化城喩品第七  

  1 因縁説の最勝 
 三種の教相 

  3
 法華経における主師親三徳

   大通智勝佛の往事因縁  十六王子転法輪を請う 

  6
 大通智勝佛の説法  十六王子妙法を転教す 
 
   
 化城寶所の喩

五百弟子受記品第八 
  
 人天交接両得相見  内秘菩薩行外現是声聞 
    衣裏宝珠の喩
授学無学人記品第九



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化城喩品第七  

 1 因縁説の最勝
                                       

 「授記品」が終わった、そこで舎利弗と迦葉と須菩提と迦旃延と目けん連と、その五人の大声聞は成佛の記別を受けたが、その外の者は未だ受けることが出来なかった。そこでこれらの者を更に成佛せしめなければならぬといふので、今度お説きになるのが「因縁説」であります。過去の古い因縁からお説きになって、そして根本的に成佛せしめようというのが「化城喩品」であります。「化城」は事実無いのでありますが、佛の神通力で見せられたのです。元来「城」というものは何のために造るのであるかといえば、非を防ぎ敵を禦ぐ為に城を造るのであります。そこで「城」をば何に譬えたかといひますと、煩悩の迷いの敵を禦ぐところの覚りの城です。其の覚りの城をば事実無いが、それをあるやうに佛の神力で見せられたということが「化」といふことです。「化作」ともいひます。ないがあるやうに見せられた、覚城を化作したという、さういふ覚城を化作したことをば、譬喩を以て説かれたから、これを「化城喩品」というのであります。
 其の「化城喩品」は下根の者の為めに、因縁を以て説かれたのであります。「法説」は上根のため、唯法だけでお説きになって居るのは、上根の舎利弗の為めにお説きになった。それから「譬説」は、或は三車大車の譬、或いは長者窮子の譬、或いは三草二木といふ三つの草と二つの木、そのような譬喩を以て説かれたのは、これは中根の者の為めに説かれた。今因縁を以て説かれるのは、最下根の者のために説かれたのであります。斯う考へますと、此の三周の御説法は、「方便品」が一ばん上等で、「譬喩品」「信解品」「薬草喩品」等が中等の御説法であって、因縁を説かれた「化城喩品」は一ばん下等な御説法ではないかと、斯う考へるかも知れません、ところがさうではないのです、斯う三つあったならば理論だけで解る者が一ばん頭がいい者で、譬喩を以て説かなければならぬ者は、もう一つ覚りの悪い者だと、考へられないことはないのですが、然しながら其の説法の価値からいひましたならば、どれが一ばん徹底して居るのかといふと、事実因縁で理論を証拠立てたもの、そのことはプリントに書いておきましたが、
『重病には良薬を要す』
病気の重い者には薬の上等のものをやらなければならぬ、それから
『深渓之水は高山に在り』
深い渓の水というものは高い山からでなければ落ちて来ない。重病には良薬を要する、深い渓の水は高山からでなければ落ちない。それと同じやうに下根の者をば本当に救ふことの出来る教の方が、下根を救ふことの出来ない教より実質は勝れて居るので、方便に救ふのではないのです。 唯下根の者に其の人相応のことを説いてやらうというならば何でもないのですが、下根の者に徹底した佛と同じ安心を与へるといふことは、一ばん難しいことです、菩薩に佛の心を教へる、これは何でもないが、菩薩になることが出来ないで、先ず自利して早く覚りの中に這入ってしまひたいといって居る者に、本当に佛の心を教へるのが難しいので、「華厳経」とほぼ同一のことをば、二乗という阿羅漢様に知らしめて覚らしめるといふ「方便品」の方が、華厳経より又勝れて居る、智慧第一の舎利弗は解ったけれども、迦葉・須菩提・迦旃延・目ケン連というような人には解らなかった。という「方便品」よりも、これらに知らしめて彼等をして真に佛の心と同じにならしめた「譬喩品」「信解品」「薬草喩品」の方が、「方便品」より勝れて居る、 ましてそれ以下の千二百の阿羅漢をして悉く佛の覚りと同じ覚りに入らしめた「化城喩品」の方が、より以上に、譬喩説よりもう一つ勝れている、だから説の意味からいひましたならば、因縁説は法説・譬喩説よりも勝れて居るので、これは「法華経」の観方であります、因縁説よりも譬喩説が勝れ、譬喩説よりも法説が勝れて居るといふならば、その点では「法華経」より「華厳経」が勝れて居ると言わなければならなくなりませう。

 
2 三種の教相                                

 そこで天台大師が、「法華経」は三つの教が説かれて居るお経だといはれました、それは第一に「根性の融不融」、根性の融不融というのは何ういふことだといふと、根性といふのは一切衆生の心性であります、其の心性が、悉く一切衆生が本当に融通して居るかして居ないかといふことである、「法華経」以前に於いては、佛様と菩薩だけは融通して居るが、佛と二乗とは融通しない、阿羅漢辟支仏と佛様とは融通しない。「法華経」に至ってすべての根性が皆融通する、みんな成佛することが出来る。斯ういふことを説いたものである、さういふことを説いて居るのは、「方便品」から「薬草喩品」に至るまでに其の事を説かれました、成佛しないものは一つもない、十界互具であります。
 第二に「化導の始終不始終」であります、根性の融を説かれたのも不融を説かれたのも、それは佛が説かれたのです、その佛様の教といふものが・・・・佛といふものは今番お釈迦様とお生まれになって、始めて菩薩・二乗の為めに、教を説かれたものかどうか、さういふ時分に、此の「化城喩品」では此の釈迦牟尼佛は今度始めてお教になったのではない、釈迦如来は此の娑婆世界の衆生に対して三千塵點劫の昔から、菩薩として、常に法華経を以て、娑婆世界の衆生を救はうという大誓願の下に、常に常に慈悲智慧を以て化導しつつおいでになるのであるといふ、この事実因縁の方から佛陀の大慈大悲を明かされて行った、さういふ観方をばはじめて説かれたのが此の「化城喩品」であります。
 お釈迦様が三十成道せられて、そして五十年説法せられた、その間だけ菩薩でも声聞でも皆法を聞いて功徳利益を得たと思って居るが、そんな浅いものではないぞ、汝等は今はじめて俺の化導を受けたのではないぞ、数限りの知れない大昔から自分に化導を受けて居るのだ、斯ういふことを根本的に説きはじめられた、それが此の「化城喩品」であります、其の次に「師弟の遠近不遠近」ということが寿量品に説かれているのです。

 
3 法華経における主師親三徳                        

 そこで此の御説法の方が、先の御説法よりもウンと勝れた教義であります、それから又
『故に化城喩品の因縁は、深説にして法譬に勝る』
即ち「化城喩品」の因縁説は、法譬説に勝れて居る、それからこれも一寸説明しておきます、これは前に説明しましたから覚えて居る方もありませうが、「譬喩品」と「信解品」とは、父の長者ということに佛様を譬喩てある。それから「薬草喩品」では『破有法王出現世間』といって、法を王様と説いてある、然るに此の「化城喩品」では導師というお師匠様に譬へてある、これが主・師・親です、主師親の三徳といふものは自ら譬喩に出て居ます、これも「法華経」の宗教経典として最も勝れて居る一つの特徴であります。
 何時も申しますやうに、宗教は尊崇感情といふものから出て来る、尊崇感情のないところには宗教はない。敬虔尊崇の感情のないものには宗教はない。
『夫レ一切衆生ノ尊敬スベキ者三ツアリ、所謂主・師・親コレナリ』
と日蓮聖人が「開目鈔」のはじめに喝破せられましたが、近世の宗教学者シュライエルマッヘルという人が、はじめて宗教といふものをば心理的に、我々の心の方から考ヘ、そして宗教といふものは敬虔の感情、そこに存在するのだといフことを論じました。それがシュライエルマッヘルの宗教論の有名なる論旨ですが、それをば日蓮聖人は「開目鈔」の劈頭に書かれて居ります、その尊ぶといふのにも三つの尊ぶ相手があル、それは「権威」、権威に対しては畏怖する、畏怖するといフことも宗教感情の一つで、シュライエルマッヘルは其の畏れるといふことは、大変重く見て居ります、それから「恩寵」、これは慈愛、恵みであります、それから「教詔」教ヘること、権威・恩寵・教詔の三つに対しての敬虔の感情、それが宗教です、それのないところには宗教はない。
 これも何時もいひますことですから、度々お聞きになるでせうが、ユダヤ教は主なる神で、父なる神より主なる神の方が強い、怖れの神であり、キリスト教に於いてはじめて父の神であり、愛の神である、権威の中には嫉みがある、だからユダヤ教の神は怖れの神、妬みの神である、キリスト教は愛の神である、キリストは主ともいふけれども父ともいって居ります、然しキリスト教の神は、自ら此の地上に出て来て教ヘませんでした、キリストをして教ヘしめました、権威・恩寵の天の神であります、即ち父の命によって、独り子のきりすとが教ヘました。主と父とは神でありますが、師はキリストになって居ります、しかるに、佛教にあっては此の三つが一つものであります、佛は法王であり、父であり、それと共に師である。これは佛教がキリスト教よりも宗教として完備して居る一つの証拠でもあります。
 その佛教の中でも、特に「法華経」の此の御説法の中に、チャンと主師親の三つを示されて居ります。それは法華経典の最も宗教的なることの表象でもあります。

 
4 大通智勝佛の往事因縁                        

そこで「化城喩品」のはじめに
 『佛、諸の比丘に告げたまわく、乃往過去、無量無辺不可思議阿僧祇の劫に、爾の時佛有せり』
それは大通智勝如来といふ佛様であった、其の国は「好成」と名ける国であって、「大相」といふ劫の時であった。
 『諸の比丘よ、彼の佛の滅度ありてより已来、甚大ど久しく遠し』
といふので、三千塵點劫といふ譬喩が説かれて居ます、それはどんなことだといふと、三千大千世界のあらゆる地面をば、仮使に人が有って麿って墨とする、そして其の墨を東方の千の国を過ぎて一點を下す、其の一點は塵位の一點で、そして三千大千世界を悉く墨に磨り下ろしてしまった、其の微塵のやうな點を、何処までも東の千の国を過ぎて一點づつ下して、それが無くなる迄向ふに行くのです、実に大変な話です、此の一本の白墨でも磨りおろしたらどれだけあるかわからない、これを微塵にしたらどれだけの微塵になるか計算出来ない、それを三千大千世界といふから、百億の太陽系である、その世界を悉く塵にしてしまふ、その一つの塵をもって、東の方千の三千大千世界を過ぎて一つの塵をおとす、そうして其の塵をなくなすのですから、想像にも何にもわかるものではない。
 『又、千の国土を過ぎて復一點を下しつつ、是如に展伝ぎて地種の墨を盡さむが如し、汝等が意に於て云何にぞや』
此の間に挟まれて居る世界の数はいくらあるかときかれた、
 『是の諸の国土を若しは算師、若しは算師の弟子たち、能く辺際を得て其の数をしりなんや、否や』
算術の教師はわかるかどうかときかれたが、『否なり世尊』否とても数へきれませんと答へた、すると佛様が、諸の比丘よ、其の国の数は計り知れない数があるだろう、其の千の世界を過ぎて一點を下し、又千の国土を過ぎて一點を下した、此の下した国も下ろさない国も、みんなそれをもう一ぺん塵にしてしまって、其の結果その一つの塵を一劫としたならば尚わからないだろうが、其の大昔に此の大通智勝佛は成佛したのである、それは何といっていいか、殆どわけのわからない大昔になってしまった。
 『彼の佛の滅度より已来は、復是の数にも過ぎたること、無量無辺百千萬億阿僧祇劫なり、我は如来の知見の力を以ての故に、彼の久遠を観ること猶今日の如し。』
お前達は塵の點と點の間に介まった世界の数さへわからないが、俺の方は其の間だに挟まった国をも悉く塵にして、その一つの塵を一劫としたといふ、それからなほ無量無辺の大昔のことでも、如来の知見を以て彼の久遠を観ること猶ほ今日の如し、手に取るやうに解って居る、其の時の話をこれからしてやろうといふ、 それは珍しいことだから謹んで承はろうと、みんな期待した、すると、
 『佛、諸の比丘に告げたまはく』
大通智勝佛は左様に古い昔に成佛した佛様だから、其の時の佛様の寿命も非常に長かった。それは五百四十萬億那由他劫といふほど長かった、其の佛様が佛の覚を開こうとして道場に坐して座禅された、其の時あらゆる悪魔が佛の覚りを害せんとした、釈迦牟尼佛の時には魔王が或は三人の娘を遣はして擾乱しようとし、竟には自ら佛を害せんとしたといふことがありますが、此の時もあらゆる悪魔の迫害誘惑があった、けれどもそれらを悉く破られ終って、佛の覚りを已に得られようとしたけれども、其の覚りが目に見えるやうに自分のところに出て来なかった、けれども佛は寂然不動座禅して居られた。其の座禅が十小劫という長い間であった、
 『一の小劫乃至十の小劫に、結跏趺坐して、身も心も動きたまはず、而るに、諸佛の法猶ほみ前に在らざりき』
諸の迷ひを破し終って、尚これが覚だといふことをつかむことは出来なかったが、寂然として座禅して居たら、十小劫過ぎて佛の覚りが手にとる如くわかった
 『諸の比丘よ、大通智勝佛、十の小劫を過ぎて、諸佛の法乃し前に現在れて、阿耨多羅三藐三菩提を成じたまへり』

 5 十六王子転法輪を請う                   

 その佛が未だ出家したまはなかった時分に、十六人の子供があった。其の第一の子供が「智積」といふものであった、父が阿耨多羅三藐三菩提を成じたといふことを聞いて、そして佛の所に出て行って出家しました。
 『諸の母涕泣きて、而も随ひて之を送りぬ』
これを譬えにすると『諸の母』といふことは煩悩といふことにもなるのですが、涕泣いた、けれども子供達はみんな勇猛心を起こして父の佛のところに行ってしまった、其の祖なる転輪の聖王も沢山の人民を連れて、そして其の佛の所に行って、佛を囲繞し讃歎した、そこで十六の王子が佛を讃め終って、何うか天人大衆を憐愍むために教を説いていただきたいといって、十六の王子が説法をお願ひした。そのことをば『十六王子転法輪を請う』といふ、で其のやうに、人間の世界では王子が法を説いて頂きたいと願って居るのみならず、梵天の方でも亦大通智勝佛の成佛を知って、十方の梵天がみんな出て来て、佛様に法を説いてくれとお願いするのです、ここのところは非常に雄大な神々しい文章で書いてありますから、一節だけ拝読してみます。
 『佛、諸の比丘に告げたまはく、大通智勝佛が、阿耨多羅三藐三菩提を得たまひし時、十方の各五百萬億の諸の佛の世界六趣に震ひ動きつ。其の国の中間なる幽冥の處、日月の威光も能く照らす能はざる所だに、而も皆大も明かなり。其の中の衆生各相見ることを得て、咸く是の言を作す。此の中云何にぞや。忽ちに衆生を生ぜると。又其の国界なる諸の天の宮殿、乃至梵宮まで六種に震ひ動き、大じき光普く照し、世界に偏満みち諸天の光に勝りぬ。爾の時、東方の五百萬億の諸の国土の中なる梵天の宮殿に、光明照し曜くこと、常の明に倍りければ、諸の梵天王、各是の念を作す。今者宮殿の光明、昔より未だ有なき所なり、何の因縁を以て而ち此相を現すにやと。是の時諸の梵天王即ち各相詣りて共に此の事を議る。而に、彼の衆の中に一の大梵天王有りて、救一切と名く、諸の梵衆の為めに、而て偈を説いて言はく、
 『我等が宮殿光明昔より未だ有なし、此は是れ何の因縁ぞ、宜しく各共に之を求ぬべし、大徳の天生るとや為ん、佛世間に出でませるとや為ん。而も此る大じき光明の偏く十方を照らせるはよ』
といって、爾の時梵天王の宮殿と與に天にのぼり、衣コク・・・・・というのは花をささげる器物で、 それをささげて西方に詣って
 『是の相を推尋ねけるに、大通智勝如来、道場なる菩提樹の下に處し、獅子の座に坐したまひつつ、諸の天、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩ゴ羅伽、人、非人等の恭敬い囲繞せるを見、及び十六の王子の、佛に法輪を転らさんことを請ひまつるを見たり。即時に諸の梵天王、頭面に佛を禮し繞ること百千匝にして、即ち天華を以て佛の上に散らしぬ。其の散らす所の華、須彌山の如し並びに以て佛の菩提樹を供養せり、其の菩提樹の高さ十由旬なり。華の供養已れば各宮殿を以て彼の佛に奉げ上り、而て是の言を作す、唯我等を哀愍み饒益み見して、ささぐる所の宮殿を、願くは納處け垂せたまへと。時に諸の梵天王は、即ち佛の前に於て、一心に声を同せ、偈を以て頌へて曰さく
 世尊は甚も希有にまし 値遇し得べきこと難し 無量の功徳を具えつつ 能く一切を救護ひたまひ 天人の大師として 世間を哀愍したまふなり 十方の諸の衆生 普く皆饒益を蒙る 我等が依りて来つる所は 五百萬億の国なり 深き禅定の楽を捨てたるは 佛を供養せんが為の故なり 我等先の世の福ありて 宮殿甚だ厳くしく飾れり 今以て世尊に奉げまつる 唯願わくは哀れみて受納せさせたまへ
 爾の時に、諸の梵天王 偈を以て佛を讃へ已りて 各是の言を作す。唯願くば世尊よ、法輪を転らして衆生を度脱ひ、涅槃の道を開かせたまへと。時に諸の梵天王は一心に声を同せ、而ち偈を説きて言さく
 『世雄両足の尊よ・・・・・』
『世雄両足尊』といふのは、佛様の名前の一つであります。よく英雄などといひますが真の英雄とはどんなものであるかといえば、佛が真の英雄であります、それを『世雄』といふ、一切勝る者なし、『雄』といふのは世の最勝者である、世間の最勝者である、それが即ち『世雄』だ、其の最勝者はまた『両足尊』である。『両足尊』とは禅定と智慧の具足をいふ、それから福徳双備、禅定と智慧であり福と徳である、それが兼ね具えているもの、それを「両足尊」といいます。
 『世雄両足の尊よ、唯願わくは法を演説し、大じき慈悲の力以て苦悩の衆生を度しませ』
といって、東方から梵天がやって来た、そうすると南の方からも西の方からも、あらゆる十方の世界から皆梵天が出て来て、大通智勝佛に説法をお願いした、そこで、

 
6 大通智勝佛の説法                          

  『爾の時、大通智勝如来、十方の諸の梵天王及び十六の王子の請を受けつつ、即時ち三たび十二行の法輪を転らしたまへり』
『十二行の法輪』といふものをめぐらされた、『十二行の法輪』と申しまするのは、どういふことだといひますと、『四諦』の法であります。
 前にもお話し致しましたが、苦集滅道、苦諦・集諦・滅諦・道諦、此の四諦というのが佛様の御説法で
あります、其の苦集滅道の四諦に対して示・勧・修という三つの御説法の仕方をなされる、「示」といふのは、苦諦とはこれこれのことだ、斯ういって苦諦を説明せられる、次は、さういふものであるから此の苦諦のことをば能く知らなければならないぞ、これを知らなかったならば苦を脱れることは出来ないぞ、集諦といふことは斯ういふことである、よく諦めなければ煩悩を脱れることは出来ないぞ、斯ういってそれを説明し、更にそれを知らなければならないぞと「勧」める。そしてそれを実行するのは何うするかと「修」行の方法を教へる、先ず示し、それから勧め、それから修行の方法を教へる。斯ういふ三つの順序を経て四諦を教へられたから、即ち十二度法門を転ぜられた、十二度法門を転じ、そして声聞を教へられた、それから十二因縁の法、十二因縁のことは前にお話し致しましたが、其の十二因縁に流転といって、だんだん迷ひの方からさまよって行く、その流転の十二因縁と、其の迷いをなくしてしまって、涅槃に入る方の還滅の十二因縁を説かれた、そのことが
 『無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死、憂悲、苦悩に縁たり』
ここまでが流転の十二因縁です。
 『無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死、憂悲苦悩滅す。』
これが還滅の十二因縁であります、 それを佛様がお説きになって、
 『佛、天人大衆の中に於て是の法を説きたまへる時、六百萬億那由他の人は、一切の法を受けざるを以ての故に、而ち諸の漏より心解脱することを得て』
 『一切の法を受けざる』といふのは、迷ひの法を受けないということであります、そこで諸の汚れ迷ひから脱れることが出来た、心自在といって、迷いの為に働かされない、迷ひの為にウカウカ心をとらはれないことになる。
 『皆深く妙なる禅定と三明と六通とを得、八の解脱を具へたり』
といふので、これが声聞縁覚の二乗が出来た、
 『爾時に十六の王子、皆童子ながら而も出家して而ち沙彌と為る、諸根通利、智慧明了なり、已に曾て百千萬億の諸の佛を供養し、浄く梵行を修めて阿耨多羅三藐三菩提を求む』
其の中の十六王子は今のやうな四諦、十二因縁だけの法では満足せずして、菩薩の道を求めた、佛になる道を求めた、
そしていふのには
 『世尊、是の諸の無量千萬億の大徳の声聞は、皆已に成就しぬ。世尊よ、亦当に我等が為めに、阿耨多羅三藐三菩提の法を説きたまふべし。我等聞き已りて、皆共に修め学ばむ。世尊よ、我等は如来の知見を志願せり。深き心の所念をば佛自ら証知めさむと、爾の時、転輪の聖王の將いつる衆の中なる八萬億の人、十六の王子の出家せるを見て、亦出家を求めければ、王即ち聴許しき。爾時に彼の佛沙彌の請いを受けさせつつ、二萬の劫を過ぎ已りて・・・・』
菩薩の法をば十六王子が求めたから、そこで大勝智勝佛は二萬劫の中に方等の諸部の経と、それから般若の諸部の経を説かれました、 それを説き終って後
 『而ち四衆の中に於て是の大乗の経の、妙法蓮華、教菩薩法、佛所護念と名くるを説きたまふ、是の経を説き已りたまへば、十六の沙彌は、阿耨多羅三藐三菩提の為めの故に、皆共に受持ち読誦んじ通利りぬ。是の経を説きたまひし時、十六の菩薩の沙彌は、皆悉く信じ受けき。声聞の衆の中にも亦信じ解れるも有りき。其の餘の衆生の千萬億の種は、皆疑惑を生しぬ。佛是の経を説きますこと八千の劫に於りて、未だ曾て休み廃めたまはず』
即ち二萬劫の間方等・般若の経を説いて、そして八千劫に亙って妙法蓮華経を説かれた。
 『是の経を説き已りて、即ち静けき室に入り、禅定に住すこと八萬四千の劫なり』

 
7 十六王子妙法を転教す                      

 これから後大勝智勝佛は入滅せらるるまで、十六の王子は皆此の妙法蓮華経を説法して、沢山の衆生をば導いた。そのことをば、
 『是の時十六の菩薩の沙彌は佛が室に入りて寂然として禅定したまへるを知り、各法の座に昇りて、亦八萬四千の劫に於りて、四部の衆の為めに、広く妙法蓮華経を説き分別しつ。一々に皆六百萬億那由他恒河沙に等べる衆生を渡し、示し教え利喜ばせつ、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さしめたり。大勝智勝佛、八萬四千の劫を過ぎて已て三昧より起ちたまひ、法の座に往詣りて安詳に坐したまいつ。普く大衆に告げたまはく、是の十六の菩薩の沙彌は甚も為希有にして、諸根通利、智慧明了なり。已に曾て無量千萬億の数の諸佛を供養し、諸佛の所に於て常に梵行を修し、佛の智慧を受持ちて、衆生を開示して其が中に入らしむ、汝等皆当に数々親近きて、之を供養せよ、所以者何となれば、若し声聞、辟支仏、及び諸の菩薩にして能く是の十六の菩薩の説く所の経法を信じ受持ちて毀らざらん者は、是の人皆当に阿耨多羅三藐三菩提の如来の慧を得べきなり』
声聞・辟支佛即ち二乗が、此の十六の沙彌の説く妙法蓮華経を聞いて受持し、毀らなかったならば、きっと成佛するであらうと大通智勝佛が説いた、そしてそれらの衆生は皆大勝智勝佛の十六の王子の教えを聞いて成佛する、皆順々に成佛し、すぐに成佛しないものもさまざまの縁にひかれて漸次に成佛してゆくのです。『諸の比丘よ、我今汝に語らむ、彼の佛の十六の沙彌、今は皆阿耨多羅三藐三菩提』を成じて、即ち成佛して、八方の世界に居るといふので、斯う書いて居ります、東の方に二佛がある、それは阿シュク如来と須彌頂如来である、、東南方には獅子音如来と獅子相如来である、南方は虚空住如来と常滅如来である、西南方は帝相如来と梵相如来である、西方は阿弥陀如来と度一切世間苦悩如来である、即ち阿弥陀如来は大通智勝佛の九番目の王子であった、西北方は多摩羅跋栴檀香神通如来と須彌相如来、北の方は雲自在如来と雲自心如来である、東北の方は壊一切世間怖畏如来と釈迦牟尼佛である、即ち釈迦牟尼佛は大通智勝佛の十六番目の王子が出家して、沢山の衆生を教化した、最後に今釈迦牟尼佛として、今成佛して居るのだ、今声聞縁覚になって漸次五十年の説法を聞いて、そして今如来の記別を受けたもの、舎利弗はじめ四大声聞、それから更に多くの二乗達、お前達は曾つて俺が大通智勝佛の十六王子だった時に、矢張り「法華経」を聞かしたが、その「法華経」を徹底して信じ了せることが出来なくて、そして受持しなかったけれども、「法華経」は佛の種であるから、一度植わった限りなくなることはない、汝等の心の底にかって大通智勝佛の時に俺が植えておいた種が、ここで芽生えて来た。
 『諸の比丘よ、我等の沙彌たりし時、各々無量百千萬億恒河沙等の衆生を教化しき。我に従ひて法を聞きしは、阿耨多羅三藐三菩提を為しにき。此の諸の衆生の、今に声聞の地に住まれる者ありて、我常に阿耨多羅三藐三菩提に教へ化びく。是の諸の人等は、應に是の法に以て漸く佛の道に入るべし。所以者何となれば、如来の智慧は、信じ難く解り難ければなり。爾の時所化しぬる無量恒河沙に等べる衆生とは、汝等諸の比丘及び我が滅度の後、未来世の中なる声聞の弟子是なり。我が滅度の後に復弟子ありて、是の経を聞かず、菩薩の所行を知らず、覚らずして、自ら得つる所の功徳に於て滅度の想を生じ、当に涅槃に入るべし。我餘国に於て佛となり、更に異なれる名あらむ。是の人、滅度の想ひを生じて涅槃に入ると雖も、而て彼土に於て佛の智慧を求め、是の経を聞くことを得む。唯佛乗に以て而ち滅度を得べし、更に餘の乗無し』
汝等が成佛するということは、結局妙法蓮華経でなければ、どうしても成佛することは出来ない。現在八方に成佛している佛達も、みな悉く好んで妙法蓮華経を説くとあって、それを以て最後究竟の教とする。十方三世の佛もみな爾うである。自行化他、自分が佛になるのも一切衆生を佛にするのもこれである。
 『更に餘の乗無し』
斯の如く徹底して「法華経」の佛種たることを説かれ、そして一度佛の種を下ろしたならば、それが直ぐに芽生えなくても、漸次にでも熟し、最後必ず佛によって脱するものだ、斯ういふ種・熟・脱の三益といふものをば「化城喩品」ではじめて説かれた、これを『化導の始終』といひます。
 『下種』が化導の始めである。『脱』が化導の終わり、『熟』が化導の中、化導の始めと中と終わり・・・・・『化導の始終』さういふことを始めて示されたのが、此の「化城喩品」であります。
以上が『化城喩品』の前半、即ち因縁説を説かれたところであります。これからの後半は『化城喩』という譬喩を説かれました。

 
8 化城寶所の喩                               

 さういふやうに根本的に、汝等衆生と我れ釈迦牟尼とは大因縁を有して居るのだといふ、佛陀の大勢力を明らかにされた、その次には二乗の為めに、所謂小乗の教を説かれた其の理由をば、譬喩を以て説かれた、譬へば五百由旬の険難悪道・・・・険しく悪い道がある、『曠に絶えて人無く、怖畏の處』である、その五百由旬の怖ろしい険難の場所に、そこに多くの人があって其の道筋を行く、そして此の険難の所を過ぎると珍宝の處に行く、それの道中を導く一人の導師があった、これが「化城喩品」の導師の譬喩です、 『有一導師』・・・・・一人の導師があって
 『聡慧く明達にして、善く険道の通へると塞がれるとの相を知り』
此の険しい道は何処を行ったならば通ることが出来るか、何処を行ったならば難があって通れないかといふことを知っている。
 『衆人を將い導きて、此の難を過ぎんと欲するに、將ゆる所の人衆、中路にして懈り退りつつ、導師に白して言さく、我等疲れ極りて、而も復怖畏し、復進むこと能はじ、路前猶ほ遠なり、今退き還りなんと欲ふ』
人衆は途中でもうトテモこれから先は行けませんから、何卒引き還したい、斯ういひ出した。
 『導師、諸の方便多くして、而ち是の念を作さく、此れ等愍むべし。云何なれば大じき珍宝を捨てて退き還らんと欲するやと。是の念を作し已り、方便の力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎて、一つの城を化作しつつ』
これが化城であります、なかなか遠いからこれは行けない還りませうといふ、還ったならば歩いただけ、それだけ又本に還って来なければならぬ、無用なことだ、それだけの力を向ふにやったならば必ず珍宝のあるところに行かれる、然しながらとても疲れて行けませんといふから、そこで導師が三百由旬のところに一つの化城を作った、これをば『化作一城』といひます、一つの城を化し作した、そして、
 『衆人に告げて言はく、汝等怖るること勿れ、退き還ることを得慕れ』
今彼處に大きい城があるではないか、彼處に行って止まったならば自分の欲しいと思ふものはみんなある、彼處に行ったら宜からう、斯ういって教へた。
 『若し能く前みて、宝の所に到らんとせば、亦去ることを得べし』
此の一城に止まって、そこへ行ったならばその先に行きたい者も充分仕度をして又行ける者は、それから先に行ったらよいではないか。斯ういって導師が教へました。
 『是の時、疲れ極れる衆、心大ど歓喜びて、未だ曾て有なしと歎つつ、我等今者斯る悪道を免れて、快く安穏なることを得ん』
成程彼處に行ったならば安穏なることを得るだらうといふので
 『於是衆人、前みて化城に入りて已度の想を生し、安穏き想を生せり。爾の時、導師、此の人衆の既に止息を得て、復疲れ倦めるさま無きを知りつつ、即ち化城を滅し、衆人に語りて、汝等去来れよ。宝の處近きに在り、向者の大なる城は、我が化作せる所にして、ただ止息の為めのみと言はんが如し』
 ここで一度おちつけて、相当に休まして、もう疲れがなくなったところで、此の處は自分が方便もて示したので、本当の宝の城は此の先にあると、化城をなくしてしまって、そして真の寶所に達せしめる、此の「化城」が則ち方便の教で、三乗の教は此の「化城」であります。
 『諸の比丘よ。如来も亦復是の如し、今汝等が為に大じき導師と作りて、諸の生死煩悩の悪道の、険難く長遠にして、應に去るべく應に渡るべきを知りたまへり。若し衆生但一佛乗を聞かば、則ち佛を見んと欲はず』
寶の所は五百由旬の先だといへば、さういふ所ではなかなか大変だと思って行かないであらう。
 『親近かんとも欲はずして、便ち是の念を作さん、佛の道は長遠なり、久しく勤苦を受けて、乃ち成すことを得べしと。佛は是の心の怯弱下劣なるを知ろしめし、方便の力を以て、而ち中道に於て止息しめん為の故に、二つの涅槃を説きたまふ、若し衆生、二つの地に住まらば、如来は爾の時即便ち為めに説きたまはむ、汝等は所作未だ辨へず、汝が住る所の地は佛の慧に近ければ、当に観察し籌量すべし。得つる所の涅槃は真実には非るなり。但是如来の方便の力もて、一佛乗より分別して三と説きたまへるのみと、彼の導師、止息の為の故に、大なる城を化作し、既に息ひ已れるを知りて、而ち之に告げて寶の處近きに在り、此の城は実に非ず、我が化作せるところ耳と言はむが如し』
斯くて化城の喩といふものが示されたのでありますが、五百由旬・三百由旬といふのはどういふことでありましやうか。『三百由旬』というのは、若しこれを居る場所としますると、「同居土」といって、佛とそれから声聞・縁覚・菩薩と一緒に居る、さまざまの十界の衆生がみんな一緒に居る、それを「同居土」といひます。それを過ぎた所が化城です。それから次に「四百由旬」といふのは、これは「方便土」・・・・・阿羅漢様の浄土です。それから「五百由旬」これを過ぎて後のものは「実報土」これは佛の浄土であります、此の佛の浄土は菩薩がそこに居る、佛と菩薩ばかりが居ます、それからこれを迷・・・・煩悩にすると、三百由旬までのものは、見惑と思惑との見思の惑、普通凡夫の持って居る煩悩です、四百由旬までのものは、阿羅漢様以上のものがもって居る塵沙の惑、五百由旬までのものは、菩薩のなほ有っている無明の惑で、三百由旬を過ぎた化城は見思の煩悩を盡した方便土、四百由旬を過ぎれば塵沙を盡し、五百由旬を過ぎれば、無明の煩悩を盡す。さういふことに譬へたのであるとは、天台大師の釈であります。ここにおいて釈尊は、此の娑婆世界の衆生に、三千塵點劫以前からの大導師でましますといふことが明らかになりました。


五百弟子受記品第八          


 そこで「化城喩品」が終りましたから、これから「五百弟子受記品」に入ります。因縁周の正説・・・・・正しき佛の御説法がすみました。そこで其の御説法を承った阿羅漢達が領解を申述べる、それから佛がそれに対して述成される、そして又授記される、「述成」といふのは佛様が、彼等が領解した其の領解を其の通りだといって印可される、印可されると共に、彼等に佛の記別を與へられる、それが『授記』で、弟子の方からいへば『受記』であります。

 1 富楼那等の授記                             

 「化城喩品」をお説きになり、それが終りますと、『爾の時、富樓那彌多羅尼子』・・・・・これは『富樓那の弁』といって、有名な説法第一の富樓那尊者であります。
 『佛に従ひて是の智慧方便の宜しきに随ひて法を説きたまへることを聞き、又諸の大弟子に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたまふを聞き』
又古い昔の大勝智勝佛以来の因縁のことを聞き、又諸佛の神通の不思議に有すことを聞いて、
 『心浄けく踊躍り、即ち座より起ちて、佛の前に到り、頭面に足を礼し、却きて一面に住ひつつ、尊顔を瞻り仰ぎて目暫くも捨かず、而て是の念を作しぬ。世尊は甚だ奇特にして、為したまふ所希有にます、世間の若干なる種性に随順へて、方便の知見を以て、而も為に法を説き、衆生が處々の貪著を抜出だしたまふ。我等、佛の功徳に於て、言もて宣ぶること能はず。唯佛世尊のみ、能く我等が深き心の本願を知ろしめせり』
これが語には出さないが、心に思うて居った富樓那の領解であります、そこで佛様が其の富樓那の領解をお知りになって、そしてこれを述成され授記される。
 『爾の時、佛、諸の比丘に告げたまはく、汝等是の富樓那彌多羅尼子を見るや、否や』
お前達は此の富樓那を見るか、我は説法では富樓那が第一だといって居ったとて、又さまざまの功徳を説かれた。
 『精勤めて我が法を護持ち、助け宣べて、能く四衆に示教へ利喜ばしめ、具足して佛の正法を解釈し、而ち大いに同じき梵行の者を饒益めり。如来を捨きてよりは、能く其の言論の辯を盡すもの無けむ』
雄辯であって、佛以外には富樓那程の雄辯者はない位である。
 『汝等よ、富樓那は但能く我が法を護持り、助け宣ぶるのみと、謂ふこと勿れ』
此の人は又、過去の九十億の諸佛の所に於て、佛の正法を護り持った者である。
 『又、諸佛の説きませる空法に於て、明了に通達り、四の無礙智を得て、常に能く審に諦けく清浄に法を説き、疑惑あること無かりき。菩薩の神通の力を具足して其の寿命に随ひて常に梵行を修めたれば、彼の佛の世の人、咸く皆之れぞ実に是れ声聞なりと謂へる。而くて、富樓那は斯の方便を以て無量百千の衆生を饒益み、又無量阿僧祇の人を化して、阿耨多羅三藐三菩提を立てしめたり』
自分は声聞に住して居ったけれども、説法をして、其の説法は佛の説法を其のまま受けついだから、聞いて居る人間には菩薩の修行をせしめた、又此の富樓那は七佛の説法の人の中でも第一の雄辯者である、自分の所でも其の通りであるといふ、其の富樓那の功徳を説かれた結果、此の土に於いて成佛するであろう。それは法明如来と名づけ、其の国は善浄国といひ、劫は寶明劫と名づける、其の成佛した場合の国のことを書かれたものに、有名な語がありますから、これを一寸話しておきます。
 此の富樓那の成佛した世界はどんな世界だといひますと
 『其の佛、恒河沙に等べる三千の大千世界を以て一の佛土と為す。七寶を地と為し、地の平なること掌の如くにて、山稜、たに、おがまのあること無し。七寶の臺、観、其の中に充満ち、諸の天の宮殿は近く虚空に處りて、人と天と交接りて、両ともに相見ることを得む。諸の悪道無く、亦女人無く、一切の衆生、皆化生するを以て、淫の欲あること無し、大じき神通を得て、身より光明を出し、飛行自在ならむ。志念堅固に、精進して智慧あり。咸く皆金色にして、三十二相もて、而ち自ら荘厳さむ』
 そして其の国の衆生は常に二食で一つは『法喜食』である、一つは『禅悦食』である、智慧を以て法身を養ふから『法喜食』といひ、禅定を以て法身を養うから『禅悦食』といふ、さういふ食をもって居る殆ど精神的存在である。さういふ世界だといふ。

 
2 人天交接両得相見                        

 『人天交接両得相見・・・・・人と天と交接りて、両ながら相見ることを得ん』
これについて逸話のやうなものがあります。此の文章は、元来「正法華経」という羅什三蔵の前の法護三蔵の訳には、斯う書いてあります。
 『天見人、人見天・・・・・天人を見、人天を見る』
羅什が此の『法華経』を翻訳する時に此のところまで行った。すると羅什がいふのには、
 『天人を見、人天を見る、これは梵文の語からいふと、ちっとも違はない、けれども梵文の意味からいふと、甚だ物足りない、うまい語がないだろうか』
といふことを羅什三蔵がいはれました、すると羅什三蔵の弟子には四俊といって、四人の偉い人があったのですが、それは道生・僧肇・僧叡・道融、これだけの人が非常に偉い人であった、此の中の僧叡という人が、直ちに其の言葉に対して、
『人天交接両得相見、とは如何でございませうか』
すると羅什三蔵がハタと手を打って、『成程それは宜しかろう』といって、其の語を是認した。何しろ「妙法華経」を翻訳するには、何某と名の知れた学者が八百餘人集まった、それ以下の者を数えれば三千餘人集まった、昔の翻訳は実に偉いことをしたものです、相当な者が八百人、全体で三千人の学徒を集めた、そして分擔してみんなやったのですが、最後の結びは羅什三蔵がやった、そして門下の四俊をはじめ十数人の者が側に居った。又姚興という其の国の皇帝がすぐ側に居て、皇帝親臨のところでこれは翻訳したものです、此の頃のやうに、一枚翻訳すると幾金といふので翻訳するのではありません。
 それからもう一つここに述べておきますことは、其のやうに富楼那を讃歎られたのみならず、此の偈の方では富樓那の本地をあかされて居ります。これまでには舎利弗であらうが、四大声聞であらうが、みんな普通の声聞として扱われて居ります。然るにここに来ますると、釈迦牟尼佛が単なる、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からざる道場に於いて三十成道されたといふ釈迦牟尼佛でなく、三千塵點劫の昔大通智勝佛の十六の王子であったといふ釈迦牟尼佛の本地を示すと共に、弟子の本地をも示されて居ります。富樓那等の大声聞達も、本当はこれは普通の声聞なのではない・・・・・自分の利ることが主で、早く涅槃に這入りたいといふさういふ自利専門の者ではない。舎利弗であらうが四大声聞であらうが、さういふ人ばかりではなかった、それは印度人の一般人にはさういふ思想があったから、さういふ一般思想の人間を導くために、実は自分よりも一切の人を救はうといふ菩薩が、仮にさういふ姿を示して居るのである。斯ういふことを示されて居ります。

 3 内秘菩薩行 外現是声聞                   

 それが
 『内秘菩薩行外現是声聞・・・・・内に菩薩の行を秘して外は是れ声聞なりと現ず』
 舎利弗でも四大声聞でも富樓那等の声聞でも、これは本当は矢張り菩薩なのだ、けれども其の菩薩行を修行することをかくしておいて、そして外は是れ声聞と現じて、同じ声聞の機類の人間を導くために先導して居るのである。
 それから
 『示衆有三毒又現邪見相・・・・・衆に三毒有りと示し、又邪見の相を現す』
 人々には貪・瞋・癡といふ、貪ったり瞋ったり、痴かしい道理のわからないやうな事柄、さういふ貪・瞋・癡の三毒を有って居るものと示すが、実は其の三毒に悩んで居るものではない、三毒が有るが如くに示して沢山の間違ひもし、沢山の悩みもし、そして佛様から訓戒を受け説法されて、其の説法によって救はれた。さういふ相を示して、そして一切衆生の為めに代表となってやって佛の教を受けるのだ、或は又、佛にそむくやうな邪見の相を現ずることもあるのだ、そして佛様の化導をお助け申上げるのである。斯ういふ開顕がしてあるのであります、これは佛様の方が根本の資格をお示しになったものですから、その佛様の御化導を助ける弟子達の、根本の資格を明らかにされたのであります。
 斯くてだんだん「法華経」は、方便の教を真実にもって来て、更に又真実の教を、それを説かれた佛様といふ人格、人格の根本を根深く掘って行く、それと同時に佛様の化導を助ける人達の人格をも根深く掘って行く、それが「法華経」がだんだんこれから深くなって行く所以であります。
 さう致しますると、爾の時に富樓那彌多羅尼子が成佛の記別を受けた、成佛の記別を受けたのみならず、内に菩薩の行を秘して、外に是れ声聞なりと現じて居るのだといふところまで、佛様が根を顕はされた、そこで其の本当は内に菩薩の行を秘めて外に声聞の相を現したといふところまでにならない一般の阿羅漢様達も、さやうでござったか、成程私達の先達は、ああやって内に菩薩の行をやって居られたのだ、ああして方便して我々を導くために、こんな風なことをされたのだ、ああ有難いことだ、それでは自分達も本当に佛になる根が深く植えられて居たのか、なかなか難しくて出来ないといって居たのは間違いだ、三千塵點劫の昔、菩薩行を貫徹する種が植えられて居るならば、一つやって見ようといふことになった。
 『爾の時、千二百の阿羅漢の心自在なる者、是の念を作さく、我等歓喜びて、未だ曾て有なきを得ぬ。若し世尊の各に記を授け見せたまふこと、餘の大弟子の如くならば、亦快からずや。』
それでは、もう自分達は駄目だと思って居たけれども、本当にその種が植えられて居るならばやれさうだから、どうか大弟子と共に記別を授けて頂きたい、さうしたら菩薩行を盛んにやって、きっと佛国土を成就致しませう、と千二百の阿羅漢がみんな其の量見になってしまった、そこで佛様が其の彼等千二百の阿羅漢様の心を知ろしめして
 『摩訶迦葉に告げたまはく、是の千二百の阿羅漢も我今当に此前に、次第に阿耨多羅三藐三菩提の記を與へ授けむ。此の衆の中に於て、我が大弟子なる驕陳如比丘は、当に六萬二千億の佛を供養し、然る後に佛たることを得む。名けて普明如来』
といふ、先ず其の千二百の阿羅漢の中で、一ばん親方株である驕陳如・・・・・即ち阿若倶隣、これは佛様と一緒に、最初佛様が出家せられた時、父の王から命ぜられて五人の者が後を追っかけて行って、佛様と一緒に修行をした、その中の一人です、その阿若倶隣が成佛の記別を授けられました。
 阿若倶隣が成佛の記別を授けられたのを見て五百の阿羅漢が、又座より起って佛の前に行き、
 『我等常に是の念を作して、自ら已に究竟の滅度を得たりと謂いぬ。今乃ち之を知れば、無智の者の如し』
自分達は三百由旬のところ、佛様がありもしない所に仮にこさへた城を、安穏にして涅槃だと思って居たが、まるで本当は何にもわからない無智の者の如くであった。
 『所以者何となれば、我等應に如来の智慧を得べかりしに、而るを自ら小智を以て足れりと為しなり』
何事も佛の本当の智慧をいただくことをしなかった。まして況んや三千塵點劫の昔に、佛の種がチャンと植え付けられてあったことなどは、少しも知らなかったのである、これを譬へて見ればといって、此が『衣裏宝珠の喩』であります。

 4 衣裏宝珠の喩                               

 衣の裏に寶をつけておかれた、其の寶のあることを知らなかった、斯ういふ喩であります。
 『世尊よ、譬えば人有りて、親しき友の家に至り、酒に酔ひて臥しにき。是の時、親しき友官の事ありて、当に行くべかりしかば、無価の宝珠を以て其の衣の裏に繋け之を與へて而ち去りぬ。』
さういふ宝珠をつけられたことを知らなかった。起きあがってやがて遊び行ひて他の國に到った。
 『衣食の為めの故に、勤方め求索むること、甚大ど艱難みつ』
大変に艱難辛苦した、僅かばかりの賃銭を得るといふと、それを以て足れりとして居った。後に親しき友に会ま遇った時に、友のいふのに
 『拙哉丈夫よ、何ぞ衣食の為めに乃至是の如くなるや』
我昔お前に安楽を得せしめんために、或る日多大の価の知れない程の寶の珠をやって、お前の衣の裏に繋けておいたではないか。現に今寶の珠がある、これがさうだといって其の寶の珠を見せられた、そこで始めて其の寶の珠を見て、ああこれは飛んでもない馬鹿なことをして居たといふので、その無価の宝珠によって、真に富める生活をすることが出来た、それと同じく、佛も亦菩薩たりし時に、我等に佛の種を植えられた、それをまるで知らなかった、今そのことを承はって、始めて心にふりかへると、佛の種を植えれれた其のことが、始めてよくわかることが出来た、そのことをば
 『佛も亦た是の如し。菩薩たりし時に、我等を教化して、一切智の心を発さしめたまひき。然るに尋て廃て忘れ、知らず覚らず。既にして阿羅漢の道を得、自ら滅度せりと謂ひつ、資生に艱難めども、少を得て足りぬと為ししが、一切智の願は、猶在りて失はざりき。今者世尊、我等を覚悟らしめ、是の如き言を作したまふ、諸の比丘よ、汝等が得たる所は究竟の滅に非ず、我久しく汝等をして佛の善根を植えしめたれど、方便を以ての故に、涅槃の相を示せしなり。而るに汝実に為滅度を得たりと謂へりと、世尊よ、我今乃ち知りぬ。実に是菩薩なり、阿耨多羅三藐三菩提の記を授けらるることを得たり。是の因縁を以て甚大ど歓喜ばしく、未曾て有なきことを得たり』
といって、五百の阿羅漢も悉く普明如来といふ佛様の記別を受けることが出来た。 以上が「五百弟子受記品」の大要であります。

授学無学人記品第九            


 それから「人記品」であります。
 そこで爾の時に、阿難と羅ゴ羅が是の念を作しました。
 『我等毎に思惟らく、設し記を授かることを得ば、亦快からず乎』
それでみんなの阿羅漢達即ち五百羅漢達まで記別を得たものですから、阿難と羅ゴ羅・・・・・・・阿難尊者は多聞第一といって非常に記憶のいい方であったのですけれども、故あって煩悩をのこして居った。それで後の方になって成佛の記を得られる。羅ゴ羅は佛の息子さんです。其の二人の阿羅漢様が、どうか自分達も阿耨多羅三藐三菩提を得たいものである、今は私達も得るだけの心性は充分出来たと思って居ると、学・無学の声聞の弟子二千人・・・・・・・『学』というと学問があり、『無学』というと学問がない者のように思われますが、それはアベコベで、『学』より『無学』の方が偉い、何故『無学』の方が偉いかといひますと、『学』といふのは『有学』といふことなのです、『有学』では一方は学問が有って一方は無いではないかといふと、さうではない、『有学』は今なほ学ぶものが有るのです。『無学』といふのは、もう学ぶことがなくなったことです。だから普通の学・無学とは逆であります。
 そこで学の人、無学の人、無学は阿羅漢で、有学は未だ阿羅漢までは行かない阿那含という位以下のものです。そこで学・無学の二千人、その人々も皆座より起って、
 『偏に右の肩を袒にし、佛の前に到り、一心に合掌して世尊を瞻り仰ぎつ』
阿難・羅ゴ羅の所願の如くにお願い申上げた、すると佛様が、
 『阿難に告げたまはく、汝来たらん世に於て、当に佛となることを得べけむ』
そして山海慧自在通王如来という記別を賜りました。此の阿難という方は『護持法蔵』といいまして、佛様の御説法をばチャンと受け持って居る人であります。釈迦牟尼佛の法蔵を受け持って居るのみならず、ずっと昔から相当に沢山の佛様の法蔵を受け持って来た人である、未来に於いても亦さうである。此の點からいったならば『内に菩薩の行を秘し、外は是れ声聞と現ず』る一人である。そして又阿難は佛様の侍者といふ、始終佛のお側に居て、佛の御説法をチャンと聞いて受け持って居る、護り持って居る、だから佛様の侍者といふ。
 次に羅ゴ羅尊者に対しては、踏七寶華如来という記別をお授けになりました。踏七寶華如来・・・・・・・
この羅ゴ羅尊者は佛の長子と生れました。
 『羅ゴ羅の密行は、唯我のみ能く之を知れり、現に我が長子と為りて、以て諸の衆生に示す。』
といって、此の羅ゴ羅も矢張り『内に菩薩の行を秘して、外に声聞なりと現』じた人であります。
 最後に学・無学の二千人、これは寶相如来という記別を得た。斯くて
 『是の二千の声聞は、今我が前に住へば、悉く皆記を與え授けん。未来に当に佛と成るべし。供養する所の諸佛は、上に説ける塵数の如くにて、其の法蔵を護持ちつ、後当に正覚を成げん。各十方の國に於て、悉く同一の名号にして、倶しき時に道場に坐し、以て無上慧を証らむ。』
それを承った学・無学の二千人は、
 『佛の記を授けたまふを聞きて。歓喜び踊躍しつつ、而て偈を説きて言さく
世尊は慧の燈明にておはせり、我授記の音を聞きて、心歓喜びの充満ること、甘露をもて見濯れたるが
如し』
これは又有名な語です。
『心歓喜充満如甘露見灌』
此の羅什三蔵の翻訳は音韻が非常に整って居ます、文章が平明で暢達して、そして音韻が非常に整って居ます、「心の歓喜充満ちて甘露をもって濯がれるやうである」といふ、それは『心歓喜充満如甘露見灌』・・・・・・・声を聞いた丈けで嬉しさうな声です。これは羅什三蔵の翻訳の妙であります。
 以上で今日予定してあったところを全部講じ終りました、斯くて「法華経」の迹門で、これまで一切の大乗経で成佛しなかった阿羅漢・僻支佛の二乗が、悉く成佛しました。そして其の成佛したのは、佛の方便と真実、権智・実智といふ二つの智慧から、方便の説と真実の説とがあるぞとて、二つの説があること、方便はみな真実に帰して、三乗・五乗・七方便・九法界みな一大佛乗であると開会せられました。そこでこれまでどの経でも成佛しなかった二乗が成佛したのみならず、それは深い深い永遠の昔からの佛の因縁を受けて来て居るのである。さういふことをお示しになったのであります。


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