最大のパワースポット 一塔合安 妙宗大霊廟 
  
   本化妙宗 天龍山一の谷  安國寺

 近年「パワースポット」なる言葉が話題になっています。
 日本列國史上多大なる貢献された方のお墓参りをして、
 何らかの「パワー」何らかの「利益」を頂こうという行為です。
            お墓に入られている人の立場で考えて見ましょう。
 あなたには「○○パワー」 次の方には「△△パワー」を差し上げましょう何って
 考えてないと思います。むしろ、「安らかにお休み下さい、ありがとうございます」
 の言葉を待って居られると、私は思います。身近な「パワースポット」は 
 各家庭の仏壇の有る処です。そして御本尊は妙法曼荼羅「
南無妙法蓮華經」です。

 仏壇を二つ並べ、こちらの仏壇には、「南無○○○○」もう一つの仏壇には
 「南無△△△△△△」この様に「仏壇を飾ってあるご家庭はありませんか?
 「仏壇」は飾り物ではありません!「何百万円もした仏壇」バカじゃないの!

     お釈迦様が四十二年間のお話の後で、
唯一ほとけのおしえ「佛教」として
    「法華經(妙法蓮華經)」を説かれた事を理解出来れば解決するのですが・・・


 私たちは、川の流れのごとく「業の流れ」のままで年月を生きます。 
 浅瀬の所もあれば、深い所もあります。穏やかな流れもあれば、激流もあります。
 深みにはまって驚き、激流の逆らう事も出来ず必死に岩場にしがみ付こうともがく、
 今まさに奈落の寸前で摑めるものであれば「わら」をも摑む状態に陥るのです。
 
 
 如何に現世で道徳・良識ある生活であっても、私たちは前世で
 どんな「業」を重ねてきたか解かりません。 「業」の流れから
 「妙法の流れ」に変わる事によって、これが「心の安心」となり
 「成仏」と言われる状態になるのです。
 死んだからといって「成仏」にはなりません。ただの亡者です。
 つまり、還る処が解からない精霊、さまよったままの精霊になる
 のです。 
 
生死一体の教おしえ)「法華經(妙法蓮華經)」でなければ「成仏」出来ません。

 約八百年前に日蓮聖人は比叡山にて、一切經(全ての宗教・ありとあらゆる經文、経典)
 を読破、そして、「法華經(妙法蓮華經)」これこそが 真の教と悟られたのです。 
 日蓮聖人は、比叡山での地位を捨て一介の法華經の行者となり、布教の為 道端に立って
 「法華經(妙法蓮華經)」の教を説かれました。

 二千五百年前に「法華經(妙法蓮華經)」を説かれたお釈迦様こそ「本佛」そのものです。

 「法華經(妙法蓮華經)」の教(おしえ)を形で顕わした姿が、本化妙宗・安國寺の
 一塔合安 妙宗大霊廟です。この処こそ、最大の「パワースポット」です。

 「本佛」化導・菩薩道を実践された日蓮聖人をどこまでも信じて行ずる事によって
 「心の安心」が、授けられます。これが「最大の利益」であり、「幸せになれる道」の
  答えです。行ずるとは、たった一度の出会いであっても正しい教とは何か?
 一言でもお話される事が、「日蓮聖人に給仕」即ち、行ずる事であります。


 世に「法華經」を経典とする教団は沢山ありますが、
 「
日蓮聖人が信じた教を日蓮聖人を通して合掌」して下さい。
 

  
 身分の上下に関わらず 万人が平等に、題目宝塔のもとに合安されます。
 
妙法から生まれ出て又、妙法に還る法華經(妙法蓮華經)の心を 
 そのまま廟墓した姿です、
永代の供養が続く永遠の靜処であります。