決して顕然ではないのであります。それを、か様にかかれましたのは前回に是好良薬、色香美味の文と、神力品の四句の要法とを五重玄義に配当して示したが如く、義を以て解釈すれば洵に動かすべからざる明かな證文となるのであります。それ故に最はや凡夫の憶測の疑問は加ふべきではないから、直ちにその法門の體相を問ふことになっているのであります。

 お答への中に、『予が己心の大事これに如かず、汝志無二なれば、少しこれを云はん』とありますのは、総じて三大秘法の體相を示すことをおゆるしになったお肯定の御言葉で、その以下は、別して三大秘法の各々を御解釈せられるのであります。総じてのお答の中に『予が己心の大事これに如かず』といはれてあります。その己心とは如何なる御心であらうか、雑作なく申せば、それは日蓮聖人の御自身の御心であります。その御自身の御心にもさまざまの方面が御ありになる。例へば弟子檀方等の順縁の人々に対しての憐愍の御心、権迹の法敵等逆縁の人々に対する慈増折伏の御心などもありますが、それらの化他応用の御心でない、自行即化他、化他即自行の所行の法體に関する内證の御悟りの心、それを今己心と仰せられたのであります。即ち内證の御悟りの中で第一の大事でおありになるのであります。

 それは日蓮聖人の真実の御価値は上行菩薩としての御自覚であり、その上行菩薩が末法のお出ましにんるといふ最大必要は、神力品の付属をうけて寿量品の三大秘法をお弘めになるといふことにあります。三類の強敵を忍ぶ折伏の大御弘通、六難九易の大難事の突破も、畢竟して末法の一切衆生の心中にこの三大秘法の妙法妙義、妙信妙行をうち立てるための、開墾事業に外ならぬのであります。『己心の大事これに如かず』との仰せは全くその意味でありましょう。

          (十六)

 お答への中の別して三大秘法の一々の體相をお示しになる第一に本門の本尊の體相がとかれてあります。御文に『寿量品に建立する所の本尊は』と仰せられてありますのは、寿量品の経文の文の底に現はされた深遠なる本門の妙義によって建立し奉る本尊といふほどの意味であらうと拝見するのであります。その寿量品建立といふことをその御文の下にお示しになってあります。この下の御言葉は、二段に拝見しなければならないと思はれます。

 第一段は、『五百塵點その上よりこのかた、この土有縁深厚』と仰せられたみ言葉で、これは寿量品の経文の上にありありと仰せになってある所で御座います。

 第二段のは『本有無作三身』と云ふことでありまして、これは寿量品の経文の底に沈められたる結局の眞意義を言ひあらはされたもので、五百塵點と云ひ、有縁深厚と云ふのは『教』に約しての法門であり、本有無作三身と云ふのは『観』に約しての法門であり、能詮と所詮とを併せ挙げて、寿量品の教主たる釈迦牟尼佛の資格を御定めになり、其れを本門本尊の法體とせられたのであります。其の本佛の體用具足の実體を、寿量品に如来秘密神通之力と言はれたのでありますから、天台大師の法華文句の九には如来秘密の二字を三重にときわけられてあります。

 先ず初めの秘密とは、三身即一の義理を以て秘密とせられてあります。其の文は此の處の文句の釈に、一身が即三身で有ると云ふことを秘と名づける、三身が其のまま一身であるのを密と名づけると云ふのが此の釈の三義の中の第一の義であります。

 又爾前経並びに法華経の迹門でも本佛の久遠実成無始常住と云ふことは、未だとかなかったのを名づけて秘と言ひ、而も佛の内證では自ら其れを知って居られるのを名づけて密と言ふと云ふのは第二の義であります。

 佛が繰り返し繰り返し三世に於て何時でも法報應の三身を御そなへになっていらっしゃるのを、爾前迹門の諸経の中に於ては之を秘して御伝へにならなかったと云ふのは第三の義であります。

 此の第三の義は上の第一第二の義を一括して仰せられたもので、下の二句は上の第二の義を結論せられたものであります。其の第一の義の一身即三身だと云ふことは、法報應三身の中のどの一身でも常に其の裏には二身を具してをるものであるが、各々法身は法身、報身は報身、應身は應身と一身の如くに見えてをります。其れを秘と云ふのであり、又一面には三身が一身の中に緻密に含められてをります。其れを第三段では佛は三世に於て等しく三身ありと結ばれて居ります。昔よりとかない所、唯佛のみ知る所を名づけて密と言ふとありますのは、第三段では諸経の中に於て之を秘して伝へずにいたと云ふ御言葉の中に結ばれるのであります。即ち第三は天台大師自ら第一第二の略説を重ねて結文とせられたものであります。

          (十七)

 此の本門の本尊の御解釈は、実に法華経の冲微に属することでありまして、なかなか私共が是の如しと定解することはできないのであります。然しながら御文の文義に随順しまして、その詮する所の本意を拝推しまするときは、僅々の御文字の中に、実にあらゆる宗教宗義に超越したる、深遠偉大なる佛身観を拝することができるのであります。

 前講にも申しましたやうに、『寿量品に建立する所の本尊』といふより『教主釈尊』に至るまでの間に、能詮の『教相』に約しては、『五百塵點の當初よりこのかた、此の土有縁深厚』と仰せられ、所詮の『観心』に約しては『本有無作三身』と仰せられ、能詮所詮あはせあげて、其の能説の主にむすび『教主釈尊』と仰せられてあります。

 一切経にかって説かれざる五百塵點劫の當初の実成佛、これすでに一切経中の最も尊貴なる相貌を説かれた佛であります。大日如来も薬師如来も阿弥陀如来も、其の他の如何なる佛も、此の寿量品の佛にまさる相貌は説かれてありませぬ。その久遠実成の佛が、他所の国の佛でなく、此の娑婆世界で成佛せられた佛である。単に五百塵點劫の前、此の娑婆世界で成佛せられただけではなく、それよりこのかた、世々番々に出没教化して、未だかって休まれたことがない。ただに佛の身を示して教へらるるのみでなく、菩薩以下九界の身を示しても教へらるるのである。其の慈悲深重なる恩徳功徳は、如何なる佛菩薩も、此の佛に及ぶものはない、いやしくも娑婆世界の衆生たるものは、どうして此の佛を忘れることができる。此の土の一切衆生は五百塵點の當初よりこのかた、一人ももれず此の如来の子である、此の法王の臣である、此の佛の弟子である。かかるやんごとなき三徳深重の大恩を忘れて、此の佛を知らざるものは、佛教における不孝不忠不弟の不知恩者といはねばならぬ。大聖人は「開目鈔」に、諸宗の者が本尊に惑へるlことを破して、左の如く仰せられて居るのであります。
 
 天台宗ヨリ外ノ諸宗、本尊ニマドヘリ。倶舎、成実、律宗ハ、三十四断心結成道ノ釈尊ヲ本尊トセリ。天尊(天皇ノコト)ノ太子、迷惑シテ我ガ身ハ民ノ子トオモフガ如シ。華厳宗、真言宗、三論宗、法相宗等ノ四宗ハ大乗ノ宗ナリ。法相三論ハ勝應身ニ似タル佛ヲ本尊トス、天皇ノ太子、我ガ父ハ侍トオモフガゴトシ。華厳宗、真言宗ハ、釈尊ヲ下テ盧舎那、大日等ヲ本尊トサダム。天子タル父ヲ下シ、種姓モナキモノノ法王ノゴトケナルニツケリ。浄土宗ハ釈迦ノ分身ノ阿弥陀佛ヲ有縁ノ佛トオモヒテ、教主ヲステタリ。禅宗ハ下賤ノモノ一分ノ徳アテ、父母ヲサグルガゴトシ、佛ヲ下ゲ教ヲ下ス。此レ皆本尊ニ迷ヘリ。例セバ三皇以前ニ父ヲ知ラズ、人皆禽獣ニ同ゼシガ如シ。寿量品ヲ知ラザル諸宗ノ者畜ニ同ジ、不知恩ノ者ナリ。故ニ妙楽云ク、一代ノ教ノ中ニ、未ダ嘗ニ遠ヲ顕サズ。父母ノ壽知ラズンバアルベカラズ。若シ父ノ壽ノ遠キコトヲ知ラズンバ、復タ父統ノ邦ニ迷フ。徒ラニ才能ト謂ホトモ、全ク人ノ子ニアラズ等云々。妙楽大師ハ唐ノ末、天寶年中ノ人ナリ。三論、華厳、法相等ノ諸宗並ニ依経ヲ深ク見、廣ク勘ヘテ、寿量品ノ佛ヲ知ラザル者ハ、父統ノ邦ニ迷ヘル才能アル畜生ト書ケルナリ。徒謂才能トハ、華厳宗ノ法蔵澄観、乃至真言宗ノ善無畏三蔵等ハ才能ノ人師(ナレドモ)、子ノ父ヲ知ラザルガゴトシ。

 此れ寿量品の教相によって、諸宗を成敗せられたのであります。而して此の能詮の教相たる五百塵點劫以前の成佛、それよりこのかた世々番々の教化即ち三世益物の利益、この中に此の寿量の佛の報身中心の三身即一と、應身中心の三身即一とがあらはれて居ります。

 『五百塵點の當初』といふのは本地の三身を、獲得せられたるその時を示されたものであります。三身の中では自受用報身を中心とするのであります。『當初よりこのかた此の土有縁深厚』と仰せられたなは、本地の三身の中の應身から、世々番々の法報應三身の化導を開かれることを申されたのであって、即ち、久遠以来の應身常住の意味であります。さて此の五百塵點久遠の教相を能詮として、その教相の詮する所の意義をさぐりいだせば、五百塵點は畢竟して、無始の久遠を象徴したものであって、久遠実成佛とは、無始本有の三身といふことになるのであります。それを「観心本尊抄」には

 寿量品ニ云ク、然我成佛已来、无量无辺百千萬億那由佗劫等云々。我等ガ己心ノ釈尊ハ、五百塵點乃至所顕ノ三身ニシテ無始ノ古佛ナリ。

と仰せられたのであります。それをば此の三大秘法鈔の御文では、所詮に約して『本有無作三身ナリ』といはれたのであります。此の本有無作三身といふのは、三身常住の中でも、法身中心に見たものでありまして、この中には我等一切衆生も悉くはいるのでございます。寿量品の御義口伝に、『我実成佛已来无量无辺』等の経文を釈せられて、

 「我」トハ釈尊久遠実成道ナリトイフコトヲ説カレタリ。然リトイヘドモ當品ノ意ハ「我」トハ法界ノ衆生ナリ。十界己々ヲ指シテ「我」トハイフナリ、「実」トハ無作三身ノ佛ナリト定メタリ。此レヲ「実」トハイフナリ。「成」トハ能成所成ナリ。「成」トハ開ク義ナリ、法界ヲ無作三身ノ佛ナリト開キタリ。「佛」トハ此ヲ覚知スルヲイフナリ。「已」トハ過去ナリ。「來」トハ未来ナリ。「已」ト「來」トノ言ノ中ニ、現在ハアルナリ。我実ト成(ヒラ)ケタル佛ニシテ、已モ來モ无量ナリ无辺ナリ、百界千如一念三千ト説カレタリ。百千ノ二字ハ百ハ百界、千ハ千如ナリ。此レ即チ事ノ一念三千ナリ。今日蓮等ノ類、南無妙法蓮華経ト唱ヘ奉ルモノハ寿量品ノ本主ナリ 。

と仰せられてある。此の一切衆生をこめたる本有無作三身の意味であります。

 即ち此の御書の『寿量品ニ建立スル所ノ本尊ハ、五百塵點ノ當初ヨリコノカタ、此ノ土有縁深厚本有無作三身』とある御言の中に、寿量品の所説の能詮所詮、報身中心(報中論三)應身中心(應中論三)法身中心(法中論三)の三の常住が含められて、本門における不縦不横真実円満の三身常住、三身即一を示されたものであります。而して是の如き本門の三身常住、三身即一の佛は、此れをその能説に約すれば、正しく印度に出でさせ給へる教主釈尊に就いてあらはされたのであります。故に以上を総括した下に『教主釈尊ナリ』と仰せられてございます。その表現の僅々二十五字にして、而も此の高大円満なる教義を蔵められてあることは、実に尋常義学者流の到底及ばざる所であります。本鈔を拝読する人は、すべからく、深遠なる教義の包蔵に留意して、軽々に拝読することなく、沈潜反覆して、其の深義を信解し奉るべきであります。以下天台大師の釈義については、前講に略解しておきましたから読者諸子の研鑽にまかせておきます。

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          (十八)

(本文)

 題目とは二意あり、謂ゆる正像と末法となり。正法には天親菩薩、龍樹菩薩、題目を唱へさせたまひしかども、自行ばかりにして、さて止みぬ。像法には南岳、天台、また題目ばかり、南無妙法蓮華経と唱へたまひて、自行の為にして、廣く他の為めに説かず。これ理行の題目なり。

 末法に入って今日蓮が唱ふるところの題目は、前代に異り、自行化他に亙りて南無妙法蓮華経なり。名體宗用教の五重玄の五字なり。
 

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(解釈)

 題目といふものには、二つの意がある。謂ゆる正法と像法との二つの時代の題目と、末法時代の題目とは、その修業の意が違ふのである。佛の御入滅一千年までの間、即ちに正法の時代では、天親菩薩、龍樹菩薩、ともに法華経の題目を唱へたまうたけれども、自身の修行ばかりで、そのままであった。佛滅後一千年から二千年までの像法時代には、南岳恵思大師、天台智大師の二人の正師は、また天親菩薩や龍樹菩薩のように、題目ばかり南無妙法蓮華経と唱へられたけれども、やはり自身の内証の修行ばかりにして、他人を教化する為めには、廣く此の修行法を説かれなかった。これは各自の己心の中で、諸法実相の理を念ずる理行の題目である。

 佛滅後二千年すぎて後の末法の時代に入りて、今日蓮が唱へ出したところの題目は、前の正法と像法との二時代の題目とは違って、自身の修行の為めにも、廣く他人を教化する為にも、通じて唯この南無妙法蓮華経の七字のみである。この七字は、ただに法華経の題目だといふのみでない。その名の中に、諸法実相の「體」も、佛乗因果の「宗」も、断疑生信の「用」も、醍醐正主の「教」も、ともに悉く具備したところの、名體宗用教の五重玄義の題目五字である。

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(解説)

 題目といふものには、二つの意がある。謂ゆる正法と像法との二つの時代の題目と、末法時代の題目とは、その修業の意が違ふのである。佛の御入滅一千年までの間、即ちに正法の時代では、天親菩薩、龍樹菩薩、ともに法華経の題目を唱へたまうたけれども、自身の修行ばかりで、そのままであった。佛滅後一千年から二千年までの像法時代には、南岳恵思大師、天台智大師の二人の正師は、また天親菩薩や龍樹菩薩のように、題目ばかり南無妙法蓮華経と唱へられたけれども、やはり自身の内証の修行ばかりにして、他人を教化する為めには、廣く此の修行法を説かれなかった。これは各自の己心の中で、諸法実相の理を念ずる理行の題目である。

 佛滅後二千年すぎて後の末法の時代に入りて、今日蓮が唱へ出したところの題目は、前の正法と像法との二時代の題目とは違って、自身の修行の為めにも、廣く他人を教化する為にも、通じて唯この南無妙法蓮華経の七字のみである。この七字は、ただに法華経の題目だといふのみでない。その名の中に、諸法実相の「體」も、佛乗因果の「宗」も、断疑生信の「用」も、醍醐正主の「教」も、ともに悉く具備したところの、名體宗用教の五重玄義の題目五字である。

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          (十九)

 此の節は、三大秘法の中で、第二に本門の題目を明されたのであります。

 はじめに題目とは二意ありと仰せられましたのは、本尊としての久遠実成本有三身の教主釈尊も、閻浮同帰の本門の戒壇も、ともに前代未聞のものでありますけれども、南無妙法蓮華経の題目を唱へることは、かならずしも始めてのものではない。そこで題目の條下では、まづそれをおことはりになるのであります。

 正法時代、像法時代の題目と、末法時代の題目と、ともに同じく南無妙法蓮華経と唱へることではある。けれども其のこれを唱へる意義が違ふのである。正法、像法に、天親菩薩や、龍樹菩薩が唱へた題目も、南岳大師や、天台大師が唱へた題目も、ともに第一には自身の修行としてのみ唱へた。廣く他人を教化する目標の法としては弘めなかった。即ち顕はに表面に表はれないところの行法であった。声によりて廣く他に聴かしめる題目でなくて、心に念じ自身の修行にのみひそかに唱へて居る題目であった。意念の題目であり、自行の題目であった。その點からいふと、それは理行の題目である。

 然るに末法時代に入りて、今日蓮が唱へるところの題目は、ただ自身の修行なのではない。廣く他人を教化する唯一の目標として弘めるところの題目である。声によりて萬人にひとしく聴かしめる題目である。意念の題目でなくて、口唱本位の題目である。自行の題目でなくて、自行化他一體の題目である。すなはち事行の題目である。その事行の題目は、法華経といふ経の名としての題目でなくて、その名の中に、法華経本迹二門に説くところの、法體宗旨行益教義を悉く具へて居る名體宗用教一體具足、五重玄義の題目であるとの意を述べられたのであります。即ち過去の時代にあった題目とは違ふぞと、特に差別を示されたのであります。

 然るに世には、無学無識にして、利巧がる一類の世智慢の徒がありまして、妙法蓮華経といふのは経典の名である。その経典の名へ南無といふ帰命語を加へるといふのは、如何にも変てこなはなしである。南無阿弥陀佛といふ六字の念佛称名が大流行であったから、それの向ふを張って、南無妙法蓮華経などとあてこんだものであらう。例へば南無孔子とはいへても、南無論語とはいへないではないか、といふような事を云て有りがたがって居るものもありました。それのみでなく、松浦隠居の「甲子夜話」には、霊鷲院日審が、仙洞御所に、南無妙法蓮華経の七字の御染筆をお願ひしたけれども、妙法蓮華経の五字しかお書きくださらない。二度もさうであったから、三度目に、どうか是非とも七字をお願ひいたしたいと嘆願したら、御所から、それでは南無妙法蓮華経と七字のそろって居る経論釈を出してささげよとあったから、とうとうお答へが出来なくて、泣き寝入りになったといふ小話がある。これもまた南無妙法蓮華経の七字の唱題は、前例がなく、日蓮が勝手にこさへたものだといふ證に引いた捏造話であります。

 先づ法華経の文を以ていへば、陀羅尼品には、『擁護受持法華名者福不可量』とある。法華の名を受持する者を擁護すればとあるのは、受持題目の行者あること必然である。次ぎに論文には、天親菩薩の「法華論」中に、帰依三寶の文がある。三寶中の法寶帰依は南無妙法蓮華経たることこれまた必然である。龍樹菩薩の「大論」には、法華経を最秘密の経なりとして居る。菩薩にもまた「法華論」があったといふから、その帰依法ありしことは必然である。南岳大師の「法華讖儀」にも南無妙法蓮華経の文あり、殊に天台大師の「法華三昧」には、明に学行法の中の、帰依法中に、南無妙法蓮華経の唱題を為すべきことを説かれて居ります。かかる正確なる根拠あることをも辨へずして、日蓮が念佛の流行に向ふをはって、経典の上へくっつけたのだなどといふやうなことは、たまたま自己の無学無識と軽佻浮薄とを、自ら露證したにすぎないので、まことに憐れむに堪へたはなしであります。

          (二十)

 そこで自行ばかりの唱題と、自行化他に亙りての唱題といふことを考へて見やうとおもひます。

 自行ばかりといふのは、どういふことでありませうか?と尋ねますると、自身の内証においては、此の法を以て、佛滅後の最上妙法と信ずるがゆえに之を唱へ、而も当時の衆生は、いまだその法を受くるの機でなく、また要求する時でないから、廣く彼等衆生の為めには、題目の妙行は伝へないで、他の念佛等の法を伝へることをいふのであります。それゆえ自行とは、自内証の行といふほどの意味であります。

 此の自内証の行を、なぜ理行といふのであるかといひますと、理行とは事行に対する語であります。事とは顕露彰灼で、直に見て分つべきものをいひ、理とは、隠約潜在して、外部から見ては顕はでないのをいふのであります。また理行とは観心行であり、事行とは教相行であります。理行は心性の理、実相の理を詮とする行であります。この場合の題目は、これ我が心性の理なり、これ実相の理なりとして唱へるのであます。それには先づ心性の理を観じ知ること、実相の理を詮じ知ることを要します。即ち観心、観法の上から唱へる題目でありますから、どうしても自行に止まるのであります。

 然るに事行とは、教相の事、佛界の事に基くところの行であります。この題目は、無上の醍醐末法救護の妙法として、色香美味皆悉く具足せる「是好良薬」と譬へられた五重玄義具足の、上行所伝の妙法であります。釈尊の因行果徳といふ佛界の事の功徳の全部を、この中に包まれたる題目であります。ただの凡夫の心性の名ではない、ただの理としての諸法実相の名ではない。本佛釈尊の大慈大悲の加被せられたる末法の大良薬であるとなって、自行化他に亘る題目だとなるのであります。いはゆる「観心本尊鈔」に

 釈尊ノ因行果徳ノ二法、妙法蓮華経ノ五字ニ具足ス。我等此ノ五字ヲ受持(南無)スレバ、自然ニ彼ノ因果ノ功徳ヲ譲リ與ヘタマフ

 一念三千ヲ識ラザル者ニハ、佛大慈悲ヲ起シ、妙法五字ノ袋ノ中ニ此ノ珠ヲ裹ミ、末代幼稚ノ頸ニ懸ケシム。

          (二十一)


 題目の五字の中に釈尊の因行果徳を含められ、その五字を信念することによって、自然に、佛の因果の功徳をゆづり與へらるるといふ事が、普通には疑問とせらるるやうであります。然しながらそれは単なる理論としての疑問なのであって、宗教的情操といふものを勘定の中に入れない場合のみに肯定せらるべきものであります。

 南無妙法蓮華経といふのは言葉である、又文字である。文章である。その言葉や文字や文章を自分の観念に受け入れる、之を言葉に現はす、そうして唱へる。それに依って何故に功徳といふものが生ずるであらうか、その理由がわからないと、かう云ふ感じを様々の人から聞くことがあります。そこで、その人達に御答へすべき第一は、ただ言葉、音声に唱へるといふ事を以て、それがすぐ功徳があるのだ、即身成佛の修行だ等と云ふことは、果して誰がそんな事をいったのでせう。若しその人達が云ふやうに只言葉音声のみを唱へて功徳があるのならば、これを嘲りそしる者にも功徳があらう。全く無意識に唱へる、その題目に功徳があるのだ等と云ふ者があるならば、それは日蓮聖人のみ教へにならない、御存知のない御題目であると云はねばなりません。

 四信五品鈔に南無妙法蓮華経の意義を何も知らなくっても、その唱へる題目に必ず功徳がある。それは丁度赤坊が乳を飲むのに、之を飲めば身がふとるのであると考へて飲むのではない。只母の乳房をなつかしみ、したって飲むのである。又草木が天の雨を受けて自然にうるほひを得、青々とした其枝葉を成長する、それは艸木に心あって雨を受ける訳ではない。自然に成長するのである。丁度それと同じやうに、どういふ理屈を知らなくても、お題目を唱へれば本有の佛性佛心を増益するのであると仰せられてあるではないか。さうして見れば、南無妙法蓮華経のわけが、何もわからなくつても、唯言葉音声だけで唱へていれば自然に利益があるのではなからうか。かやうに思ふ人もあるやうであります。

 そこです。そこをよく考へて貰はなくちゃならない。今その人の言はれるやうに、全く何の考もなく御題目さへ唱へたら利益があるとさう云はれる。そこでその利益とは一體何ですかと、かうお尋ねしたい。何病気が癒つた。宅中で心持よく暮せる。腹が立ったのが引こめられる。悲しい時でも心が慰む。しょっちゅう唱へているので商売が繁盛する。悪事災難をのがれる。等といふことを利益と申すのなら、それは利益があるかも知れません。けれどもそれだけなら、なんでもきっと日蓮聖人のお題目でなければならないわけはありますまい。よく世の中を御覧なさい。天理教や、金光教や等のやうな、近頃出来た神道、或はその外の佛教、クリスト教、それ等を信じて、悪しきをはらふて助け給へと云ふのも、アーメンと云ふのも、曩謨三曼陀と云ふのも、どれを云っても、それ位いの利益はあるやうなのです。でなければそれ等の信者といふ者がありやうわけはないのです。

 處が、日蓮聖人が御題目を唱へしめられたのは、そんな利益の為では断じてありません。それは、刷毛ついでにと言ったやうな意味で、七難即滅、七福即生だから、法華経信仰の功徳によって家内の大難を拂つて、福徳を招くことができるといふやうな事を仰有ていないことはない。けれどもそれは刷毛ついでで、相手に対する一時の方便に過ぎない。その利益のために題目を弘通したなどとは一言半句も仰ってないのであります。

 それでは果して何の為めのお題目か。

 それは即身成佛のためだ。釈尊の因行果徳の二法妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば自然にかの因果の功徳を譲り與へ給ふ、即ち本佛の因果の功徳を我等に頂く為めである。それをこの五字を受持すればと仰って居られる。受持といふ事は、受け持つ事である。受け持つとはどういふ事だらう。龍樹菩薩は大論に受持といふ事を解釈せられて、信ずるが故に受け、念ずるが故に持つと云はれている。即ち受持とは信念である。

 釈尊の因行果徳といふもの、即ち佛の無辺に高大な智慧と慈悲と、及び法性の真理と、それが佛の高大なる大慈悲心によってこの五字の中に含められている、求めよ、さらば與へられん。若し吾等が凡夫の智慧を以て徹底的にその二字を解釈しようとしたならば、そこから盡きざる佛の智慧の光明が出てくる、もし我等が佛の無限なる大慈大悲を感受しようと思ふたなら、滾々として盡きざる泉の如く慈悲の甘露が流れて来る。その大慈大悲大智円満の如意宝珠である。それを妙法蓮華経といふのだ。

 因行果徳の二法を具足せしめられたとあるのだ。しかく信じて唱へ、しかく信じて持つ、その信念的情操の中に豫想せらるる常住の佛と、普遍的の法の功徳と、日蓮大聖人の身命を捨てて我等を覚醒せしめんとせられたあの一期の功徳が、感激となり、感謝となり、慰藉となり、勢力となって我等の心の奥即ち八識九識の根本心にまで薫じつけられるのであります。即ち法華経に現れたる本佛の常住を信じ、その大智と大悲を信じ、それを取次がれた大聖人の慈悲徳行を信じ、さういふ信仰的情操の上に受け入れられた題目でなければ、聖人の所謂唱題成佛の題目とはならないのであります。それ故に松野殿が聖人の唱へさせ給ふ題目と、我等の唱ふる處の題目とその間に差等ありやと御尋ねした時、聖人は答へられて、更に差別はない、例せば智者のともす燈も愚者のともす燈もその光にかはりはない。丁度そのやうなものだ。然し法華経の心に背いて唱へらるる時は差別があると云はれて居ります。

          (二十二)

 では赤坊の乳を飲むのと、草や木が自ら雨を得て潤ふのと違はしないだらうか。さういふ疑を出す人があるかもしれません。さういふ人にはかうお答へします。乳を飲んで身をふとらすものは、赤坊でなければならんのです。人形であってはならないのです。犬や猫でもならないのです。本佛の子供として大きくなるべき萬の機能が幼いながら具はって居なくっちゃなりません。乳を飲む赤坊が赤坊でなくてならない如くお題目を唱へる、おのは、本佛本法本化を信ずるものでなくっちゃならないのです。それと同じく雨を得て潤ふものが草木で有ると同時に、お題目に潤ふものは信者である。本門の三寶に対する信念的情操の所有者であるを要するのであります。

 それ故に、本法のお題目を唱へる前に久遠実成の本佛の常住を信ずることを要します。その本佛を信ずるには、先づ日蓮聖人の御教へに対してこれこそ合理的である、これこそ正義である、これこそ眞の慈悲であるといふ感激と、聖人に対する人格的渇仰、それが先にその人の情操の中に生れて来なければなりません。何となれば、久遠実成の釈尊、その常住の利益といふ事は、実に印度支那日本三千年を通じての歴史の中で、唯日蓮聖人のみ徹底してこれを主張せられたのであります。嘗て村上博士は、『日蓮は本門の釈尊と独歩せり。』と云ったことがあります。それ程本門の釈尊は聖人を待たなければあらゆる佛教家に見出されなかったのであります。それ故に若し聖人の人格主張に向って少しでも疑念が生じたならば、その聖人のみの尊崇せらるる本門の釈尊は、信じ得られない筈であります。

 されば私共の恩師が『本化妙宗信條』の中で、先づ我々の信仰は本化の大士たる日蓮聖人に向って生じ、その聖人の信念意識を通じて本佛と本法とを信ずることができるのであると示された次第であります。かくの如く本化を信じ、本佛を信じ、本化の子たり、本佛の子たるその心の上に唱へる題目だから、自然に本佛本化の功徳を伝へることができるのであります。

 かやうに考へますれば、この唱題成佛といふものは、決して心理上も些の疑なく合点せられるべきものであります。これを厳密なる法門から申しますれば、口唱の題目に功徳を生ずるまでには、三段の意味を要するのです。

 第一関門は日蓮聖人の教義に対する随順歓喜の念即ち信念であります。その信念が生じますれば第二の関門として御本尊を授與せられ、『今身より佛身に至るまでよく持ち奉る』といふ受持の誓を起すのであります。その誓をした上で第三の関門を入るのであります。即ち授與せられたる御本尊にに向ひ南無妙法蓮華経の唱題修行によって、身口意三業の受持する修行を続けるのであります。そこに日蓮聖人の宗教に於ける即身成佛の功徳が生じ、人法一如の境涯に漸次入ってまいるのであります。

 第一の関門を通過した時、信念成佛の基礎が立ち、第二の関門を通過した時受持成佛の建築ができ、第三の関門を通過した時唱題成佛の信仰生活が成就するのであります。
 どうぞよくお考へ下さい。

          (二十三)

(本文)

 戒壇とは、王法佛法に冥し佛法王法に合して、王臣一同に三秘密の法を持ちて、有徳王覚徳比丘の往昔を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものか、時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王帝釈等も來下して踏み給ふべき戒壇なり。

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(解釈)

 戒壇といふのは、王法即ち国家の政治法律が精神的に佛法の道理に冥に契ひ、佛法即ち佛教の法理が政治法律の国家制度に合致して、ここに国家の精神と佛教の教理が契合一致した時、国王臣民共に法華経の三大秘密の法をうけ持つて、涅槃経に説れたる有徳王覚徳比丘とのその昔の故事をその儘、末法濁悪の将来の世界に移し来る時、皇帝の勅宣並に執政者の御教書を申し下して、その勅宣令旨に依て、霊山浄土にも似たる最勝の因縁地を尋ね出して、戒壇を建立すべきものであらう。これは時を待つべきものである。事の戒法即ち事実に確立せらるる戒法は必ず戒壇に依って授戒作法を受けなければならない。それ故に事の戒法は必ず戒壇建立を待つのである。この戒壇は、日本のみの戒壇ではない。支那印度をこめたる三国、並びに一閻浮提即ち全世界の人の謗法を懺悔し、その罪を消滅すべき霊壇としての戒法のみでなく、世界を造った大梵天王及び世界の善法を守護する帝釈天王も来り下りて、ここに戒法を受くべき、正しく全世界の人天を救ふべき、全世界統一の戒壇である。


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          (二十四)

(解説)

 これは、三大秘法の中、本門の戒壇を釈し出された御文であります。本門の戒壇は、日蓮聖人の宗教におきまして、三大秘法の一として宗旨の極意の一ではありますが、之を聖人一代の著書四百編の中に求めますれば、極めて寥々たるものであります。佐渡の国以前、十有八年の間は、専ら題目を中心としてお弘めになって居りました。従てその御本尊の如きも法華経一部又は題目の七字を書いてお與へになって居ります。或は一體立像の釈尊を本尊として居られました。即ち所謂本門の本尊は未だ顕はされてはなかったのであります。佐渡の国に御出になって、既に勧持品の二十行の偈を身に実行せられ、本化上行菩薩の資格を現実に証明せられて後、始めて寿量品の三の大事とも、本門の三大秘法とも仰せ出されたのであります。けれども佐渡の国では、本門の本尊をお書きあらはしになりましたが、まだ戒壇の法門はお説きになってありません。法門をお説きにならないのみでなく、その名前すらも三ヶ年の中最後の文永十一年になって、始めて二三ケ所に本門の戒壇といはれたのみであります。

 身延にお這りになりましても、本門の戒壇は名前こそ時々お説きになってありますが、どの御書にも殆ど解釈せられた處を見ないのであります。現に報恩鈔には、詳さに三大秘法の名前をあげ、本尊と題目には可成に明瞭な御解釈をせられながら、本門の戒壇に至っては、単に名前をあげられたのみで、一字一句の御解釈もないのであります。即ち四百編の御書の中本門の戒壇を解釈せられた處は、只この三大秘法鈔一つあるのみなのであります。本書は最初にお話した通り、弘安四年の四月八日、即ち御歳六十歳の釈尊生誕会の聖日を以て御発表になったものであって、この點から拝しますれば、一面には本書は聖人の御遺言の一とも見ねばならない性質を有して居るのであります。

          (二十五)

 そこで、稀有唯一の本門戒壇の解釈は、果していかなる内容のものであらうか、と考へますると、以上の御本文に明瞭に表明して居られます。第一に本門の戒壇は、ある国家によって建設せられ、やがて世界全體の人類及び天の神々をも帰依渇仰せしめる處の統一戒壇であります。第二に、この戒壇の建設せらるるには、凡そ四階段の過程を豫想せられているのであります。その第一階は、王法と佛法との冥合でありまして、即ち国家経営の根本精神と、佛教の根本原理との契合一致が豫想せられて居ります。私は之を原理的の冥契と名付けようと思ひます。

 普通には国家なるものは、其領土人民を本位として、その利益幸福を多からしむべく経営せられているのであります。即ち團體的の、利己的のものであります。然るに佛教の原理は、左様な局部的の團體として限られたる国家の利益幸福を主にしたる利己的行動を断じて肯定するものではありません。かくの如くすると、本来王法と佛法とは契合すべき要素を持っていないのであります。

 この問題は、ただに佛教と日本との問題ばかりでなく、廣く宗教と国家との問題であります。世界教としてのクリスト教は、嘗てローマといふ世界的帝国の国教となりました。即ち国家と宗教とは契合したのであります。かくてその国家と宗教とはどういふ結果になったでありませうか。この二つのものは果して成功したのでありませうか、不成功でありませうか。歴史は之を語って、クリスト教はローマ国教の教会となって、俗権と交渉し、諸の形式的迷信を生じ、本来平等の人類愛を以てその根本精神とするクリスト教の本領を害したとし、ランケでありましたかローマの滅亡を論じて、異教徒がクリスト教化した為であると説きました。即ち国家は世界教の為めに害せられて亡び、宗教は国家主義と抱合して外面的権力や国家競争に関聯し、宗教本来の精神を害しました。即ち両方とも失敗したのであります。

 今この本門の戒壇の原理的契合なるものは、果してそれらの二の舞をふむことはないのでありませうか。

 そこです。そこに日蓮主義が世界教でありながら完全に国家をも個人をも抱括しうる深遠なる教義が伏蔵せられているのであります。日蓮聖人の宗教が、特殊の宗教としての最もすぐれたる處はこの本門戒壇の法門にあるのであります。もしこの戒壇の法門がなければ、本尊と題目とその法門はいかに深遠であっても、尚は尠からぬ類似をもつ處の教義は他の宗教にも存するのであります。

 佛教に於ても、それ等の類似は決して尠くはない。それ故に、日蓮聖人は、あらゆる諸宗が、弘通せられた最後に出て、それ等のあらゆる特長を集めて以て新教義を作ったのだ。即ち華厳天台真言禅浄土の五種の大乗の法門を集めて折衷したのである。などと言った学者すらあるのであります。然しながら、それ等の学者に試みに本門戒壇の法門は果して何れの宗義から根拠して来ったかと云ったならば、恐らくこれを答ふる術を失うでありませう。それ程別種の教義なのであります。聖人の宗教を以て別頭佛教、即別種の佛教といふのはこの為であります。

          (二十六)

 国家と宗教が果して冥契しうるや否や。この原理的講明は、本門戒壇の法門に於ける第一の戒壇である。それはこの三大秘法鈔の明文に明らかな處であります。最初の王佛の冥合がなかったならば、その以後の何物も出で来らないのである。この點に気がついたならば、宗徒は本門戒壇の建設に向って、先づ第一歩に国家と宗教との原理的契合の可能なりや。不可能なりや。この問題を闡明しなければならないのであります。

 それではその契合は果して可能であらうか、不可能であらうか、と考へると、現実に存在する国家国民の欲望意識と、現に成立しつつある世界のあらゆる大宗教の原理と併せ比べれば、決してその冥契を可能なりと言ふことはできない。その国家国民の欲望意識を転換するか、その宗教の原理を更改するか、何れかにせねばこの二つは相容れないのであります。若し宗教を以て国家国民の欲望に合致しようとしたならば、宗教の原理が敗亡したのであります。又国家国民の欲望を以て世界的宗教の精神に冥契したならば、その国家は亡滅しなければならないかも知れないのであります。それではこの二つの冥契は結局不可能であらうか。日蓮聖人はこの三大秘法鈔に、その可能を断じて居られるのであります。これはいかなる原理によるのでありませうか。

          (二十七)

 国家と宗教との原理的冥合は可能なりや否や、この問題に向って日蓮聖人は、如何なる意味において本章に可能を断ぜられたのであらうか。これを抽象的に考へれば、高等なる宗教は必ずその原理に於て人類の平等愛を基調としている。然るに国家は、自己の領土人民の他に優れたる光栄を欲望としている。かくの如き矛盾の二つの原理を、いかにして冥合せしめるか。これ戒壇法門における第一の難関でなければならぬ。

 公平無私なる学人よ! この點に深き考察をめぐらすのでなければ、古来の宗教的天才が理想したところは皆夢想に帰するのであります。クリストは天国を地上に来さうと思はなかったであらうか。孔子は聖人の世を再び来らしめやうと思はなかったであらうか。釈迦牟尼佛は転輪聖王の世界国家を佛教によって来さしめやうと思はなかったらうか。否、かの諸の聖人は皆それを望んだのである。然るに今日に到るまで、そのやうな国家は地上に存在しない。世界はその多くの時間的過程において、その修羅闘争の醜さを断つたことはない。今も尚ほそれを続けているのである。これは果して如何なる主因によるのであらうか。嘗てある人は言った。クリスト教的個人はあった、けれどもクリスト教的国家はなかった。ただクリスト教だけではない。佛教も儒教も、亦等しくこれを信じ行ずる個人はあっても、国家はない。国家は多数民衆の集合意識の自然的渾成である。多数民衆は、いつの世でも聖人でなく、菩薩でなく、君子でない。聖人も、菩薩も、君子も、この集合意識にむかって、その意識を転換せしむる力をもたない。これ教的個人はあっても、教的国家のない所以であります。かくの如く之を抽象的に考へても、具體的に考へても、宗教と国家との二原理は、明かに一致しないものであります。然るに日蓮聖人は、その冥合を叫ばれています。これにいかなる原理により、いかなる過程にその原理は発展せらるべきでありませうか。

          (二十八)

 この點について、古来の日蓮学に於ては深く省察を施していないのであります。ただ一天四海皆帰妙法は、先づわが日本国家の王臣同帰、戒壇建立から発する。それ故に、王臣同帰の第一条件として国家諫暁するのであります。聖人滅後三百年に至るまでの間、日蓮門下の各派の叡哲は、たとへ宗義学上において種々の異論を有したに拘らず、この一點においては、悉くその心を同じうしていたのであります。古は専制政治でありました。王権は、政と教との全體の最後の力であります。故に王権をして法華経に帰依せしめることは、王法をして佛法に根づかしめることである。佛法をして王法に花咲かしめることであります。これ即ち王佛冥合の事実を来すことなのであります。しかし乍ら、それは具體的事実を来すことであって、原理的冥合を闡明したものと申せません。その闡明は、古へに於ては立正安国論の『それ國は法によって而して昌へ、佛法は人によって而して尊し』といふ、国家と宗教と人間との相関を示された御文を以て、その原理と認めたのであります。正法を建立して、国家を安泰ならしめる、これ金剛不壊の忠正護国である。それと共に深遠悠久なる護法信念であります。それ故に、昔の国體には必ず立正安国論を副へて出したのであります。けれどもこれも未だ以て原理的冥合の闡明と申すことはできないのであります。

          (二十九)

 宗教と国家との原理的冥合の闡明は、それが治国の要術であるといふためでもなく、一天四海皆帰妙法の過程であるといふ為めでもないのであります。国家成立の根本要因と、宗教の成立要因とが、表面は異って居っても、その深き根本の因子において、抜くべからざる共通のものを持っている、その點から出立しなければならないのであります。

 国家成立の最初を歴史上から見る時に、いづれの民族にあっても、その為政者に宗教的背景を有しないものは殆ど稀であります。太古は東西洋共に、祭政一致を以てスタートをきっています。宗教と国家とは、これを譬へていへば男女の如きものである。七八歳乃至十二三歳までは、ただ児童であって、姓によれる著しい差別は認められない。それが八九歳乃至十四五歳から、全く別な傾向をとり始めて、男として、女として、各々その特性を発達せしめる。しかし乍らこの男と女とは、永久に単なる男、単なる女ではあり得ない。男女の結合によって始めて、次の世界の幕があく。丁度それのやうに、太古の政教一致から政教のきはだてる分離となり、やがて完全なる宗教と、完全なる国家との円満なる融合にまで進んで、始めて新しい人類世界の新文明の幕があく。イブセンの第三帝国は、模索的にこの理想を掴んだものであります。

 政教の分離は、政治の本分が外的支配にあることを教へ、宗教の本分が内的信仰にあることを示した。さてこの二つのものが相矛盾するとした場合に、人は内外の矛盾の迷路に立って、その各れにつくべきであらうか。この難問に対しては、どうしてもこの二つのものの同一目標、同一理想に帰することをまたなければ、人類は永久に煩悶の子でなければならぬのではないか。ところが現実に、この二個のものは矛盾している。
 ここに於いて、国家の目的と宗教の目的と、この二つのものの何れか一方の真実に、他の一方の非真実を矯正せねばならぬ。但し、その非真実を矯正しても、その真実を破棄すべきではない。言葉をかへていへば、何れか一方のよりよく真実を顕現せるものに向って、他の一方の假相をはがして、眞相と眞相とを合致せしめるのであります。

          (三十)

 それでは人類の平等愛を示す宗教と、領土人民の優勢的幸福を希ふ国家と、何れが我等人類の眞相であり、假相であらうかといふ時、それが人類の平等愛をもって本質的真理とすべきは言ふまでもない。従って自国のみの優勢的光栄を欲望基潮とすることは、疑もなく本質的真理に向っての叛逆であります。然しながら、優勢的光栄そのものが如何なる場合でも、他に向っての害悪であり、人類本質の詭謾なのではない。佛陀は、嘗て一切勝者と名のった。けれどもそれは人類全體を一切勝者たらしめんが為めの誘導的の叫びであった。クリストは神の子だと名のった。そは凡ての人を神の子たrしめんがためであった。そして彼等は勝者たるが故に好んで一切の衆生に代って苦しみ、神の子なるが故に、迷へる凡ての者のために償ひの十字架に上った。彼等の優勝者たることは、他のすべての者の光栄を害することでなくて、光栄を来らすことであった。もし国家にして、そのような優勢的光栄を目的とするならば、そは人類の平等愛を目的とする宗教と、決して矛盾するものではない。宗教と国家との原理的冥合は、この點において始めて闡明せられるのであります。

 日蓮聖人が、その世界統一の宗教を説く時、直ちに一天四海皆帰妙法、一閻浮提広宣流布といはないで、どうして常に日本乃至一閻浮提といはれるか。この秘密を古来のどの宗学者も、開顕しなかった。世には、吾等の師田中智学先生が日本国體開顕を叫ばるるとき、或は国家主義かぶれだといひ、甚しきは軍国主義などと嘲り、又は牽強付会などと冷罵する。

 浅薄なる者よ、汝等はかくて日蓮聖人の御書に、特に日本、日本と言はるること、何によって解釈せんとすか。見よ、田中先生によって開顕せられたる日本帝国の建国の主義が、いかに神聖にして、深遠にして、高邁にして、雄健にして、而も善美を極めたることよ。『慶び』を積め、『暉き』を重ねよ。『正しき』を養へ。然る後に六合を兼ね、八紘を掩ふて以て家となさん。これいかに高等なる宗教とも、その帰趣を一にすべき標語ではないか。いかなる宗教の目的とも、その揆を一にせる理想ではないか。『王法佛法に冥す』・・・・・国家の原理が宗教の原理に合致した立證ではないか。ただ日本のみではない。あらゆる国家もその假相を排して、等しくこの真実国家の精神と一つになるべきものではないか。(終り)

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