Der Mond des Fensters




 血盟城が夜の帳に包まれる頃、ようやく諸々の雑事から開放されて自室の扉の前に立つと、部屋の内に良く知った気配が2つ。
 一つはほんの数刻前に寝室まで送り届けた人のものだが、彼がこの時間にこの部屋を訪れて来ている事は珍しくは無い。
 いやむしろ日常的で、ここ数十年の間にこの部屋は彼の主寝室と化している。
 その事実はこの血盟城では公然の秘密である。
 故に今、主に問題なのはもう一つの気配だ。
 名前も顔もすぐ浮かぶ気配であり、敵対する者でない事は確か。
 その上、長い付き合いでもある。
 が、警戒する必要が無い相手かと言えばそうではない。
 況してや、こんな夜更けにわざわざ尋ねてこられて嬉しい相手ではないし、少しでも早く部屋に帰って愛しい人との逢瀬の時間を持とうと、俺が汲々と働いている間に図々しくも勝手に他人の部屋に入り込み、俺より先に俺の大切な来訪者と気安く語り合い、笑い会っている気配まで伝わって来ては、長兄ではないが眉間に深い皺が寄るというものだ。
 この二人が揃って俺を除け者にして楽しげにしている時は何やら良からぬことを企てていることが多い。
 そんな時、毎回迷惑を被るのは俺だ。
 それが今扉の前で警戒している原因。
 俺は大きく息をついて、ゆっくりと自室の扉を開けた。



 部屋に入ると予想通りの人物の姿が目に入る。
 一人はこの国では禁色にあたる黒絹の夜着に身を包み、ソファーに身体をゆったりと横たえて自分の部屋のように寛いでいる至高の人。
 笑うたびに柔らかな黒髪がさらりと流れ、少し俯いた彼の白い首すじがあらわになる。
 手にしたグラスに揺れる琥珀色の酒のせいか、ほんのりと桃色に染まった丸い頬のラインに長い睫毛が薄っすらと影を落とし何とも艶めかしい。
 そんな官能的な彼の姿だけをこの目で追っていたいのに、熟れ過ぎた果実のような色を纏った無粋な頭がチラチラと俺の視界の端を横切り邪魔をする。
 そいつは厚かましくも我が主に向き合うように直に床に座り、顔を寄せ合い二人で一つの本を覗き込んでは何やら楽しげに笑っている。
 否、爆笑している。
 俺に気付くと同時に「「コンラッド、おっかえり〜♪」」と上機嫌な声を揃えて振り向く二人の顔はこれ以上に無いほど満面の笑顔で、にやにやと音がしそうなほどに上がった口角と、三日月みたいに細められて並んだ四つの瞳に、何とも言えない嫌な予感が俺の背中を撫で上げていった。
 過去の経験上、こんな時は何事も無いかのように振舞うのが一番だと分かっているのだが、早く聞いて聞いてと期待に満ちた漆黒の瞳で見つめられると、その期待に添うべく俺の口が動いてしまうのは仕方の無い事だ。

「ずいぶんと楽しそうですね。ヨザと二人で何をご覧になってたんですか?」

 俺の言葉は彼の望むものだったらしく、さらに笑みをにんまりとしたものに変え、ユーリはヨザックが手にしていた本を掴み上げ、俺に見せ付けるように広げてみせた。

「ほらほら、コレな〜んだ〜♪」

 いかにも楽しげな声と共に、俺の目の前に一冊の本が突き出される。
 まるで隠していた最悪の点数の答案用紙を見つけ出したかのように勝ち誇った表情でユーリが手にしているその本は、皮表紙が当たり前なこの国には珍しく光沢のある厚手の紙で表装された本で、この国の標準のものよりも大きめで、その割には厚みは無く綴られた紙は薄っぺらい代物だった。
 表紙にも内にも全面に絵が描かれており、一瞬アニシナの幼児向け絵本の新作かとも思うが、良く見るとどれもこれも男女が睦みあう姿を描いており、明らかに子供向けの絵ではない。
 ハッと思い出した事実に俺は困惑し、優雅に微笑む目の前の人の顔を見詰めたまま動くことも答えることも出来なくなってしまった。
 嫌な予感的中だ。
 突然湧き起こってきた居た堪れない気持ちに片手で顔を覆い立ち尽くす俺を見て、ユーリは満足そうに笑みを深める。

「・・・・・.どうしてそれを?」
「ん?グリエちゃんが見つけてくれた。」

 ユーリの言葉に、顔を覆っていた指の隙間から憎々しげに悪友と言ってよい幼なじみを睨みつければ、ヤツは途端に怯えたようにビクッと体を震わせた。

「えっ!?ひょっとしてマズかった?やっ、だって隊長、あんたコレ全然隠してなかったじゃねーか!」

 隠してないからと言って、勝手に持ち出して見せて良いとは限らない。
 そんな常識的な事がこの男には分からないのだろうか。
 そんな使えない頭ならいっそ本体からスッパリと切り離してやろうかと鞘に伸ばしたかけた俺の手は、だがクスクスと可笑しそうに笑うユーリの声にその動きを止めた。

「なあコンラッド、コレって地球の本だよな?それも俗に言う48手本?」
「・・・・・・ええ、そうですよ。」
「発行年から見て、あんたが俺の魂とやらを運んできた頃の本だろ?じゃあ何、あんたコレ、魂運び任務完了記念の地球土産かなんかで買って来た訳?」

 苦味を含んだ俺の声とは対照的に、ユーリの声は酷く楽しそうで、話の途中からは笑いが堪えきれないのか口元をヒクヒクと震わせている。

「地球土産と言われればそうなりますが、魂運び任務完了記念でもないし、自分で買った訳でもありませんよ。」
「えぇ〜、嘘だろぉ、あんたもその時はぴっちぴちの若者だったんだから、地球産のエロ本を手に入れて、こっそり土産物の中に忍ばせてニヤニヤしてたんじゃないの?」

 大きな瞳を溢れ出る好奇心にキラキラと瞬かせて聞き返すユーリに、俺は苦笑を浮かべ盛大なため息を溢した。

「違います。それは貰ったんですよ。向こうで世話になった少々変わり者の小児科医にね。」
「変わり者の小児科医?ああ、地球産の魔族の人ね。確か、その人がコンラッドに言葉とか向こうでの生活の仕方とか、例の無駄に豊富なNASA知識を色々教えてくれたんだよな。」

 そう言ってユーリはなるほどと納得の表情で本を見つめると、はたと何かに気付いたようにちらりと俺を見やった。
 その瞳はどこか剣呑な気配を帯びている。

「ふ〜ん、じゃあ向こうでナンパしたお姉さんとコレのどれか試してみたりしたんだ。」

 一瞬、その視線とユーリが呟いた言葉の意味を捉え損ねた俺だったが、すぐに気づいてその誤解を取り除く為に慌てて言葉を重ねた。

「ちょっと待って下さい、そんな事してませんよ。地球での俺は品行方正そのものでしたよ。」
「品行方正ねぇ・・・・」
「それに、だいたいコレは俺の為じゃなくあなたの為に彼から渡されたんですよ。将来、あなたがこの国に来た時に地球との常識や認識の違いに戸惑うだろうから、きっと将来、大人になったあなたの役に立つ筈だってね。」

 それまで見事に気配を消し、一連の話を大人しく聞いていたヨザックが、その時ブブッと噴出して可笑しそうに腹を抱えてげらげらと笑い出した。

「そりゃ確かに変わりもんのお医者だな、まだ生まれたばかりの赤子の将来の為にって、閨の体位の教則本を未来の保護者に渡すなんてよ。」
「俺の為ねぇ・・・・ホントだかどうだか。」
「信用ないなぁ・・・。」

 俺たち二人のやりとりに、ヨザックは未だ笑い続け、薄っすらと目元に涙まで浮かべている。

「まあまあ、結局は坊ちゃんと隊長の為の本になりそうなんだから良いじゃねーですか。まあ、そのお医者殿も、まさかその赤子の未来を託した保護者野郎が、大事な大事な赤子に将来自ら手を出すとは思いもしなかったでしょーけどね。」
「ヨザ・・・・・・」

 思わず剣の柄に手を掛けた俺に素早く反応し、ヨザックは顔中のニヤニヤ笑いを隠す事もせず、一瞬で扉の前まで移動した。
 そんなヨザックの台詞に、ユーリまでブッと噴出しゲラゲラと笑いだす。

「それでは坊ちゃん、これ以上ここに居たら、そこの堪え性の無い、坊ちゃんの保護者だったハズの男に俺の頭と胴体を無理やり別行動にさせられそうなんで、俺はこの辺でお暇させてもらいますね。夜はまだまだ長いですから、俺が見つけたその本、存分に有効活用して下さいな。」
「はははっ、ありがとう。」
「んじゃ〜、おやすみなさいませ!」
「おやすみ〜、グリエちゃん!」

 余計なものを掘り出していった男は、その職務には珍しく正々堂々と正面の扉からこの部屋を出て行った。
 その扉が閉まりきる直前に手近にあった小振りの文鎮を素早く投げつけ、ガツッという音と共に蹲る橙黄色の頭の後姿を見届け施錠する。
 振り返るとユーリは笑いを納め、ソファーに寛いだ姿でグラスを傾けながら先ほどの本のページを捲っていた。 
 
 月灯りがその横顔を照らす。
 一転して満ちる静寂。
 気まずさを伴わないそれは心地よく、俺に安らぎを与えてくれる。

 壁に備え付けの飾棚からグラスを一つ取り出し、剣帯を外してからユーリの隣に座る。
 相変わらず陛下命の王佐が、数日前に領地の土産だと献上した特上の蒸留酒を新たなグラスへと注ぎ入れ、芳醇な香りを楽しみながら喉を潤していると、するりと、細くしなやかな腕が俺の首にまわされ、横からしなだれかかるように身体を寄せられた。

「なぁコンラッド、どれにする?」

 さらりと闇色の髪が視界の端に映り、甘やかな香りがふわりと鼻腔をくすぐる。

 耳朶を甘噛みされながら囁かれた言葉に、やっぱりそう来たか、などと無粋な事は口にはしない。
 今までお庭番が持ち込んだ媚薬や妖しげな遊び道具などに比べれば、体位を選び試すぐらい容易い事だ。
 このうえない誘惑に抗う事はせず、俺は吸い込まれるようにユーリを見やった。
 黒絹の髪が項から肩へ流れ、髪と髪の隙間から覗く白い首筋が艶めかしく、一層俺を煽りたてる。
 俺は誘われるまま首筋に噛み付き、舌先でユーリの甘い肌を味わいながら、滑らかな手触りの夜着の上からするりと身体の線をなぞった。
 そのまま胸元に滑らすと、尖りを掠めた刺激にユーリが小さく声を漏らした。
 
「ユーリはどれが良いんですか?」

 頬にかかる髪を指で払ってやりながら呟く。
 ユーリは俺の顔にその美しい顔を近づけ、ゆっくりと妖しい微笑みを浮かべて息がかかるほどの距離で囁いた。

「名前が気に入ったからコレが良い」

 甘い息を吐きながらトントンと本の一頁を指差し、物憂げに前髪を掻き上げる。
 喉元を滑っていた舌先が唇に辿り着き、触れ合う唇から紡がれる奔放な言葉。

「このままここで抱いて」
「仰せのままに」

 渋る理由は何も無い。
 思うまま、己の欲望に忠実に、そこから零れる甘い吐息を貪るため、強く頭を引き寄せ、俺はもっと深く唇を重ね合わせた。


 拒絶を示すかのように首を振り動かす仕草とは裏腹に、開いた唇から零れる甘い吐息と喘ぎ声。
 身体の下では、柔らかな衣擦れの音。
 ソファーに横たわるユーリの片足を抱え、その間に足を通して背後から突き上げると、二人分の体重を受けとめたソフーァがギシギシと軋んだ悲鳴を上げる。
 身体を揺らすたびに断続的に聞こえる声に煽られ、一際深く突き上げると、激しい律動でずり落ちてしまわないように俺の首に回された手が無意識に強く髪を掴んだ。
 腰の動きに合わせて、前に回し込んだ手でユーリの張りつめたものを上下に扱くと、途端にユーリの中が熱くうねり、そのすべてに煽られる。
 
 風が流れて、淡い光がたゆたう。
 部屋を照らす青白く満ちた月。
 差し込んだ月光が高貴な色をより際立たせる。
 黒髪を乱し快楽に流され揺れるユーリの横顔は、今までに見たどの表情よりも扇情的だった。
 愛おしさが際限なく溢れてくる。

 さらさらと光を撒きながら彼を愛でる月影に見習って、艶やかな肌へと手を伸ばす。
 ユーリの頤を空いていた手で引き寄せ、ゆっくりと味わうかの様に唇を奪った。
 絡み合う舌と、互いに交換し合う唾液。
 菓子を好んだ昔とは違い、酒を嗜むようになった今でも、ユーリのそれは日々甘さを増すばかりだ。

「ま、てよ・・・」

 激しくなった律動に、ユーリは荒い息を吐きながら、俺の動きを押さえようと声を上げる。
 しかし、そんな制止は今更効く筈も無く、俺は笑みを刷いた唇をユーリのそれへ押し当てた。

「これ、じゃ・・・・・、二人で月なんて見れね、って・・・・」

 尚も揺さぶる腰の動きを休めない俺に諦めたのか、ユーリは俺の腰の動きに合わせて揺れながら不満を口にした。
 文句を言いながらも甘い声を漏らし、ユーリはその腕で首にギュっとしがみつく。
 そう、確かにあの本の説明書きには書いてあった。
 二人が同じ方向を向き夜に窓から見える月を眺めることができることからこの名がついた、と。
 俺はゆっくりと口角を上げ、薄っすらと上気し赤く染まった項に口吻けた。
 
「月が見えなくても、月に照らされたあなたが綺麗だから良いんですよ。」

 肌に触れたままの唇で小さく呟いただけの言葉だったが、ユーリは耳聡くその俺の囁きをしっかりと捉えていた。

「訳、わかんねーよ・・・、言ってて恥ずかしくない?」

 己の甘さに対して内心苦笑しつつ、唇を尖らせて振り向いたその頬に唇を触れさせて、あやすようにユーリの頭を撫でる。

「もう黙って。じゃないと舌を噛みますよ。」

 言葉と同時に、ユーリの内を深々と抉るように突き上げて、何よりも愛しいものに再び貪りついた。
 全身を駆け抜ける甘い痺れ。
 ただ貪欲に、飽くなき互いの熱を求め合う。
 たまらない快感が引きずり出され、頭の中に濁り澱んでいた何かが真っ白に弾けるような感触にドクリと全身の血が沸き立った。
 快感に震えるユーリの身体を強く抱きしめ、快楽の世界へと、深く身を委ねていく――。




 
「今日はどれにしよっか?」

 いっそ無邪気と言っても良いほどの問いかけ。
 今日は何を食べる?とか、今日は何を着る?とかと同じ軽さとノリのそれは、あの本を手にした日からのユーリが寝る前の慣例化した問いだ。

「これなんかどうですか、坊ちゃん。」

 問いかけられた俺が答えるより先に、何故かいつまでもこの部屋に居座る男が答える。

「これなぁ・・・、俺の腕力じゃちょっと辛いなぁ。」
「ああ、確かに坊ちゃんの方にもかなり負担掛かりそうですね。」
「俺、毎日の腕立て増やそうかな。」
「そりゃ上腕三等筋も鍛えられるし、閨でも役にも立つってんなら一石二鳥で良いんじゃないですか。」
「だよな。」

 全てのものを魅了するほど麗しくお育ちの陛下だが、筋肉好きは未だ健在だ。
 前向きだが空虚な会話に頭が痛くなる。
 どうせならもっと色っぽい方向に向かいたい時間帯だ。
 そろそろ目障りな橙黄色を追い出そうかと鞘に伸ばしたかけた俺の手は、だが嬉しそうに告げるユーリの声にその動きを止めた。

「ほら見ろよコンラッド、毎日風呂上りに開脚前屈して、俺こんなに足開くようになったんだぞ。コンラッドの腕力は問題ないし、コノ体位までもうちょっとだと思わねえ?」

 自らの膝の裏を持ち、俺に向って大きく足を開いて見せる愛しい人。
 変わり者の小児科医も、さすがにここまでの成長は予測してなかったに違いない。
 何度もページを捲られて、やっと日の目を見た地球産の本を横目に、俺は大きく溜息を付き、長い夜に備えて、まず邪魔者を排除する為に未だ盛り上がる気配に一歩近付いた。






え〜っと、タイトルの『Der Mond des Fensters』を和訳すると『窓の月』です。
そのまんまですね。
すいません;;
そーゆーおバカなだけのお話です。
ちなみに他の47手について書く予定はありませんので。(笑)
一つだけで充分体力使いましたww
他の方が書いて下さるのをお待ちしております!


okan

(2011/06/02)