白昼夢−SideB−

 あいつが屋上にいることくらい、私だって気がついていた。
 あいつ。オカベアキヒト。
 私の親友であるミカに、片思いしているらしい、噂の男子。

 あのミカに片思いをしている男子がいる、などという聞き捨てならない噂を私が初めて耳にしたのは、夏休み明け直後のことだった。さすが色恋沙汰に関する噂は駆けめぐるのが早いもの。その頃にはもう、知る人ぞ知る有名な噂話になっていた。
 私には全くの迂闊だった。そんな重要な情報を、長く聞き漏らしていたなんて。
「へえ。オカベって言うんだそいつ。で、そいつって、どんなヤツなの?」
 私は興味津々だった。だって自分の親友に片思いしている男だ、興味がわかないはずがない。だけどミカは、当然と言うべきか、オカベとは知り合いらしいくせに、そいつについて話すのを渋り嫌がり、終いには怒ったりもする始末だった。
「他人事だと思って楽しそうに。言っておくけど告白どころかアイツ、あたしに滅多に話しかけてこないんだからね。そんな噂、ただの噂だよ。すっごい迷惑!」
 だけどそんなことを言うミカは、ほっぺたを真っ赤にしていた。
 怒って顔を赤くする、というよりは恥ずかしくて頬が赤く染まるように見えて、私はにまにまと笑ったものだった。いいからかいネタができた。そう思った。
 だけど本当は、心中穏やかではいられなかった。
 ミカはのんびり屋さんで天然で、だからちょっと抜けていることが多いけど、周りの空気が澄んでいて穏やかで。そんな彼女だから友人も多くて、いつも彼女の周囲は明るい木漏れ日が注いでいるようだった。私には、彼女の欠点が見当たらない。
 もちろん、そんないい子だから、ミカに片思いする輩がいたと分かったところで、驚くようなことではなかった。いやむしろ、いままでこういう浮いた話がなかったことに、不思議の思うべきなのに。だってミカは可愛くて、本当にいい子で。
 −−それに引き換え、私はどうだろうか?
 
 その噂を聞いた時から、私の中でオカベアキヒトは重要人物になった。
 話しかけるほどの勇気は私にもなかったが、今最も注目する男子になった。
 もしかしたら将来、ミカと一緒に登下校するのは私ではなく、あの背丈も中ぐらいで成績だって目を見張るほどいいというわけでもなく、ルックスだって特に目立つところもない男になるかも知れないなんて。そう思うと腹がキリキリしてくるのだ。
 つまるところ、オカベは私の天敵になったのだ。
 私のミカを狙っている、オオカミ少年。
 だから私とミカで、文化祭の大道具をつくっている最中にミカが指先を怪我した時、私ってばつい絆創膏を持ってくるよ、なんて言ってしまったけど、でも本当は彼女を屋上に一人きりで、放っておきたくはなかったのだ。
 だってオカベも屋上にいる。そんなの、飢えたオオカミにエサを差し出すようなものじゃないか。
 はっきり言って、ミカにはオカベなんか、似合わないと思うのだ。
 だけど一方で、私にだって分かっていた。それは私の、趣味と偏見に基づく独断なんだってことは。私がただ、ミカを独占したいだけなんだってことは。
 だってミカは、口では「何とも思っていないよー」なんて言っているくせに、いつもその視線はオカベを追いかけているのだから。きっとミカも、まんざらでもないのだろう。それがあいつへの恋愛感情がある証拠だとは限らないけど。でもそんなの、私がどうこう言うことではないことくらい、よく分かっているのだ。
 どんなに淋しくても、私が親友だからって二人の邪魔をするのは無粋ってものなのだ。よく分からないけど、きっとそういうものなのだ。私は自分に言い聞かせる。だってミカは、私の所有物じゃないんだから。
 
 逸るする気持ちを抑えて、私はしかし、足早に屋上へと向かった。
 邪魔するのは良くないとは思っていても、だからって告白とかになっていたら、さすがに嫌だな、なんて思った。告白されたら、ミカはどう応えるんだろう。
 屋上へと続く階段を、一段飛ばしで駆け上がる。金属製の扉にすき間。
 考え過ぎなのはきっと私、私の方だ。ミカがオカベと付き合うことになったからって、私とミカの関係が変わるはずもないのに。だけど分かっていても、すぐに扉を押し開けることは、できなかった。
 私は扉の前で、気配を押し殺す。そしてドアのすき間から−−見てしまった。
 ミカの背中。その向こう側にオカベ。夕闇の染まった屋上。
 それはほんの一瞬のできごとだったのに、すっかり目に焼き付いてしまった。
 オカベがミカの手を握って。それを自分の方へ引き寄せて。
 −−嘘。あんた私のミカに、何してるのよ? 
 私の足はコンクリートの床に根付いてしまったようだった。オカベが笑ってミカに何か囁いて。
 それからふと視線を上げて。
 そしてミカの肩越しに、私はオカベアキヒトと、目が合ってしまったのだった。

 オカベの目が見開かれる。それはきっと私も同じだったろう。
 私が扉を開けるのが早いか、オカベがミカの手をパッと手放すのが早いか。
 慌ててオカベが立ち上がる。硬直。風が鳴る。ばさばさと段ボールが風に煽られて。
 唐突に、オカベが弾かれたように、ドアに向かって走ってきた。突風が吹いたと思った。息が止まった。私の横をすりむけていく少年と、目が合った一瞬。
「ごめん」
 空耳かと疑うような、たった一言を、彼は置き去りにしたのだった。
 
 ……ごめん、だって? 「ごめん」で済む問題なの、あれが?
 って言うか、どうして私に謝るのだろう? 私にいうべき言葉ではないだろうに。
 ズキリと胸が痛かった。そしてやっぱり、あいつなんか最低男だと思った。
 それともあいつ、ちゃんとミカに告白したのだろうか。扉のすき間から見た、あの笑顔。ミカの怪我した指先に、あんな真似をして。まさかミカがOKしたから?
 ……あれって、そういうことなんだろうか。
「ご、ごめんね遅くなって。ちょっと探すのに手間取っちゃってさ、絆創膏……」
 我ながら下手な演技だと思った。声がひっくり返っていて、動揺がばればれだ。
 だけど返事がないものだからミカに近づいて、こわごわと顔を覗き込む。すると、どこも見ていないらしいミカの目が、宙に固まっていた。放心状態、のようだった。
 ミカにとってもアレは、どうやら不意打ちだったようだ。
 
 ……なんだか急に、泣きたくなってきた。
 親友だから。ミカが大事だから。一緒にいられなくなるとさみしいから。そんなの全部言い訳で、私は彼女に、女として嫉妬しているに違いないのだ。
 ミカの左手がスカートの上にだらりと落ちて。左手の指先からは血が滲み始めていた。その指先を目に止めて、私はあろう事かさっきの光景を思い出してしまい、ドキドキしてしまった。
 ちょっとあんたらホント、人のいないスキに何してんのさ?
 そういえばオカベも顔が真っ赤だったと思い出す。
「全く大変だねえ、ミカ。これからあんた、どうするつもりよ?」
 今度はからかう口調が復活していた。だけどやっぱり、問いかけに返事はない。
 この子も純情だからなあ。苦笑するつもりが失敗して、泣きそうな顔になってしまった。……ホント、バカだよなあ。私は一人、夕闇に隠れて自嘲する。
 ミカはまだ、我に返らない。
 悔しいから、このまま放っておいてやろうか。ふと思った。

 Fin.
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By Tacni Ririko copyright (C) All rights reserved since June 2006.