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魔王の赦し琥珀の懺悔
相変わらず殺風景な部屋だ。あのきらきらと麗しき上王陛下の息子の部屋とは思えない。必要なもの以外何もない。 逆に言うと、最低限必要なものは揃っている。今俺たちに必要なもの、グラスと氷、ちょっとしたツマミに旨い酒。
「俺は頑固でヘタレた大馬鹿野郎なのか?」
程よく温められた部屋で、薄っすらと水滴を纏ったグラスの中の氷がカランと音を立てる。それを片手に椅子の背に凭れ掛かり、琥珀色に揺れる液体越しにゆらゆらと燃える暖炉の火を眺めていたこの部屋の主が、ポツリと呟いた。
「おや、自覚はあったんだ。」
そう言って笑う俺に、ただいま魔王陛下により自室に強制監禁の命を下されちまった俺の元上官はギロリと睨みを効かせ、現上官そっくりな眉間のシワを刻んで、グラスの中の上等な酒をさも不味そうな顔で一気に煽った。
「おまけに不器用なヤツだって、坊ちゃんは仰ってましたよ。」
「・・・・・どちらかというと器用な方だと思ってたんだがな。」
「俺もずっとそう思ってたんですけどねえ。」
俺は長い付き合いの幼馴染の姿に苦笑を浮かべ、空になったヤツのグラスに酒を注いだ。自分のグラスにもそれをなみなみと注ぎ、グラスを揺らして中の液体を回転させると、芳醇な香りが俺の鼻先にふわりと立ちこめる。ゆっくりとグラスを傾け、まろやかに熟成された酒が口いっぱいに広がり喉をするりと滑り落ちて行くのを楽しんだ。
「くぅ〜旨ぇ〜!さっすが編み物閣下、良い酒選んでくれるねぇ。」
「陛下からの滅多にないお願いだ、グウェンも最良の品を選ぶだろうさ。」
グラスをテーブルに置きながら、俺はちらりと傍らの男に視線を走らせた。コンラッドは彼の方を思いやってか小さく笑い、グラスを傾けながら琥珀色の液体が光を弾く様をじっと見詰めていた。その様子に、俺の口元は皮肉気に歪む。
「そうだよなぁ。我らが魔王陛下は滅多に臣下にご命令なさらない。たま〜になさったとしても、それは命令では無くお願いだ。その陛下が、ご命令なさったんだ。ウェラー卿コンラートに戻って来いと。普通なら、国を出奔し、主君を裏切る素振りまで見せた男に咎めが無い訳が無え。でも坊ちゃんは、隊長の行動は国益の為の行動であったと宣言しなすった。そして、それを皆に許せとな。」
ヤツの手の中で、グラスの氷が揺れる。反逆者と罵られる事を覚悟の上で敵国に単身乗り込むなんて、元殿下のやるこっちゃねえ。それを何ら戸惑う事無くやってみせる男は、俺の言葉に僅かに視線を逸らし眉を寄せる。揺れる炎の影を映したその端正な横顔を、俺はじっと見つめ続けた。
「許すも許さないも、元々隊長は軍籍を離れ、ユーリ陛下だけの為に存在する護衛でしかなかった。そう、陛下ただお一人のものだ。それは宰相閣下も公言なさってる。だから、いくら口うるせえ貴族のダンナ方がぎゃーぎゃー喚いたところで、陛下が許すと宣言された時点でもう何も言えやしねえんだ。でも坊ちゃんはキチンと筋を通された。そうまでして、坊ちゃんは隊長に傍に居て欲しいと仰ってるんだよ。」
「しかし、責を負うべきは俺なんだ。それを陛下のお言葉に甘え、何事も無かったかのように陛下のお傍に戻る訳にはいかないだろ。俺は眞魔国に、陛下に対する忠誠を、皆に示さなきゃならん。陛下の為にも」
「お前はもう充分にやったじゃねえか。眞魔国に帰ってきてからずっと。」
陛下の護衛を続けながらも、剣の指南役に国境付近の視察、夜盗の討伐にと、乞われるままに何度も出かけて行った。まさに寝る間を惜しんでだ。意外に弟思いなフォンヴォルテール卿が心配し、何度勧めてみたところで、柔らかに浮かべる笑顔の裏で実は頑固で一番手の掛かる宰相閣下のすぐ下の弟は、眞魔国に戻ってから今日まで、一度として素直に休みを取ることはしなかった。そんな男を今、自室に強制的に閉じ込めさせたのはさすが坊ちゃん、っていうところだろう。俺は苦笑しながら一度酒で喉を湿らせ、目の前の男に向かい言葉を続けた。
「もうそんな事しなくても、疾うにウェラー卿コンラートという男は許され、魔王陛下の忠実なる寵臣として認められてんだよ。だから今、隊長が誠心誠意尽くさなきゃいけねえのは、陛下の周りに居る奴等になんかじゃねえ。坊ちゃん自身に、だ。それなのにてめえは何してやがんだよ。この期に及んでまだ坊ちゃんのお傍を離れて、何不安にさせてんだよ。こーゆーのを学のある方々は本末転倒、って言うんじゃねえのか。」
「本末転倒か・・・・、確かにな。」
自嘲気味なコンラッドの呟きに、俺も少し冷静さを取り戻す。ヤツが苦しげな顔で酒を喉に流してゆくのを見やり、俺も同じようにグラスを傾ける。くいと一息に呷り、テーブルへと置く。琥珀の液体が残り僅かになったせいか、グラスの中で氷が崩れ、カコンと小さな音を立てた。
「俺は・・・・、俺はどこまでも貪欲で我侭な男なんだ。」
一気に飲み干してから空になった切り子細工のグラスの縁を指の腹で撫で、コンラッドは苦い笑いを浮かべた。隊長は手酌で酒をグラスに注ぎ、ついでに俺のグラスにもボトルを傾けた。
「そんなこたぁ知ってますよ。」
酒瓶を持っていない方の腕で頬杖をつく男に、これ見よがしな溜め息を浴びせて、小さく波打つ琥珀色の酒が俺のグラスに満たされていくのを眺める。そうか、と小さく笑い、コンラッドは今度はゆっくりとグラスを傾けた。
「傍に居過ぎると、陛下の全てが欲しくなる。」
「良いんじゃないですか。」
「無責任なことを言うな。」
適当な返事を返す俺の顔を見ることもなく、隊長はただグラスを睨んでいた。氷が緩やかに溶けていく。
「俺の持っている感情は、決して従者が主に対して抱いて良いモノじゃない。」
「坊ちゃんが、いつ隊長を従者のように扱った?」
「いや・・・、陛下はお優しい方だから、そんな事はなさらない。だからこそ俺は、そんな陛下に甘えて、どんどん欲深くなってしまう。」
コンラッドは、両の掌でグラスを包み、まるで自分の中の感情とせめぎ合うかの様に伏目がちに、ただ一点だけを見つめていた。やがて、コンラッドの口が何かを唱えるように動いた。
「触れたい。抱きしめたい。全てが欲しい、ってな。」
そう言うと、コンラッドは自分の瞳と同じ色で揺れる酒を、ゆっくりと喉に流し込んだ。
「惚れてんだろ?とことん悪役に徹することも、果たそうとしていた使命すら果たせずに、そんなもん全部放ったらかして坊ちゃん恋しさに帰って来ちまうほどに。」
「・・・・・・ああ、ユーリしかいらない。ずっと、その傍に在り続けたい。」
顔を上げたコンラッドは、蕩けそうな程の笑顔で微笑んだ。その姿に俺は両肩を竦め、大げさに溜息をついた。
「おいおい、それを坊ちゃんに言ってやりなよ。」
ついでに、その笑顔も付けてな。
「言える訳がないだろう。俺はユーリを傷つけた。心に深い傷を負わせた。それなのに、俺がユーリを欲するなんて傲慢もいいとこだ。・・・・それに、弟の婚約者だ。」
「けっ!そんなもん事故だろ。」
「あの婚約自体はな。だが、ヴォルフラムの気持ちは本物だ。ヴォルフはきっと良い男になる。それにフォンビーレフェルトという後ろ盾もある。俺は、ユーリには幸せになって欲しいんだ。」
「プー閣下の気持ちは本物かもしれませんがねえ、俺には、プー閣下よりも、お前さんが陛下を見る目の方がぎらぎらしてるように見えますけどねぇ〜。」
言いながらグラスを傾け、俺はすぐ横で同じようにグラスを傾けている男に視線を向けた。俺が戦場で背を預け、ずっと付いて行こうと決めた戦火の英雄は、いつからこんなヘタレて不器用な男になっちまったんだろうか。まあ、想い人はあの類まれなる美貌を誇る双黒の魔王陛下。それも本人全く無自覚で、オマケに男前なあのご気性。そんな坊ちゃん相手じゃ、いくら元殿下でルッテンベルクの獅子と言われた男でも、そうおいそれと手出し出来ねえ事ぐらい分かっちゃいるが、歯痒いことこの上ない。
「隊長、前に言ってただろ?求めてくれるのなら、略奪してでもって。」
「それは相手が俺を望んでくれたらだ。もし、ユーリが俺を望んでくださるなら、たとえそれがヴォルフラムからでも俺はユーリを奪ってみせる。でも、ユーリが俺に対して抱いているのは、名付け親とか保護者とか年長者に対する憧憬や思慕の感情だ。俺がユーリに抱いてるような感情とは違う。俺からの気持ちなど迷惑に思われるだけだ。」
「そーなのかねぇ・・・。そーいや坊ちゃんは、こうも言ってたなあ。勝手に保護者ヅラして俺の気持ちは無視かよ!ってな。勝手に人の気持ちを決め付けてあらぬ方向に突っ走っちまうのは、最近のあんたの悪い癖だよぉ。だから坊ちゃんに頑固でヘタレた大馬鹿野郎って言われちまうんですよ。」
「どうせそう言ってたのはお前の方なんだろ、ヨザ。」
「おやバレてましたか。でもそう言われたくないんなら、とりあえず清廉な寵臣気取って逃げ回ってねえで、坊ちゃんとちゃんと向き合ってみたらどうですか。ついでに過保護な保護者ヅラも取っ払って。で、坊ちゃんに当たってド派手に砕けてみせろよ。俺の言いたいのはそれだけ。」
「お前・・・・、そんなこと言いながら俺で楽しんでるだろ?」
「それもバレちゃいましたか。」
睨みつける銀の虹彩を軽く受け流し、俺はちょっと眉を歪めて意地悪く肩を竦めて見せる。
「そりゃ面白れぇだろ。色街の女どもが商売抜きで抱かれたがる眞魔国一の夜の帝王が、美貌の少年王を前にこのヘタレっぷりだぞ。こんな楽しい見世物逃す手はないだろ?」
「ヨザ・・・・・・」
瞬間、ガチャッと鞘の鳴る音がする。俺は咄嗟に両手を上げて、上体を反らした。
「おっと、今日の俺は魔王陛下直々のご命令で隊長の身を明日までこの部屋に閉じ込める任があるんでね、手荒な真似は止めて頂きますよ。酷い事したらぁ、グリエ、坊ちゃんに言付けちゃうんだからぁ。」
剣の柄に手を掛けたままグッと詰まる幼馴染に、俺は口の端を上げ意地の悪い笑いを向ける。
「お前と俺の仲だ、砕けた骨ぐらい拾ってやらあ。」
ニヤニヤ笑いを引っ込める事ができなくなっちまった俺に、隊長は心底呆れた顔を向けながら派手な溜息を付いた。柄に掛けていた手を外し、やがて肩を震わせクツクツと笑い出す。
「拾ってはくれるんだな。」
「はいな。全部集めて骨飛族みてえにちゃ〜んとくっつけてやるから、安心して砕けて来い。何があっても、誰が何と言おうと、ウェラー卿コンラートって男はユーリ陛下お一人のものなんだろ?」
ニヤリと笑う俺に、コンラッドはグラスを傾け氷を玩びながらフッと笑った。
「・・・・・そうだな。」
「そーゆーこと。ま、とりあえず乾杯しましょうや。」
俺は、いつの間にか空になっていた二人分のグラスにどぼどぼと酒を注ぎ足した。それを片手で持ち上げ、やっといつもの調子を取り戻した手の掛かる幼馴染に向けて掲げて見せる。コンラッドも自分のグラスを掲げ、飾り棚に鎮座する、この部屋に酷く不似合いでいてすっかり見慣れた黄色い玩具に視線を移した。主に向けるのと同じ愛しげなその笑顔を横目に、俺の口も自然と弧を描く。
「心優しき、我らの魔王陛下に乾杯。」
胸に片手を当て背筋を伸ばす。チン、と綺麗な音を立てて、琥珀色の液体がさざめいた。百戦錬磨のモテ男のクセに陛下にはからっきし不器用な幼馴染の為に、俺は心の中でもう一度乾杯と呟き、静かにグラスを傾け上質な酒を味わった。まだもう少しこの状況を楽しみたいから、陛下が隊長のことを『俺のコンラッド』と呼んだことは黙っててやろうと、心の中で舌を出しながら。
気のせいか、視線の先で俺たちを見下ろす黄色いアヒルが、少し笑ったような気がした。
当サイトまるマ話、第二弾です。
えっと・・・、コンユ甘々サイト!とか銘打ちながら、またしても全然甘くありませんね;;
今回陛下出てこないし;;;
ウチの次男は陛下を溺愛し、陛下に関してはとことんヘタレてます。
かっこいい次男好きな方スイマセン;;;
そして、どこまで出まくるお庭番!?(笑)
サブキャラが絡むの大好きv
そのうち貎下にもご登場頂こうかと思っております。
次こそは、コンユの甘い話になればいいなぁ・・・・・(えっ?・笑)
okan
(2010/01/21)
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