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提婆達多品第十二

1 提婆の過去を開して成佛を明す 2 佛の因行、檀王の千歳給仕  3 その重頌

3 古今を結会して師弟の功徳満足を明す 4,悪逆の成佛に就き、疑を断ちて信を励む

5 文殊・智積の問答、智積の讃歎  6 文殊の弘経利益、智積の疑問、龍女の領解 

7 舎利弗更に疑ひ、龍女現證を以て之を通ず  8 時衆の得益、人天の歓喜

9 小権の疑散じて黙して深信を領す


勧持品第十三

1 四類の發誓  2 八十萬億那由佗の發誓  


安楽行品第十四

1,文殊初心の為に弘経の方法を請ふ   

2,佛四安楽行の第一身安楽行を説く
  3 偈を以て重説す 

4 第二口安楽行を説く、止動の二法あり  5 偈を以て重説す

6 第三意安楽行を説くに止作の二を明す  7 偈を以て重説す

8 第四誓願安楽行を説く、誓願境と由と立との三あり  

9 四行成就の功徳大なるを明すに経の妙を以て歎ず  
10 偈を以て重説す

提婆達多品第十二         


 「法師品」の時に「法華経」を弘めるについて衣座室の三軌というものが明かされました。然しながら
 『如来の現在すら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや』
といはれて、弘通するのに非常に困難があるものと思はなければならないと、『法師品』の時に既にいはれて居ります。
 それから「宝塔品」に至って
 『誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。今ぞ正しく是れ時なる、如来は久しからずして、当に涅槃に入りたまふべし。佛、此の妙法華経を以て、付属して在ること有らしめんと欲す。』
といふ、如来の弘通者をお募りになる御語があります、そこで但し此の経を弘めるについては尋常大抵の難事ではないといふので、釈尊のみならず十方分身の諸佛、多宝如来、皆集まられたところで、特に六難九易といふやうな、殆ど想像にも及ばんやうな難しい事柄をおときになった、日蓮聖人は此の六難九易を説かれる前のところをば、「宝塔品」に三個の諫暁あり・・・・・宜しく大願を発すべしとい風に、佛が三度まで弘通を募られた、然しながら其のその弘通がそんなに難しいものであるとおふことが判っては、菩薩方も直ぐに発誓弘経を願ひ出す者がなかった、そこで此の「提婆達多品」をとかれて、此の経の修行は難しくないのだ、唯実際に弘通するのが難しい、そのことを示す為めに「提婆品」を説かれたのであるといはれて、「提婆品」に二箇の諌暁ありといはれていました、宝塔品の三箇の諌暁と「提婆品」の二箇の諌暁で、これを総じて『五箇の諌暁』といふます。
 それで『重ねて実證を挙げて此の経弘通の功徳深重を明かす』功深く徳重きことを明かす。どういふ実證を挙げられたかといひますと、「法華経」は諸経で成佛しなかった声聞・縁覚の二乗が成佛する。それから阿羅漢のやうな人ばかりかといふと、「法師品」には『若し人有って』と、凡夫そのものの成佛をもお説きになった。若し人有って妙法華経の僅かに一偈一句といふ最少部分を、一念といふ僅かの時、最極短少の心、少の時少の心のそれだけ随喜しても、必ず阿耨多羅三藐三菩提を成就する、佛の功徳を成ずることは適確である、斯う示されて凡夫の成佛があかされて居る、けれども二乗や凡夫が成佛しても、尚悪人や、それから佛教ではこれまで婦人といふものについては、五障といふことが説かれてあって、罪深いやうにいはれて居った、それで尚悪人や女人の成佛はどうかと思ふ心があるかも知れないといふので、悪人の成佛、女人の成佛を実際の證拠をあげられて、「法華経」の功徳の徹底してあることを説かれたので、それを以て末世の弘経を更に勧められるのであります。斯ういふので、これを『五箇の諌暁』といひます。
 そこで、これまでは普通の教学的な分ち方でお話して来ましたが「和訳法華経」を持って居られる人には「和訳法華経」の分段のままお話した方が宣からうと思ひますので、「和訳法華経」のままの分段でお話します。



 一、 提婆の過去を開して成佛を明す          


 提婆達多はもと佛の従弟に当るものであった、その当時の宗教や哲学の心ばえも非常に深かった。そして佛様の弟子になって居る中に漸次佛様と意見の違ったことを考へ出した、そして別に教団を設けたといふので、此の提婆達多は、五逆といふものの中で三逆を犯し、他をして二逆を犯さしめました。父を殺し、母を殺し、それから阿羅漢を殺し、和合僧を破り、佛の身から血を出す、これを五逆といひます、佛教では悪・逆・謗と、斯う三つ悪いことについての段階があります。
『十悪』
『五逆』
『謗法』
前に話したかもわかりませんが普通軽いものは十悪です、殺生・偸盗・邪淫(以上身三)・妄語・綺語・悪口・
両舌(以上口四)・貪欲・瞋恚・邪見(以上意三)、これを身・口・意三業に分けまして、身三・口四・意三と斯
ういひます。
殺生、これは主として人間を殺す、小さくすれば人間以下の物を殺すことも這入っていくのです、最も厳密にいったならば蟻のやうなものを殺すこともいけない、けれども十悪でいふのは主として人間を殺すことです、次に泥棒と邪淫、この三つは身で行うもので、それから妄語・綺語・悪口・両舌、語に大変力を入れて四つに分けてあります、妄語は虚言をつくこと、それから綺語といふのはいろんな造り話をして人を惑はす、悪口は人の悪口をいふ事、両舌は甲の人に善いといっておいて乙の人には悪いといったりすること、これが口の四です。それから意の三といふのは貪欲、瞋恚、邪見で、邪見は愚痴とも換へます、。以上が十悪です。
 それから佛教では悪いことの一般的の、軽い悪いこと、これを軽悪といひます、十悪は軽悪で未だ軽い、それがもっと重くなると五逆といふところまで行きます、阿弥陀様の如きも十悪は救ふけれども五逆と謗法は救はない、五逆となるとどんな事になるかといひますと、人を殺すのでも単の人を殺すのではない、自分を生んだ父を殺し、母を殺す、それから阿羅漢を殺す、阿羅漢は所謂煩悩を断ってしまって、そして時の人の手本となる人で、すべての人の法の父ともなるやうな人ですから、さういふ人を殺すことは、精神上の父母を殺すことと同じになります。それと共に和合僧を破る、僧は僧団といふことです、法によって団結して居る、その団結して居るものをば二つに割る、破壊する行動をすることです、それから佛の身より血を出す、以上を五逆といひますが、これは自分より以上のもの、及び世の木鐸となり、世の何等かの目標となるもので、さういふものを破壊するもので、個人個人一人一人に関することではない、十悪は大體個人個人の一人と一人の道徳ですが、此の五逆は単なる一人と一人でなくして、自分の本を破壊し世の本を破壊する事柄になりますから、それでこれを特に「逆」といはれたのであります。
 次に謗法となりますと、その又本なのです、さういふ風な十悪や五逆の起こらないやうにする大本は、法に従うことですが、其の法をまるで認めない、認めないのが進んで来たならば法に背くことになる、其の法に背く心が法を謗る心であり、それから法を謗る心は進んで法を破る心である、だから此の謗法といふものからあらゆる悪は起こるので、逆も其の中から来たるといふので、その逆の上に謗法をおかれたのであります。

                         ◇

 提婆達多は先づ其の和合僧を破った、佛様の外に自分の僧団を造って和合僧を破った、それから佛様の一ばんの大檀那であった頻婆娑羅王といふのに、阿闍世太子といふ太子があったのですが、それを籠絡して汝の父頻婆娑羅王は釈迦のやうな間違った者のところに沢山供養して居る、あんまり供養されるとお前が国王になっても財宝がなくなるから、ああいふ親は処分してしまったが宜しい、そしてお前は父を殺して新王になれ、俺は釈迦を殺して新佛とならう、斯ういふことをいって、阿闍世太子に父の頻婆娑羅王を殺させた、それから和合僧を破った時蓮華色比丘尼といふ阿羅漢に遭った、すると蓮華色比丘尼が和合僧を破った提婆達多を面責した、すると此の生意気な女奴といって提婆達多が打ち殺した、それで阿羅漢を殺した、そして終に佛様をも殺さうとして、佛様のお通りになる所へ大きな石を投げて殺さうとした、けれども石は途中で割れて佛様の御足に当って血を出した、提婆達多が実際やったことは破和合僧、殺阿羅漢、出佛身血の三逆ですけれども、頻婆娑羅王を殺せといふことを阿闍世太子に奨励した、それからそれから阿闍世太子は頻婆娑羅王を押籠めて食を断って殺してしまはうとした、よつて母の韋提希夫人が、頻婆娑羅王に食料を運ぶやうなことをした、そこで阿闍世太子は俺が父を改宗せしめようとして居るのに怪しからんといふので、又お母さんの韋提希夫人を殺さうとした、すると耆婆大臣が、それは甚だ不都合だ、・・・・・印度では父より母を重んずる・・・・・昔から父を殺した者はあるが母を殺さうとした者はないといって諫めた、そこで漸く母を殺すことだけは止めた、斯ういふことになって居る、だから提婆達多は三逆を自分でやり、そして阿闍世太子を使嗾して父を殺し母を殺さうとする心を起させるやうなことをしたから、五逆をつぶさにやったと同じことである、自らは三逆を行ひ二逆は阿闍世にやらせやうとした、それが提婆達多であって、五逆をおかしたのみならず、更に又佛の法を間違った法だといって居るから、五逆と謗法をつぶさにおかした者が提婆達多であります。
 かくて佛の身から血を出したと共に、彼は生きながらに地獄に堕ちた、玄奘三蔵が印度に行った時分に、提婆達多が地獄に堕ちた穴だといふのが「西域記」に出て居ますが、兎に角彼は佛身より血を出すと共に死んだ、そこで彼は地獄に堕ちたものであるといふことははっきり決って居る、其の提婆達多をば、此の「法華経」で開顕せられて、成佛を示されたのであります。 そこで『提婆の過去を開して成佛を明す』のであります。



 1 佛の因行、檀王の千歳給仕                    


 『爾の時に佛、諸の菩薩及び天・人・四衆に告げたまはく、我過去し無量の劫の中に於て、法華経を求め て懈惓有ること無かりき。多の劫の中於て常に国王と作り、願を発して無上菩提を求めつ心退転せざりき。六波羅蜜を満足せんと欲ふを為って、勤めて布施を行ひ、心に象馬七珍も、国城妻子をも、奴婢僕従をも、頭目髄脳をも、身肉手足をも、悋惜とすること無く、躯命をだに惜まざりき。時に、世の人民の寿命無量無 かりしかども、法の為めの故に、国位を捐捨てつ、政を太子に委ね、鼓を撃ち四方に宣令へて法を求めき。誰か能く我が為めに大乗を説く者ぞ、我当に身を終るまで供給し走使すべしと。時に仙人有り、来りて王に曰して言さく、我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる。若し我に違かずむば、当に為めに宣説くべしと。王、仙の言を聞き、歓喜び踊躍しつつ、即ち仙人に随ひて須ふる所のものを供給げつ、果を採り、水を汲み、薪を拾ひ、食を設け、乃至身を以て而ち牀座と為しつ、身も心も倦むこと無かりき。于時に、奉事ることす千歳を経たり。法の為の故なれば、精勤みて給侍つ、乏しき所無からしめき。』これは佛の因行、檀王の千歳給仕と言うことを明かされたのであります。

              ◇

 釈迦牟尼佛は本門のところにまいりますと、無始の佛ですが、未だ此の「提婆達多品」を説かれました時には、無始の佛である事が示されない時のことです。それには必ず佛様には因行というものがある。曾て菩薩行を積み重ねて行われた、其の菩薩行の中のある時、専ら其の時は布施行を主にされたからそこでこれを檀王といふ、王様に生まれて主として布施行をせられた、布施というのは檀那ということです、檀那といふことが布施ということの天竺の語ですから、布施を行じて居られる王様だから、これを檀王といふ、即ち佛の因行として布施の行をされた時分であった。
 『六波羅蜜を満足せんと欲ふを為って、勤めて布施の行ふ』
 あらゆる物を惜しまないで無上道を求めた、すると其の時に仙人があって、俺が大乗を有って居る、本当の法を有って居る、それが妙法蓮華経であるといって「法華経」を教えてくれた、そして檀王は千年の間あらゆる必要なものを皆捧げた、身を以て牀座とすること千歳であった、これを妙楽大師が、
 『達多の徳を引くは、方規を用ふる者、釈迦は即ち是れ、方規を禀くる衆なり、故に身を以て牀座と為す等』
といはれた、此の檀王は一般に布施をするよりもと、阿私仙人に給仕した、阿私仙人に給仕をしたのはどういふ意味で仕へたのであるかといひますと、阿私仙人が『我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる』『我有大乗』即ち妙法蓮華経を有って居る、此の妙法蓮華経を有って居る人である、その人に給仕した、それは何故妙法蓮華経を有って居る人に給仕をすることが、布施行の一ばん本になるのであらうかと申しますと唯自分の有って居る物を人に与へて居るといふのでは、有って居るものには限りがある、布施の根本はどうしても盡きない無価の寶が必要である、或は譬へにすると、如意宝珠が必要である・・・・・釈尊が昔矢張り精進の行をせられたといふ話しの中に、大施太子といふ話しがあります、大施太子はどうしたかといひますと、あらゆる衆生に飽くることなく心のままに彼等の欲するものを与へんとせられた、それには龍宮にある如意宝珠を持って来るが一ばんいいといふので、龍宮の如意宝珠を求めるため龍王を談判した、餘り其の志が殊勝であるからといふので、龍王も一度大施太子に如意宝珠を与へることにしたけれども、思ひ返して取り返した、そこで大施太子は、龍王は妄語の者であるといふので怒って、蜆っ貝を以て大海を干さうとした、人がどんなに笑っても生き代り死に代り必ず干して見せるといふので、僅かな蜆っ貝で大海を干すことを試みた、それは生々世々必ずやまないといふ大願を起したといふので、これを精進行の手本にするのですが、それの本は何であるかといふと如意宝珠である、真に布施を徹底的にやらうとするならば、どうしても如意宝珠を得なければならぬ、その無価の珠、それは何ものであるかといふならば、それは妙法蓮華経である、そこで其の妙法蓮華経を有って居る阿私仙人に給仕をするということは、布施行の徹底したものになるのであります。

              ◇

 かくて千歳の間給仕したその給仕は、忍ぶことからいひましたならば忍辱の衣であります、それを求めるのは何のためであるかといひますと、一切衆生に與へんがためであるから、それは大慈悲心の室であります。それから自分の国王の位もみんな捨ててしまった、それは諸法空の座です。其の檀王の千歳の給仕、此の給仕からはじめて佛道の修行は起るのであるといふので、日蓮聖人は「身延山御書」の中には
 『実ニ佛ニナル道ハ師ニ仕フルニハ過ギジ』
と仰せられた、又昔から法華八講といふものがありますが、其の法華八講では五巻の日といふのが重いことになって居ます、それは八講の中一巻、二巻、三巻、四巻、五巻と行って、此の第五の巻の日が中日になります、それで此の五巻の日といふ時に、天皇が親ら供養物をお持ちになって行堂せられる、其の時
 『法華経をわが得しことは薪こり菜摘み水汲みつかへてぞ得し』
といふ行基菩薩の作られたといふ伽陀をお唱へになる。国王の位、それは一切衆生を助けるため、恰度佛道を求めることと同じ心になって、真に国王の道が実行出来るものである、檀王の心を以て國を治めるのであるといふことを主にせられるために、朝廷では法華八講の第五巻の日を一ばん大切にせられた、其檀王の昔をここに開顕せられた、其が第一であります。



 2 そ の 重 頌


 『爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 我過去し劫を念ふに、大法を求めんが為めの故に 世の国王と作ると雖 五欲の楽を貪らず 鐘を椎ちて四方に告げき 誰か大法を有てる者ぞ 若し我が為めに解し説かば 身当に奴僕とならんと 時に阿私 仙といへる有り 来りて大王に白さく 我微妙なる法を有てり 世間に希有なる所なり 若し能く修め行はば 我当に汝が為めに説くべしと 時に王仙の言を聞き 心大ど喜悦を生し 即便ち仙人に随ひて 須ゆる所を供給へ 薪及び果くさのみを採り 時に随ひて恭敬ひもて與げき 情に妙法を存ふが故に 身も心も懈惓り無く 普く諸の衆生の為めに 勤めて大じき法を求めて 亦己が身 及び五欲の楽の為にせず』 
これが求道の根本精神であります。
 故に大国の王と為りても 勤求めて此の法を獲つ 遂に成佛を得るに到りき 今故に汝が為めにこそ説け



 3 古今を結会して師弟の功徳満足を明す            


 次には『古今を結会して師弟の功徳満足を明す』、そのイには『古今の結会』であります。
 『佛、諸の比丘に告げたまはく、爾の時の王とは、則ち我が身是れなり、時の仙人とは、今の提婆達多是 なり。』
ロは『弟子の因満果圓を明して、達多の弘経の功徳に因ると結す』で
 『提婆達多が善知識に由るが故に、我をして六波羅蜜・慈悲喜捨・三十二相・八十種好・紫磨金色・十力・四無所畏・四摂法・十八不共・神通道力を具足せしめ、等正覚を成じて広く衆生を度すこと、皆提婆達多が善知識に由るが故なり。』
ハは『弘経の師の果成と、化度・滅後利益等の授記を叙す』で、
 『諸の四衆に告ぐ、提婆達多は、却て後に無量の劫を過ぎて、当に佛と成ることを得べし。號て天王如来・応供・正偏知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と曰はむ。世界を天道と名けむ。時に、天王佛の世に住ること二十中劫にして、広く衆生の為に妙法を説かん。恒河沙の衆生は阿羅漢果を得、無量の衆生は縁覚の心を発し、恒河沙の衆生は無上道の心を発しつ、無生忍を得て、不退転に至らむ。時に、天王佛の般涅槃の後、正法の世に住まること二十の中劫にして、全身の舎利に七宝の塔を起て、高さ六十由旬に、縦と廣とは四十由旬ならむ。諸の天・人民、悉く雑の華、抹香、焼香、塗香、衣服、瓔珞、憧旛、宝の蓋、伎楽、歎頌を以て、七宝の妙なる塔を礼拝し供養せん。無量の衆生は阿羅漢果を得無量の衆生は辟支仏を悟り、不可思議の衆生は菩提心を発して、不退転に至らむ。』
以上の中先づ古今を結会、佛が諸の比丘に告げられた、その時の檀王は自分であった、その時の阿私仙人は今の提婆達多であると、今と昔を結会されました。

               ◇

 弟子の因満果圓を明して、達多の古の弘法の益に因ると結すといふのは、提婆達多の善知識に由るが故に、六波羅蜜・慈悲喜捨・三十二相・八十種好・紫磨金色・十力・四無所畏・四摂法・十八不共・神通道力等の、佛のあらゆる功徳を成就する事が出来たのである、それは皆、昔の提婆達多の善知識によるが故である、その昔の師は、今の敵となって居る、そして昔の弟子が今の佛である、これはどういうことを意味したのであらうか、これをば
 『邪正一如・善悪不二
といふ、提婆達多が佛に敵して、五逆謗法を示した、それはをかしい。昔「法華経」を修行して、佛様のお師匠様になったやうな人がどうしてそんな風な提婆達多になったのであらうかといふことになります、これは甚だ不思議なことです、然るに「法華経」はどういふことを示す経であるかといひますと、「法華経」の旨趣は、平等大慧の一乗を示しますので、そこで此の邪正一如・善悪不二といふことを、根本から開顕する、根から掘り下げてくるのです、凡そ世の中にあるところの相、現象界からいひましたならば、必ず一つのものがありましたならば、それに対して相対するものがきっと出来る、必然的にかならず或る一つのものがあったならば、それに相対するものが出来るようになって来る、その相対するものをば一方のものが相手のものを包容してしまうことが出来た時、相手のものがなくなるのです。けれども一度は、必ず必然的に相対する、現象界は必ず相対する、善いことならば善いこと、悪いことならば悪いことでも、きっとそれに相対するものが出来る、その一切の相対的のものの相手を、此方に取り入れてしまふ、即ち絶対化する、相手のものをなくしてしまふ、根本から活かしてしまふ、そういふのには相手を根から此方のものにしてしまふことが、根本的に出来なければ到底出来ないことで、それを示すために「法華経」には、邪正一如・善悪不二を説かれたのであります。

               ◇


 阿羅漢様のやうなのは善いことばかりで、悪いことは一切いけない、そこで善いことばかりの所へ行かうとした、そこで此の世の中も去ってしまって、其処に悟りを求めようとした、世間から去って出世間を求めた、それと同時に悪いことを去って善いことを求めた、ところが善いことといふものには、きっと何か障りが出来る、何か悪いことが附き従って来る、善悪は離れることのできないもの、邪正も離れることの出来ないものであるそれが此の世の中です。

               ◇

 昔斯ういふ話があります。印度に職人が居った、何かショッ中善いことをして、幸ひの来るように来るようにと思っていた、或る時非常な美人がやって来て、『私を今日から貴方の子供にして貰ひたい』、娘で非常な美人だ、その美人が子供にして貰ひたいといふ、『貴女を子供にしてどうなる』『私がここに居ると、毎日毎日あらゆる幸せなことばかりが出て来ます』といって、さまざまな話しをした、それは功徳天といふ天の神様で、一切の功徳は皆出て来る、『貴方は大変良いことをして、幸せを欲しがって居る、功徳をほしいほしいといって居るから、それで私が貴方の子供になりに来たのです。』『それでは是非居って貰ひたい』といふので、子供にして居った、そしてそれを大変愛した。すると暫くして、そこへ真っ黒ぐろのみにくい女が出て来て、『私の姉さんが来て居るやうだから、どうか私も娘にして貰ひたい』といふ、『それは困るが、お前を娘にするとどうなる』『私を娘にすると災難があとあとと、沢山出て来ます』、『それは御免、そんなものはいらん』、『私を放り出すならば、どうぞ私の姉さんと一緒に放り出して下さい』、『姉さんは結構だがお前はいかん』、『姉さんを置くならば私も居ます、私を放り出すならば、姉さんも出して下さい』といふ、これは黒闇天といふ天の神様だ、黒闇天は功徳天の妹だ、姉妹どうしても離れることは出来ない、功徳天がほしければ黒闇天もおかねばならぬ、黒闇天を放り出すならば功徳天も一緒に出さなければならぬ、斯ういふ話しが「涅槃経」にありますが、恰度そんな風であって、幸ひと災難といふやうなことも、幸ひがあるからといってそればかりだと思って居ってはいかん、其の背後には不幸があるものである、といふことを認めなければならぬといふのです。

               ◇

 善悪といふものも矢張さういふものであった、世の中・・・・・宇宙の全體、人生の全體も、きっと相対的に出て来るものであるからして善には必ず悪のものがある、正義には邪なるものがあってそれを障害しようとする、それを根本から邪をも正化してしまふ、悪をも善化してしまふ、悪を転じて善となし、邪を転じて正となしてしまふといふ、根本的な力のある法でなければ、徹底した真の法ということが出来ない、それを妙法といふ、毒を変じて薬となす、これを称して妙と為す、毒を変じて薬となすのですから、薬が又毒の用きをすることもある、そこで法華経は、毒を悉く征服して本当の薬、大良薬とすることが出来る、お釈迦様が正義をとって、そして佛の悟、佛法を弘めるといふ場合には、世の中にきっと不正義というものをば一つに集めて、そして釈尊に敵するものが一つ、ここに代表者として出て来なければならぬ、衆生の悪いものの代表として敵する者が出て来なければならぬ、それが出てくることによって、釈尊の真の功徳を示されることが出来る、悪いものを根本から打ち亡ぼして、彼の邪心を転じて浄化する佛の力、その力を示すことが出来るのでありますからそれを妙法の用きとするのであります。

               ◇

 阿私仙人は昔は釈尊の師あったが、今は釈尊の敵となって居る、さういふこともこれは妙法自在の一つの権化である、其の時の一切衆生の悪心を代表して釈尊の敵となるといふ一つの佛の権化で、妙法蓮華経の権化としてそこに出てきて居るのであります、然し権化ではあるが、やった事柄は五逆謗法です、然しながら提婆達多が五逆謗法をやらなくても沢山の者がやる、それを提婆達多が背負って示す、示したことによって現身に堕地獄といふことを又示した、そこで五逆の結果を明かにしたといふ、矢張り妙法の功徳を提婆達多そのものが示して居る、そこで其の根本を明かにする、古今を結会するということが出て来るのであります。
 日蓮聖人が佐渡にお流されになって、塚原で観想されて居ったお話しの中に
 『平ノ左衛門コソ提婆達多ヨ、念仏者ハ瞿伽利尊者』
というお話しがあります、それから又
 『平ノ左衛門、守殿オハシマサズバ、争カ法華経ノ行者トハアルベキ』
平の左衛門があってこそ日蓮は「法華経」の行者になることが出来た、その點かたいったならば日蓮が佛にならん第一の方人は、守殿、平の左衛門等である、斯う仰しやってあるのも、皆此の法華開顕の妙義から出で来たるのであります、宝塔品に於ける六難九易、それから此の「提婆品」に於ける達多の成佛などというようなことは、皆正義を絶対的に此の人生に建設しようといふのについての根本覚悟、それから徹底的に人生を改造する根本精神を示されたものであります、人間はどうしても自己というものに囚われ易いものであり又自分自身だけを中心にして、自分の知ったところ、自分の居る国といふやうなものに常に囚はれ易い、真の正しい道といふものには、あらゆる点に於いて自己から離れてしまったもの、捨ててしまったもの、真の大公至正というもの、さういふ自他の分別がなくなったところからでなければ出ない、その自他の分別をなくなすのは、どういふことで一ばんよくなくなるかといふと、自分だけの要求とも、普通の人間の要求とも違うもので、すべて其の方からいったならば、勝手の悪いものである、衆生の心と佛の心とは全然違ふものである、佛の心に従へば自分に難儀がある、のみならず世の中の全體が敵となるかも知れない、敵となるのが当然である、さういふことを先に覚悟さしてしまふのが『宝塔品』であります、その為めに六難九易といふことを示された、その根本の確信がなければ、本当の人生の改造は出来ない、人間の精神などに一々付き合って居ったならば、真の正義の実行が出来るものではない。

               ◇

 それからそれと同時に、其の法に敵する者があった場合,自分は征服しても、他のすべての人間が法に反対するに決まって居るから、その反対者に対してどうするかといふことが起る、そこで此の「提婆品」の如く、其の法に反対するものも徹底したならば、それは反対して居ることが、法を又高揚することになる、反対するものに対してそれを突破して行く、その反対する者はその人一人ではない、さういふ人間の心ばえを代表してやって居るので、その人間そのものだけではない、一般の人間の煩悩を代表してそこに出て来て居るのだ。だからそれに対しては、その煩悩を持ってやって来るものを突破する、彼等を征服するというところに、はじめて菩薩行、佛行が成りたって来るのであります、挙世皆好むことであったならば、何も六難九易の必要はない、挙世皆否とするものであるから、六難九易の覚悟によって行ずる、その行じた場合は、必ずこれに反対する者が出て来る、其の反対する者に対しての観念はどうなるのだといふ場合に、其の反対する其のことが根本には矢張り法を光顕する道なのである、ここに彼を憎まないのみならず、彼は寧ろ我が方人であるといふことになります。
 『日蓮ガ佛ニナラン第一ノ方人ハ景信、法師ニハ良観、道隆、道阿弥陀仏、平ノ左衛門、守殿オハシマサ ズバ争カ法華経ノ行者トハナルベキ』
といわれたやうな、さういふ観念になることが出来るのでありまして、其の手本としてここに提婆達多が示されて居るのです。
 提婆達多は五逆謗法をやったけれども、その五逆謗法をやった根本には矢張り妙法を行じて居った、それを開顕せられて成佛を示されたのであります、そこで佛になってから後の利益等を次に説かれてあります。


 4,悪逆の成佛に就き、疑を断ちて信を励む        


 『佛、諸の比丘に告げたまはく、未来世の中に、若し善男子・善女人有りて、妙法華経の提婆達多品を聞 いて、浄けき心に信じ敬ひつつ、疑惑を生ぜざらむ者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちず十方の佛前に生れん。所生ぬる處には、常に此の経を聞かむ。若し人天の中に生るれては、勝妙の楽を受け、若し佛前に在りては蓮華より化生せん。』
これは悪逆の成佛につき、疑を断ちて信を勧むるのであります、妙法蓮華経提婆達多品によって、一切の悪逆が根本から救われる、悪を厭はない心が衆生の中に起こることが出来る、悪を厭はない心、彼を愍む心が起こったならば、地獄・餓鬼・畜生に堕ちない、十方の佛前に生ぜん、邪正一如・善悪不二の観に入ることが出来る。
 『人・天の中に生るれては、勝妙の楽を受け、若し佛前に在りては、蓮華より化生せん』
蓮華は何時もいふやうに、汚泥から無比清浄の華果が咲くのでありますから、邪正一如を最もよく明らかに示したものであります。



 二、文殊の弘経龍女の成佛を明す             


 5,文殊・智積の問答、智積の讃歎


 『於時、下方の多宝世尊の所従の菩薩を、名けて智積曰ふ。、多宝佛に啓さく、当に本土に還りたまふべしと。釈迦牟尼佛、智積に告げて曰はく、善男子よ、且く須臾を待て、此に菩薩ありて、文殊師利と名く。與に相見るべし。妙法を論説して本土に還るべしと。爾の時、文殊師利、千葉の蓮華の大さ車輪の如くなる に坐し、倶に来れる菩薩も、亦宝の蓮華に坐しつ。大海の娑竭羅龍宮より自然に涌出で虚空の中に住り つつ霊鷲山に詣でて蓮華より下り、佛の所に至り、頭面に二世尊の足を敬ひ禮せり。已に敬を修め畢りて智積の所に往きて共に相慰め問ひつ、却きて一面に坐しぬ。智積菩薩、文殊師利に問はく、仁龍宮に往きて、化しつる所の衆生は、其の数幾何なりやと。文殊師利の言はく、其の数無量にして称計るべからず、口の宣ぶる所に非ず、心に測る所に非ず、且く須臾待て、自ら当に証あるべしと。所言未だ竟らざるに、無数の菩薩宝の蓮華に坐して、海より涌出でつつ、霊鷲山に詣でて虚空に住在れり、此の諸の菩薩は、皆是文殊師利の化度へる所にして、菩薩の行を具へ、皆共に六波羅蜜を論説す、本と声聞なりし人は、虚空の中に在りて声聞の行を説きしかども、今は皆大乗の空の義を修行す、文殊師利、智積に謂って曰く、海に於て教化せるところ其の事是の如しと。爾の時智積菩薩、偈を以て讃めて曰はく、
 大智徳勇しう健にして、量り無き衆を化度せり、今此の諸の大会、及び我皆已に見たり、実相の義を演暢し、一乗の法を開闡しつ、広く諸の群生を導きて、速かに菩提を成しめたるよ』
 二乗も成佛した、悪人の五逆謗法の提婆達多も成佛した、そこで、多宝如来に所従へて居た智積菩薩がもうこれでお済みになったことでありませょうから、どうかお国にお帰りになったら如何でせうと申し上げた、すると、宝塔の中に多宝如来と一緒においでになる釈迦牟尼佛が、智積菩薩にいはれた、ここでも注意しておきますが、凡そ多宝如来は塔の中に居られてちょっとも出られない、その中に閉塔の時と開塔の時と違ひます、閉塔の時は兎に角声を出されるが、開塔の時はすべて沈黙して居られる、開塔の時は決して声を出されない、ここでも智積菩薩がどうぞお帰り遊ばすようにと申上げたのに、イヤ未だ帰らないと多宝如来はいはれない、黙って居られる、釈迦牟尼世尊が待て待てといはれた、これは何ういふわけかといひますと、深く注意を要することです、塔が閉ぢて居る時は
 『善い哉善い哉、釈迦牟尼世尊能く平等大慧、教菩薩法、佛所護念の妙法華経を以て大衆の為めに説きたまふこと』といはれて、『皆是れ真実なり』と証明された、然るに塔が開いてからは、此の「法華経」では何処を見ても、多宝如来が声を出して居られることは一つもない、自分にいはれたことでも黙って居られる、塔が閉ぢて了った終りの方になりますと、「妙音菩薩品」などといふところにも、塔の中から声が出て居ます、塔の中から声が出て居るといふことで、塔が閉って居るといふことを明かにすることが出来る位です、これは釈尊は智慧を代表する智佛、それから多宝如来は境佛又は理佛といひますが、境とは理で、法の道理を示して居る佛なのです、譬へて、これを男女にしますと、釈尊の方は男で、多宝如来は女になります。娘さんの時分には独立して何かいって居るけれども、もうチャット室におさまったら餘り口をきかない、夫がいって居るのに、宅はさう申しますが私は、ナンてさういふことはない、さういふことはないやうに、多宝如来は塔が開かれたら沈黙して居ます。但し夫の留守の時は代表する、けれども夫の居る時はみだりには喋らない、そこで釈迦牟尼佛が、
 『智積に告げて曰はく、善男子よ、且く須臾を待て』
暫く待て、暫く待てここに文殊師利菩薩といふのがある、この文殊師利菩薩は、釈尊九代の師匠だといふ位で三世の佛母ともいはれる、三世の佛様のお母さんになる位智慧のある菩薩です、だから文殊師利といふのは知って居るだらう、今その文殊師利菩薩が帰って来るから、一緒に此の「法華経」についての話をして行ったら宜からうと、釈尊が仰しやった、其のお話しが終らない中に、文殊師利菩薩が虚空会のところに上がって来た、そして釈尊の御前に行って礼拝した、そこで智積菩薩が文殊師利菩薩に
 『仁が龍宮に於いて化されたところの衆生の数はいくらほどですか』
 『イヤ、言ではいはれません、此の通りです』
といって、文殊師利菩薩が一度手をあげると、海中から霊鷲山の虚空・・・・・その虚空は「宝塔品」によりますと、三千二百萬億那由佗の世界が一緒になった、その世界の虚空です、その大虚につぎつぎにと、沢山の菩薩が出て来て、それらの菩薩が皆六波羅蜜を演説した、それを見た智積菩薩が大変褒めあげた、まことに結構なことです、貴方の御苦労は到底言では申上げられないといふので、智積菩薩が讃歎した、其が第五段です。



 6 文殊の弘経利益、智積の疑問、龍女の領解         


 『文殊師利の言はく、我海中に於て、唯常に妙法華経を宣説きぬと、智積菩薩、文殊師利に問うて言はく、この経は甚も深く微妙にして、諸経の中の寶、世に希有なる所なり、頗し衆生の、勤めて精進を加へ、この経を修行して、速かに佛を得るもの有りや、否やと、文殊師利の言はく、有り。娑竭羅龍王の女、年始めて八歳なり。智慧利根にして、善く衆生の諸根の行業を知りつ、陀羅尼を得て、諸佛の所説の甚深き秘蔵、悉く能く受持ち。深く禅定に入りて、諸の法を了達り、刹那の頃に於て菩提の心を発して、不退転なることを得たり。辨才無礙にして衆生を慈み念ふこと猶ほ赤子の如く、功徳具足して、心に念ひ口に演ぶるところ、微妙にして広大なり。慈悲仁譲・志意和雅にして、能く菩提に至れり。智積菩薩の言はく、我釈迦如来を見たてまつるに、無量の劫に於て、難行し苦行し、功を積み徳を累ねつつ、菩薩の道を求めて未曾て止息ませたまはず、三千大千世界を観たてまつるに、乃至芥子の如き許りも、是菩薩にして身命をば、捨てたまひし處に非ざること有ること無し、衆生の為めの故ぞかし。然る後にこそ、乃ち菩提の道を成すことを得たまへれ。信ぜず此の女の須臾の頃に於いて、便ち正覚を成ぐることをと。言論未だ訖らざるに、時に龍王の女、忽然に前に現れ、頭面に禮し敬ひつつ、退きて一面に住ひ、偈を以て讃へて曰さく、深く罪福の相を達し、偏く十方を照らしたまふ、微妙にして浄き法身、相を具へますこと三十二、八十種好を以て用つて法身を荘厳したまふ、天人の戴き仰ぐ所、龍神も悉く恭敬ひまつる、一切の衆生の類、宗め奉まざる者無し、又聞て菩提を成ぐること、唯佛のみ当に証知すべし、我大乗の教を闡きて、苦の衆生を度脱さん』
そこで智積菩薩が非常に讃めたのに対して、文殊師利菩薩のいふには、私はこれだけの菩薩を教化したけれども、唯海中で妙法華経だけを説いていたのである、「法師品」には、若し人有って此の経を聞いて、須臾くも、一偈一句を一念も随ぎ喜ばん者は、皆成佛するとあったが、これは海の中で魚族龍族という畜生のところに行って「法華経」ばかりを説いた、それで皆海中の者が成佛したといふ、そこで智積菩薩が文殊師利菩薩に問うていふには、それは不思議なことを承る、此の「法華経」といふものは一切の法の中で最も微妙甚深の法であって、諸経の中の宝である、その「法華経」をば、衆生が勤めて精進を加へ、此の法で速かに佛になるといふことがあるかと問ふた、すると、文殊師利のいふには、有る、それは娑竭羅龍王の女が年始めて八歳、畜生であって女でそして齢が八歳、一般の上からいひますと人間以下の畜生です、畜生は愚痴の表示なので前の提婆達多は邪見であります、邪見といふのはなかなか智慧のある方ですが、畜生は大体愚痴の表示なのです、その畜生であり、而も女である、女人は佛教では貪欲の強いものとしています、それは貪欲が強いといふことは、婦人であるから必ずしも強いのではないが、婦人は天性に男子と違ふところがある、どう違うのかといひますと、婦人は子供を生みます、公平に考へても、婦人は男子より利己的なところがあります。自分に近いものをば大切にする心が、どうしても婦人にはあります、これはなくてはならんので、或る事で婦人が非常に利己的だといふことを私のところにいって来た或る学者がある、それは體験した結果私のところにいって来たので、此の人は文学博士です、それから私がすっかり話しを聞いた、聞いた結果私は是を開顕した、君はさういふがそれは尤もだ、婦人は男子から見たならば利己的になる筈だ、何となれば婦人は子供を産まなければならぬ、そして子供を育てる責任がある、自分の身體を以て子供をチャンと保護する、男子は自分の生命一つだが、婦人は二人分の生命をもって居る、これは事実なのだ、いくら男が文句をいったところで、二人の生命をもつことは出来ない、ところが婦人は二人の生命をもつことが出来る、その点からいったならば婦人が利己的ではないので、第二の生命を保護する為である、それは婦人の天性で一種の天の配剤だ、だから婦人が利己的になることはあんまり文句をいふのは、君の方が間違って居るといったことがあります・・・・・・・もっとも其の為めでない貪欲もないこともないが・・・・・・・・・・
 そこで婦人といふものは貪欲を示す、畜生は愚痴を示す、然も八歳であるから僅かしか修行していない、愚痴にして貪欲で、それが年始めて八歳、然るにその僅かな功徳によって、どうなったかとといふと、智慧利根といって、愚痴が智慧利根になり、あべこべになった、そして、
 『善く衆生の諸根の行業を知りつ、陀羅尼を得て、諸佛の所説の甚深き秘蔵、悉く能く受持ち。深く禅定に入りて、諸の法を了達り、刹那の頃に於て菩提の心を発して、不退転なることを得たり。辨才無礙にして衆生を慈み念ふこと猶ほ赤子の如く、功徳具足して、心に念ひ口に演ぶるところ、微妙にして広大なり』
という恐ろしい功徳になった。
 『慈悲仁譲・志意和雅にして能く菩提に至れり』
さういふ功徳を八歳の龍女が持ち得たのです。 そこで智積菩薩は、それは不思議なことを聞くものかな、自分は釈迦牟尼佛を見奉ると、無量劫にわたって難行苦行をされた。
 『功を積み徳を累ねつつ、菩薩の道を求めて未曾て止息ませたまはず、三千大千世界を観たてまつるに、乃至芥子の如き許りも、是菩薩にして身命をば、捨てたまひし處に非ざること有ること無し』
三千大千世界の何処でも、芥子の如き所でも、みんな釈迦牟尼如来が菩薩行をせられた所でないところはないのだ、その不惜身命の菩薩行をせられた結果佛になられた、然るにさういふ愚痴にして女で、僅か八歳の者が佛になるということは、あるべからざることだ、私はそれを信じることは出来ない、これをば教学で申しますならば、智積菩薩は別教といふ教、別教の見を以て「法華経」の圓教を難じたものです、すると其の時
 『言論未だ訖らざるに、時に龍王の女、忽然に前に現れ、頭面に禮し敬ひつつ、退きて一面に住ひ、偈を以て讃めて曰さく
  深く罪福の相を達し、偏く十方を照らしたまふ、微妙にして浄き法身、相を具へますこと三十二、八十種 好を以て、用つて法身を荘厳したまふ、天・人の戴き仰ぐ所、龍神も悉く恭敬ひまする、一切の衆生の類、宗め奉まざる者無し』
清浄妙法身
具相三十二
以八十種好
用荘厳法身
佛というものをば、単なる凡夫そのままの佛だといふやうな佛を「法華経」は考へない、微妙にして浄き法身である、その法身といふものは、相を具へますこと三十二、八十種好、以て法身を荘厳すとある、単なる理の法身を重んじない、三十二相八十種好を具へたる、人天の真の大導師としての佛陀、その佛陀が荘厳法身である、三十二相八十種好の佛は応身といふ、普通は法身の方が応身より勝れたものとして居るが、応身即法身、法身即応身、三十二相八十種好を具へた人格的完成の佛陀、その佛様をば尊ぶのであります、それは天人が共に戴き、人天が真の師である、龍神も恭敬ひ一切衆生悉く宗め奉らざる者は無い、九界の一切衆生の真の師であり親であり主である、主師親である、それは釈尊貴方様でありますと龍女がいった。そして其の次にいった語が又偉いことです。
又聞成菩薩
唯佛当證知
我闡大乗教
度脱苦衆生
智積菩薩は佛になるといふことは、 三十二相八十種好を具えて佛になるということは、『三千大千世界を観たてまつるに、乃至芥子の如き許りも、是菩薩にして身命を捨てたまひし處に非ざること有ること無し』といふ、積功累徳、長い間の修行の結果佛になるのである、さういふものであると智積菩薩が決めて居った、だから龍女が信仰を起してすぐに菩提を得たといふことを聞いて、それは不思議千萬だ、そんなことはあるべからざることではないかといったのに対して、龍女が出てきていふには
 『又聞て菩提を成ぐること、唯佛のみ当に証知すべし。我大乗の教えを闡きて、て苦の衆生を度脱さん』
 これは前の「法師品」の『須臾聞之即得究竟阿耨多羅三藐三菩提』、須臾もこれを聞いたならば、阿耨多羅三藐三菩提、即ち佛の悟りに到ることが出来るといふ、聞くことによって信仰を表する、聞くといふことには何が必要であるか、何が相手になるのであるかと申しますとそれは聞くことは信仰によるのです、聞法というものは信仰と相対するので、佛教では修行の法が二つあります、それは観念と聞法です、一つは観念一つは聞法です、斯う二つある中、聞法の方は信仰、観念の方は禅定をやる人間であります。そして此の観念の方を法行といひ、聞法の方を信行といひます、
 観念ー禅定ー法行
 聞法ー信仰ー信行
 今その聞法の方において成佛するといふのは、それは信慧一如によって成佛するので、それは佛様のみがよく御承知でせう、『唯佛のみ当に證知すべし』、苦の衆生を度脱するのを佛のみ知って居られる、外の者は知らぬでせう、だから智積菩薩が疑ふのは当たり前ですが、「法華経」の真の大乗はどういふことであるかといふと、佛の功徳の全体をば此の「法華経」の中に含めしめられてある、それだから此の「法華経」そのものを信仰受持すれば、佛の功徳をそのまま得ることが出来るのだ、さういふことが此の経の中にある、それが真の大乗であってそれが「法華経」です、その「法華経」の功徳利益を私がこれから身体で見せまする、そして六道の衆生をば度脱さうと思います、さういふことを龍女が申上げて居るのでありす。



 7 舎利弗更に疑ひ、龍女現證を以て之を通ず         


 聞いただけで菩提を成げること、それは別教では考へられないことであります、佛がもって居られるところの功徳をば、佛の慈悲によってこれを與へることが出来る、さういふこよは別教では考へられない。
 智積菩薩はそれを聞いて、兎に角これは何事かあるだらうといふので沈黙してしまひました。
 『爾の時、舎利弗、龍女に語りて言はく、汝久しからずして、無上の道を得べしと謂へり。是の事信じ難し、所者以何とならば、女の身は垢穢くして、是れ法の器に非ず、云何にしてか能く無上の菩提を得ん。佛の 道は懸曠なり、無量の劫を経て勤苦とて行を積み、具に諸度を修め、然る後に乃ち成すべけれ。又、女人の身には猶ほ五の障有り、一には梵天王と作ることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には佛身なり。云何してか女身の、速かに佛と成ることを得んと。爾の時、龍女、一つの宝珠有りて、価値三千大千世界なり。持げて以て佛に上る。佛即ち之を受けたまふ。龍女、智積菩薩、尊者舎利弗に謂って言はく、我宝珠を献つる。世尊納受けさせたまふ、是の事疾しや、不やと。答へて曰く、甚だ疾し。女の言はく、汝が神力を以て、我が成佛を観よ。復之よりも速かならんと。当時、衆会、皆龍女の忽然の間に変じて男子と成り、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往き、宝の蓮華に坐して等正覚を成し、三十二相・八十種好ありて、普く十方の一切衆生の為めに、妙法を演説くことを見る。』
すると舎利弗が又そこへ出てきていふには、お前は久しからずして無上の道を得べしと思って居るが、それは甚だ信じ難い、男ならば兎に角、女は垢穢の身である、佛道はなかなか懸曠であり、無量劫の間勤苦しなければならぬ、小乗では三祇百劫といふ長い間の修行しなければならない、その間に六波羅蜜を修めた結果でなければ、佛にはなれない、また女は梵天王・・・・・世界の主、帝釈・・・・・須彌山の主、魔王・・・・・欲世界の王、転輪聖王・・・・・此の人間の住んで居る世界の王、佛身・・・・・十界の王、すべて女は王になることは出来ないと我々は聞いて居る、女の身がどうして佛になることが出来ようかと難じました。その時、龍女が一つの寶の珠を持っていました、その価値三千大千世界という珠で、これをば所謂一念三千の珠であると説かれて居るやうですが、其の価値三千大千世界の珠を捧げ持って佛に奉った、これは文殊師利菩薩から海中に於いて、「法華経」の一念三千の真理を聞いて居る、その一念三千の真理の宝珠、それをば龍女は信仰によって確と持って居ましたから、それを佛にささげた、これが私が頂いたものでございまするが、とささげた、すると佛は、其の通りだ、俺が与えた所謂佛果上の一念三千なのだといふので、佛はこれを受けられた。 そこで龍女が、智積菩薩及び舎利弗に向って問ふには、今自分が珠を奉りましたが、非常に疾かったでせう、両名は、それは非常に疾うございましたといひました時に
 『汝が神力を以て、我が成佛を観よ、復此よりも速やかならん』
といって、龍女が南方無垢世界に行って、佛になった姿を見せました、このことをば伝教大師は
『以顕経力』
といはれています。龍女の成佛はどういふことであるかといふと、 これは経力即ち此の法華経といふ教法の力を示しているのであって、龍女の修行の功徳ではないといふのであります。
法 力
佛 力
信 力
 これを三力といひますが、今ここでは特に経力を示して居るのです、元来その経を下されたのは佛で、それは佛の大慈願力によるのです、佛の大慈願力によって、此の価値三千大千世界の、宇宙の根本たる真理の法、その法をば妙法華の経力の中に、その真理の証り主たる佛の大慈願力によってこれを収められた、その経をば衆生にお与えになったのですから、龍女はこれを信ずることによって、此の佛の力の経力を経過して、そして佛の証の徳を自分に得てしまった、そこで龍女が持って居ったものは内証・・・・・内に佛の一念三千の法を信得して居ることで、そして今内証が外用・・・・・外の一念三千の用を現はすので、それは佛のものである、自分の力で得たのではない、佛の慈悲の力によってこれを経力の中から得たのです、佛力によって法力の中に佛の因果の功徳を攝められて、信力のある衆生にこれを授けられる、つまり佛の因行と果徳とが、此の経の中に含められた、其の経を聞いたことによって、佛様の御心を盛られたところの三千大千世界に価する珠・・・・・佛の一念三千の珠、その佛の一念三千を龍女は内証して居った、信仰によいって蔵して居った、よって外佛身を現ずることが出来たのであります。



 8 時衆の得益、人天の歓喜                     


 『爾の時、娑婆世界の菩薩声聞、天龍八部、人と非人と、皆遙かに彼の龍女の成佛して、普く時会の人天の為めに、法を説くを見つ。心大ど歓喜びて、悉く遙かに敬ひ礼せり。無量の衆生は、法を聞き解悟りて、 不退転を得、無量の衆生は道の記を受くることを得つ、無垢世界六反に震ひ動きつ。娑婆世界なる三千の衆生は不退の地に住り、三千の衆生は、菩提の心を発して、而ち記を受くる得たり。』


 9 小権の疑散じて黙して深信を領す


 『智積菩薩、及び舎利弗、一切の衆会、黙然として信じ受けぬ。』
龍女が成佛した実証を見たので、別教を以てこれを疑ったもの、小乗の心を以て疑ったもの、皆現在の実証を見て黙然信受した、此の龍女が権者であるのか実者であるのか、斯ういふ風な議論が昔からあります、伝教大師の仰せには、権者であっても構はない、それは何となれば権は実を引く、権者といふものは何のために佛が示されたのであらうか、それは佛がさういふ姿を神通力を以て示されて居るのであるが、何故示されて居るのかといふと、権は実を引くのである、其の身が卑しいことに拘らず、煩悩の沢山あることに拘らず、一つの信念によって生れ変ってしまふ、愚痴の龍女が『善く衆生の諸根の行業を知りつ、陀羅尼を得て、諸佛の所説の甚深き秘蔵、悉く能く受持ち、深く禅定に入りて諸の法を了達り、刹那の頃に於て菩提の心を発して、不退転なることをを得たり』といふやうな事柄も、生まれ変わってしまふことです、信仰によって生れ変ってしまふことです。さういふことは龍女が権者であっても、実際の人間にさういふことがなし得る要素があるから。化現としての龍女が、実際の衆生がさういふこともなし得るものだといふことを示す為に、さういふ姿を示されたのである、権は実を引く、さう示されて居るのである、若し実を引かないならば、権を徒らに示すのは何のためであかわからないのであるから、それは権者であって少しも構はないのである、伝教大師はさういふ註をせられて居りますが、婦人の徳として龍女をば『慈悲仁譲・志意和雅』と前にいはれた、慈悲仁譲・・・・・慈悲仁愛にして出しゃばらない、志意和雅・・・・・志意はまことに雅やか、和やかである、さういふ雅やか和やかであり慈悲仁譲であるに拘らず、智積菩薩や舎利弗が、龍女の信仰して居った佛から得た妙法蓮華経の功徳を疑った。そこで忽然変じて男子となるといふ姿を示した、これは忽然変じて男子となるといふと矢張り男にならないと成佛が出来ないのかといふ話があるけれども、これは成佛といふことは男女に関はらない、成佛といふことは何ういふことであるかといふと、本門で申しましたならば本佛を成就するといふことなのです。本佛といふことは法界一切すべて本有の佛身なので、本有の佛身を成就するということが成佛であるから、男は男、女は女そのままでよろしい、但し今佛といふものをば、三十二相・八十種好を成じた佛様でなければ佛でないと思って居るものに対している、それだから三十二相・八十種好を成就しようといふには男にならざるを得ない、なぜかといふと三十二相八十種好には、男のしるしとしての陰馬蔵相といふものがある、だから三十二相を具へるには、男にならざるを得ない、即ち変じて男子とならざるを得ないのです。
 内証の佛、外用の佛と斯う二つありますが、内証の佛は女子はそのまま佛になるが、外用の佛は身体的
には男子に変ずる必要が出て来る、けれども変ずることも決して難しくはない、それは恰度 天照太神が、平素は鷹をお飼ひになったり、織物を織られたりされて居るが、素盞鳴尊が風を起して高天ヶ原に上られた時、天照太神が『いつの高鞆弓腹振り、いつの雄叫、ふみたけび』、泡雪と土を蹴ちらかしていかめしきお姿を現され、男そのものの姿になられて素盞鳴尊を譴責せられた、或は神功皇后が三韓征伐をせられる時男子のお姿になって三軍を率いられた、あのやうなことは変じて男子になるのであります、心の方が真に内証の佛性を握って居ったならば、何時でも男子の姿の必要な場合には男子になることも出来るわけです。
 以上提婆達多の善悪不二、邪正一如と、それから愚痴変じて智慧利根となり、女身変じて、男子となることが出来る龍女の成佛、それは両方とも経力によるものであるといふので、此の五逆の達多、愚痴の龍女の成佛、これを以て「法華経」の功徳を示し、そして斯の如くそれは難しいものではないのみならず、修行も但信仰の一つであるから、六難九易の修行をするのは難しいものだ、けれども、信仰するのは難しいことではない、信は易い、然しながら其の信仰を真に得たならば、今度は六難九易も決して難しいものではなくなるのである、何故かといふなら、経力がこれを助けるからであるといふので、提婆と龍女の、悪人女人の成佛を明して、此の経の力の大なるを示された、ここに於いてはじめて、「勧持品」に此の「法華経」の弘通をしたいといふ請願者が出て来る、斯ういふことになるのであります。




勧持品第十三                      


 次は「勧持品第十三」であります。「勧持品」はプリントに引いておきましたやうに、妙楽大師のいはれるのには、「勧持品」は即ち是れ悪世の方軌、悪世に此の「法華経」を弘める規則、「安楽行品」は是れ始行の方軌、『始行』といふのは菩薩の中、まだ始めの修行の、浅い位の菩薩の修行法であります、「安楽行品」は斯う断られて居るので、「勧持品」は修行の深い菩薩のことであるといふことが自ら示されて居るのであります。「安楽行品」は即ち始行の方軌でありますが、それでも尚ほ忍辱地に住することが必要であるといふことは、具さに「安楽行品」に書かれて居ります。若しその方軌がなかったならば・・・・・若し爾らずんば則ち弘経軌なけん・・・・・規則のない弘経をしたならば、赤身で敵陣に入るやうなものである。何故かといへば、「法華経」は佛の覚なのですから、根本的に衆生の心とは違ったものであります、「法華経」を修行する者は、挙世皆敵と見なければならぬ程のものです、安楽行品にも『一切世間、怨多くして信じ難し』とあります。そこで敵の中に入るのに赤身であったならば、必ず・・・・・自ら損ずること虚しからざるが如し、・・・・・命を落すものである、そこで鎧を被なければならぬことになります、・・・・・被鎧の言應に徒らに説かざるべし・・・・・といはれて、「勧持品」は進んで説くのですから、忍辱の鎧を被ねばなりません。そのことを主として説かれたので、それは悪世の方軌、深位菩薩の方軌なのであります。
 そこで、上の「宝塔品」に於ける三箇の勅宣、「提婆品」に於ける二箇の諫暁、以上五箇の諫暁に応じて、此の品では五類の人々が、或は此の土、或は彼の土の弘経を誓願するのであります、二萬の菩薩は此の土の弘経、五百羅漢と八千の声聞と比丘尼との三は娑婆世界以外の所で弘経することを誓願する、又八十萬億の菩薩は悪世の弘経を誓願するので、これを五類の発誓と申すのです。



 1 四類の發誓                               


 先ず始めには「四類の發誓」で、二萬の菩薩と五百・八千及び比丘尼の発誓であります、その中の第一は二萬の菩薩が此土の弘経を誓願し、五百の羅漢及び八千の声聞が他土の弘経を誓願する・・・・・・
 『妙法蓮華経勧持品第十三
 爾の時、薬王菩薩摩訶薩、及び大楽説菩薩摩訶薩は、二萬の菩薩の眷属と倶に、皆佛の前に於て是の 誓言を作さく』
「法師品」の対告衆の薬王菩薩と、及び「宝塔品」の対告衆であった大楽説菩薩、此の菩薩方が二萬の菩薩方と倶に皆その誓言を作しました。
 『唯願くは世尊よ、以て慮ひ為したまはざれ、我等、佛の滅しませる後に於て、当に此の経典を奉持ち、読誦んじて説きたてまつるべし。後の悪世の衆生は、善根転た少なくして、増上慢多く』
どうか御心配なさらんやうに願ひます、私達は佛のおかくれになった後、当に此の経を奉持ち、読み誦じ、又解説を致すでありましょう、後の悪世の衆生は善根・・・・・善いことをすることは頗る少ない、何となれば生れた時が佛や法からだんだん隔って居るから、あらゆる善をなす心の根が少なくなる、どうしてかといふと、彼等は自ら得ざるを得たりとする、先人のいふことをば用ひない、彼等は増上慢である、
 『利供養を貪り、不善の根を増し解脱に遠離かりつ、教化すべきこと難しと雖も我等当に大忍力を起して、此の経を読誦んじ持ち説き書写し、種々に供養して、身をも命をも惜しまざるべしと。』
『不惜身命』の語はここから出ております、これが薬王菩薩及び大楽説菩薩及び二萬の菩薩の誓いであります。
 『爾の時に衆中の五百の阿羅漢の受記を得たる者』
即ち「五百品」の時に受記を得たもの、それが、
 『佛に白して言さく、世尊、我等も亦自ら誓願ひて、異の国土に於て、広く此の経を説かん』
佛は娑婆世界に於いて誰かよく「法華経」を説かん、といはれましたが、娑婆世界ではどうも自信がございませんから、外の世界で広く説かせて頂きたい、
 『復、学無学の八千の受記を得たる者有り、座より起ち、合掌して佛に向ひたてまつり、是の誓言を作さく、世尊よ、我等も亦、当に他の国土に於て広く此の経を説くべし』
そこで五百羅漢と八千声聞のいふのには、何故娑婆世界では自信がないかといふと、
 『是の娑婆國の中は、人に弊悪多くして、増上慢を懐き、功徳浅薄に、瞋濁れ諂曲りて、心実しからざるが故なり』
といふので、つまり娑婆世界を忌避してしまった、これが二萬・五百、八千の三類の発誓であります。
 次に「驕曇彌の授記」
 『爾の時、佛の姨母なる摩訶波闍波提比丘尼、学無学の比丘尼六千と倶に、座より而て起ち一心に合掌 しつつ、尊顔を贍り仰ぎて目暫くも捨かず』
佛様の御母上は佛をお生みになるとすぐにおかくれになった、そこで摩耶夫人の妹の摩訶波闍波提・・・・・驕曇彌といふ方が叔母さんですが、後のお母さんになって佛をお育てしたのです、佛が出家成道して僧団をつくられました後も、はじめ坊さんには男の坊さんばかりあって女の坊さんはなかった、ところが此の驕曇彌が女の坊さんになりたいといふので、佛様は大変迷惑された、然し叔母様の仰しやることであるから、終に比丘尼をこさへることになった、その代り比丘尼は戒が余計にある、余計あっても構はないからといふので比丘尼になられ、そして阿羅漢様の悟を開かれた、その摩訶波闍波提比丘尼はこれまでに佛様から成佛の卒業免状を頂いて居らぬ、そこで佛の尊顔を拝んで、目を暫くも捨てず、これまで女の卒業免状をもらった者が無かったから黙って居ましたが、龍女が畜生で佛になったから、これは私の方も当然であらうといふので、佛様の尊顔を贍仰た、
 『於時、世尊、驕曇彌にに告げたまはく、何が故ぞ憂の色なして如来を視るや、汝が心に、将に我汝が名 を説いて、阿耨多羅三藐三菩提の記を授けざりしと謂うこと無しや。驕曇彌よ、我先に総て一切の声聞に、皆已に記を授けたりと説けり。今汝記を知らんと欲はば、将来ん世に、当に六萬八千億の諸佛の法の中に於て大じき法師たるべし。及び六千の学・無学の比丘尼も、倶に法師と為らん。汝是の如くにして、漸漸に菩薩の道を具へ、当に佛と作ることを得べし。一切衆生喜見如来・応供・正偏知・明行足・善逝・世間解・ 無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と號けむ。驕曇彌よ、、是の一切衆生喜見佛及び六千の菩薩、転次 に記を授かりて阿耨多羅三藐三菩提を得む。』
先に一切の声聞に、既に卒業免状を与へたから、お前も其の中にはって居たのであるが、然し自分の名がないからというのであれば、授けてやろうといふので、一切衆生喜見如来という佛の卒業免状を下されました。
 これは『将来ん世に、当に六萬八千億の諸佛の法の中に 於て大じき法師たるべし』とあって、法師となってそれから漸漸に菩薩の道を具へて佛となると書かれてあるから、同じ女でも龍女の方が御利益が顕著ではないか、驕曇彌の方は長い間佛にに従って修行し、その結果又それから長い間菩薩の道を具へなければならぬならば、驕曇彌の方が損ではないか、とこんな考へが起るかもわかりませんがこれはさうではない、前にも話しましたが、内証の方は摩訶波闍波提比丘尼はもうすんでしまって居るのです、龍女の成佛は、あれは一種の神通のやうな成佛です。素盞鳴尊が高天ヶ原に攻めて来たから、天照太神が俄に男の服装をせられた、三韓征伐に、仲哀天皇がおかくれになったから神功皇后が、仕方なく男装された立場と同じことです、今驕曇彌等の声聞が成佛されるのは、さうではない、声聞の成佛は本当の三十二相八十種好の真の成佛です、仮に成佛の姿を示した龍女のとは違います、これは声聞といふ修行をして居った時には自身だけの三界解脱を求めたのですから、一切衆生に縁がないのです、佛の内証はすんで居るのだけれども、佛になるには佛の国を造らなければなりません、佛国土をつくるには菩薩の修行をして、人々にチャンと縁をつけなければならぬ、菩薩の修行をして居る時にその菩薩に救はれた人達、縁をつけられた人達が、その菩薩が佛になった時にその国へ生れて来る、ところが『弧調解脱』といって、阿羅漢様は自分だけの悟を主として、人に縁をつけて佛国土を厳浄することがしてない、荘厳国土といって俺は斯ういう理想の国を造らうと思ふ、斯ういふ特色ある佛の国を造らうと思ふといふので、その目的のために菩薩行をしなければならぬ。その菩薩行をして居られた時分に、その菩薩の行のために縁をつけられ救はれたといふ人々が、それに一緒について行く、だからさういふ佛国土を造るといふことには、斯ういふ長い時間が必要になります。前の龍女とは訳が違うのでありました、ああいふ龍女が示したやうな成佛ならば、此の驕曇彌でもすぐに出来るのですが、ここの場合はさうでないのです。
 次は耶輸陀羅の授記
 『爾の時、羅睺羅の母なる耶輸陀羅比丘尼、是の念を作さく、世尊は授記の中に於て、独り我が名をば説きたまはずと。佛、耶輸陀羅に告げたまはく、汝来らん世に、百千萬億の諸佛の法の中に於て、菩薩の行を修め、大じき法師と為り、漸くに佛の道を具へつ、善しき国の中に於て当に佛と作ることを得べし。具足千萬光相如来・応供・正偏知・明行足・善逝・世間解・  無上士・調御丈夫・天人師・佛・世尊と號けむ。佛の壽は無量阿僧祇の劫ならむと。』
耶輸陀羅は佛の御后であられた、そして佛の一子羅睺羅の母であられた、その耶輸陀羅比丘尼の授記であります、是の如く佛の姨母及び佛の后であられた耶輸陀羅比丘尼は、両方とも成佛の記別を受けた、そしてあらゆる比丘尼は此の二人の眷属ですから、共に授記されたのです、そこで、
 『爾の時、摩訶波闍波提比丘尼、及び耶輸陀羅比丘尼、並びに其の眷属、皆大ど歓喜びて未だ曾て有なきことを得つ、即ち佛の前に於て、偈を説きて、言さく、
 世尊は導師として 天人を安穏へたまふ 我等記を聞きて 心安く具足しぬ 諸の比丘尼、是の偈を説き已りて、佛に白して言さく、世尊よ、我等も亦能く他方の国土に於て、廣く此の経を宣べん。』
と誓うたのであります。



 2 八十萬億那由佗の發誓                    


 『誰か能く此の娑婆国土に於て、広く妙法華経を説かん』といはれて、「宝塔品」で佛は弘通者をお募りになったのに、八千の声聞、五百羅漢、及び比丘尼の方々は皆他方の国土でこれを弘めたいと申上げた、二萬の菩薩だけは此の娑婆世界で弘めたいといったけれども、佛様は少しく不満であられた、何故不満であるか、此の薬王菩薩及び大楽説菩薩の弘経の誓願を見ると
 『後の悪世の衆生は、善根転た少なくして増上慢多く、利供養を貪り、不善の根を増し、解脱を遠離かりつ教化すべきこと難しと雖も、我等当に大忍力を起して、此の経を読誦んじ、持ち説き書写し、種々に供養して身をも命をも惜まざるべし』
これだけのことです。これだけのことでは佛が『六難九易』などということを仰しやって、「宝塔品」に難しい難しい難しいといふことを念に念を入れて仰しやったことと、此の二萬の菩薩の誓願と比べると、二萬の菩薩の誓願が足りないのです。そんな覚悟位では佛があれだけ繰返して、難しいことをいってあるのに対して、それでは当たらないのではないか、そこで『佛の目視、八十萬億の発誓』となります。
 『爾の時、世尊、八十萬億那由他の諸の菩薩摩訶薩を視そなわす。』
佛様がずっと八十萬億那由他の菩薩をご覧になった、『是の諸の菩薩は、皆是阿惟越致にして』即ち不退地といふ、最早迷ひのところには帰らない、一向に佛のところに到る人であるといふ、不退地という位に居る人である。又『不退の法輪を転らし』少しも間断なく菩薩行を修行して居る人である。
 『諸の陀羅尼を得たり。即ち座より起ち、佛の前に至りて、一心に合掌しつつ、而て是の念を作さく。』
佛様がジロッと見られたので、菩薩方は皆心に思った、
 『若し世尊、我等に此経を持説けよと告勅したまはば、当に佛の教の如く、広く斯の法を宣ぶべしと。復、 是の念を作さく、佛、今は黙然として告勅したまはず、我当に云何かすべきと。時に、諸の菩薩、佛の意に敬ひ順ひ、並びに自ら本願を満さんと欲して、便ち佛前に於いて獅子吼を作し、而て誓言を発さく』
自分達の顔を御覧になったから、これは我等に誓言を説けと仰しやったのであるといふので、若し自分達に此の法を弘めることをお許し下さるならば、佛の教のままに身命を捨てて修行致したいと思ふ、けれども佛様は黙っていらっしゃる、・・・・・諸の菩薩は佛の意に敬ひ順ひ・・・・・先づ佛様が、どうもこれでは先の二萬の菩薩の誓だけでは足りないと思召していられるらしい、又自ら彼等の本願としても、不惜身命に法のために盡したいといふ本願があるからといふので、便ち佛の御前に於いて獅子吼を作して誓言を発した。
 『世尊よ、我等如来の滅し給へる後に於て、十方の世界に周旋り往返りして、能く衆生をして此の経を書写し、受持ち、読誦んじ、其の義を解説し、法の如く修行して、正憶念せしめん。皆是佛の威力ならむ。』
佛の威力として其のことをさして頂きたい。
 『唯願くは世尊よ、他方に在すとも、遙かに守護せ見せたまへ』
斯う先に誓言をなしておいたのであります、 是から八十萬億の発誓で、『菩薩偈を以て誓旨を衍述す』るのです。
 『即時に、諸の菩薩、倶に同じく声を発げて、而して偈を説きて言さく
 唯願くは慮ひしたまはざれ、佛の滅度したまへる後の恐怖しの悪世の中に於て、我等当に広く説くべし。』
此の最初のところは、『忍辱鎧を着て此の経を弘通する』といふことが説かれてあります、その一ばん始めに・・・・・唯願くは慮ひしたまはざれ、佛がおかくれになってから後の恐怖しき世に於いて、必ず説きませうといって、『総じて時を挙げ』られました、此の経の意味から申しますと、これは『恐怖悪世」といふのは、佛の滅後末法の時といふ風に解釈されるのであります。
 其の次は其の忍辱の鎧を着て、どんなことを忍ぶのであるか、どんな厭なこと、どんな難しいことが出てくるのかといふことを説かれる、それが『所忍の境を明す』といふのです。 その所忍の境には三類の強敵といふのがありますが、その第一に俗衆増上慢を明される。
 『諸々の無智の人、悪口し罵詈る等、及び刀杖を加ふる者有らんも、我等皆当に忍ぶべし』
一般の俗人であります、その無智なる一般の俗人・・・・・ここで無智といふのは、佛教の智慧のないことだといふことを申上げておきます、世間の智慧がいくらあっても、佛教の智慧のない者は矢張り無智です・・・・・其の無智なる人の悪口し罵詈し、及び刀や杖を以て迫害する、それを第一の俗衆増上慢であります。それも我等皆忍ぶべし、次に
 『悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲り、未だ得ざるを為得たりと謂ひ、我慢の心充満せん』
これは第二の道門増上慢で、一般の僧侶です、悪世の中の一般の僧侶は、佛教の智慧は、俗人がまるで知らないのと違っていくらか知って居る、けれども何んなに知って居るかといひますと、間違って知って居る、邪なことを知って居る、正しく知らない邪智であります、邪智であるから其の心は常に世の中に諂ふ、世の人間の情に諂ふ、さういふ心をもって居ます、 「法華経」は一切世間の人に諂らはない、衆生の心に従はないで、唯佛の随自意、佛の御心にのみ従うのが「法華経」であるが、此の悪世の中の比丘はさうでなくて、衆生の心に従ふ方で、邪智にして心は諂曲であります、 そして未だ得ざるを得たりと謂ひ、我慢の心が充満して居る、「法華経」の上からいへば、本当の佛道にならないのです、 けれども「法華経」でなくても矢っ張り佛の道の、或るものを得て居ると思って居る、そして彼等は佛の心たる法華経こそは得ていないが、自分は或るものを得て居るといふ、我慢の心が充満して居る。
 次は第三の僭聖増上慢です。
 『或は阿練若に、納衣のして空閑に在りて、自ら真の道を行ずと謂ひて、人間を軽賤むる者有らん』
阿練若は阿蘭若ともいひ、浮世を離れたところ、巷を離れた所に三衣一鉢といって、佛が外面的に僧侶の行儀を示された、その姿をして居って、そして自ら自分は真の道を修行するのだと思って居る、そして彼等は人間を軽賤める、普通の凡夫を軽賤めて凡夫と異ったことをして居る、而も異ったことをして居るから佛の真の道の通りして居るのかといへば、佛の真の道にしたならば、着物でも余計たくはへておくことは出来ない、食物でも余計なものはおいておけない。其の日のものは其の日の内に處分してしまふ、貯蔵することは一切出来ない、 ところが彼等はそうではない、なかなか衣であらうが食べる物であらうが貯蔵する、即ち利養を貪るそして白衣の為めに法を説く、白衣とは俗人のことで、俗人のために俗人が歓びさうな風に法を説いて、世に恭敬はれることは六通の羅漢の如くであらう。そして白衣の為に法を説く、白衣とは俗人のことで、俗人のために俗人の歓びそうな風に法を説いて、世に恭敬せられることは六通の羅漢の如くであろう。
 『是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念ひ、名を阿練若に仮りて、好みて我等が過を出さん』
さういふ風に僭聖増上慢のものに対して、プリントに書いてあるやうに、『出家の處に一切の悪人を摂す』、これは東春という所に智度といふ人があって、この人は妙楽大師の弟子ですが、この人の註釈の語ですが、えらいことをいったものです。『出家の處に一切の悪人を摂む』とて坊さんには悪人ばかりが摂って居る、其の頃の一ばん悪い者が坊さんになって居るのである、しかも表面は六通の羅漢の如く恭敬はれる、そして悪心を懐いて、常に世の人間を軽賤めるから、世の中のことは思わない筈であるのに、人間を軽賤しながら常に世俗のことを念ふ、そして真の道を行ずと思って居ながら悪心を懐いて居る、そこで『法華経』の行者の過を出す、ここでの悪人といふのは、『法華経』にそむく者を一切の悪人といってある、無智が佛教の道理を知らない者であるが如くに、此の悪人は『法華経』にそむく者であります、その悪人、一切の誹謗者をば集めてある僭聖増上慢、これらがどんなことをするのかといひますと、これから先に書かれています。『而ち如是の言を作さむ』というのが悪言の謗と、善言の謗と二つあります。その悪言の謗りに於いて個人個人に向って悪言をする、それから公處、役所に向かって悪言をする、此の二つの悪言があります。
 『而ち如是の言を作さむ、此の諸の比丘等は、利養を貪るを為ての故に、外道の論議を説き、自ら此の経 典を作りて、世間の人を誑惑し、名聞を求むるを為ての故に、分別して是の経を説くと』
以上が私所、私の所でで個人個人に向っていふ、「法華経」を修行をして居る彼は利養を貪ってやって居るのだ、彼等のいふところは決して佛教の本義ではない、外道である、お経の道理を勝手に作って世間の人を誑惑して居るのだといふやうなことをいって悪口する、次は公處即ち官公衙衙に向っての悪口です。
 『常に大衆の中に在りて、我等を毀らんと欲ふが故に、国王大臣、婆羅門居士、及び餘の比丘衆に向ひ、誹謗りて我が悪を説いて、是邪見の人なり、外道の論議を説くと謂はむ』
これは公處に向っていふ悪口で、一般にいって居るのみならず、官に訴へて「法華経」の行者を誹謗する。そんな風にいろいろな迫害をする、俗衆・道門・僭聖の三類が一つになって、法華の修行者を悩ます、けれども
 『我等佛を敬ふが故に、悉く是の諸の悪を忍ばむ』
と敢然として退かない。すると彼等はまた次は「善言の謗」をする。
 『斯が為めに軽しめ言はん、汝等は皆是れ佛なりと、是の如き軽慢の言をも、皆忍びで之を受くべし』
一方には外道の論議を説くといひながら、又一方にはお前は佛だらう佛だらうといって嘲斎坊にするやうなことをいっても、皆忍んでこれを受ける。此の軽慢・・・・・悪口し善言の謗をするのは、どうしてであるのか、どうしてそんな風に悪言の謗りや善言の謗りをするのであろうか、
 『濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖あらむ、悪鬼其の身に入りて、我を罵詈り毀りて辱めん』
これが『誹謗の所以』であります、悪鬼とここに書かれてありますのは、深くいひますのは元品の無明で、迷いの一番奥底の本です、それをば日蓮聖人の御書にも
 『元品の無明は第六天の魔王と顕れたり』(富木入道殿御返事)
といはれて居ます。そこでここに悪鬼と書かれているのは、第六天の魔王のことで、即ち元品の無明の顕はれです、元品の無明といふのは何ういふことかといひますと、元品の法性に対するもので、我々は元品の法性が出た時でなければ元品の無明は顕はれない、元品といふのは一ばんの元で、一ばん元の法性といふのは根本の佛性といふ、もうすべての人間の一ばん元の佛性、その一ばん元の佛性が顕はれるといふことは何ういふことかといひますと、それは「法華経」の信仰なのです、「法華経」の信によって元品の法性は・・・・・佛性は顕はれる、その元品の法性が顕はれると、前の「提婆品」にあったやうに、釈迦牟尼佛が出る時には提婆達多がで出る、元品の法性が顕はれたら元品の無明が顕はれる、我々は日々に浅い見思の惑、といふ普通の見識の惑それから感情の惑、それは外部に見たり聞いたりして居ることから起こる煩悩さういふ煩悩が一ばん下で、それから深く思想的のいろんな惑ひになると菩薩などでも塵沙の惑といふのがある。見思の惑は一ばん浅く、その次位に少し深いのが塵沙の惑です、もう一段上の一ばん深いのが無明の惑、此の無明の惑は「法華経」などでは、四十二段階があります、其の四十二の一ばん深いものが元品の無明なのです。
 元品の法性が起る時に元品の無明が起る、普通の浅い菩薩十信の位などは見思の惑の次の塵沙の惑をなくしたくらいのところです、無明の惑をばなくしようとする菩薩は、初住以上の菩薩で元品の無明は等覚の菩薩が、妙覚の覚りに入る時に断ずるので、それは元品根本法性の動きでなければなりません、その元品の法性が働き出す時には、必ず元品の無明が出るのです、今悪世に中に於いて此の「法華経」を弘通する場合には、何故そんな風に一般の俗人が法華の行者を悩まさうとし、又一般の僧侶が、これを悩まし、それから聖人のような者まで悩ますのは何故であらうか。それは「法華経」の行者が元品の法性の働きをするから、悪鬼彼等の其の身に入って、即ち元品の無明の働きとして、彼等がさういふ罵詈毀辱するといふことになるのであります。
 『悪鬼其の身に入って、我を罵詈り毀りて辱めん。我等佛を敬ひ信じて、当に忍辱の鎧を著るべし』
さういふ三類の強敵があるから、普通の忍辱の衣ではいけない、忍辱の鎧を着なければならなぬ、前の法華経『法師品』には『大慈悲を室と為し、柔和忍辱のを衣とし、諸法の空を座と為す』とあります。ところが柔和忍辱の衣などを著て居ては最早間に合わない、だから『忍辱の鎧を著るべし』とあります。
 『是の経を説かんが為の故に、此の諸の難事をも忍ばん。我身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ。』
これは『我等敬佛の下は著衣の意を明す』で、忍辱の鎧を著るのはどういう訳であるか、その訳は斯ういふ訳だといふので、そのことが書かれてあります。
 『当に忍辱の鎧を著るべし』どうして著るのかといひますと、『是の経を説かんが為の故に、此の諸の難事をも忍ばん。』・・・・・元品の法性の外に成佛の道はないから、是の経を説かんが為めには、諸の難事を忍び、身命をも愛せず、但だ無上道を惜しむ、
 『我等来らん世に於いて、佛の所属を護持たん、世尊よ自ら当に知しめすべし、濁世の悪比丘は、佛の方便もて、宜しきに随ひて所説せる法を知らず』
佛教は沢山あるが皆それは佛の方便で、衆生の心に随って仮りに説かれて居る法であることを知らない、みんな佛教であるならば、佛の覚りを説いたものと思って居るが、それは違って居る、そのことが解らんものだから、「法華経」のみ真の法であるといふと、彼等は法華経の行者を悪口し顰蹙する、、そして数々擯け出す擯出する、そして塔寺を遠離からせられたりする、
 『是の如き等の衆の悪をも、佛の告勅を念うが故に、皆当に是の事を忍ぶべし』
佛の告勅とは何であらうか、それは六難九易であります、「宝塔品」にチャットさう書かれて、佛は其の前に告勅されてあります。その六難九易の告勅を思ふが故に、皆当に是の事を忍ぶべし、以上が忍辱の衣でなく鎧を著るわけ、それを示されたものであります。
次は『諸聚落城邑の下は慈室弘経を明す』
 『諸の聚落城邑にも、其れ法を求むる者あらば、我皆其の所に到りて、佛の所属せる法を説かん』
これは所謂慈室弘経、大慈悲の室に入り、此の「法華経」を弘める、その難事は忍辱の鎧を著て忍ぶ、諸の聚落でも城邑でも、どんな所にでも行って、法を求める者があったならば、佛の法を説く、その為に来るところの難儀は少しも厭わない、それは佛の慈悲を取り次ぐ、其の大慈悲の室に入って居るからである、
 『我は是世尊の使なり、衆に處はるに畏るる所なし、我当に善く法を説くべし、願はくば佛安穏に住はしめせ』
『我は是れ世尊の使いなり、衆に處するに畏るる所なし。』は、何故であるかといふと、それは『諸法空の座』に坐しているからである、悪鬼其の身に入って我を罵詈毀辱しても、それは諸法実相の一切法空である邪正一如である、この法華経に敵する者があっても、提婆は過去の阿私仙人である、此の諸法空、善悪不二の諸法空に坐して居るから、どんな難儀が来ても少しも畏怖ることはない、それで善く法を説くことが出来るのであります。
 『願はくは佛安穏に住はしませ』さういふ訳ですから、佛様よ、どうぞお心やすく在しまして頂きたい。
 次が此の「勧持品」の二十行の偈の結びであります。
 『我世尊の前 諸の来りたまへる十方の佛に於いて 是の如き誓言を發す 佛自ら我が心を知しめせ』
世尊の御前、又来りたまへる十方の佛に於いて、斯の如き誓ひ言をなします、それは恰度「宝塔品」の時に佛様が、多宝如来は何のために来られたか、十方分身は何のために来られたか、皆法をして久しく住せしめんが為めぞと、三佛の来られた理由をお説きになって居られる、それに対して釈尊多宝佛の御前に於いて、又十方分身の御前に於いて、此の通り誓言を申します、これは私達が勝手に申上げるのでなしに、佛の心を敬ひ順はんが為めに誓願したのであります、私達自らの心だけでは佛のお思召は知れないところでございますから、何卒其の私達の敬順佛意の私のない浄い心をばお知り下さい、さういふ誓願をもうしたのであります。
 これを「勧持品」の二十行の偈といふのであって、恰度「法華経」が印度に説かれ、支那・日本に渡って今では二千八百年です、日蓮聖人の頃は二千二百年経って居るのでありますけれども、ここに書かれたやうな弘経法をした人は一人もなかった、唯日蓮聖人一人、此の「勧持品」の二十行の偈の如き弘経法を遊ばして居るのであります。
 『勧持品ノ二十行ノ偈ハ、日蓮ダニモ此ノ国ニ生レズバ、ホトンド世尊ハ大妄語ノ人』(開目抄)
と仰せられてあるのでありますが、一々此の悪口罵詈は無論の話し、刃や杖も身に受けられた、大聖人自ら其の杖のことをば少輔房が「法華経」の第五の巻を以て自分を打ったと書かれて居る、刃は東條左衛門から小松原で加へられたまひ、大聖人は眉間に三寸の疵を負はれた、悪世の比丘が皆大聖人を迫害したことも無論の話しで、良観、道隆、道阿弥陀佛などといふものは、みんな所謂六通の羅漢の如く、鎌倉の当時の社会の上下に敬はれた、良観などは生佛の如く上下は思っていた、良観房忍性、大覚禅師道隆、記主禅師然阿、道阿弥陀佛道教などといふ、当時の名僧知識は皆正面に立って、聖人を所謂『外道の論議を説き、自ら此の経典を作りて、世間の人を誑惑し、名聞を求むるを為ての故に、分別して是の経を説く』と、国王大臣に向って高声これを訴へた、此の四人はどんな人間かといふと、良観房忍性は日本戒律宗での実行家としては第一人者である、社会事業家として日本の歴史あって以来、良観上人の如く大社会事業をした人はない、それから大覚禅師道隆は、これは北條時頼の師匠であって、そして建長寺の開山です、年号を寺号にするといふkとは延暦寺がはじめてでありまして、比叡山延暦寺といふ、禅宗の寺で京都では建仁寺といふのが出来ましたが、これは普通の禅宗ではなく天台宗です、天台宗真言宗には年号を寺につけたのが往々にありますけれども、天台宗真言宗以外で年号をつけた寺は餘りない、然るに大覚禅師道隆は時頼の師であって、時の年号を以て寺号とし、而もその建長寺の開山です。それから記主禅師然阿、これは矢張り北條執権の経時の師で、江戸時代以前の関東浄土宗西流の総本山光明寺の開山です、それから道阿弥陀佛道教、これは名越の時章といふ人の師匠で此の時章は執権の叔父に当る、そこで道阿弥陀佛は新善光寺の開山で、これは後になくなった寺ですが、矢張り大きい寺であった、皆四人共開山であるし念佛宗禅宗としては第一流の人間ばかりであります、国主・大臣・婆羅門居士に向ってといふ方は、此の道阿弥陀佛とそれから外の三人で、龍の口の時には訴状を奉って、大聖人を迫害した、然しながら彼等は狡猾だから、所謂邪智にして心諂曲だから、表向きにはやらない、弟子の行敏といふもの、これは何者だといふと、元来良観の弟子です、良観の弟子であって、又然阿にも弟子だし、道阿にも道をきいたから、良観、然阿、道阿の三人の弟子になる、それで表向きは行敏であるが、内容は此の三人であった。
 良観房は雨の祈りのために日蓮聖人に苦しめられたことがある、然し良観はどうすることも出来なかった、こがすんでから恰度約十日程たって浄光明寺行敏といふ名で、大聖人に問答を申込んだ、大聖人は私の問答は無益なり、公場対決を願ひなさいといはれた、そこで行敏が訴状を奉った、その行敏の訴状を奉ったに対して、大聖人がこれに対する会通をせられたのが、「行敏状御会通」といって伝はっていますが、本当は会通といはない、これは陳状又は論状といひます、その陳状又は論状の劈頭に何と書かれてあるかといふと、
 『当世日本第一ノ持戒ノ僧良観聖人、並ニ法然上人ノ孫弟念阿弥陀佛、道阿弥陀佛等ノ諸聖人等、日蓮ヲ訴訟スル状ニ云ク』
名前を行敏と書かれないで、頭から『日本第一ノ持戒ノ僧良観聖人、並ニ法然上人ノ孫弟念阿弥陀佛、道阿弥陀佛等ノ諸聖人等、日蓮ヲ訴訟スル状ニ云ク』と実際をぶちまけられた。
 それからまた道隆といふ人は、矢張り二階堂某?のところに秘に出て行って、日蓮は斯く斯くの通りだと告げ、又「妙法比丘尼御返事」といふのには、極楽寺良観は訴状を捧げたといふことが書かれて居ますから、これらの連中は皆公處に向って大聖人を毀謗した、更に塔寺を遠離され数々擯出されるといふ、これらの「勧持品」の二十行の偈の一々の文句は、佛滅後二千二百二十餘年を通じて、日蓮聖人に於いてはじめて悉くが実現されたのでありまして、これのみは何人もさうでないといふことが出来ない、
 『日蓮ダニモ此ノ国ニ生レズバ、ホトンド世尊ハ大妄語ノ人、八十萬億那由佗ノ菩薩ハ、提婆ガ虚誑罪ニモ堕チヌベシ』(開目抄)
といふあの御語は、此の「勧持品」から起ったのであります。
 然しながら此の「勧持品」を説かれた八十萬億那由佗の菩薩が、果して自ら修行することが出来るからこれを説かれたのかといふと、さうではなくて、佛様に催促されて、佛の威力でさういはれた、自分のこころではない、だから
 『諸の菩薩、佛の意に敬ひ順ひ、并に自ら本願を満さんと欲ひつ、便ち佛前に於いて、獅子吼を作し而て 誓言を發さく、世尊よ、我等如来の滅したまへる後に於て、十方の世界に周旋り往返りして、能く衆生をして此の経を書写し、受持み、讀誦んじ、其の義を解説し、法の如く修行して、正憶念せしめん、皆是佛の威力ならむ』
といひ、
 『佛自ら我が心を知しめせ』
といって、自分で生意気なことをいったのではありませんと、いっている。以上八十萬億那由佗の菩薩の二十行の誓願が、「勧持品」の一ばん主たるところなのであります。
 此のやうな風に、末法濁世の中に、若し正直に「法華経」を説いたならば、こんな三類の強敵が来たる、これは必然に「法華経」を修行する限りは来たるのであらうか、もしくは「法華経」の弘め方によって来たるのであらうか、これが問題だ、勿論「法華経」そのものは、『如来の現在すら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや』だ、だから必ず佛の説かれたが如く正直に「法華経」を説いたならば難が来たる、それだから佛は六難九易を説かれたのである。それは「法華経」の性質である、けれども説き方にもよるだらうか、それもある、それでは難の来ないやうに説くには、どんな風に説いたらよいのだらうか、それは餘り進んで説かなければいい、進んで説けば「勧持品」の様になるから餘り進んで説かないやうに消極的に説く、消極的とはどんな風に説くのか、それは若し向ふから出て来て尋ねたら本当のことをいふが進んではいはない、さうすれば「法華経」でもそれほど難は来らない、ところが「勧持品」のやうに進んで説けば、必ず三類の強敵が起る、恰度此の「勧持品」と同じことが後の「不軽品」といふのに出て来ますがこの勧持品を聞いて居ったあらゆる菩薩が、そんな三類の強敵なんてものに対することは非常に難しいことであって反省してみると到底我々は出来さうもないといふのいで、菩薩方が恐怖の心を起した、そこで如来が更に次ぎに「安楽行品」をお説きになるのであります。



安楽行品第十四                    


 本日は「法華経」第五の巻の安楽行品第十四であります、これは「法華経」の迹門の中の流通分の終りであります。
 此の前の「勧持品」の時に、薬王等の菩薩が、此の娑婆世界の弘通を誓願し、それから阿羅漢達及び八千の声聞達が此の娑婆世界では我々が弘通することは出来ないと申して、他土で弘通したいと申上げた、それから又比丘尼達が矢張り自分達も他土で弘通したいと申上げた、そこで佛様は八十萬億那由佗の菩薩の顔をジロリと見られた、その見られたのは何等か深重な御意志がありさうである、薬王菩薩は身命を惜しまずして弘通するといはれた、けれどもその誓願の語がまだ不満足だといはんばかりに、八十萬億那由佗の菩薩の顔を見られた、そこで八十萬億那由佗の菩薩が佛の神力の故に、座を立って誓願申上げた、その誓願には、如来の滅後畏怖の悪世の中に於て此の経を弘通する場合には世をあげて皆「法華経」の弘通者に迫害を加へる、一切の俗人は刀杖瓦石を以て命にも及ばんとするやうな迫害を加へる、一般の僧侶は彼等は、外道の教を説くものだあれは佛教ではない、斯ういって誹謗するであらう、更に又聖人の如くに思はるる高僧達、それは殆ど世をあげて六通の羅漢の如く思はれて居る、それらの者が・・・・・これは唯悪口をいふだけでなしに、国王大臣婆羅門居士等に向って、「法華経」を説いて居る者のことを外道の論議であるといって訴へ終には寺を追出すだけでなく所を追出す、又その国から追出してしまふといふやうな、三類の強敵・・・・・一般の俗人、僧侶、それから高僧、それまでいったならば世を挙げて全然みんなが反対し迫害するわけです、それを耐へ忍んで必ず到る所で此の「法華経」を説くでありませうと、我身命を愛せず但無上道を惜しむといふ、なかなか恐ろしい、弘通の相を説かれた。
 それでは何故佛が八十萬億那由佗の菩薩をジロリと見られて、さういふことを言はしたのであらうと考へますと、これを「宝塔品」に溯って考へて見ますると、斯ういふお説がなければならぬ筈であります、「宝塔品」に六難九易が説かれています、此の「法華経」を弘通するといふことは非常にむづかしい、それは有頂天に立って沢山の一切経を説くよりも難しい、或は世をあげて火となって居るやうな劫焼の時、枯草を背負ふて入って焼けないよりも難しいといふやうな、さまざまの難しいことが九つも説かれ、それは尚易しい、末世に於いて「法華経」を説き或は書き、或は人に書かせるといふことは、それよりも難しいといふことが説かれてあります、それは唯二萬の菩薩が身命を惜しまず説きます、人が幣悪で佛のいふことを聞かんものです位では六難九易とは釣り合はない、六難九易ほどのことが説かれてある限りはそれと同じ位な事柄が出て来なければならぬ、それで「勧持品」の八十萬億那由佗の菩薩の誓願は、恰度六難九易に当てはまる程の弘通のむづかしさがわかって来たのであります。
 そこで今日は「安楽行品」です、此の「安楽行品」といふ経は何ういふことを説かれたかといひますと、『初心の方法、危害を慮らず』・・・・・さういふ難しい修行だと、とても初心の菩薩は修行することは出来ない、さう難しくては」たまらないといふので、初心の菩薩が皆恐怖れの心を生ずる、此の娑婆世界の恐怖悪世の中で説くことは、とても我々には及ばないといふ風に、皆怖しい心を生ずる、そこで其の怖しさ感じた初心の菩薩、その初心の菩薩のために弘通法を説かれたのがこの安楽行品であります。



 1,文殊初心の為に弘経の方法を請ふ               


 『爾の時、文殊師利菩薩摩訶薩、佛に白して言さく、世尊よ、是の諸の菩薩は甚も為有難し』
これは八十萬億那由佗の菩薩を讃めていふのです。佛に敬ひ順ふが故に、佛の御思召といふものを汲みとって、三類の強敵の中でも此の「法華経」を説きませうと大誓願を發した、そして後の悪世に於いて此の「法華経」を護り持ち、読み誦んじ、説かんといったことは、実に結構なことでありますが、然しながら世尊よ、そのやうな難しいことは出来ない人間もございます、そこで菩薩摩訶薩は後の悪世に於て、云何にしてかさういふ難しい弘通法でないものはございませんでせうか、能く是の経を説かむ・・・・・お経はすべて露骨には書かれていない、『初心の菩薩の為めに』とは書いてないが、文の底を読むとさうなって居ると、天台、妙楽両大師はいはれて居ます。
 『云何してか能く是の経を説かむと』
さういふ迫害を餘り受けない弘通法はございませんでせうか、さうでないと初心の菩薩はこれを修行することは出来ないでせうからと、文殊菩薩が初心の菩薩の為に、初心弘通の方法を問ふたのであります。



 2,佛四安楽行の第一身安楽行を説く                


 そこで佛様が四安楽行を説かれた、されはさういふ迫害を受けないところの説き方もある、それには四つの方法がある、四つの方法によって安楽に説くことが出来るといふので、佛がこれから四安楽行といふものを説かれるのです。
 『佛、文殊師利に告げたまはく、若し菩薩摩訶薩、後の悪世に於て是の経を説かんと欲はば、当に四つの法に安住ふべし』
その四安楽行の第一はどういふことだといふと、身安楽行・・・・・身の安楽行で、説くのには先づ説く前に、身體の所から安楽の住處に於いて説くことを考へなければならぬ、と教へられました、
 『一には、菩薩の行處と親近處とに安住ひつつ、能く衆生の為めに是の経を演説くべし』
一には身安楽行ですが、此の身安楽行には二つの方法がある、一つは行處といひ一つは近處といふ、さういふ二つの方法があります、それで先づ行處を説かれました、
 『文殊師利よ、云何か菩薩摩訶薩の行處と名くるや』
菩薩摩訶薩はどういふ風な、身體の修行をする處に居ったらよいか、それを先づ説かれました。
 『若菩薩摩訶薩、忍辱地に住り柔和善順にして、而も卒暴ならず、心亦驚かず、又復法に於て行ずる所無く而て諸法の如実の相を観じ、亦不分別をも行ぜざる。是を菩薩摩訶薩の行處と名く』
といふのは、これは一ばん最初に『忍辱地』とあるやうに、一切どんな難しいことでも、先づ耐へ忍ぶ忍辱心を決定しなければならぬ、その忍辱心を決定するのには何うするのであるかといふと、先づ其の忍辱といふ
ことに二つあります、詳しくいふと長くなりますが、
 生  忍
 法  忍
斯う二つあります。生法二忍、それをどうして行ずるのであるかといふと、先づ柔和善順、やさしく素直である・・・・・これは身體のことを先にいはれたので、而不卒暴・・・・・而も卒暴ならず・・・・・これは口の方。心亦不驚・・・・・心亦驚かず・・・・・これは意。斯ういふ忍辱には三つの条件がqります、それから其の忍辱を、どんな風にでも、平常身が素直でなだらかで、口には卒暴なことをいはず、而も心はどんな難しいこと、迫害が来ようが誘惑が来ようが少しも驚かない、周章ないといふやうなことは、一體どうして出来るのかといひますと、それは『二空』といって
 生  空
 法  空
といふ、此の二空に心がチャンと落ちつくと、さういふことが出来る、そのことを、
 『亦復法に於て行ずる所無く而て諸法の如実の相を観じ、亦不分別をも行ぜざる』
といはれました。
『亦復法に於て行ずる所無し』といふことは何ういふことだといふますと、自分が道理なら道理と、肯定的に自分の一つの法をとって、二進も三進も行かぬといふやうなことにならない、道理を必ず自分は行ずるのだといふやうな決ったことをしない、諸法は皆実相である、どんな道理も皆実相であるといふ、平等空を知って居る、その差別相は本来空なのです、それから『亦不分別をも行ぜざる』、それではみんな平等であるから、何も彼も一緒かといひますと、さうではない、チャンと分別秩序はあります、それを不空といふ、さういふやうに生空・法空、共に此の不空といふ法に於て行ずるところなく、だといって不分別でもない、一つに拘泥しないけれども、然し其の法の中の差別はチャンと知って居る、知って居ながら何れと決まっては扱はない、さういふ無所著の心、それを行ずるのだ、その二空といふもの、その二空といふものにチャンと心が安らかになって居るから、そこでどんな難しいことがやって来ても、身は平常柔和善順であり、口は而不卒暴であり、意は心亦不驚であることを得るのであります。二忍(生忍・法忍)に住することは忍辱の衣、二空(生空・法空)に住することは諸法空の座に坐す、そして一切衆生を導くのであるから大慈悲の空、此の二忍と二空がチャンと衣座室の三軌をなして居ます、それが菩薩の行處といふのであります。
 それから今度は近處
 『云何か菩薩摩訶薩の親近處と名くるや』
どんな處に菩薩摩訶薩は近づいて居ればよいのかといふと、先づ近づいてよい處を教へになるのに、反対に近づいてはならない處をお挙げになった、それがプリントの「親近處を説く」の中「十悩乱を離る」であります。
 先づ此の二空・二忍、これは初心の菩薩で、初心の菩薩であるから二空・二忍を教へられたのです、後心の菩薩であれば、頭からどんな難しい處に行ってもよい、けれど初心の菩薩であるから、先づ成べく此方に難しいことの出て来ない方法を講じなければならぬ、そこで近づいていい處に対して、先づ近づいては悪いところをあげられてあります、
 『菩薩摩訶薩は、国王、王子、大臣、官長に親近かざれ』
さういふ世の中の地位名望のあるものの處に近づいてはいけない、どうしてそんな處に近づいてはいけないかといふと、さういふ者の處に近づくと自ら驕慢の心を起すやうになる、俺は位置が上だそんな平民のためには話さない、偉い人のために話すといふやうなことになる、だから先づ豪勢の人に近づいてはならない、
それから
 『諸の外道、梵志、尼揵子等、及び世俗の文筆、讃詠の外書を造り、及び路伽耶陀、逆路伽耶陀の者に親近かざれ』
諸の佛法でない外道の者、或はいろいろな梵志・・・・・四韋陀といって印度の古典、その四韋だを行じて居るところの者、尼揵子といふのは、裸形外道で、外にその一派から出た尼揵子若提子といって釈尊と一緒に刹帝利の王族から出たものがある、やはり、婆羅門は反対した教義を説いたヂャイナ教の祖=その尼揵子若提子、婆羅門の教義もいけない、それから尼揵子もいけない、さういふものに近づいてはいけない、更にそれだけでなしに世の中の文芸など・・・・・印度には当時矢張り芸術があった・・・・・さういふものに近づいてはいけない、それから路伽耶陀といふのは世俗の道徳だけで足れりとする者、逆路伽耶陀は世の倫理道徳に反して自ら道として居る者、それらには一切近づかない、それは邪見の人法で、佛法の如く徹底したる法を知らないものである、さういふものには近づいてはいけない、これは何の為であるかといふと、邪見に侵されない、邪見を離るる為であります。
 『亦、有ゆる凶戯、相扠、相撲、及び那羅等の種々の変現の戯に親近かざれ』
今日の競技みたやうなもの、そんなものは唯勝負を争ふだけのものである、左様なものに近づいてはいけない、それは何のためであるかといふと、心の散乱することを離れる、唯勝負が面白いといふ一つの面白さだけに心を動かされる、さういふものに近づいてはいけない。
 『又旃陀羅、及び猪羊鶏狗を養ひ畋猟し漁捕するなど、諸の悪律儀に親近かざれ』
これは旃陀羅といふのは屠のもの、さういふ者に近づかないやうにしなければならぬ、これは何の為めであるかといふと、悪業から離れる、然しながらこれらの人間に近づくな、此方からは好んで近づくなといっても、それでは王様だとか、外道だとか、或は競技などをする者、そんな者の為には法は説かないかといふと、説かないのではない、好んで此方からさういふ者に近づかないやうにしろといふのであります。然しながら
 『如是の人等の或時に来りな者、則ち為めに法を説きて、希望む所無かれ』
 向ふから何卒伺ひたいといふので求めに来たならばそれは惜しんではいけない、惜しんではいけないが、ああなるやうに、斯うなるやうにといって希望ふ心があってはいけない、出て来たら説いてやるけれども、ああなるよう斯うなるようといふ希望心をもってはいけない。
 それから
 『又、声聞を求むる比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷に親近かざれ』
小乗の教、自分だけが此の世界を脱れようといふ修行をして居る者、さういふ者に近づいてはいけない。
 『亦問訊はざれ』
それらと交際してはいけない。
 『若は房の中に於て、若は経行る處、若は講堂の中に在て、共に住ひ止まらざれ』
さういふところでも決して一緒に住ってはいけない、結局さういふものと一切事を共にすることはいかん、親近してはいけない、離れよ、然しながら
 『或時に来りなば、宜しきに随ひて法を説き、希求むる所無かれ』
向ふから来た時には話す、然し求むる所があってはいけない、これは二乗の衆で自利を離れる、自分が先づ苦を脱れよう、さういふ心の者と交はり、さういふ心の者に近づくことは、又自らさういふ心を起す一つの縁が出来る、だからさういふ縁に近づいてはいけない。
 次には慾想の相、
 『文殊師利よ、又菩薩摩訶薩は、当に女人の身に於ひて、能く慾想を生ずる相を取りて、即ち説法を為すべからず』
厳格にチャンと則に従った相で説法せよ、女人が慾想を生ずるやうな相で説法してはいけない。
 『亦見んとだも樂はざれ、若し佗の家に入らば、小女處女寡女等と共に語らざれ』
佗の家に入って小女・・・・・極く小さい女の子供、さういふ者でも餘り親しくしてはいかん、處女及び寡女、さういふ者はみんな親しくしてはいけない、これは何の為であるかといふならば、彼方からでも此方からでも、染着を生じないやうにする。
 それから今度は、
 『亦復、五種の不男の人に近づきて、以て親厚くすることを為ざれ』
五種の不男といふのは、男であって男でないやうなもの、これを五つあげられてある、男性であって本当の男性でないもので、日本にも昔はあって、さういふ者に近づいてはいけない、何故さういふ者に近づいてはいけないかといふとさういふ不男の者には志操がない男子といふものは勇気のあることと、それから節操が必要である、然るに不男の者は節操をもって居ない、男らしい志操をもって居ない、さういふ者に近づいてはいけない、それは無志操を離れるためであります。
 それから次は、
 『独り佗の家に入らざれ、若し因縁有りて独り入る須須き時には、但一心に佛を念ぜよ』
これは独り佗の家に入って、そして其の家に何か間違ひが起った、そこに人が殺されて居た、そこで外道がそれはその比丘が殺したのだといった例は幾つもある。だから他人の家に独りで入ることは佛の禁の中にある、誰かを連れてはいる、さうすれば連れて行った者が証人になる、独りボッチ這入ることはいけない、それは危害を離れるためである、然し若し何でも独り入らなければならぬやうな時だったら、一心に佛を念じて入れ。
 『若し女人の為めに法を説かば、歯を露はして笑はざれ』
歯をあらはにして笑ふやうなことは餘りに親しくなる本になるからである。
 『胸臆を現さざれ、乃至法の為めなりとも、猶ほ親み厚からざれ、況や復餘の事をや。』
これはどういふことであるかといひますと、機嫌の事を避ける、それから他の愛を生ずるので其の為めに間違ひを生ずる本になるからいけない。
 『年小き弟子、沙彌、小兒を蓄ふことを樂はざれ』
そんなものを養ってはいけない。
 『亦、與に師を同じくせんことを樂はざれ』
美少年などと一緒に弟子となることを樂ってはいけない、其は自ら愛を生ずることがいけないからである。
 以上が十悩乱を離れるといって出家の菩薩は「法華経」を悪世に於いて説くには、先づこれだjけのことから離れるやうにしなさい、それが第一条件だ、身體はさういふ處から離れる、さうすると十の悪いことに携はる縁がなくなる。そこで今度は其の時に作すべき事柄であります。
 ではどんなことをするのであるかといひますと、
 『常に坐禅を好み、閑き處に在りて其の心を修めよ』
これが作すべきことである、常に坐禅してその心を修攝する、それは坐禅であるから定である、
 『文殊師利よ、是を初の親近處とは名く』
さういふ處には親近く、先づ近づかない處を十あげ、そして閑かに坐禅をすることをしめされた、恰度天台大師がはじめ陳の都で説法せられ、陳の皇帝が三度頭を下げて戒を受けた、さういふやうであってに拘らず、陳を去って天台山に上った、さういふ修行、それが安楽行の修行です、又伝教大師も十九歳で叡山に上ってしまった、そして叡山で禅定せられた、これは皆安楽行の修行であります。
 以上で身體のことはすんだ、さうすると身體に随って今度は心の落つき處、それを其の次に説かれてあります、常に禅定を好んで心を修攝るが、どんな風に修攝るかが次に書かれてあります。
 『復、次に菩薩摩訶薩は、一切の法を観ずるに、空なり』
観一切法・・・・・一切法は境、観といふのは智慧、これを境智といひます、『一切の法を観ずるに空なり』一切の境のものが本当は空なのだ、それをチャンと其の空なることを観ずる、それが空境だ、空境に空智、その空はどんな空であるかといふと、十八空といふことが説かれてあります、空といふことは何もないといふのでなくして、何もないことを又なくする、これは一切の執著を離れることなのです。
 『一切の法を観ずるに、空なり。如実の相なり』
これは第一義空といふ、
 『顛倒せず』
といふことは内空、心が顛倒しない、顛倒の故にあれだこれだといふ差別が出来る。
 『動かず』
一切法といふものは動いてはいない、動いて居るのは唯現象だけが動いて居るので、本当は動かない、不動にして空だ、これを外空といふ。
 『退かず』
といふのは内外空。
 『轉かず』
といふのは空空。
 『虚空の如し』
は大空であります。
 『所有る性無し』
は畢竟空で、
 『一切の語言の道断えたり』
は一切空です。
 『生ぜず』
といふのは有為空、
 『出でず』
といふのは無為空であります。一切のものは生じない、不生・・・・・そのままチャンとあるものだ有為のもの其のままある、そのまま空であるから不生である、それでは有為から出てしまふ、無為といふのはそれは本当に出る必要はない、有為無為といふのは色即是空である、
 『起らず』(無始空)
 『名無し』(性空)
 『相無し』(相空)
 『実に有る所無し』(不可得空)
 『量無し』(有法空)
 『辺無し』(無法空)
 『礎無し』(有法無法空)
 『障つること無し』(散空)
此の十八空によって、結局は一切のあらゆるものに執着れないといふことで、これを詳しく話すと非常に長くなるから略します。
 最後に境智を結成す、これを結局したならば、あらゆる存在といふものも唯因縁を以て有り、有るやうに見えるは要するに或る一つの因縁からあるのです、因縁がなくなったら其のものもなくなる。
 『但だ因縁を以て有り』
だからあらゆるものが有るといふことは、但だ因縁とといふことによって有るので、本體は空である。
 『顛倒より生ず』
因縁で有るといふことは何より生ずるといふと、それは一切空を知らない顛倒から出るのである。
 『故に、常に樂ひて是やうの法相を観ぜよ』
即ち十八空の法相を観ぜよ、一切空は皆これ空なりと観ぜよ。
 『是を菩薩摩訶薩の親近處とは名く』
斯の如く、先づ近づいてはならない處を明し、そして後に近づくべき處を明かし、それから其の近づく内容を明された、それが身の安楽行であります。



 3 偈を以て重説す


 『爾の時、世尊、重ねて此の義をを宣べんと欲し、而て偈を説きて言はく』
これは偈を以て重ねて説かれたので、これまで説かれたところが前後して説かれてあります。
 『若し菩薩有りて 後の悪世に於て 怖畏無き心もて 此の経を説かんと欲はば、應に親近處に入るべし、常に、国王、及び国王の子 大臣官長』
これが第一の豪勢の所、
 『兇く険しき戯する者』
これは第三の所、
 『及び旃陀羅』
は第四のところ、
 『外道梵志を離れ』
は第二のところ、
 『亦増上慢の人 小乗に貪著める三蔵の学者に親近かざれ』
これは第五のところ、
 『戒を破れる比丘、名字の羅漢及び比丘尼の 戯笑を好む者 深く五の欲に著み 現の滅度を求むる 諸の優婆夷 皆親近くこと勿れ』
これは第六の染著のところ、
 『是の若き人等の 好しの心以て 菩薩の所に到りて 佛道を聞んとせば、菩薩即ち 無所畏の心を以て怖望を懐かず 而ち為めに法を説け』
 『寡婦處女 及び諸の不男には 皆親近きて 以て親み厚くすること勿れ』
これは第七のところ、それから
 『亦は 屠る兒魁膾 畋猟漁捕など 利の為めに殺害ふものに 親近か莫れ』
これは悪律儀、
 『肉を販ぎて自ら活り 女の色を街ひ賣るもの 皆親近くこ勿れ』
これは欲想のところ、
 『兇険相撲 種々の嬉戯』
第三のところを重ねていはれた、
 『諸の婬女等、盡く親近くこと勿れ 独り屏れし處にて、女の為めに法を説くこと莫れ 若し法を説かん時は戯れ笑ふことを得ること莫れ 里に入りて食を乞はむには 一の比丘を將いよ 若し比丘無くば 一心に佛を念ぜよ 是をこそ則ち名けて 行處近處とは為なれ』
これは第九のところと、第八のところで、第十だけが缺けています。
 『此の二處を以て 能く安楽に説け』
それから次のところ
 『又復 上中下の法 有為無為 実不実の法を行ぜざれ』
これは行處のところ、
 『亦 是男か是女かを分別たず 諸の法を得ず 知らず見ざる 是をこそ則ち名けて 菩薩の行處とは為なれ』
これから下のところは十八空のところになります。
 『一切の諸法は 空にして有る所無く 常住なるもの有ること無し 亦起も滅も無し 是を智者の 所親近處と名く 顛倒してこそ 諸の法は有なり無なり 是実なり非実なり 是生なり非生なりと分別すれ 閑けき處に在りて 其心を修攝め 安住 して動かざること 須弥山の如くせよ 一切の法を観ずるに 皆有る所無く 猶ほ虚空の如くにて 堅固なること有ること無し 生ぜず出でず 動かず退かず 常住のして一相なり 是を近處とは名く』
これは十八空を略して説かれたのであります。
次のところは身安楽行者の不怯弱の説法を明す、
 『若し比丘有りて』
これは前の長行のところにはなく、偈のところであげられたのであります。
 『若し比丘有りて 我が滅せし後に於て 是の行處 及び親近處に入り 斯の経を説かん時には 怯弱有 るこち無かれ』
「勧持品」の偈を聞いたので、初心の菩薩がこれでは難しいと、斯う思ってたじろいでいた、そこで佛は此の四安楽行をお説きになった 此の四安楽行にチャンと行處も親近處も明されて、此の二つの處に於いて経を説くならば 恐るることはない、
 『菩薩の時有りて 静けき室に入り 正憶念を以て 義に随ひて 法を観じつ 禅定より起って諸の国王  王子臣民 婆羅門等の為めに 開化し演暢して 斯の経典を説かば 其の心安穏のして 怯弱有ること無けむ』
即ち身安楽の行者が、此のやうな行者の住處に住して居ったならば、怯るるところなく説くことが出来る、『菩薩の時有りて、静けき室に入り、正憶念を以て』といふのは、常に十八空を観じ、そして静かなる處に於いて其の心を修攝めて居る、その修攝したものが、時あって出て行って法を説く、そして義に随って法を観じつつ禅定より起って諸の人のために説く、それは此方からは近づかないが、向ふから来るなり、又縁有ってどうか来て説いていただきたいといふ時には、行って説いてやる、国王王子、臣民、婆羅門等の為めにも出て行って説いてやる、その場合には心安穏にして怯弱有ること無けん、それは十八空に住して、生空法空、生忍法忍の二つにチャンと坐して居るから、それがチャンと出来るのであります。
 それから結び、
 『文殊師利よ、是を菩薩の 初めの法に安住ひて 能く後世に於て 法華経を説くとは名く』
斯ういふ風に、後の世に「法華経」を説くには、先づ身體にそれだけの用心をしろといふのであります。



 4 第二口安楽行を説く、止動の二法あり                


 次に口安楽行ですが、口安楽行を説くのに止動の二つがあります。
 『又、文殊師利よ、如来の滅せし後、末法の中に於て是の経を説かんと欲はば、應に安楽行に住すべし』
今度は口の安楽行として、いけないことが四つあげられて居ます、
 『若は口に宣説し、若は経を読まん時は、樂ひて人及び経典の過を説かざれ』
『法華経』以外の経を修行している者、及び「法華経」以外の経の過を説いてはいえkない、これはよく注意する必要がある、
 『人及経典過』
斯う書かれてある、・・・・・人及び経典の過・・・・・過があるといふことをチャンと予想されてあるのです、「法華経」以外の経には過がある過失がある、それだからチャンとここに明らかに書かれてあるので、過失があるからそれを説いてはいけない、過失がないといふのではない、過失がある、あるけれども説いてはいけないといふ。それが第一の口安楽行であります。
「法華経」以外の経は斯ういふ間違ひがある、従ってそれを修行する者も斯ういふ間違ひができる、さういふことを説いてはいけない。
 『亦、諸の餘の法師を軽め慢らざれ』
口に説かないのみならず、又心の中でも軽しめ慢らないやうにしなさい。次には、
 『他人の好き悪き、長たると短たるとをとかざれ』
同じ菩薩の修行をして居る者でも其の好悪長短を説いてはいけない、菩薩でなく声聞の修行をして居る者に対しては、
 『声聞の人に於て、亦名を称げて其の過悪を説かざれ、亦名を称げて其美しきを讃歎へざれ』
讃毀共どっちにしてもいけない、これは必ずしも「法華経」を待たぬところですが、一般の菩薩の戒律の中には、不自讃毀他戒といふのがあります、自らを讃めて他を毀るといふことはいけない、さういふのが一般の菩薩の戒です。けれどもこれはもっと余計のことが説かれて居ます、自ら讃めるの反対は他を讃めるで、他を毀るの反対は自らを毀ることで、自分の悪いことを無暗にいふことになります。ところがここでは、他人の好悪長短共に説いてはいけない、他を讃ることも出来ない、自ら毀ることもいけない。
 龍樹菩薩の「大論」に大乗の菩薩の心得が書いてあります、それはどういふことだといふますと自ら讃める自讃といふことは何であるかといふと、それは自ら佛になってからのことで、佛といふものは自らを讃める、佛ぐらい自ら讃める人はありません。如来、應供、正徧知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛世尊は俺だといふさういふ十の畏ろしいほどのことを以て自らを讃めて居られる、けれども佛にならない前はみんな自ら讃めない、そこで自ら讃めたらば大人に非ず、菩薩ではない、佛様にならないと自ら讃めることは出来ない、それ以下で讃めたらば大人・・・・・菩薩でない、佛を望んでいないことことになる。それでは自分はつまらん者であるといふものがある、さういふ人間はどういふのであるかといふと、さういふやうな人間は、これはまた『自ら毀るは妖論の人』である。さういふことを腹の中で思っていないのに、いい加減のことをいって居るので、それは人前をつくらふのである。さういふことを讃めるのに反対の他を讃める。それはどうかといふと、此の他を讃めるといふ人間は余程注意してよく考へなければならぬ。それは『諂媚の者』諂ひの者であるからである。それから他を毀る者は何であるかといふと、『讒賊の人』である、他を毀るがその過は自分もある、その方からいったならば、自分もあるのに他を毀るから讒ひて居るのだ、それは人を損なっているのだといふので、自讃毀他もいけない、
 自 讃・・・・・非大人
 自 毀・・・・・妖論ノ人
 讃 他・・・・・諂媚ノ人
 毀 他・・・・・讒賊ノ人
これが大乗の真の菩薩の心得であるとあります。
 そこで、他人の好悪長短を説かざれ、好いことをいふのはよかりさうなものだが、『其の美しきを讃歎へざれ』とあります。
『又、亦、怨嫌の心を生さざれ』自分に迫害を加へる者があっても反対する者があっても、決して怨嫌の心を起してはいけない、以上がしてはいけないこと即ち『止』の方で、口安楽行のしてはいけないことがそれだけあります。
 これより以下のところは心に属することです、他の人法の過を説き、諸餘の法師を軽慢するのは、俺は大乗の法を行じているからといふので驕慢の心が起るからで、それから怨嫌の心があるから他人の好悪長短も説くやうになるといふので、口の安楽行であるけれども其の口の基く心まで、いけないところを止められてある。その次が『勤』すなわち作行で、作すべきことであります。
 『善く如是の安楽の心を修むるが故に、諸の聴くこと有らん者、其の意に逆はざらん』
他人の好悪長短を説かない、他の人法の過を説かない口にいはないばかりでなく、腹の中でも決して軽慢しない、怨嫌しない、さういふ平等にして囚れたる心の少しもない諸法空に坐して居る、さういふ人に対してはその法を聴く者も、矢張りその行者の心に逆はぬ様になる、迫害しない様になる。
 『難問する所有らば、小乗の法を以て答へずして、但大乗を以て而ち為めに解説し、一切種の智を得しめ よ』
これが作すべきことです。それでは口の作すべきことは、人の問ふて来たならば、方便の法を説いてはいけない。進んでは人及び経典の過を説かざれとあるから、進んで説かないけれども、向ふから聞きに来たならば、但大乗を以て答へよ、決して相手が喜びさうだからといふので、方便の教を説いてはいけない、必ず大乗を説け。さういふやうにしたならば口の故に迫害を受けるやうなことはない。



 5 偈を以て重説す


 『爾の時、世尊、重ねて此の義をを宣べんと欲し、而て偈を説きて言はく
 菩薩は常に樂って 安穏に法を説け 清浄なる地に於て 而ち牀座を施き 油以て身に塗り 塵穢を澡ひ 浴し 新浄き衣をば著け 内外倶に浄くして』
これは菩薩は大慈悲を室とし、諸法空にに坐す、それから柔和忍辱の衣を著る、此の衣座室の三軌に住して法を説くといふことが「法師品」にもありました。此の前の「勧持品」には忍辱の衣のかはりに鎧であった、それは折伏の説法だから忍辱の鎧なので、そして矢張り諸法空に坐し大慈悲の室に入って説くのだと、斯う説かれてあります。今此の「安楽行品」でも矢張り心は此の三軌に従って居ります。『菩薩は樂って、安穏に法を説け、清浄なる地に於て』といふ『清浄なる地』といふのは大慈悲の室である、心は大慈悲の室に入るから、自分の居る所は清浄なる地を撰んで居るのだ。そこで其處へ牀座を施く、諸法空の座に坐して居るが如く其處に清浄なる牀座を施く。そして『油以て身に塗り塵穢を澡ひ浴し、新浄き衣』、則ち心は柔和忍辱の衣と同じやうに、新しき衣を著る。そして内外倶に衣座室の三軌に住して説くのだ。
 『法の座に安處ひつつ 問に随ひて為めに説け』
これは諸餘の法師を軽慢しないといふことで、軽慢しないから問尋に来たならば、チャンと説いてやる、そしてお前などは小乗の人間だから、小乗のことをやっておけといはないで、どんな人間に対してでも大乗のことを説く、それは軽慢しないからであります。
 『若し比丘 及び比丘尼 諸の優婆塞 及び優婆夷 国王王子 群臣士民有らば 微じく妙なる義を以て 顔を和らげて為めに説け 若し難問すること有らば 義に随ひて而ち答へよ』
これは他人の好悪長短を説かないから、向ふからやって来る者があるならば比丘であらうが比丘尼であらうが優婆塞であらうが優婆夷であらうが、一切平等に説くのである、
 『因縁と譬喩とをもて 敷演べ分別せよ 是の方便を以て 皆発心せしめ 漸漸に増益して佛道に入らしめよ』
といふのは、これは第一の「他の人法の過を説かざれ」といふのの偈であります、
 『嬾惰き意 及び懈怠の想を除き 諸の憂悩を離れて 慈の心もて法を説け』
これは「怨嫌の心を生さざれ」を偈を以ていはれたのです。
 『晝夜に常に 無上の道の教を説け 諸の因縁 無量の譬喩を以て 衆生に開軌示して 咸く歓喜ばしめ よ 衣服臥具 飲食医薬 而も其の中に於て 希望む所無く 但一心に 説法の縁因を念ひ 願ひて佛の道を成し 衆をして亦爾ならしめよ 是れ則ち大利なり 安楽の供養なり』
これは「但大乗を以て答へよ」といふのを、偈を以て説かれたのであります。
 これから後のところは矢張り偈ですが長行になかったところです。
 『我が滅度の後 若し比丘有りて 能く斯の 妙法華経を演説かば』
此の安楽行に住して能く「法華経」を説く者があったならば
 『心に嫉恚 諸の悩み 障碍無けむ 亦憂ひ愁み 及び罵詈る者も無けむ』
其人の心が既に怨嫌の心なく軽慢の心なく、諸の悩みを離れて居るのであるから、亦憂ひ愁しむことも、向ふから罵詈ることもなくなるのである、此方は過失のない修行をして居る、だから向ふからもさういふことはなくなる、
 『又怖畏も 刀杖を加へらるる等のことも無く 亦擯け出さるることも無からむ 忍に安住ふが故ぞかし』
これは恰度前の「勧持品」とは反対です。「勧持品」は刀杖を加へられ擯出されるのですが、ここでは「安楽行品」のやうな修行をして居ればさういふことはない、刀杖を加へられることはない又擯出されることもない。それは何故かといふならば、『忍に安住ふが故ぞかし』進んで向ふの邪見を摧破するのでなく、出て来たら説いてやる、それまでは説かない、斯ういふやうなことでやっていたら、人及び経典の過を説かないから、擯出もされないし刀杖も来ない。
 『智き者は是の如く 善に其の心を修め 能く安楽に住ること 我上に説くが如けむ』
忍に安住うて居る為めに、さういふやうな修行をするのである、その修行をして居るから迫害が来ないのである。
 『其の人の功徳は 千萬億の劫に 算数譬喩もて 説くとも盡すこと能はじ』
かくて此の安楽行の功徳常住を示されたのであります。



 6 第三意安楽行を説くに止作の二を明す             


 次は意の安楽行ですが、これにも矢張り止作の二つがあります、
 『又、文殊師利よ、菩薩摩訶薩、後の末世に法の滅びんと欲なる時に於て、斯の経典を受持ち讀誦んぜん者は』
ここで一寸注意しておく必要があります、此の前の第四章のところには
 如来滅後於末法中
『如来の滅後末法の中に於て』とあります、日蓮聖人の教義によりますと、末法といふ時は「勧持品」のやうな折伏の修行をする筈である、此の「安楽行品」の修行は像法・・・・・末法の前の像法の修行である、斯ういふ風にいはれて居ます。ところがお経を見ると『末法』といふ、それから『法滅せんと欲なる時』、斯う書いてあります、これはどうも違ふではないかといって、矢っ張り末法にも攝受の修行といふのがあるではないかなどといふものがあります。そこでこれを一寸解釈しておきます。此の『法欲滅時』といふのは「安楽行品」の正しい時なのです、『法欲滅時』といふのは末法にならんとする前だから法滅せんと欲る時で、末法は法滅の時なのです、『末』といふことはどういふことだといふと、末とは『滅無』に名く、何が無くなった時だといへば法が無くなった時だ、一般に「大集経」に所謂『白法隠没』といふ、『隠没』とは滅没といふことで、功徳がなくなる、お経はあるがお経の功徳はなくなる、佛の像はあるが其の功徳がなくなる、それが末法だ。此の「安楽行品」の修行の時は、其の末法の前の法滅せんと欲なる時、これから無くなろうとする時、さういふ時は像法の中からその末に属する、中及び末であります、恰度天台大師が出られたのは像法の中ほどです、伝教大師の出られたのは像法の末です、即ち法滅せんと欲なる時でります、そこで伝教大師は『末法太ダ近キニ有リ』といはれました。
 それでは前の第四章の『於末法中』・・・・・末法の中といふのはどうだ、第六章では『法欲滅時』とあるが、前には末法の中とある、然しこれは又別物です、此の方は
 『末法ニ攝受折伏アルベシ』(開目抄)
斯う大聖人もいはれて居ます、大體は末法は折伏の時だけれども、末法にも攝受のないことはない、それはどんな時に攝受があるのであるかといふと、悪国もしくは謗法の国には折伏、善国もしくは無智の国には攝受、斯ういふことになります。大聖人の時のやうに、「法華経」があるのに、佛法の中に於いて「法華経」はもう時に約して役にたたぬ、或は「法華経」は月をさす指であるから役に立たぬ、或は「法華経」は顕教であって密教でない、無明の辺域であるといふ風に、「法華経」を知って居ながら其の「法華経」を貶す、さういふのを謗法といふ、その謗法の国には折伏でなければならないけれども、佛法も何もない今の西洋のやうなところ、さういふやうな所は佛法からいふと無智の国です。西洋は無智だといふと変ですが、佛法からいふと無智です、佛教のやうな深き真の哲学的宗教はない。その方からいったならば小乗でも西洋人は有がたがる、まして小乗から大乗を見ればずっと深いものだ。西洋はまだ「法華経」を謗るところまでは行って居ない無智だ。さういふ所に行って折伏しても何にもならない、攝受でよろしい、『末法ニ攝受折伏アルベシ』、それは無智の国と邪智の国があるからである、斯う大聖人が仰しやってあります。
 さういふ国があるから、『末法の中』といふこともありますが、然し正しくいへば攝受・・・・・「安楽行品」の修行は、『法滅せんと欲る時』に必要なのであります。
 『後の末世に法の滅びんと欲なる時に於て、斯の経典を受持ち讀誦んぜん者は』
心ばえはどんな心ばえで居る必要があるか、それは先づ第一に
 『嫉妬諂誑の心を懐くこと無かれ』
それから次には、
 『亦、佛道を学ぶ者を軽め罵り、其の長たると短たるとを求め勿れ』
軽しめ蔑らない、それから、
 『若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、声聞を求むる者、辟支佛を求むる者、菩薩の道を求むる者には、之を悩まして、其をして疑悔いしめ、其の人に語りて汝等道を去ること甚ど遠し、終に一切種の智を得ること能はじ。所以者何となれば、汝は是放逸の人なり、道に於て懈怠れるが故にと言ふことを得ること無かれ』
これは、其の通りなのだが其通りいってはいかん、若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷が、或は声聞とならう思ひ、辟支佛とならうと思ひ、菩薩にならうと思ふ、即ち三乗の教に拘泥して居る者がある、さういふ者に対しては、それは佛の教ではないのだぞ、さういふことをやって居たら一切種智を得ることは出来ないぞといって、それを破折して了ってはいかぬ、汝等は放逸の人である、何となれば佛の本当の心を知らぬからである即ち道に於いて懈怠って居る、佛の本当の心を求めようとしないではないかといって責めてはいけない。
 『又、亦、諸法を戯れ論じて、諍ひ競ふ所有るべからず』
諍ひ競ふてはいけない、お前の法は足らん、此方が勝れて居るといって、彼等とあらはに議論を交へることをやってはいかん、但し彼等から「法華経」を否定して来た時には、これを導かなければならぬ。然し此方から進んでは論じない、以上がしていけないことで、其の意に於いていけないことを四つ説かれました。
 今度は作すべきことであります。
 『当に一切の衆生に於て大悲の想を起し』
これらの一切衆生は未だ佛の御心たる「法華経」を知らない、如何にも可哀さうなものではないかと、斯ういふ大悲の心を起したならば、彼を嫉妬諂誑やうな心はなくならなければならない。
 『諸の如来に於て慈父の想を起し』
慈父の想といふのは、如来に慈父の想をするのは当然ではないか、何故斯ういふことが書かれてあるのかといふと、「法華経」からいったならば、未だ「法華経」を知らない外の小乗、権大乗、もしくは外道の教になづんで居る者、さういふ者でも「法華経」の意味からいったならば、必ず彼等は将来佛になるべき筈である、『諸の如来』といふことは、だから一切衆生は未来の佛だ、やがて佛になるから未来の佛だ、『諸の如来』といふ中には未来の佛も含んで居るから、彼等も未来の如来だと思へ、そして慈父の心を起せ、さうしたならば彼等を軽罵めることはなからう。
 『諸の菩薩に於て大師の想を起すべし。十方の諸の大菩薩に於て、常に應に深き心に恭敬し礼拝すべし』
これはどういふことだといふと、彼等はまるで「法華経」を知らない、「法華経」を行じて居なくてもやがて「法華経」を行ずることは定って居るのである。さうすると矢張り彼等が未来の菩薩だ、その點から彼等に対して悩乱してはいけない、又諸の菩薩といふものは、さまざまの姿をあらはして行ずるものだ、又外道の儒者の教でも、三人行へば即ち我師ありといふ、それと同じだ、だから小乗の教、外道の教の間違ったことをして居っても、それが又わが一つの師ともなる、斯う観ずれば彼等を悩乱することはない。
 『一切の衆生に於て、平等に法を説きつ、法に順ふを以ての故に、多くもせず少くもせず、乃至深く法を愛 づる者にも、亦為めに多く説かざれ』
一切衆生に向って平等に法を説け、此の人間は大変よく解る人だから余計説いてやらう、解らない人間だから少し説いておこう、といふやうな差別の心を根本から去り払ってしまはなければならない、平等に法を説いたならば諍競の心がなくなる。
 さういふ四つの作業、作すべき事柄をお説きになりました。それから次には「止作の行を結成す」
 『文殊師利よ、是の菩薩摩訶薩の後の末世に法の滅びんと欲なる時に於て、是の第三の安楽行を成就すること有らん者は、是の法を説かん時、能く悩み乱すもの無けむ』
此方が相手を悩まさず乱さないから向ふもさうしない、安楽に法を説くことが出来る、今度はその功徳です。
 『好き同学の、共に是の経を讀誦んずるものを得んん。亦、大衆の而ち来りて聴き受け、聴き已りて能く持
ち、持ち已りて能く誦んじ、誦んじ已りて能く書き、若は人をしても書かしめ、経巻を供養し、恭敬し、尊び重め、讃歎ふるものを得ん』
さういふ者が、本当に自分の同学にも随順する者が出来、それから教を聴いて居る者にも、さういふ風に聴いては受け持ち、そして能く誦んじ、能く説き、よく書き、又人の為めに説くやうな人間も出て来る、即ち此の安楽行の観行に住せば、聴衆中に縁の勝れた者が来たるであらうといふのであります。



 7 偈を以て重説す


 次は偈を以て重ねて説かれる、
 『爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲し、而て偈を説きて言はく
 若し是の経を説かんと欲はば、当に嫉と恚と 邪偽との心を捨て 常に質直なる行を修めよ』
これは嫉諂なし、嫉諂を離れる、それから
 『人を軽め蔑らず』
これは軽罵を離れる、
 『亦法をば戯論せず』
諍競を離れる、
 『佗をして疑悔いしめて 汝は佛を得じと云はざれ』
悩乱を離れる、
 『是の佛子法を説かんには、常に柔和にして能く忍び 一切を慈悲みて 懈怠の心を起さざれ』
これは作業の大悲の心
 『十方の大菩薩は、衆を愍むが故に道を行ず 應に恭敬の心を生ずべし 是れ則ち我が大師なりと 諸の佛世尊に於ては 無上の父の想を生せ 驕慢の心を破りて 法を説くに障礙無からしめよ 第三の法は是の如し』
これは前に説いた通りです。
 『智あらん者は應に守護るべし、一心に安楽に行ぜば 無量の衆に敬はれなん』
即ち安楽行の行者を讃歎せられやのです。


 8 第四誓願安楽行を説く、誓願境と由と立との三あり     


 次は第四誓願安楽行を説く、それには誓願する境・・・・・相手方と、それから其の誓願がどうして出て居るのであるかといふ由来と、それから誓願を立てるとの、三つがあります。
 『又、文殊師利よ、菩薩摩訶薩の後の末世に法の滅びんと欲なる時に於て、法華経を受持つこと有らん者は』
今度第四には、どういふことが必要であるか、
 『在家出家の人の中に於て、大慈の心を生し』
境には在家出家、その在家出家は佛法のあらゆる小乗から権大乗のすべての菩薩行を修行しているものでそれに対して大慈の心を生せ。これを慈境といふ、それから
 『非菩薩の人の中に於て、大悲の心を生しつ』
非菩薩に対しては大悲の心を生す、非菩薩は小乗を修行する者であって、これを悲境といひます、どうして慈境と悲境となって居るのであるかといひますと、小乗の者は大乗を失って居る、仍でこれに対しては悲しみの心を生す、慈境の方は在家出家共に矢張り大乗を行じて居る、然し大乗ではあるが本当の大乗にはならない、「法華経」ではないから本当のものとはいへないが「法華経」から見たら小乗であるが、然し利他の菩薩の行をして居る人々です。悲境の方は非菩薩だからこれを悲しむ、慈境の方は佛になる修行をして居るから、これは慈しむ、
 『應に是の念を作すべし』
これから次は誓願を起す由来です。
 『如是の人は、則ち為大いに如来の方便して宜きに随ひて説きませる法を失へり』
これは、慈境の相手方は所謂方便の大乗である、さういふことをばよく知らない、如来が方便して宜しきに随って説きたまふ法であることを、よく知らない、そして自分の修行して居るものを本当の教だと思って居る、これは愍むべきである、だからこれに対しては本当の大乗を知らしめる。更に非菩薩の教・・・・・自分だけが此の世界を出ようと思って居る声聞縁覚の教、それを修行して居る者に対しては、これはまるで自分も佛になれるのだといふことを忘れて居るのだから、大乗のダの字も知らない。慈境は佛になれるといふことは解って居るけれども、佛になるのには必ず「法華経」でなければならないといふことがわからない、悲境の方は佛になれるといふことをも知らない。
 『聞かず、知らず、覚らず、問はず、信ぜず、解せず』
それは真の大乗といふものをば聞かず・・・・・此の前にも一度お話しましたが、聞思修の三慧、佛法では此の三つが必要です、先づ教を聞く、聞いたならば其の教の聞いたところをよく深く思ふ、思ふのみならず心に身に実行してみる、此の三つのことがあって始めて其の道に入ることが出来るのでありますが、『聞かず』では聞慧がない、それから『知らず』、聞かない位だから知らない、知らないから思ふことも出来ない、だから随って『覚らず』で修することは出来ない。聞かないから聞慧がない、だから佛になるのはどうするものだといふことを問ふ力もないから、『問はず』、随って又どういふことであると知ることが出来ないから『信ぜず』、『解せず』、覚るといふこと解するといふことは修慧に属する、知るといふこと信ずるといふことは思慧に属する、問ふということは聞慧に属する、成佛といふことについて、聞思修の三慧の全然ない者が小乗のものでそれは可哀さうである。
 此の在家出家の慈境と、非菩薩の悲境、此の二つが「法華経」を修行する相手方だ、そこでこれに向って誓願を立てる、それが次のところです。
 『其の人是の経を、問はず信ぜず解せずと雖、我阿耨多羅三藐三菩提を得ん時に、随ち何の地に在らんも神通の力と智慧の力とを以て、之を引きて是の法の中に住ることを得しめん』
あらゆる一切衆生にさういふ願を立てる、今は彼等は問はず、信ぜず、解せずだけれども、自分が阿耨多羅三藐三菩提を得る時は、きっと彼等を、神通と智慧の力で、どんな所にあっても、此の「法華経」によって成佛せしめてやるぞといふ誓願を立てる、それが誓願安楽行の根本であります。
 今度は誓願を結ばれる、
 『文殊師利よ、是の菩薩摩訶薩の如来の滅したまへる後に於て、此の第四を成就すること有らん者は、是の法を説く時、過失あること無けん』
未だ聞きもしない、又随って知らない、覚らない、問はず、信ぜず、解せず、さういふ者に対してすらも、きっと成佛せしめてやらずにはおかないといふ、根本の誓願を生す、まして問ひに来た者に対してをや、此の誓願あるが故に、自分の身口意の修行が進んで彼等を導くことが出来るのであります。
 『是の法を説く時、過失あること無けん』
自分の教を聞かない者に対してすらも、さういふ誓願を生すのである、まして聞く者に対してをや、まして自分に縁のある者に対してをや、その意味から前の身口意の三つの修行も行じて行くのであります。さうすれば過失がない。
 『常に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、国王、王子、大臣、人民、婆羅門居士等に供養せられ、恭敬はれ尊び重め、讃歎へらるるを為ん』
此の誓願に住して身口意の三安楽行を成就する、斯ういふ場合には此方からは進んで国王大臣等には親近かないのだけれども、彼等の方から自ら慕って尊重るやうになる。これは恰度天台大師が、先刻申上げたやうに、金陵で陳王のために三度礼拝されるやうになったけれども、天台山におはいりになった、然しおはいりになってからでも、後には又時に出て来て法を説かれた、それは隋の煬帝などが、まだ晋王廣といった頃に、どうかお願ひしたいといふ時に説いた。その結果煬帝は天台大師に智者の號を奉った、伝教大師も亦矢張りその通りです。
 それからさういふ国王、王子、大臣、人民、婆羅門居士等が供養するのみならず、
 『虚空なる諸の天も法を聴かんが為の故に亦常に随ひ侍ふべし。若し聚落、城邑、空閑、林の中に在るとき、人有り、来りて難問せんと欲は者、諸の天は晝夜、常に法の為の故に、而ち之を衛護りつ、能く聴く者をして、皆歓喜を得しめん』
どうしてさういふ慈悲に常住し、大き法を弘めんことが出来るのかといへば、
 『所以者何となれば、是の経は是一切の過去未来現在の諸佛の、神力をもて護りたまふ所なるが故なり』
であるから、其の経をば修行する方法たる衣座室の三軌によって行ずる場合には、その衣座室の三軌が此の「安楽行品」のやうな、やさしい衣座室の三軌であるやうな場合もあるし、又「勧持品」のやうな場合もあるが、必ずその三軌によって修行したならば、一切の過去現在未来の諸佛が、必ず神力を以てお護りになる、だから若しは攝受の行の時も功徳を成就することが出来る、若しは折伏の行の時も功徳を成就することが出来る。
 以上が誓願安楽行の成就であります。



 9 四行成就の功徳大なるを明すに経の妙を以て歎ず      


 そのやうな四安楽行が成就して諸佛神力の加護を得て化益成就するのは何故であるかといふと、此の経の功徳による、それは「法華経」の功徳なのである、どうして「法華経」はそんなに功徳があるのであるか、其のわけを今度はお説きになる、
 『文殊師利よ、是の法華経は、無量の国の中に於ても、乃至名字をだも聞くことを得べからず。何に況んや見ることを得て、受持ち讀誦んずることをや』
沢山の世界があるけれども「法華経」を説かない世界が多い、「法華経」を説く世界はその現在の時に於ては頗る稀なのである。
 『文殊師利よ、譬へば力強き転輪の聖王の、威勢を以て諸国を降伏せんと欲ふに、而も諸の小王其の命 に順はざらむ。時に転輪王種々の兵を起し、而ち往きて討伐するに、王兵衆の戦ひて功ある者を見ば、即ち大ど歓喜び、功に随ひて賞賜はるに或は田、宅、聚落、城邑を與へ、或は衣服、厳身の具を與へ、或は種々の珍寶、金、銀、瑠璃、シャコ、瑪瑙、琥珀、象馬、車乗、奴婢人民を與ふれど、唯髻の中なる明珠のみは、以て之を與へず』
転輪聖王は自分の髻の中の明珠は與へない、
 『所以者何となれば、独り王の頂上に此の一の珠有り、若し以て之を與へなば、王の諸の眷属必ず大に驚きて怪しむが如し』
恰度その譬のやうに、文殊師利よ如来も亦復是の如し・・・・・これは譬を開かれた、『無量の国の中に於ても、乃至名字をだも聞くことを得べからず』といふ所は、法説を以て此の経の聞き難きを歎ずるので、今のところは転輪聖王髻中明珠を與へざる譬であります。
 その次は、
 『文殊師利よ、如来も亦復是の如し、禅定と智慧との力を以て、法の国土を得たまひつ、三界に王たり』
恰度転輪聖王の如くに、佛は、法の上に於ては其の全體の統一者である、一切の法の統一者である。
 『三界に王たり。而るを諸の魔王肯て順ひ伏せず』
『諸の魔王』といふのは、此の前申上げたやうに迷ひのことです、諸の魔王即ちさまざまの迷ひの世界の者共が順ひ伏せず、
 『如来の賢き聖き諸の將、之と共に戦ふ』
声聞・縁覚・菩薩、さまざまの者が、みんな悪魔降伏の働きをして居る、迷ひを降伏して居る、それはみんな如来の賢き諸將のやうなものである。
 『其の功有る者には、心亦歓喜びましつつ、四衆の中に於て、為めに諸の経を説きて、其の心を悦ばしめたまひ賜ふに、禅定、解脱、無漏の根力の諸法の財を以てし。又、復、涅槃の城を賜與へ、滅度を得たりと言ひて其の心を引導き、皆歓喜ばしめたまふ。而も、為めに是の法華経を説きたまはず』
これは『譬を法に合して如来法華経を説かざるを明す』であります、次に『輪王大功ある者には明珠を與ふ譬を開く』です。
 『文殊師利よ、転輪王の諸の兵衆の大じき功有る者を見ば、心甚ど歓喜び、此の難信の珠の久しく髻の中に在りて、妄に人に與へざるを、而ち今之に與ふるが如く』
大功ある者には髻の中の明珠を與へる、
 『如来も亦復是の如し、三界の中に於て、大じき法の王と為り、法を以て一切の衆生を教へ化しつ。賢く聖き軍の、五蘊魔、煩悩魔、死魔と共に戦ひて大じき功動有り、三毒を滅し、三界を出でて、魔の網を破しぬるを見なはさば、爾の時、如来も亦大ど歓喜びましまして、此の法華経の、能く衆生をして一切智に至らしめ、一切の世間に怨多くして信じ難く、先に未だ説かざりし所なるを、而も今之を説きたまふなり』
此の『一切世間に怨多くして信じ難し』といふ此の語は、矢張り「法華経」の性質を説かれて居ます。何故一切世間に怨多くして信じ難いかといふならば、「法華経」は如来の真の覚りの外は、一切の菩薩の覚りすらも否定する。それらは未だ覚らざる魔の眷属だとする、それをば龍樹菩薩の「大論」に
 『除諸法実相餘皆名魔事』
とある、「法華経」以外のどんな覚りでも、どんな法でも、それは皆魔事である、さういふ厳密な教なのです。
それだから一切世間に怨多くして信じ難い、等覚の菩薩の心でも尚魔事だ、さういふ風にいふところの教である。そこで、
 『一切の世間に怨多くして信じ難く、先に未だ説かざりし所なるを、而も今之を説きたまふなり』
と仰せられた。
 『文殊師利よ、此の法華経は、是諸の如来の第一の説なり、諸の説の中に於て、最も為甚深し。末後に賜與ふこと、彼の強力の王の、久しく護れる明珠を、今乃ち之を與ふるが如し。文殊師利よ、此の法華経は諸の佛如来の秘密ませる蔵にして、諸経の中に於て最も其の上に在り。長夜に守護して、妄に宣説かざりしを、始めて今日に於て、乃ち汝等が為めに而も之を敷演ぶるなり』
これは『譬を法に合して如来法華経を説くを明す』で、以上第九『四行成就の功徳大なるを明すに経の妙を以て歎ず』を終り、次は偈であります。


 
10 偈を以て重説す


 偈を以て重ねて説かれる、
 『爾の時、世尊、、重ねて此の義を宣べんと欲し、而て偈を説きて言はく
 常に忍辱を行じ 一切を哀愍みて 乃ち能く 佛の所讃たまふ経をこそ演説けよかし 後の末世の時に 此の経を持たむ者は 家出家 及び非菩薩に於て 應に慈悲を生ずべし 斯の等の 是の経を聞かず信ぜざるは 則ち為大に失へり 我佛の道を得て 諸の方便を以て 為に此の法を説きて 其の中に住まらしめんとす 譬へば力強き 転輪の王の 兵戦に功有るには 諸の物を賞賜はり 象馬車乗 厳身の具 及諸の田宅 聚落城邑 或は衣服 種々の珍寶、奴婢財物など與へ 歓喜びて賜與ふ 如し勇く健に 能く難き事を為す者有らば 王は髻の中なる 明珠を解きて之を賜ふが如し 如来も亦爾なり 為諸法の王として 忍辱の大じき力 智慧の寶蔵あり 大慈悲を以て 法の如く世を化したまふ 一切の人の 諸の苦悩を受けて 解説を求めんと欲ひ 諸の魔と戦ふことを見はしつ 是る衆生の為に 種々の法を説き 大じき方便を以て 此の諸の経を説きたまふ 既に衆生の 其の力を得已れるを知ろしめしては 末後に乃ち為に 是の法華を説きたまふこと 王の髻なる 明珠を解きて之に與へむが如し 此の経こそは為尊けれ 衆経の中の上なり 我常に守護して 妄に開き示さず 今正しく是時なれば 汝等が為めにぞ説くなる』

ここ迄は先の長行中にあった多くのことを述べ、次からは行者の功徳で、即ち四安楽行が成就してそれがどんな功徳であるかといふことを説かれます。これは長行に説かれてありません。
 『我が滅度の後 佛道を求めむ者 安穏に斯の経を 演説くことを得んと欲はば』
即ち四安楽行に住して
 『應当に是の如き 四の法に親近くべし』
先づ四法に住すべきを明かされました、さうするとどんな功徳が出るかといふと、三障転じて清浄となる、三障といふのは、煩悩障、業障、及び報障で、報障といふのは自分が生れる前からの、過去の善因悪因が現在の果報になって居る、その果報が現在に転ずる、それから業障といふのは、現在の善悪の事柄をなして居る、それが来世になって報となって転ずる、煩悩障は転じてまた業報を転ずる、その三つが皆転ずることをいはれて、
 『是の経を読まん者は 常に憂悩無く 又病の痛も無く、顔の色鮮白ならむ』
これは現在さうなる、四安楽行をしたならば、常に憂ひ悩みがなくなる、心の悩みがなくなると共に身の病もなくなる、そして顔の色は常に鮮白な色をして居る、これは現在の報障を転じたものであります、それから、
 『貧窮もの 卑賎もの 醜陋ものに生れず』
現在の業障が、今度生れて来てもそんな貧窮の者には生れない、又卑賤醜陋の者にも生れない、それから今度は煩悩障が転じてしまふ、その煩悩の一ばん大なるものは貪瞋痴、貪欲と瞋と愚痴だ、それが転じてしまふ、どう転ずるかといへば
 『衆生の見んと樂ふこと 賢聖を慕ふが如くならむ 天の諸の童子 以て給使を為ん』
衆生が見んことを樂ふ、それは貪欲の性が転じて人に喜ばれる、貪欲の人間は人がこれを憎む、然るに貪欲の性がなくなるから、人がこれを見んことを樂ふ、
 『刃も杖も加はらず 毒も害ふこと能はじ 若し人悪みて罵らば、口則ち閉塞がらん』
彼等が悪口いはんとしても口が閉塞してしまふ、言ったところで直ぐ打ち消す者が出て来る、
 『遊行るに畏無きこと 師子王の如く』
これは瞋恚の心がなくなってしまったから、他人がそれに対して刀杖を以て害するといふことはなくなる、
 『智慧の光明は 日の照らすが如くならむ』
愚痴の心が転じて智慧光明・・・・・佛の智慧が自からその行者に移ってしまふ、そして其の智慧の光は、日の照すが如く道理がはっきりわかるのです。
 以上が現在の果報で、此の四安楽行の修行をした結果はさうなる、今度は現だけでなしに、
 『若し夢の中に於ても、但妙なる事を見ん』
それでは何んな妙なることを見るのであるかといふと、
 『諸の如来の、師子の座に坐し、諸の比丘衆に 囲繞されつつ法を説きますことを見ん』
夢の中でも佛様が説法して居られることを見る、
 『又龍神、阿修羅等の数恒沙の如く 恭敬し合掌しつ 自から其の身を見れば、而ち為めに法を説けると見ん』
龍神阿修羅等の数恒沙の如きが、恭敬合掌し囲繞して居るところが見えた、自分は何処に居るのかといふと、豈はからんや自分が法を説いて居るのだ、そんな風な夢を見る、天台大師はこれを十信の位を得たのであるといった、十信、十住、十行、十回向、十地、、等覚これを五十一位といふ、その次に妙覚で五十二位、ここで佛様になる、大乗の菩薩の位といふのはこれだけあります。『十信』といふのはどういふ位だといひますと、一切衆生は必ず佛性を具して居る、きっと佛になるのだ、そのきっと佛になるのだといふことを確信する、必ず自分は佛になるのだといふことを確信する、此の確信の中での位が十ある、それが『十信』。先づ信じた確信した、然し確信しても未だここでは真理を本当に覚って居ない、真理は覚って居ないが信ずる、その真理を信ずる信じた結果わかって、今度は今度は自分が真理を握る、真理を握って真理の中に住する、此の真理は世の人がざらにいふ『真理』でない、これは佛様の真理で妙法のことだ、妙法を信ずる、そして自分は佛になるのだといふことを信ずる、そして今度は佛の住するところにチャンと自分の心がおちついて居る、その落ついて居るところに又十の位があるのが『十住』、それから今度はその真理を実行する、実行するのに又十の位がある、それが『十行』、今度は実行しただけでなく、実行したのを更に他の人々に回らし向はす、回向して他人を教化する為めに盛んに化他の仕事をする、その位に十あるのが『十回向』、すると今度は十住は妙法に住するのだが、それを行って、更にまた他人に回向し化導した結果、今度は自分は真理の地から生えたものになってしまふ、真理の地から生えてしまふ、もう住するなんて、上に乗っかっているのではない、根から生えてしまふ、その位に十ある、それが『十地』です。その次に等覚、佛様の覚りと僅か一等しか違はない、毛筋ほどした違はないといふところです、此の毛筋ほどしか違はないところに、なほ元品の無明といふ僻者がいる、これが増長すると又後へ逆もどりに還る危険千番だ。そこで日蓮聖人は妙法の事をば、此の根を抜くから、元品の無明を切る大利剣といはれた。此の元品の無明を切れば後の方のいろいろな迷ひなどの根は一度に切れてしまふ、天台大師伝教大師までの佛教は、迷ひを無くするのに下の方から上の方に溯って行くのですが、日蓮聖人の佛教はそれとは違ふ、もうそんなことをして居ては間に合はない、昔の時はそんなこともやれるが、末法といふ時は、そんなことでは間に合はない、先づ根から去ってしまふ、一ばんの迷ひの根、一切の迷ひの本にある元品の無明を切る大利剣だ、此の元品の無明を去れば、後の方は自然に去れて来る、先づ根を抜いてしまふ、それが日蓮聖人の教義です。そしてこの元品の無明を断てば今度は妙覚といふ、本当の佛様の位地に出て来るわけになるのであります。
 そこで、ここでは、
 『諸の如来の 師子の座に坐し 諸の比丘衆に 囲繞されつつ法を説きますことを見ん 又龍神 阿修羅等の数恒沙の如く 恭敬ひし合掌しつ 自ら其の身を見れば 而ち為めに法を説けると見ん』
これはもう自分は佛になるといふことを確信したものだ、そこでさういふ天龍夜叉等のために法を説く身體となるのだといふことを夢みて、十信の位になった。
 『又諸佛の 身相金色にして 無量の光を放ち 一切を照しつつ 梵しき音声を以て 諸法を演説きたまふ佛は四衆の為に 無上の法を説きたまふに 身を見るに中に處つ 合掌して佛を讃へ 法を聞きて歓喜び 而て供養を為し 陀羅尼を得て 不退の智を證る 佛は其の心 深く佛道に入れりと知しめし 為めに 最正覚を成すことを授記して 汝善男子よ 当に来らん世に於て 無量の智なる 佛の大道を得て 国土厳浄しく 広大なること比無く  亦四衆あり 合掌して法を聴くべしとのたまふを見る』
いよいよ本当の十住の位に入る、前のところで二乗達が、みんな来らん世に於いて劫国名號を得た、舎利弗は華光如来になった、阿難尊者は山海慧自在通王如来になったといふやうな風に、みな佛の位を得たといふのは何ういふことだといふと、十住の位を得たので、もう佛になることは決って居る、これから修行をして一切衆生に自分との因縁を與へ、そこで其の因縁を與へた人を自分の国につれて行く、それだけのことをやれば、もう佛になることは決ってしまった、記別を受けるのはそのことで、ここで十住の記別を受ける、
 『又自が身は 山林の中に在りて 善の法を修習ひ』
サア十住の位にはいったから、今度はもうきっと佛の仕事をするので、十行の位にはいる、
 『深く禅定に入り 十方に見えたてまつると見ん』
即ち今度は十地にはいった、そこで次には妙覚の位に入る、等覚はもう十地の中に一緒に攝せられた、何故かといへば、十地の中の第十法雲地の位に、初心と後心といふものがある、此の後心を金剛心といふ、それが等覚なのであります、そこで、ここでは等覚を十地の方に攝めてしまはれた。
 次には妙覚であります、
 『諸佛の身金色にして 百福の相荘厳し 法を聞きて人の為めに説くと 常に是の好じき夢あらむ 又国王と作り宮殿も眷属も 及び上妙なる五欲をも 捨て行きて道場に詣りつつ 菩提樹の下に在り 而ち師子の座に處ひ 道を求むること七日を過ぎて 諸佛の智を得 無上の道を成し已りて 起ちて而ち法輪を転らし四衆の為めに法を説くこと 千萬億の劫を経て 無漏の妙なる法を説き 無量の衆生を度しつ 後に当に涅槃に入ること 煙盡き燈の滅ゆるが如しと夢みん』
八相成道をして今度はお釈迦様のやうになった、さういふ夢を見た、だから妙覚の相を得て居る、一切衆生の為めに法を説き、そして入涅槃した、さういふ夢を見るやうになる。
 以上ですっかり四安楽行の修行をした人の功徳が明かになった、そこでこれを結ばれる、
 『若し後の悪世の中に 是の第一の法を説かば 是の人大じき利を得んこと 上の諸の功徳の如けむ』。
 以上で「安楽行品」の四安楽行の概略を申上げましたが、天台大師は此の四安楽行によって、止観の行をせられたのであります、『止』といふのは定で、『観』といふのは慧です。此の止観の修行をする前には二十五方便といふものがあります。此の二十五方便といふものはこれは戒です、二十五方便は恰度十悩乱を離れるやうなことが説いてある。自分の棲む所から何から何まで、皆止観の修行をするには、すべて汚ない所から離れる、此の「安楽行品」に説いてあるやうな事柄がみんな説いてある、二十五方便によってさういふ浄い所見聞くもの一切浄々しいやうにして、それから止観の妙定妙慧をこらす、そこで前の「勧持品」と「安楽行品」と此の二つが、迹門の流通の中に説かれて居る。「勧持品」は三類の強敵が来たる、それは何故であるかといふと、これは折伏の修行であるからだ、それから「安楽行品」の方は怨敵が来たryとは書いていない、怨敵が来らない、それは来らないのは何の故かといふならば、攝受であるからだ、進んで説かない、人及び経典の過はあるのだけれども、人及び経典の過を進んで説かない、大體進んで説かないよりもさういふ人間の多い所に出て行かない、十悩乱を離れよなどといったならば、町の中には住めない、全く山の中に這入って居るより外はない、さういふ風に進んでは説かない、向ふから来た場合に始めて説く、それでも此の経は『一切の世間に怨多くして信じ難し』としてある、刀杖も加へずとはしてあるけれども、毒不能害とある、毒を飲ましても害を加へることが出来ない、だから矢張り可成りさういふこともあり得る、何故それがあり得るかといふと、攝受だけれども、尚問難する者あらば大乗をもて答へよ、若し問ふ者があったならば、矢っ張り大乗を以て答へよ、さうすると問うて来たならば、「法華経」が第一だといはなければならぬ、法華経第一だといへば法華以外の信仰のものは、矢張りこれに対して怨嫉する、そこで此の部分は矢張り折伏だ、進んで説かないところは攝受だけれども、問ふたら正味を答へる、そこは法華折伏破権門理でしかたがない、外のものは間違って居るといふから、どうしても折伏ならざるを得ない、そこで「如説修行抄」などには、釈尊も天台も伝教も皆折伏だといはれて居るのです。進んで説かないところは攝受だけれども、聴きに来て説いたら矢っ張り折伏です。だからこれを『法華折伏破権門理』といふので、法華は決定して折伏です、何処が折伏だといふと、法華は権門の理を悉く破折するから、法そのものは何時でも折伏だ、唯「安楽行品」といふものは折伏を遠慮して居るに過ぎない、人及び経典の過はあるが説かないで遠慮して居る、それが「安楽行品」です。「勧持品」は進んで説くから遠慮会釈なくやる。
 そこで「勧持品」と「安楽行品」と二つ反対のことが出て来ました、反対のことが二つ出て来ては可笑いではないか、佛様はどうしてそんな反対のことを二つ説かれたのか、「勧持品」では佛さまは、菩薩方に催促して居られる、催促に従って菩薩方が末法に正直に説いたら斯うなるのだ、此の法を当り前に説いたら斯うなるのだといふことを説きました、それは先刻申上げたやうに、「宝塔品」に六難九易といふことが出て居る、そこで薬王菩薩がそれでは私にやらして頂きたい、身命を惜しまないと申上げたが、そんなことではいかんといって「勧持品」の二十行の偈をお説かせになった。そこで初心の菩薩が、「勧持品」ではとても難しいといふので、さういふ迫害が餘り来らない方法はないでせうかと申上げたから、それはある、遠慮して説け、斯ういふことになった、そこで「法華経」といふものは何方が正味なのであるかといふと、どうしても「勧持品」が正味だとなる。
 前にも話しておきましたが、釈尊が「宝塔品」の時に『誰か能く此の娑婆国土に於て、廣く妙法華経を説かん・・・・・如来は久しからずして、当に涅槃に入るべし、佛、此の妙法華経を以て、付属して在ること有らしめんと欲す』とあって、これから此の「法華経」を付属しようと思ふと仰しやった、その御語をば天台大師がチャンと二通りに説いてある、
 近令有在
 遠令有在
 近くは薬王等の菩薩に付属する、遠くは下方地涌の菩薩に付属する、未だ出て来ては居ないが、地の下の虚空中に居る上行等の菩薩に付属する、此の二通りの付属があるのだと斯う天台大師は解釈せられた。此の近く付属して在ること有らしめんと欲すといふ方の菩薩が、此の安楽行品の修行をする人だ、それから遠く付属して在ること有らしめんといふのが、下方本化の菩薩で、その菩薩の為めに「勧持品」を説かれたのであります。薬王等の菩薩では勧持品の修行をすることはできない、そこまでは力が及ばない、ここに本化と迹化の違ひがある。迹化は安楽行の攝受、本化は勧持品の折伏。斯ういふことが此の御説法の中に自ら現はれて来て居るのです、これから後になると大いに其のわけが解って来るが、今日は以上で終ります。


                             
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