○その日の午後十時過ぎ。佐竹汐子が通う塾の近くの、駐輪場にて。
 塾の生徒たちが大勢やって来ては、それぞれ自転車にまたいで帰って行く。
 汐子も自分の自転車の鍵を開けようとしていたところ、携帯電話が鳴る。

汐子 「(画面を見て、眉を寄せつつ)もしもし菜摘? ……え、何? ……うん、塾に行ってたよ、
    今終わったところ。どうしたの、こんな時間に?」

○同時刻。宇月千也のマンション前。街灯の下に人影が二つ。
 相川菜摘は汐子に電話中。その横で、何やら思い詰めた表情の宇月。
 菜摘が宇月に、「汐、ちゃんと塾に行ってたみたい」と囁く。頷く宇月。

菜摘 「ねえ、汐。悪いんだけど今から会えない? 宮本が家に帰ってないらしいのよ」
汐子 「……は?」

○数分後。汐子が宇月のマンション前(一階。建物の前)に到着。 
 街灯の下、宇月は生け垣に腰かけている。
 菜摘が手を挙げて「こっち!」と叫ぶ。
 自転車をマンション横に停めて、二人に駆け寄る汐子。

汐子 「菜摘! さっきの話、どういうことよ?」
菜摘 「それが、宇月が、宮本の妹さんからあいつ、まだ帰ってきてないんだけど、どこにいるか
    知らないかって連絡があったんだって。それで念のため、あんたに会って確かめたいから、
    電話番号教えてくれって言うもんだから……」
宇月 「(会話に割り込んで)佐竹さん、ごめんよ、こんな時間に呼び出したりして。ちょっと悪いん
    だけどさ、手、貸してくれないかな?」
 
 宇月の強い口調に、ただならぬ気配を感じて、汐子はたじろぐ。

汐子 「あ、うん。それはもちろん。あたしができることなら何でもするけど」
宇月 「いや、そういう意味じゃなくて……」

 じれったそうにして突然、汐子の腕を掴む宇月。驚いて思わず腰を引く汐子。
 宇月は有無をいわさず汐子の手を両手で握って、それを額に押し当てる。

汐子 「(顔を赤らめて)わっ! な、ななな、何いきなり。何なのいったい!?」
菜摘 「予知能力だって。本人の身につけていた物でもいいんだけど、どうせなら本人に触った
    方が確実だって言うのね。だから、あんたに来てもらったんだけど」
汐子 「何それ? どういうこと? 全く話が見えないんだけど」

 とまどいつつ、宇月を心配げに見つめる汐子と、あくまで傍観者の姿勢を保つ菜摘。
 目を硬く閉じて、念じるように手を握る宇月。額にうっすらと汗。
 しばらくのち、宇月が目を開け、汐子の手をゆっくりと解放する。深い溜め息。

菜摘 「……どうだった?」
 
 イエスともノーとも答えず、片手で額を押さえて、街灯の柱に背を預ける宇月。
 受けた衝撃が体中に行き渡り、やがて潮が引くようにそれが収まるのを待っている。

汐子 「ええっと、何? やっぱり、前に見たのと同じものが見えたんじゃないの?」
宇月 「(力なく頷き、両手で顔を覆う。大きく息を吐いて)……ごめん、佐竹さん。本当は嘘
    なんだ。僕が見たのは、君の目を通して見る、未来なんだよ」
汐子 「……は? ……嘘って、どういう意味よ、それ?」
菜摘 「それがねえ、汐。驚かないでね。あたしもさっき聞いたばかり何だけど。汐が誰かに
    捕まってどうのこうのって話。あれってね、全部嘘っぱちだったんだって」
汐子 「はあ!? 何それ? ちょっと待ってよ、何なのよそれ!? だってサル、確かにあの時
    あたしの手、振り払ったじゃない。すっごい迷惑そうな顔して、僕に触るなって怒鳴った
    じゃん。あれがそんな、嘘だったって言うの!?」
菜摘 「汐、落ち着いて。そんなに怒らないでよ」
汐子 「怒ってないわよ! 事実を確認していてるのよ!」
宇月 「あれはきみじゃなくて、青司だったんだよ! ……宮本が、どこかに閉じこめられている
    絵だった。僕はきみがそれを見つけるのを、きみの目を通して見たんだ」

 目を瞬く汐子。眉を寄せて、二人の顔を見比べる菜摘、ため息を吐く。
 ひどく疲れた様子の宇月。青白い顔。束の間の沈黙。

汐子 「……何よそれ。だったら何でそんな嘘吐いたのよ? だってサル、あんたはっきり言った
    じゃない。酷い目に遭うのは、あたしだったはずで……」

 言いかけて、ふいに目を見開く汐子。握った拳が、怒りで震える。

汐子 「――ねえ、まさかあんた。あたしに関わらせないために、嘘を吐いたの?」
菜摘 「汐。ちょっと待った。落ち着いて。怒る前に、話を聞いてあげて」
宇月 「いいよ、相川さん。――佐竹さんの言う通りだよ。ああ言えば、僕につきまとわなくなるか
    と思ったんだよ。そしたら、なんとかなると思ったんだ。それなのに、全く効果がなかった上
    にこれだもん。ほんと、どうしたらいいんだろ……」

 力が抜けたように、その場に座り込んでしまう宇月。
 その様子に、毒気を抜かれる汐子。
 菜摘、汐子と顔を見合わせて、大きなため息を吐く。

汐子 「ねえ菜摘。あんたはこいつから、何を見たか聞いたの? もしかして、人に言えないような
    ものを見たんじゃないの? だからあたしに、嘘を吐いたんじゃないの?」
菜摘 「そんな、あたしに聞かれても困るよ。そこまではあたしも聞いてないんだから。ほんとよ、
    信じてよ、汐。……ねえ宇月、あんたも何とか言ってちょうだいよ」

 のろのろと顔を上げる宇月。だがすぐに視線をそらせてしまう。

宇月 「……それは、知らない方がいいよ。それが現実になったとき、後悔するだけだから。ううん、
    後悔するだけじゃない。きっと、僕と顔を合わせるのも嫌になる。……僕もね、もう誰かを
    憎んだり責めたりしたくないんだよ。それにこれは運命で、人の力じゃどうしようもないもの
    なんだ。だったら、素直に受け入れた方がいいんだよ」
汐子 「何よそれ! わけわかんない。そんな勝手な言い方しないでよ!」
菜摘 「そーよそーよ、勝手に自己完結しないでほしいわね」
汐子 「だよね、人をここまで巻き込んでおいてさ」
宇月 「……よく言うよ。勝手にきみが、僕にまとわりついてきたんだろ!」
汐子 「ふん、そもそも変な嘘をついたあんたが悪いのよ。あんな言い方するから、ヘンに気に
    なっちゃったんじゃないの。今からでも遅くないわ、本当のことを言いなさいよ。もし何も
    話してくれないなら、宮っち探すの手伝わないからね。いいの、それでも? そしたら
    宮っちなんか、もうずっと見つからないかも知れないんだからね!」
宇月 「(虚を突かれた様子で)……え?」
汐子 「あたしが見つけるんでしょ。そう言う予定なんでしょ。だったらあたしが探しに行かなきゃ、
    宮っちはずっと見つからないよ、きっと。そういうことじゃないの、今の話は? あんたは、
    あたしが将来見るであろう映像を、先取りして見たんでしょ?」
宇月 「……それは、そうだけど。いや、でも……そんなこと、絶対にあり得ないよ」
汐子 「どうして? もしかしたら、もし、あたしたちが何もせずにこのまま家に帰れば、何も起こら
    ないかも知れないじゃない! あたしはそれ、試してみたいわ。可能性に賭けてみたいのよ。
    別に宮っちなんか、死んじゃってもいいんだし」
宇月 「ちょっと、佐竹さん……!」
汐子 「だって本当だもん。平気でカツアゲしたり、万引きするような身勝手なバカ。どうして
    あたしらが探してやらなきゃいけないのよ? 何度も言うけど、あんたちょっとお人好し
    すぎ。それよりも、試してみるべきだわ」
菜摘 「なるほど、一理あるわね。もし未来に起こることが何もかも運命づけられているのなら、
    全ては為るべくして成るものだし、だとしたら意識して探そうが探すまいが必ず見つけて
    しまうはずだもんね。……ってことは、ここでどんなワガママを言って、どんな悪あがきを
    しても、全部無駄ってことになるんだけど。ねえ、汐?」
汐子 「……菜摘、あんたいったいどっちの味方よ?」

 睨む汐子。肩をすくめる菜摘。眉根を寄せて、考え込んでしまう宇月。

汐子 「まあ、何をしても、未来は変わらないかもしれないわよ。だったら、あえて流れに逆らって
    みるのも、一つの手じゃない? このまま家に帰って部屋に閉じこもっているの。それで
    危険が回避できるなら、そんな楽な方法はないわよ」
菜摘 「ずいぶん消極的だこと。猪突猛進が売りのあんたが、どういう風の吹き回しよ?」
汐子 「菜摘は黙っててよ。いいじゃない。消極的だろうがなんだろうが。結果的に、大円団に
    さえなればいいんだから。ね、サル?」
宇月 「(ため息を吐いて)……何が何でも、知りたいわけだ?」
汐子 「(胸をはって)ええ、何が何でも知りたいですね」
宇月 「……。(返す言葉が見つからない)」
汐子 「あたし、後悔なんかしないわ。約束する。だから教えて」

 大きく息を吐く宇月。頭をがしがしと掻き、まだためらっているのか、沈黙が降りる。
 やがて緩慢に顔を上げて、泣き笑いの笑顔で口を開く。

宇月 「たぶん、僕が刺されると思う」
汐子 「刺される?」
宇月 「そう。ナイフで。……たぶん、青司に。僕が、刺されるんだ」
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By Tacni Ririko copyright (C) All rights reserved since June 2006.